第四二話【ディアボロスの帰還Ⅲ】
熾輝を乗せた旅客機は、上海を離れて海の上を飛行している。
窓ガラス越しには、一面雲の荒野が広がり、ところどころに雲の隙間からは大海原が見える。
そんな窓の外を見ている熾輝ではあるが、現在、旅客機内は大変な騒動が起きていた。
「いいか!妙な真似をしたら撃ち殺す!」
「全員大人しくしていろ!」
「ギャハハハ、言う事を聞いていれば、無事に日本に到着できるかもしれないぜ。」
何故こんなことになったのか、目の前には拳銃を持った男が3人、乗客は怯えて常に下を向き、乗客乗務員は、拳銃を突き付けられて人質にされている。
熾輝が乗った旅客機は、大変珍しい事に目下、ハイジャック犯に占拠されていた。
―――――――――――――――
話は遡る。
老師達と別れた後、熾輝は日本に向かう旅客機に乗り込み、飛行機は何事も無く無事に離陸した。
円空が前もって用意していたシートは、子供と式神2人が座るにしては、豪華すぎるファーストクラスのシート、窓際に熾輝が座り、その後部座席に双刃、そして彼の前席には羅漢が座っている。
仲良く横一列に席は取れなかったようであるが、別段不自由がある訳ではないので、全く気にしてはいないが、双刃は熾輝の隣に座れなかったことを何処か不満げにしていた。
離陸して数分がしたころ、シートベルト着用のランプが消え、各々がシートベルトを外したころ、不意に誰かが喋る声が聞こえた。
「敷居が無いファーストクラスって珍しいわね。」
これだけ聞くと、ただの独り言に聞こえなくも無い、だからこそ熾輝もそう思い、特に気にしていなかった。
しかし、喋った方はそうでは無かったらしい。
「ちょっと、君に話しかけているんだけど?そこの眼帯をしたアンタよ。」
眼帯、その言葉に、話し手はどうやら自分に声を掛けたようだと思い、熾輝は声のする方へと顔を向けた。
「あら、結構可愛い顔をしてるじゃない。」
そう話しかけてきたのは、熾輝と同い年くらいに見える女の子だった。
胸元まである長い髪を三つ編みにし、髪の先端をリボンで結んだ髪型。赤いドレスの様なワンピースは、その少女をより一層栄えさせているようにも見える。
「・・・可愛いは、男にとっては褒め言葉じゃないよ。」
「そう?悪かったわ。別に悪口を言ったつもりじゃ無く、私の本心よ。」
小悪魔の様に笑う目の前の少女を見て、
――――依琳を少しだけ大人しくさせたら、こんな感じかな?
と思いつつ、話しかけてくる少女に耳を傾ける。
「私は城ケ(が)崎朱里、朱里でいいわよ。アンタは?」
「八神熾輝、僕のことも熾輝でいいよ。」
「そう、日本まで宜しくね熾輝。」
そう言って、右手を差し出してきた少女と握手を交わす。
赤の他人に対して、ここまでフランクに接してくる相手も珍しいと思いながら、二人は会話を続ける。
「―――じゃあ、熾輝は日本へ帰るところなのね。」
「うん。来週からは学校にも通うから、日本に帰って暫くは準備で忙しくなりそうだよ。」
「学校かぁ、やだなぁ。」
学校と聞いた瞬間、先程までとは打って変わって、テンションを下げた少女は、何処か遠い目をしている。
「朱里は、学校が嫌いなの?」
「嫌いよ、特に人間関係がめんどい。」
「10歳の子供が人間関係に悩むなんて、一体どんな学校に通っているの?」
「んー、私の通っている学校は、ちょっと特殊でね。それに私って、自分で言うのもなんだけど、天才なのよ。」
自称天才と名乗る目の前の少女は、当たり前の様に自分を天才だと言い切った。
「自分を天才っていう人を漫画以外で初めて見た。」
「だって、本当の事よ。先生達もそう思っているから私をこの三ヶ月、イギリスに交換留学に行かせたんだもの。中国に寄ってたのは、ちょっとした用事があっただけ。・・・だからかな、クラスの連中が私を遠ざけるのよ。」
そういった、彼女は一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ、直ぐに気を取り直したのか、ニコリと笑った。
「そんな事よりさ、ゲームしましょ!」
「ゲーム?」
「そう。最近の飛行機って、ゲームも付いていて、対戦も出来るんだから。」
おもむろに、座席に設置されたタッチパネルを操作し始めた彼女はチェスのゲームを起動させ、熾輝も促されるままに同じゲームを起動させた。
