第七八話【炎の運動会Ⅳ】
咲耶達が神社を出た後、熾輝はコマが用意してくれた寝室の布団で横になっていた。
葵に連絡したところ、直ぐに迎えに行くと言っていたが、本日、彼女が当直勤務と知っていた熾輝は、一人で帰れると伝えた。しかし、迎えに行くと言う葵と一人で帰れるという熾輝のお互いに譲らない状況を見かねて、法隆神社に泊めて、翌日、迎えに来てもらうという形に話がまとまった。
結局、熾輝の体調不良は、過労であった。
現在は、横になっている熾輝の傍らで、双刃が介抱をするという状況になっている。
「眠れないのですか?」
「・・・うん。」
身体は睡眠を欲している。しかし、眠る事が出来ないでいた。
咲耶達にお願いをしたのは、いいものの、どうしても気になってしまい、中々意識を手放す事が出来ないでいたのだ。
「僕、なんだか変だ。」
唐突に話し出した熾輝の言葉を双刃は黙って聞く。
「この街に来てから、心を乱される事が多くなった。・・・気が付けば彼女達が無茶をしないか、いつも気になっている。・・・燕が泣いていた時も、本当は出来もしないのに何とかしてあげようとした。乃木坂さんを狙っていた奴にも腹を立てた。廃墟の中で咲耶の泣き顔を見て、胸が苦しくなったんだ。」
それは、彼がこの街に来てから感じていたもの。他愛も無い人の感情。しかし、彼にとってそれは、心を乱す物でしかなかった。
他の者が当たり前のように感じているそれは、感情を失っていた彼にとって、受け入れがたく、そして理解が出来ないからこそ戸惑ってしまう感情だ。
「僕は、・・・僕の心が判らない。」
己の感情に苦悩する熾輝、しかし、彼とは逆に双刃はそれが嬉しく思えていた。
「熾輝様、それは致し方のない事です。」
仕方がない。そう言い切った双刃は言葉を続ける。
「そもそも、自分で自分を本当に理解している人なんて、おりません。何も難しく考える必要など無いのです。自分に正直に、ただそれだけで良いではありませんか。それに・・・」
一旦言葉を切った双刃は、なにやらニヨニヨした口元を覆い隠すように手を当てる。
「小動物を愛でる熾輝様も、中々どうして、愛らしゅうございますよ。」
「~~~っ・・・やっぱり、今日の双刃は意地悪だ。」
「左様ですか。」と笑う双刃は、何だか嬉しそうだ。
「・・・頼りにしているよ。」
そう言って、布団にもぐり込んだ熾輝は、目を閉じて、規則正しい呼吸を始め、眠りに落ちたのだった。
―――(恵那様、貴女の子供は、迷いながらも逞しく生きていらっしゃいますよ。貴女と最後を共に出来なかった事を最初は恨みました。しかし、こうして、彼方が残した熾輝様と共に過ごす日々は、まるで昔の貴女と一緒に居るみたいに感じる時さえあります。・・・貴女方夫婦がどういうつもりで、何をしたのかは判りませんが、この子だけは、何があっても、双刃がお守りします。)
心の中で再度、誓いを立てた双刃の表情は、悲しそうであり、愛おしい者を見つめる親の顔のようでもあった。
◇ ◇ ◇
薄暗い部屋の中で、熾輝は目を覚ました。
眠り始めてどれ位の時間が経過しているのか、自分の部屋ならばベッドの脇に置いてある時計を見れば、直ぐに判るのだが、今は燕の家の寝室を借りて眠っていたため、時間が判らない。
どうやらこの部屋には時計が置いていないらしい。
―――(咲耶達は、どうなったかな。)
あの後、神社を出て行った彼女たちの事が気になったが、未だ回復しきれていないのか、まるで靄がかかったように考えがまとまらない。
「・・・喉が渇いた。」
睡眠をとっていたせいで、身体から失われた水分を補給するため、布団から出た熾輝は、部屋の外へと向かう。
寝る前まで一緒に居たハズの双刃の気配を今は感じることが出来ない。
