第五四話【神様の依頼Ⅰ】
明け方、熾輝は目を覚ました。
外は未だ暗い闇に包まれており、窓から外を見下ろすと新聞配達員らしき者のバイクが街を走り回ったり、タクシーが道路を走行している風景が見て取れる。
そういった景色が少年の左目に映し出され、右眼はボンヤリとした明暗しか認識出来ていない。
自分の部屋を出て、顔を洗い鑑をみれば、そこには中性的な顔立ちをした少年の姿が映し出され、所々に寝癖が立っているのがわかる。
濡れたクシで寝癖を直すと白い眼帯を右眼に着け、ジャージを着込み静かにマンションの一室から外へ出て行く。
熾輝は修行を欠かしたことがない。昨夜の事件後、家に帰宅したのは既に日付が変わっていたが、それでも長年の習慣とはすごい物で、目覚まし時計なしでも時間通りに目が覚めてしまうのだ。
本日は土曜日であり、学校に通うようになった熾輝にとって初めての休日である。
保護者の東雲葵は昨晩、病院の当直明けで帰ってきたのは朝方だったため、今は自室でぐっすりと眠っている。
そんな葵を起こさないように、外へと出て行った熾輝ではあるが、ここ最近、誰とも組手をしていない。
山に篭っていた頃には、毎日師匠達が相手をしてくれた。中国に居た時も円空や白影、武術連盟の者達が相手をしてくれていた。
しかし、日本に来て10日が過ぎ、毎日の修行は欠かしていないが、誰とも組手が出来ていない。
式神の双刃にお願いしても、主を立てようとするため、手を抜かれてしまい、イマイチ修行にならず、かといって葵に頼むことも出来ない。何故なら葵は生粋の魔術師であり、武術の心得は護身術程度しか学んでいないのだ。
そんな修行に物足りなさを感じていた熾輝ではあるが、相変わらずその修行内容は常軌を逸した物ばかりで、師匠が居なくとも、限界以上に身体を苛め抜いている自覚が少年にもある。
だが、熾輝には戦う才能が無いため、身体を鍛えると同時に、少しでも実戦経験を積んでいかなければならないと考えていた。
頭の片隅で、そんな考えをしていた熾輝の足腰に限界が近づいてきたのか、マンションを出てからおよそ一時間が経過したころ、とある神社の近くまで来ていた熾輝は、目の前の長い石段に目をやり、一気に駆け上がり始めた。
体中が酸素を欲し、それと同時に悲鳴を上げる。しかし、彼にとってその苦痛は慣れ親しんだものであり、むしろ限界が近づいてからが本当の修行なのだ。
悲鳴を上げた肉体をどこまで稼働させることが出来るのか、どのようにすれば限界以上の力を出せるのか、そういった肉体強化をひたすらに探求している。
そして、石段を登り終えた所で悲鳴を上げていた身体が強制的にシャットダウンされたかのように言う事を聞かなくなり、熾輝の意識すらも刈り取った。
少年はこの日、神社で行き倒れたのだった。
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ぼやけた視界のなかで、誰かが泣いている。
泣いているのは、女の子だった。
目の前には、ベッドの上で横たわる女性の姿。
女の子は、「お母さん」と何度も呼びかけるが、既に息を引き取った母親は何も答えない。
いつまでも泣き続ける少女は、一向にその場を離れようとはしなかった。
そんな少女の肩に手が置かれる。
少女は、見た事のない人物に「誰?」と問いかける。
その人物は――――――――――――
「―――夫?ねぇ大丈夫?もしもし、生きてますか?」
少年の耳に女の子の声が聞こえて来た事により、刈り取られた意識を再び覚醒させられた。
「あっ、生きてた。コマさん、お水持って来て。」
熾輝が目を覚ましたとき、目の前には巫女服姿の少女が心配そうな顔で少年を覗き込んでいた。
「・・・ここは」
「神社だよ。こんな神聖な所で行き倒れなんて、一体どうしたの?」
「・・・ちょっと頑張って走っていたら疲れたので休んでいました。」
「いや、明らかに倒れていたから。休んでいたとかいうレベルじゃないからね。」
修行で行き倒れたなどと言えば、きっと問題にされそうだと考えた熾輝の答えに、少女は厳しい突っ込みを入れて来た。
そこへ、神社の者らしき人が水を運んで熾輝へと手渡す。
「少年、必要なら家に電話するが、どうする?」
普通と違う雰囲気の宮司?から受け取ったコップには冷たい水が淹れられており、ゆっくりと口の中へと流し込んだ熾輝は、電話をすると言った男に対し丁重に断りを入れると、何事もないかのように立ち上がった。
―――――回復具合からみて約30分弱かな?
