第四〇話【ディアボロスの帰還Ⅰ】
新章突入です。
今回は気合を入れて少し長めに書いてみました。
魔法とは人が世界と繋がるための力であり、その力を発現させるために我々は術式を通して世界の事象と干渉する。
しかし、人が観測できる事象が全てでは無い。
世界の事象は、我々が観測できる表面的な事柄だけにとどまらず、万物の理そのものなのだ。
故に、人が魔術を通して世界と繋がれるのは本当に些細な一部分に過ぎない。
残念な事に、人は魔導の一部を禁忌と定め、その可能性を自ら摘んでいる。
もしも、人が本当の意味で世界と繋がろうと思うのであれば、魔法に出来ない事などないと言える。
私の魔導が遠い未来、本当の意味で世界と繋がることが出来るようになるために、ここに私の全てを残そう。
願わくば、私の魔導が花開く事を切に願う。
――――エアハルトローリー
薄暗い部屋で、少年は一冊の本に魅入っていた。
そして、あるページで紙をめくる少年の手が止まる。
「・・・。」
その本は千年前の魔術師の事について書かれており、彼が作り上げた魔法式の基礎や伝記が記されていた。
エアハルトローリ―、千年前に実在した大魔導士と呼ばれるその人物の魔法式は、現代魔法の基礎と呼ばれており、未だに彼が考案した魔法式の基礎はほぼ全ての術式に使用されている。
何事にも感情を動かされない、少年にとってエアハルトローリ―の魔法式に興味が湧いたのは珍しいことだった。
少年はある事件以来、感情と記憶を失っている。
しかし、彼を取り巻く大人たちによって、少なからず失われていたハズの感情が取り戻されつつあるのだ。
それは、本当に些細な変化かもしれないが、今の少年ならば社会に適合するだけのコミュニケーションも可能であると、彼の師であり主治医の東雲葵も太鼓判を押すほどに。
熾輝が書斎で本を読んでいた折、部屋の外からドタドタと慌しい足音が響いてきた。
少年は音を聞いただけで、足音の主が誰なのか直ぐに分かり、その誰かが何処に来るかと言う事も察している。
そして、音の主が書斎の扉の前までやってきたところで足音がピタリと止まり、次の瞬間
バンッ!
勢いよく扉が開かれた。
開いた扉はそのまま押し開けられ、地面に設置されていたストッパーに当たると、勢いを失って止まる。
毎度の光景ではあるが、その内扉が壊れてしまうのではと思う少年は、足音の主へと振り返った。
「お帰りなさい、依琳。」
「ただいま!熾輝!遊びに行こう!」
少女の名は【蓮依琳】、熾輝の師である蓮白影の孫である。
年齢は熾輝と同じ十歳、活発過ぎる性格で常に周囲への注意力が足りず、よくトラブルを起こす。
先程の扉を開ける事についても何度か家の者に注意されているが、中々直らない。
駆け寄ってきた少女は、熾輝が先程まで呼んでいた本が気になったのか、顔をヒョイっと覗かせて本の中身に目を通す。
「何の本を読んでいたの?」
「エアハルトローリ―の伝記だよ。」
「えあはるとろーりー?」
本に掛かれているのは昔の文字らしく、依琳には読むことが出来なかった。
尚且つ、魔術師の間では伝説的な人物ではあるが、白影の孫である彼女が彼の事を知らないのは単に勉強不足という理由だけでは無く、彼女が魔法を学んでいないということが大きい。
魔術師としての素養が無いという事は無い。
しかし、彼女自身が魔術に興味を示しておらず、それよりも武術に重きを置いているのだ。
「エアハルトローリー、今から約千年位前の偉大な魔術師、彼が考案した魔法式はこの千年の間、世界中の魔術の基礎となっているんだ。」
熾輝にしては珍しく、言葉に熱を持たせて話をしている。
「熾輝とどっちがすごいの?」
依琳のすっとんきょうな質問に熾輝の目が一瞬点になった。
「そんなの比べるまでも無くローリーに決まっているよ。彼の魔法式は千年間使われているという事は、あの時代の魔法を千年進歩させたと言ってもいいし、これからも使われ続けるかもしれないから更に先の世代まで進歩させた事にもなるかもしれないよ。」
「えー、でもみんな熾輝の事すごいって言っているよ。あんな魔法式今まで見た事ないとか、こんな方法があったのかとか色々言ってるし。」
熾輝の答えに対し、納得いかないとばかりに抗議する依琳は頬っぺたを膨らませる。
「ありがとう依琳、でも僕がやってるのは元の術式にアレンジを加えたり、その人に合った術式に組み替えている程度の事だよ。それに僕自身は魔術を扱えないからね。」
