第六一話【神様の依頼Ⅷ】
熾輝達が現実空間に帰還した後、その足で法隆神社へと向かう事となった。本当なら、日も沈み始めた時間だったので、熾輝としては自宅に帰り、葵の食事の準備をしたり掃除をしたりと色々する事があったのだが、葵に咲耶達の面倒を見てくれと頼まれた手前、こっちの方も無碍にする事が出来ず、渋々と神社に戻る事にしたのである。
そして、神社に戻った熾輝達を出迎えた宮司は、燕の無事を確認して安堵の顔を浮かべていた。
そもそも、彼等が件のデパートへ赴けなかったのには理由がある。それは、神使である彼等は、仕える神の元を離れる事が出来ないのだ。
現在、法隆神社の神である真白様は、妖魔との闘いで汚れをその身に受けてしまい、力を弱めている状態にある。
だが、神社という聖域にある御神木の中で休息を取ることによって、徐々にその力を取り戻そうとしていたらしいのだが、真白様が封印している魔導書の力が強すぎて、徐々にその力を弱めている。
「さて、此度の一件、真白様に代わり礼をいう。」
神社の客間に熾輝達を通した神使の長であるコマが少年少女達に頭を下げる。
子供に頭を下げるその姿は、傍から見ればなんとも情けないのだろうが、折り目正しいその所作はとても優雅で、視る者も思わず息をのんでしまう美しさが存在していた。
「御礼の言葉、確かに頂戴しました。」
「は、はい。どういたしましてです。」
二人が揃って、コマからの俺を受ける後ろで、アリアと可憐がその様子を微笑まし気に見つめていた。
「アリアさんも働いたのですから、咲耶ちゃんと並んでお礼を受ければよかったのでは?」
「私はいいよ。私の分は咲耶が代わりに受けてくれれば十分よ。それに、今回の魔導書封印のヒントは可憐が与えたんだから、可憐もお礼を受ける資格が十分にあるんだよ?」
「ふふ、私は何もしていません。たまたまお話ししていた内容から熾輝君が作戦を思いついただけですし。」
「子供が遠慮するもんじゃないと思うけどなぁ。」
「あら、謙虚は日本人にとって美徳ですよ。」
などという会話を二人が繰り広げていた時、燕がこの場に居なかったことに咲耶が気が付いた時だった。
「コマさん!大変!真白様が!」
巫女服に着替えた燕が血相を変えて駆けこんできた。
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燕に言われるがままに真白様が眠っている御神木の前にやってきた一同は、その大樹の変貌に愕然としていた。
昼間まで、存在感を主張していた大樹からは、殆ど生気が抜けてしまい、葉が枯れ落ち、今にでも大樹の命が尽きようとしていたのだ。
「これは⁉どうして急にこんなことに……」
先程、熾輝達が神社へやってきた時、大樹はこれ程までに弱ってはいなかった。汚れを受けた髪をその身に宿している以上、大樹にも少なからず影響が出ていることはコマ達も知っていたはずだが、それでも急激に力を失う大樹の状況は異常であった。
「このままじゃ、真白様が消えちゃう。」
「馬鹿な!確かに汚れを受けた真白様を降ろし、生命力を弱めていたが、それでも一定量の力を取り戻しさえすれば、問題なく大樹も真白様も生気を取り戻すはずだったのだ。」
コマの話から察するに、真白様を降ろした大樹に少しずつ汚れを浄化させるが、その際どうしても大樹にも汚れが移ってしまう。しかし、大地から生命力を吸い上げる大樹は、その汚れを少しずつ外へと逃がすと同時に体内で浄化をしていたと言う事だ。
そして、ある程度の浄化が終わり次第、双方の力で汚れを一気に浄化し、真白様も大樹も本来の形に治まるという計画だったのだろうと熾輝は、宮司の話から理解していた。
しかし、状況が思わぬ方向へ行った事によりその計画は破たんしてしまい、今の状況を造り上げた。
―――――――コマさん達がとった浄化の方法は正攻法で何の問題も無いはずだ。なのに何で?何が起きた?何が………もしかして。
「もしかして、デパートの一件が原因か?」
