第五話
大地に吹く風が死臭を運ぶ。強烈な匂いに吐き気を覚えずにはいられなかった。辺りを見渡せば肉塊となった元生物がゴロゴロと転がっている。そして、目の前には、先程まで自分達を殺そうとしていた男が文字通り真っ二つになって横たわっている。
切り捨てた男は、自分に背を向け、盗賊団と向き合っている。男の身体からは激流とも言える程のエネルギーが噴き出し、それを目の当たりにした他の盗賊達は警戒を強めている。
「どうした、逃げないのか?」
まるで相手が逃げることを前提で話をしている男は、一歩、また一歩と歩を進めている。
つられる様にして、盗賊団は一歩後ろへ下がった。一体どれ程のプレッシャーが彼らを襲っているのかは分からないが、先ほどまで奴隷商人達を蹂躙していたはずの彼らの表情には、ハッキリと苦悶の表情が覗えた。
「逃げないのかだと?…てめぇっ!この数を相手に本気で勝てると思っているのか!?」
その通りだ、盗賊団の数は大雑把に数えても30人は超えている。そんな数の暴力にたった一人で…しかも、人間であるはずの男が勝てるはずがないと、新も思っていた。
「ほう、たったの30人程の烏合の衆が俺に勝てると本気で思っているのなら、お前たちは、よっぽどの馬鹿か、ただの馬鹿だな。」
その瞬間、盗賊たちの表情は、苦悶から怒りの表情へと変わり、男と同じように全身からエネルギーを発し始めた。
「ただの人間が!腕に覚えがあるからって調子に乗るな!」
瞬間、目にも留まらぬ速さで、3人の盗賊が男に対して肉薄した。まさに一瞬だった、新の目からは、あっという間に3人の盗賊が男の目の前に現れたようにしか見えなかった。その瞬間、殺されると思ってしまったのは、仕方がない事だった。
しかし、そんな思い込みも次の瞬間には、覆ることとなった。3人の盗賊は、自らが持つ武器を振りかぶった攻撃態勢の状態で、男をそのまま通過し、倒れこんだ。3人の盗賊はピクリとも動かない。それもその筈、3人とも胴から下が身体と切り離された状態で絶命しているのだから。
攻撃はそれだけでは終わらなかった。いつの間にか男を取り囲んでいた盗賊たちは、一斉に飛び掛かっていた。その瞬間、男も動いた。距離にして約5メートル程を一瞬にして移動し、盗賊一人を通り過ぎたと思った時には、盗賊の頭が地面へと転がり、また、男の身体が左右に振れたと思った後には、右方で盗賊数人の胴体が切り離され、左方でも同じような現象が起こった。
新には男の動きは疎か盗賊の動きさえ追えていない。しかし結果から見れば男が盗賊団を圧倒していることは、火を見るよりも明がだ。一瞬にして数体の屍が完成された事により、盗賊達も焦ったのか、先程まで目にも見えない速さで動き回っていた彼らは足を止めた。
しかし、相手が足を止めたからと言って、男も足を止めるとは限らない。彼らが足を止めている間にも一人、また一人と地面へと倒れこんでいく人数が増えていくだけである。倒れた者の死体の刀傷は縦に切られたり横に切られたり斜めに切られたりと様々であるが、全ての死体に共通して、彼らは皆完全に切断された状態で絶命しているのだ。
「ちくしょうっ!何なんだよコイツは⁉」
「やべぇぞ、もっと距離を取れ!そいつの間合いに入るな!」
混乱する盗賊団を無視し、男は電光石火の動きで死体を造り上げていくが、そこに割り込んできた影によって、男の動きがようやく止まった。
「やれやれ、たかが人間が随分調子に乗ってくれたな」
気が付けば、男は一人の妖怪と鍔迫り合いをする形で睨み合っていた。妖怪は2メートルはある巨体と己の身長より大きな剣を両手に持って、ジリジリと男を押し始めた。
「頭!」
「馬鹿どもが、もっと頭を使え。律儀に相手の土俵で戦おうとするな。」
頭と呼ばれた男が盗賊団に声を掛けたとたん、落ち着きを取り戻したのか、何人かの妖怪たちは、自らの背中に生えている羽を羽ばたかせ、上空へと飛行を開始した。
