第七三話【彼の怒り・彼女の困惑Ⅳ】
地下室の現状を見てしまい、ようやく持ち直した咲耶の口が開かれた。
「・・・どうして、・・・こんな、酷すぎる。」
「・・・うん。」
「なんで、犬さんや猫さんが、こんな目に遭うの。」
「・・・うん。」
絞り出すような咲耶の声、しかし、熾輝はそれにただ返事を返す事しか出来ない。
後ろでは発狂し、失神した学生服の男、そして、部屋の中央では、今尚黒い霧が蠢いている。
―――(術式解除。)
熾輝が念じると、黒い霧は霧散し、2人の男が床に横たわっている姿が現れた。
そして、黒い霧が晴れた途端、先程、踏み砕いたはずの彼等の手や足には一切の外傷がなくなっていた。
これは、熾輝が発動させた術式の一つで、一種の【呪い】に該当する。
場に溜まった悪霊の怨念をそのまま利用し、対象を幻術にハメる。
この術式は、場に溜まった悪霊との波長を合わせる事で、悪霊が生前に受けた体験が対象者の痛覚と精神にそのままフィードバックする。
そのため、学生服の3人は、犬猫が受けた痛みと精神をそのまま自分の身をもって味わう。
だが、それだけでは無い。
この術式が呪いである以上、幻術を解いても精神と肉体に恐怖と痛みが刻み込まれ、暫くは精神に障害を、肉体に幻痛を伴う。
熾輝の今の実力では、魔術的な抵抗力を持った人間には、殆ど効果は期待できないが、魔力やオーラを扱う事の出来ない一般人であれば、その限りでは無い。
黒い霧が晴れた室内には、熾輝と咲耶、そして学生服の男が3人。
だが、それだけでは無かった。
どこから湧いて出て来たのか、血肉を持たない何頭もの獣が熾輝と咲耶を囲んでいた。
「熾輝君・・・この子たちは・・・」
「地縛霊だ。この世に恨みを残したことによって、この場に縛られ、成仏する事が出来ないでいる。」
咲耶は先日、真白様から授かった霊視で、動物の霊を直視している。
目の前に現れた霊は、未だ負の怨嗟に囚われており、一様に牙を剥き出しにして、学生服の男達を睨み付けている。
「このまま行けば、妖魔になるのも時間の問題だ。だから、比較的被害の少ない方法で、彼等の怨念を沈め、成仏させるつもりだった。」
そう、熾輝が行っていたのは、あくまでも除霊の一種だった。
単純な話、悪霊と化した動物霊の力を呪いという形で発散させ、負の力を弱らせることにより、場に縛られている楔を解こうというもの。
もっとも、除霊の中では、下の下に当たる手法であり、プロの祓魔師でなくとも、熾輝程度の力ならば、問答無用で滅する事は可能である。しかし、熾輝は敢えて動物霊を滅するのではなく、成仏にこだわった。
成仏は、魂の浄化により、天上へ送り、輪廻の輪に送る事を指す。その逆、滅するとは魂の消滅を意味し、全てを無に還す事を指す。
だが、熾輝の除霊が中途半端に終わったことにより、動物霊は再び荒ぶる魂を膨張させ始めた。
『『『憎い!憎い!痛い!苦しい!憎い!苦しい!怖い!痛い!』』』
「っ!・・・熾輝君、これって」
「この子達の怨嗟の声だ。負の力が暴走を始めている。こうなってしまったら、さっきの様な見せかけだけの呪いじゃ、収祓出来ない。」
「そんな、こんなに苦しそうなのに。」
部屋の中で横たわる亡骸に自然と視線が吸い寄せられる。
そして、霊体を直視出来るようになった事により、彼らの怨嗟を聞き取れてしまう咲耶の目に、再び涙が溢れだした。
「・・・ごめんね。」
それは、この場に存在しないハズの彼等に向けられた少女の悲し気な声だった。
絞り出したような少女の声に反応したかのように、悪霊たちの意識が咲耶へ向けられる。
―――(動物霊達の敵意が咲耶に向いた!?)
