第二七話
屋上の扉を開ければ、そこは雨の降り注ぐ外界
その隅っこで、異形の生物は、街の風景を見渡していた。
雨音で、よく聞き取れないが、その生物は身体を小刻みにゆらし震えながら何か独り言を口にしている。
清十郎は、相手にも聞こえる位の足音を立てながら、その生物へと近づいて行った。
「・・・こんな、雨の中に出歩いていると風邪をひくぞ。」
男は、まるで人間に話しかけるように言葉を発する。
だが、目の前の生物は、男の言葉に反応しようとは、せずに背中を向けたまま動こうとしない。
「いったい、いつまでそうしているつもりだ?俺と一緒に来い。」
清十郎は、尚も話しかける。
本来ならば、即座に目の前の生物を滅しなければならない筈だが、一向にその気配を見せない。
「餓鬼じゃないんだ、お前の家族だって心配しているんだぞ。」
「・・・・かぞく?」
家族という言葉に反応を見せた生物は、ほんの少しだけ、清十郎の方へと耳を傾けた。
「そうだ、お前の両親は、お前が居なくなってからずっとお前の事を探している。」
「おとおさん、オかあさんが?」
片言ではあったが、確実にこちら側の言葉を理解したことから、清十郎の中に、自我を失っていない事への希望が見える。
「(家族の事に反応した、まだ僅かに自我を失ってはいない。ならばこのままこちら側へ引き戻す。)」
通常、妖怪化した人間は、自我を保つ事が出来ず、無差別に人間を襲い、本能の様に人間を捕食するが、自分の問いかけに反応している生物が、まだ堕ちきってはいないと判断し、慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「そうだ、お前の両親が待っている、一緒に家に帰ろう。」
「か、帰りたイ。ダけど、モウ無理だ。」
「無理なもんか、俺が家に帰してやる。」
「無・理だ。こんな姿では、いエに帰れない。」
【妖怪化】それは、生物が妖怪へと変わる事であり、変身や擬態とはわけが違う。
対象は、一度人間として死に新たに妖怪として生まれ変わる事を意味する。
それすなわち、その個人は、元々妖怪であったと言う事になるのだ。
そして、人間が妖怪へと変わる事は、あってもその逆は無い。
この場にいる清十郎も、そして葵の兄もその事は十分に理解している。
理解していても、清十郎は男を諦めきれない。
「確かに、酷い顔をしているな。そんな泣き腫らした顔を両親に見せたらビックリさせてしまうぞ。」
見れば、生物の眼からは血の涙が流れ出てそれが地面に流れて、生物の足元は赤く染まっていた。
「知っていたか?妖怪は、涙を流さないんだ。妖怪には俺達と違って悲しむという機能が存在しないから涙が出る事は決してない。」
清十郎が口にしたのは嘘ではない。
妖怪の中には【奇行種】と呼ばれる種族がおり、人間界に存在する凡そ8割がその奇行種と呼ばれる異形の妖怪なのだ。
奇行種は、本能のままに人を襲い捕食する。
そんな彼等には表情も無く、物を考える知能が無い。
そのため、彼らは泣かない。
無く必要が無い。
だが、残り2割の妖怪は、高位の存在として実在し彼らは、姿形こそ人間と何ら変わりなく、その思考や感情も人間そのものと言っても過言ではない。
「泣かナい?」
「ああ、だったら、お前が今流している物は何だ?」
生物は、言われて自分の顔を触ってみる。
そこには確かに流れていた。
血の赤色、少しべた付き、鉄の匂いと味がするが、紛れも無く、それは涙であった。
「確かに姿形は変わっていても、お前は泣いている。なら人間としてのお前は、まだ生きているんだ。」
「にんげん?こんな俺が?」
「そうだ、お前は人間だ。見た目がどう変わろうと人としての心を失っていなければ、それは正真正銘人間である証なんだ。」
「お、俺はようか」
「違う!」
俺は妖怪と言おうとしていた者の言葉を否定する。
「お前は、人間だ!もしもお前を妖怪と呼ぶような奴が居たら俺がぶっ飛ばしてやる。それが例えお前自身であったとしてもだ。」
清十郎の言葉に聞き入っていた一人の人間は、次第に自我を失っていた目に光を宿していく。
「わかったら、帰るぞ。こんな雨の中に居たら心も体も冷え切ってしまう。」
目の前の人間に手を差し出した清十郎は、優しい顔で男が自分の手を掴むのを待った。
男もそれにつられ、ゆっくりと手を伸ばす。
「葵だって心配していた、早く逢って安心させてやれ。」
男の心をこちら側に引き寄せられた事に安堵した清十郎は、彼の最愛の妹の名を口にした。
しかし、その途端、男の手が止まった。
「あぉい?」
「?」
手を止めた男の行動に彼の頭には疑問符が浮かび上がる。
「うああああああああああ!」
「な!?」
突如、男の身体から膨大な妖気が溢れだし、その叫び声は、大気を揺らして敷地に張られた結界に亀裂を入れた。
「あおいあおいあおいあおあいあおおあいあおいあおいあおいあおいあおいあおいおいあおいあおあいあおいああおいあおおいああおいあお、葵いいい!!!!」
「どうしたっていうんだ!?」
急激な男の変化に流石の清十郎も動揺を隠せない。
「憎い!憎い!憎い!憎い!アイツさえ居なければ!俺はぁぁ!」
「何を言っている!?アイツは、お前の大切な妹だろ!」
「違う!大切なもんか!アイツさえ居なければ俺は惨めになる事は無かった!アイツがあのまま可哀想な妹で居れば、俺はずっと誇れる兄で居られた!アイツさえ居なければ家が貧しくなる事は無かった!アイツさえ居なければ、父さんも母さんも俺を見ていてくれた!アイツさえ!アイツさえ!」
最愛の妹であったはずの葵に対する呪言をありったけ吐いた男の身体からは、突如として禍々(まが)しい妖気が吹き荒れた。
「・・・・レベル4」
「コロス、あの女を殺して、オレは自由になる。」
明確な殺意
それは、目の前に居る清十郎への物では無く、今この場に居ない男の妹への物だった。
「なんで、何でこんなことになってしまうんだ!!」
行き場のない感情を吐き捨てるかの如く、清十郎の身体からは膨大なオーラが放出される。
瞬間、二人の男が牙を交えた。
 