「ルールは知ってる?知らなかったら教えるわよ?」
「大丈夫、ルールだけなら知っている。」
「ルールだけ?なによ、チェスは初めて?」
「初めてだけど、基本的なルールと定石は前に本を読んだからわかるよ。」
「へぇ、なら手加減してあげるわ。」
「必要ない。勝負に手心を加えられて喜ぶ男はいない。」
「・・・覚えておくわ。だったら、本気で行くからね。言っておくけど、私このゲームで負けたこと無いから。」
そういって、二人はタッチパネル越しにチェス勝負を始めたのである。
―――――――――――――
熾輝と朱里がチェス勝負を始めた同時刻、エコノミークラスでは、とある男が怯えながら、周りを警戒していた。
そのあまりに挙動不審すぎる態度を見かねて、隣席の男が小声で注意する。
「おい、少しは落ち着け。」
「落ち着け?落ち着けだって?これが落ち着いていられるか。」
「大丈夫だ、アンタの事は俺達が守ってやる。」
「どうだか、ボスは裏切り者を許さない。今朝だって、身を隠していたホテルに組織の人間から手紙が届いたじゃないか。」
「わかっている。だから万全の態勢でアンタを護衛するんだ。安心しろ、アンタの元ボスを刑務所に必ず送って、平穏な日常を過ごさせてやる。」
「あ、ああ。よろしく頼むぜ、アンタ達だけが頼りだ。」
――――――チッ、この犯罪者が、どうしてこんな奴の護衛を俺がやらなきゃならんのだ。
男を安心させた護衛の者は、心の中で毒づく。
彼の正体は日本の警察官、そして彼の隣に座っているこの男は、とある犯罪組織に最近まで身を置いていた。
では何故、犯罪者を検挙する警察官が犯罪者を護衛しているかというと、男が加入していた犯罪組織のボスを捕まえるために、重要な証拠を握っており、その証拠と証言がどうしても必要となり、司法取引の末、中国まで逃げていた男を証言台に立たせるために日本まで護送する事となったのである。
そして、捜査官とは別に、男を挟み込む形でもう一人、女性の捜査官が座席に座っている。
しかし、彼女は搭乗してからずっと、アイマスクをして眠り続けている。
そんな彼女のやる気のなさは、男性捜査官の苛立ちを煽る物があったが、彼女が自分よりも階級が上でなければ、文句をいっていたところだ。
しかし、悲しいかな、日本の警察は階級社会であるため、彼が上司である彼女に文句を言う事は出来なかった。
彼は、守りたくも無い犯罪者と、やる気のない上司と共に日本を目指す。
――――――――――――――
「・・・負けました。」
ムスっとした朱里の声と共に、画面に投了の文字が表示される。
彼女は、目下熾輝に5連敗(全敗)中である。
「あんた、やった事が無いのは嘘だったんじゃない?」
「嘘じゃないよ。何方かというと朱里が弱すぎるんじゃない?」
「な!?失礼ね、私はこう見えて色々なチェスの大会で優勝してるんだから。」
「そうなの?まぁ、10歳のチェスの大会のレベルがどの程度かは知らないけど。」
朱里は、決して弱くない。
むしろ、天才という呼び名に相応しく、彼女が出場するチェスの大会の殆どが大人が入り混じるような大会であり、大の大人ですら彼女は負かしてきた実力者なのだ。
しかし、ここで大人の大会でも優勝したというと、彼女のプライドが傷付いてしますので、敢えてその事には触れないと朱里は、心の中で誓った。
「はっはっは、お嬢さんは決して弱くないよ。」
そんな熾輝と朱里のやり取りを聞いていたのか、朱里の一つ隣の席に座っていた老人が声を掛けて来た。
「失礼、先程から、楽しそうに話していたから、自然と耳に入って来てしまってね。」
老人は柔らかい笑顔で、二人に話しかけてくる。
「すみません。うるさかったですか?」
遠回しに注意されたと思い、熾輝は直ぐに老人に謝罪した。
「いやいや、そんな事は無いよ。先ほどから楽しそうな二人の声を聴いていたら、私も早く日本に帰って孫に会うのが楽しみになってきたよ。」
「中国には、お仕事で?」
「いいや、もう現役は引退してね。だけど、昔務めていた会社の部下が取引先とトラブルを起こしてしまってね。早い話、仲直りの仲裁に出向いていただけで、観光がメインだったよ。」
「へー、それで仲直りは出来たの?」
「ああ、元々ボタンの掛け違いみたいなものだったから。直接出向いて話し合えばなんてことのない問題だったさ。」