霊視を得たことにより、ある程度、霊的な耐性を得た咲耶ではあるが、それでも暴走する悪霊の力を直に受けてしまえばただでは済まない。
そう考え、身構えたその時だった。
咲耶は、悪霊がひしめく群れの中心へと足を踏み入れ始めたのだ。
「咲耶!駄目だ、戻れ!」
悪霊の敵意が咲耶に注がれる中での、彼女の無謀な行動に、熾輝は身に纏うオーラを放出しながら彼女を連れ戻そうとしたが、熾輝の動きに悪霊が敏感に反応を示したため、迂闊に近寄れば、悪霊達の中心地に居る咲耶が襲われる可能性があるため、下手に手出しが出来ない。
「っ!双刃!何とかして咲耶を守れるか!?」
『こちらも悪霊に警戒されているため、迂闊に動けません。しかし熾輝様、これは――――』
言葉を詰まらせた双刃の意思を感じ取り、群れの中心にいる咲耶へと視線が吸い寄せられた。
「ごめん、・・・ごめんね・・・・痛かったよね、・・・怖かったよね、・・・苦しかったよね・・・悔しいよね―――」
少女は、大粒の涙を流しながら、悪霊と化した動物霊達に語り掛ける。
未だ牙を剥いたままの動物霊達に対し、泣いてあげる事しか出来ない自分、それが少女にとって、悔しくてならなかった。
彼等の痛みも苦しみも怒りも恐怖も、全部を判ってあげる事なんて出来やしない。
だから彼女は、泣かずにはいられない、祈らずにはいられない。
せめて、彼らが救われますようにと・・・・祈りのままに、願うままに彼等を抱きしめる。
悪霊化した動物霊に阻まれて、遠巻きに見守る事しか出来ない熾輝は、彼女の行動に目を見開いた。
霊視能力を得たからと言って、咲耶は悪霊に対する耐性を有している訳ではない。
故に、不用意に悪霊を抱きしめた箇所が、ジワジワと汚れに侵食され始めている。
「咲耶!」
動物霊達を成仏させてあげる事を優先的に考えていたが、もはやなりふり構ってはいられない状況に、彼等を滅する覚悟をきめたその時だった。
―――(これは・・・)
悪霊の群れの中に佇む咲耶を中心に、次々と悪霊達の汚れが浄化されていく。
「・・・汚れうつし」
【汚れうつし】大祓の一種。通常、紙で作られた人形に汚れをうつし、燃やしたり川に流したりして汚れを祓う方法。
それを咲耶は、知ってか知らずか、自身の身体に汚れをうつして、動物霊の汚れを祓ったのだ。
悪霊化していた魂が、浄化された事を確認すると、動物霊達の群れを掻き分けるように咲耶へと近づいた。
悪霊を抱き寄せていた咲耶の身体の一部が黒く変色しており、彼女自身から汚れの気配を感じる。
顔は土色に変わり、息を荒くしていることから、酷く疲弊している事が一目で判る。
「し・・・き・・・くん。」
近づいたことに気が付いた咲耶は、虚ろな目を向けてくる。
「無茶しすぎだ。」
「ごめん・・・なさい。」
「咲耶が無茶をする必要なんて無いんだから。」
熾輝は、片膝を付き、今にでも倒れそうな少女を支える様に肩を抱き寄せた。
「少し痛いかもしれないけど、我慢してね。」
そういって、掌に集中させたオーラに破邪の波動を組み込むと、咲耶の汚れた患部に押し当てた。
「んっ、・・・ぁ、・・・はぅ・・・」
咲耶の身体を侵食していた汚れが見る見るうちに浄化されていき、徐々にキメの細かい白い肌が姿を取り戻していく。
「なんで、・・・あんな無茶をしたの?」
治療を行いながら、熾輝は彼女の行動が理解できず、問いかける。
「どう・・・してって、・・・気が付いたら勝手に、んっ・・・身体が動いていたとしか。」
汚れを浄化する痛みに耐えながら、咲耶は答える。
「でもね、・・・あの時は、犬さんや猫さんを助けてあげたいって思ったの。」
「・・・それでも咲耶に何かあったら、アリアや乃木坂さんは悲しんだはずだ。」
「ご、ごめんなさい。」
叱られたと勘違いした咲耶は、急にしおらしくなり、身体を小さくさせた。
別に怒っているつもりはない。
ただ、彼女の行動の理由を知りたかっただけなのだ。
小さくなっていた咲耶の身体からは大分汚れが浄化され、治療による痛みも和らいできたところで、彼女は「でも、」と言葉を続ける。
「あの時、この子達の声を聴いたら、悔しいっていう気持ちよりも、怖いよ、助けてよっていう気持ちが強かった気がして・・・抱きしめずにはいられなかったの。・・・ほら、不安な時に誰かに抱きしめて貰ったら安心するでしょ?」
それと同じだよ、と言いたげに彼女は熾輝の顔を覗き込んでくる。
「・・・僕には、よくわからない。」
感情を失ってから、不安などという気持ちは、理解出来ない物になってしまったのか、咲耶がいう事の意味を理解する事が出来ないでいた。しかし、
