第七一話【彼の怒り・彼女の困惑Ⅱ】
熾輝が屋内へと侵入に成功してからの咲耶達は、小春と共にその帰りを待ち続けていた。
熾輝が家屋に侵入する際に見せたパルクールに対し、友人である咲耶達も流石に驚いてしまい、思わず声を出してしまったが、小春だけは、目を輝かせながら「ニンジャ!ニンジャ!」と興奮した面持ちで熾輝の姿をみていた。
「熾輝君、大丈夫かな?」
そう言ったのは咲耶であった。
廃墟に辿り着いて直ぐに熾輝が見せた僅かな表情を敏感に感じ取ったのか、不安の声を漏らしている。
もっとも、その変化に気が付いた者は、咲耶の他にもう一人いたが、今は犬の姿になっており、一般人である小春の目の前で喋る訳にはいかないため、ひたすら熾輝の帰りを待ち続けていた。
「ねぇねぇ、燕お姉ちゃん、さっきのお兄ちゃんってニンジャなの?」
先程の熾輝の動きが忘れられないのか、待ち続けている間、小春は仕切りにそのような話題を振ってくる。
「どうだろう、熾輝君は謎が多い人だから、もしかしたら、忍者の末裔かもしれないよ。」
本人が聞いたら速攻で「違う」と言いそうだが、小春の輝く瞳を見てしまうと、否定するのも可哀想に思えてしまい、敢えて期待を持たせるような受け答えをする燕であったが、隣にいる双刃(犬バージョン)がジト目で燕を見ていることは、誰も気が付いていなかった。
そんな折、廃墟の扉が内側から開けられて、中から熾輝が出てきた。白くて小さな仔犬を抱いて。
「チロル!」
熾輝は、廃墟から出てくると、小走りで咲耶達の居る方へと向かって来ている。
咲耶達も、熾輝とチロルの無事を目にすると、ホッと胸を撫でおろしたが、何やら様子がおかしい。
敷地の外周を囲っていた柵を無駄な動作なく飛び越えて敷地前の路上に着地した。
「チロル!」
仔犬を抱きかかえている熾輝に駆け寄ると、何かがおかしい事に小春も気が付いたのか、顔の表情が一気に強張ってしまう。
「熾輝君、チロル、どうしちゃったの?」
抱きかかえられたままのチロルを覗き込んだ面々の表情にも不安の色が浮かび上がる。
何故なら、仔犬は丸くなったまま、まったく動こうとしなかったのだ。
呼吸が浅く、触ると体温が低下しているのか、小さく震えているのがわかる。
「チロル!チロル!しっかりして!」
「大きな声を出すな。」
「っ!」
よほどチロルの事が心配だったのか、自力で動こうとしない愛犬の様子に動揺する小春に、熾輝が注意をするが、その声色を聞いた小春は、ビクッと肩を震わせる。
小さな子に対して、その言い方は無いと誰もが思ったが、彼女達の知る少年は、無暗に誰かを驚かすような人間ではないと、知っているため、直ぐにそのような考えを捨て去り、熾輝へと視線を向ける。
「大丈夫、息はある。けど、酷く弱っているから直ぐにでも病院に連れて行かなきゃならない。」
「でしたら、ここへ来る途中にあった動物病院に連れて行きましょう。あそこなら10分もあれば着くはずです。」
「わかった。・・・咲耶、チロルを頼む。」
「え?」
そういうと、熾輝は自分の腕の中で蹲っていた仔犬を咲耶へと預けた。
「熾輝君は?一緒に来てくれないの?」
「・・・僕は、他に迷い込んだ動物がいないか確認してくる。」
咲耶の問い掛けに、一瞬迷った表情をした熾輝は、再度、廃墟へ戻ると答える。
そして、咲耶の顔を引き寄せて、小春に聞こえないように耳元で囁く。
「一応、僕のオーラを仔犬に送ったから、最悪の状況にはならないと思うけど、それでも急いでくれ。」
「は、はい。」
熾輝の行動に驚いたのか、恥ずかしかったのか、咲耶の顔は真っ赤なリンゴのように紅潮し、それを傍らで見ていた燕は、頬っぺたを膨らまして、うらやましそうに見ていた。
「それじゃあ、頼んだよ。双刃は、このまま彼女達に着いて行って。」
「・・・ワン!」
僅かの間があったが、それでも双刃(犬バージョン)は主の命に対して忠実に従った。
『熾輝様―――』
『大丈夫、無茶はしないから。それよりも彼女たちを頼んだよ。』
『・・・主命とあらば。』
