第六八話【異常事態Ⅴ】
熾輝は、休憩所として設営されていた天幕を出ると、迷うことなく運営委員が待機する建物へと向かった。
運営委員が待機するフロアの入り口には警備の男性が一人待機しており、当然中に入ることが出来ない。
理由を説明するにも、フロア内に悪意を持った者の気配がするから入れてくれなんて言えば、当然追い返されるだろう。
もちろん、そんな事はせずとも熾輝はフロア内に侵入する事は可能だ。
全身を覆うオーラを体内に押し留め、気配を限りなく小さくする。これだけでは、視界に入っただけで止められてしまう。ならば、周りに存在する空気や建物などの無機物が有する気配と同調し、己の気配を偽装する。そうする事によって、例え視界に入っても認識されにくいように工夫を凝らす。極めつけは、警備員の動作を陰から観察し、警戒を緩めた心の隙に己の気配を忍び込ませることにより、対象は熾輝という存在を認識しなくなる。
魔術を使えば対象の認識を阻害し、楽々侵入は可能だろうが、如何せん熾輝は魔術を使えない。使えないが故にそれ以外の技術で補うのだ。
昇雲のオーラコントロール技術、白影の偽装技術、円空の神通力、これらの技術を統合し選別し複合させた熾輝の隠形は、例え相手がプロの魔術師や達人でも通用するとさえ師達に言わしめている。
警備員の横を素通りした熾輝は、その足で目的地まで歩を進める。標的は既に可憐の部屋の直ぐ傍まで迫っており、熾輝の足取りも自然と速度が上がる。
フロアの廊下、人通りが無い区画には、左右交互にドアが設置されており、その一番奥の部屋の中からは、彼のよく知る少女の気配が伝わってくる。
そして、その部屋の前、どす黒い悪意という名の気配を肌に感じる。しかし、そこには誰も居ない。
―――(姿が見えない。これは・・・固有能力?)
一瞬、自分の思い過ごしだったかと思ったが、今なお伝わってくる気配を前にどうしても自分の勘違いとは思えなかった。
普段であれば、熾輝は小さな魔力の気配ですら鋭敏に感じ取る事が可能だが、しかし、目の前の空間からは、魔力を感じ取る事が出来ない。だが、僅かに感じるオーラの気配が、敵が目の前に居ると教えている。
ならば、自分の感覚が正しいと仮定して、可能性があるとすれば、固有能力か魔術の何れかだと思い至った。
どちらにしろ、このまま何もしないという選択肢は、熾輝の中には存在しなかった。
そして、行動を起こそうとした熾輝の目の前で、
ガチャ
とドアノブが僅かに動いた事により、熾輝は確信をもって言葉を発した。
「そこは、立入り禁止です。」
熾輝の声と同時に、ドアノブに掛けられていた手を急いで離したのか、僅かに沈んだ取っ手は、元の位置へと戻り、その場を静寂が支配した。
「………そこに居るのは判っています。3つ数える間に姿を見せなければ攻撃します。」
熾輝の警告に全く反応を示せない空間、しかし、先程とは違って明らかに、気配の主からは動揺の色が視える。
「・・・いち、」
熾輝は腰を落として構えを取る。
「・・・にい、」
全身にオーラを纏い、いつでも踏み出せる準備を整える。
気配の主は、その場を一向に動こうとはしない。しかし、逃げるかやり過ごすのか迷っている様子で、今の熾輝の眼には、その変化する色がありありと視えている。
「・・・参!」
警告どおり、数を数え終わった熾輝は、躊躇することなく、見えない相手との距離を一足で潰し、踏み込んだと同時に拳を突き出した。
「ッ‼」
「・・・。」
熾輝の拳が敵の身体を捉え、確かな手応えを感じ取った。それと同時に、相手に触れた瞬間に魔力も確認できた。しかし、殴ったハズなのに音がしない。
てっきり、相手も反撃をしてくるかと思って身構えていたため、全力での攻撃はしなかったが、淳にとっては、それが幸運ともいえただろう。
「なるほど、触覚以外の五感の作用………いや、第六感すら認識困難にする魔術か。」
「………。」