「何?どういう事だ?」
熾輝の発言に反応したコマが理由を聞こうと少年に詰め寄った。
「頼む、何か心当たりがあるのなら言ってくれ。」
「……確証はありませんが、おそらくデパートの妖魔を倒し魔導書を封印したため、あの場に吹き溜まっていた気が一気に龍脈に乗って流れ始めたのが原因かと、あそこは街の鬼門でもありましたから。」
「鬼門……そうか、妖魔によってせき止められていた邪気が一気に流れ込んだせいで、大地が浄化しきれなかった汚れが街中に流れてしまったのか!」
「おそらく、街全体に流れている龍脈はそう大した規模ではないから、時間と共に浄化されるでしょうけど、此処は龍脈が太く、流れてくる気の量も他とは比べ物になりません。」
「だから、龍脈の影響で御神木がこうも劇的に弱ってしまったのか。」
今なお消え入りそうな大樹の生命の灯は、弱弱しいが、それでも神を必死に守ろうともがいている様にも見える。しかし、その足掻きも次期に終わりを告げてしまうことは、この場に居る誰が見ても明らかだった。
「ぃやだよ。嫌、死なないで真白様、約束したでしょ?私たちを見守ってくれるって、お母さんが死んで、真白様まで死んだら、私どうしたらいいの?このままだと、コマさんや右京も左京も居なくなっちゃうよぉ。」
「燕ちゃん……。」
いつも明るく振る舞っていた燕が消え入りそうな声をだして、泣き崩れる姿を見た咲耶達は、胸を締め付けられる思い出、燕の元へと寄り添った。
コマと、いつの間に現れたのか右京と左京も、この事態に対し、ただ悲痛な表情を浮かべ、燕を抱きしめ寄り添ってやることしか出来ないでいる。
「燕すまない。もう、どうにも出来ないんだ。」
コマの宣告は、少女の心を抉るには十分な威力を孕んでいた。
「いやよ、いやぁ」
「燕ちゃん」
泣き崩れる燕に寄り添っていた咲耶と可憐の二人も、一緒になって涙を流し始め、ただ時間だけが虚しく過ぎていく。
そんな少女達の状況を熾輝とアリアは何も言わず黙ってみている事しか出来なかった。
「誰かが居なくなるってさ、凄く辛いんだよね。」
不意にアリアが漏らした言葉は、彼女が生きてきた人生を感じさせる重みが含まれていた。
「ねぇ、本当にどうにも出来ないのかな?」
きっと、彼女も諦めたくはないのだろう。僅かな時間でも一緒にいた人の悲しい顔を見る事に耐えきれなくなったアリアの一言は、どん底に突き落とされていた燕の耳にも入っていた。
そして、顔を上げた燕と熾輝の視線が交わると、絞り出したような声で燕が熾輝に言葉を紡ぐ。
「熾輝君…………お願い、助けて。」
燕の言葉にその場の全員の視線が熾輝へと向けられる。
――――――――勘弁してくれ、僕にそんな事ができるはずが無い。
少女の救いを求めるような声に、しかし熾輝は答える事が出来ない。
少年は、視線を逸らし、歩を進める。
――――――――無理だ。何で皆して僕を見る?
今、この場を離れれば、少女と顔を合わせても婿に来いと言われる事は無くなるだろう。
熾輝にとっては、余計な事柄が一つ消えるのだ。
――――――――燕は知るべきだ、辛い現実でも受け入れなきゃいけない事を。……だけど
燕の元まで来た熾輝は、泣き腫らした顔を自分に向ける彼女を見下ろしている。
――――――――何なんだ、この気持ちは。……胸が…熱い!
膝を付いた熾輝は、少女に諦めさせる言葉を口にしなければ、目の前の女の子は、これから前には進めない。
きっと、それが正しい事なのだと考えている熾輝は、師の教え通り、正しき道を彼女に照らす。
燕も無理な事を言っているのは、分かっているのだろう、目の前の少年を困らせてはいけないと思い、一言「ごめん」そう口にしようとしたとき、先に声を掛けたのは、熾輝の方だった。
少女の肩を掴み、それでいて優しく温かい感覚が少女に伝わる。
「燕、僕の全身全霊を掛けて君と君の大切な人たちを守って見せる。」
感情という名の胸に宿る熱い何かが、少年を突き動かした。




