第八五話【林間学校Ⅳ】
キャンプ場のコテージが立ち並ぶ一角を二人の少女が歩いていた。遠くに見えるキャンプファイヤーの炎が周りの木々をほんのりと照らしている。
「もう始まったみたいだね。」
「慌てなくても大丈夫ですよ。」
右足にテーピングを巻いているせいで少し歩きにくそうにしているが、歩調を速めた少女に向かって声を掛ける。
「でもでも、速く行かなきゃ可憐ちゃんと踊れないよー。」
「ふふ、時間的にまだ余裕がありますから、安心して下さい。」
咲耶は、昼間に負った怪我を病院で診てもらったあと、キャンプ場に帰ってきたのだが、他の生徒達は既に食事と風呂を終えてイベント会場に向かってしまったため、待っていた可憐と先程お風呂に入り、現在はキャンプファイヤーを行っている広場へと向かっている最中だった。
「ところで咲耶ちゃん、怪我の方は大丈夫なんですか?」
「へーき、へーき。なんか病院に着いた時には殆ど腫れが引いていて、もう痛みも感じないから。」
実は、怪我を負った直後、熾輝が患部にオーラを送り、痛みを和らげ治癒能力を高めていた。そのため、通常であれば完治に1週間は掛かる怪我をこれほどの速さで治癒できたのであるが、彼女はその事に気が付いていない。
そんな風に調子に乗って後ろ向きに歩いていた咲耶は、イベント会場の方から来た誰かとぶつかってしまった。
「きゃっ…ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですか!」
転倒こそ免れたが、ぶつかった相手は尻餅をついてしまった。
「て、燕ちゃん?」
「お怪我はありませ―――」
尻餅をついた燕に駆け寄った可憐は、そこで目の前の友人の顔が泣き腫らしている事に気が付いた。
「・・・何があったんですか?」
「ごめん、何でもないの。」
燕は慌てて顔を隠し、二人の元を急いで離れて行く。
「あっ、待って下さい。」
そして、そんな友人の泣き顔を見て放っておけるほど二人の少女は薄情ではない。当然、立ち去ろうとする燕を追いかけて行くのであった。
◇ ◇ ◇
少年はキャンプファイヤーの炎を見つめていた。その表情には影が差し、どこか悲し気な雰囲気が漂っている。『熾輝君が好き』・・・少女に言われた言葉を思い出す。
おそらく彼女にとって初めての告白だっただろう。勇気を振り絞っての告白、しかし、少年はその想いに応える事が出来なかった。
『理解できない』と彼女に告げた。
酷い言い方だったと今にして思う。それほど、あの時の自分は動揺していたのだろうか・・・違う、あれは本心がそのまま出てしまったのだ。
人を好きになる。その意味は、なんとなくだが判る。しかし理解ができない。近しい人を大切に思う事は、この数年で少年に芽生えた数少ない感情の一つ。誰がだれを好きかも、なんとなく判る。だけど、その感情が理解できない。彼は―――
―――(僕は、人を好きになった事がない。)
自分の答えを聞いた少女は、泣き出して、この場から走り去ってしまった。その泣き顔が頭から離れない。理解出来ない胸の痛みが先程からズキズキと刺すように、そして締め付ける様に痛かった。
「やぁ、あっちで皆と話さない?」
そんな折、クラスメイトの空閑遥斗が声を掛けて来た。
「・・・何かあった?」
「どうして?」
「なんだか元気が無いように見えたから。」
相変わらず鋭いなと思いつつも内心で放っておいて欲しいとも思った。しかし、彼は気さくに「よかったら話を聞くよ?」と言ってきた。普通であれば鬱陶しく感じる台詞のハズなのに、彼が言うと、そんな風に感じない。
熾輝も彼に対しては他の友達とは違った信頼のような物を感じている。そして重い口を開けて、燕に告白されて酷い言い方をしてしまった事を話した。
きっと、彼に糾弾されるかもしれないと覚悟して話したが、遥斗の口から出て来た言葉は
「あぁ、やっぱり。」
という熾輝の予想とは違ったものだった。
「…怒らないの?」
「怒る?僕が?何で?」
遥斗は去年、燕と同じクラスメイトだったと聞いていた。付き合いだけなら熾輝なんかと比べてもずっと長いハズだ。故に親しい友人が無下にされて、てっきり怒ると思っていたのだが、彼は怒るどころか燕が今回の林間学習で熾輝に告白するであろうと、予想していたような口ぶりだった。
「燕が告白するって判っていたの?」
「まさか・・・でも、そろそろとは思っていたよ。」
確かに燕が熾輝に対して好意を寄せていた事は自身でも理解していた。しかし、それが恋愛感情と呼ばれるものであると判っていても、なぜ自分などに好意を寄せてくれているのかが理解出来なかった。
「僕は、どうすれば良かったのかな?」
「振ったことを後悔しているの?それとも振り方について後悔しているの?」
「・・・たぶん、両方」
「ん~、それって細川さんの事を本当は好きだった・・・とは違うよね?」
遥斗の問い掛けに頷いて答えると、彼は顎に手を当てて考えながら言葉を選んで話しかける。
「熾輝君は何ていうか感情が希薄な所があるよね。」
「・・・。」
それは、熾輝自身が抱いている悩みの一つ、他人の感情に共感する事が出来ず、いつも踏み込んで行く事が出来ない。
「別に悪い意味で言っているんじゃないよ。君みたいに一歩引いた所から全体を見渡して冷静に物事を客観的に捉える事の出来る人って、委員長の僕からしたら、在り難いと思うし。」
遥翔からしたら、熾輝の感情希薄=冷静沈着という括りになっているらしい。
「そんな君でも自分の事になると客観的に見る事が出来ない。・・・ピンチに弱いって感じかな?」
「自己分析なら出来ているつもりだよ。」
遥斗の言葉に心外だと言わんばかりに口元をへの字に曲げるが、「あはは、ごめんごめん。」と直ぐに謝りを入れられる。
「でも、君は必要以上に人に歩み寄ろうとしない・・・いや、近づけようとしないよね。親しくしている結城さん達にも一線を引いて近づけさせていない。」
「それは・・・」
遥斗の言う通り、他人となるべく深く付き合わないように一線を引いているのは意識しての事だ。何故なら自分は恨まれており、いつ命を狙われるか分からない状況下にある。
そのため、親しくなったものがいつ刺客の標的になるのかが分からない。
距離を置いていれば、いざという時に巻き込む心配もないし、今のこの生活でさえ簡単に捨てる事が出来るからだ。
「結局のところ熾輝君に足りないのは周りと向き合う勇気だよ。もっとしっかりと彼女と向き合っていれば、例え振ってしまう結果がが同じでも彼女が傷ついても相手の事を真剣に考えて出した結論なら、もう少し違った結果になったハズなんだ。」
「・・・勇気か。」
遥斗の言葉に迷いながらも思考していたそんな折・・・
「っ!?」
熾輝の感知領域内に突如として魔力の揺らぎを感じた。
次回は9月23日午前8時投稿予定です。




