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鍛鉄の英雄  作者: 紅井竜人(旧:小学3年生の僕)
修行編
7/295

第六話

 後ろでは、先ほどまで空いていた空間の穴が段々と閉じていく途中であった。そして、目の前には自分たちが今まで居た場所とは異なる光景が広がっている。


 四方を岩で造られた壁の部屋、そして部屋の床と天井には何やら幾何学的な模様がびっしりと描かれている。そんな部屋の中心に4人は、立っていた。


「少し不安だったのですが、成功してよかったです。」

「ここは、集落の神殿か?」

「その通りです。」

「話には聞いていたが、本当に空間転移ができるとは、驚いた。」

「私の力では、ありませんけどね。とりあえず部屋の外に出ましょう。」


 3人は、揚羽に促されるままに、扉を開けて部屋の外へと出た。部屋の外を出て最初に目に入ったものは、長く上に伸びる石造りの階段、上の方は暗くて良く見えず、一体どれ程長い階段かは、見ただけでは分らない。その階段を4人は、登り始めた。


「なんだか今日1日で、色々な事がありすぎて驚いちゃった。」

「そうだね、いきなり現れた人が、襲ってきた盗賊をあっという間に倒して、その人が僕の叔父さんだって言うし。」

「新く、熾輝くんを探しに来たって言ったと思ったら今度は、私の叔母さんも現れるし、もう何が何やらだよぉ。」


 目まぐるしく変わる状況の変化に戸惑いを見せる夏羽は、少し疲れを感じさせながら、熾輝と手を繋いだ。


「・・・熾輝くん」

「ん?」

「やっと、お家に帰れるね。」

「・・・うん。」


 笑顔を向けて喜んでくれる夏羽に対し、熾輝も不器用ながら笑顔をつくる。

 家のこと家族のこと、色々な記憶が失われている自分には本当に帰る場所があるのかも分からない。しかし、隣に居る女の子が自分に向けてくれた笑顔には、応えたいと思った。


 長い石階段を上りきると一人の女性が立っていた。


「お帰りなさい、揚羽さん。」

「只今戻りました。」

「ババ様がお待ちです。」

「わかりました。」


 そういうと女性は、歩きはじめ4人はそれについて行った。

 案内された部屋の前まで来て女性は、扉にノックをしたあと、4人の来客を告げた。

 