何もない空間に話しかける熾輝。そして、返事は返ってこない。おそらくは、魔術を行使し続けているため、敵の声を聴くことが出来ないのであろう。
実際、熾輝の攻撃は、淳の鳩尾へと突き刺さり、軽く3メートル程吹き飛ばされた。現在は地べたにうずくまりながら悶絶している。
「通常、認識阻害は対象に影響を及ぼす魔術だ。だけど、彼方の術式は自身の存在…情報を外部に漏らさないと言う効果のもの。一見、多に対し自身という個に魔術を行使した方が簡単に聞こえるが、その実、幾重にも術式を重ね掛け、あるいわ高度に複雑な術式を行使しなければ、個が保有する情報量を隠す事は不可能だ。その点、多に影響を与える認識阻害の術式は至ってシンプルと言える。」
今なお呼吸もままならない状態の淳に、熾輝の言葉が耳に入って来るハズが無く、熾輝自身、自分の言葉に対し、答えが返ってくるとは思っていない。
熾輝は姿を隠したままの淳の元へ言葉を紡ぎながら、ゆっくりと歩みを進める。
「現代の術式と照らし合わせるならば、彼方が使っている魔術は、明らかに秘術に該当するものだ。だけど、いくら術式が素晴らしくても使い方を誤れば、魔術はその意義を見失う。そして、意義を見失った魔術は術者を暴走させ他を理不尽に気づ付ける。」
痛みに歪む淳の表情は、熾輝には判らない。しかし、痛みによって引き起こされた不安や恐怖の色は、はっきりと判る。
淳の視界には床と自分を攻撃してきた熾輝の足元が映し出されている。
―――(やばい、ヤバイヤバイヤバイ!なんだよコイツ、何で俺が見えている!?)
もはや淳の頭の中には、どうやってこの場から逃げるかという事ばかりが巡っている。
未だ淳を見下ろし続ける熾輝は動かない。それが返って淳に恐怖を与えていた。
意を決して、ゆっくりと顔を上げ、自分を攻撃してきた眼帯の少年の顔を覗い見ると、そこには、無表情に自分を見下ろす少年の顔があった。
その目は、まるで自分を虫かゴミ屑を見るような、そんな冷たいめだった。
そんな事を思われているとは知らない熾輝からしたら、「なんて失礼な。」と言いたくなるだろう。決して、熾輝が相手を見下している訳ではなく、ただ単に感情が薄い熾輝のこれが素なのだ。
「~~~ッ‼」
男は、背中に虫が這いあがってくるような悪寒を感じ、一目散にその場を逃げ出した。
逃げる道すがら後ろを振り向けば、自分を追うように少年も歩みを進めている。
その速度は、決して速い訳ではない。ともすれば、歩いているようにさえ感じる。しかし、お互いの距離が開くことは無く、付かず離れずの距離を常に保ったまま付けられている。
途中、エレベーターの前まできた男は、ボタンを何度も連打するも、一向に来る気配もない事に焦りを感じ、早々に諦めて、階段の方へと逃げ出した。
階段を一気に駆け下りて、地下駐車場へとやってきた淳は、出口を探すため、周囲を見渡すも、中々見つけ出す事が出来ない。
そうこうしている間に、淳を襲う少年の魔の手が直ぐ傍まで迫ってきていた。
「まさか、自分から人気の無い場所まで移動してくれるとは思わなかった。」
「っ!?」
声を聴いた瞬間、淳の肩がビクリと震え、ゆっくりと声の主へと視線を向ける。
「いい加減、姿を見せたらどうなんですか?言っておきますけど、僕に彼方の魔術は通用しませんよ?」
熾輝の言ったとおり、淳の異能をもってしても熾輝からは逃れられない。今も熾輝の視線は、的確に淳の居場所を捉えている。
「・・・姿を見せる気が無いのなら―――」
「ま、待ってくれ!」
熾輝の通告が終わる前に、諦めた淳が魔術によって隠していた姿を晒した。
「クソ、何なんだよお前は、何で俺の異能が通用しない?」
「そんな事は、どうでもいい。それより異能?・・・彼方は生粋の魔術師ではないのですか?」
「え?魔術?もしかして、俺の力のことか?」
―――(知らずに使っていたのか?・・・嘘は言っていないようだ。魔力の流れが酷く雑すぎる。)