双刃には廃屋の中で熾輝が何を見たのか、なんとなく想像がついていたのか、心配そうな面持ちで主と視線を交わし、踵を返すと、咲耶達と共にその場を後にした。
残った熾輝の顔には、影が差していた。
普段の彼であれば決して見せないその表情は、途中、振り向いた咲耶の背筋に悪寒を感じさせるほどの、そんな表情だった。
◇ ◇ ◇
夕刻、日が半分ほど地平線に沈みかけたころ、街のとある廃墟に近づく者達がいた。
人数は3人、いずれも学生服に身を包み、学生鞄を持っていることから、おそらくは学校の帰りなのだろう。
だが、彼らの家は、ここから反対の場所にあり、学校終わりであっても、帰宅途中というわけではなさそうだ。
廃墟の前まで来た少年たちは、周りに人が居ない事を確認すると、持っていた鍵で敷地の出入口の南京錠を開錠した。
敷地内へ入ると、そのまま廃墟の入り口までやって来た彼等は、これまた鍵を取り出して、扉を開錠し、屋内へと入っていった。
「たく、担任マジむかつくわ。」
「担任だけならいいだろ、俺なんか親からも五月蠅く言われているぜ。」
「俺なんか、この間の模試の成績が落ちて、小遣い減らされた。」
屋内に入り、誰も居ない事に安心した彼らは、口々に日ごろの不平不満を言い合っている。
「毎日勉強勉強って、これじゃあ、いつ遊ぶんだよ。」
「まったくだ、こちとらお前らが言うより努力してんだっつーの!」
「だな!まぁ、そのストレス発散としてこんな所へ来ている訳だけ・・・ど?」
「あん?どうした?」
変な間を置いた友人を不思議に思ったのか、地下へと向かう足を止めた友人の視線の先を二人も追った。
「いや、鍵が外れてる。」
「はぁ?閉め忘れたんじゃね?」
「入口はちゃんと閉まってただろ?ここは、あそこ以外に入口は無いぞ。」
「あ、あぁそうか、そうだよな。」
地下にある重厚な鉄扉の南京錠が外れ、ドア前に鎖と一緒に落ちている状況を見て、「誰か来たか?」と一瞬思ったが、屋内に侵入された形跡が無い事から、その可能性を頭の中で否定した少年は、扉のドアノブに手を掛けて室内に入っていった。
「さーて、今日は誰を可愛がってやろうかな。」
「直ぐに殺すなよ?次を仕入れるの大変なんだから。」
「言えてる、この前の犬っコロどうしてる?」
「さあね、3日間飲まず食わずだから流石にくたばってたりして。」
下種な会話を続ける3人はギャハハハと笑いながら取り出した懐中電灯に光を灯すと、部屋に置いていたランプを探し始める。
そのときだった、懐中電灯の光が一つの人影を捉えた。
「誰だ!?」
突然叫びだした仲間の声に反応して、二人の男もつられるように光の照らす方へ視線を向ける。
「お兄さん達が犯人で間違いないよね?」
そこに居たのは、右眼に眼帯を付けた少年だった。
「…犯人?いったい何のことだ?俺達は今日、初めてここにやって来ただけだ。」
「へぇ、それにしては、随分と物騒な会話だったね。」
「・・・・。」
男たちは言葉に詰まる。少年に今までの会話を聞かれてしまったため、どう誤魔化そうかと頭を働かせているのだ。
「黙んまりか。」
上手い言い訳を思いつくことが出来ず、ただ立ち尽くしている男達、それ以前に目の前の少年が纏う不気味な雰囲気に呑まれてしまっている。
すると、少年は部屋の角に設置されていた机の上に置いていたランプに近づくと、備え付けてあったマッチに火を付けて、ランプに火を灯した。
火が灯ったランプが室内を照らしだす。
たった一つの小型のランプではあったが、室内を照らすには十分すぎる明るさ。
照らしだされた室内には、複数の檻カゴが並べられており、どの檻にも等しく入れられている犬や猫といった獣の数々。
しかし、閉じ込められている犬や猫の殆どが息絶えた状態で、僅かに息のある動物にあっては、足が骨折していたり、目玉をくり抜かれた状態のものまでおり、悲痛な泣き声を上げている。
「お、俺達がやったていう証拠でもあるのかよ!?」
「この期に及んで言い逃れですか?」
「うるせえ!俺達がやった証拠もないのに、言いがかり付けてんじゃねえ!」
