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鍛鉄の英雄  作者: 紅井竜人(旧:小学3年生の僕)
ヴェスパニア騒乱編
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ヴェスパニア騒乱編~その⑨~昔は平気だったのに、大人になると虫が苦手になった。

 虫と言うのは何処にでもいる。

 一説によれば、彼らの生命力は人間以上であり、人間が生存不可能とされる環境のなかでも活動が可能であり、更には人間が耐えうる数倍の重力にも適応可能だと言う。


「――ウフフ、クリストフさまを追い込んだ相手と聞いていたから、どんな猛者かと思いきや、ただの婆さんとガキの二人組とはねぇ。いったいどんな卑怯な手を使ったの?」


 彼女はクリストフ…通称自由フリーの部下だ。


 自由フリーの脱獄を手引きし、報復のために熾輝達が乗る飛行機に入り込んだのだ。


「セキュリティーが甘いんじゃあないのかい?」


 護衛部隊のリーダーであるキースを昇雲はジロリと睨み付ける。


「返す言葉もない。しかし今は……」


 キースの視線の先、正確に言えば殺し屋である自由フリーの部下の周りを飛び回る物体の脅威度にジワリと汗を流す。


「マドモアゼル、私はこの機の搭乗員を全て把握している。もちろんキミの事も知っているが、…どうやら私が知っている彼女とキミは別人のようだが?」

「ウフ、変装は殺し屋にとって初歩の初歩――」


 そう言って、顎の下からべリべリと皮を剝ぐような音と共に搭乗員の顔が全くの別人の物になった。


「…なるほど、それで?本物の彼女はどうした?」

「安心なさい。私は自由フリーの部下。殺し屋だけど、契約以外むだなの殺しはやらない主義なの。彼女は今頃、日本の空港で発見されているころよ」


 そう言った女は『もちろん、傷一つ無く、生きた状態でね』と付け加えると…


「さて、お喋りはここまで。チャンスをうかがっているようだけど無駄よ。私の可愛い虫さん達から逃げる事は出来ないわ」


 女の周りを飛び回っていた物体の正体は虫…正確に言えばハチだ。


 だがこの蜂は、普通の蜂とは何かが違った。


「可愛い?アタシには凶悪な面に見えるけどねぇ」


 昇雲の言葉にクスリと笑みを浮かべて応える女。おそらくそれが何らかの合図だったのか、女の周りにいた蜂たちが一斉に部屋中へと散開した。


「熾輝!アンタは女をやりな!」

「判りました!」


 位置関係から女と一番距離が近い熾輝に指示を飛ばした昇雲は、無数に飛び回る蜂に向かって手刀を振るう。


 昇雲の攻撃は適確で、蜂の毒針に触れないように頭のみを確実に飛ばし、行動不能にさせていく。


「数が多いね!」


 熾輝が女へ向かったことから護りを失ったソフィアの元へ蜂たちが殺到する。が、昇雲は気功弾を放ち、それを撃墜していく。


「なんというコントロール!これが神業というものか!」

「バカ言ってないで、姫さんを敵から離しな!」

「失敬!マックス!」

「了解!」


 昇雲の、まるで針の穴に糸を通すかのようなオーラコントロールを前に思わず仰天するキースは、フリーになったソフィアの護衛を部下に指示する。


 日頃の訓練の賜物か、マックスと呼ばれた男はソフィアの身柄をすぐさま保護すると敵の女から距離をとるように壁際まで後退した。


 そして、熾輝は…


「ガキんちょ!アンタの殺しは契約に無いけど、クリストフさまの仕事を邪魔した罪を命で償いな!」

「断る!」


 蜂の対処は昇雲が引き受けているとはいえ、それはあくまでも室内に居る者が餌食にならないように対応しているだけのこと…正確に言えばそれだけで手一杯だ。


 昇雲クラスの達人が本気を出せば、羽虫程度の殲滅など造作もないことだが、今は高度約1万メートルの上空。


 万が一にも機体を傷付ける様な事があれば、全滅は必至。故に細心の注意を払いながらの対応を迫られている。


「破あああぁッ!」

「アン!ドゥ!トロア!」


 熾輝の攻撃に対し、まるで自由フリーと同じ動きで対応する女。


 そもそもヤツの部下であるのなら、手解きを受けていても何ら不思議ではない。


 しかしだ、いくらその手解きを受けているとはいえ、蜂という使い魔を放って挑んでくるあたり、体術にはそれほど自信がないと見て間違いないハズ。


 なのに、熾輝の動きに対応できているのは、彼女がそれ程の使い手という訳ではなく…


