ヴェスパニア騒乱編~その⑩~お子さんと離れないように手を繋いであげて下さい。
上空一万メートルともなると、四方八方からの乱気流が人の身体なんて簡単に吹き飛ばす。
だが、訓練を受けているものは、そう簡単には吹き飛ばされたりはしない。
それは熾輝にも言えることで、幼少の頃に白影からスカイダイビングの心得を叩き込まれているが故、バランスをとり、目的地へと向かって進む事も容易い。
――いたッ!もうあんなところに!
飛行機から外に出た熾輝は探知能力をフル稼働させてもソフィアを捉えることができなかった。
故に目視で探すほかなかったのだが、熾輝は大気に渦巻く気流の流れを読み取ることで、彼女の予測進路を割り出し、無事に発見するに至った。
――様子が変だ、気絶しているのか…
うな垂れ、気流に揉まれながら落下するソフィアを認めた熾輝は、即座に方向転換し、手足を閉じ、一直線に彼女の元へと向かう。その姿はまるで弾道ミサイルを思わせた。
眼下には広大に広がる森、森、森…既にヴェスパニア公国の領土に入っており、本当なら、あのまま飛行機に乗っていれば、じきに空港に到着していたハズ…
しかし、状況は動いてしまった。それが良くない方へと向かっているのは確かだが、今は、守ると約束したソフィーの元へ駆け付ける事が優先される。
あと少しで彼女に手が届く所まで来て、その異変に気が付いた。
――息をしていない!?
荒れ狂う気流の中、風の音が邪魔で自身の声だって正確に発声できるか判らない状況で、その異変に気が付けたのは、彼女の筋肉の動きが止まっている事やオーラの放出が無い事などといった観察眼によるもの。
焦りを感じた熾輝は、少しでも彼女をコチラ側に引き寄せるために叫んだ。
「ソフィーーーーッ!!!」
目を覚ませ!と、思いを込めた叫びが届いたのか、彼女の身体から再びオーラが立ち上り、呼吸を再開させた。
まるで奇跡が起きたと思えるくらいの安堵を感じた熾輝は、体勢を変えて、今度はゆっくりとソフィーに近づき、そして……
「ん………シ、キ…?」
「目は覚めましたか、お姫様。もう大丈夫だよ」
ソフィーを抱えた熾輝は、オーラの形状を球体に変化させ、簡易的な結界を張ることで、一時的に乱気流の影響から自分と彼女を守った。
そのため、ソフィーは熾輝の声がハッキリと聞き取ることが出来たのだ。しかし……
「なにをッ!何をしているのですかアナタは!」
意識が完全に覚醒し、自分たちが置かれている状況を把握した彼女は、怒ったような悲しんでいるような、そんな曖昧な表情を浮かべて叫んでいた。
「自分が何をしているか判っているのですか!」
「ソフィー落ち着いて、大丈夫だから――」
「落ちているのよ!死んでしまうのよ!パラシュートだって無いのに、どうしてッ――!?」
叫び続ける彼女に向かって、微笑みを浮かべ、人差し指を唇の前へ持って行くと、【静かに】というジェスチャーを送る。
「約束したろ?傍に居るって」
「そんな理由で、アナタは…」
「それに、絶対に守るとも言ったハズだ」
「でも、もう助からないわ。どんなに凄い力を持っていても、こんなの…」
ソフィーの言うとおり、例え一流の魔術師だろうと、一流の能力者だろうと、この状況をどうにか出来るものは、世界でも一握りの…それこそ選ばれし者にしか不可能だ。
ましてや、熾輝に飛行術式の魔術がつかえたり、飛行能力が備わっている訳でもない。
しかし、忘れてはならない。彼は無才の天才。無才の身で天才の領域を踏み越える者。
「大丈夫、絶対にソフィーを守るから」
「シキ…」
その眼から伝わってくる自信が彼女に希望を見せる。
そして、熾輝が右手を天に掲げ、腕に付けていた何かの植物で編んだようなブレスレットが太陽に照らさた瞬間…
「力を貸してくれ変幻自在の樹刀!!」
真白の神より賜わりし、彼の宝具が解放された。
腕に付けていたブレスレッドは、まるで何1000倍速ものスピードでビデオを再生しているかのよに成長する。
そして、その形は…
「パラシュート!?」
あの小さなブレスレッド型の植物は、形を変え、2人を安全確実に地上へ下ろすための強度を得たパラシュートと変貌した。
植物のツタでガッチリと熾輝とソフィーの身体を巻き付け、ゆっくりと降下していく――。
◇ ◇ ◇
「マーーックス!!何故だ!何故裏切った!?」
