第八七話【林間学校Ⅵ】
上空には赤黒い空を分厚い暗雲が覆い、時折、雷鳴が響き渡っている。周りを見渡せば人間界には存在しない植物が生い茂り、大気には何かが腐ったような匂いが充満しており、息をするだけで吐き気を催してしまう。
ここは魔界、かつて一人の少年が空間の裂けめから堕ちて辿り着いた、魔族が支配する領域。
人間がこの地に足を踏み入れれば、3日と生きてはいられない。
「っ!3人とも息を止めて!」
その事を思い出し、少女達を魔界の瘴気から守るべく、瞬時にオーラを広げ、彼女等の身体を包み込む。
「全員無事か!?」
「シキくん―――」
「呼吸が苦しかったりしてない!?」
「熾輝君!そんな事より怪我は!?大丈夫なんですか!?」
言われてハッとなった。少女達に視線を向けてみれば、一様に不安そうな表情を浮かべながら自分の胸の方を見ている。先程、敵の攻撃によって穿たれた胸に視線を落とす・・・しかし、痛みはおろか掠り傷すら負っていない。
「・・・大丈夫、傷は・・・無い。」
熾輝の言葉に3人はホッと息を付き、改めて自分達が置かれている状況を確認する余裕が生まれた。
―――(さっきの攻撃は物理干渉をしない魔術だったのか。そして、今の状況から考えると明らかに、あの魔術が原因だ・・・空間干渉魔法?いや、あり得ない、そもそも人間界と魔界との境界には天上人によって結界が張られている・・・くそっ、訳が判らない。)
「あの、熾輝くん、少し宜しいでしょうか?」
考えれば考える程、訳の分からない状況に苛立ちを感じている中、可憐が歩み寄って来た。先ほどのコテージの一件が脳裏に過るが、今はそんな事を考えている余裕はない。現状、このまま魔界に取り残されれば力の弱い自分達は直ぐに殺されてしまう事は、半年間、運よく生き延びた自分が一番よく理解しているのだ。
「・・・うん。」
「先程、【魔界】と言っていましたけど、ここが何処だか判るのですか?」
彼女の質問に思わず言葉に詰まってしまうが、隠していても意味のない事だと理解しつつも3人の不安な表情を見て、現場を把握しておいて貰わなければならないと判断し、正直に答える事にした。
「ここは妖怪達の世界・・・魔界だ。」
「魔界・・・ですか?」
3人は、お互いに顔を見合わせて疑問符を浮かべている。無理も無い、魔界の存在は魔術師の間でも御伽話とされており、実際に存在すると思っている者は少ない。
なぜなら隣接する世界の境界は、天上人が管理しているため、実際に魔界へ足を踏み入れる事は、人間には不可能とされているのだ。
しかし、魔界の事をどうやって説明するか思い悩んでいると、後ろの茂みからガサガサという音が聞こえて来た。
「っ!?」
振り向いた時には、迫って来ていた者が茂みから、その姿を現していた。焦っていたとはいえ、自身の感知能力を発動させていた状態で全く気が付かなかった事に困惑しつつも、目の前に現れた者に警戒を強める。
『やっぱり居やがった。』
『おい、これが人間か?何処にでも居そうなガキにしか見えないぞ?』
『間違いねぇ、人間のガキだ。よく見てみろ、微弱だが霊気がでている。』
『確かに、妖気とは違うな。これが人間か・・・初めてみた。』
目の前に現れた者の正体は鬼であった。一人は青白い肌に黄色い瞳、二本足で腕が背中から生えており、額には円錐状の角が1本、二人目は隣に居る者の特徴と殆ど変わらないが、目が顔の中央に1つしかない。
2人の鬼は熾輝達が居る方へ近づいてくる。
未だ状況が呑み込めない熾輝は、咲耶達を庇うように立ちはだかり構えを取る。がしかし、二人の鬼の視線が先程からおかしい。まるで自分達を見ていないように感じる。
自分達よりも下、地面の方を見ているような・・・
