第五七話【神様の依頼Ⅳ】
凶悪な爪は熾輝の喉元寸でのところで止まった。しかし、喉元から外された訳ではない。
「やめなさいって言ってるでしょ!」
巫女服少女は、声を荒げて神使である双頭の犬に呼びかけている。
『『お嬢、コイツ等、真白様に何かよからぬことをしていた。』』
唸り声を上げながら狛犬が牙を見せて威嚇する。
熾輝も隙あらば撤退を試みるつもりか、地面をしっかりと踏み固め、いつでも動けるように準備をしている。しかし、狛犬もそれを分かっているのか、先程から相手に悟られないよう絶妙な力加減で体重移動を行えば、相手もそちらに視線をずらし、熾輝を牽制している。
「とにかく、その足を退けて、彼を解放しなさい。」
『『いくらお嬢の頼みでもそれは聞けない。コイツラ危険だ。』』
「もうっ!その真白様がやめさせろって私に言ってきたのよ!」
なんで判んないかなあ?と言いたいのか、手をブンブン振って神使を止めようとする少女だが、狛犬は気が高ぶっているのか、中々爪を治めようとはしない彼等に半ば切れかけた巫女さんは肩を落としながら何やら呟き始めた。
「右京、左京・・・おすわり!」
ぐちゃっ!
そんな音が聞こえてきそうなほどに双頭の狛犬は、地面に押さえつけられた。
『『お、お嬢何を!?』』
「ハウス!」
巫女少女から続けざまに放たれた言葉と共に目の前の巨大な双頭の犬は、強制的に分離させられ、形代である石像に無理やりに押し込められ、そして、押し込められた霊体は動かなくなった。
唖然とする熾輝達をよそに、巫女さんは腰に手を当てて、「もうっ!」と鼻息を荒くして怒っていた。
「燕ちゃん?」
そんな折、先程まで何が起きているのか把握できていなかった咲耶から目の前の巫女服少女の名前が呼ばれた。
「咲耶ちゃん、可憐ちゃん怪我はなかった?」
「私は大丈夫ですわ。」
「う、うん、私は大丈夫だけど、熾輝君が・・・」
どうやら知り合いらしい二人だが、現状を飲み込めない咲耶が、自分を守るために盾となっていた少年に視線をむけた。
「問題ない。それよりも、三人は知り合いなの?」
親しそうに話す三人を見て、熾輝は目の前の巫女さんの正体を二人に問いただす。
「うん、隣のクラスの細川燕ちゃん。」
「去年まで、私たち同じクラスだったのですわ。」
「そうそう、白岡小の3大美女って結構有名なのよ?」
「へぇ。」
「え?び、美女?そんな風に言われているの?」
初耳らしい咲耶は、顔を赤くして、少し照れているが、そういった事に興味のない熾輝の反応は非常に淡白なものであった。
「落ち着いてください、燕ちゃんの冗談です。」
「えー!?」
恥ずかしい様な顔をしている咲耶は、騙された事に少しショックを覚えつつ残念がっている。
それにしても、先程までの緊迫した空気が嘘だったかのように消え去り、女子3人の会話に少し呆れ気味の熾輝は、そっと溜息を吐いた。
「それにしても、咲耶ちゃんが魔術師だったなんて、全然知らなかったよ。」
「え!?」
燕に魔術師だと言う事が知られた咲耶は、驚きに目を丸くさせる。
「もしかして燕ちゃんも?」
「違うよ。」
「・・・。」
「あ、大丈夫、私の家って、そういう方面に強い人がいて、その人から魔術について教えて貰っただけだし、誰かに言ったりしないから安心して。それよりも・・・」
燕は3人の会話を横で聞いていた熾輝に視線を向けると、悪戯っぽい顔をして近づいてきた。
「昨日はどうも、八神君、細川燕です。」
「・・・うん。」
「それにしても、真白様が言っていた通り、八神君って霊力が強いんだね。右京と左京の事も見えていたし、あの二人が本気になるのは初めて見たよ。」
「真白様?……あの神使は細川さんの式神?」
「私のじゃなくて、法隆神社の神主が代々引き継いでいる神社の守護獣だよ。」
「なるほど、だから魔術師や能力者でも無い細川さんの言霊に従ったのか。」
「・・・今の会話で、わかっちゃうの?」
二人の会話の流れで熾輝は、ある程度の燕の事情を理解していた。