「・・・それでも、私にとっての一番は熾輝なんだもん。」
「え?」
「・・・なんでもない!それよりも早く遊びに行こうよ!」
そう言って少女は熾輝の腕に抱き付くようにして引っ張り上げる。
熾輝は座っていた椅子から強制的に立ち上がらされて、グイグイと引っ張る少女と共に書斎から出て行った。
上海、中国の東に位置するこの都市は東シナ海に面しており、世界の商業・金融・工業・交通などの中心の一つである。
総人口約2500万人、総面積約6300㎢、一年の殆どが温かい環境に恵まれており、近代化によって建てられたビルなどの明かりは、世界中の人々から100万ドルの夜景と呼ばれている。
また、中国の魔術師の多くが上海に滞在しており、数多の結社が日々抗争を繰り広げている魔窟なのだ。
そんな中国に熾輝が足を踏み入れたのは、約一年程前に遡る。
暁の夜明けとの事件の後、熾輝を狙う結社が鳴りを潜めたことにより、プロの魔術師達が彼を狙う事は無くなった。
しかし、彼に恨みを持つ者が居なくなったわけではなく、そういった輩の目を欺くため、暫く国外へと姿を隠すという結論に行きついた際、彼の5人の師の一人である蓮白影の母国へと行くことが決まったのである。
日本を離れた熾輝は白影と日本から文字通り飛んでくる円空の元で修行の日々を過ごしていた。
八神熾輝10歳の年である。
「―――それでね、劉邦ったら、また上級生と喧嘩して先生に怒られたの。」
書斎を出てから喋りっぱなしの依琳に腕を引かれながら、熾輝はその話に相槌を打っていた。
「まったくアイツも懲りないわよね。」
「劉邦も理由があって喧嘩したかもよ?」
劉邦とは依琳の幼馴染であり、今は熾輝と共に白影から武術の手解きを受けている、言わば熾輝の弟弟子にあたる。
「そんなの知らないわ、とにかくアイツは喧嘩っ早すぎるのよ。今度お爺ちゃんに言って説教して貰わないと、蓮家の品格に関わってくるんだから。」
蓮家の品格と聞いて、熾輝が普段知る依琳の行動を見ていると、棚上げな発言と思わなくも無いが、そこはしっかりと心の中にとどめ、苦笑いを見せる。
「老師も理由があっての事なら怒らないと思う。」
「なによ、熾輝は劉邦の味方なの?」
頬っぺたを膨らませて怒ったように問い掛けてくる依琳に熾輝は苦笑いを浮かべる。
「もっと幼馴染を信じてあげたら?」
「・・・何か理由があったとしても、きっと女の子絡みよ。どちらにしてもろくな理由じゃないハズよ。」
女の子絡みと聞いて、妙に納得してしまう。
劉邦という少年は、熾輝と同じ10歳の子供であるが、かなりの女の子好きだというのが熾輝の彼に対する評価である。
本人に言えば怒られるので絶対に言わないが。
「そう言えば、双刃は何処にいるの?」
話題をあちらこちらへと変えてくる依琳は、悪く言えば落ち着きのない女の子であるが、いつも元気で気になったことを直ぐに口にする子であり、周囲の人間もそんな彼女の明るさに励まされている事が多い。
「叔母さまと夕飯の買い物に行っているよ。」
「ふーん。」
「今日は餃子をつくるって言ってた。」
「ふーん♪」
餃子は彼女の大好物で、何となく聞いた双刃の事は特段どうでもよかったのか、餃子と聞いて、同じ返事をしてもそのテンションは大きく違っている。
双刃は熾輝の亡き母親の式神であり、一年程前に熾輝と共に中国へやってきた。
もう一人、羅漢という式神も一緒に中国へと渡ってきたが、普段彼は熾輝の傍にはおらず、好き勝手にしている。
熾輝にべったりな双刃に比べ羅漢は、色々と趣味を見つけては、それを楽しんでいるようで、最近はパソコンを自作で組み立てたり、プログラミングの勉強をしたりと色々と挑戦している。
「じゃあさ、夕飯までにお腹ペコペコにしなきゃいけないわね。」
そう言って、駆けだした依琳は後ろを振り返って、早く行こうと身体全体をつかって熾輝を手招きする。
上海の市街地の一角に位置する蓮家は近隣の住宅と比べても一際大きい。
その庭ですら近隣の家屋が何棟も建ってしまうのではないかと思う程にだ。
そんな広大な庭の片隅で二人の子供が共に遊んでいる。
これ程大きな庭なのだから隅っこではなく、もっと広いところで遊べばと思うかもしれないが、それは彼らの遊びに関わりがあった。
一人の少女が壁から10メートルほど離れた場所から助走をつけて一気に壁へと突進を始めた。
そして壁の数歩手前から一気に跳躍をして、真平の壁を蹴るとそのまま更に跳躍し、壁に面した家屋の二階に設置されたベランダに手を掛ける。