「ご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫なので、これで失礼します。」
「うむ、気を付けて帰るのだぞ。」
「じゃあね八神君、来週学校で。」
ペコリと一礼した熾輝は、踵を返して既に走り出していた。走り始めてから最後に女の子が言った一言に、「はて?」と思いつつも、決して走る速度を緩める事はしなかった。
帰宅途中に昨晩、事件に巻き込まれた河童の様子を見に行った時、川の真ん中辺りでプカプカと浮かびながらキュウリを食べていた。一体どこで手に入れたのだろうと思いつつも、特に変わった様子のない事を確認してそのまま帰路についたのだった。
ちなみに、マンションに着いてから屋上まで階段を一気に駆け上った熾輝は、筋トレを行った後、武術等の型を一通り終えてから部屋へと帰り、双刃が用意した朝食を葵と共に食べてからは、ゆったりとした休日の朝を葵たちと共に迎えていた。
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その日の朝、結城咲耶は部屋に差し込む朝日の光によって目を覚ました。右隣には親友である乃木坂可憐が未だ寝息をたてており、更に左隣には自身のパートナーである降魔の宝杖アリアが眠っている。
むくりと起き上がり、時計を見れば既に9時を回ろうとしていた。未だ眠気の取れない感覚が纏わりついているが、ゴシゴシと目をこすり、起きようかとした時、部屋のドアをノックする音が聞こえて来た。
「お嬢様方、そろそろ起きないとお昼になってしまいますよ。」
「あ、はーい。今起きます。」
「下で待っていますので、お早くお願いします。」
そう言って、声の主は扉の向こう側から立ち去って行った。
その後、二人を起こした咲耶は、朝食?を済ませ、3人で可憐の部屋へと戻っていった。
もう気が付いているかもしれないが、昨晩の事件以降、咲耶とアリアは乃木坂家にお泊りをしていた。
夕べは元々、咲耶の父の仕事の都合上、家には帰れないと言われており、そのため乃木坂の家にお呼ばれしていたのである。
「それにしても、昨日の転校生って何者なの?」
唐突に話を振ってきたのはアリアだった。
「熾輝君のこと?」
「それしかないでしょ。しかも去り際の台詞覚えてる?「また会おう」よ!?冗談じゃないわよ、あんなのに毎回乱入されたんじゃたまったものじゃ無いわ!それに、いつ敵に回って魔導書を奪われないとも限らない!」
「ア、アリア少し落ち着いて。」
一人ヒートアップするパートナーを落ち着かせる咲耶だが、正直、彼女も昨晩の出来事を気にしていた。
昨晩、アリアに殴られた熾輝は、魔導書を奪おうとはせず、素直に引き下がってしまったのが、かえって不気味に感じていたのは、アリアだけではなく、咲耶と可憐も同様の意見なのだ。
しかし、この場において、一人だけ八神熾輝という名の少年について良く知らない少女が居た。
「昨日の八神君でしたっけ?あの子がウチのクラスに転校してきた男の子ですか?」
「そっか、可憐ちゃんは、熾輝君と会うの昨日が初めてだったよね。」
「はい。それで、八神君はどんな人なんですか?」
「熾輝君は・・・・笑わない子かな?」
どんな人物かと聞いて、咲耶から返ってきた答えに対し、イマイチ想像できないのか、可憐の頭に疑問符が浮かび上がる。
「・・・どうもわかりませんね。それは、クールな感じなのでしょうか?」
「えーと、クールというか何かこうもっと違う感じがするんだけど、上手く言えないや。」
昨日アリアからされた同様の質問に対し、同じような答えで返す咲耶であるが、実際、熾輝とはそこまで親密な間柄ではないので、そういった印象しか答えられないのだ。