「人間にしては中々の力だが、所詮は人間レベルだな。それに、ここからが我らの本領発揮だ。」
「へぇ、一体何が変わったのか、教えてもらおうか。」
その言葉を皮切りに、男の包囲陣形を再び完成させた盗賊団から、二人の妖怪が音もなく男の背後に一瞬にして接近した。
男も先程とは状況が違うためか、動くことが出来ない。しかし、そんなことは関係無く、男の首目がけて白刃が左右から迫り、あと僅かでその首に到達するというギリギリのタイミングで、身をかがめ、盗賊団頭の股下を滑るようにして抜けて、大きく距離を取り、再度迫ろうと足に力を入れた時、男を包囲するため待機していた妖怪からエネルギー弾が放たれた。
気が付けば、上空と地上の全方位から放たれたエネルギー弾に対し、回避は不可能であった。しかし
「悪くない攻撃だが、一箇所だけ穴があるんじゃ意味が無い。」
全方位からの攻撃といえども自分達の仲間、特に族の頭がいる射線上には必然的に攻撃は出来ないため、そこに出来た退路を男は地面を蹴って駆け抜ける。
「「馬鹿め、誘い込まれているとも知らずに来るとはな!」」
先程まで男の首を切り落とそうと背後から攻撃を仕掛けてきていた妖怪二人は、頭と男の間で待ち構えており、既に攻撃態勢に入っていた。
「このタイミングなら俺達の方が早い!」
「速さに自信があるお前でも、この攻撃は迎え撃つことは不可能だ!」
前方には既に攻撃に入っている妖怪が二人と、その後方には大剣を上段に構えている頭が、男を待ち構えていた。このまま自分の刀の間合いに入って攻撃しても、相手の攻撃の方が圧倒的に早いため斬られるのは必至。かといって周りには男に向けられて放たれた攻撃が迫っているため、停止も回避も出来ない。
あえて前方の二人の攻撃を多少は受けつつ反撃するのも不可能ではないが、その後方で、上段に構えている頭の剣だけはどうしようもない。今もその剣には、おびただしい程の妖気が蓄えられているため、少しでも前の二人に足止めを食らえば確実にやられる。
だが男は迷うことなく前方の二人に対して刀を振りぬいた。自らが握る刀の間合いの遥外でだ。
「血迷ったか!そんな間合いが届くはずっ、がぁ⁉」
前方で男を待ち構えて、攻撃態勢に入っていた二人の妖怪の頭半分が、横一文字に切られ、そのまま男の道を開けるように、二人はそれぞれ左右に崩れ落ち、間を一気に駆け抜けた瞬間、盗賊団頭の大剣が振り下ろされた。
(飛ぶ斬撃とは恐れ入ったが、ここまでだ。)
前方の二人を切るために振りぬいた刀を返し、目の前に居る妖怪を斬るために、男は再び刀を切り返した。頭の大剣には、男を斬るために過剰なほど妖気が蓄えられており、刀と大剣がぶつかり合えば確実に刀もろとも男を両断できると、回りにいる盗賊団を含め、頭本人でさえ己の勝ちを疑わなかった。
しかし、結果は全く逆になった。
男の刀と大剣が衝突した瞬間、刀は大剣を抵抗なく切り裂き、そのまま頭の胴体を両断し、男は頭の横を抜き去った。男が先ほどまで居た場所には次々と攻撃が地面に着弾し、その都度、大きな爆発と共に砂埃が巻き上げられているが、男は気にする素振りも見せないまま、己が切った盗賊団頭を見下ろしていた。
「信じられん、たかが人間ごときに、なぜ俺が敗れた?」
「貴様の敗因はただ一つ、人間を侮ったことだ。」
「人間風情が、言ってくれる…。」
盗賊団頭は、自分を見下ろす男から目を逸らすことなく、しっかりと見据え、そのまま動かなくなった。
「頭?嘘だろ、アンタが負けるなんて!おい!」
「やばい…やばいぞ!撤退だあ!」
男を取り囲んでいた盗賊たちから余裕が消え、それぞれが男に背を向けて逃走を開始したが、男はそれを許さなかった。刀を再び握り直し、殲滅行動が再開された。
男の蹂躙劇が再開されている最中、夏羽は、既にこと切れた遥の前で膝を付き、縋るように泣いていた。
「姉様ぁ……いやぁ。」
「……。」