「そうだ!だいたい小学生の餓鬼が年上に対して生意気なんだよ!」
男たちの言い分に、少年の腹の底から、得体の知れないモノが湧き上がってくる。
同時に少年の感情がチリチリと音を立てて焼かれていく。
「だったら、警察を呼んで指紋を調べて貰えばハッキリします。」
少年の言う通り、この現場には彼らが触れた様々な物がある。しかも、屋内に入る際に使用した鍵も彼等が持っているのだ。
彼等が犯人である証拠は揃っている。
「チッ、おい餓鬼!調子に乗っていると、お前も埋めちまうぞ!」
言い逃れが出来ないと判断した男の一人が少年に近寄って、胸倉を掴みあげると、そのまま壁に押し付けた。
「いいか、この事を誰かにチクったら、ただじゃおかねぇ。」
「・・・。」
「おいおい、ビビッて声も出せないのかよ。」
「とりあえず、ボコって反省させるか?」
所詮相手は小学生一人、それに対して学生服の男は3人、1対1でも負ける事はまず無い、彼らはそう思っていた。
しかし、胸倉を掴んでいた男の手を少年が触れた瞬間、その認識は間違っていた事に彼らは早く気が付くべきだった。
「痛えっ!」
少年は胸倉を掴んでいた手を捻り上げながら、自分の服から手を引き剥がした。
完全に手首の関節を決められた男は、そのまま膝をつき、されるがままに無力化されている。
「テメェ!何やってんだ!その手を離せよ!」
仲間の一人が、部屋の隅に置いてあった鉄パイプを掴んで、少年に襲い掛かる。
少年は、拘束していた男を蹴り飛ばして、襲い掛かって来た仲間の方へと転がす。
急に足元に転がって来た仲間に躓きそうになるも、寸でのところで躱し、そのまま少年にむかって鉄パイプを振り下ろす。
しかし、少年は振り下ろされた鉄パイプを紙一重で避けると、距離を取るように部屋の隅へと移動した。
少年が距離を取った事で、男たちの間で僅かな余裕が生まれ、各々が部屋に転がっていた木材などの武器を手に持ち始め、少年を囲むように陣取った。
囲むことで、攻撃を避けるスペースや逃げ道を塞いだのだ。
だが、少年に焦りは無い。
「一つ聞いておきたい。」
それどころか、武器を持った男たちを正眼に納めながら問いかけて来た。
「お前たちは、どうしてこんな酷い事をした。」
少年は、あくまでも無表情だった。だが、その声色は、とても低く、彼が怒っているのだと、男たちには判った。
「理由なんて色々あるが、強いて言うなら、ストレス発散だ。」
「そんな理由で、こんな酷い事をしたのか?」
「酷い事?たかが獣をいたぶったくらいで、大袈裟に言ってんじゃねえよ。」
「犬猫なんてそこら辺に腐るほど居て、皆迷惑しているんだ。むしろ俺達が処分しているんだから感謝されたっていいはずだ。」
「お前もいつまでも舐めた態度取っていると、マジでぶっ殺すぞ?」
「・・・そうですか。」
その言葉を最後に少年は、次の瞬間には学生服姿の男の一人に肉薄し、拳を顔面にめり込ませていた。
「「っ⁉」」
殴られた男は、そのまま後方へ飛ばされ、檻カゴが並ぶ一帯へと突っ込んでいった。
ぶつかった衝撃で、積まれて置いていた檻カゴがガシャガシャと崩れ落ちる。
「お前たちには聞こえないだろう、この子達の悲痛な声が。暗い中、檻に閉じ込められて自分達が何でこんな酷い目に遭っているのかも判らず、恐怖の中、死んでいったこの子達の助けを呼ぶ声が。」
「な、何言ってんだよお前。」
「声?意味わかんねえ事言ってんじゃねえ!」
「・・・そうか、もういい、喋るな。」
少年には聞こえていた、横たわる亡骸の助けを呼ぶ声が。
少年には見えていた、痛くて苦しくて恐怖する魂の姿が。
少年には分かっていた、こんな事をする奴等を許さないでくれという彼らの叫びが。
「僕はもう、お前たちを人だとは思わない。」
漆黒よりも尚も暗く深い瞳で男たちを睨みつける。今まで味わった事のない感覚、まるでインクをぶちまけた様に男たちの意識を黒く染めていく。
「クズ共が、死で償え。」
まるで虫けらを視るような目をした少年、八神熾輝は、ゆっくりと歩を進め始めた。
次回は7月26日午前8時ころ 投稿予定です。




