第九四話【来訪者Ⅵ】
「ブラックでいいかな?」
「はい、ありがとうございます。」
女は案内された会議室の席に座って風間からホットコーヒーを受け取った。
「お幾らですか?」
「いいよ、俺の奢りだ。」
ここへ来る途中に庁舎内に設置されていた自動販売機で彼が買った物なので、お財布を取り出して、お金を払おうとしたのだが、きっぱりと断られてしまった。
風間は女の横に座ると、同じ銘柄の缶コーヒーに口を付け、喉を潤す。
正直、この部屋に来たとき、実は既に正体がバレていて、部屋の外には大勢の祓魔師が待機しているのではとビクビクしていたが、気配を探ってみたところ、それは杞憂に終わった。
「さて、何処から話せばいいかな?正直、あの事件は未だに分からない部分が多すぎて、確実な事は俺も言えないのだけど。」
「あ、神災自体については、大まかでいいんです。私も少しは調べたんで・・・でも気になっているのは、あの事件で生き残った男の子が居るという事なので。」
「そっか、じゃあ俺の知っている限りで話をしよう。」
「よろしくお願いします。」
そう言うと、女はバッグの中からボイスレコーダーと筆記具を取り出して男の話に耳を傾けた。
「あの事件は、正体不明の神が降臨したところから始まる。当時、俺は超自然対策課に配属されて間もなかったから、現場には派遣されなかったけど、当時の十二神将が全員出動した。」
「十二神将が全員ですか?」
風間の話を聞いて、女は今まで調べて来た事の中にそんな情報は含まれていなかった事から、思わず目を丸くしてしまう。
それもその筈、十二神将とは国の霊的災害を祓うトップの事であり、その様な超人たちが一堂に会して収仏を行う事など前例がなく、まさに異常事態だったという事が直ぐに理解できた。
「当時の十二神将は、歴代最強だと言われていてね、当時の俺を含め、だれも任務失敗なんて考えても居なかった。」
「失敗?でも結果的に神災は収仏されましたよね?」
「・・・十二神将の全滅、そして100万人の犠牲を払って成功だと言えると思うかい?」
「それは・・・」
風間は当時の事を思い出しているのか、先程までの砕けた雰囲気から、どこか重苦しさを感じさせる様に言葉を続ける。
「結局、あの事件は当時、五柱の一角だった二人の人物が収仏を行った。」
「その話なら知っています。確か世界最強と名高い八神総司と、その妻である八神恵那が我が子を媒介に発動させた魔術によって、神を滅したんですよね。」
「あぁ、だがその後が問題だった。魔術発動によって都市は文字通り消失、魔術を発動させた夫妻もそうだが、そこに住む100万人という人間までもが滅んだ。」
風間は敢えて死という言葉を使わずに滅びという言い回しを使った。
通常、人が死ぬと肉体から魂が解放され、天へと召される。
しかし、被災地には何も残らなかった。・・・・それは建物や人の亡骸等といった物体にとどまらず、人の魂までもが消滅してしまったのだ。
「・・・私も霊視を持っていますが、生前に何か悔いを残した魂は、その場を彷徨うハズです。それが無かったという事は・・・」
「天に召されたのではと言いたいのだろう?」
「はい。」
「しかし、あの時・・・あの場所において、それは当てはまらない。なにせあの空間が【無】そのものだったからね。」
「無、ですか?」
「キミも霊視を持っているのなら、わかるだろう。たとえ魂が天に召されても、その場には霊的残滓が残る。だが、あの場には文字通り何も残っていなかった。」
そんな事があり得るのだろうか。と彼女は心の中で呟く。彼女は自身を形作る物について、誰よりも精通している自負がある。だからこそ判る、いかに一流の祓魔師が魂を収仏しても、そこには何かしらの痕跡めいた物が必ず残るものだと。しかし、目の前の男はそれを否定した。
―――それから風間から聞かされた神災の内容については、女が手に入れた情報とヒストリーソースによって判明した情報の答え合わせの様なものだった。
「―――俺が神災について知っている事はこれくらいかな。・・・あとは例の生き残りの男の子についてだけど、話をする前に彼の事は口外しないという条件を飲むというのなら話をしよう。あくまで君の研究テーマと向上のための話として心に留める程度にしてもらいたい。でないと君には監視がついて、四六時中見張られる生活を送らなければならなくなるよ?」
「・・・わかりました。」
爽やかな笑顔で恐ろしい事を口にする風間の態度が、逆に脅しを掛けられているようで、ここで反論する勇気が出なかった女は、机の上に置いていたボイスレコーダーの電源を切り、筆記用具も鞄に閉まった。
「うん、賢明な判断だ。学校を卒業してきたら、是非とも僕の部下にして鍛えてあげたいよ。」
「あはは、その時はヨロシクオネガイシマス。」
