第八三話【林間学校Ⅱ】
「足痛くない?」
「うん、大丈夫。」
「そっか。」
熾輝は、下山途中、足を痛めた咲耶を背負い、班員達と共に山の中を歩いていた。
「天気、持つといいですね。」
「山の天気は変わりやすいからね、この調子なら1時間くらい持ちそうだ。」
午前中は、晴れ晴れとした快晴だった空も少しずつ厚い雲が掛かってきたため、雨も降りだしそうだ。
幼少のころから山籠もりをしていたため、天候の変わり目が大体わかる。雨が降る前には下山できそうだと思いながら出来るだけ彼女に負担が掛からないように一歩一歩を丁寧な足取りで進めていく。
「えへへ、何だか思い出しちゃうな。
「何が?」
不意に咲耶は、ふにゃっと笑い出した。
「小さいころ、森の中を背負ってもらった事があるなあって。」
「お父さんに?」
「ううん、知らない男の子。」
「え?」
「あ、それって、前に言っていた咲耶ちゃんの初恋の相手でしょ。」
「そういえば、聞いたことがありますね。」
「「「?」」」
どうやら、咲耶の初恋話は、女子の中では知られているらしいが、男子は初耳の様だ。
「どんな話なの?」
「おう、興味あるな。」
「・・・。」
恋バナと聞いて、男子2人は興味が湧いてきた。
「ちょっと、二人とも。」
「まぁ、隠している事じゃないからいいけど―――」
ゆっくりと、下山する中、彼女は語りだす。
◇ ◇ ◇
小学生に上がったばかりの少女は、初めての夏休みに父親の仕事に付いて行く事になった。
少女には母親が居ない。
少女を生んで直ぐに亡くなってしまったため、母親の顔や思い出も持っていない。
父親は植物の研究者であり、しょっちゅう家を留守にする事が多かった。
そのため、少女は家で留守番をするか親戚に預けられるかして、いつも父親の帰りを一人で待っていた。
あるとき、いつもお世話になっていた親戚が遠方に転勤する事になってしまい、少女を預かってくれる者が居なくなってしまい、父親は仕方なく仕事先に娘を連れて行く事にした。
『いいかい、絶対に一人で山に入ってはいけないよ。』
父親は、そう言い聞かせて少女を部下に預けると、山の中に入って行った。
父親の言い付けを最初は素直に聞いていたが、キャンプ地では父親の部下も仕事があったため、ずっと少女の面倒を見る事が出来なかった。
そうなってくると当然・・・・
『ひまぁ・・・お父さん、まだ帰って来ないかなぁ。』
暇を持て余してしまい、一人でボーっとしているのも飽きてしまっていた。
そんなとき、目の前を何かが走り去っていった。
気になった少女は、その正体を探ろうと、追いかけてみた。
『・・・わぁ、かわいい。』
草むらの陰に隠れていたのは、野生のウリボウだった。
ウリボウは少女の視線に気が付くと、山の奥へと逃げ出した。
『あっ、待って!』
ウリボウを追いかけようとしたが、一瞬、父親の言葉が過るが・・・
『ちょっとならいいよね。』
そんなに奥へ行こうという訳ではなく、少し入るだけ。
そう自分に言い訳をして、山の中へと足を踏み入れて行った。
しかし、この時の少女は知らなかった。この山は今まで何人もの遭難者をだしている地元でも有名な迷わせの山だという事を―――
『ここどこ?』
当然の如く帰り道が判らなくなり、遭難した。
鬱蒼と茂る樹木の密度が半端でないため、太陽の光が草木に遮断され、殆ど差し込んでこない。
しかも、日が傾き始め、もうすぐ夜を迎えようとしている。
『おとうさーん!おとうさーん!』
父親を呼ぶも、少女の声は虚しく響くだけ。
とにかく、帰らなければと思い、来た道が判らなくなっているにも関わらず必至に歩いた。
だが、一向に彼女が居たキャンプ場所に着くことは無かった。
『おどうざーん・・・どこー・・・怖いよぉ。』
日が完全に落ちきった山の中は、光が一切存在しない暗黒世界へとなり果てており、それだけで少女の心は恐怖に支配されていた。
暗い山道を歩き続けたため、肉体的にも精神的にも限界を迎え、遂に歩くことを止めてしまった。
地面に座り込み、木に背中を預けたまま泣き続ける。
人の気配がまったくしない山の中、しかし、茂みの奥からは何やらガサガサと常に音が聞こえてくる。
人では無い何か、その気配に怯えながら身体を縮めて、ひたすら震えている事しか出来なかった。
そして、自然の猛威が突如として彼女を襲う。
ガサガサ、ベキベキ!