新は、ただ泣きじゃくる夏羽の横に立って、傍にいる事しか出来なかった。こんな時、どの様な態度をとればいいのか、こんな時、どの様な言葉を掛ければいいのか、それがわからなかった。大粒の涙を流す夏羽を目の前にして、新は何も感じていない自分を自覚していた。
(遥姉さん、死んじゃったんだ。…それなのに全く悲しくならない。涙も出ない。どうして僕は…)
己の感情を失ってしまっている事は自覚している。己の記憶が穴だらけの様に失われているのも自覚している。だから普通の人であるならば、大切な人が死んでしまった時は悲しくなる物だという理解もできる。しかし、湧いてこない。悲しみという感情が新の心を満たすことは、決して無かった。ただ泣きじゃくる夏羽の肩にそっと手を掛けてやることしかできなかった。
ドオオオオオオオオオオオオオオン!
とてつもない爆音が響き渡った。思わず辺りを見渡せば、上空に向かって巨大な煙が上がり、視界を塞いでいる。そんな中、爆心地と思われる煙の中から男らしき影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
思わず警戒をするが、男の言葉に新は警戒を解くこととなる。
「もう心配は要らない。怪我は無いか?」
先ほども感じた優しい声、男の声を聴いているだけで、不思議と警戒心が和らいでいく。
「助けてくれてありがとうございます。だけど・・・」
「姉様ぁ・・・」
「・・・すまないな、もう少し早く駆けつけてやれれば、その娘も救えたかもしれん。」
新は首を振り、膝を付いて夏葉の両肩をしっかりと掴む。しかし、掛けてやれる言葉が見つからずにいると、夏羽は新の胸に縋り付き、顔を隠しながら泣いていた。
「・・・このままにしておくのも可哀想だ。簡単なものでも墓を作ってやるか。」
「手伝います。」
男は首を振り、「傍にいてやれ」と諭した。
30分程で、墓は造り終わり、遥の亡骸はそのまま土葬された。
墓穴は、2メートル位掘られ、墓石はそこら辺にあった少し大きめの岩を用いた簡素なものだった。
「もう少しちゃんとした墓を作ってやりたかったが、これで勘弁してくれ。」
「十分です。お墓を作ってもらって、姉様もきっと喜んでくれていると思います。」
「・・・酒の味も知らないで死んでしまうのも悲しいだろう。」
男はヒョウタンを乾燥させた容器を取り出し、蓋を開けて墓石に少しずつ酒を掛け始めた。
「あんたは、子供たちを立派に守り切った。来世では幸福しか待っていないだろうな。安らかに眠ってくれ。」
三人は墓の前で手を合わせて、遥の冥福を祈った。
「さて、これからの事について話をしようと思うんだが。」
「あ、あの!」
「どうした?お嬢ちゃん。」
「助けてもらったお礼、まだ言ってなかったです。それと姉様のお墓も、えっと、ありがとうございました。」
「僕からも、ありがとうございました。」
二人は、深々と頭を下げて男に礼を言った。
男は穏やかな顔で「大したことはしていない」と言いながら少し照れ臭そうだった。
「それよりも熾輝、よく生きててくれた。まさかオーラを纏えるようになっていたとはな。」
「シキ?オーラ?」
新の反応に男は「おや?」と思ったが、横から夏羽が声を掛けてきた。
「あ、あの!新くんの事、知っているんですか⁉」
「シン?この子の名前は熾輝だぞ?知っているも何も俺の甥っ子だ。」
「僕のおじさん?」
ここまで会話をすることで、ようやく男も違和感を覚えた。
「新くん、いえ、シキくんは、記憶が無いんです。」
「っ!・・・・詳しく話を聞かせてくれるかな?」
夏羽は、半年前に熾輝と出会い、瀕死の状態から一命を取り留めたこと、記憶が穴だらけの状態で、自分の事や知り合いの事を全く覚えていない記憶喪失であること、感情が殆どなくなっていることを男に話した。
「・・・状況は理解した。しかし、まさか、こんなことになっていようとはな。」