ソフィーと熾輝が居なくなった機内では、護衛部隊の隊長であるキースが部下であるマックスの襟首を掴み上げ、怒りをあらわにしている。
「すみません、すみません隊長…俺は……」
嗚咽を上げて崩れ落ちる元部下に対し、キースは己の怒りの拠り所を見失っている。
「昇雲殿、扉の修復が完了しました」
「わかった。…さてと、一段落したところで、事情を話てもらおうかね?」
双刃の能力によって、破壊された扉は応急処置にはなるが、ひとまずは塞がっていた。
そして、落ち着き払った様子で昇雲は、マックスに問いかける。
「昇雲殿!何を落ち着いているのですか!アナタの弟子も落下してしまったんですよ!こうなっては、誰も助からないのは、明らかではないですか!」
「滅多なことは言わないでおくれ。それにウチの弟子は、考えなしに飛び出す程バカじゃあないよ」
「しかしッ――」
「それに、式神である双刃が健在だ。あの子の身に何かあれば、直ぐにわかる」
言われて、双刃へと周りの視線が集まる。
「そのとおりです。依然、熾輝さまとのリンクは健在であり、生命反応に異常はありません。機内から出て、5分以上が経過した今もです」
「つまり、上空一万メートルから自由落下した場合、既に地面に激突しているであろうリミットを過ぎても生存しているということは…」
「生きている?」
「そういう事さね」
状況証拠から熾輝の生存を知らされ、キースたちはソフィアの生存にも希望を持つことができた。
「さてと、…それで?アンタは何でこんなバカな真似をした?」
「………」
「姫さんの暗殺を企てれば、自分がどうなるかなんて、明らかだろう?しかも、状況を考えて、自分はどうなってもいいという素振りさえ感じられる」
昇雲の考えは当然の帰結だ。
たとえマックスがソフィアの暗殺を成功させていたとして、そのあと、最悪殺されるであろう事は火を見るよりも明らかだ。
「黙っていないで答えろマックス!貴様は姫様を――」
「人質にとられちまったんだよ!妻と娘が!」
「ッ――!!?」
「判ってる!だからって俺がやった事が仕方がないって事にはならないってのは!」
「マックス……」
「どうしようもなかったんだ……俺には……俺はもう、どうしていいのか……」
その場に泣き崩れるマックスを目の当たりにして、キースはそれ以上なにも言う事が出来ないでいた。
「事情は理解した。ここでアンタに説教しても仕方がない。敵側が一枚も二枚も上手だったと認めざるを得ないね」
そう言った昇雲は、護衛部隊の隊員に拘束されていた自由な殺し屋の部下を一瞥した。
「切り替えていくよ。もうじきこの飛行機は、ヴェスパニアに到着しちまう。姫さんが行方不明になったなんて知られたら、それこそ敵の思うツボさね」
「しかし、姫様がいない事は到着すれば明らかになることですぞ?」
昇雲の言葉に大臣が異議を唱える。しかし、それに対しての昇雲の反応は不敵の一言に尽きる。
「言ったろう。ウチの弟子は優秀なんだって」
その言葉に対する全員の反応は「?」であった―――。
―――ヴェスパニア空港に着陸した飛行機の周りは、物々しい雰囲気に包まれていた。
なにせ、乗務員の中に殺し屋が紛れ込んでおり、更には機体の扉が破壊されるという事態だ。
厳戒態勢で軍や警官隊が機体の周囲を固めている。すると、程なくして機体の扉が開かれ、中から乗員が出てきた。
「皆さま、心配をお掛けしました。私は無事です」
機体の中から出てきたのは、ソフィア姫だった。
その姿を確認した警備の者達からは、安堵の表情を浮かべる者や、何やら黒い影を落とす者がいた。
「ソフィア!心配したぞ!怪我は無いか!」
「叔父様…」
大声を上げて近づいてきたのは、軍部のトップであり、ソフィアの叔父であるムスカ・ヴェスパニアだ。
「ご心配おかけして申し訳ありません。このとおり、わたくしに怪我一つありません。皆さまが守ってくれましたから」
「ウム、そうであったか。お前にもしもの事があれば、姉上や義兄上に申し訳が無い。本当に無事でいてくれてよかった」
安堵の言葉を口にしたムスカは、ソフィアの片に手を載せて、「よかった、よかった」と連呼する。
「閣下、マスコミが騒ぎ出しています。対応をお願いします」