この状況において男が白を切ろうとしているのかとも思ったが、熾輝の眼から見て、男の魔力の流れが、魔術師のそれとは大きくかけ離れていることから、何も知らずに魔術をつかっていたとも取れる男の弁明に嘘が無い事は直ぐに判った。しかし
「お、おい。何で急に黙るんだよ。俺は―――」
「彼方からは、何かとても嫌な気配を感じる。」
男の言葉を遮り、熾輝の眼は淳の中に居るもう一つの気配を捉えていた。
熾輝の言葉の意味が判らず、困惑する淳を無視して、熾輝は矢継ぎ早に言葉を投げかける。
「魔術を知らない彼方がどうやって魔術を使った?そして、それを使って何をしようとしていた?彼方は―――」
「ちょっと待ってくれよ、そんな次々に聞かれても判らねえよ!」
「・・・だったら、一つだけ答えて下さい。その魔術、いったいどうやって手に入れた?」
「えっと、数週間前、俺の携帯電話に送られてきたメールに魔法陣みたいなものが送られてきたんだ。その時から俺の異能が目覚めたんだ。」
男の答えを聞いた熾輝は訝しそうな目で男を見つめる。つまりは、男の言葉をまるっきり信用していないのだ。
「う、嘘じゃねぇよ!現にこの携帯電話を持っていなかったら俺は異能が使えないんだ!きっと、この携帯電話が俺の隠された力に共鳴してアーティファクトになったんだ!」
狼狽えながらも必死に説明する男は、ポケットにしまい込んでいた携帯電話を取り出そうと、手を突っ込んで、ごそごそと件の物を探し始める。
そんな男の様子を熾輝は肩を落とし、冷めた目で見つめている。
―――(現代科学の産物に魔術的力が宿るなんて聞いた事がない。なら、何でこの人は魔術を使えるようになった―――!)
未だ淳が言っていることが信じられなかった熾輝だったが、彼が取り出した携帯電話を見た瞬間、大きく目を見開いた。
「こ、これだ。この携帯電話の画像に魔法陣みたいな―――」
「今すぐそれをこちらに渡して下さい。」
「え?」
「聞こえなかったのですか?今すぐその携帯電話を僕に渡して下さい。」
先程までの落ち着いた雰囲気から一転して、熾輝は警戒を強め、即座に臨戦態勢に入り、男の方へ手を差し出した。
そのあまりの変わり様に、一瞬怯んだ淳だったが、しかし、彼にとって件の携帯電話がどれだけの価値を有しているのか、この時の熾輝はそれを見誤っていた。
「冗談じゃ無い!なんで渡さなきゃいけないんだ!これが無いと、俺は異能が使えなくなるんだぞ!」
「その力は、彼方の物じゃない。その携帯電話に憑りついているモノが彼方に力があると錯覚させているだけで―――」
「何を言っているんだよ!この異能は俺の物だ!俺の力なんだよ!」
熾輝の言葉に耳を貸そうとしない淳は、年甲斐も無く大声を出して拒絶の姿勢を続ける。
「そうか、わかったぞ。お前、俺のこの異能を自分の物にするつもりだな?」
「違います。その力は本当に危険な物なんだ。」
「嘘ついてんじゃねえ!お前等はいつもそうやって、俺から何もかも奪っていきやがる!俺が何をしたっていうんだ!みんな俺を馬鹿にしやがって!挙句、お前みたいな餓鬼からも馬鹿にされて・・・」
「僕は馬鹿になんて―――」
「―――ロ、シテ、ヤル」
己の不満をまき散らしていた淳は、突然大人しくなり、俯いた途端、唸るように黒い感情を吐き始めた。
「お前等なんか殺してやる。」
「・・・彼方は――」
男の態度にいい加減ウンザリしてきた熾輝は、哀れみを通り越して呆れたように溜息を吐く。
―――(ならば殺せばいい。)
「だ、誰だ!?」
「?」
突然、何者かと話すように淳が周りへと視線を巡らせながら問いかけている様子に熾輝は、不信感を抱くが、熾輝の眼には異変は映し出されていなかった。
―――(憎いのだろう、自分を馬鹿にする奴らが。)
「ああ、憎い!」
―――(ならば奴らにも同じ苦しみを与えてやればいい、そのための力が欲しいか?)
「欲しい。俺を馬鹿にした奴等に、俺と同じ苦しみを与えてやりたい!」
―――(では、我と契約を結ぶか?お前に今以上の力をくれてやる。)
「今以上の?本当か!?」
―――(ああ、どうする?)
