第七二話【彼の怒り・彼女の困惑Ⅲ】
熾輝と別れた咲耶達は、廃墟から離れた動物病院に到着していた。
到着後、急いで駆け込んできた咲耶達をみた病院の先生が慌てた様子で駆け寄って来て、事情を聴いた後、直ぐにチロルを診察室へと運び入れてくれた。
現在は診察も終わり、チロルには点滴が施されている。
幸い、脱水症状を起こしているのみで、身体に外傷も無い事から、二三日で退院できると言われた。
「チロルゥ。」
点滴を受けているチロルを小春が泣きながら見ている。
「大丈夫だよ、先生も直ぐに良くなるって言ってたんだし。」
「そうですよ、小春ちゃんが泣いていると、チロルちゃんも不安になってしまいますよ。」
燕と可憐が泣いている小春に寄り添って、慰めている中、咲耶は先程から言いようのない不安に駆られているためか、口数が少なくなっていた。
「咲耶ちゃん、どうかしましたか?」
そんな咲耶の様子に気が付いていた可憐が声を掛けて来た。
「うん、何だかね、熾輝君の様子がおかしかったなと思って。」
「確かに、熾輝君にしては、先程、チロルちゃんを連れてきた時の反応は、らしくないとは思いましたけど、状況が状況でしたし、弱っているチロルちゃんに負担を掛けないように小春ちゃんに注意したのではないでしょうか?」
咲耶の言っている様子がおかしかったという意味を可憐は、熾輝が小春に言ったキツ目な言い方の事だと思っていた。しかし、咲耶の言っているのは、もっと別の意味だ。
それは、あの場に居た者の中で、咲耶だけが気が付いた、熾輝の表情を意味している。
「・・・ごめん、私やっぱり熾輝君の所に戻るね。」
「咲耶ちゃん!?」
嫌な予感がした。
熾輝が初めて見せたあんな表情、背筋に悪寒が走ったような感覚。
今までに感じた事のない不安、このまま放っておけば、何か取り返しのつかない事になる気がしてならない。
自分を呼ぶ可憐の声にすら気付く余裕がない咲耶は、病院の出入り口の扉を開けて外に出た。
「行っては、なりません。」
「っ!?」
扉を開けた先には、変身を解いた双刃が立ちはだかっていた。
「まって、咲耶ちゃん。」
急に飛び出していった咲耶の後に続いて、可憐も外に出てくる。
「お二人とも、今日はこのまま帰宅して下さい。」
「・・・双刃ちゃんは、何か知ってるんだね?」
「お二人には関係の無い事です。」
咲耶の問い掛けに対し、双刃は突き放すような言い方をするが、ジッと見つめてくる咲耶の視線から目を逸らしてしまう。
「お願い、何か知っているんだったら教えて。」
「・・・なりません、これは、お二人のためでもあるのです。」
「私たちのため?」
「やっぱり、熾輝君の様子がおかしかったのは、気のせいじゃ無かったんだ。」
「・・・・。」
咲耶は、双刃の態度から、自分の思い過ごしでは無い事の裏付けを取った。
「理解してください。これは熾輝様の優しさでもあるのです。行けば、きっと後悔しますよ?」
双刃は、廃屋の中から感じる負の霊気から大体の事情を予想していた。
そして、熾輝の様子を見て、自身の予想は間違っていなかったと確信していたのだ。
だからこそ、一人だけ残ると言った熾輝の心を汲みたかった。
もしも、この汚れを知らない少女達を廃墟の中へと連れて行けばきっと・・・・そう思い、熾輝は自分に少女達を任せると言ったのだろう。
しかし、目の前の少女は、決して引き下がらなかった。
「私は、・・・自分のために友達が何か重荷を背負おうとしているのなら、知らない振りなんて出来ない。」
「咲耶殿、どうか聞き分けてくだ―――」
「私は!・・・私は、熾輝君とずっと友達でいたいの。・・・私は知っているよ、熾輝君が本当は優しいって事を。いつも冷たいように見えても、最後には困っている人を放っておけない事も、魔導書を封印する時も、私たちが危ない目に遭わないように作戦を考えたり、気を配ってくれている事もちゃんと知っている。もし、熾輝君が私達のために何かをしていると知っていて、何もしなかった私は、熾輝君の友達だって、胸を張る事が出来ない。・・・だから、お願い。」