「そんな喧嘩の仲裁に、お爺ちゃんが出向かせるなんて、酷いわ。」
「有難うよ、お嬢さん。君は優しいいい子なんだね。」
「そ、そんな事ない・・・です。―――そ、それにしてもお腹空いたわね。」
そう言われた朱里の顔が赤くなり、照れ隠しなのか、話を変えようとしている。
現在の時間は、日本時間でもうじき12時になろうとしていた。
「熾輝は、魚とお肉どっちを頼んだの?」
未だ照れ隠しを継続中なのか、中々赤くなった顔が元に戻らない朱里から話を振られる。
「僕は魚料理を頼んだ。朱里は?」
「私はお肉料理よ。料理が来たら、少し食べさせてよ。」
「いいけど、朱里のも少し分けてよ?」
「分かってるって。」
そんな他愛も無い話をしている時だった。
客室乗務員が機内のアナウンスで呼びかけをする声が聞こえた。
「み、皆さま・・・」
しかし、その声は何処か怯えた様な声だったため、朱里と話していた熾輝は自然とアナウンスに耳を傾けた。
「と、投機は只今ハイジャックされました。大人しくしていれば、命は奪いません。しかし、抵抗する様なら拳銃で射殺します。どうか、皆さまは、そのまま座席を立たずに大人しくしていて下さい。」
一瞬の静寂、おそらく旅客機に乗り込んでいた乗客の殆どが乗務員の言葉に対し、理解が追いついていないのだろう。
しかし、それも一瞬のこと、次第に他の乗客たちは慌てだした。
「・・・参ったね。」
どうしようもない状況に熾輝は思わず溜息を吐いた。
『熾輝様、これはもしや。』
熾輝の席の後ろから、事態を把握した双刃が、小声で話しかけてきた。
『いや、双刃が思っているような事ではないと思うよ。それに下の階に居る乗客からは、魔力を感じないし、能力者の様なオーラの気配も感じない。多分別件だ。』
『成程、では速やかに対処いたしますか?』
『それは、やめておこう。相手は武器を持っているらしいからね。他の乗客を危険に晒すより、本業の人達に任せた方がいい。』
『招致しました。』
そう言った双刃は、前のめりになった姿勢を正し、大人しくシートに腰かけた。
「今のって、本当かしら?」
余りのことに、未だ信じ切れていない朱里は、つい疑問を口にする。
「乗務員の冗談だったらいいけど、それはそれで大問題だね。」
「どうするの?」
「・・・どうするも何も、僕たち子供に出来る事なんて無いよ。こういう事はお巡りさんに任せるのが一番だ。」
「・・・ここは空の上よ。どうやって警察が来るのよ。」
「尤もな意見だけど、こういう国際線の飛行機には航空警察が一緒に乗り込んでいるから心配はいらないよ。」
航空警察、またの名をスカイマーシャル、彼らの任務は、旅客機に搭乗し、ハイジャック等の犯罪に対処する武装警察官のことである。
そして、熾輝の言ったとおり、この便にも航空警察が乗り込んでいた。
しかし、その航空警察自身が今回のハイジャック犯を手引きしていたのだ。
――――――――――――――――――
「いいアナウンスだったぜスチュワーデスさん」
エコノミークラス、ビジネスクラスを占拠したハイジャック犯は、拳銃を乗務員に突き付けていた。
銃口をコメカミに押し付けられた乗務員は、震えながらマイクを置き、殺さないでと犯人に懇願する。
「へっ、さっきも言ったが、大人しくしていれば殺しはしないし、乱暴するつもりもねぇよ。」
そう言うと、男は突き付けていた拳銃をズボンと腹の間にしまい込んだ。
「さてと、スチュワーデスさん、お次はアンタに頼みがあるんだ。」
「な、何をさせる気ですか?」
震えながら問う乗務員は、犯人が気分を害さないように、献身的に尽くすしか方法がなかった。
「なに、簡単なお願いだ。乗員名簿を見せてくれ―――」
身構えていた乗務員ではあるが、犯人からの要求は、彼女が考えていた恐ろしい事とは異なり、至極簡単な物だった。
乗務員控室に入ったスチュワーデスは、犯人の男に乗客名簿を差し出しすと、それを乱暴につかみ取り、もう一人の犯人と一緒になって名簿へと視線を泳がせる。
「ちっ、やっぱり偽名で乗り込んでやがる。」
「ならどうやって探す?」
「ちょっとまて、今考える。」
「それにしても、ボスも偉い仕事を押し付けてくれる。組織のメンバーで誰も奴の顔を知らないなんて。」
「しょうがねぇだろ、元々奴はネット関連の仕事を任されていただけで、連絡は向こうからの一方通行のみだったって話だ。だが警察が絡んだおかげで奴のホテルの割り出しや、この便に乗り込む事が分かった。あとは、こっちで何とかしなきゃ俺達がボスに殺されちまう。」