「・・・考えるまでも無い。よこせ!そのための力を!」
淳が何者かに向かって叫び、何かを強要した途端、彼が手に持っていた携帯電話から突如、溢れ出した黒い物体が淳の顔面に張り付いた。
「ッ!~~ッ!」
「しまった!」
それは、ドロリとした液体の様で、淳の顔に張り付いたまま離れようとしない。息が出来なくなった淳は、何とかそれを引き剥がそうとするも、掴むことが出来ず、もがきながら膝を付いた。
そして液体が徐々にその体積を増やし、遂には淳を覆う程にまで増えた瞬間、彼の肉体へと溶け込むように消えていった。
「僕の失態だ、完全に憑かれた。」
熾輝は今更になって、今回のカラクリについて理解した。
種を明かすと、男の携帯電話に憑りついていたモノの正体は、魔導書を宿した妖魔だったのだ。妖魔は時間を掛けて土橋淳という男の精神を蝕み、自分が憑依できる準備を整えていた。
妖魔にとって憑依する対象にも条件があり、自分の存在を受け止めきれるだけの器を有していない者に憑りついても、共鳴が不完全で直ぐに払われるか、器と共に己が弱ってしまうかのどちらかになってしまう。
だから、妖魔は時間を掛け、土橋淳の精神を蝕み、自分に順応できるだけの共鳴率と器を完成させたのだ。
そして、熾輝の察知能力をもってしても妖魔の気配に気が付くことが出来なかったのは、妖魔と淳の共鳴率が完全に近いほどにリンクしてしまっていたため、気が付くことが出来なかったのだ。
いや、何か嫌な気配だけなら感じられていた。しかし、それが妖魔の物であるのかが判らなかったのだ。
「・・・・・・あぁ、いい具合だぁ。」
倒れていた淳は、とこか落ち着いた様子のまま、ゆっくりと立ち上がり、自分の身体の調子を見るように、身体の細部を動かし始めた。
その身体は、先程までの痩せ細った体格からは想像も出来ない程に膨張し、肌がそれとなく浅黒く変色していた。
「ふはははは、これが俺の真の力か!いいぞ!力が漲ってくる!今なら誰にも負ける気がしない!」
淳は天を仰ぎ見ながら、己の中にある力に歓喜した。そして自身を覆う力が己の意志通りに動く事に気が付く。
「これは・・・そうか、身体エネルギーみたいなものか。お前の身体からも出ているのが、今の俺には分かるぞ?」
「一応聞きますが、大人しく払われる気はありませんか?」
「払う?何を言っている。真の力に目覚めた俺を止められると思うのか?」
「・・・もう、面倒なので、払わせてもらいます。」
元々、正常な判断力を欠いている目の前の男に熾輝の言葉は届かない。尚も男に宿った力が自分自身の物だと信じて疑わない淳は、力に酔ってしまっている。
「ふははは、来るがいい、手始めにお前を血祭りにした後は、乃木坂可憐を犯して―――っ!」
淳が言葉を言い終えるより先に、彼は言葉を失い、思わず息を飲んでしまった。
「乃木坂可憐を、何だって?」
先程まで相対していた少年は、力を手にした淳にとって、大した相手ではない、そう思っていた。
自分と同じような力を持っているからといって、相手はまだまだ子供、実際、淳と同じように身体から出ているエネルギーは自分よりも少なく、身体能力も子供と大人とでは雲泥の差がある。
しかし、そんな理屈は目の前の少年と実際に相対してみて、一瞬で吹き飛んでしまった。
目に見えるエネルギーの量が変わったわけでもなければ、何かの能力を使っている訳でもない。
なのに、淳は息をすることも忘れて、目の前の少年から視線を外す事が出来ないでいる。
少年の雰囲気が明らかに変わり、たかだか子供の気迫に飲まれてしまった。臆してしまった。だが、そんな事は判っていても、力を手にしてなお、自分の思い通りにならない事が、自分より優れている者が居る事が許せなかった。
だから彼は、悪魔に身も心も奪われる事となってしまったのだ。
「クッ!どんなに凄んでも、所詮は子供!ひと思いに捻りつぶしてやる!」
力を手に入れた淳は、その場を駆け出して熾輝へと距離を詰める。
腕は、まるで丸太の様に肥大化しており、血管がビクビクと脈を打っている。
