第七〇話【彼の怒り・彼女の困惑Ⅰ】
ジトジトとした湿気が室内を充満させ、外では朝から雨が降り続いていた。
「犬探し?」
葵から相談事があると言われ、お昼の時間に呼び出しを受けたため、学校の食堂で、お昼ご飯を一緒に食べていた熾輝達は、燕の言葉に顔を見合わせた。
「そうなの、家の神社に最近よく来る女の子が居て、話を聞いてみたら、3日前からその女の子の家で飼っている犬が、帰って来なくなっちゃったんだって。神社や公園とか、散歩で行く場所を探し回ったけど見つからないらしいの。」
その女の子に感情移入しているのか、燕は悲しい表情を浮かべて話を続ける。
「そのあと、女の子を連れてコマさんや右京左京と一緒になって探してみたんだけど、何処にも見つからないの。」
「それは、困りましたね。何処かで優しい人が見つけて保護してくれているといいのですけど。」
「きっと、そのワンちゃんも女の子に会えなくて今頃泣いているかもしれないね。」
「・・・。」
3人が困り顔を浮かべている横で、熾輝は相変わらず無表情のまま話を聞いていた。
「それでね、とうとう泣き出しちゃった女の子に絶対見つけ出してみせるから心配しないでって・・・」
「言ってしまったんですね?」
「言っちゃったんだね?」
「だって!放って帰るなんて出来なかったんだもん!」
半泣きの燕は、とうとう困って、熾輝達に助けを求めてきたという事だ。
そして、話を聞いた咲耶達も困り顔で見合わせると、半泣きのまま抱き付いてきた葵に懇願される。
「おねがいぃ、助けてよ~。」
「きゃっ、わ、判ったから抱き着かないでぇ!」
大衆の面前で、半泣きの女の子に抱き付かれ、周りの注意を引いてしまい、咲耶は恥ずかしさのあまり慌ててしまっいる。
「しかし、困りましたね、3日も前から帰って来ないとなると、もう近所には居ないかもしれません。」
「・・・。」
あるいは、交通事故に遭って死んでいる可能性が高い。
冷静にもそんな事を考えていたが、流石の熾輝でもこの場の空気を読まない発言はしないのか、黙って燕の話を聞くことに徹している。
「グスン、一応その犬の写真を預かって来たんだけど・・・」
そう言って、燕が取り出した写真には、白くてフワフワな毛に少し垂れた三角耳、クリッとしたつぶらな瞳をした子犬が映っていた。
「よし、今日の放課後から探そう。」
「「!?」」
今まで沈黙を守っていた熾輝は、写真を見た瞬間、明らかに目の色を変えて話に加わってきた。
そんな熾輝の態度に驚いたのか、咲耶と可憐は目を丸くしているが、燕だけは目を潤ませながら、熾輝が探してくれると聞いた瞬間、安心したのか、満面の笑みで「ありがとう」と礼を言っていた。
◇ ◇ ◇
放課後、ちょうど雨も上がったことから、雨の中で捜索するという面倒は無くなったが、広い街の中から子犬一匹を見つけ出す事は、至難の技と言える。
「家の学校の一年生で、春野小春ちゃんです。」
「こ、こんにちは!」
なんと、子犬の飼い主は、同じ学校の一年生だった。
咲耶と可憐が小春とあいさつを交わし、女の子の視線が熾輝へと向けられたが、小春は燕の後ろへ回り込み隠れてしまった。
「小春ちゃん?」
「このお兄ちゃん、怖い。」
「・・・。」
フルフルと子ウサギのように震える小春は、どうやら無表情な熾輝の事が怖いらしく、目を合せようとはしない。
今も燕の腰回りに抱き付き、その姿すら晒そうとしない小春を咲耶達が大丈夫だと呼びかけるが、一向に燕から離れようとしない。
一先ず、小春を怖がらせたままでは話が進まないと思った熾輝は、4人から少し距離をとり、話を進めるように可憐へと視線を向ける。
熾輝の意図を理解した可憐は、苦笑いを浮かべて首を軽く縦に振った。
小春の話をまとめると、
○ いなくなった子犬の名前はチロル(メス)
○ 犬種は、ウエストハイランドホワイトテリア(略してウエスティー)
○ ピンクの首輪には銀プレートが付いており、片仮名でチロルと刻印されている。
○ いなくなったのは3日前の夕方、家に帰ってみると、リビングのドアが開けっ放しになっており、チロルが居なくなっていた。(母親の閉め忘れらしい。)
○ 近所の犬友や犬猫病院に聞いてみたが目撃者はいない。
と言う事らしい。
「今のところ手掛かりは無しですか。」
「警察や保健所に聞いてみたけど、最近は犬猫の届出が全く無いらしいの。」
どうしたものかと頭を悩ませている彼女達の隣で、熾輝もまた現在ある情報を頭の中で整理し、今後の対応を考えていたが、思いつくのは人海戦術による地道な捜索方法くらいしか思いつかない。
そんな折、熾輝へ話しかけてくる者がいた。
『熾輝様、宜しいでしょうか。』
熾輝の式神、双刃である。