「入りなさい。」


 少し掠れかかった年配女性の声が掛かると、女性は扉を開けて、中に入るように促した。

 部屋の四方と天井には、それぞれ獣の絵が描かれており、どれも迫力があり、まるで絵に睨まれているような錯覚すら覚える。


「ババ様、只今戻りました。」

「おかえり、変りはないかい?」

「はい。」


 ババ様と呼ばれた老婆は、簡単な挨拶を終えると、夏羽に視線を移した。


「久しぶりだね、夏羽。と言っても、お前は分からないだろうが、私はお前の事を知っているよ。」

「えっと・・・」

「ほっほっほ、困らせてしまって悪かったね。何しろ、お前がここを離れたのは、赤ん坊の時の話だから、分からなくて当然さ。さてと、まずは何から話をしたものか――」


 どのように話をしていいか分からない夏羽が少し狼狽していると、老婆は夏羽のことや、自分たちの事について話を始めた。


 老婆の話では、夏羽達の一族は魔界では特殊な一族であり、その特殊性ゆえに魔界でも誰にも見つからないようにひっそりと暮らしていた。

 しかし、余りにも集落の外の世界と離れて暮らしていると外への憧れを持つ者が出てきてしまうため、集落では、生まれてから5年の間は、外で生活をさせるようにしている。

 幼少のおり、外の世界がどんなに過酷な場所であるのかを知れば、集落の外へ出たがる者を減らせるというのが理由らしい。


「じゃあ、私はまだ5歳になっていないから、また外に出されるんですか?」

「いいや、さっきも言った通りこの掟は、集落の外の世界が如何に過酷かを教えるためのもので、お前がそれを理解しているのならば、問題無いのさ。」


 老婆の答えに安心したのか、夏羽はホッと息を吐いた。その様子を見ていた老婆は、うなずくと、話の続きを始めた。


 夏羽の本当の両親についてであるが、実は夏羽の一族には男は存在しないのである。

 女性は、成人を迎えると巫女である老婆が、一族で崇めている五聖獣という獣を神格化した存在に祈りを捧げることにより、子を授かるという仕組みなのだ。

 生まれてくる子供は、皆女と決まっているが、より詳しい話は部外者である清十郎や熾輝がいるため割愛して話している。

 そうなると、夏羽の親は母しか居ないはずであるが、夏羽を生んで一週間後に死んでしまったらしい。



「とりあえず、今お前に話せることはこんなもんかね。何か質問はあるかい?」

「えっと、お母さんは、私を生んだせいで死んじゃったんですか?」

「それは違う!」

「きゃっ」


 横で話を聞いていた揚羽が声を荒げて否定するが、それに驚いた夏羽は、条件反射のように隣に居た熾輝の腕に抱き付いた。


「あっ、」

「ふぅ、やれやれ。揚羽、お前はその直情型の感情をもう少しどうにか出来ないもんかね?」

「も、申し訳ありません。」

「まったく、夏羽よ、お前の母が亡くなった理由について、お前のせいであるなんてことは、微塵も無いから安心しなさい。」

「は、はい。」

「それとね、お前の育ての親についてだが、そこに居る揚羽の姉夫婦が、母親の死後、お前の面倒を見ると言ってくれたのさ。ちなみにワシ等の集落には女しかおらんが、外の男と夫婦になることがダメなんて言う掟は無いから安心していいよ。」

 

 そう言うと、老婆は一瞬だけ熾輝に視線を向けると、夏羽は顔を真っ赤にして俯いてしまった。熾輝はというと、先ほどから腕に抱き付いていた夏羽に意識が向いていたため、老婆の視線には気が付かなかった。


「さてと、夏羽についての話はこれくらいにさせてもらうよ?清十郎殿、初めに言った通り、私達の一族について、他言はしないでおくれよ。」

「ええ、分かっています。こちらも甥っ子の捜索に多大なる協力をしてくれた恩人に対し、不義理は行いませんので。」

「その言葉、しかと聞いたよ。」

「はい。」


 二人は、暫く視線を交わし合い、老婆は納得がいったのか、笑みを見せた。


「今日はここに泊まっていくといいさね。まぁ、こちらも家族を助けられたしね、人間界への門の結界は、こちらで何とかしよう。」

「一応、魔界と人間界の門の結界は天界が管理しているんですけど?」

「それは、最初に言ったじゃろ、ワシ等は魔界でも特殊な一族と」

「まぁ、魔界での特殊性はさておき、人間界での知名度は結構なものだと思いますよ?」


清十郎は、部屋の四方と天井に描かれた獣に視線を泳がせていた。

人間界では、あまりにも有名な獣、東西南北を守護する獣と天上の獣。

不意に清十郎がビールを飲みたいと思ったのは、彼だけの秘密である。




 巫女との謁見が終わり、4人は部屋の外へ出た所で、先ほど案内役をした女性が立っていた。


「お部屋をご用意しました。食事は間もなく出来ますので、暫くはお部屋の方で休んでいて下さい。」

「清十郎殿、私は集落の仲間に夏羽ちゃんの無事と帰郷を報告してきますので、後ほど食事の席でお会いしましょう。」

「ああ、わかった。子供たちも疲れているだろうから、このまま部屋で少し休ませてもらう。」

「はい。夏羽ちゃんはどうする?」

「えっと、熾輝くんと一緒にいます。」

「分かったわ。それでは失礼します。」


 揚羽は頭を下げるとその場を去って行った。

 後に残された3人は、案内役の女性の後に続いて部屋までと案内されることとなり、途中集落の者達とすれ違う事が何回かあり、皆が何かヒソヒソと小声で会話をしていたが、それを聞き取ることは出来なかった。


「こちらがご用意した部屋になります。」


案内されたのは十畳ほどの畳部屋で、部屋の中央には小さめの卓袱台が置かれている他、座椅子が備え付けられており、ちょっとした旅館のお座敷みたいである。


「食事の用意が出来ましたら呼びに参りますので、それまではお寛ぎ下さい。」

「ありがとうございます。」

「それでは」


女性は一礼すると、部屋から出ていった。

清十郎は、部屋に備え付けられた座椅子に腰かけると、大きく息を吐いた。

熾輝と夏羽は、どうしたらいいのか分からず、その場で立ち尽くしていたが、直ぐに清十郎から座るように促されたため、腰を下ろした。


「そんなに緊張しなくても、大丈夫だ。それに此処は君の家みたいなものなんだから。」

「は、はい。」


君の家みたいなものと言われても、夏羽にとっては、知らない人たちが居る知らない場所であることは変わりがないわけで、中々身体の力が抜けなかった。


長い沈黙が続き、男は困り果てていた。


(こういう時、揚羽が居ればもう少し違うんだろうが、俺にあいつの真似事は出来ないしなぁ。)