そのままベランダをよじ登り、家屋の小さな窪みやパイプを利用して屋根まで登る。
登り切った少女は、屋根から顔を覗かせて、下にいる少年へと手を振った。
「熾輝ー!どう?すごい?」
ドヤ顔をする少女に拍手で答える少年は、屋根の上にいる少女を見上げている。
少年達が今行っている遊びとは、【パルクール】壁や地形を活かし、走る・跳ぶ・登るなどの動作を複合的に実践するスポーツである。
熾輝が以前住んでいた森の中では、木々や崖などを使って行っていたが、こうした都会にはそういった自然物が無いため、主に建物を利用して修行を行っていた。
そんな修行を行っていた際、依琳が「忍者みたい!カッコイイ!」といい始め、今では二人の遊びといえば、もっぱらこのパルクールなのである。
「熾輝も早くおいでよー!」
「今行くよ。」
そう言って、熾輝が助走をつけようとした直後、家の玄関の方から大きな声が響き渡る。
「頼もーー!」
声からして少年のものだ。
「「・・・。」」
しかし、その声の主は二人にとっては見知った人物のものである。
「頼もーー!」
返事が無い事から何度も大声を出す少年
どうした物かと一瞬考えて、屋根上の依琳に視線を向けると、口元に人差し指を一本立てて手招きをしていた。
どうやら無視して上がってこいと言っている。
ジェスチャーに従って、少年も壁を蹴って一気に家屋を登り少女の眼前に躍り出た。
「アイツ懲りずにまた来たのね。」
「でも、あのまま放っておいたらずっと叫んでいるかもよ?」
「知ったこっちゃないわよ。そうしたいならそうさせておけばいいの!」
幼馴染をアイツと呼び、そのまま放置するという依琳に、内心ヤレヤレと苦笑いを浮かべる。
「見つかったら、また面倒だから裏の方から出るわよ。」
そう言って、屋根の上を駆ける少女は、正面玄関とは逆側へと向かい、敷地の壁へとジャンプする。
熾輝も少女に続いて屋根から飛び降りた。
一度壁の天辺を蹴って落下の速度を殺し、見事に着地した二人は、傍から見たら立派な忍者である。
「一緒に遊べばいいのに。」
「嫌よ、アイツ直ぐ熾輝と組手したがるんだもん。熾輝は今日、私と遊ぶの!」
熾輝と遊ぶことは依琳の中で、既に決定事項となっており、それに反論する事無く少年は、「そうだね」と一言いうと、少女は満面の笑みを浮かべて歩き出した。
「だけど依琳」
「何よ?」
「もう見つかったみたいだよ。」
そう言った途端、二人の進路前方の曲がり角から、一人の少年が飛び出してきた。
「無視すんなやーーーっ!」
ゼエゼエと肩で息をする少年は、一言だけ叫ぶと、暫く下を向いて乱れた息を整え始めた。
「・・・さ、いきましょ熾輝。」
未だ呼吸を整えている少年の横を依琳が素通りする。
例に習って熾輝も同様である。
「ちょ、待って、待って。」
置いて行かないでとばかりに、素通りしようとした熾輝の袖を掴む。
「・・・劉邦、門前で変な声出さないで普通に遊びに来なよ。近所迷惑」
「うっ、うるさいな!ゼェ、だったらいつも逃げないで俺と勝負、ハァ、しろよ!」
苦しそうに、しかし一生懸命言葉を発するこの少年の名は劉邦
依琳の幼馴染で一年程前、とあるイザコザの際に熾輝との勝負に負けた少年は、何かにつけて熾輝に勝負を挑んでくるのだ。
その粘り強さを認められ、熾輝の師である白影から武術を習い始めたのである。
元々の才能もあり、その腕はメキメキと伸び、最近では学校の上級生にも勝てる相手が居ないと依琳から聞いている。
二人の関係上、劉邦は熾輝の弟弟子にあたるが、劉邦本人はそれを認めておらず、好敵手と言っているらしい。
「ちょっと、劉邦!熾輝は今日わたしと遊ぶんだから邪魔しないでよね!」
そういって劉邦の耳をつまみあげて熾輝から引き剥がそうとする。
「ああああ!痛い、痛い!や、やめて!」
あれは本当に痛そうである。――――などと思いながら、二人を眺めていたが、このまま放っておくと、少年の耳が頭部から千切れそうだと思い止めに入ることにした。
実際、依琳は力加減を知らない子なので、本当に耳が頭部からグッバイしても可笑しくない、下手をしたら明日の朝刊の三面トップを飾るだろう。
そうなったら、師匠や依琳の両親が悲しむ。
「依琳、そのくらいにしないと劉邦が泣いちゃうよ。」
「・・・熾輝がそういうならやめてあげる。」
基本、依琳は熾輝の言う事には素直に従う。
