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第174話「ただのモテ自慢とか?」

「ラブレター……?」


 昼休み、風が吹き抜ける校庭。木曽(きそ)穂波(ほなみ)は、山下(やました)満流(みちる)が発したことばを鸚鵡返しに繰り返した。自分で出したことばの意味が、一瞬、呑み込めない。

 満流の困ったような顔を見つめながら、穂波はつぶやく。


「誰から?」

「実はまだ読んでない」


 肩をすくめた満流は、スカートのポケットからちらりと封筒をのぞかせた。シールとマスキングテープでめいっぱいデコられたその封筒は、なるほど、ハートマークで封緘されている。ラブレターには違いないようだったが、派手すぎて冗談に見えるし、差出人の名前を書く余地もなさそうだった。

 何となく、中身も丸文字と絵文字と顔文字でできあがっていそうな気がした。


「1学期の頃は、もっと頻繁にもらったんだけど。2学期になってからは久々」


 満流はうれしそうでも迷惑そうでもない、どこか突き放したような声でいった。

 演劇部の期待の新人で、ミステリアスな美少女である山下満流は、とかく浮き名に事欠かない。同級生の誰と密会しただの、上級生を袖にしたの、二股かけたの、以前はそんな話がたびたび山火事のように広まっていたものだ。最近は落ち着いているとはいえ、彼女を見る目にはまだそういう印象が強いだろう。


「ずいぶんモテモテだこと」

「困るんだけどね。みんなの声に応えるわけにもいかないし」

「完全にモテる人間のせりふだね……」


 あんまり自然に満流がいうので、さすがに穂波もあきれてしまう。


「それで、どうするの?」

「どうするも何も、つき合うわけにもいかないでしょう」

「……そうなの?」

「それは」


 いいかけた満流は、ふと口を閉ざす。ポケットの中のラブレターを、上からじっと押さえつけるようにして、自分の太股をスカート越しになでている。その仕草が、何か、強い感情を押し込めているみたいに見えて、一瞬穂波は焦りを感じる。

 そして、満流がじっと穂波をにらんだ。舞台で鍛えた眼光は、穂波の背筋を寒からしめた。


「穂波さんさ。どうして私が、あなたをここに呼んで、こんな話したと思ってるわけ?」

「それは……」

「ただのモテ自慢とか?」

「いや、そこまでは思ってないけど」


 穂波はあわてて否定したが、すこしは、そんなふうに考えたような気がしないでもない。でも、そんなよこしまな考えが、胸の奥にいやな熱を引き起こしてしまいそうで、彼女はその気持ちに見ないふりをした。


 満流はしばし、穂波のそんな暗い胸の内を見抜こうとするように、じっと顔をしかめていた。けれど、そのうち、ふと表情を和らげて、姿勢をかるく崩した。ピンとした背筋をわずかにゆるめ、両足に預けていた重心をずらす。

 そうするだけで、身長が5センチくらい低くなったように見えたし、全身から発していた凛とした気配が消え失せて、影も心なしか薄く思えた。人の姿形というのは、ほんのすこしの意識で、ここまで変わるものか、と穂波はおどろく。


「隠し事はさ、したくないじゃない。穂波さん相手に」


 そうして発せられた満流のことばは、長台詞のように流暢でも華麗でもなかったけれど、それだけにたしかな力で穂波の心に刺さった。こういうときは、飾らないことばのほうが強い。


「……ありがとう」

「なので」


 ぽん、と、自分の太股をたたいて、満流はじっと穂波を見つめる。


「この処遇も、穂波さん次第、ということに、しようかな、と」

「私?」

「そのほうが安心できるでしょう? 破り捨てるなり、焼き払うなり、好きにすればいい」

「そんな物騒な手段、必要?」

「穂波さんがお望みならね」


 きっぱりといいきった満流の表情は、すでにさっぱりと晴れやかだった。自分の中にあった重みを放り出して、すっきりしたらしい。

 穂波の背後から、真昼の陽射しに熱された生ぬるい風が吹いてくる。彼女の体を風除けにするみたいに、満流は悠然とそこに立っていて、結った髪も微動だにしない。たとえ力を抜いていても、まるで風のない舞台上にいるかのように、満流の姿は揺るぎなかった。


 穂波は、半眼で満流を見据えた。


「じゃあ、会ってくれば?」


 満流は、意外そうに、しかし興味深げに目を見開いた。すこしゆるんでいた彼女の背筋が、ふたたびまっすぐになり、いくぶん穂波の顔に近づく。


「……そうくる?」

「というか、会わずにすますつもりでいたほうが問題なんじゃない?」


 穂波は、すっと満流に歩み寄った。

 そして、彼女のスカートを上からそっと押さえつける。


 顔を見下ろし、形のよいおでこをじっと見つめるようにして、穂波は告げる。


「会って、きっぱり断ってきてよ」


 満流はにっこりして、うなずいた。


「……はいはい」


 つぶやいて、満流は穂波の手を逃れて後ろにしりぞいた。支えを失ったようにバランスを崩した穂波に、満流は肩をすくめていう。


「あんまし近づいてるとこ見られたら、穂波さんも噂になるよ」

「……もうなってるんじゃないかな」


 とかく山下満流は目立つし、2学期以来しばしば彼女のそばにいる穂波だって、目立たないはずはない。満流のそばにいるノッポは誰だ、みたいな話が、きっとそこかしこで流れていることだろう。

 でも、むしろ、そうしたほうがいいかもしれない。

 そうすれば、ラブレターだって来なくなる。


 とはいえ、そこで一歩前にでる勇気は、穂波にはなかった。

 突っ立ったままの彼女に背を向け、満流は歩き出す。組んだ後ろ手が、穂波をからかっているみたいに左右に揺れた。


「まあ、ありがとね」


 後ろを向いたまま、満流はよく通る声で告げる。


「背中押してくれて」


 最初から、そうされたかったのだろう。穂波はそれに気づいて、密かに笑う。どうやら、満流の望んでいたことばを、穂波は選ぶことができたらしい。満流にとってはちょっとしたアドリブ劇で、穂波はそれに巻き込まれただけの素人で、あたふたしていたのは自分だけなのかもしれなかった。

 でも、彼女がそうして、手を取って舞台に上げてくれるのは、きっと自分だけだ。

 誇らしげに、穂波は背筋を伸ばして、満流の後を追って歩き出した。

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