そうこうしている内に、熾輝の眼前まで近づいてきた鬼が手を伸ばしてくる。しかし、鬼は警戒を強めていた熾輝を素通りするように、腰を落として地面にあった物を拾い上げた。
そして、鬼が拾い上げた物の正体を見て、ようやく理解した。
これは―――
―――(僕の過去)
◇ ◇ ◇
鬼に鷲掴みにされた男の子は、まるで糸が切れた人形のように身体をダラリとさせ、表情にも生気が感じられない。
「熾輝君!あの子、助けなくていいのですか!?」
鬼たちによって連れていかれる男の子を見た可憐が詰め寄ってきたが、状況を理解した熾輝は彼女を片手で静止する。
他の2人を一瞥すると、不安そうな表情を浮かべているが、先程のやり取りが尾を引いているため、積極的に話しかけてくることはない。しかし、現状を彼女達に理解してもらうためにも説明は必要だ。
「必要ない、今、ここで起こっている事は現実の物ではないから。」
「現実の物ではない・・・魔術ですか?」
熾輝の言葉に対し、現在の状況を魔術と当たりを付けた可憐の言葉に肯定を示す。
「さっき、僕の胸を貫いた攻撃に物理的な力は無かった。だから、怪我も負っていない。だけど、あの攻撃にはもっと別の効果があったんだ。」
「別の効果・・・それが今の状況なんですね。でも、その効果というのはいったい―――」
二人の会話を他所に、突然、背景が歪み、再び4人の居る場所が変化した。
「今度は・・・!」
次に4人の目の前に現れた風景は、牢屋の様な荷台に乗せられた女子供とそれを取り巻く幾人もの妖怪達の姿だった。
そして、牢屋の中に居る先程の少年を見た3人の表情が驚愕に染まった。
「あれは・・・熾輝くん?」
先程は、ダラリと脱力しており俯いた状態だったため、顔をハッキリ見る事が出来なかったが、今はハッキリとその顔が見える。
頬がコケ、身体もガリガリに痩せ細ってはいるものの、その容姿が目の前に居る熾輝と酷似している。
3人の視線が熾輝に注がれている事に気付きながらも、少女達と目を合せる事なく、頷きで肯定を示す。
「あれは、僕だ・・・正確に言うと過去の僕。」
「過去の?」
「さっきの魔術、おそらくローリーの書の一つ、ヒストリーソースだ。」
ヒストリーソース、それは熾輝が探し求めていた魔導書の魔術、彼女達には今までその事を話した事はない。だが、咲耶は魔導書の封印を行う上で、アリアから魔導書にどのような物が存在するのかを聞かされていた。
「ヒストリーソースって、確か対象の過去を知るための魔法。」
独り言のように呟く咲耶、しかし、今、目の前の風景を見ていて違和感を覚える。
「過去・・・ですが何で熾輝君が魔界に?」
「・・・。」
熾輝は答えない。柄にもなく迷っているのか、彼の口は重く閉ざされている。3人の少女が疑問を浮かべている間も、風景は次々に変化を遂げて行く。
目の前で略奪を繰り返す奴隷商人達、血の海と化した集落から女子供が連れ攫われる風景。逆らおうとした数人の妖怪が暴行を受けるその風景を幼年期の熾輝がボヤっと眺めている。出された食事は商人達の食い残し、酷いときは腐った肉と濁った水、それを何の抵抗もなく口に運ぶ。
その光景を横で見ていた3人から「うっ」という苦しそうな声が聞こえてくる。ただ、そんな惨状の中でも、同じ奴隷らしい女の子と熾輝が話しをしている場面が点々と散見される。
―――(夏羽)
心の中で少女の名を呼ぶ。昔、離れ離れになり、いつか会いに行くと約束を交わした女の子。しかし、人間界に戻り、知識を得る事によって、人間が魔界へ行く事の難しさを少年は理解した。
彼女を見る熾輝の表情が寂しさと悲しさの入り混じった物に染まっている姿を見た燕の胸が自然と締め付けられる。
ドオオオン!