―――(この人結構チョロイかも。)
そもそも学校の卒業も糞もない女は、偽造した経歴でここまで情報をもたらしてくれる目の前の十二神将をかなり下に見始めていた。
「さてと、神災の生き残り、つまりは八神夫妻の一人息子、八神熾輝については、ちょっと特殊な生い立ちがあってね。・・・君は、この国の十傑である五月女と五十嵐についてはどの程度知っているかな?」
「え~っと、どちらも日本屈指の名家で、江戸時代前から存在すると聞いたことがあります。五月女の直系は世界でも希少な魔眼を持ち、魔術・オーラに秀でた天才を排出しています。五十嵐は世代によってバラつきはありますが、魔術・オーラのどちらかに秀でた天才を排出していて、現当主である五十嵐御代は、幼少期から魔道具をいくつも開発し、その内の一つ、魔導演算装置は現代魔術師のユーザビリティー向上に大きな影響を与えたと記憶しています。ただ、この両家は古くから仲が悪く、未だにいがみ合っていると聞いた事があります。・・・私の知っている事と言えばその程度ですかね。」
女は自身が得ている情報をスラスラと淀みなく開示した。しかし、風間が何故その両家の話題を振ってきたのか、その真意を測れずにいる。
「そのとおりだ。そして、八神熾輝はその両家の血縁者でもある。」
「は?」
「旧姓五月女総司、旧姓五十嵐恵那。ともに直系同士の息子が彼なんだよ。」
風間からもたらされた情報に女の思考が追いつかない。
ヒストリーソースによって熾輝が五月女の縁者であることは判っていた。しかし、五月女と五十嵐、この両家には長期にわたる因縁めいた物が存在する。その因縁という物が何なのかは分からないが、一時期、この両家の間では殺し合いとも呼ぶべき戦があったとまで言われている程にお互いの関係は破綻している。故にその直系同士が結びつくなど誰が考えるだろうか。
「俺もその事を知った時は驚いた。二人の結婚については両家が猛反対したらしいのだけど、結局、駆け落ちという形で二人は結ばれて苗字もその時に八神に変わったらしい。・・・まぁ、その辺りの経緯については、俺なんかよりも十二神将のトップである木戸部長が詳しく知っているらしいのだけど、全然教えてくれないんだよね。」
そう語る風間であるが、十二神将の元締めである木戸が話さない様な事を、今日あったばかりの小娘にペラペラと話すこの男は、本当に大丈夫なのだろうかと一転して哀れみにも似た視線を向けてしまう。
「八神熾輝については、私も調べたんです。まさか両家の縁者であるとは夢にも思いませんでした。・・・ただ、嘘か本当か判りませんが、魔界に堕ちた彼を救出したのが五月女清十郎だったという話は聞き及んでいます。」
「ん~、俺もその話は聞いているよ。世間一般では魔界は御伽噺に出てくる空想の世界とされているけど、菩薩様から聞かされたから本当に存在すると俺は思う。」
「菩薩?え?なんて?」
話しの途中、再び聞きなれない単語に困惑する女。
頭の中では釈迦のイメージが浮かび上がるが、思考が一周回って、目の前の男がとんでもない馬鹿なのかと思いはじめていたが、次の風間から発せられた言葉に耳を疑った。
「伝説の五柱、聖仙【佐良志奈円空】様だ。」
「・・・。」
その名は彼女でも知っている。数百年以上前、有史以前から五の柱に刻まれていると言われている人物の名前だ。しかし、その姿を見た物は誰も居ないと言われている程の伝説の人物。
しかし、女はその人物について知っている。正確に言えば佐良志奈円空を知っている人物を知っているという事なのだが、思いがけない人物の登場に、流石に考える事が面倒になって来ていた。
「菩薩様の話によると、熾輝君は半年の間、魔界で過ごして清十郎さんに助けられた。しかし、その後、実家に連れ帰った時に神災で家族を失った五月女家の縁者達に殺されかけて、その時、彼の命を救ったのが東雲葵・・・僕の先輩だった。そして、事の重大性に気が付いた清十郎さんは、彼を刺客たちから守るために家を離れたんだけど、その時に協力したのが心源流昇雲師範で、師範が隠れ家として選んだのが菩薩様の住処だったらしい。」
「え~っと、すみません。思考が追いつかなくなってきました。つまりは、八神熾輝を守るために五月女清十郎・東雲葵・昇雲師範・佐良志奈円空が彼の身を保護したという事でしょうか?」
次々と挙げられるビッグネーム。下手をすれば個で国一つを落とせるような実力者が熾輝の周りに4人もいる事になる。
「4人じゃない、5人だ。中国の蓮白影老師も彼の保護者なんだよ。」
「兵器体系・伝説の暗殺者の異名を持つあの、蓮白影ですか?」
「そう、その蓮白影だ。」
戦時中、あの昇雲師範が引き分けたという伝説の人物とだけは知識として持っている。が、彼女の頭の中では
何故ーーー!?
