第八〇話【炎の運動会Ⅵ】
小春をあやしている間も進んでいたレースもいよいよ熾輝達の学年の準備がやってきた。
『続きまして、5年生のリレーが始まります。選手の皆さんは、位置に着いてください。』
熾輝のクラスの第1走者は、咲耶だ。
練習のときも他のクラスを引き離す走りを見せていたので、特に心配はしていない。
彼女の様子を見ても、その瞳にはギラリと強い光が宿り、その眼光は、勝利への道筋を見据えていた。
熾輝は、咲耶のそのような表情を見る事は、中々無いので、珍しくも感じつつも、それだけ、彼女がこのリレーに対して真剣に取り組んでいるのだと伝わって来た。
そして・・・
「位置に着いて、よーい・・・」
パンッ!
スタートを告げる空砲の音が鳴り響いた瞬間、咲耶は溜めていた力を一気に解き放った。
『各者一斉にスタート!』
スタートダッシュを成功させた咲耶は、一気に先頭へ躍り出ると、徐々にスピードを上げていき、そのまま後続の走者を引き離していく。
そして、他の生徒達との距離を大きく引き離したところで、2番走者である遥斗にバトンが渡った。
『青組早いです!後続者との差をどんどん広げています!』(燕)
『これは、序盤から差が開いたぞ!』(天野川)
遥斗は、後続の選手との差を開き、次の走者へとバトンを渡した。
ここまでは、練習試合でも御馴染の光景であり、勝負は第5走者にバトンを渡した後、つまり、クラスの中でタイムが遅い者達が固まっている。
そのまま熾輝のクラスである青組がリードのままレースは続いていたが、やはり、第5走者から、変化が起こった。
『あ~っと、ここで後続の選手達がもの凄い追い上げを見せ始めたー!』(天野川)
今まで距離を何とか保ってきたが、ここへ来て他のクラスのエース級達が追い上げてくる。
「流石、運動部ですね。みるみる差が縮まってきています。」
「うぅ、私緊張してきたぁ。」
第7走者である可憐と第9走者の芽衣は、他のクラスの走りに気後れしている。
「大丈夫、元々他のクラスが後半に早い選手を置くことは判っていた事だよ。それに、今のペースは想定の範囲内、十分1位を狙える。」
熾輝の言葉を聞いたクラスメイト達も、それを聞いて安心し、何とか士気を保てたのか、やる気に満ちた表情に戻っていく。
「大事なのはペース配分、追いつかれそうでも無理にスピードを上げず、自分のベストを尽くそう。」
そうこうしている内に、可憐の順番が回って来た。
彼女は、選手の中でも足の速さは、中の上くらいの実力をもっており、ペース配分を考えた走りは、クラスの中で一番うまい。
現在も、バトンを受け取った彼女は、自分のペースを乱すことなく走っており、朝練の成果か、今までで一番いい走りを見せている。
しかし、やはりというべきか、ここに来て他のチームが可憐の後方10メートルの距離まで追いついた。
途中、客席から『ヌオオオ!頑張れ可憐ちゃーーん!』『あと少しだああああ!』といった応援が聞こえて来た。応援していたのは、言わずも知れた非公式ファンクラブの連中だ。
そして、なんとかトップを守り切った可憐が第8走者へとバトンを繋いだ。
「予想以上に良いペースだ。」
「うん、計算では1組に追い抜かれていたハズなんだけど、これは、本当に1位を狙えるかも。」
熾輝と遥斗は、クラスメイトの走りを見て、冷静に分析を行っていた。
―――(これなら、全力で走らなくても1位は固い。)
そんな事を考えながら、チラリと葵の方を見ると、葵もこちらに気が付いたのか、にこやかに手を振って来たので、熾輝も手を振って答える。
先にも説明したが、以前、熾輝は学校に入学する前に、師達から目立ち過ぎないように言われていた。熾輝の身体能力は、小学生のそれを遥に凌駕するほどに高められ、オーラを纏っていなくても、同年代に彼と競える者は居ないと言われている。
しかし、それはあくまで身体能力的な問題であって、戦いに関しては、十傑などの一族の者と比べ、少し上を行っている程度らしい。
「あの人が熾輝君の保護者?」
葵に手を振っていた熾輝を見て、遥斗が声を掛けて来た。
「うん、今は街の病院で働いているけど、今日は休みを取って応援に来てくれたんだ。」
「へぇ、じゃあ良い所を見せなきゃだね。」
「・・・そうだね。」
遥斗の言葉に一瞬間を置いた熾輝は、全力を出さずに葵が誉めてくれるだろうかという考えが過ったが、そもそも師達に言われた事であり、1位を取れば、きっと葵も誉めてくれるという考えに思い至り、レースに集中することにした。
第8走者が半周を回った頃、9番手である芽衣が位置に着いた。
熾輝のクラスは、善処しているが、遂に追い抜かれてしまい、現在は2位、その後ろからも他のクラスが一気に追い上げてきている。
そして、第9走者である彼女の様子がおかしい。
誰が見ても緊張によって、身体をガチガチに固くしていた。
「芽衣ちゃん!落ち着いて!」
「そうです!一生懸命練習してきたのですから大丈夫です!」
「・・・。」
咲耶と可憐の言葉が耳に入っていないのか、先程から落ち着きがない。
「小島さん、抜かれてもいいから、自分の走りに集中して!」
遥斗の声がやっと耳に入ってきたのか、彼女はようやく周りを見る事ができた。
「君は熾輝君を信じてバトンを繋ぐんだ!」
そう言われて芽衣は熾輝へと視線を向ける。