とは言っても最初、熾輝が中国に来たときは、いつも熾輝を睨みつけていた少女であったが、ある時を境に熾輝に心を開くようになった。
今では、周りの大人のいうことよりも熾輝の言う事なら聞くといった感じである。
蓮家のじゃじゃ馬、それが周りの人達が依琳に持っている印象。
しかし、ここ一年でその印象は薄れ、今ではその気性の粗さも鳴りを潜めているが、時折り顔を覗かせる。
依琳の魔の手から解放された劉邦は、先程まで痛めつけられていた耳を抑えながら半泣きしているが、どうにか心を持ち直したのか、蹲っていた状態から立ち上がり、熾輝を見つめた。
「誰が泣くかっ!」
半泣きだった少年、しかし、意地はとおす。
熾輝も、この少年の事は嫌いではない。むしろ好感をもって接している。
あれだけ、酷い事をされても少年は決して女性にだけは手を上げようとはしないのだ。熾輝もその辺に関しては、彼を尊敬している。
ここ一年で、熾輝と親しくなった子供たちは何人かいるが、特に熾輝が心を開いているのは、白影の孫である依琳と目の前の少年、劉邦である。
言わずも知れた、熾輝の無感情ではあるが、彼は親しくなった者に対しては感情を表すことがある。しかし、そういった知り合いはまだまだ少ない。
彼自身、自覚しているのは、魔界で出会った夏羽という少女と5人の師匠、そして依琳と劉邦、その他数人である。
「劉邦、つい一週間前に勝負したばかりじゃないか。」
「へへ、お前に勝つために新しい必殺技を考えて来たんだ。」
「必殺技?」
「おうよ!その必殺技で今日こそお前に勝つ!」
「威勢がいいのは結構だけど、組手は老師が居る時じゃなきゃ駄目だって言われているからまた今度ね。」
「そうよ!お爺ちゃんの言いつけを守らないと上級生と喧嘩したこと言いつけるわよ!」
「・・・・・またにしようか。だから老師には言わないで下さい。」
どうやら、劉邦も武術の師である白影は恐いようで、喧嘩した事は黙っていてほしいようだ。
しかし、熾輝は知っている。
この少女の口の軽さを、おそらく今晩の夕食時にでも劉邦との約束を綺麗さっぱり忘れた依琳は面白おかしく話すのだと。
「しょうがないわね、じゃあアンタも一緒に遊びましょう。」
そう言って三人の少年少女は、上海の街中を走り回る。
それだけ聞けば、子供たちが平和に遊んでいるように聞こえるが、実際は忍者の如く色々な建物を跳び移ったり登ったりと、危険極まりない事をしているのだ。
―――――――――――――
上海武術連盟、ここでは老若男女を問わず多くの門下生が日々己を鍛えている。
ある者は健康のため、ある者は子供の可能性を伸ばすため、そしてある者は武術にその身を捧げた者、様々な理由で武術を学ぶ。
そして、その中にどの理由にも該当したない理由で武術を学ぶ者がいた。
「お互いに礼!」
審判の号令と共に向き合った二人の少年が一礼し、構えをとる。
「始め!」
試合開始の合図と共に飛び出したのは、武術歴1年の少年
「劉邦、やっちまえ!」
「今日こそ勝て!」
「上海最強はお前だ!」
次々に飛び交う応援、しかし、試合をする劉邦にその声はまるで聞こえていない。
相手の少年の間合いの外から跳躍し、空中で身体を捻ったことにより溜めを生み出し、一気に蹴りを放つ。
放たれた蹴りは相手の頭部目がけて襲いかかるが、それを掻い潜り無防備になった身体に手を引っ掛けて思い切り引っ張る。
空中でバランスを崩した劉邦は、そのまま頭から床に落ちそうになる直前に両腕を床に着き、肘を曲げて衝撃を逃がす。
そのままの姿勢からカポエラの容量で身体を回転させて蹴りを放とうとした直後、一気に間合いを詰めて来た少年が身体を深く沈めるように武術としての体当たりで劉邦を場外へと弾き飛ばした。
「それまで!勝者、熾輝!」
一礼した熾輝は、闘技場の外へと出てから対戦相手であった劉邦に近づく。
「劉邦、大丈夫?」
「痛てて。」
壁際まで吹っ飛ばされた少年は、逆さまの姿勢で熾輝を見上げている。が、目の焦点が合っていないため、軽い脳震盪を起こしているようだ。
逆さまの姿勢だった少年を横に寝かせて回復を待つ。
「あぁ、くそぉ、また負けた。」
悔しそうに声を漏らす少年は、対戦相手に解放されたことで余計に悔しさが倍増しているが、これはもう、いつもの事なので、あまり気にしないようにしている。
「「熾輝!様!」」
そこへ、二人の少女が走ってやってきた。
「ゲッ!」
「ちょっと劉邦、何が【ゲッ!】よ?」
