第17話「問題は中身ではなく、表面のほうなのです」
「ふうむ」
「うむむ」
内海弥生と初野千鳥が、顔を突き合わせて考え込んでいる。おだやかなほほ笑みがトレードマークの弥生と、いつでもポーカーフェイスの千鳥が、揃って悩んでいるのはめずらしい。
「どしたの、千鳥さん」
自分の席からちょこっと首を伸ばして、飯塚流季は千鳥に声をかけた。話しやすいのは弥生だが、単に千鳥の席のほうが近かっただけだ。振り返った千鳥は、わざとらしいくらいに唇をとがらせた。
「弥生さんが困っているんです」
「ええ、困ってしまって」
うなずいた弥生が差し出したのは、洒落た英字フォントでタイトルの書かれたペーパーバックと、シンプルなグレー地の布製ブックカバー。
「どうしたの? うっかり原語の本を買っちゃって読めないとか?」
「多少手こずるけど、読めないほどでは。子ども向けでだし」
「私でも雰囲気で読めるくらいですから、弥生さんならお茶の子さいさいでしょう」
「そこまででは……」
弥生は照れたように首をすくめる。流季があらためて表紙をよくみたら、なるほど、映画化もされた有名な児童向けファンタジーのタイトルがあった。
「問題は中身ではなく、表面のほうなのです」
千鳥が言うと、弥生はうなずいて、もう片方の手にしていたブックカバーをペーパーバックに重ねる。
表紙の上の黒い部分がはみ出して、横長の帯みたいになってしまった。明らかに、大きさが合っていないのだ。
ふう、と弥生はかわいく嘆息する。
「大は小を兼ねるとは言うけれど、小さいのはどうにもならないよね」
つぶやきながら、そっと弥生は布地の表を指でなぞる。
「この手触り、色味、なかなか捨てがたくて。それに、新しいのを買うのも勿体ないし」
「別の本に使えば?」
洋書だから大きさが特殊なのであって、一般の書籍はふつうに合うだろう。しかし、弥生はふるふると首を横に振った。
「これを読み終えるのがいつになるか分からないし……それまで置いておくのは、勿体ないじゃない?」
「というわけで、どうしたものか、とふたりで首をひねっていたところなのです」
千鳥がタイミング良く口を挟んで締めくくった。事情は分かったし、彼女らのもったいない精神には共感しなくもないので、どうにかしてあげたいなとは思うが……
「リメイクしちゃえば?」
思いついて流季が口にすると、「あ」と弥生は両手を打ち合わせた。
「継ぎ足して大きくすればいいんですね。でも、いい布があるかしら……」
「じゃあ、今度うちの古着持ってくるよ。そろそろ弟が大きくなってきて、去年の服が合わなくなっちゃってさ」
「弟さん、小学生でしたか」
「うん、小六。成長早くて困っちゃう」
「いいではありませんか、伸び盛りの男の子、かわいらしいです」
千鳥の言葉はいつも通りの冷静さだが、ちょっと鼻息が荒いような気がする。少女漫画に出てくるようなイケメン小学生を連想しているのかもしれないが、実像は体だけでっかくなったはなたれ小僧だ。
「実際相手にすると大変だよー。体力ばっかあって、頭の中はジャリのまんまなんだから。ゲームとサッカーのことしか考えてないの」
家に帰れば、両親の代わりにまた弟たちの世話を焼かなくてはいけない、と思うと、ついついため息もこぼれるというものだ。
「ていうか、自分で言っといて何だけど、古着なんかで大丈夫?」
「ええ、ちっとも。近頃の子ども服のデザインはしゃれてるし、大丈夫だよ」
「鼻水ついてるかもよ」
「……せめて、お洗濯くらいは」
しとやかに、しかし決然と、弥生はそう告げてきた。
結論として、流季の当ては外れた。鼻水のせいではない。
「うちの母親、ふだんは何にもしないくせにこんなことばっかり……」
翌朝の教室で、流季はすまなそうに弥生に頭を下げる。弥生のほうは、何も気にしていないそぶりで微笑んだ。
「いいじゃない。売れたってことでしょ?」
当てにしていた子ども服は、前の日曜にほとんどフリマに出されてしまっていた。残りはネットのフリマサイトに出品されて、全部売れたらしい。めずらしく家庭人らしいことをした、と言いたげな母の誇らしげな顔に、流季は喜んでいいやら、嘆いたものやら、複雑な気持ちで弥生と顔を合わせたのだった。
とはいえ、弥生がとくにめげてもいないのが救いではある。
「今度、自分の家のほうでも何か探してみるよ。それか、千鳥さんに頼むか……」
「そういや千鳥さんは? またどこかで油売ってるのかな」
初野千鳥は、個性派の多い1年2組でも上位に入る変わり者だ。趣味が山歩きで、あちこち歩き回っては変わった小石を拾ったり、動物や花の写真を撮ったりしている。どうやら行き帰りにもあちこち歩いているらしく、誰より早く教室に来る日もあれば、遅刻ぎりぎりの日もある。今日は後者らしい。
と、噂をすれば、初野千鳥が教室の前の扉から姿を現した。
「ごきげんよう、皆さん」
「ごきげんよう千鳥さん……それは?」
ぽかんとした声で弥生が訊いた。
千鳥が小脇に抱えているのは、丸めた巨大な帆布だ。教室の狭いドアをむりやりくぐらせ、千鳥は自慢げに帆布を流季たちの前に突き出す。
「テントが破損してしまって、廃棄しようかと思ったのですが……そういえば、弥生さんが布をほしがっていたのを思い出したのです」
さあ、と、千鳥は、ちょっとした丸太ほどもありそうな帆布を押しつけてくる。黄色い布はたしかに頑丈そうだが、はたして、ブックカバーに向いているのだろうか。
ちらり、と流季は弥生の様子をうかがう。彼女のほほ笑みは、すこし引きつっていた。
「……テントは、テントとして再利用するのが最適かと」
「なるほど。それは一理ありますね」
さもあらん、とうなずく千鳥に、流季も弥生も突っ込みようがなかった。勿体ない精神にも、程というものがあるのだ。