第八二話【林間学校Ⅰ】
夏休み直前のこの時期、熾輝の通う白岡小学校5年生の生徒たちは街を離れ、山々がそびえ立つキャンプ場に足を踏み入れていた。
5年生1学期、運動会を終えた生徒たちが楽しみいしていたもう一つのイベント、林間学校である。
「薪だと火力が強過ぎて直ぐに焦げちゃうから、玉ねぎはアルミホイルに包んで火の中に放り込んでおいた方が、焦げないし柔らかくなって甘味が増すんだ。」
そういって、火の中からアルミホイルで包まれた4つの塊を取り出して中を開けてみると、絶妙な程に蒸し焼きにされた玉ねぎが出て来た。
「味見してみる?」
差し出された玉ねぎには、一切の味付けがされていない。班のメンバーは普段玉ねぎだけを食べた事など一度も無い。しかし、蒸し焼きにされた玉ねぎからは甘くて良い匂いが漂い、思わずゴクリと喉がなってしまう。
試しにと差し出された玉ねぎの一片を口に入れた生徒たち―――
「っ!?なにこれ、おいしい!」
「トロトロになった玉ねぎが物凄く甘い!」
予想以上の反応が返ってきた事に苦笑いを浮かべるが、同時に美味しいと言ってもらえて安堵する。
「少し変則だけど、カレーのルーを入れた後に玉ねぎを入れるとして、他はどうなっているかな?」
「もう少しで野菜が煮込み終わるよー。」
「御飯は、もう少しで炊き上がります。」
「八神くーん、お肉はどうやって焼けばいいのぉ?」
班員は、お互いに割り振られた仕事をこなし、助けが必要な時は知っている者が補助に入って手伝ったりする。
こうして出来上がったカレーライスをクラスメイト達と一緒になって食べる。
午後からは近くの川で魚を釣ったり、水遊びをしたりと自然の中で出来ることを学ぶ。都会では体験できない貴重な時間、幼少のころから山に篭っていた熾輝にとっては、慣れ親しんだ事だが、こうして同い年の友人と知らない土地で過ごす宿泊学習は、彼にとって実に穏やかなひと時だと感じさせてくれる。
◇ ◇ ◇
夕食を終えた生徒たちは、キャンプ場にある風呂に順番で入り、先に上がって来た生徒たちは就寝時間までは、割り振られたコテージで話をしたり、ふざけあったりと様々だ。
そして、ようやく風呂の順番が回って来たため、熾輝達は身支度を整えてお風呂にやってきていた。
キャンプ場にしては、随分と力の入った風呂場で、天然の温泉を汲み上げた大きな岩風呂が白い湯気を上げている。
空を見上げれば、都会では見る事の出来ない満天の星空が目に入って来た。
「わぁ・・・。」
山籠もりをしていた時には毎日のように見ていた夜空であるが、こういった幻想的な物は何度見ても飽きる事はない。
「「「おおぉ。」」」
かくいうクラスメイト達も、この夜空に感動しているのか、感嘆の声が聞こえる。
「「「すっげぇ身体。」」」
「・・・。」
どうやら予想の斜め上だったらしい。
「八神って、良い身体しているよな。」
「うわっ、腹筋が8つに割れてる!」
「胸板もすごい!」
「服の上からだと判らなかったけど、細マッチョだよね!」
小学5年生の男子にとって、この満天の夜空よりクラスメイトの鍛え上げられた身体の方に興味が湧いたようだ。
「ハァ、・・・ハァ、・・・ハァ・・・」
そして、柵を挟んで隣の浴槽では、女子達が男子の会話に聞き耳を立てていた。
「つ、燕ちゃん、みんな、やめなよぉ。はしたないよぉ。」
現在、女湯では燕他数名の女子が柵に耳を当てていた。
「何を言っているの咲耶ちゃん、これは旅行先で、お風呂に入った時のお約束だよ?」
「「「そうよ、そうよ。」」」
激しく同意を示すクラスメイト。
「逆!それ絶対に逆だから!女の子がする事じゃないからね!」
「ふふ、みなさん楽しそうですね。」
「可憐ちゃん、笑ってないで皆を止めて!・・・てっ、燕ちゃん、鼻血!」
「「「わー!きゃー!」」」
―――(うるさい。)
隣の湯から女子たちの叫び声や浮かれた声が柵超しに聞こえてくる中、静かに入れと思う熾輝だった。
◇ ◇ ◇
お風呂も終わり、あとは就寝時間を待つだけ。