『ヒッ!』
何かが近づいてくる音がした。
草木を踏みつけ、藪の中から現れたのは―――
『ぁ、ぁ・・・』
体長メートルはあろう野生の熊だった。
『グルオオオオ!』
『きゃあああ!』
吠えた熊が少女へと突進を仕掛けて来た。
もうだめ!ここで死んでしまうのだと諦め、恐怖のあまり現実を直視する事が出来ず、目を瞑り、終わりの時をただ待つ少女、しかし、いつまで経っても熊は襲ってこない。
恐る恐る閉じた目を開けて見た少女の目の前には―――
『勝手に縄張りに入って悪かったね。』
自分と差ほど変わらないくらいの少年が熊の口を脇の下で抱え込み、動きを封じていた。
そして、あろうことか尚も暴れようとする熊を落ち着かせるために話しかけていたのだ。
『君たちを狙っていた訳じゃ無いんだ。』
少年が抱え込んでいる熊の後ろには、自分達と同じくらいの大きさだろうか、2匹の子熊がひょっこりと顔を覗かせていた。
『何もしないから、もうお家へお帰り。』
まるで少年の言葉を理解したかのように、先程まで口を抑え込まれても尚、暴れていた熊が大人しくなり、少年も拘束を解いた。
熊はゆっくりと反転すると、二匹の子熊と一緒に森の奥へと消えていった。
目の前の信じられない出来事に、ただボンヤリとする事しか出来なかった少女を他所に少年は振り返って近づいてくる。
『大丈夫だった?』
目の前まで来た少年が声を掛けてきたが、あまりの出来事に混乱してしまい、今もボーっとしている。
『ねぇ、・・・ねぇ、きみ?』
『えっ!?あ、はい。』
『見たところ一人みたいだけど、お父さんとお母さんは?』
『え、えっと・・・ぅっ、ヒック・・・ふえええん。』
お父さんと言う単語を聞いた瞬間、自分が父親の言い付けを守らずに山に入り、あろうことか遭難した事を思い出す。
不安な気持ちで一杯一杯だった少女の目からは次第にホロホロと涙がこぼれ落ちる。
『やっぱり遭難者か・・・人との接触は、なるべく避けたいんだけどなぁ。』
そんな事を言っている少年の目の前では少女が泣きながらお父さんと連呼している。
『・・・君、立てるかい?』
少年の問い掛けに少女は泣きながら首を振り『もう疲れた、歩けない。』と訴えかける。
そんな少女を見ていた少年は軽く溜息を吐くと、背中を見せてしゃがみ込んだ。
『ほら、お父さんの所まで連れて行ってあげるから。』
『ぅ・・・ほんとうに?』
『うん、だから僕の背中に―――』
負ぶってあげるという意図を理解した少女は、縋るように少年の背中へ体重を預けた。
少年に助けられ山道を進む中、ようやく落ち着いた少女は泣くことを止め、黙って背負われていた。
途中、獣の泣き声やガサガサと音を立てる茂みにビクッと身を強張らせ、少年にギュッと抱き着いたが、嫌そうな顔一つせずに『大丈夫だよ。』と声を掛けてくれた。
黙っていると怖かったため、少年に色々と話しかけてみた―――
どうやら少年は、この山に住んでいるらしい。
曰く遭難者を見つけては人里に帰すだとか、曰く親の言い付けで人と遭ってはいけないだとか。
言っている意味は、よく判らなかったが、それでも、夜の山で孤独でいた少女にとって少年は自分を救ってくれたヒーローの様な存在だった。
そして、暫く歩き続けていると、少し高い崖の上から聞こえてくる声にハッとした。
『――――!何処だー!』
少女の父親の声である。
『お父さん?・・・・っ!おとうさーーん!』
『咲耶!?そこに居るのか!?』
『ここだよ!おとうさん!』