腕を伸ばせば届く距離まで近づいた淳は、その異様な腕を一気に熾輝めがけて振り下ろした。
「喰らえ!破壊拳!」
男の魔手が熾輝を捉える瞬間、熾輝は攻撃を掻い潜り、淳の力を逆に利用するようにして、背負い投げを決めた。
「ガッ!」
背中と頭部が固いコンクリートの地面に激突すると同時に鈍い音を立てる。
受け身すら取れなかった淳は、肺の中の酸素を一気に吐き出してしまう。
自然と見下ろされる形となり、淳と熾輝の視線が交差する。
「~ッ!痛ってぇなああああ!」
すぐさま体制を立て直し、再び極太の腕を振るう。しかし、淳の攻撃は空を切り、軽く身を逸らしただけの熾輝の目の前を虚しく通過するだけだった。
「ぐっぞおおぉぉ!何で当たらない!」
その後も何度も熾輝に攻撃を仕掛けるも、あっさりと躱されてしまう。
「・・・そんな攻撃、一生掛かっても僕に当てる事すら出来ない。」
「ハァ、ハァ、何、だと!」
繰り出されていた攻撃が止む。
気が付けば、淳は肩を激しく上下させ、息を荒くしていた。
「もう、終わりですか?」
下から自分を見上げているハズの子供、しかし、今の状況は、明らかに自分が下に見られていると男は感じると同時に、この少年に恐怖を抱いていた。
「今度は、僕から行きます。」
「ハァ、ハァ・・・・・ッ‼」
男の腹部に激痛が走る。
気が付けば少年は、元居た位置から移動し、拳を淳の鳩尾にめり込ませていた。
「オエエエエッ‼」
今まで経験した事のない痛みに、顔が苦痛に歪み、額からは脂汗が流れ出す。
腹部を押さえ、胃から競り上がってくる物を必死で耐えようとするも、あまりの嘔吐間に、胃に収めていた物を吐き出してしまった。
熾輝の動きは決して速かった訳ではない。実際、淳には熾輝の一連の動きが確かに見えていた。
―――(なのに、どうして避けられなかった!?)
「お、お前、何をした!?」
「ただの正拳突きですよ。」
「違う!そうじゃない!お前の動きは確かに見えていた!それなのに、どうして俺は避けられなかった!?もしかして、異能を使ったのか!?」
ここへ来て、ようやく熾輝にも男の言いたい事が理解できた。
最初は、熾輝の繰り出した技について問われていると思っていたが、彼が言いたかったのは、それ以前、熾輝の移動術だ。
「普通に間合いへ踏み込んだ。それだけですよ。」
「嘘を付くな!だったら何で俺は避けられなかった!」
「・・・それが武術というものだからです。」
「武術だと?」
「はい。武術には攻撃を繰り出す際、お互いの呼吸を読み合い、動へと移るんです。目で捉えていても、上手く呼吸を読む事が出来れば、隙を突く事ができ、身体が反応出来ない。その点、彼方の呼吸は凄く読みやすかった。だから―――」
自然に出されて蹴りを淳の側頭部で寸止めをする。
まるで、「避けられないでしょ?」とでも言っているかのように。
呼吸を読む、口で言うのは簡単だが、実際それを実践できるようになるまでに途方もない修行が必要になる。
実際、熾輝も幼少のころから繰り返し師匠達から言われ続け、ようやっと、それが理解出来るようになってきたが、それでも武の嗜みがある者を相手にした時に実践出来るのは、余程調子がいい時だけで、相手が武術未経験者である淳だったからこそ実戦で使えたのだ。
「ハァ、ハァ、なるほど。・・・だけど、これならどうだ?」
「?」
言った瞬間、熾輝の眼の前から淳の姿が消えた。
―――(はは、これならお前の言う呼吸とやらは読めないだろ?)
淳の魔術は、術者だけでなく、音や匂い等も隠すもの。だから目で見えない淳の呼吸は熾輝には読み取れないと踏んだのだ。
魔術を発動させた淳は、すぐさまバックステップで距離をとり、熾輝の手の届かない位置へ移動すると、熾輝を中心にゆっくりと回り始めた。
―――(こいつは、俺の姿が見えている訳じゃないのは、奴自身が言っていた。てことは、俺の位置を何らかの方法で掴める程度、なら見えない攻撃には対処できないはず!)
実際、淳の予想は当たっていた。
確かに熾輝には淳の位置を把握する事は出来るが、淳の動きが判る訳ではない。
―――(これで形勢逆転だ!)