凶悪な妖怪達を圧倒していた男も子供の扱いに対しては、まったく歯が立たないという現実を前に、彼は「早く食事呼びに来ないかなぁ」と思いはじめていた時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「失礼します。お食事の前にお風呂をご用意しましたので、先に湯に浸かってきてください。」

「・・・そうさせてもらいます。」


 実は、先ほど部屋を出て行った女性は、暫く部屋の前で待機しており、中の様子を伺っていたのだが、男の情けない様子から声を掛けることにしたのである。

 ちなみに、部屋の外に女性が居たことは、清十郎も知っていたが、基本的に何でも自分

でするという生き方をしてきた彼にとって、誰かに助けを求めること自体、彼の辞書もとい、彼の思考回路には存在しないのである。



 部屋を出て風呂場に案内されている途中、清十郎が何やら隣の女性に話しかけられて、バツが悪そうにしていた姿を後ろから付いて行っていた二人は、しっかりと目撃していた。


「熾輝くんの叔父さん、最初はすっごく怖い人かと思ったけど、なんだか面白い人みたいだね?」


清十郎が聞いていれば心外だと言いそうな言動である。

確かに30人以上いた族を瞬殺する程の強さを持つ彼であるが、子供の前では、努めて優しく接していた。

普段の彼を知る者から見れば、在り得ないという者が殆どではあるが、この男は、子供には滅法弱いのである。


「面白い?」

「うん、あんなに強いから、怖い人だと思っていたけど、よくよく考えてみると、私たちに優しく話してくれるし、あの女の人に怒られている所を見ると、なんだかイメージと違うなって。」

「確かに最初の印象が強過ぎて、今のあの人は、強そうには見えないね。」

「でしょ?」


クスクスと笑う夏羽を見ていて、熾輝は心の中で、わずかに温かいものを感じた。


「こちらが浴場となっています。」


案内されたのは、右に「薬」と書かれたのれんが掛かった扉と、左に無字ののれんが掛かった扉の前だった。


「右側が薬草湯でひだりが、普通の湯になりますので、お好きな方にお入りください。」

「わかった。」

「やくそうゆ?」

「薬草が入った体に良いお風呂ですよ、集落者は好んでこちらに入ります。それと、美容にもいいんですよ。」

「ほんとう!?」


女の子はそういうところに反応するよなぁ、と思ったのはここに居る二人だけであり、子供大人関係なく女同士そういう話題には盛り上がるらしく、色々と話を始めた。


「まぁ、俺は普通のお湯でいいか」

「じゃあ、熾輝くん一緒に入ろ!」


そう言うと、夏羽は熾輝の手を握って、薬草湯に元気よく入っていった。


「・・・。」

「何をしているんですか?」

「いや、」

「邪な目で無垢な子供を見ないで下さい。」

「・・・はい。」


そんな二人のやり取りがあったことは、もちろん熾輝も夏羽も知る由もない。



風呂から上がった3人は、脱衣所に用意されていた新しい衣類に着替え、脱衣所を出たところで、夕食の支度が整ったと知らせを受け、そのまま宴会場に案内された。


食卓に並べられた料理は、殆どが人間界で目にするような料理が揃えられており、部屋の片隅には「純米」と書かれた一升瓶が、何故か置かれている。


部屋まで案内をした女性が、3人を席まで案内し、清十郎にお酒を飲むか覗い、続いて、熾輝と夏羽の傍までやってきて、2人の身体を観察した。


「熾輝くんと夏羽ちゃんは、最初にスープとお粥を食べて下さいね。」


二人の身体を見た女性は、直ぐに二人の健康状態を把握した。

二人は、奴隷商人に捕まっていた間、ちゃんとした食事を摂っておらず、故に身体もやせ細っていたため、皆が食べる食事を摂ると、胃が拒絶反応を起こす危険性があると考えていた。

確かに食事を満足に食べられていたとは言えなかったが、それでも食事は与えられていたので、余程濃い料理でもない限りはそういった危険は無いのだ。


先に運ばれてきたスープに口を付けた、続いてお粥を食べたところで、不調が無いことを確認した女性は、給仕を担当する者に、他の料理を運ぶように指示を出すと、3人に頭を下げて自分の席に着いた。