双刃は、実体化せずに熾輝に話しかけているため、ここで熾輝が誰もいないのに喋りだすと、余計に小春を怖がらせてしまうため、彼女との話は念話で行う事にした。
『どうしたの?』
『はい、私なら居なくなった子犬の手掛かりを追えるかもしれません。』
『あぁ、なるほどね。判った、うまく話をしてみるけど、お願いしてもいいの?』
『勿論です!主の役に立つことこそ式神の喜びであるからして―――』
『・・・うん、とりあえず、お願いするよ。』
双刃は、式神の何たるかを話し始めてしまうと、熾輝でも止める事が出来ないのは、彼女と一緒に生活していく上で、既に心得ているのか、早々に話を打ち切らせて、熾輝は未だに話し合っている咲耶に視線を向けると、熾輝の視線に気が付いた咲耶を手招きして呼び寄せた。
「熾輝君、どうかした?」
「一度、小春ちゃんの家に行ってみたいんだ。」
「どうして?」
「掻い摘んで説明すると、双刃の能力なら何かしらの手掛かりが掴めるかもしれない。」
「双刃ちゃんの?・・・わかった、小春ちゃんに聞いてみる。」
「よろしく、あと、双刃の事は、助っ人という筋書きでいくから、呼びに行くために一旦僕は、この場を離れて直ぐに合流するよ。」
「そうだね、小春ちゃんは一般人だし、いきなり双刃ちゃんが現れたら驚いちゃうもんね。」
そう言って、可憐たちの元へと戻っていく咲耶を見送った熾輝は、小春の家の場所を聞き、一旦その場を離れる事にした。
◇ ◇ ◇
小春の家に到着した時、相変わらず小春は熾輝の事を警戒しており、その横にいる双刃の姿を見てキョトンとしていた。
「わんちゃん!」
『・・・ワン!』
今、小春の目の前に居るのは、犬に姿を変えた双刃である。
身体は大きく、普通の小学生の女の子であれば、恐がってしまうかもしれないが、そのつぶらな瞳とフワフワな体毛は、犬好きにはたまらない愛くるしさを表現しているのか、小春も直ぐに双刃(犬バージョン)の虜になっていた。
「このワンちゃん、お兄ちゃんの犬?」
思いがけず、熾輝に話しかけてきた小春に対して、先程と同じような無表情で肯定を示そうかとしたとき、傍らにいた可憐が笑顔で不思議なプレッシャーを放ってきている事に気が付いた熾輝は、一瞬、葵の姿とダブらせてしまったが、可憐が何を言いたいのかが、なんとなく判ったので、ここは空気を読むことにし、不器用な笑顔を造ったまま答えることにした。
「・・・そうだよ、フタバって言うんだ。」
「へぇ、フタバ毛がフワフワで気持ちぃ。」
熾輝が連れてきた双刃に大変ご満悦なのか、先程から双刃に抱き着いて、フワフワな毛を堪能している小春は、多少ではあるが、熾輝に対する警戒を解いた様にも感じられた。
しかし、このまま小春にジャレ付かせていたのでは、一向に先へ進めないため、熾輝は努めて笑顔で話しかける。
「小春ちゃん、チロルが普段使っている玩具か洋服ってあるかな?」
「あるけど、・・・どうして?」
「フタバはね、凄く鼻が良いから、チロルの臭いを辿れば、手掛かりが見つかるかもしれない。」
「本当!?」
熾輝の話しを聞いた小春は、家の中へと駆け込むと、チロルが普段から使っている玩具を持ってきた。
小春から玩具を受け取った熾輝が、それをフタバに近づけると、何かを感じ取ったのか、臭いを覚えたフタバが早速歩き始めた。
双刃は、多数の固有能力を有している。その一つが現在行使している【変身能力】と、もう一つが特定の情報から対象を追跡する【猟犬の追跡術】である。
変身能力は、読んで字の如く、姿形を変える能力である。この能力は、双刃が過去に触れた事のある対象に化ける事が出来る能力であるが、メモリーのストックは幾つでも可能。しかし、一つのメモリーにつき半年の有効期限付き。また、空想上の生物に化ける際には時間制限が伴う。
猟犬の追跡術は、対象の臭いを元に、追跡する能力であるが、それは単に鼻の効く犬が臭いを辿る物とは訳が違う。双刃が覚えた臭いの元が辿った軌跡を世界という情報集合体にアクセスし、追跡する事が、この能力なのだ。したがって、双刃が現在辿っているのは、実際の臭いではなく、チロルが辿った軌跡の履歴なのだ。
「―――だから、双刃が一度この能力を発動させれば、対象は逃げも隠れも出来ない。」
歩きながら咲耶達に双刃の能力を説明する熾輝の手には、現在、フタバのリードが握られていた。
双刃は、道の臭いを嗅ぎ取る振りをしながら、迷いのない足取りで、先を進んでいく。
すると、双刃から熾輝へ念話で話しかけられる。
『熾輝様、どうしても耳に入れておきたい事があります。』
『どうしたの?』
『はい、件の仔犬・・・どうやら何者かに攫われた形跡があります。』
『・・・確かなの?』
『仔犬の痕跡を追うと、道を歩いたというより、何かに閉じ込められて運ばれた状況と考えられますので、おそらく・・・』