「そ、そんなこと言ったか熾輝?」
「言ってたね。」
「おいっ!そこは嘘でも言ってないって言えよ!」
「りゅーほー!」
「ま、まって!まだ身体が動かない――あああぁぁ・・・。」
毎度の事なので熾輝も特別気にしてはいないが、依琳がやり過ぎないようにと眺めていたら、視界の隅でもう一人の少女が飲み物を差し出してきた。
「熾輝様、お疲れ様でした。飲み物をどうぞ。」
「ありがとう双刃、いただくよ。」
スポーツ飲料が注がれたコップを受け取り、口の中に流し込む。そんな熾輝を見つめていた双刃はニコニコと満面の笑みを浮かべている。
そんな少女に笑顔を向けられて悪い気がするはずもなく、熾輝も不器用に笑って答え、飲み終わったコップを返した。
ここ一年で、熾輝の双刃に対する接し方も変わり、当初は敬語で話していたが、双刃の強い要望で敬語を使わなくなっていた。
そんな二人の横で依琳に締め上げられていた劉邦の声が聞こえなくなってきたので、そろそろ止めに入ることにした。
「依琳そろそろ許してあげたら?」
「ふん!今日はここまでにしておいてあげるわ!」
「・・・・。」
もはや返事をする事すら出来ない劉邦を横目に熾輝は苦笑いを浮かべる。
「これこれ依琳、あんまり暴力はいかんぞ。」
4人がいる場所へやってきたのは、熾輝の師匠である蓮白影だった。
「おじいちゃん、これは暴力じゃないわ!鉄剣制裁よ!」
いったい何処でそんな言葉を覚えたのかと困った顔を浮かべる白影は、孫に弱いようであまり強くは言い聞かせたりはしない。
「そんなことより、熾輝が勝ったわよ。」
エッヘン!と自分の事の様に胸を張る依琳とその横でうんうんと頷いている双刃、一体何がうんうんなのかは分からないが、熾輝は取りあえず依琳に止めを刺された劉邦の解放をする。
しばらくすると動けるようになった劉邦と熾輝は、白影の元で試合の助言を受けていた。
「さて、まずは劉邦、さっきの試合どこが悪かったのかわかりますか?」
「えっと、攻撃のスピードが無かったこと・・です?」
「なんで疑問形なのですか。それは悪くはありませんでした。君達の身体はまだまだ発展途上なのです。むしろスピードと威力の乗った良い攻撃でしたよ。」
「ええぇ、じゃあ何がわるかったの・・・です?」
武術において礼儀を重んじる事を教えられているため、普段なれない敬語を使っての話が苦手なのか、ちょいちょい普段の言葉使いが出てしまう劉邦を一睨みして、言葉を正させる。
「・・まぁいいでしょう。君はもう少し【相手を知り己を知る】事を覚えなさい。」
武術において飛びぬけた才能を持っている事は間違いないが、少年は基本的に考えて戦うよりも感覚で戦うので、難しい事を言われても一つ一つ噛み砕いて教えなければ理解が追いつかない。
逆にそういった感覚の武術のセンスは熾輝には無いため、少し羨ましくも思うのである。
「では、熾輝さんは先程、劉邦の何処が悪かったのかわかりますか?」
「最初の蹴りと次の逆さ回転蹴りです。」
「全部かよ!?」
「黙って聞いてなさい。」
「・・・はい。」
続けてという白影の言葉に促されるまま熾輝は説明を始める。
「劉邦の技は、どれもモーションが大きすぎて相手にしたらカウンターがとりやすいです。最初から大技ばかり狙っているから読みやすいです。」
「そうですね、一発目で体制を崩されてから技へと繋げる発想は良かったのですが、技の選択を誤りましたね。技へと移るタイムラグが長すぎます、アレではどうぞ殴ってくださいと言っているようなものでした。」
「あぅぅ。」
「しかし、常に前へ前へという姿勢はとても良かった。次からは相手の隙を突いて技を繰り出せるように頑張りなさい。」
「はいっ!」
色々と反省点は多かったが、常に前進して全力で攻撃を仕掛けてくる劉邦のようなタイプは、一撃が当たればかなりダメージがデカい。
熾輝もその事が分かっているため、常に間合いを取って劉邦と闘っている。
しかし、そういった面での反省点も色々とあり、白影から指導を受けて、この日は帰宅した。
―――――――――――
その日の夜のこと、夕食を終えた熾輝は白影から自室に来るようにと言われたため、彼の部屋に訪れていた。
部屋のドアをノックして返事を待っていると、白影が部屋に入るように声を掛けた。
「失礼します。」
「呼び出して悪かったね。」
「いえ。」
部屋の中には色々な美術品や書物が置かれており、どれも高価な雰囲気を出している。