己の式神とはいえ、双刃と熾輝は正式な契約関係にはないため、居場所を正確に掴むことができず、おそらくは、街に出ているのだろうと予想していた。
通常、式神を使役する場合、主と式神との間にパスを通すための契約が必要になる。
このパスを通すことによって、式神は主から力を供給される訳なのだが、彼の式神である彼女は、どうやら特別な式らしく、主が居なくても力を自分で回復させることが出来るのだ。
しかし、なぜ熾輝が双刃と正式な契約を結んでいないのかと言うと、彼女を自分の傍に置くことを許可した時、彼女の自由を束縛する事を良しとしなかったからだ。
式神との契約は、明確な主従関係が条件とされており、その関係上、式神はある程度の束縛を強いられる。
例として、神使であるコマや右京左京も真白様との主従の契約が成されているため、真白様の力が及ばない領域では活動できず、真白様の命令には絶対に逆らえないという制約がある。
式神も同じようなもので、主と契約を結ぶ以上は、何かしらの制約が結ばれ、その誓約を破ることができない。しかし、その一方で、誓約が厳しければ厳しい程に、式神の力は強力になる。
フラフラとした足取りで、部屋を出ようとした熾輝が、襖を開けると、戸の反対側では、丁度襖を開けようとしていた燕が立っていた。
「あ、・・・・アハハ、はおはよう。」
「・・・おはよう。」
なにやら気まずい雰囲気を笑って誤魔化そうとしている燕、ふと、彼女の服装を見れば、とても可愛らしいパジャマを着こんでいる事に気が付いた。
黄色を下地にした可愛いライオン柄のパジャマ、お風呂に入った後なのか、髪がしっとりと濡れていて、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
最近になって、自覚するようになったのだが、どうやら熾輝は、小動物や可愛い物に弱いらしく、彼女の着込んでいるライオン柄のパジャマに目が吸い寄せられてしまっていた。
「えっと、・・・あんまり見られると、恥ずかしいかな?」
それほど長い間、見つめていたつもりは無かったのだが、燕にとって、その僅かな間が、長く感じてしまい、尚且つ、二人の身長差のせいで、燕を見下ろす形となっていた熾輝の視線が、自分の胸元の方へ向けられているものだと、勘違いを引き起こしていた。
「・・・ごめん、可愛かった(パジャマが)からつい見ちゃってた。」
「えっ!?か、可愛いって!そ、そうかな!?」
(そ、それって、私が!?それともム、むむむむむっ!)
可愛いという言葉に対して、顔を真っ赤にしている燕だが、当の熾輝はというと
(あれ?可愛いと思ってたからそのパジャマ着ているんじゃないのかな?・・・それとも女々しいとか思われた?)
男の自分が可愛いと思うのは、やはり、女々しい物なのかと思い、少し困った顔を浮かべてしまう。つい先ほど、双刃とのやり取りで、自分に正直になろうと思ったからこそ、今まで、あまり表立って可愛い等という感情を出さないようにしていたが、やはり女の子にとって、男が可愛い物好きというのは、受け入れて貰えない者なのだろうかと思い悩んでしまう。
「そういえば、燕は何か用事があって、来たんじゃないの?」
「え?用事・・・ないよ?」
「は?」
では、なぜ自分が寝ていた寝室にわざわざ来たのだろう、しかも、戸を開けた時、彼女は同じく外から開けようとしていたハズだ。
「あっ!えっと、用事はあるの!え~っと、・・・何か困っている事は無いかなぁって?」
「何故に疑問形?・・・ちょうど喉が渇いたから飲み物を貰いに行こうと思っていたんだ。」
「そ、そうなんだ、あははは、じゃあ一緒に居間へ行こう。」(危ない危ない、まさか熾輝君の布団に潜り込もうとしていたなんて、言えないもんね!)