「そんなことないよ。」
「え?」
咲耶は、熾輝の言葉を否定した。
「熾輝君、さっき私が泣いていた時、抱きしめてくれたでしょ?それに今だって・・・・」
急に言葉を切った咲耶は、自分で言っていて、今更ながらに気が付いた。
父親以外の男性、しかも同年代の男の子に抱きしめられた経緯など今までの彼女の人生では、在り得ない出来事だった。
その事が、急に頭の中で渦を巻くように駆け巡り、ボンっ!と顔を急激に真っ赤にさせた。
「咲耶?」
急に顔を真っ赤にさせて、口ごもり始めた咲耶を不審に思い、顔を覗き込もうとしたが、それよりも先に、「み、見ないで!」と言わんばかりに、咲耶は熾輝の胸に顔を埋めた。
「どうしたの?どこか痛いの?」
「ち、違うの!」
てっきり、自分の浄化が失敗したのかと思ったが、咲耶の言葉で杞憂だと思い至った。
「つ、つまりね!熾輝君は、自分で理解してなくても、いつも誰かの心配とかしているよって、言いたかったの。」
咲耶は無理やり自分の言いたいことを言ってはみたが、混乱しているせいか、自分でも何を言っているのか、全然判っていない。
そんな、咲耶の言葉にキョトンとする熾輝ではあるが、なんとなく彼女の言いたい事が判り、苦笑した。
「それよりも、あの人達どうするの?」
咲耶は、不意に室内で気絶したまま横たわる学生服姿の3人に目を向ける。
「まぁ、後は警察に任せるだけだよ。」
「・・・そう、だよね。」
「咲耶が気に病む必要は全く無い。彼らはそれだけの事をしたんだから。」
「・・・うん。」
警察に任せるという熾輝の判断は正しい。未成年とはいえ、彼らは命を弄び、あまつさえ、小春の飼い犬であるチロルを盗み、餓死させようとしていたのだから。
そのことは、きっと咲耶もわかっているハズだ。だが、彼らが警察に引き渡された後、どのような事になるのかが判らず、もしかしたら、人一人の人生を大きく左右してしまうのではと、恐くなった。
「とにかく、一度ここを出よう。警察に通報するのは、その後だ。」
「うん・・・あれ?」
咲耶の浄化が完全に終わり、先程まで黒く染まっていた肌も、元通りになった事を確認した熾輝は、廃墟から出ることを咲耶に提案し、咲耶も同意した事から、立ち上がろうとするも、彼女は立ち上がる事が出来ず、ふらりと熾輝に体重を預けてしまった。
「大量の汚れを身体に入れてしまったからね、体力が無くなるのは当然だよ。」
前もって、咲耶の体内にオーラを流し込んだ際、彼女に汚れによる後遺症が無い事を確認した熾輝は、立ち上がれないのは体力の著しい低下によるものだと判っていた。
「ちょっと、失礼。」
「え?きゃっ!」
熾輝は、咲耶を抱きかかえるように立ち上がった。
いわゆるお姫様抱っこだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
「どうしたの?」
部屋の出口へと向かっていた熾輝は、足を止めて咲耶を見ると、相も変わらずトマトのように真っ赤になった顔と、恥ずかしさのあまり、涙目になっている少女の姿があった。
「そ、その、・・・恥ずかしいよぉ。」
「怪我人が運ばれるのに変な目を向ける人なんて居ないよ。」
「そ、そうだけど!そうじゃないの!」
「?」
熾輝は、咲耶の言っている事が理解できず、小首を傾げる。
咲耶は、助けを求めるように実体化したままの双刃へと視線を向けるが、彼女は口元を覆い隠し、何やら笑いを堪えている最中だった。
―――(あ、そっか、この場に私の味方は居ないんだなぁ。)
最後の砦を失った咲耶は、虚空を見つめたまま何も喋らなくなり、そのままお姫様抱っこされたまま、廃墟を出た。
そして、熾輝がお姫様抱っこをしたまま街中を歩き回り、可憐たちがいる動物病院に辿り着いたとき、咲耶は終始無言のまま可憐に抱き着いた。
ただ単に恥ずかしさを隠す為なのか、それとも、何か心に掛かった靄を必死で振り払おうとして、親友の胸を借りたのかは、彼女しか判らない事だったはずだが、熾輝は、そんな彼女の心の色が少しだけ陰のある様に見えた。
残酷な事をする人の姿を見て、大量の動物の死体を見てしまった彼女の精神は、自身が思っていた以上に疲弊し、今にも倒れてしまいたい気分ではあったが、この眼を得てしまった以上、こういった経験は、多分これからも在るのだろうと思い、ギシギシと音を立てている心をしっかりと保たなければと、強く自分に言い聞かせる事にした。
次回は8月2日午前8時投稿予定です。
 




