第九五話【来訪者Ⅶ】
元来、魔術師が有する魔力は、人それぞれに資質という物が存在する。故に得意魔法・不得意魔法といった個人によって発揮できる魔法の威力に差が生じるが、発動出来ないという事は絶対にない。それは、今までの魔法という歴史上において、その様な事例が存在しなかったという事実が物語っている。
だからこそ風間が言う「適合魔術が存在しない」などという妄言を到底信じることができなかった。
稀に、あらゆる魔術にい対し適性を持った万能型魔力という資質を持って生まれてくる個体は存在する。
女の周りでは、結城咲耶という少女がおそらくそれに該当するだろう。ローリーの魔導書という規格外の魔導書を有する彼女は、その全ての魔法のポテンシャルを十二分に発揮させている。だが、それはあくまで魔力のみを魔法の媒介とした場合に限られ、神代の魔法技術と言われる失われた技法のように、贄を必要とする魔法に対しては除外される。
「あり得ません!魔力とは本来、魔法を発動させるためのもの。仮に風間さんの言っている事が本当なら、それはもう魔力とは呼べない別の何かです!」
女は取り乱した様に、思わず声を張り上げてしまった事にハッとなり、口元を抑える。
だが、無理も無い事なのかもしれない。彼女の様に魔に身を置く者として、風間の言う現実は、受け入れがたいものなのだ。
「・・・取り乱しました、すみません。」
「いや、いいよ。俺も最初にそれを聞いた時は、かなり驚いたから。しかし、これは紛れもない事実、十傑が実験を行って間違いないと判断した事なんだ。」
「・・・じゃあ、八神熾輝がどんな魔法でも発現出来る媒介という噂もそれが理由で否定された訳ですね。」
「結果的にはそういう事になっているが、最初に言った通り、かもしれなかっただ。」
ここへ来て、女は風間の話を理解する事が出来た。
「なるほど、状況証拠だけなら限りなく黒だった八神熾輝の力が否定されたのは、彼の資質に問題があったからだと。」
「その通り。幼少期、熾輝君はまだ魔力を発現させていなかった。しかし、命を狙われる事になった彼に魔術を教えようとした師が魔力の発現を行った事によって、魔術が使えなくなったという訳さ。」
「魔力に目覚めていない核には、おそらく途方もない価値があったでしょうに・・・」
女も熾輝に対して計り知れない価値を見出していたが、それはもう意味のない事だ。
「・・・そういう考えを持った連中が居るからこそ、俺は逆に失われて良かったと思うよ。」
そう言った風間の目が、僅かに細められ、女を射抜いていた事に気が付き、思わず姿勢を正す。
「彼の力が失われていなければ、確かに魔法社会は大きく発展を遂げていたかもしれない。しかし、それは同時に一人の無垢な子供の命を犠牲に得られる未来だ。」
女にも判っているつもりだ。仮に力を有したままの少年にどのような未来が待ち受けているのかが。
―――(どちらにしろ、クソな未来だけね。)
そこまでの考えに至り、女の顔には自然と失笑が浮かんでいた。
「ともあれ、そういった経緯から熾輝君を狙う魔術結社は居なくなった訳だけど、未だに神災の件で恨みを持つ者が彼を狙っているという現状が変わったわけでは―――」
「おーい、センパーイ、そろそろ行くぞー。」
話をする風間の声を遮るように、会議室の扉がガチャリと開き、柄の悪そうな男が室内に入ってきた。
「おい神狩、ノックも無しに入って来るなよ。」
「あ?知るかよ、つーか予定時間にもなって来ねぇ、テメエが悪いんだろうが。」
「お前なぁ、もう少しその言葉使い何とかならないのか?お前の態度が悪いって、木戸さんに怒られるのは俺なんだぞ。」
「うるせえ、こちとらペナルティーで毎日徹夜続きなんだ。」
「それは、自業自得だろうが。大体、お前のペナルティーに付き合わされる俺はどうなる。」
「頑張ればいいんじゃないっすかぁ?」
「お前な――――!」
急に部屋へと押しかけてきた男は、どうやら風間の後輩らしく、あーだこーだと口喧嘩を始めてしまった。
「あのぉ。」
「ああ、すまない。これから任務に行かなきゃならないんだけど、話はこの辺でいいかな?」
「はい、お時間を取らせて申し訳ありませんでした。」
そう言って、女がペコリとお辞儀をして退室しようとしたとき
「おい、待て。」
先程、部屋へと入ってきた神狩から声を掛けられた。
「・・・何でしょうか?」
「見ねえ面だな。何処の者だ?」
何処とは、この場合、所属部署を問われているのであろうが、サングラス越しに神狩の視線が女に突き刺さる。
「えーっと、私は職場実習に来ているんです。」
「職場実習だぁ?指導員はどうした?」
完全に怪しんでいるであろう神狩の質問に対し、女は内心で狼狽えていた。何故なら、自身のねつ造された経歴は、職場実習生という肩書以外、細かい設定は用意しておらず、もしこの場で適当な名前を口にして嘘がバレたらただでは済まないであろうことは、女にも容易に想像が出来た。
「・・・。」
「おい、どうした。答えられねえのか?」
――――(マズイマズイマズイ!どうしよう!さっき、風間が神狩って言っていたけど、それって十二神将の神狩の事だよね!?魔力も半端ないから間違いなさそう!)