「ッ、この蜂、やっぱりただの蜂じゃあないな!」

「ご名答!」


 攻撃を仕掛けようとする熾輝の動線に蜂を割り込ませることにより、動きに制限をかける。

 それにより、女は熾輝と同等、もしくはそれ以上に渡り合っていた。


「私の蜂ちゃんは、蟲毒こどくによって飼育したものよ!」


 蟲毒とは有名な呪術の一つだ。

 方法は様々あるが、おそらく彼女が言う蟲毒とは共食いによる個体の強化。

 呪法によって成されたそれは、一味ちがうということだ。正確に言うと、オーラで強化された肉体にも余裕で毒針を貫通させる事ができる。


――なるほど…だけど、俺に毒針を通せる個体は全体の5匹だな


 無数に飛び交う蜂の気配から自身に有効なダメージを与えられる個体の数を割り出した熾輝の動きに勢いが戻った。


「お前ッ、どくが恐くないのか!」

「生憎と山育ちにとって蜂は、貴重なエネルギー源なもんで」


 割り出した5匹以外は、完全に眼中にない。仮に対象の個体を割り込ませてきたところで、5匹程度では簡単に対処できてしまう。


 そもそも、これだけの蜂を操作コントロールしている事には感心するが、彼女は己が使役している蜂の強さを理解出来ていない。


 なぜなら、熾輝が注意すべき強力な個体が離れた場所でその他大勢と一緒に居る時点で、敵との間に障害は無いに等しいのだ。


「呪術師としても武術家としても三流以下のお前じゃあ、俺には勝てない!」

「なんですってッ――!!?」


 互いの蹴り足が激突した瞬間、圧倒的脚力によって、殺し屋の蹴りが弾き返され、身体が中に浮いた。


 体勢を崩した敵の関節をキメて、床に叩きつけ、流れる様な動きで制圧を完了させる。


「なんで!?アンタなんかにッ――」

「師匠の差だよ」


 敗因が理解出来ない女に対し、熾輝はあくまでも教えを受けた師のおかげだと語る。


「さぁ、勝負はついた。諦めて蜂をしまえ」

「クッ、例え拷問をされようが、ワタシが言う事を聞くとでも?」

「………」


 敵の制圧には成功した。

 しかし、一番厄介な虫をどうにかしない限り、劣勢なのは熾輝たちの方だ。


「言っておくけど、アタシを殺したり気絶させても無駄よ!コントロールを失った虫たちは無差別に襲い始めるだけだもの!」

「まいったな…」


 蜂を解き放った時点で、彼女の殺しは八割が完遂していた。

 熾輝が制圧という選択肢をとった理由は、ソレを危惧していたが故だ。

 仮に護衛者の誰かが範囲魔術で虫たちを一掃出来たとして、機体を傷付けない精密なコントロールが出来るとは到底思えない。


――ならば害虫駆除は、お任せください。


 響く声が室内に木霊した瞬間、出入口の扉から青白い炎が侵入してきた。


「なにッ――!?」

「熾輝さま!遅れて申し訳ありません!」

「助かった!双刃、虫のみを燃やし尽くしてくれ!」

「承知!」


 双刃が放つ青白い炎は、彼女の能力によるもの。

 そしてこの炎は、燃やす対象を任意に選別する事ができる。故に…


「わ、わたしの虫たちが一瞬で…」

「運が悪かった…いや、自由フリーが倒された時点で、お前はコチラの戦力分析をもっと念入りにするべきだったんだ」

「ぐッ――」


 事前調査を怠ったことがお前の敗因だと語る熾輝は、これ以上、彼女を押さえつけておく必要性が無いと判断し、頸動脈へと手を添えて、意識を沈めようとした。そのとき…


―――お許しください、姫様


 それは完全に意識から外していたソフィアの護衛、彼女をいち早く保護し、盾となっていた者からの懺悔の声だった。


 声に導かれるように視線を向けた瞬間、壁が…正確には非常用扉の外枠が『ボムッ!』と小規模な爆発と共に破壊された。


「「「「何イィッ――!?」」」」


 誰もがその光景を疑った。

 破壊された扉の外は、高度一万メートル以上上空。

 機内と外の気圧差によって、空気が一気に外へと向かうのと同時、非常用扉を背にしていたソフィアが外へと吐き出された。


「しまッ――!?」

「行きますッ!」


 昇雲が『しまった!』と言い終えるよりも前に、熾輝が動いた。

 吐き出される空気の流れに乗る様に、非常用扉に向かって跳躍していた。

 しかし、突然の出来事、熾輝は文字通り手ぶらの状態。つまりは、パラシュートなんてものは当然持っていない。


「熾輝さまッ――」


 機体から飛び出そうとする熾輝の後を追おうとした双刃だったが…

 