暫く沈黙する男を前に、二人は黙り込んでしまい、ただ男の反応を待つだけとなってしまった。
「本当に何も分からないんだな。」
「はい。」
「俺の事や両親のこと。何で自分が魔界に居るかってこともか?」
「わかりません。ただ、半年前、何もない場所に立っていたと思ったら、足元が割れて、気が付いたら魔界にいました。」
「・・・そうか。」
男は困惑していた。やっとの思いで、甥っ子を見つけ出したと思ったら、その子は記憶と感情を失っているという始末。しかし、この場でただ悩んでいるのも仕方がないので、行動を起こすこととした。
「なら、自己紹介をしよう。お互いの事が何も分からないのなら、これから知っていけばいいことだしな。」
「そうですよね!新く、熾輝くんも、おじさんの事を知らなきゃだし、私も自己紹介くらいしないとね!」
「・・・そうだね。」
「よしっ、ならまずは俺からだ。俺は『五月女 清十郎』熾輝の叔父だ。よろしくな。」
「よろしくです。私は『夏羽』です。」
こうして、互いの自己紹介が終わり、清十郎はこれからの事について話を始めることとしたが、その前に夏羽に向き直って、話をはじめた。
「夏羽ちゃんか、実は君の事は知っていたよ。」
「え?どうして」
「俺は5か月程前に魔界に来たんだが、その際、揚羽という女性に会った。その女性は、姉夫婦に会いに行ったところ、君が奴隷商人に浚われたことを知り、ずっと奴隷商人たちを追いかけていたそうだ。」
「揚羽さん?すみませんが、母からは聞いたことがありません。」
「そうだろうね。君の両親は、実の親では無いことは知っているかい?」
「はい。だいぶ前に聞かされていましたから。でも二人とも私を本当の子供の様に可愛がってくれていました。」
「君の一族は、少し変わった習慣があるらしく、里で生まれた子は、里の外で生活をし、5歳になるまでは里へは帰れないと聞いている。揚羽は君と同じ一族の者だ。」
「私に仲間がいたんですね。」
「ああ、奴隷商人達の行方は、里の巫女が占って行き先が判明したらしい。ついでに熾輝の居場所も君と一緒に居ると、その巫女に教えてもらった。」
「そっかぁ、私は一人ぼっちじゃ無いんですね。」
自然と夏羽から涙が溢れてきていた。両親を失い、姉様と慕っていた遥を失い、熾輝を迎えに来た男性に彼までも取られてしまうと、心のどこかで思っていた夏羽にとって、仲間がいると分かったことは、これから先、魔界で生きていくための希望だったのだ。
「あぁ、揚羽とはここへ来る途中まで一緒だったんだが、もうあと少しで追いつくところまできて、君たちが襲われている気配を感じたからね、・・・置いてきた。」
さらっと、酷いことを言った清十郎の顔は、全く悪いことはしていないよ?という穏やかな笑顔そのままだった。
「それに噂をすれば、・・・ほら」
『―――殿!―清―――じ―――郎―――の!』
遠方から物凄い速さで、走ってくる女性が見えたが、その女性の顔が徐々に見える距離まで近づいてくるにつれ、夏羽は固まった。
「せいじゅうろうううぅ!てめえええぇぇぇぇ!」
般若である。右手に出刃包丁、左手に小太刀を握りしめた般若が、物凄い勢いで突っ込んできた。
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁ!」
夏羽は思わず叫びながら熾輝の背後に隠れ、泣き始めてしまった。
そんな中、般若・・・もとい、揚羽と思しき女性は、清十郎の前に仁王立ちをして、睨みつけていた。
「はぁ、ハア、はぁ、ハア」
「揚羽…顔が怖いぞ?」
「お黙り!急に物凄い勢いで走り始めたと思ったら、私を置いて行くなんて!少しは、自分が酷い事をしたっていう自覚をしなさい!」
「仕方がないだろ、何せお前の家族と俺の甥が絶体絶命のピンチだったんだからな。」
「ピンチって、何を言って・・・え?」