「座りなさい。」
部屋の中央には小さな丸いテーブルと二つの椅子が備え付けられており、一つには既に白影が座っていたため、もう一つの椅子に腰を下ろす。
熾輝が来ることがわかっていたため、あらかじめ温められていた容器にお茶を淹れ、差し出した。
「いただきます。」
お互いお茶を一口だけ飲み、口の中を潤す。
「ここに熾輝さんを連れて来てもうすぐ一年になりますね。」
「?・・・はい、なんだか毎日が慌しくて、それでいて新鮮で・・・あっという間の一年でした。」
「はっはっは、孫が色々と迷惑を掛けたせいで忙しなかったでしょう?」
「でも依琳と居ると飽きません。」
出会ってたったの一年ではあるが、少年の中で依琳と劉邦は掛け替えのない存在となり、そして、熾輝にとって同年代の初めての友達が出来たのだ。
それ故に彼は二人の事で心を動かされることがある。
「それは、よかった。やはり葵殿の言っていたとおり、あのまま山奥で暮らすより、人里で直接、人々と接していた方が、君の心にはいい影響を与えたみたいですね。」
「自分ではよくわかりませんが、一年で友達を二人しか作れなかったのはどうなんでしょう?」
「友人とは数ではありませんよ。真の友というのは、人生の中でそうそう得られるものではありませんからね。そう考えれば、もう二人です。」
「真の友ですか・・・二人はそう思ってくれているのか分かりません。」
「もちろん友人と思ってくれていますとも・・・・。」
答えた白影は何かを熾輝に伝えようとして、僅かながら迷っているようだった。
「老師?」
「・・・熾輝さん、今日、円空殿から手紙が届きました。」
「法師から?」
何でわざわざ手紙なのかという疑問を持った。
それは、円空であれば神通力を使えば苦も無くここへ来れるのだから直接話せばいいのにという疑問。
実際、熾輝が中国へ来てからは、何度もここへ訪れているからである。
「読んでみなさい。」
そういって出された手紙の封は、既に解かれていた。
宛先には蓮白影としか書かれておらず、どうも熾輝宛では無いように思えた。
しかし、封筒の中には白影宛と書かれた物と熾輝宛の物が入っている。
白影の言葉に促されるまま、手紙を読み進めていく間、しばしの静寂が室内を支配していた。
そして最後の一枚を読み終えた熾輝は、手紙を机の上に置く。
「・・・・。」
「どうでしたか?」
既に手紙の中身を検めたであろう白影からの問い。
しかし、熾輝は答えることが出来なかった。
「急な話で混乱してしまっているでしょう。時間はまだあるのだから、ゆっくりと考えて君なりの答えを出しなさい。」
「・・・はぃ。」
「熾輝さん、君がどんな答えを出しても、私たちはそれを受け入れる。・・・今日はもう遅い、自室に帰ってゆっくりと休みなさい。」
そう言われ、熾輝は白影の部屋を後にした。
少年が帰った後の自室で白影は、戸棚から酒を取り出して、一口だけ口の中に流し込んだ。
「これも運命か・・・だとしたら、余りにも険しい運命ではないか」
熾輝の居なくなった自室で、白影の声だけが虚しく響く。
―――――――――
白影の部屋から帰ってきた熾輝は、自室のベッドに身体を預けていた。
そのまま天上を見つめて思考していると、横合いから声が掛けられる。
『ぁ、あの熾輝様、如何なされました?ご気分でも優れませんか?』
声はするが、姿が見えない。
「・・・双刃。」
そう呼んだ途端、何もない虚空からまるで今までそこに居たかのように薄らと姿を現した。
「何やら浮かない顔をしていますが、一体白影殿とどんな話をされたのです?」
心配をする双刃が熾輝の顔を伺い見る。
「・・・法師から手紙が来たんだ。」
「手紙ですか?」
「うん、日本へ帰って来ないかってさ。」
「それは・・・如何なされるおつもりですか?」
「どうしようか。手紙の内容はそれだけじゃなかったし。」
熾輝は、双刃に円空から送られてきた手紙の内容を話した。
一年程前に熾輝の叔父である清十郎が壊滅させた魔術結社【暁の夜明け】の遺留品の中から魔導書が一冊紛失していること。
そして、その魔導書は【ローリーの書】と呼ばれており、先日熾輝が読んでいた伝記、エアハルトローリ―が造り上げた魔導書である。
ここ一年の間に何者かがその魔導書を手に入れたため、とある街で魔導書を使用した事件が多発し、円空がいち早くその形跡を察知した。
だが、魔導書を使ったにしては大規模な被害等が無いためか、超自然対策課や十傑達もこの事件に気が付いていない。