他のクラスメイトも吊られるように熾輝を見た。
可憐からは、何か言えよオーラが漂い、それは咲耶や他のクラスメイトも同様だ。
「・・・が、頑張りゃ・・・れ。」
「「「あああぁぁ」」」というクラス全員からの落胆の声に対し、言葉を噛んでしまった熾輝は、気まずくなってしまい、視線を泳がせている。
「ぷっ、あはははは。」
そんなクラスメイト達の様子が可笑しかったのか、芽衣は声を出して笑い出した。
どうやら、緊張が和らぎ先程までの身体の固さが無くなった。
「ありがとうみんな、私頑張る!」
両手をギュッと握って大丈夫アピールをした芽衣は、大きく深呼吸をして、今も全力で走っているクラスメイトを待った。
そして・・・
そのバトンが芽衣へと繋がれた。
バトンを受け取った芽衣は、本当に緊張が吹き飛んでしまったのか、先程までの身体の固さなど感じさせない程に良いスタートを切った。
―――(身体が軽い、いつもより早く足が動く。)
「いつもより速い?」
「うん、手もよく振れているし、姿勢もいい。調子も良さそうだ。」
「え、芽衣ちゃん絶好調ってこと!?」
遥斗の見立ては間違っていなかった。実際、今日の芽衣はいつも以上の走りを見せており、今なおペースが上がってきている。
しかし、他のクラスも負けていない。芽衣との距離をジワジワと縮めてきている。
『おおっと、青組速いぞー!しかし他のクラスも負けていない!』(天野川)
『白組が追い上げてきた!』(燕)
『先頭を走る赤組との距離は、少しずつ離れて行っています。』(天野川)
『しかし、まだ逆転できる距離です!どのクラスも頑張ってください!』(燕)
そして、残すところ50メートルを切ったところで、遂に3位だった白組に追いつかれた。
『ここへ来て青組が追いつかれた―!』(天野川)
『そのままコーナーへ・・・あああ!』(燕)
実況をする燕の声に導かれるように、会場中の人々の視線が注がれる。
競り合う様にコーナーへと進入した芽衣と白組の生徒が、お互いの足を引っ掛けてしまったのだ。
白組の生徒は、踏みとどまり、何とか転倒を避けて、そのまま走り出したが、芽衣はそうもいかなかった。
『青組転倒です!大丈夫でしょうか!?』(天野川)
「「「芽衣ちゃん!」」」
「「「小島さん!」」」
転倒した芽衣を後続の選手が次々に追い越していくなか、クラスメイト達は芽衣の名前を呼ぶ。
『今のは・・・反則じゃありません。お互いに競り合った結果の事故です!』(燕)
放送席に控えていた教師からの助言を受けたらしい燕が、反則でないと放送している。
『青組立ち上がれません!怪我をしたのでしょうか!?』(天野川)
依然立ち上がれない芽衣に、クラスメイト達は困惑する。
しかし、ふらつきながらも落としたバトンを探す芽衣の姿がそこにはあった。
―――(ど、どうしよう、どうしよう、せっかく皆が頑張ったのに、私っ!)
現在、彼女の頭の中を混乱と後悔が支配していた。
―――(あのとき、無理せず競り合わなければ、こんな事には・・・みんな、ごめん!)
今にも泣き出しそうな顔をしている芽衣は、バトンを拾い上げたが、立ち上がる事が出来ない。
既に最下位になってしまい、クラスメイトも肩を落としている。皆が消沈する中で、誰も芽衣に声を掛ける者が居なくなってしまった。
しかし、
「諦めるな!!」
一際大きな声が校庭に響き渡った。
「まだ終わってない!まだ負けてない!・・・僕を、僕を信じろ!」
それは、八神熾輝の声だった。
熾輝の声にクラスメイト達は一瞬、驚いていたが、次々に芽衣を応援する声が上がる。
「そうだよ!芽衣ちゃん!頑張れー!」
「私たちが付いています!」
「そうだ!頑張れ小島!」
「小島さん!」
クラスメイト達だけではなく、運動会を見に来ていた父兄からも応援の声が届く。
―――(みんな・・・そう、だよね!皆で頑張って来たんだもん!私だけが諦めたらダメだ!)
彼女の目に闘志が宿り、再び地を蹴って走り出した。
アンカーまでの距離、およそ40メートル。
周りの応援が芽衣に向けられる中、熾輝の心にも熱いものが込み上げていた。
そして、彼の視線は、自然と葵へと向けられる。
―――(先生、お願いします。僕に全力を出させてください。皆が全力を出して繋げたバトンを無駄にはしたくないんです!)
お願い、お願いします―――在り在りと語る熾輝の瞳は、葵に向けられ、自身が全力を出したいという意志を強く伝える。
―――(熾輝君・・・あの子が、こんなにも感情を剥き出しにするなんて・・・・先生、嬉しいっ!)
愛弟子の成長を垣間見た葵は、バッ!と立ち上がり、熾輝へと叫ぶ。
「熾輝君!男の子なら、女の子に恥を欠かせたまま終わっちゃいけません!」
「せんせい・・・ありがとう。」
少年が尊敬する師からの許しが出た。
先程までの心の熱が一気に燃え上がり、かつてない程の闘志を瞳に宿し、少年はバトンを待った。
「「熾輝くん!」」
そこへ、二人の少女から声が掛けられる。
熾輝は、無言で二人と視線を交わす。
言葉は必要なかった。
二人の少女からは、勝ってくれという願いが伝わって来たからだ。
その想いを理解したかのように、たった一言だけ口にする。
「・・・大丈夫、任せて。」
熾輝は、芽衣へと視線を向け直した。
その距離、僅か5メートル。
次回の投稿は8月30日 午前8時投稿予定です。
 