「そうなんでか?でも今後の事を考えたら、八神君とは話し合っておいた方が良いと思いますけど。」
「あー、それは私も同意見ね。もう邪魔するなって、ビシッと言ってやった方が良いと思う。」
「・・・アリアは熾輝君が嫌いなの?」
「別に嫌いとかじゃなくて、魔導書は咲耶の物なんだし、私が認めた相手以外の誰かに奪われるのは嫌なだけよ。」
あくまで魔導書の所有権は咲耶にあると主張するアリアは、第三者の介入を望ましく思っていないらしい。
「ふふ、アリアさんは、本当に咲耶ちゃんが好きなんですね。」
「当然。」
「はうぅ。」
当たり前だと言わんばかりのアリアに対し、それが恥ずかしいのか、顔を赤らめる咲耶は、思わず俯いてしまっている。
「ですが、そうですね。このままだとまた現場で衝突する可能性が出て来てしまう以上、早急に対処する必要があります。」
「対応ってどうするの?」
「もちろん、これから八神君の家に行ってお話合いをしましょう。」
「「え?」」
突然の可憐の提案に、二人はいささか驚いてしまった。
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「―――じゃあ、事件自体は犯人が居た訳じゃなかったの?」
葵宅では、熾輝が料理を作りながら昨晩の事について、葵に報告をしていた。
「はい。どうやら彼女達は、街で起きていた魔導書事件を解決するために動いていたようなんです。それに――――――――」
トントントンと食材を刻む小気味よい音が響く中で、熾輝の話に耳を傾けていた葵は、午後の仕事へ行く準備を整えながら話を聞いていた。
「【ローリーの書】と【知性を持った武器】かぁ。・・・法師からはそんな話聞いていなかったけどなぁ。」
「もしかしたら知っていて言わなかっただけかもしれません。どう考えても法師が知らなかったなんて事の方が考えずらいですし。」
法師と呼ばれている男、佐良志奈円空に寄せる信頼に対する言葉であると同時に、彼の意地の悪さをしっている熾輝の言葉に、苦笑いする葵であったが、今回の事件については、円空から師全員に一切の不介入を言い渡されているため、葵も事件に協力出来ないでいる。
しかし、そもそも封印指定クラスの魔導書事件の解決を子供にさせる方がおかしいと理解している葵だが、円空から熾輝が成長するための試練としてそのような厳命が下っている以上、師の誰もが今回の事件に対し手を出すつもりはなかった。
逆に言えば、熾輝だけで無く、師の誰もが円空に対して絶対の信頼を寄せており、何の考えも無く、そのような事をさせるはずもないと思っている。今の熾輝の力ならばやって出来ない事では無いというのが皆の共通認識であるのだろう。
「えっと、咲耶ちゃんだっけ?その子はどうして魔術を使えるようになったのかしら?」
「・・・さぁ、そこまでの事は聞いていませんが、魔術等に関する知識が乏しすぎる所をみると、ぽっと出で間違いないと思います。」
「そんな子が魔導書を扱えると言うのも、それはそれで十分以上なんだけどね・・・」
ぽっと出と聞いた瞬間、葵は自身の境遇と、かつて清十郎に救われた時の事を思い出し、表情に僅かな影を落とした。
「・・・先生」
そんな、葵の表情を見て心配する熾輝の声にハッとなり、慌てて気を取り直し、心配ないと誤魔化す。
「何でもない、何でもない。・・・それより、今日のお昼ご飯は何かしら?」
「・・・今日は天ぷらそばです。」
わー美味しそう♪等とテンションを上げる葵。傍から見たら普通は、食事を作るのは親代わりの葵の仕事では?と思うはずだ。しかし、葵が食事をまったく作らないという訳ではないのだ。
熾輝が葵と暮らし始めてから幾つかのルールが作られた。その一つが食事当番制である。