「そうなったら、俺は日本に身を隠すぜ。」
「笑えない冗談だ。」
「兄貴、ちょっといいですか?」
そんな二人の会話を他所に控室に仲間の一人が入ってきた。
「なんだ?」
「ファーストクラスの制圧をそろそろしたいんですが、二階に入るためのカギをそこのスチュワーデスが持っているらしく、鍵を渡してもらいたいんですが。」
「ちっ、別にファーストクラスの連中なんざそのまま閉じ込めておけばいいだろう。」
「しかし、万が一奴がファーストクラスに居るとも限らないですし。」
部下の申し立てにも一理ある。
通常、こういったケースで警察が用意する座席はエコノミーか、良くてビジネスクラスである。
しかし、こちらの裏をかいてファーストクラスに乗り込む可能性がない訳ではないのだ。
「わかった。一応言っておくが、一人で行動するなよ。万が一、調子に乗った乗客に武器を奪われたら面倒くさいからな。」
「わかってますって。」
そう言うと、男は乗務員から鍵を奪い取り、熾輝達の居るファーストクラスへと向かったのだ。
―――――――――――――
『いいか、大人しくしていろ。』
エコノミークラスの客席で小声で話す日本警察の男は、隣で震える男に注意を促す。
『な、なんで奴らハイジャックなんて真似をするんだよ。』
『イカれた連中って事は間違いないが、それ程にアンタを殺したいって事だろう。だが、そんな連中が未だにアンタを見つけられないのは、やはりアンタの顔を知らないって事だ。』
『その通りだ鈴木君』
いつの間に、というか旅客機がハイジャックされた時点で目を覚ました上司は、状況の把握をするため、冷静に現場を観察しながら話しかける。
こういう時の彼女は、頼りになる事を彼は知っている。
『いずれにしろ、このまま黙っていれば、連中はアンタを見つけ出す方法なんて無いんだ。だったら、現状のまま飛行機を飛ばし続けて、着陸を待とう。そうすれば、日本の警察が彼らを制圧するか、奴らも諦めて投降するはずさ。』
それを聞いた男は、何処か安心したのか、落ち着きを取り戻し、他の客同様に大人しくすることにした。
―――まぁ、奴らがこのまま黙って事態の終息を指を咥えて待っているとは、思わないがな。
彼女が分析したところ、ハイジャックなどという強行に出た連中が、大人しく引き下がるとは、思っていなかった。しかし、女性捜査官は、あくまでも冷静に現状を見守ることにした。
――――――――――――――――
「さて、どうするか・・・。」
男は、ハイジャックしたはいいものの、手詰まりの現状に苛立ちを募らせていた。
「兄貴、あと3時間もすれば日本に着いてしまいますよ?」
「わかってる!人にばっかり考えさせてないで、お前も少しは考えろ!」
思わず怒鳴ってしまったが、それ程に、現在の状況は、男を焦らせていたのだ。
「・・・だったら、誰か人質をとって出てこいって脅してみます?一緒に居るのは警官でしょ?奴がアクションを起こさなくても警官が何か行動を起こすかもしれません。」
「一理ある・・・だが、脅したところで、他の客が騒ぎ出したら見分けが付かんぞ。」
「だったら、機長を脅して着陸する時間を伸ばさせましょう。その間に良い考えが浮かぶかもしれません。」
飛行時間の延長、男の提案は、ただの時間稼ぎではあるが、現状はそのようにするしか方法が無いとリーダー核の漢も思ったのか、部下の提案に乗る事にした。
「そうだな。コクピットはどうなっている?」
「ファーストクラスの部屋を突っ切ったところに設置されているらしいです。この機体はテロ対策用の処置が完全に施されていないらしいので、扉は旧来の物だから簡単に開けられます。それに、パイロットの一人も買収済みですから、無理にこじ開けなくても中から開けて貰えます。」
「そうか、だったら直ぐにやれ。」
「はいよ。」
緊張感のない男は、踵を返して、ファーストクラスのある二階へ向かう。
こういう時、部下の楽観的な性格が羨ましく思う男ではあるが、だからといって部下の様になりたいとは思えない。
ファーストクラスへ向かう部下を背にして、エコノミークラスへ向かおうとした時だった。
「うわっ、何だ!?」
先程見送った部下の声が男の耳に届いた。




