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第156話「毎日同じことしてたらすぐに飽きられるし、自分も飽きる」

 始業時刻ぎりぎりになって教室に滑り込んできた三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)を見て、大垣(おおがき)風夏(ふうか)はおもわず眉をひそめた。


「……誰?」

「三津間百合亜さんですよ、わからない?」


 眠たそうな半眼で風夏を見て、そう言ったのは百合亜当人だ。彼女は自分の頭を居心地悪そうになでながら、すとんと席に腰を下ろす。


 問題は、その百合亜の頭だった。

 いつもは、まとまりの悪い髪をそのままにして、ぎりぎりナチュラルといえるレベルのぼさぼさの髪でやってくる彼女。

 しかし、今日はその髪を念入りに編み込んでいるのだった。こめかみの上からうなじにかけて、ひとつの大きな輪を描くようにぎゅっと編み上げ、後ろはフィッシュボーンにまとめている。

 その堅牢さたるや、一分の隙もない。束にした髪の本数さえ、左右で統一しているのではないか、と思えるほどの対称性だった。


「どうしたの、その髪」

「今朝はひときわ、頭があれで」


 あいまいに言いながら、百合亜はしつこく自分の髪をいじり続けている。ひもの結び目をいつまでもこじり続ける子どものようだ。


「朝ご飯食べてたら、隣に座った姉が文句言い始めてさ。今日はなんか機嫌が悪かったのかも」

「天気悪いもんねえ」


 窓の外の曇り空に目をやって風夏はこぼす。ここ数日はいまいち天候がすぐれず、湿気も多い。気温はいくぶん下がって過ごしやすくなってきたが、湿度のせいで体力が消耗している気がするし、天気がぐずつくと気分も暗くとげとげしくなるものだ。

 百合亜は大きくあくびをする。


「……ほんで、うっとうしいから、っつって無理やり洗面所に連れてかれてさ。延々髪を編まれるわけ。動いたら怒られるし、ほどこうとしたらよけい怒られるし、きついからって文句言ったらめっちゃ怒られるし」

「怒りっぽすぎない、お姉さん?」

「いつもはずっとましなんだけど……」


 落ち着かなげに、百合亜はまとめた髪の下に指を通して、フィッシュボーンをぐいぐい動かす。


「それで、こういう有様なわけ。首がこっちゃって仕方ないわ。締め付けられて頭痛もするし。孫悟空にでもなった気分。旅なんてうんざりなのに」

「でも、意外と似合ってるよ」

「何、わたしの顔が猿みたいって?」

「そうじゃなくて」


 風夏はじっと百合亜の頭を見つめる。ふだんは隠されている彼女の顔の輪郭や、耳の形がわかって、いつもとすっかり印象が違う。

 丸顔なせいでいつもはふっくらして見えるその顔立ちも、ほっそりした首筋や、小さな耳があらわになると、実は細くてスマートなのではないか、と思えてくる。そういえば、百合亜は見た目の印象よりずっと体重も軽い。制服の下の体つきは、しゅっとして細いのだ。


「あと、ちょっと眉を整えたらばっちりかもね」

「やぁよ、めんどくさい」


 太い眉の上をかりかりと引っかく百合亜の様子は、体を洗われた直後の猫のようだ。


「眉なんて気にしだしたら、身支度にどれだけかかるかしれないもの」

「もったいないなあ」

「こんなの、たまにあるから物珍しいだけよ。毎日同じことしてたらすぐに飽きられるし、自分も飽きる」


 あくまで百合亜の態度は素っ気ない。よほど自分の髪型が気にくわないのか、頭痛を起こしたみたいに両手でこめかみを押さえながらうつむいている。


「そんなにイヤなら、ほどいてくれば?」


 風夏があきれてそう言うと、百合亜は顔を上げて、唇をとがらせた。


「ここまで来ちゃうと、ほどくほうが手間なのよ」

「……はあ」


 たしかに複雑な編み方をしているとは思うが、それにしたって、ほどけなかったらあとで困るのではないか。


「それなら、あとで私がほどいたげようか」

「……ほんとに?」


 救いの神を見つけた、といわんばかりに目を輝かせる百合亜。そんなにその髪型が気に入らないのだろうか。


「また休み時間にね」


 風夏がそう言うのと同時に、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。



 ……そして1時間目のあとの休み時間。


「うおお……これ、ほんとにぎちぎちだね……」


 風夏は百合亜の後ろに立って、髪を束ねていたリボンをほどく。ゆるんだ編み目にブラシを通して、次第にほどいていくと、まるで綿菓子が膨らむみたいに百合亜の髪がいつもの姿を取り戻していく。

 きつく編まれていたせいで癖のついた髪に、ていねいにブラシを通す。元々くせっ毛で、櫛も通りにくそうな百合亜の頭だが、風夏が手入れしていくと、だんだんなめらかでさらっとした形に変わっていく。


「あー……生き返るぅー……」


 風呂に浸かったおじさんのような声を上げる百合亜を、風夏はあきれた目で見つめる。


「だらしない声出さないでよ……よっしょ」


 ぐい、とブラシを首の後ろまで一気に引き下ろして、ようやく、百合亜の頭から編み目が消えた。

 まっすぐに、とまではいかないものの、ふわりと緩やかに広がる百合亜の髪は、普段の無造作さとも、さっきまでの几帳面さとも異なる具合の枝垂れ具合で、彼女の頭を包む。


「ありがと。すっきりした」


 百合亜はちょんと頭を下げ、耳にかかった髪をちょっとかき揚げる。ちいさくて白い耳の形が見えて、一瞬、風夏は目を見張る。

 そして、まじまじと百合亜の後ろ髪を見つめる。背中にかかって左右に揺れる毛先は、湿気にわずかに潤んでつやめく。思わず、手を伸ばす。

 指でちょっとだけ毛先を持ち上げると、やわらかくたわんだ。


「……百合亜さん。編めとまでは言わないけど、ブラシくらいは通した方がいいよ。このバランス、めっちゃいい」

「そう?」


 百合亜は、自分の髪を無造作に持ち上げて、首をひねる。


「髪の善し悪しって、いまいちよく分からないのよね」

「私が保証するし。絶対いいって。ね?」


 風夏の力説を聞いて、百合亜はゆっくりこちらを振り返る。

 不思議そうに、ぱちくりと瞬きしていた彼女は、やがて、うっすらと笑った。それは、ふだんの百合亜からは想像もつかないような、蠱惑的で、謎めいた、美少女の笑みだった。


「明日の朝の、気分次第ね」

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