「ムッ、そうか。…ソフィアすまない。事件のことを何処かから嗅ぎつけてきた連中の対応をしなければならないのでな。これで失礼するぞ」
「わかりました。わたくしの事で叔父様にはご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「何を言う!可愛い姪のためなら、迷惑だ何て思わんぞ」
ムスカは『ではな』と翻し、その場を去って行く。
「――閣下、機内をくまなく捜索しましたが、機内に潜り込ませていた2名は発見出来ませんでした。聴取によると2名と少年1名が扉の破壊と共に上空から落下した模様です」
「チッ、使えん連中だ……少年と言うのは?」
「どうやら日本でボディーガードに雇った者の身内だとか」
「フン、ガキを連れてくるなど、どういう神経をしているのだ」
「いずれにせよ、プランを練り直さなければなりません」
「わかっている。しかし、前もってリークして呼び出していたマスコミ連中の対応や事後処理をせねばならん。少し待つよう、先方には伝えろ」
「畏まりました。…ところで人質にとっていた妻と娘は如何いたしましょう?」
「後だあと!今はその様な雑事に時間を割いてはいられん」
「御意」
あからさまなイラつきを隠そうともせず、ムスカはギリリと爪を嚙みながら会見会場へと向かった―――。
一方、昇雲達はと言えば、姫の安全の為と理由をつけて、早々に空港を立ち去り、王宮へとやってきた。
テレビでは、先ほどまで会話をしていたムスカがマスコミ達に姫の無事と暗殺などは無かったと否定の説明をしている。
「――言っちゃあなんだが、ムスカって野郎は黒だね」
「根拠は?」
テレビの電源を切った昇雲が、ため息混じりに漏らした言葉にキースは疑問を投げかけた。
「アタシの勘さね」
「それは……」
言うとは思っていたが、まさか本当に言うとは思っておらず、思わず苦笑いを浮かべる。しかし…
『あながち間違いではないかもデース』
電子的な声で、会話に割って入って来たのは、熾輝の式神であるミネルヴァだった。
しかもこのミネルヴァ、先ほど電源を切ったハズのテレビを強制的にオンにし、モニターに現れてみせたものだから、彼女の存在を知らない面々は驚きを隠せない。
「何を掴んだ?」
ざわつく面々を放置して、問いかけたのは羅漢だ。
「コレ、見て下さいデース。マスコミに垂れ込みがあった時刻と予め用意されていた記者会見スピーチの原稿デース」
いちいち語尾が気になるところだが、このミネルヴァの人格は、しっかりと定まっておらず、真面目7割、おどけ3割といった調子で、日によって性格がコロコロと変わるのだ。
「ふむ、垂れ込みがあった時刻は、明らかに暗殺実行より前。そして、原稿作成にあっては1週間前かい」
「明らかに事が起こることを前もって知っていなければ成り立たない」
ミネルヴァが示したデータを昇雲と羅漢が精査を行い、ムスカが首謀者である容疑が段々と固まっていく。
「ミネルヴァ、どうせ熾輝から証拠になるようなデータを他にもかき集めるよう指示を受けているんだろう?」
『もちのロンロン』
「なら、そっち関係はアンタに全部まかせるよ。こっちも色々とやらなきゃならない事があるからね」
『りょ(''◇'')ゞ』
おどけてはいるが、やることはしっかりとこなしているミネルヴァは、そのまま電子世界へと再びダイブしていった。
「あッ!まちなさい!熾輝さまとの連絡は!?」
早々に立ち去ってしまったミネルヴァに向かってあわてて声を掛けたのはソフィア……性格には彼女に化けている双刃だった。
しかし、双刃の声も虚しく、テレビ画面上にもうミネルヴァの姿はなく、代りに『ポーン』という電子音が鳴ると、なにやらL〇NE風な画面が映し出された。
【ネットワークに繋がってないと、マスターとの連絡マジ無理ゲー。森の中が圏外でワロす♪衛生使って見たけれど、この国って緑しか映らねーでヤンの(´;ω;`)着陸地点の割り出しは出来たでやんす】
と、文字が映し出されたあと、熾輝達が着陸した座標が表示される。そして…
【ps:マスターが持っている携帯には分体いれといたから、何かの役には立つと思うよ?】
などという文面が表示されたが……
「ネットに繋がらない携帯を持っていて、何の役に立つと言うのですか!」
ままならない状況に怒りをあらわにする双刃であった。




