第六七話【異常事態Ⅳ】
イベント会場の控室では、今日の主役である少女が鏡の前で、振り付けの確認を行っていた。
今まで何百回、何千回と繰り返してきた動作だが、本番で十分な力を発揮できるのか不安でしょうがない様子だ。
息を荒げ、額には大粒の汗が浮かんでおり、真剣な顔で鑑の中の自分と向き合っている。
普通であれば、誰かが止めに入るべきなのだろうが、今、この部屋には彼女しかいない。
不意に、ピタリと動きを止めて息を整える。大きく鳴り響く自分の鼓動が今に限っては、酷く五月蠅く聞こえてくる。気が付けば、手も足も小さく震えており、それだけで、今の自分の状態が普通でないと分かってしまう。
それは、緊張と不安、そして失敗を考えた時の恐怖。それらの感情が彼女を襲っているのだ。
「・・・・咲耶ちゃん、恐いよぉ。」
消え入りそうな声で少女は、親友の名を呼ぶ。
いつも自分の隣にいてくれて、夢を応援し続けてくれた友人が、今はこの場にはいない。
不安を紛らわせようと体を動かしてみたが、一向に不安を拭うことが出来なかった。
「弱気になっちゃだめ、頑張れ可憐、貴女は出来る子でしょ。」
暗示を掛けるように自分に言い聞かせる。
ギュッと両手を握り込み、再び鏡の前へと移動しようとしたその時、彼女の携帯の着信音が流れ始めた。
手に取って、画面に表示されている名前を見た途端、思わず笑みがこぼれ、電話にでる。
『も、もしもし、可憐ちゃん?』
聞きなれた少女の声だ。
「咲耶ちゃん。」
『あ、よ、よかった。本番前だから連絡が取れるか不安だったんだ。』
いつも通りオロオロとした喋り方で咲耶は、言葉を紡ぐ。
『えっとね、可憐ちゃん大丈夫?不安じゃない?恐くない?』
自分を心配する友人の声、可憐はその少女の声が好きだ。
『もしも、大丈夫じゃなかったら、今すぐそっちに行くよ!』
「・・・ふふ、大丈夫ですよ。それにここは関係者以外立ち入り禁止なので、警備の人に止められちゃいますよ?」
『止められても行くもん!友達が困っているなら、何処へだって駆けつけるから!』
「咲耶ちゃん・・・」
友人の言葉を聞いて安心したのか、先程までの緊張や不安と言った感情が一気に吹き飛んでいくのを感じた。
「有難うございます。咲耶ちゃんの声を聞いたら、緊張なんて吹き飛んじゃいました。」
『本当に?』
「ええ、・・・咲耶ちゃん、大好きです。」
『わ、私も大好きだよ!』
お互いが電話越しに表情を崩している姿が手に取るように判ってしまう。電話向こうでは、アリアが『さ、咲耶っ!今誰に告白した!?熾輝か?熾輝に告白したのか!?アイツめぇ、私の咲耶によくも手をだしたなぁ。』『ち、違うよ!何で熾輝君!?相手は、ごにょごにょごにょ』『言い淀むとは増々怪しい。』等という声が聞こえてきた。
因みに咲耶が言い淀んだのは、会場で可憐と電話をしていると周りにバレてしまった際の色々なリスクを考えたが故である。
「ふふ、ライブ、楽しんでくださいね。」
今も電話向こうでオロオロした咲耶の声が聞こえていたが、一言だけ伝えると可憐は通話を切った。
「・・・よしっ!」
その表情には、先程までの怯えは一切存在しない。
適度な緊張が自身を奮い立たせ、やり遂げて魅せる(・・・)という強い意志が少女の瞳に灯る。
緊張が解れたおかげで、周りを見る余裕が生まれたのか、鏡に映った自分の顔を見て思わず固まってしまった。
大量に流れ出る汗のせいで、自身の姿が乱れに乱れているのだ。
時計を見れば十分な時間があったため、直ぐにシャワーを浴びて着替えようとしたその時、控室の扉がゆっくりと開かれた。
◇ ◇ ◇
男、土橋淳は会場入りする前から姿を隠してイベント会場へとやってきていた。
姿を隠して都は、彼が最近になって手に入れた【現実逃避】という異能の力のことだ。
この能力は、生物及び機会に自分の姿を映し出さない様にし、声や臭い等といった自身から発生する音等を外部に漏らさないようにする力だ。
そして、淳はこの能力を使い、これから復習を行おうとしていた。
「くくっ、いよいよだ。俺を酷い目に遭わせた非公式ファンクラブの連中め、みてろよ。お前らが大切にしている乃木坂可憐をあられもない姿にひん剥いて、その姿を会場中に晒してやんよ。」
男の目は血走り、目の下にはクマが濃く浮き出ている。頬がこけ、顔色もあまり宜しいとは言えない。
もともと肥満体だった体も、ここ2週間程で劇的に痩せ細り、知り合いが今の彼を見ても「誰?」と判らなくなっているだろう。
会場運営委員や可憐が待機しているのは、会場の直ぐ脇にあるデパートのフロアを借り切って設営されている。
もちろんフロアの入り口には警備員が常時待機しているため、関係者以外が立ち入る事は出来ない。
しかし、今の淳にとっては関係の無い事だ。
能力によって警備の者や運営委員達は、彼を見る事が出来ない。
したがって、淳は邪魔なその他大勢を素通りして可憐の控室へと一直線に向かった。
「さて、この日になるまで色々と考えたが、やっぱり乃木坂可憐を裸にひん剝いてから犯す!その後は、俺が抱えてステージに放り込む!ああぁ、今から奴らの顔を想像しただで勃起しそうだぁ。」
汚い感情をそのまま口に出し、男は遂に可憐の控室に到達した。
その手がゆっくりとドアノブに触れ、僅かにノブを回したとき、男は予想だにしない出来事に表情が固まった。
「そこは、立入り禁止です。」
「っ!!?」
見えているはずがない自分に声を掛けてくる者が居る。淳は恐る恐る声が聞こえた方へと顔を向ける。
まるで油の差してない錆びついた機械の様にギギギと聞こえてきそうな動作で、声の方を振り向くと、右眼に眼帯を付けた少年が立っていた。
次回は7月4日午前8時投稿予定です。
 