基本、葵の家に居候として暮らしている熾輝は、葵が仕事の日は彼が家事を行っているが、逆に葵が休みの日は彼女が家事を行っている。
これは、【働かざる者食うべからず】という昇雲師範の教えが熾輝の行動原則の一つに加わっているため、特に苦とも思っておらず、むしろ、最近では料理に対して僅かながらに楽しみを得ているのではないかと思うくらい、真剣に調理する熾輝を見ている葵の感想である。
そんな風に報告と調理を進めている最中、部屋の呼び鈴が鳴らされた。
丁度、油を扱っていた熾輝は手を離す事が出来ず、実体化を解いている双刃を呼び出そうかと思った矢先、スタスタと葵がインターホンまで駆け込んだため、わざわざ呼ばずに済んだのだが、次の瞬間、呼び出し口から聞こえる声に思わず熾輝の手が止まった。
「ハイ、東雲です。」
『えっ⁉あ、あのスミマセン!八神さんの家に用があったのですが、間違いました!』
聞き覚えのある声だったそれは、熾輝のクラスメイト結城咲耶の物だった。
「あ、間違ってないから大丈夫よ。熾輝君のお友達かしら?」
『は、はい。同じクラスの結城と乃木坂です。』
インターホン越しに聞こえてくる声、しかも女の子が二人と、少々驚いている葵は、チラリと熾輝の顔を見ている彼女表情から『もう、隅に置けないなぁ♡』等と思われているかもしれないと、割と真面目に思ったのは内緒である。
「どうぞ、今開けるから上がって来て。」
そう言って、葵はオートロックを解除した。
『あ、お邪魔します。』
画面越しに、マンション内に入って行く3人の姿を見ていた葵が、インターホンの電源を切ると、ニコニコとした顔をして振り向いてきた。
「もう、熾輝君も隅に置けないなぁ♡」
大概にして予想通りである。
「・・・違います。」
またまたぁと、からかう様に笑う葵に対し肩を落としてしまいそうになったが、先頬の話で咲耶達三人の名前を出している事から、葵が冗談を言っているのは分かっているが、女性のこういうところは面倒くさいと思ってしまうのは、大多数の男同様に熾輝も同じであった。
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「こんな時間に人様の家に来るなんて、随分失礼しゃないかな?」
玄関で出迎えた熾輝の第一声は、彼女たちを拒絶するものだった。
時計の針は既にお昼を回ろうとしており、一般家庭では昼食時であるのだから、仕方がないと言える。
「ご、ごめんなさい。」
熾輝の言葉に思わず委縮してしまう咲耶も言われて気が付いたのか、自分達が相当失礼な事をしたという自覚があるようだった。
「で、でもね!私達は熾輝君とお話がしたいの!」
「僕の方は別に無いけど?」
あくまでも拒絶する熾輝。彼とて彼女たちが何を言いに来たのかが分からない訳ではなかった。しかし、現在の彼の優先すべき事柄に彼女たちとの対話は入っておらず、それよりも、葵の食事を邪魔されたことに対し、僅かながら不快感を覚えていた。
熾輝の感情が少しずつ取り戻されていると言っても、かなり歪な物で、彼自身が気が付いていないだけで、大切と思っている者の行動を制限される事に対して、酷く敏感になってしまっている節がある。
「こらっ!折角来てくれた友達に、そんなこと言ったら駄目でしょ!」
そんな折、部屋の中で聞き耳を立てていた葵が、プンスカと起こりながら現れた。
「・・・先生。」
「熾輝君、構わないから上がってもらって。あなた達もごめんなさ・・・」
「?」
言葉を切った葵は一瞬動かなくなり、3人の内の一人、乃木坂可憐を見つめていた。
「もしかして、乃木坂可憐ちゃん?」
「あ、はい。」
「きゃー、本物!?え、どうして!?」
急にテンションを上げた葵を見て、訳が分からない熾輝は、一人だけ疑問符を頭の上に浮かべていた。