『待っていなさい!直ぐに助けるから!そこを動くんじゃないぞ!』
『うん!』
崖の上から見える光が自分を照らしてくる。
その光は最初は一つだったものが次第に増えていき、何人もの人の気配が集まっている事が判った。
『どうやら見つかったみたいだね。』
少年の背中から降りた少女は崖の上からロープを伝って降りてくる父親の姿を認めると、嬉しさのあまり、また泣き出した。
『咲耶!』
『おとうさん!』
『あれほど森に入るなと言ったのに!心配かけて!』
『ふえええ、ごめんなさいぃ。』
少女は崖から降りて来た父親に強く抱きしめられた。
『本当に無事でよかった。さぁ、皆も心配していたんだ、帰ったら一緒に謝ろう。』
『うん・・・あっ、そうだ!お父さん、山の中で助けてくれた子がいるの!』
そう言って、振り返った少女の目の前には先程まで一緒に居たハズの少年の姿が無くなっていた――――
「そのあと、お父さん達が手分けして山の中を探したんだけど、結局男の子は見つからなかったの。」
「それは・・・なんとも不思議な話だね。」
「おう、でもその男の子って山に住んでたんだろ?家に帰ったんじゃねぇか?」
咲耶の話によれば山に住んでいたという少年が家に帰ったとすれば、なんら不思議ではない。
「うん、でもね、地元のガイドさんから聞いた話だと、その山には人が住んでいないらしいの。」
そしてガイドから聞いた話では、大昔からその山には神様が暮らしているらしく、時たま山で遭難した人々を人里に帰してくれるらしい。
遭難場所として有名な山であっても、遭難者が生還出来なかった例は今まで一度も無く、皆、一様に誰かが山の外まで案内してくれたと証言しており、その者の姿は女性だったり男性だったり子供だったりとバラバラだとか・・・
「改めて聞かされると、あながち山の神様っていうのも間違っていないかもね。」
「いやいや、神様なんて居るハズないじゃん。」
「なによ、巫女の前で神様否定発言?あんた、祟られるわよ。」
「あはは、細川さんの家は神社だからね。」
男子2人は神様という存在については信じられないのだろうが、他の4人は真白様という神様の存在を知っているが故に、あながち間違っていないのではと思っている。
「でも、それだと結城さんは神様に恋したって事だよね。」
「う~ん、そうなるのかなぁ?私自身、あの男の子が山の神様だとは思っていあいけど・・・熾輝君はどう思う?」
「え?・・・。」
唐突に話を振られた熾輝ではあるが、恋とか言われても彼には、そういった感情が理解出来ないため言葉に詰まってしまう。
「ばっか、八神はそういうオカルトを信じていそうには見えないじゃん。」
「「「「・・・・。」」」」
幹也の言葉に一瞬黙ってしまう4人。
女子の心の中では、この中で熾輝が一番オカルトにどっぷり浸かってますから~と思いつつも、魔術等の秘匿性を日頃、熾輝からキツく言われているため、その事を口に出来ない。
「あ、キャンプ場が見えて来たよ。」
そんな折、ゴールを発見した遥斗の言葉に全員がふもとのキャンプ場に視線を向けた。
咲耶が転倒してしまい、怪我を負ってしまうというトラブルがあったものの、この後、他の生徒たちも無事にキャンプ場に到着して、山登り学習は終了となった。
下山した咲耶は引率の先生と共に病院へ連れて行ってもらったが、幸い骨に異常は無く、軽い捻挫という事で湿布を処方されただけであった。
次回は9月16日 午前8時投稿予定です。