会場の全員が席に着いたところで、集落の巫女が軽い話をした後、食事が開始された。


食事の内容は、一汁三菜のシンプルなものではあるが、使われている素材は、とても鮮度が良く、どれも美味しいと感じたのは3人の意見である。


皆が黙々と食事を食べ、一切の会話がなされないまま食事が進んだ。

夏羽は、こういう雰囲気は苦手なのか、少しそわそわしながら食事にお箸をつけていた。


しかし、皆が食事を終えた瞬間、先程までの静寂が嘘のように、あちらこちらで、楽しい話声やら笑い声が始まった。


清十郎の回りには、集落の女性達が皆、お酒を注ぎに集まっていて、熾輝と夏羽の回りには、お菓子を持ってきた揚羽と集落の人たちが集まってきていた。


そんな、様子を少し離れた場所から巫女と先程の案内を務めた女性が眺めていた。


「ほっほっほ、大人気じゃの。」

「皆もいつもより、嬉しそうですね。」

「ああ、家族が帰ってきたのじゃ、これ以上のことは無い。」

「しかし、婆様には、こうなることは分かっていたのでは?」

「さてなぁ、わしが視たものとは、少し違っているが、これはこれで悪くはない。」

「それは、どういう」

「白亜よ、後で夏羽をワシの部屋まで呼んできてくれ。」

「・・・分かりました。」


食事が終わった後、夏羽は巫女の元へ呼ばれて行ったため、男2人だけで部屋に戻った。


「明日の朝には、人間界へ帰れるという話らしいが、その前にお前には話しておかなきゃならない事がある。」

「なんですか?」


座椅子に座った清十郎は、身を正し、少し迷いのある顔をしていた。

しかし、これから話そうとしている男の表情に真剣の色が覗えたことから、熾輝も身を正して聞くことにした。


「・・・お前の両親についてだが、結論から言って亡くなっている。」

「そうですか。」

「・・・これからは、お前の父方の家である【五月女】がお前を引き取ることになるだろう。」

「はい。」

「それとな・・・。」

「叔父さん?」

「いや、何でもない、伝えたい事は以上だ。今日は早く寝よう。」

「夏羽が戻ったら僕も寝ます。」

「そうか、寝室は、この部屋の隣だから夏羽ちゃんが帰ってきたら、直ぐに寝るように。」

「分かりました。」


しかし、その晩、夏羽は熾輝の元へと帰っては来なかった。


部屋の明かりを見た白亜が、声を掛けようと部屋に入ったところ、座椅子で寝ていた熾輝を寝室まで運んで、その際に起きた清十郎に今日は、夏羽は別室で休むことを告げ、更に子供より先に寝た清十郎に軽い説教をした後、寝室を出て行ったのである。



 翌朝、目を覚ました熾輝は、昨晩戻らなかった夏羽が別室で休んでいたことを清十郎から聞かされ、後で会えると思っていたが、食事の際も会えず、その後、集落を見て回っても夏羽に会えぬまま、帰還の準備が整ったと連絡を受けた。


白亜に案内された二人は、神殿へとやってきた。

神殿には、集落の人々が集まり、皆が清十郎にお礼を述べる中、夏羽の事について聞くが誰も知らないとのことだった。


そのまま二人は、昨日転移してきた部屋まで案内され、部屋の中には巫女であるババ様が正装姿で待っていた。


「来たか、こちらの準備は既に整っているから、いつでも送ってやれるよ。」

「色々とありがとうございました。」

「こちらも、一族の仲間を救ってもらったんだ、これくらいお安い御用だ。」


二人のやり取りの最中、部屋の中をキョロキョロと伺う熾輝は、夏羽の姿を探していた。


「すみません、夏羽はどこですか?」

「おや、あの子と会えていないのかい?」

「昨日の晩に別れたっきり帰って来ないんです。」


巫女は、その言葉を聞いて、部屋の扉前に待機していた白亜に視線を向けると、彼女は首を横に振った。


「もしかしたら別れが辛くて、顔を合わせたくないのかもね。呼んでこようか?」

「・・・いえ、夏羽が会いたくないのなら、無理に合わない方がいいのかもしれないので」


巫女は、清十郎に「どうする?」と視線を向け、少し考えた後、このまま帰還することを選んだ。


「それじゃあ、空間を開けた後、結界に穴を空けるよ。言っておくが結界に穴を開けても直ぐに戻ってしまうから、通れるのは1分が限界じゃ。その間に結界の向こう側に渡れば人間界に帰れる。」