魔術によって姿を消した淳ではあるが、それでも熾輝に対し、並々ならぬ恐怖を感じていたことから、その背後へ静かに忍び寄ると、今度こそ、自身の全力の攻撃を熾輝へと放つ。
しかし、
―――(な!?)
振り下ろされた淳の拳は、熾輝を潰すことなく、頭上で受け止められていた。
「確かに、今までの僕だったら、姿を消した彼方の攻撃はおろか、存在を認識することも難しかった。」
―――(ッ‼)
攻撃が見えている訳ではない、姿が見えている訳ではない、なのに熾輝の瞳は確実に一瞬だけ淳の目を捉えていた。
―――(見えている!?いや、見えている訳じゃない。偶然だ!)
淳は、再び熾輝の死角へ回り込み、続けざまに攻撃を放つ。
しかし、それでも熾輝へ決定打を決める事が出来なかった。
―――(ど、どうなってるんだ!?なんでコイツは攻撃を防げる!?)
幾度となく攻撃を繰り返す中、次第に自分の理解を超える熾輝という存在に対し、淳はパニックを起こし始めた。
そんな混乱する思考の中、熾輝の声だけが明瞭に響き渡る。
「今までの僕なら、多分、乃木坂さんがお前に襲われても、何とも思わなかったかもしれない。」
言葉を発する最中も淳はひたすらに攻撃を繰り出すが、それを読み取って、熾輝は防御を続ける。
「だけど、何でかな?お前が乃木坂さんを襲うと判った時から酷く腹が立ってしょうがない。」
次第に膨れ上がっていく熾輝のオーラは、淳が纏う黒い物とは比べ物にならない程の規模となっていく。
「お前が乃木坂さんを襲う理由は、正直どうでもいいし、聞く気もない。だけど、頑張っている女の子の夢を、心を、身体を、劣情を満たすだけに汚そうとしたお前を許す訳にはいかない!」
『な、何も知らないお前が、勝手なことを言うなああああぁ!』
魔術を発動している淳の言葉は熾輝には聞こえない。しかし、明らかな敵意を持った心の色がより激しく変化した瞬間、淳は文字通り、今、己が持ちうる全力の力で熾輝に攻撃を放った。
だが、攻撃が熾輝を捉える事は決してない。
何故なら、熾輝が淳の心の色を読み取った瞬間、彼もまた己の技を繰り出したのだから。
「心源流、螺旋気流脚!」
【心源流・螺旋気流脚】
身体を回転させながら放つ事により蹴りの威力を上げ、敵が上昇気流に乗るかのように天へと昇る姿から名づけられた技。しかも、相手の攻撃に合わせて身体を回転させて放つことにより、攻撃を受け流し、流した攻撃の力で回転力に更なる力が加わり、敵は自分の攻撃の威力を上乗せする形で技を喰らうという恐るべきカウンター技である。
もっとも、心源流の本家本元、昇雲が放つこの技は、相手の首だけがそのまま跳ねられ、首だけが遥彼方の天へと昇り、戻って来ないらしい。戦争時代、首だけが無くなった兵士の死体を見た敵国は、震え上がり、「ハラキリ!クビキリ!」と夜な夜なうなされ続けたという逸話があるらしいが、ここでは割愛する。
熾輝の蹴りが見えない敵の顎を撃ち抜き、頭を跳ね上げられた淳は、意識ごと刈り取られ、そのまま弧を描くように後方へと飛ばされて倒れ込むと同時に、魔術が解除され、その姿を晒したが、それで終わりではなかった。
「本当にしつこい。」
目の前の状況に肩を落とす熾輝を前に、気絶したままの淳が立ち上がった。
がしかし、今度は選手交代のようだ。
明らかに白目を向いている淳に憑りついている物は、白目のまま熾輝を睨みつけている。
「あれだけ僕のオーラを喰らっても尚も健在か。・・・やっぱり、憑りついているせいで、妖魔本体に与えられるダメージが少ないのか。」
熾輝は軽く溜息を吐くと、再び妖魔へと向き直り構えを取る。
すると、熾輝の構えに反応するように妖魔もまた、警戒を強め、赤黒い魔力の発光が始まった。
魔術発動の兆候である。
『ワアアアアアア!』
熾輝と妖魔が睨み合っている最中、地上から聞こえてくる歓声が二人がいる地下駐車場に振動を伝える。
「どうやら、ライブは無事に始まったようだね。」
『グギギガギゴギギギィ』