熾輝は知らなかったが、乃木坂可憐は芸能人(子役)であり、日本で一番売れている(子役の中で)アイドルなのだそうだ。
とりあえず、取り乱した葵を落ち着かせ、ハッとなった葵は改めて優しい表情を造り直した。
「コホン、お昼ご飯もう食べた?まだだったら、一緒に食べましょう?」
「は、はい。ありがとうございます。」
突然あらわれた葵のプチパニックにこれまたプチパニックを起こしていた咲耶は反射的に答え、チラリと熾輝を覗き見ると、肩を落とし溜息を付いている姿が目に入った。
「・・・上がりなよ。」
「「「お邪魔します。」」」
促されるままに室内に入った咲耶、可憐、アリアは葵に進められるままに席に着き、台所で料理の仕上げに掛かっている熾輝を覗き見ていた。
「まさか初めて家に来るお友達が女の子だとは、思わなかったわ。」
3人に対面する形で座った葵が、ニコニコと微笑みながらそんな事を口にしている。
「えっと、さっき八神君が先生って言ってましたけど、お母さんじゃないのですか?」
熾輝のクラスメイトの中で、昨晩初めて会ったばかりの可憐が、葵に対してそんな事を口にすると、台所で調理する熾輝の眉が僅かに吊り上がった所を咲耶は、見逃さなかった。
「ええ、私は熾輝君の保護者だけど、母親じゃないの。」
否定するわりに何処か嬉しそうな声で話をする葵に、3人は見惚れていた。それもその筈、葵は誰から見ても綺麗な女性で、道を歩けば男女問わずすれ違った人たちの誰もが視線で追ってしまう程の美貌の持ち主なのである。
「それよりも、彼方が咲耶ちゃんね?」
「え?下の名前言いましたっけ?」
突然、自分の名前を呼ばれた事に僅かながらの驚きを見せる咲耶は、オドオドして答えている。
「熾輝君から昨晩の一件を聞いていたのよ。それに・・・とても良い魔力をしているから。」
「!?・・・分かるんですか?」
「だって、私も魔術師だもん。それに、魔力が溢れすぎているから彼方が魔術師である事は、直ぐに分かったわ。」
葵が魔術師だと聞いたアリアは、目つきを鋭い物に変え、警戒を強めた。
「ふふ、そんなに睨まなくても大丈夫よ。別に彼方達をどうこうしようとするつもりなんて無いから。それに、魔導書も奪い取るつもりは、私には無いわ。」
「・・・信じられない、魔術師っていうのは、大概が力を求めている連中のハズよ。なのにどうしてそれを信じられると言うの?」
「ん~、それはそうかもしれないけど、でも―――」
そこへ、コトッとテーブルの上に食器を並べ始めた熾輝が現れ、3人の視線が少年に向けられた。
「あら、もうこんな時間?とりあえず食事にしましょう。私も午後から仕事に行かなきゃならないし。」
そう言った葵は話をいったん打ち切って、熾輝が作った食事を5人で頂く事にした。
ちなみに本日のメニューは、【天ぷら蕎麦】で、蕎麦以外は円空から送られてきた野菜が使用されており、天ぷらは野菜オンリーだったが、それでも意外に客人である3人からは美味しいとの好評価を受け、実体化を解いて見守っていた双刃は、一人満足そうな顔で、その場を見守っていた事は、誰も気が付かなかった。
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「それじゃあ、行ってくるわね。」
そう言って、仕事に出かける葵を見送るために熾輝は、玄関まで見送りに来ていた。靴を履き終わった葵は、くるりと熾輝の方へと向き直り、視線を合わせる。
「ねぇ、熾輝君。先生からのお願い聞いてくれる?」
「?・・・何ですか?」
妙に真面目な顔をした葵が珍しくお願いごとを聞いて欲しいと言ってきた。何年も一緒にいて、今までにこんな事があっただろうかと自身の記憶を探るが、全く無かった事だ。