事の発端は、熾輝のために動いた清十郎に非があるとみている円空は、今は居ない清十郎の後始末を熾輝にやらないかと話を持ち掛けてきている。
しかし、特段人の生き死ににまで発展していない所をみるに、そこまでの大事ではないと円空も見ているため、修行ついでに事態を収拾しないかと熾輝に問いかけているらしく、そのついでに日本への帰還を促しているのだ。
「――――そういう事なんだけど、どう思う?」
「・・・熾輝様、私は彼方が日本へ行くと言うのなら付いて行きます。しかし―――」
一旦言葉を切った双刃は、一瞬言葉を躊躇するも、真剣に熾輝を見つめて続ける。
「正直、熾輝様がわざわざ日本に帰国する必要は、無いかと存じます。大体、その魔導書紛失の不手際は、お役所である対策課の責であり、間接的といわれましても、あの件に関しては、熾輝様は純然たる被害者のハズ、ですから熾輝様には何の責もございません。」
「でも、僕さえいなければ師匠も動かなかったし、魔導書の紛失なんて事件も起きなかった。」
「熾輝様、自分何て居なければなどと、言わないでください。あの国において、確かに熾輝様にいわれなき悪意を持った愚か者共はいます。しかし、この一年、ここでの暮らしで、そのような感情をもった人達に一人でも会いましたか?」
「いなかった。みんな優しくしてくれた。」
「であるならば、皆が熾輝様に優しくしたくなるような魅力をあなた様は持っているのです。ここに居れば、今までの様に穏やかに暮らせる筈です。ですが、あの国、日本では、それも難しいでしょう。どんなに上手く姿を隠してもいずれは見つかります。その際、今までのような穏やかな暮らしは出来なくなる事は考えずともお分かりになるはずです。」
「そうかもしれない・・・。」
「熾輝様、例えどのような決断をされても双刃は、彼方様と共に在ります。私だけではありません、葵殿や円空殿、昇雲殿に白影殿、それにここで出会った人たちもきっと彼方様の力になってくれるハズです。そのことを努々(ゆめ)忘れませぬようにお願い申し上げます。」
ペコリと一礼する少女の思いに対し、熾輝はどのように答えを出すべきかと迷っていたが、何よりも自分の事をここまで考えてくれている双刃に救われた気がしていた。
式神、主に使役される存在・・・しかし、熾輝は双刃をそのような道具として彼女を見たことが一度も無い。
この一年で、双刃もまた、熾輝にとって掛け替えのない存在へと変わっていたのである。
だから、素直に心が温かく感じたのだろう。
「ありがとう双刃、もう少し考えて、答えを出すよ。」
不器用ではあるが、熾輝のぎこちない笑顔をみた双刃は、満面の笑みを浮かべたまま、ゆっくりと姿を消した。
――――エアハルトローリーの魔導書・・・ヒストリーソースの秘術か。
熾輝は、自室の机に置いていた過去の大魔導士の伝記本のページをめくる。
――――いいかげん向き合えって事なのかな。
その晩、彼は珍しく眠ることが出来なかった。
たった一年ではあるが、その一年は彼にとって掛け替えのない時間だったのだ。
感情を失い魔界で過ごした半年、山に篭った5年、そしてここに来てからの1年は、本当に穏やかな日々だった。
何も事件が無かったと言えば嘘になるが、それでも熾輝の人生の中でこれ程穏やかな日々は、もう訪れる事は無いのではないだろうかと思える程だった。
10歳の少年が抱えるにしては、余りにも大きな問題である。
しかし、少年は答えを出さなければならない。
例え自分に信頼を置いてくれている少女を泣かせるような結果になろうともだ。
「――――駄目だ、眠れない。」
熾輝の短い人生において、初めての経験だった。
いつもは、修行で体中が休息を必要としているため、ベッドに潜れば冗談抜きにものの数秒で眠りに落ちる事ができる彼でも、今日は眠ることが出来ない。
身体は疲れているのに頭がそれを良しとはしない。
「少し、風に当たろう。」
そう言って熾輝が自室をでて庭先に来たとき、一人の漢と出会った。
「む、珍しいな、子供がこんな時間に出歩くものではない。」
2メートルはある身長と黒いコートを着込んでいても、隠しきれていない筋肉隆々の身体、年齢は40歳くらいの漢。
「羅漢は何をしていたの?」
羅漢と呼ばれた男は、熾輝の二人目の式神である。
しかし、彼は熾輝を主とは認めておらず、いつも何処かを好きに歩き回っている。
「・・・星を見ていた。」