「わかりました。」

「それじゃあ、行くよっ!」


巫女が、エネルギーを発すると、部屋中に描かれていた幾何学模様が淡く光はじめた。

すると、部屋の中心に亀裂が入り、あっという間に空間に穴が開いた。

しかし、割れた空間には、網状に光る糸が張られていて、これ以上先に行くことが出来なくなっている。


「さて、お次はこの結界の感覚を広げて、その間に更に結界を張るよ。」


巫女が、結界に手をかざすと、網状に張られた結界が少しずつ広がってきた。


「もう少しで結界の感覚が広がるよ。結界を張ったら直ぐに向こう側に行けるよう準備をしなさいっ。」

「わかりました。」


そして、もう少しで結界の感覚が、丁度大人一人分まで開こうかという時に、部屋の扉が「バンッ!」と大きな音を立てて開かれた。


「よかった!間に合った!」


扉を壊さんばかりの勢いで入ってきたのは、揚羽である。

そして、そのすぐ後ろに、夏羽が居た。


「熾輝くんっ‼」

「夏羽」


夏羽は、熾輝の元へと駈け出した。

その目からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ、可愛い顔をクシャクシャにさせていた。

しかし、もうあと少しで、目の前まで来れるという時に、足をもつれさせて転びかける。

だが、あわてて、駆け寄った熾輝は、夏羽を抱きしめるように横転を阻止した。


「シキ君、ごめんね!」

「何で、夏羽が謝る?」

「だって、だって!」

「夏羽は、何も悪くない。」

「シキ君、私ね、もっとシキ君と一緒に居たかった。一緒に遊んで、一緒にお話ししていたかったよぉ。」

「僕もだよ。」


二人は、これまで共に魔界で過ごしてきた半年、お互いを助け合って生きてきた。

しかし、その生活も終わりの時を迎え、今まさに二人は別れの時を迎える。


二人の後ろで、結界を開き切った巫女が、更に筒状の決壊を穴に通し始める。


「夏羽、ありがとう。」

「ぅ、・・・ヒック、それは私の台詞だよ。」

「いや、君に出会えてなかったら、僕は今頃ここには居なかった。」

「私も、シキ君が居なかったら、どうなっていたか分からない。」


二人がお互いに感謝を伝えあったところで、ついにその時が訪れた。


「結界が通ったよ!」


人間界へのゲートが開通し、二人の姿を見ていた揚羽は、夏羽の肩に手を載せた。


「シキくん!イヤ!行かないで!」


遂に言ってしまった。

絶対に言うまいと心に決めていた言葉を。

言えば熾輝を困らせてしまう。下手をすれば彼は此処に残ると言い出しかねないと分かっていたのに、どうしても抑えきれなかった夏羽は、熾輝に抱き付こうとした。


しかし、その後ろから揚羽が無理やりに夏羽を引き離す。


「清十郎殿!行ってください!」

「いや!いや離して!シキ君!」


揚羽に抑えられながら、一生懸命に熾輝に手を伸ばす彼女を見て、熾輝の心には、今までにない動揺が走っていた。


この半年間、彼自身気が付いていなかったが、感情を失い、何があっても感じていなかったはずの心は、夏羽に対してだけ、時折感じるものが確かにあったのだ。


一生懸命に手を伸ばす女の子に、熾輝は、どうしていいか分からないまま、歩み出ようとした時、後ろに居た清十郎が肩を叩き、耳打ちをしてきた。


そして、今度は迷わずに夏羽へと歩み寄り、その手を取った。


「シキくん、ぅ・・・ぅ」

「夏羽、僕は必ずまた此処へ来るよ。」

「でも、ヒック・・魔界は・・危ないよ?」

「だったら、強くなって夏羽に会いにくる!今の僕じゃ、弱すぎて夏羽を守れないけど、誰よりも強くなって、夏羽を守って見せる!だから・・・その時はまた僕と一緒に遊んだり、お話をしよう?」

「・・・うん、約束だよ?」

「ああ。僕は、夏羽との約束は絶対に守る。」


お互いを確かめ合うように、二人は再び抱き合うと、後ろから声が掛かる。


「もう、時間が無いよ!」


結界に通したゲート(結界)からは、ビキビキと音が漏れ始めた。


「熾輝」「夏羽ちゃん」


そして、二人は離れ、熾輝はそのまま清十郎に担がれた。


「それじゃあな。婆様、揚羽、白亜!世話になった!」

「「「お達者で!」」」


清十郎は、ゲートに駈け出した。


「夏羽!待っててくれ!きっと会いに来るから!」

「待ってる!シキ君!・・・・・・大好き!」


そして、二人の人間が、ゲートを潜り抜けた途端、空間に張り巡らされていた結界と空間が元に戻り、夏羽は、何もない虚空を見つめていた。


「待ってる。私、待っているから。」


幼い一人の人間と妖怪は、約束を交わした。

巫女は占う、二人が再び会えるのは、これから7年後か8年後の少しだけ遠い未来だと。


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