「咲耶ちゃんの事を護ってあげて欲しいの。」
「護る・・・ですか?」
正直、熾輝には葵が何を言っているのかが理解できない訳ではなかった。以前、葵の身の上を聞かされていた熾輝は、自分と同じぽっと出の咲耶に共感する何かがあるのだろう思っていた。しかし、葵と咲耶とでは、状況がまるで違う。
葵は能力や魔術について知る者が周りにおらず、大変苦労していた様だが、咲耶の場合は魔術を知るアリアが隣にいる。それだけでも相当恵まれていると思う上に、魔導書などという規格外のアイテムまで有しているのだ。
「先生、正直そんな必要があるとは僕には思えませんけど?」
「・・・魔力の量や才能、そして手にしている物は確かに驚異的な物よ。でもね、才能や力だけがあっても、それをどうすればいいのかと言う事をおそらくあの子は何も理解していない。理解出来ない物は、いずれ咲耶ちゃん自身を滅ぼす事になるわ。私の場合、一歩手前で清十郎が助けてくれたから、今こうして居るけど、あの時、彼が助けてくれていなかったら、どうなっていたか分からない。」
葵は、視線を決して熾輝から逸らす事無く、見つめられている。
「でも、僕も修行中の身ですし、誰かに教えられる様な事は・・・」
「あら、それを言うのなら、私や他の4人の師匠たちだって、修行中の身よ?」
「【力を手に入れたからといって、慢心してはならない。極めると言う事など、本来は在り得ないのだから。修行に終わりは無いのだ】・・・師匠達の教えですね。」
「わかっているのなら大丈夫ね。それに熾輝君は、私たちの弟子でしょ?女の子の一人や二人、助けられなくてどうするの。」
「・・・実際は3人になりそうですけどね。」
何だか葵に丸め込まれたような感じが否めないが、熾輝は苦笑しながら葵のお願いとやらを引き受けることにした。
「それと」
まだあるの?とでも言いたげな顔をした熾輝の両の頬がムギュッと摘ままれた。
「熾輝君、女の子には優しくしなきゃ駄目よ?」
「・・・わわりまひた」
意外に強く摘ままれているせいで、口を開け閉め出来ない熾輝は、分かりましたと発音出来なかった。しかし、葵は理解できていたのか、熾輝の答えを聞いて、満足そうにその手を離すと、玄関ドアを開ける。
「それじゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい、先生。」
未だヒリヒリする頬をさすりながら、熾輝は葵を見送った。
――――さて、そろそろ3人の事をどうにかしなくちゃな。
そんな事を考えながら、熾輝は軽く溜息を吐いて、リビングへと足を向けていくのであった。
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「それで、話って何かな?」
席に着いた熾輝が、改めて向かい合う3人に質問を投げかける。だが、大方の予想は出来ていた。おそらく魔導書回収の邪魔をしないでくれとかだろうと。
しかし、熾輝の予想の斜め上を行く発言が咲耶から発言される。
「あのね、私たちがしている事の協力をして欲しいの!」
協力、確かに彼女はそう言った。一瞬聞き間違いかと思い、キョトンとする熾輝は、驚いているのか、暫く固まってしまっていた。その間も咲耶は少年の顔を真面目な顔で見続けている。
「えっと、熾輝くん?」
「・・・一つ聞くけど、僕が魔導書を欲しがっているとか思わなかったの?」
「え?欲しいの?」
熾輝の質問に対して、まるで熾輝が魔導書を欲しがっていないかのように決めつけている咲耶だったが、彼女の両隣に座る2人は、それぞれ微妙な表情を浮かべていた。
先程、アリアも言っていた事だが、魔術師は魔導書という力を求める傾向があり、ましてや現代魔術の基礎を造り上げたエアハルトローリ―の魔導書は、1冊に幾つもの秘術が記されている大変貴重な書物なのだ。