どうやら揚羽という女性は、清十郎と行動を共にしていたが、何も言わずに清十郎が走り始め、挙句の果てに置いてけぼりを食らったらしい。
しかし、今の簡単な説明と清十郎の傍に居る二人の子供が、揚羽の視界にようやく入った様で、少しの間沈黙したかと思うと、熾輝の背後で怯えて(揚羽にビビッて)いた夏羽を凝視して、近づいてきた。
「・・・もしかして、夏羽ちゃん?」
「――ぃ――な――ご――」
「え?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、私は美味しくないです。食べないでえぇ」
揚羽の表情が固まった。
「た、食べたりしないわよ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!」
思わず大きな声を出してしまった揚羽は、「ハッ」となり、慌てて夏羽に謝っていた。
その後、暫く揚羽が小さな子供に謝り続けるという状況が続き、熾輝の言葉で夏羽は、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「ぅ・・ぅ、ぐすん」
「えっと、驚かしちゃって御免なさいね、私は怖くないですよぉ、あなたを食べたりなんかしませんよぉ?」
「夏羽、大丈夫だ。もう怖い顔はしていないよ。」
「こわっ⁉…そ、そうよ!私は彼方の家族なんだから!」
「…かぞく?」
そんなやり取りをしている横で、清十郎が背中を向けて震えていた姿が熾輝の視界に入っていた。
少しの間、背中を向けていた清十郎は、ようやく落ち着きを取り戻したのか、三人の会話に入ってきた。
「夏羽ちゃん、この人がさっき話した君の親戚で、ぷっ!」
(また笑ってるなぁ、この人)
「ちょっと!清十郎殿!ちゃんと説明して下さい!」
「ぁ、あの!私のお母さんの姉妹ってことは、私の叔母さんなんですよね?」
「そ、そうよ。初めまして、私は揚羽。あなたの義母の妹です。・・・ようやく会えたわね。」
そう言うと、彼女は夏羽を抱きしめて泣き始めた。
「ごめんね、助けるのが遅くなって。怖かったでしょ、辛かったでしょ。」
彼女に吊られるように、夏羽の目からは、ポロポロと涙が流れていた。
「あの、えっと・・・」
「揚羽、そのくらいにしておかないと夏羽ちゃんが困っているぞ?」
「そ、そうようね?ごめんなさい、びっくりさせちゃったわよね。」
夏羽は、一生懸命に首を横に振り、「そんなことないです!」アピールをしているが、上手く言葉が出てこない。
しかし、そんな愛くるしい姿を見て揚羽は少しホッとしていた。奴隷商人からは、自分が考えていたような酷い目にはあわされていないようだと納得し清十郎の方に視線を移した。
「感動の再開は、お互い済ませたことだし、すまないがこの場で長居をしている訳にはいかないから、移動を開始しようと思う。」
「そうですね。まずは、我らの里へ行きましょう。」
そう言って、揚羽は先ほど持っていた小太刀を鞘から引き抜き、その尖端を自分の唇に当てると、薄く唇を切った。唇からは、粒の様に小さな血液が滴り、それを人差し指に乗せ、刀身の腹に擦り付けた。
「―――――、―――――――。」
熾輝には何かの呪文を唱えている事は分かったが、その言葉は全く理解することが出来ない。やがて、呪文を詠唱していると、鈍く光っていた刀身は黒一色となり、在り得ない輝きを放ち始めた。
「黒く光ってる?」
「わぁ、綺麗」
通常、光は黒くなることは決してない。何故なら黒とは科学的に光を吸収するからだ。しかし、常識を歪めた現象に熾輝は目を奪われていた。
やがて詠唱を終えた揚羽は、黒く光る小太刀を掲げ、一気に振り下ろした。
すると、小太刀の軌跡に沿って空間に切れ目が入り、一瞬視界が歪んだと思ったら、ガラスが割れたように次々と蜘蛛の巣状の亀裂が走り、空間が砕けた。それと同時に小太刀にヒビが入り、ボロボロと刀身が砂のように崩れてきている。
(これって、あの時と同じ?)