しかし、必要以上に情報を与えていないはずの燕からは驚きの声しか出ていない。
「?つまり、細川さんは、先代から力を引き継いで、神使に言ういことを聞かせられると言う事でしょ?」
「・・・ねぇ八神君、婿にこない?」
「「っ!?」」
いきなりの婿入り発言に驚いた咲耶と可憐は友人である燕の言葉に耳を疑った。
なにせ、小学生の子供がいきなり婿に来ないかなどと口走ったのであるから、当然である。
「せっかくの申し出だけど、丁重にお断りします。」
「え~、何でよぉ。いいじゃない、きっと真白様も喜んでくれるよぉ。」
燕は、熾輝の腕に抱き付いて、婚約を迫りだした。
「つつつ、つ燕ちゃん何を?」
「あらあらまあまあ。」
混乱する咲耶とニヨニヨと笑う可憐、そして婚約を迫る燕という妙な混沌の場と化した現状に対し、どうしてこうなった?と思考する熾輝は頭痛を覚えながら頭を押さえ始めた。
そこへ
「お嬢、はしたないぞ。」
そこへやってきたのは、宮司の恰好をした男性で、昨日、熾輝に水を手渡してくれた男だった。
やれやれと、頭を押さえながら近づいてくる宮司からは、人特有の気配を一切感じない。
それどころか、奇妙な、まるで神秘的とでも表現すればいいのかもしれない力を熾輝は感じ取っていた。
それは、昨日も僅かに感じ取っていたものではあるが、この神社全体を覆う力のせいかと思っていた熾輝の予想は外れており、探知能力を使っている今なら彼が人ならざる存在であることが理解できた。
「コマさん、何を言っているの、法隆寺の将来を見据えれば、八神君は優良物件だよ?」
「お嬢、前にも言ったが、そういう気持ちは、もっと大切にしろ。それに相手に対して優良物件などという言い方は失礼だ。」
「何よ!コマさんはこのまま神社が無くなってもいいっていうの!?」
「・・・お嬢。」
一体何の話をしているのか、理解が追いつかない咲耶達女性陣は疑問符を浮かべているが、熾輝だけは、燕の考えが何となく理解できた。
燕が欲しているのは、神社を継いでくれる人材の確保だろう。法隆神社は神使が姿を晒して人間と共に神様を守っているという大変珍しい神社だ。
しかし、運営等は当然人の手で行わなければ立ち行かず、神使等には到底できるはずもない。そして、燕が女である以上、よそから婿を招き入れ跡継ぎを作る他、神社を存続させる手段がないのだ。
しかし、燕が神主としての力を引き継いでいると言う事は、両親のどちらか又は両親共に他界しており、燕が力を継承したことになる。
「未来の事など誰にも分かりはしない。もちろんお嬢が本気で好きになった相手がここへ来てくれれば、我等もうれしいが、自分を蔑ろにするような事は真白様もそして我等も望んではいない。」
「コマさん達が消えちゃうことになっても?」
「お嬢が不幸になるよりましだ。」
「ばか・・・ばかばかばかー!コマさん達が消えるなんて絶対ダメなんだからー!」
燕の考えを認めないというコマに対し、怒り出した少女は、そのまま神社の奥へと走り出した。
「燕ちゃん、待って!」
それを反射的なのか、咲耶が追いかけ、それに続いて可憐も走り出す。
「熾輝君、ごめんなさい。」
「いいよ、行ってあげて。」
ペコリと一礼した可憐は、燕を追いかけた咲耶に続いて走り去ってしまった。
残されたコマという宮司は溜息を付いて肩を落とし、熾輝に一言「すまない。」と言い、先程から動かなくなった狛犬の石像の方へと足を向けていた。
「まったく、お前たちいつまで寝ているつもりだ?」
宮司が声を掛けた途端、先程までただの石像だったはずの狛犬がビクッ!と震えだした。
『コ、コマ様、違うのです。』
『我等も子供らに危害を加えるつもりは無くてですね…』
先程までの威圧感のある喋り方と打って変わり、何やら悪戯をしていた事がばれてしまった子供のように怯える狛犬が目の前に居た。
―――――先程までの霊力が全く感じられない。もしかして彼らの力だけじゃ無かった?