まさか、燕がそのような邪な心を抱いていたとは、全く思っていなかった熾輝は、わざわざ自分の事を心配して見に来てくれた事に、心から感謝し、不器用ながらも、精一杯の微笑みを作った。
「うん、ありがとう。」
「はうっ!」
その疑いのない、曇りなき眼で見つめられたまま微笑みかけられた燕の邪な心は、熾輝の後方より出でた後光によって、一瞬で浄化され、思わず膝を付いてしまう。
「え?燕、どうしたの?」
「な、何でもないの!ちょっと、眩しくって!」
「眩しい?え?」
燕の言っている意味がさっぱり分からない熾輝は、疑問符を浮かべていたが、なんとか立ち直った燕が、必死に何でもない事を説明し、そのまま二人は今の方へと歩いて行った。
◇ ◇ ◇
熾輝と燕がちょっとしたじゃれ合い?を繰り広げ、居間でお茶を飲もうとした丁度そのとき、玄関から聞きなれた声が響いてきた。
室内に居ても判る程の元気な声の主は、先程神社を出て行った咲耶のものだ。その声色だけで、事態が上手く収束した事は、直ぐに判った。
そして、そのまま居間へやってきた咲耶達から詳細の報告を受ける事となった。
「――――という訳で、芽衣ちゃんに近づいてくる悪霊とかは無く、魔導書は無事に封印出来ました。」
「そ、そっか、手持ちの魔導書をうまく活用出来たんだね。」
「あう~、でもいつもよりドッと疲れちゃったよぉ。」
アクセルの封印経緯を話す咲耶、どうやら、今回の魔導書を封印するに当たり、2つの魔導書をしようしたようだ。
その魔導書とは、複製と交換、クローンは触れた物をそっくりコピーし、エクスチェンジは、物と物の相対位置を入れ替える魔法だ。
つまり、今回、魔導書を封印すうに際し、小島芽衣が所持する魔導書を複製した後、本物と複製を入れ替えるという作戦を実行した。
言葉にするのは、簡単だが、実際、咲耶が使用した魔導書の内の一つ、エクスチェンジはかなり高度な技術が必要になってくる。
物の相対位置を入れ替えるには、対象同士の座標を正確に把握して発動させる故に、万が一それが狂うと、小島芽衣の身体とプロミスリングが粒子単位で合体するところだった。
まさか、そんな危険な策を立てていたとは思っていなかった熾輝は、内心ゾッとしていたのだが、現場に居なかった自分が文句を言えた義理でもないので、表情に出さないように努めている。
「でも、途中で双刃ちゃんが来てくれて助かったよ。私一人だったら、うまく魔術を使いこなせなかったから。」
「いいえ、私は、ほんの少し助力したに過ぎません。あの高等魔術を発動させたのは、咲耶殿の才があればこそです。」
―――(あぁ、なるほどね。)
今の二人の会話で、熾輝は、双刃が何をしたのかを理解した。
双刃の能力の一つ、ハウンドドッグという物がある。これは過去、熾輝の後輩である春野小春の飼い犬が埒された時に使用した能力だ。対象の手掛かりを元に、世界へとアクセスする事により履歴を読み取る。
つまり、今回は複製品を元に履歴を読み取り、本物の座標を正確に把握したのだ。
しかし、今回、回収してきた本物のプロミスリングを見て、熾輝は僅かに眉をひそめた。
一見しただけでは分からないが、このリングに使用されていた紐、その材料を見分してみると、一般的に売られている量産品とは違い、魔術師だけが知っているハズの材料と1本1本の紐が魔術的意味合いを含む編み込み方がされていた。
―――(この材料と紐の作成方法は、魔除け・・・)
おそらく熾輝達の敵であるはずの何者かが、芽衣にこのリングを渡したことは、状況から見て間違いないハズだ。
しかし、わざわざ魔除けの加工まで施して芽衣に魔導書を渡した理由が判らない。
「あ、あのぉ」
と、そこへ、おずおずとした雰囲気で可憐が熾輝に尋ねてきて、ハッと我に返った。
「どうしたの?眉間にギューー!って、皺が寄っていたわよ?」
「・・・いや、何でもないよ、ちょっと考え事をしてたんだ。」
気が付けば、皆の視線が自分に注がれていた事に気が付く、あまり気にした事は無いが、考え事をしている時の自分は、そんなに恐い顔をしているのだろうかと、少年に抱かせるほどに、皆の表情が硬くなっている。
―――(しかし、これでようやく・・・)
「とにかく、今回は皆に迷惑を掛けて申し訳なかった。」
今回の一件について、熾輝は素直に謝罪をすると、皆が逆に申し訳なさそうな顔をしてしまい、少しだけ、気まずさを漂わせてしまったが、そこは、世渡り上手な可憐と、良い意味で破天荒なアリアが取り持った事により、場の空気は一転した。
体調は、万全とは言えないが、運動会までは、まだ丸一日ある。前日は休む事になるだろうが、今まで、クラスの友人たちと頑張って来た練習の成果を発揮したいと思う熾輝の心に僅かな炎の揺らめきを感じていた。
そして、オリジナルのリングを握り絞めた熾輝の瞳にはそれとは違った思いも揺らめいていた。
―――(敵の尻尾を遂に掴んだぞ。)
次回の投稿は8月23日午前8時ころです。