『犬泥棒?でも、だとすると、このまま小春ちゃん達と一緒に向かうのは、少々面倒になるかもしれない。』
相手が犬泥棒と仮定した場合、単独犯もしくは複数犯であった場合でも、犯人の根城にこのまま赴いても非力な者と一緒に行って、何かあったらと考えていた時だった。
『熾輝様、どうやら仔犬が攫われた場所に到着したようです。』
状況を考える間もなく、双刃から、おそらく犯人の根城であろう場所に辿り着いたと報告を受けた。
そこは、小春の家から徒歩で1時間ほど歩いた場所にある寂れた廃墟だった。
コンクリートの外壁の至る所にスプレーで落書きが施され、敷地の入口には、立入り禁止の標識が貼ってある。
「ここって、夜になると怖そうな人達が集まってた場所だね。」
「ええ、ですが最近、警察の見回りが厳しくなったとかで誰も近づかなくなったと聞きました。」
この場所の事を知っているのか、咲耶と可憐が廃墟の情報を開示する。
「でも、警察の見回りがあるなら、チロルちゃんが居たら保護してくれそうだけど・・・」
「きっと、不良グループの溜り場じゃなくなった時点で、重点的な見回りはしていないのかも。それに、有刺鉄線で敷地に入りずらくしているから、中までは見て回らないのかもね。」
熾輝の予想は的を射ていた。実際、ここ数ヶ月の間、以前までたむろしていた不良グループも廃墟を溜り場にしなくなり、警察の巡視も殆どされなくなっていたのだ。
―――(中の気配は―――)
熾輝は、咲耶達に気が付かれないように廃墟へと意識を向け、中に誰か居ないかを確認する。
「・・・僕が中に入って見てくるから、4人は双刃と一緒に居て。」
そういうと、熾輝は、双刃を繋いでいたリードを咲耶に渡して敷地へ向かう。
「え?熾輝君、でも柵があって―――」
有刺鉄線で敷地を囲っている柵と、入口には南京錠で施錠されているため、どう考えても中に入る事は出来ない。そのため、咲耶も中に入るのは無理なのではと思い、熾輝を呼び止めようとしたが、器用にも有刺鉄線の柵を軽々と登り、何も無かったかのような足取りで敷地内へと着地した。
3人がポカーンとしている中で、熾輝は振り返ろうとはせずに、廃屋の門前まで来ていた。
ドアノブに手を掛け、開けようとするが、どうやら鍵が掛かっているらしく、開ける事が出来ない。
正直、熾輝のピッキングスキルを用いれば、容易に開錠する事は可能だろう。しかし、敷地の外では、友人3人と女の子1人がこちらを注視していたため、あとであらぬ誤解を受けないためにも、そのスキルは、今は使わない方がいいだろうと思い至り、廃墟の二階に目を向ければ、半開き状態になった窓を発見した。
熾輝は、外壁に沿うように設置されたパイプを見つけると、強度を確かめ、子供一人の体重を支えることぐらい出来そうだと判断したら、スルスルとパイプをよじ登り始めた。
二階の高さまで登りきったところで、窓までの距離を測ると、少し遠いくらいだったが、この程度の距離は、日頃、パルクールで鍛えている熾輝にとって、遠いとは感じなかった。
身体をくの字に曲げ、溜めを作ると、パイプから窓へと飛び移る。
跳ぶ間際、敷地の外から「きゃっ!」という声が聞こえたが、敢えてその声を無視して、窓の外枠に手を掛けると、そのまま中へと侵入する事に成功した。
二階に降り立った熾輝が周りを見渡すと、所々に廃材が放置されており、部屋の隅には蜘蛛の巣が張ってある状態だった。
屋内へ侵入した後、迷いのない足取りで、廊下に出ると、建物中央に設置されていた階段を降り始める。
廃屋は2階建ての建物で、一階へと降りてきた熾輝は、更に下の階へと足を進めた。
電気が通っていないため、地下へと降りると、殆ど何も見えない暗闇の世界が広がっているが、山奥での生活が長かったせいか、人よりも夜目が聞く熾輝には、さほど不自由ではなかった。
地下へとやってくると、すぐ目の前には重厚な鉄の扉があり、中からは複数の気配を感じる。
ドアノブには鎖が巻き付けられており、南京錠で施錠されていた。
今度は、自分を見る友人の眼が無いので、気兼ねなく自分のスキルを活かせると踏んだ熾輝は、学校鞄の底(二重底)に手を入れて、ピッキング道具を取り出すと、器具の先端を南京錠へと差し込み、あっという間に開錠してしまった。
こういったスキルは、元暗殺者である白影から伝授されており、役に立ちそうなスキルであれば、一通りのことを会得している。
ドアノブに巻き付けられていた鎖を外し、鉄の扉をゆっくりと押すと、老朽化が進んでいるため、金具が錆びつき、ギギギと鉄が擦れる音を立てながら扉が開いていく。
開け放たれた室内で熾輝が見たものは――――
次回は7月22日 午前8時ころ投稿予定です。
 