「はぁ、真白様にも困ったものだ。」
宮司が溜息を吐きながら、ヤレヤレと疲れた顔を覗かせている。
「真白様……この神社で祭っている神様の事ですか?」
「左様、真白様は土地神であり、街の不浄を払う役目を負ったお方だ。しかし・・・・」
そこで一旦、言葉を切った宮司は、神社の御神木に視線を向けて、思いつめた顔を見せた。
「一年程前になるか、この街に流れる龍脈に異物が入り込んだ。」
難しい顔をした宮司が語りだしたのは、街の異常についてだ。
話を聞くに、一年前から街に流れる龍脈の各所に他所から流れ込んできた異物が龍脈の流れを乱し、各所で異常現象をもたらし始めた。
土地神である真白様は、その異常を察知して龍脈の流れを正そうとして失敗した。
失敗した原因は、異物から放たれる瘴気による物だった。
本来、神である真白には浄化の力が備わっているが、異物は瘴気を吸い込むだけではなく、悪霊などの霊的存在をかき集め妖魔を生み出していたのだ。
神と妖魔は全く正反対の存在であり、人間など死者の怨念が集まり霊的存在になったのが妖魔で、人々の信仰心や善の気が集まり霊的存在になったのが神の正体なのだ。
当然、正反対の存在が衝突した時、力の強い方が勝つ。
真白様も例に漏れず、相対した妖魔と衝突した。その時は、真白様がやっとの思いで勝利したが、瘴気に汚染されてしまった。
しかも、倒したハズの妖魔から抜き取った異物は、次なる妖魔を生み出そうと力を蓄えだしたのだが、それに気が付いた真白様は、異物を己が御霊で覆い、怨念が近寄らない神社という聖域でずっと異物を封じ込めていた。
「―――そんな時、霊力の強い子供が神社に来ると、予言された真白様が、右京と左京に命じて君の力を見ようとしたらしいのだ。」
今までの長い話を宮司から聞かされた熾輝は、正直、土地神がそのような状態に陥っている理由に直ぐに心当たりがついた。
というよりも、十中八九、魔導書が原因である。
しかし、だからといって、熾輝の心が動くと言う事は全くなく、それどころか、面倒臭い事に巻き込まないで欲しいと言うのが正直な気持ちだった。
「……正直、なんでそんな事をするのか分かりません。」
「そうだろうな。……少年よ、単刀直入に言うと、君に真白様を助けて欲しいのだ。」
「僕が?何故?」
頭を下げて来た宮司に対する熾輝の態度は冷たいもので、なぜ自分がそのような得体の知れない神様を助けなければならないのかと思っており、尚且つ警戒もしていた。
曲りなりにも神様と関わりを持つと言う事は、どんなお願い事をされるか分からない上に、お願いという名の契約を交わされる可能性すらある。
土地神程度とはいえ、神との契約には、人同士が交わすものとはヤバさが違う事を熾輝はしっかりと理解していたからだ。
「真白様の御霊で封印している異物の力が強すぎるのだ。今はギリギリ持たせてはいるが、日々消耗しているせいか、次第に神社の力が弱まっている。このままでは真白様の存在が完全に消えてしまう。そうなれば街の龍脈の乱れはこれまでとは比べ物にならなくなり、放置すれば、いづれ霊災が起きてしまう。」
「そうなるでしょうね。…でも僕は、あの狛犬達に負けた。だったら、僕なんかより、名のある霊能力者に頼むか、宮司さん達でやったら方が確実では?」
「…無理なのだ。私達神使は、神から力を分け与えられている存在。故に真白様で無理な事は我々にも無理なのだ。それに、真白様は先程の少年をみて、確信したそうだ。」
「確信?」
「ああ、保有する霊力の強さを度外視して、一緒に居た少女を身体を張って守った優しさに、真白様は少年が信用に足る人物だと言っている。」
宮司の真剣な目が熾輝に向けられるが、熾輝は宮司のがいう優しさというものを自分自身で理解してはいなかった。
だからだろう、その真直ぐな目で見つめられても、熾輝は受け止める事が出来ず、目を逸らしてしまった。
「僕は、彼方が言う様な人間じゃない。」
熾輝は己の生い立ちが恨みと憎しみにまみれた人生である事を理解している。だからこそ、自身がそのような称賛を受ける事はあってはならないと考えている。
しかし、そのような事情を知らない宮司から見る熾輝の姿は、決して他の誰にも劣るものでは無いのだが、それ以上は、何も言ってこなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
暫くすると、燕を追いかけた咲耶達が戻ってきた。
熾輝は、宮司から聞いた話しの内容を3人に話、これからの方針を話し合うと、3人は二つ返事で真白様からの依頼を引き受けると決めた。
しかし、熾輝としては、もう少し考えてから返事をして欲しかったが、魔導書収集には、結局避けては通れないと思い直し、熾輝も3人の意見に賛同する運びとなったのだ。
そして、未だ姿を見せない真白様からの依頼内容が、宮司を通じて明かされる。
「諸君、まずは此度の依頼を引き受けていただいた事に感謝する。早速ではあるが、真白様がこれから依頼内容にかかわる映像を諸君等に見せる故、決してパニックにはならないでくれ。」
そういうと、宮司は燕に視線を送った。
まだ先程の事を怒っているのか、宮司と目が合った燕は、ムスッとした表情を見せていたが、それも一瞬の事で、深い深呼吸をした後、直ぐに真面目な表情に切り替わった。
そして、御神木へと歩を進め、表皮にオデコを付けると何やら語りだした。
「真白様、お願いします。」
その瞬間、御神木から淡い光が放たれ、気が付くと熾輝達の視界は白一色となっていった。