明日は朝から山登りをしたあと、夜にはキャンプファイヤーをする予定だ。
熾輝は湯上りで火照った体を冷ますため、コテージ前の階段に座って、夜空に当たっていた。
「隣いいかい?」
「・・・うん。」
同じく夜風に当たりに来た友人、空閑遥斗が隣に腰かけた。
「みんなは?」
「中で大貧民をやっているよ。後で混ぜてもらおう。」
「・・・やり方が分からない。」
遥斗の誘いに対し、熾輝は申し訳なさそうに答える。
「はは、また教えてあげるよ。」
流石、学級委員長といったところか、輪に入れない熾輝に対し、いつも親切にしてくれる。
「前から思っていたけど、熾輝君の知識って、凄く偏っているよね?」
「上海でも遊んでいたんだ。・・・だけど、いつも追い駆けっことかだったし、皆が知っているゲームとかは、やった事がない。」
「でも、上海には1年くらいしか居なかったんでしょ?その前は日本に居たって聞いてたけど。」
「・・・住んでいた所が凄く田舎で、そこでは子供は僕一人だった。娯楽品は・・・無い訳じゃないけど、アレを娯楽品と言っていいのかな?」
「?」
遥斗の問いに対し、嘘にならない程度に答えを返していく。
確かに熾輝が住んでいたのは「凄い田舎=山の中」で子供は一人、「娯楽品=様々な武器」と本だった。
毎日修行に明け暮れて過ごした熾輝には同年代の子達が普段どんな遊びをしているのか、そういった事を考えた事も無く、誘われても遊び方が分からない。
以前のサッカーが良い例だが、こうして親切に教えてくれる友人も出来た事に感謝しつつ、少しずつ周りに打ち解ける事が出来始めていた。
「遥斗・・・ありがとう。」
「…うん。」
身体の熱も引いたところで、二人はコテージの中へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
翌日、空は清々しいまでに晴れ、心地よい風が吹いている。
絶好の登山日和と言っても良いこの日、この時、熾輝達は前もって決めていた班に分かれて山を登っていた。
6人一班が、4つある登山コースの一つを選んで登り、頂上を目指す。
山自体は子供が登る事を考慮されており、かなり難易度は低い。
引率の先生は、各ポイントに配置しており、あくまで生徒自身の力で登山させようとする意図が感じられる。
班編成はクラス毎に別れておらず、5学年全体で仲の良い者同士が組んでいる。
そのため、熾輝の班は必然的にメンバーが限られてくる。
おなじみの熾輝・咲耶・可憐、そして
「それでね、昨日の夜はクラスの皆と恋話で盛り上がったの!」
「へぇ、男子は大貧民や枕投げをしていたら巡回に来た先生に怒られたよ。」
「空閑の所でも、やっぱり枕投げたか、みんな考える事は同じだな。」
燕に遥斗、そして、燕と同じクラスの星野幹也、通称ミッキーである。
熾輝以外の5人は去年まで同じクラスだったらしく、幹也と遥斗は同じクラブに所属しているから仲が良いらしい。
なんとなく疎外感を感じていたが、時折、咲耶・可憐・燕・遥翔が話を振ってくれて、会話に入る事が出来、幹也も熾輝に興味があったらしく、何度か話しかけてくれた。
「それにしても運動会での八神は凄かったよな。あれだけ差を付けられていたのに全員を抜いて1位になるなんて・・・なんでクラブに入らないの?」
「クラブ活動には興味が湧かなくて・・・それに僕は居候の身だから帰ったら家事手伝いをして、少しでも先生の役に立ちたいんだ。」
「お前って、すげえのな。俺なんか家に居ても手伝いは、たまにかやらないぜ。」
「何で自慢げなのよ、ミッキーは手伝っても仕事増やすだけでしょ?」
「何をっ!・・・事実なだけに、言い返せねえぇ。でも俺以上に細川も家事全般苦手だろ。」
「そうなの?」
幹也の話を聞いて、疑問符が浮いた。燕の家は母親が亡くなって父親が仕事で殆ど家に居られない事から、てっきり家事は彼女がやっている物かと思っていた。
「ち、違うの!確かに家事は苦手だったけど、コマさんに教わって最近は少しずつ出来るようになってきたんだよ!」