熾輝は、半年前に自分が魔界に落ちた時の光景を思い出していた。
「さあ、あまりこの状態を維持できませんので、私について来てください。」
砕けた空間の先を見れば、周囲とは明らかに違う風景が広がっていた。
熾輝達は、揚羽に続いて歩きはじめ空間に入ろうとしたとき、一番後ろから付いて来ていた清十郎が足を止めて、明後日の方向に視線を向けていた。
「清十郎殿?どうかされましたか?」
「・・・いや、何でもない。」
「では、お早く」
「ああ。」
再び一行は歩き出し、砕けた空間に入っていった。
4人が空間に入った途端、揚羽が持っていた小太刀は、完全に崩れ去り、それと同時に先程まで砕けていた空間は、何も無かったかのように元に戻っていった。
熾輝達が空間の先へ消えていった後、その場には奴隷商人の一団と盗賊団達の死体だけがその場に残されていた。そして、ここから程なく離れた岩場の影に一人の男が先程までの状況を終始観察していた。
「ふう、やっと行ったか」
男は、180センチ程のガッチリした体格をしており、黒髪オールバック、黒い瞳に白人特有の白い肌をしたその男は、一見すれば人間であるが、男は魔族だけが持つ生命エネルギー(妖気)を纏っていた。
「あーあ、ひでぇなこりゃあ。折角の金づるが全員死んでらぁ。」
男は、つい先ほどまで行動を共にしていた奴隷商人達の成れの果てをまるで虫でも見るかのような目で見下ろしていた。
「しっかし、あいつ本当に人間かぁ?魔界でも屈指の盗賊団を瞬殺って、在り得ないだろう。」
奴隷商人達の傭兵として、雇われていたことから、先ほどまで盗賊団と相対していた男は、盗賊団頭の元まで歩みを進め、真っ二つになった死体と大剣を目に留めた。
死体には、既に虫が群がってきており、その体を少しずつ食べていた。しかし、両断された大剣は依然として、その存在感を失ってはいなかった。
怪しい光を放ち、まるで次の主を待ち続けているかのように。
「へぇ、真っ二つにされてるくせに、随分と主張してくれるじゃねぇの・・・・呪い付の武器か、面白れぇ」
男は、両断された大剣の柄半分と刀身半分を手にした。
「今日からお前の主は、この鬼塚様だ。光栄に思えよ?俺は人殺しが好きな部類だ。」
大剣は、一層光を増し、鬼塚を新たなる主と認めた。
「さてと、これから何処に向かおうか・・・久々に人間界も悪くないかもな。」
鬼塚は、熾輝達が消えていった、もう何もない虚空を見つめ顔を歪ませる。
「もう、新に会うことも無いだろうが、せいぜい人間界が退屈じゃぁ無いことを願ってるぜぇ。」
男は歩き始めた。
かつて人間として生まれた自分が人間界を捨て、魔界で生き続け、そして再び生まれ故郷である人間界を目指して。