と、発狂めいた声が反響を繰り返していた。
「まぁ、老師については、昔、熾輝君の父親に恩義があって、その借りを返しているとだけ聞いているよ。」
話を聞いているだけで、これほど疲労すると思っていなかった女は、風間から貰ったコーヒーの蓋を開けて、グビグビと口の中へと流し込んだ。
「彼の取り巻きについては、このくらいにして、熾輝君の命を狙っていた者についてなんだけど、それについては先程話した神災の被災者親族の敵討ちの他に、もう一つ理由があった。」
「・・・それって、彼がどんな魔法でも発動させる媒介になるとかならないとかいうヤツですか?」
「その通りだ。実は、この件については、俺達・・・超自然対策課も無関係ではない。」
無関係ではないと言った風間の顔は、苦虫を噛み潰した物に変わっていた。
「神災から5年程経過したある日、とある魔術結社が彼の拉致を画策した。・・・まぁ、結論から言ってしまえば、その陰謀は水際で防げたんだけど・・・いや、防げなかったのかな?」
「どういう事ですか?」
「当時、日本最大の魔術結社である暁の夜明けという組織に良からぬ動きがあると諜報部から報告があって、俺はそこに潜入捜査をしていた。」
風間はその時の事を思い出し、ゆっくりと当時を振り返りながら話を進める。
「そもそも、俺が潜入した理由は、組織が魔術師を不用意に量産しているという情報があったからで、熾輝君とは別件で動いていた。・・・だけど、その量産計画も根っこを辿れば彼に行きついていたんだけど、その事に気が付いた時には拉致計画が実行に移されていた。」
「なんというか・・・ちゃんと仕事してくださいよ。」
辛辣な女の意見に、面目ないと苦笑いで答える風間であった。
「結局、組織は熾輝君の保護を行っている清十郎さんと葵先輩相手に戦力の補充のために、彼に恨みを抱く者達を利用して魔術師を造り上げていたのだけど、彼らは他の3人の存在を知らずに作戦を開始。そして、全滅させられた・・・まぁ、正直なところ、五柱の実力を理解していない彼等がいくら束になっても、あの五人の内、一人が戦えば全滅という運命は変わらなかったよ。」
「でも、組織は何故、八神熾輝を拉致しようなんて考えたのですか?普通に考えれば万能な媒介品として機能するなんて、夢物語としか思いませんよ。」
「そうだね、でも状況証拠だけなら揃っていた。それに熾輝君の身体は、彼の師である葵先輩が調べたんだけど、かもしれなかったという結論しか出せずじまいで終わってね。」
「?かもしれないって、五柱ほどの人物が調べても分からなかったのですか?」
風間の答えに浮かび上がる疑問点、それは、熾輝の身体を調べた葵の結論が予測に過ぎない事だった。
実際問題、何かしらの魔術を起動させれば、簡単に白黒がハッキリと分かりそうなものであるが、何故そういった回答になるのかと女は思った。
「当然、葵先輩もそういった実験はしてみた。・・・しかし、その実験は全てが失敗した。」
「それって、明らかに白だったという事じゃないですか。」
実験を行った結果が失敗であれば、それはもう白だったという事であり、これまで話を聞いてきた女以外でも判りそうなものだが、どうにも風間の答えが煮え切らない。
「断定できなかったのには、理由がある。」
風間は、手にしていたコーヒーに一度口をつけ、一息おいて話を続ける。
「あの子・・・熾輝君は、魔法の才能が無かったんだ。」
「・・・・ん?え、ちょっと待ってくださいよ、それってどういう意味ですか?」
「正確に言うと、彼に適合する魔術が無かったんだ。」
適合魔術が無い。その言葉に女は眉をひそめた。
 