「でも、昨日のカレーは・・・」
「うっ!」
「失敗したのですか?」
「うちの班、何故か料理の下手な連中が集まってしまって、俺は水の分量を間違えて、細川は肉を炭に変身させた。」
「あの味は思い出したくない・・・スープ状のルーが米に全部吸収されて、味は薄いわジャリジャリと口の中から音がするわで悲惨だったの。」
「カーボンカレーリゾット?」
「「「「・・・。」」」」
「ぷっ、あはははははは!」
静まり返っていた状況の中で、どうやらツボに入ってしまった咲耶が耐えきれず笑い出した。ここ数ヶ月の中で判った事だが、どうやら彼女の笑いの沸点は相当低いらしく、時たま何気ない会話の中で笑いだしたりすることがある。
「ひどーい、咲耶ちゃん笑い過ぎー。」
「ご、ごめんなさ・・・ぷふぅっ!」
「おぉう、久しぶりに結城の笑いをみたぜ。」
「あんまり、ふざけ過ぎていると転ぶよ。」
などと話している内に、ようやく頂上が見えて来た。
各藩は、頂上に到着した順に、昼食を済ませ、休憩を終えた後、下山をする。
しかし、帰りの道中も6人で仲良く下山し、先生が待機する最後のチェックポイントを過ぎたあたりで、トラブルが起きた。
「きゃっ!」
「咲耶ちゃん!?」
先頭を歩いていた咲耶が木の根に足を引っ掛けて転倒したのだ。
幸い、下山に選んだコースの斜面は、なだらかで、転げ落ちるという事は避けられたが、一時的に下山を中断せざるを得なくなった。
「―――これは、どう?」
「痛ッ!」
転倒した咲耶は、どうやら足を痛めてしまったらしく、歩く事が難しい状態に陥っていた。
直ぐに裸足にして足の状態を診ると、足首が腫れていた。
「・・・多分、骨には異常が無いと思うけど、これじゃあ歩けないね。」
そう言いながら、バッグの中からタオルと飲み水を取り出すと、タオルを濡らして咲耶の足首に巻き付けた。
足を見た時にはオーラを送り込むことによって怪我の状態を感じ取り、骨折の有無を確認している。それと同時に痛みを和らげていた。
「み、みんな、ごめんなさい。」
「咲耶ちゃんが謝る事は無いです。慣れない道では誰が転んでもおかしくないです。」
「そうよ、私達は誰も咲耶ちゃんが悪いなんて思っていないわ。」
チームメンバーに迷惑を掛けてしまった。その事が彼女の心にチクリと刺さり、涙が浮かんでしまう。
「だけど、どうする?一回戻って、先生に知らせるか?」
「いや、ここからなら下山した方が早いよ。それに、山道で別行動は厳禁だ。」
「僕も熾輝君の意見に賛成だ。それに雲行きも怪しくなってきた。」
空を見上げれば午前中の快晴だった空に、分厚い雲が掛かり始めている。
「でも、咲耶ちゃんが歩けないのでは、誰かが先生を呼びに行くしかないです。」
「その必要は無いよ。」
「え?」
熾輝は岩に腰かけていた咲耶の目の前に背中を向けて膝を付いた。
「ほら、僕が負ぶっていくから。」
「で、でもぉ・・・」
自分を背負っていくと言ってくれた事は嬉しいのだが、女の子として僅かながらに恥ずかしさもあり、思わず戸惑ってしまう。
「おっ、八神やるな!よっしゃ、二人の荷物は俺が持つぜ!」
「咲耶ちゃん、ここはお言葉に甘えさせて貰った方がいいですよ。」
「そうよ、羨ま・・・怪我人なんだから仕方ないよ。」
「荷物は、僕とミッキーで一つずつ持とう。」
既に彼女を負ぶって下山する事は、班の総意となり、恥ずかしさを覚えつつも熾輝の肩に手を掛けて、背中に体重を預けた。
そして、スッと立ち上がると、ゆっくりと歩きはじめる。
「お、重たくない?」
「・・・軽いよ。」
一瞬の間を置いて答えたため、彼女は『何で一瞬考えたの?』とブツブツ言ってきたが、予想以上に軽く、直に触ってみて、女の子とは、とても華奢な生き物なのだと僅かながらに驚いていたのだ。
女子とはいえ、同年代の子供を背負うのだから、それなりに体重は、ある物だと覚悟していたが、熾輝はこの日、女の子とは、とても儚く脆いものだと知った。
次回の投稿は9月13日 午前8時に投稿予定です。