『双刃は、このまま師範達と行動してくれ!』

『しかしッ!』

『任せたよ!』

『ッ、…主命とあらば!』


 外へと向かう一瞬の間、念話による短い応答を終えた熾輝は、間もなく高度一万メートル上空へと吐き出される。


 その前に一瞥した昇雲と視線を合わせた。

 そこには、珍しく眼を見開き、焦りの表情を浮かべる姿があったが、それは一瞬にしてかき消え、いつものキリッとした鋭い表情へと切り替わっていた。


 まるで、『お前を信じている』と言われているような意思が感じられる。


 それに応えるように熾輝は、ニカッ!と無理やりに笑って見せ、次の瞬間には、外へと吐き出されていった―――。



◇   ◇   ◇



 「ーーーーーーッ!!!!」


 叫び声を出し切り、口から出るのは恐怖とを孕んだ空気という名の絶叫。


 何が起きたのかが理解できない。


 先程まで飛行機の中に居たハズなのに、衝撃を感じた瞬間には、高度1万メートル上空という名の外へ排出されていた。…そういった認識もパニックを起こしている今の彼女にはできていない。


「アッ、ーーーアッ、ーーーッ」


 精神が極限状態となり、呼吸困難を引き起こす。


 落ちている……助からない……死ぬ……


 その事を本能が悟り、脳が強制的に意識を奪おうとしている。


 呼吸を止めると言う最も苦しい方法でだ。


「ァ………」


 視界が暗転し、意識が沈むまで、時間は掛からなかった―――。



『――我はヴェスパニア最強の盾、父上を必ずお守りします』

『我はヴェスパニア最強の剣、母上を脅かすものあれば、必ず討ち果たします』


 ヴェスパニアでは王と王女を守る近衛を守護騎士ガーディアンと呼んでいる。


 守護騎士ガーディアンは近衛として王を守る役職であると同時に、ヴェスパニア最強の称号を意味する。


 幼いころから両親を補佐する2人の姿を見てきた。


 だから、彼らに寄せる信頼は、両親と同等と言えた。


――それなのに、


『嘘つき!守るって言ったのに!どうして!どうしてパパとママを守ってくれなかったの!どうして!』


 酷い怒号を浴びせてしまった。


 彼らだって、王の命令で傍を離れていただけなのに。

 彼らだって、守りたかったのに。

 彼らだって、大切な者を失ったのに。


 なんて自分勝手で、矮小なのだろう。こんな自分に王としての資質が備わっているハズが無い。


 だから、応えてくれないのだろう。こんな自分になんて……


――あぁ、だけど、死にたくないなぁ


 暗い意識の中、まるで夢を見ているかのような感覚。

 しかし、心から溢れてくるのは、懺悔ざんげなどの後悔の念ばかり。


 もっと生きたかった、楽しいことや嬉しいこと、美味しいものを沢山食べて、お洒落をして、恋をして……そんな、女の子として当たり前の事をもっと沢山……


 だけど、それを共有できる家族はもういない。

 だったら、生きていても仕方がないのかもしれない。

 死にたくないなんて思ったのは、間違いだった。


『アナタにもきっとわかる――』

母様?』


 声が聞こえた気がした。


『命を賭して、アナタを守ろうとしてくれる人が必ずいるわ』


 それは、いつか母が聞かせてくれた言葉だ。

 あのとき、いったい何の話をしていたのか思い出せない。

 しかし、もうどうでもいい、だって私は……


『コレを利用すれば、我が国は大国とだって渡り合えるのですぞ!』

『なりません、それだけは絶対に!』


 先程から昔の事ばかり思い出すコレは、走馬灯と呼ぶのだろう。

 いい加減、終わりにして欲しい。


『何故わからないのですか!』

『彼らとの盟約を知らないアナタでは無いでしょう』


 母と口論しているのは、叔父であるムスカ・ヴェスパニアだ。

 そして、王と王女殺害の首謀者として、容疑者として、最も濃厚な人物。


『――私の忠告をきかなかったこと、いずれ後悔しますぞ!』


 あのときの口論の現場には、自身も居合わせた。


 そしてその後、間もなくして父と母は殺された……


――死にたくないッ!このままじゃ死ねない!あの人を、あの男をこのまま生かしておくなんて出来ない!


 心に仄暗ほのぐらともしびが、良くも悪くも彼女に生きる意思を植え付けた。……そのとき


「ソフィーーーーッ!!!」


 沈んでいた意識を現実へと引き上げる声が聞こえた。

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