妖魔にとって既にそんな事はどうでもいいのか、今は目の前にいる敵にしか興味が無いという石が伝わってくる。
「悪いけど、これで終わらせる。僕も彼女の歌を聞いてみたくなったからね。」
構えをとっていた熾輝の両拳にオーラが集中すると同時に、妖魔の姿が虚空へと消える。
「だから、僕には通じないと言っている!」
熾輝の眼はハッキリと妖魔を捉えており、一息で移動を始めた妖魔との距離を潰す。
そして、妖魔は熾輝の両の手に宿るオーラから先程待てとは違う危機感を覚えていた。
「天地波動流・初伝・波動拳!」
突き出された拳は、インパクトの瞬間に開かれ、掌底を淳の身体に当てる。
瞬間、淳と一体化していた黒い物体が引き剥がされるように、淳を置き去りにして後方へと押し出された。
しぶとくも、押し出された妖魔はウネウネと動き、新たなる宿主を探しているのか、職種のような物を身体から出し始めている。
「言ったでしょ、これで終わりにするって。・・・天地波動流・熾輝ノ型」
空中で蠢く妖魔は宿主を見つけ出す事が出来ず、攻撃態勢に入った熾輝へと標的を変える。あわよくば熾輝の身体を乗っ取り、新たなる宿主とするために。
しかし、それは悪手である。
妖魔が構えをとった熾輝の元へと距離を詰めている最中、既に少年の準備は整っていたのだから。
妖魔が熾輝の間合いに入った直後、熾輝の拳が突き出され、吸い込まれるように妖魔へと直撃する。
「破邪拳聖」
熾輝の拳が妖魔を捉えた瞬間、妖魔の内側から眩い光が漏れ出し、妖魔は暴れ狂いながらその身を浄化され、消滅してしまった。
【天地波動流】とは、剣の師である五月女清十郎の剣技である。天と地に存在する全ての物には波動と呼ばれるものが存在し、その波動を支配する事こそがが天地波動流である。
また、この流派は剣術であるが、熾輝は剣術に限らず全ての武術に応用を聞かせている。先に放った【波動拳】は、敵の波動と合わせる又は、相反する波動を作り出し打ち出す技。
今回の場合、憑りついた妖魔の波動に対し、相反する波動を打ち出す事により、淳にダメージを負わせることなく、憑りついた妖魔のみを引き剥がしたのだ。
そして、二撃目の技は、波動流に熾輝のアレンジを加えた技。本来波動流は相手に合わせて波動をコントロールする技であるが、熾輝は、あらゆる物の波動を記憶し、模倣することによって、その場に無い波動を造り上げる事により、先頭の幅を広げている。
【破邪拳聖】は、アリアの波動を模した物であり、彼女が杖形体のときに放つ破邪の光は、邪気などの妖魔にたいし絶大な威力を発揮するため、熾輝はその波動を己の技に組み込んだのだ。
消滅した妖魔が居た場所には、蠢く魔法式が滞空していた。
「やっぱり、ローリーの魔導書だったか。」
状況から判断して、目の前の蠢く術式は、今まで何度か封印してきた術式の法則と一致していることから、それがローリーの書に記載されていた魔法式である事が一目で判った。
熾輝は、蠢く文字を己の魔力で覆うと、持っていた予備の白紙状態の札へ文字を転写させ、最後に封印尾ための術式を書き込むと、大気のモナを術式に染み込ませるようにして封印式を起動させた。
「・・・。」
急造の封印式で封印を完了させた熾輝は、その場で一人、佇んでいた。
今回の一件、熾輝は明らかにいつもの自分とは違う行動をとっていた。
偶然拡張された探知の能力、それに合わせて感じ取った悪意の気配、普段の彼であるならば、きっと、捨て置いてもおかしくなかった。
しかし、気が付いたら身体が勝手に動き、足が可憐の元へと向かっていた。
そして、極めつけは、先程の言葉―――「腹が立つ、許さない」
決して意識して言った言葉ではない。
自然と口から出てきたのだ。
そんな自分の心情に熾輝は僅かながら戸惑っていたのだ。
「・・・。」
『―――――――ッ!』
地上からは、観客の声援が再び聞こえてきた。
今も倒れている淳の姿を一瞥すると、熾輝の足は、ゆっくりと駐車場出口へと向かい、ライブ会場へと歩を進めるのだった。
次回は7月12日火曜日、午前8時投稿予定です。