パニックを起こしているのか、頭の中でどう切り抜けるかよりも、目の前にいる神狩の事について考えを巡らせてしまっている女に、もう後がない。
しかし、だんまりを決め込んでも状況が良くなる事は無いと判断した女は、一か八か適当に話を合せる事にした矢先である。
ポカンッ!
という何とも間抜けな音が聞こえた。
「コラ神狩!そうやって威嚇するから、彼女が怖がって何も答えられないんだろうが。」
「・・・何すんだテメエ!」
どうやら神狩に拳骨を落としたらしい風間が、女の窮地を救ってくれたらしい。
「この馬鹿の事は大目に見てくれ。」
「は、はぁ。」
「とりあえず、俺達もこれから出なきゃならないし、もう夜も遅い。気を付けて帰りなさい。」
風間の横でギャーギャー騒いでいる神狩を他所に女に帰宅を促す。
願ったりの状況を作り上げてくれた風間に一礼をした女は、逃げるように退室し、そのままそそくさと庁舎を出て行った。
そして、二人だけが残った室内では、ブラインドをクイッと下ろして、女が庁舎を足早に去る姿を確認している風間の姿があった。
「・・・行ったか。」
「センパイ、あのアマおそらく式っすよ。」
神狩が言う式とは、式神の事である。その事に気が付いているのが自分だけと思っておらず、おそらく風間も気づいていたのであろう事に対し、何故彼がみすみす逃がすような真似をしたのかが疑問であった。
「お前が視ても、おそらくか?」
「チッ、・・・まぁ、そうっすね。あんだけ完璧な偽装を施された式神、俺が知る中であの聖仙のジジイが作り出した簡易式くらいしか思い当たらねぇ。」
「同意見だな。俺も彼女が僅かに漏らした気配の違和感が無ければ気付けなかった。」
「・・・で?結局あのアマは何しに来たんっすか?」
「あぁ、ちょっと熾輝君について調べていたみたいだったから、色々と教えてあげたんだ。」
熾輝という名に、神狩の目が僅かに細められた。
かつて、彼自身が結社に協力して襲った少年。そして、だまし討ちの末に土を付けられた相手の名だ。
「・・・・それは、なんつうか、後が怖いっすね。」
「物騒なことを言うなよ、大丈夫だよ。俺が何の考えも無しに情報を与えたと思っているのか?」
「ええ、まぁ。」
「い、一応この事は菩薩様に頼まれてやった事だから問題ない。」
風間がなぜ女の前に現れて、ペラペラと情報をリークしたのかについて、実は、熾輝の師匠である佐良志奈円空が裏から糸を引いていたという事を説明した。
「いや、そうじゃなくって。あの餓鬼の保護者は、あの東雲葵っすよね。あの女の過保護っぷりを考えると、おそらくは、そんな許可出していないんじゃないっすか?」
「・・・。」
神狩に言われて、はじめて気が付いたのか、風間の顔からサーっと血の気が引いて行く。
「短い付き合いでしたけど、お世話になりました。・・・まぁ頑張ってください。」
「お、おい!既に俺が死んだみたいにいうなよ!い、言っておくけど、お前も共犯なんだからな!死ぬときは一緒だ!」
「はぁっ!?何言ってんだ!アンタが勝手にやった事だろうが!」
そんな会話をしている二人だが、神狩の言う通り、葵がこの件に関して許可はおろか、円空からの話も通っていない事を風間はまだ知らない。
◇ ◇ ◇
庁舎から立ち去った女が拠点がある街に戻ってきたのは、既に夜の9時を回ろうとした頃の事だった。
思わぬ人物との接触により、思っていた以上の成果を上げたが、女の心中は穏やかではなかった。
なにせ、相手は十二神将。この国のトップに位置する彼らとの接触は、本来であれば避けるべき事柄だったのだが、危険を冒しただけあって、知り得た情報は計り知れない。
―――(まさにハイリスク・ハイリターンね。)
実際のところ、仮に彼等との戦闘になっても、勝敗うんぬんは度外視して、逃げ切るだけの装備は用意されていた。しかし、その場合は自身らの存在が知られ、動き辛くなる事は目に見えている。
もしかしたら、アレの全てが演技で、実は今も付けられていたなんていう話だったら目も当てられない。
そんな事を考え、細心の注意を払っていたハズの女は、ある違和感に気が付いた。
「・・・変ね、この時間で人の通りが無くなっている?」
周りを見渡しても、人通りはおろか気配すら感じ取れない。
一瞬、先程の考えが脳裏をよぎり、警戒を強めたが、魔術や能力の気配は感じられなかった。
「・・・まぁ、こんな日もあるか。」
自身の警戒網に引っかからない以上、何かしらの細工を施されているとは露ほども思わないのは、彼女が自身の探知技能に絶対の自信を持っているからに他ならない。
しかし、だからこそ警戒を緩めるべきでは無かった。
自信は度が過ぎると過信に変わる。
知らず知らずに己が不自然な方角へ足を運ばされている事にも気が付きていない女は、拠点とは全く関係が無い公園の中を横切ろうという考えを持たされていた事に気が付くことが出来なかった。
そして、気が付いた時には既に彼の術中
「・・・・・まさか、見つかっちゃうなんてね。」
「・・・・。」
街灯の真下、暗い公園の中で唯一光が照らす場所・・・迷彩服にジャケットを羽織った少年、自らの戦闘服に身を包んだ八神熾輝が佇んでいた。
 