気が付けば、咲耶の眼には涙が溜まっており、顔を真っ赤にして双刃を見つめていた。
―――(まったく、いつもビクビクして怯えている様に見えて、急に芯のある所を見せてきますね、この娘は。)
双刃は、一つ小さく溜息を吐くと、咲耶を見つめ返した。
「いいでしょう、しかし、連れて行けるのは咲耶殿だけです。万が一を考えて魔術の使えない可憐殿達が一緒では、私も守り切れる保証が出来ません。これが最大限の譲歩です。」
双刃の提案に、咲耶は後ろに控えていたカレンへと視線を向けると、可憐は首を縦に振って答えた。
「では咲耶殿、行きましょう。」
「はい!」
日が落ちて間もないころ、咲耶と双刃は、再び廃墟へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
『死で償え』その言葉を皮切りに、男達は丸腰の状態の熾輝に襲い掛かった。
「格好つけてんじゃねえ!」
男の一人が手に持った木材を思いっきり振り下ろす。熾輝は部屋の隅に居るため、引くことも避ける事も出来ない。ならば―――
「シッ!」
迫る木材に対して、蹴りで迎え撃った熾輝の脚と木材が衝突する。
「骨折コースだ馬鹿野郎うぅ⁉」
衝突した瞬間、折れたのは熾輝の脚ではなく、木材の方だった。因みに、熾輝は現在オーラを使用していない。使用しないで、木材を蹴り折ったのだ。
腕を振り下ろした事により、ガラ空きになった男の顔面に掌底を打ち込む。
「ブヘッ!」
「うおおお!」
こんどは、横合いから鉄パイプを出鱈目に振りながらもう一人の男が接近してくる。
それを先ほど折った木材の破片を素早く拾い上げて投げつけると、迫って来ていた男の顔面に命中し、男はそのまま転倒した。
そして、すかさず男が持っていた鉄パイプを踏みつけて、顔面に蹴りを入れる。
・・・・周りを見渡せば、痛みによって蹲る男が3人。
あっけない。あまりにもあっけない程に学生服の男達を無力化した。しかし、熾輝の瞳は未だに暗い深淵のように漆黒に染まっている。
「・・・。」
「ぎゃあああっ!」
無言のまま、男の右手を踏み砕いた。
右手を踏み砕かれた男は、目・鼻・口から液体を垂れ流し、床を転げまわっている。
「い痛いぃ!痛い痛い痛い痛いぃっ!」
「ひっ、うごぉあああっ!」
もう一人の男の髪の毛を鷲掴みにし、顔を上げさせて視線を合わせると、今度は右膝を踏み砕く。
膝を踏み砕かれた男は失禁し、激痛によって意識を手放そうにも、手放すことができない。
「や、やめろ!やめて!やめて下さああああっ!」
最後に残った男は右手右足の両方を踏み砕かれる。
悲鳴が室内を埋め尽くす。
熾輝は、その悲鳴をただジッと聞いていた。・・・・・そして、ようやく痛みに痛覚が麻痺し始めたため、男達の絶叫が、呻き声へと変わったところで、再び動き出す。
「次は、・・・あぁ、そういえば目をくり抜かれていた子もいましたよね?」
「「「っ‼」」」
男達は、熾輝の言葉を聞いて思い至った。
自分達が受けた怪我は、どれも犬猫に行ったものと同じだという事に。
ある犬猫には、身体を押さえつけて足を金槌で砕いた。そしてある犬猫には拘束具を付けてスプーンで目玉をくり抜いた。
男達の思考が完全に凍り付いた。
「いやだああああ!」
男の一人が発狂し、床を這いずりながら、出口の扉へと逃走を始めた。
しかし、それを許す訳が無い。
男の片足をガッシリと掴むと、部屋の奥へとズルズルと引きずり始める。
「離せえええ!俺は帰るんだあああ!」
「やめろおおお!」
「もう、いいだろ!」
男達が次々に喚き散らし始める。
「うるさい。」
「「ガアッ!・・・・。」」
二人の男の顔面に蹴りを入れると、そのまま部屋の奥へと進んでいく。
「お前たちは、コイツの次だから待っていろ。」
「ヤダヤダヤダヤダ!やめろおおっっっ‼」