「星?・・・そんなに見えないよ?」
上海は100万ドルの夜景で有名な観光地ではあるが、それは決して夜空の事ではなく、並び立つビル群の光によって夜を照らす、その美しさから100万ドルの夜景と呼ばれているのだ。
そのため、上海の街は夜でも明るく、夜空の星の輝きすらも打ち消すほどだ。
「そうだな・・・何か悩み事か?」
「え?・・・顔に出てたかな?」
突然の羅漢の問い掛けに驚きつつ、自分の顔に手を当てる。
こういっては何だが、感情の薄い熾輝は表情豊かではないし、ましてや考えが顔に出るようなタイプではない。
「顔に出ずとも漢は自ずと背中で語っているものだ。」
男の背中を見れば分かると言われ、きょとんとした顔を向け、自然と口元が吊り上がる。
そして、彼に円空からの手紙の事、これからの事を相談した。
「―――僕は正直、日本に戻った方がいいと思う。いや、戻らなければいけないと思う。ここは確かに居心地は良いけれど、それはただ逃げているだけのような気がするから・・・」
「逃げてはいけないのか?それとも逃げたくないのか?」
「わからない。だけど、僕の両親がやった事は放置してはいけないという事だけはハッキリ言える。―――ねえ、羅漢。」
未だに空を見上げたままの漢に問いかける
「僕の両親は、本当にそんな事をする人達だったの?」
「・・・私の知る総司は、決してそのような事をする漢では無かった。もしも皆が言う事が事実ならば、それこそ何かのっぴきならない理由があった筈だ。―――その理由を今も問い続けている。」
そう言った羅漢の顔は、どこか悲しみを感じさせた。
「問い続けて何か分かったの?」
「未だ分からぬままだ。だが、漢は時として過ちを犯す。例え己が命を掛けてでもだ。」
「・・・羅漢の言う事はいつも難しいね。」
「お前は、自分の両親が信じられないか?」
「正直、信じられないかな。だって僕には両親の記憶が無いから。」
熾輝の無感情ともいえる答えに対し、羅漢は「そうか。」と答えるだけだった。
「だけど、あの夜、師匠が言ってた。―――両親の事を信じてやれなくてもいい、だけど、俺達が信じるお前の両親を信じろって、・・・僕には両親の記憶は無いけれど、師匠達がくれた僕の心に従うなら、師匠達が信じる両親を信じることが出来る気がする。」
「そうか・・・お前にとって清十郎は偉大な漢だな。」
「うん。」
無感情では無く、感情のある声で熾輝は返答し、、気が付けば答えが出ている事に気が付く。
「そうか・・・だから僕も師匠達を信じる事に決めた。」
熾輝の答えを聞き、羅漢は天空を見上げるのを止めて、未だ幼き少年へと視線を向ける。
「八神熾輝、漢は常に前進しなければならない。」
「前進する。例えどんな結果になっても僕は師匠達を・・・師匠達が信じた両親を信じる。」
それは、例え両親を信じていなくても、熾輝が唯一信じている師達への絶対的信頼のあらわれ、その過程がどうであれ、少年は初めて己の心に従う事を決めた。
―――――――――――――
日本のとある街、深夜の時間帯、一人の少女が自身の身の丈よりも大きな杖を持って、建物の屋上に立っていた。
背負ったリュックの中には怪しい光を放つ何かが入っており、その光に呼応するかのように、少女の眼前に幾つもの光の矢が飛来する。
建物から飛び降りる事により光の矢を交わし、魔法を瞬時に発動させ落下のスピードを殺す。
ふわりと着地した少女は、矢の発射地点に向けて大杖を構える。
少女が魔力を流し込んだ途端、大杖からは眩い光が放出し、次の瞬間、砲撃ともいえる魔術が矢を放った元凶を完全に捕えた。
砲撃をまともに喰らった何かは、完全に沈黙し、その身体からは文字の様な物が空中に浮かび上がり、少女のリュックの中へと吸い込まれていく。
「これでようやく半分だよね?」
『もう半分だよ。普通こんなに早くは集まらない。やっぱり私の目に狂いはなかった。』
声はするが姿が見えない。
しかし、女性の声は嬉しそうに少女を誉めちぎる。
少女もそれが気恥ずかしいのか、顔を赤らめてニッコリと笑う。
リュックの中の何かが浮かび上がった文字を完全に吸い込んだ途端、周りの景色にも変化が起きた。
少女が居た周辺を覆っていた靄の様な物が完全に消えた途端、人気がなかった通りに人が歩くようになったのだ。
『おっと、いけない。そろそろ帰ろう。』
「そうだね。」
そう言って、少女は夜の街を誰にも見つからないように走り出す。