そして、突如鳴り響いた轟音に3人が身体を震わせて、音源の方へと視線を向けた。
視線の先では、奴隷商人達が盗賊に襲われている風景が映し出されている。
転倒した荷台からは3人の人影が土煙に紛れて出て来た。
熾輝と夏羽、そして遥という奴隷だ。
運良く牢屋が破壊されて外に出られた状況に3人の少女は目を見張ったが、直ぐに盗賊に見つかってしまう。
奴隷の一人が熾輝と夏羽だけは助けてと懇願しているが、盗賊はまるで虫けらを見る目を向けて、手に持った刀を振り上げた。
「ゃ、・・・やめて」
今起きている事は、過去の出来事。それは咲耶も判っている。止めてと願っても止まらない事は理解しているが、願わずにはいられない。だが、彼女の願いは虚しく響いただけで盗賊の刀が遥の胸に深々と突き刺さった。
「「「っ!」」」
その光景を直視する事が出来なかった彼女達は視線を逸らし、身体を強張らせている。刺されても尚も2人の子供を守ろうとする遥は、盗賊の凶刃から熾輝と夏羽を庇う。
「・・・遥姉さん。」
熾輝はこの時、遥から言われた言葉を今も覚えている。それは、弱肉強食という理だけの魔界において、夢物語のような希望、この世は理不尽な物だけでは無く美しく幸せなものが沢山ある。こんな理不尽に負けないくらい強くなって、自分の道を自分で決められるように・・・それが、彼女の最後の言葉だった。
目の前で起きた過去を見つめながら熾輝は、あの時、感じる事の出来なかった悲しみを今は確かに感じていた。
そして、崩れ落ちた遥を他所に盗賊の凶刃が2人へ振るわれたときに現れたのが熾輝の師であり、叔父である五月女清十郎だった。
目の前に現れた理不尽の権化とでもいう存在が盗賊達を一掃する――――そこへ来て再び映像が切り替わる。
今度の風景は人間界、熾輝が清十郎によって魔界から連れ戻されて最初にやってきた場所、五月女の本家、その庭先での出来事だ。
『お前のせいで、お父さんが死んだんだ!』
『死んじゃええええ!』
複数人に囲まれている熾輝、そして、囲んでいる者の一人から発動した魔術によって炎が生み出される。
取り囲んでいる少年少女の表情は憎悪に歪み、それを見ていた3人にも彼らが本気の殺意を持って魔術を発動している事は簡単に想像できた。
発動された魔術が少年へと向けて放たれる。
炎は吸い寄せられる様に少年に当たると、怨念と怨嗟の炎が彼を包み込んだ。炎は少年の脆弱な肉体を焦がし、人が焼ける臭いが一帯に漂う。
次々に放たれる魔術が彼の命を削り、痛みにもがき苦しむ姿を見て怒りに染まっていた少年少女達の表情が見る見るうちに変貌していく。まるで遊んでいるかのように楽しそうな気持ち悪い笑みを張り付けていた。
『ざまあみろ!』
『直ぐに死ぬんじゃねえぞ!』
必要以上に魔術を浴びせる子供たち、中には魔術が使えない者も居たのか、そこら辺に置いてあった大き目の岩を持ち上げて投げつける者までいた。
そして、子供たちが集まって熾輝をリンチしている様子を知った他の子供がやってきて私にもやらせてーと言い、教わったばかりの魔術を発動させる。
子供でも五月女家の末席に名を連ねる血族、魔法の才能は優れており、容赦のない一撃がボロ雑巾の様になった熾輝を襲い、あまりの衝撃による痛みで、少年の身体が痙攣を起こす。
『あははは、おもしろーい。』
「や・・・めて」
『次は俺だ!』
『私にもやらせてよー。』
「もう、やめてよぉ。」
目の前の惨状を受け止めきれなくなった3人はポロポロと涙を流し始めてしまった。
そこへ来て、ようやく風景が揺らぎ始め、再び次の映像が映し出されるのかと思いきや、先程までの風景の揺らぎと打って変わり、画像の乱れが生じ始め、遂には何も映らなくなった。
「・・・魔法の効果が切れたのか。」
気が付けば、熾輝達は元居たコテージに立ち尽くしていた。
時計を見れば、さほど時間は経過しておらず、体感的には数時間を過ごしたように感じていた時間も、10分にも満たない体験だったようだ。
付近の気配を探っても、先程、魔術を発動させた襲撃者の気配は既に消えており、ヒストリーソースの魔導書もそのまま持ち去られたようだ。
未だに泣き崩れている少女達を一瞥した熾輝は、軽く溜息を吐き、どうしたものかと思案する。
今まで、自分の事を話さなかった理由は、万が一、刺客が現れた際に彼女達に危険が及ぶかもしれないと思っていたからで、話してしまえば目の前の少女達は、おそらく首を突っ込んできてしまうと容易に想像が出来てしまったからだ。しかし、伝え聞く内容と実際に当時の映像を見るのとでは、聞き手が受ける印象という物は大分違う。故に彼女達は戸惑っている。
「熾輝、くん。」
そのような思考に耽っていた熾輝の名を呼んだのは、今も尚、泣き続けていた可憐だった。
彼女の後ろでは、咲耶と燕が泣き崩れており、そんな彼女達の姿を見ていると胸の辺りがチクリとした。
「教えてください、熾輝君のこと・・・過去に何があったのか、私達は熾輝君の事を何も知らないから・・・だから―――」
可憐は、どこか後ろめたさを感じさせるように言葉を紡いでいる。しかし、この問いかけは予想の範囲内の事だ。あのような物を見せられて、疑問を持たない方がおかしいだろう。だから彼女の様に、聞く事に対して後ろめたさを感じる必要などどこにもない。
結局、あそこまで自分の過去を知られてしまった以上は、話さなければならない事は覚悟していたので、少しの間を置いて熾輝は語りだした。
次回は9月30日午前8時ころ投稿予定です