往生際の悪い男にいい加減、鬱陶しさを感じた熾輝は、先程から放っていた威圧を強めた。
すると、男は、ガタガタと震えて抵抗をしなくなった。
「それでいい。手元が狂うと上手く出来ずに眼球を潰してしまうからね。」
「ぁ、ぁ、ぁ」
いつの間にか熾輝の右手にはスプーンが握られており、そこには黒く変色した血液が、固くなってこびり付いていた。
そして、熾輝の左手が男の瞼を強制的に広げる。
「よく見ておけ、そして思い知れ、お前達が奪った者達の恨みを」
瞬間、部屋の中心に黒い霧が渦を巻くように出現し、それは異形な獣を模していく。
黒い獣の細部は、まるで無数に集まる獣を思わせる物で、その一つ一つから夥しい負の威圧が男達の精神を削っていく。
黒い霧は室内を荒れ狂い、床に蹲っていた学生服の男2人を一瞬で飲み込み、霧の中からは発狂した声が鳴り響き、ついにはその声も届かなくなった。
「もう少し持つと思ったけど、意外にあっけなかったな。・・・さてと、」
後ろで黒い霧に呑み込まれた2人を視界の隅で捉えていた男は、再度自分に意識を向け直した少年と視線が交わる。
少年が握り込んでいるのは、スプーン。
それがゆっくりと自分の眼球へと向かってくる。
「も、もう許して。」
「・・・・・冗談はいらないよ。」
特に何をすると言われた訳ではない。しかし、自分が犬や猫にやった事を考えると、容易に想像がついてしまう己の思考を呪った。
「ゃ、やめ」
男の声は少年には届かない。
その冷酷ともいえる冷たく深い瞳が今も男を捉えて逃がそうとはしない。
そして、少年が握る銀と赤黒いシミのついたそれが男の眼球に冷たく触れた。
「ああああああああああああああああ!」
男が発狂したそのとき、
「駄目ええ!」
熾輝の腰に後ろから何者かが抱き着いてきた。
「駄目!駄目だよ!お願いやめて!」
「・・・・・。」
自身の腰にしがみついていた者へと視線を移せば、そこには、見慣れた少女の姿があった。
少女の身体は震えており、その怯えた様子は、少年の腰元にがっしりと抱き着いた身体越しに直に伝わってきている。
「お願い、いつもの熾輝君に戻って!」
「・・・咲耶、離して。」
「イヤ!離さない!」
腰元でイヤイヤと首を振る咲耶は、熾輝の言葉に尚も食い下がらない。
今、ここで引いたら、熾輝が二度と自分の所に戻って来ないようなきがした咲耶は、腰に回した腕に更に力を込める。
―――(双刃、連れてきちゃったんだね。)
部屋の出入口へと視線を移せば、申し訳なさそうに佇む双刃の姿があった。
熾輝は、軽く肩を落とすと、身体の力を抜き、未だに自分に纏わりついている咲耶の頭に、そっと手を置いた。
「ごめん、咲耶・・・もう大丈夫だから、僕を見て。」
咲耶は、自分の頭の上に乗せられた手の主が、いつもの声色で話しかけている事によって、僅かながら平常心を取り戻し、ゆっくりと視線を上げた。
「出来れば、咲耶達には知らないままでいて欲しかった。」
視線の先には、いつもの無表情とは違い、どこか困った顔をする熾輝の姿があった。
部屋の中には、息絶えて横たわる犬猫の姿や、身体の至る所に怪我を負った犬猫達が散見される。
それを視界に捉えた時から、咲耶は泣きたい気持ちでいっぱいになっていたが、目の前で友達が、何か取り返しのつかない事をしようとしていると、気が付いた時には、身体が勝手に動いて、少年にしがみついていた。
「ぅ、…ヒック、…しき、くん」
咲耶の許容量を超えた現実が一気に押し寄せて来た事により、今にでも叫びだしそうになるのを必死で堪えて、堪らず涙が零れ落ちる。
いつの間にか自身の腰を拘束していた腕が解かれ、へたり込む咲耶の眼の位置までしゃがむと、優しく彼女の身体を抱き寄せた。
「落ち着いて、僕の鼓動にだけ意識を向けるんだ。」
「ぅ、…ヒック、……ぅぅ」
どれくらいの時間、咲耶を抱きしめていただろう。
熾輝は、咲耶が落ち着くまで抱きしめ続けた。
次回の投稿は7月29日 午前8時投稿予定
 