だが、それはあくまでも魔術師ならば喉から手が出る程欲しいというものであって、熾輝は悲しいかな、その枠組みには入らない。
「正直に話すと僕自身は、魔導書が欲しい訳じゃない。」
「だったら、」
「ただ、必要なだけだ。」
「?」
熾輝の答えの意味が分からず、3人は不思議そうな顔をしている。
それも当然だろう。熾輝は魔術を使えない。よって、魔導書を持っていても宝の持ち腐れになるのは目に見えている。しかし、第三者に熾輝が必要としている秘術を使ってもらえるのであれば、魔導書自体を奪う必要などないのだ。
つまり、協力体制を敷くことによって、熾輝が必要としている秘術を使ってもらう事を交換条件にすれば、衝突は回避できるし、効率的に収集も可能となるだろう。
しかし、
「咲耶はさ、何で魔導書の収拾をしているの?」
熾輝の疑問、それは、彼女の目的を聞くと同時に、先程の葵との話を思い出しての事だった。
「約束したから。」
そう言って、咲耶は隣に座るアリアを見つめ優しく微笑むと熾輝へ視線を戻した。
「この魔導書はね、アリアとローリーさんとの思い出が沢山詰まった、とても大切な物なの。」
「ローリー・・・エアハルトローリ―!?」
信じられないといった表情をする熾輝。無理も無い、エアハルトローリ―とは千年以上も前の人物であり、彼との思いでと聞いて、アリアへと自然に視線を移してしまう。
「うん。私は、私が大切に思っている人の力になりたい。それが私が魔導書を収集する理由です。」
彼女の瞳は、決して逸らされる事無く、熾輝の目を射抜いていた。
「・・・魔術師は、力を求めるもの。どうして君の言葉を信じられると?君だけがその他大勢の魔術師と違っている様には僕には見えない。」
「っ!?」
先程、アリアが葵に対して言った台詞をそのまま投げ返され、アリア自身、バツが悪そうな顔になっている。
「熾輝君の言っている事は尤もだと私も思う。でも熾輝君、君には居ない?この人のためだったら例え命を掛ける事になっても惜しくないと思える人は。私にとっては、可憐ちゃんやアリアがそう。私は、過去にアリアや魔導書から逃げて可憐ちゃんとアリアを危ない目に遭わせた事があるの。」
彼女はその時の事を思い出しているのか、溜まった涙が今にでも零れんとしているのを必死に堪えている。
「だから私は誓ったの、この魔導書を集めるって。集め終わった後の事はそれから考える。」
誓い、そう言った彼女の目には何物にも勝る決意が体現しているかの如く強い光が放たれているのを熾輝は確かに垣間見た。
「誓いか・・・」
熾輝は思い出す、魔界で交わした約束を、それは彼女が言うように、己に架した誓いなのだと今ならはっきりと言える。
―――僕もきっと夏羽のためなら命なんか惜しくない
「いいよ。咲耶たちに協力する。」
「本当に!?」
「だけど条件がある。」
「条件?」
「うん、それは――――――――」
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「まさか、協力してくれるとは思わなかった。流石咲耶だね。」
「えへへ。」
「話してみないと分からないと御爺様もおっしゃっていましたから。それに、咲耶ちゃんの思いが八神君にも伝わったんですね。」
「ん~、確かに結構カッコイイ顔だけど、もう少し愛想ってものがあれば、咲耶を上げもいいと思うんだけどなぁ。」
「ちょ、ちょっとアリア!私は別にそんな!」
そのような冗談交じりの会話をしつつ、夕日の中、3人は帰路につく。
だが、少女たちは知らない。八神熾輝に関わると言う事がどういう事なのか、そして魔導書の収拾が彼女たちの人生をどのように左右するのかという事も。
 




