ヴェスパニア騒乱編~その⑦~痛てててて
命を狙われていると言うのは、精神的にかなりキツイものである。
何しろ四六時中、心が休まらないうえに、食事に毒が盛られていると考えただけで、とてもじゃないが口になんて入れることが出来ない。
「――わたくし、こんなモノに触れたことがありません」
「怖がらないで、力を入れ過ぎず、優しく持って」
「わ、わかりました。でも、出来れば最初は一緒にお願いします」
「良いよ。女の子を優しくエスコートするのは、男の努めなんだろう?」
「あら、シキも何たるかを判ってきたじゃないですか」
などと、お喋りをしながら包丁を握ったソフィアの手に熾輝は手を添える。
「いま切っているのは、ニンニク」
「バカにしていますか?ニンニクぐらい判ります」
「これを微塵切りにする」
「それは判らないので教えさせてさしあげます」
「恐悦至極ゥ?」
さて、2人が何をしているのかというと、もちろん料理だ。
誰かが作って、持ってきた食べ物に何が入っているか判らない、という恐怖心を少しでも払拭できるようにと、ソフィア自身に料理を作らせている。
一国のお姫様に料理を作らせるなんて、見る人が見れば不敬だと怒られるかもしれない。
だがしかし、背に腹は変えられない。このまま彼女が何も食べないままでいるよりは、マシだろう。
「シキは男なのに料理をするのですか?」
「いまどき、男でも料理が出来ないとモテないらしい」
「モテたいから料理をしていたのですか?」
『意外です』といった表情を浮かべて熾輝に視線を向けようとしたソフィアは、『よそみしない』と叱られて、手元へと視線を戻した。
「いや、それは一般論で、男でも料理を作れるようにってのが家庭の方針だったんだよ。そんでもって、いつの間にか料理が好きになっていたってわけ」
「我が国で、料理が出来る男は、料理人くらいなものです。ですので、料理は女性の仕事なのです」
「なるほど、じゃあ女性と喧嘩したら、男は美味しい料理が食べられなくなるね。」
「えぇ、だからヴェスパニアの女は男よりも強いと言われているのです」
「国の男は、胃袋を人質にとられているから頭が上がらない?」
「そんな感じです」
頭が上がらなくなるほどにヴェスパニアの料理は美味いのだろうか?――と、疑問に思った熾輝は是非ともヴェスパニア料理を食べてみようと、心に誓った。
「――よし、ソース完成。パスタもゆで上がった」
トマトソースが煮込まれた鍋の中にゆで上がったパスタをぶち込み、軽く絡める。
超お手軽料理のトマトだけソースパスタの出来上がり。
「わたくし、始めて料理をしました」
「お姫さまだもんね。食事は料理人が作ってくれるんでしょう?」
「えぇ、ですから自分で作る必要がないのです。あ、――」
鍋の中にあるパスタを数本摘まんで、口の中に運んだ熾輝は、「うん、良い感じ」と味見をしている。
その様子を見ていたソフィアは、思わずお腹を鳴らした。
夕べから何も食べていないのだから無理もない。
「どうぞ、キミが始めて作った料理だ。味見してみると良い」
そういって差し出されたフォークを受け取ったソフィアは、鍋の中のパスタを何の迷いもなく口へ運んだ。まるで毒などの異物があるとは微塵も想っていない様子だ。
「……美味しい」
「だろう!」
自分で作ったからなのか、目の前で熾輝が口に入れて食べてみせたからなのか、とにかくソフィアと熾輝は、このあと鍋の中のパスタが空っぽになるまで、一緒に食事をした。
「――ところでシキ、昨日より怪我が増えているのは気のせいではないですよね?」
「ようやくソコに触れてくれたか」
昨日、自由な殺し屋との戦いで怪我を負ったと言っても、全身打撲(十分に重症なのだが)程度で、顔に目立った外傷は無かったハズ。
にも関わらず、今の熾輝の顔には青痣がいくつもあり、瞼は腫れ上がっている。明らかに自由な殺し屋との戦いの後に負った怪我だ。
「いったい、どうしたと言うのですか?」
「ちょっと、師匠と喧嘩して、ボコボコにやられました」
師匠とは、この場合、昇雲の事を指す。
熾輝の師に対する絶対的信頼は、もはや崇拝といっても過言ではない。
そんな相手と熾輝は喧嘩をして、尚且つボコボコにされたという。
「師匠って、あのお婆さんですよね。原因は何なのですか?」
「それは……」
言いにくそうに、しかし、一瞬の間のあと、熾輝はソフィア姫の紫色の瞳を見ながら口を開いた。
「ソフィー、俺はキミと一緒にヴェスパニア公国へ行く事になった」
「え――?」
いったい何故?――と表情と思考を停止させたソフィア。
彼女が熾輝からこの報告を受けたのは、帰国する飛行機が出発する2時間前のことであった――。
◇ ◇ ◇
時間は遡り、熾輝がヴェスパニアに付いて行くとソフィアに告げる一日前。…正確に言うと昨晩のパーティーが終わった直後のことになる。
「――今なんて言った?」
昇雲は、熾輝に対し珍しくドスの効いた声で…つまりは怒りを隠そうともせずに威圧した。
「ソフィアを護りたいと言いました」
決して耳が遠くなった訳では無い。しかし、熾輝は一度目よりもハッキリと昇雲に対して言葉を向けた。
「…何故だい?お前と姫さんは、今日あったばかりの他人だろう」
内心では何を考えているのだと、怒ってはいる。しかし、ただ怒鳴り散らすだけでは何の解決にはならない――と、想い直した昇雲は、威圧を解き、大人の対応をとることにしたらしい。
「ソフィーは、俺の友達です。友達を助けるのに理由はいりません」
「…ほんの少し一緒に居た程度で友達になったつもりなのかい?」
「時間は関係ありません。彼女は命を掛けて俺を護ろうとしてくれました。ほんの少し一緒に居た程度の俺をですよ」
「………」
さて、どうしたものかと昇雲は一拍、眼を閉じて考えた。
常であれば、熾輝が昇雲や他の師匠たちの言葉に逆らおうなんて事はしなかった。
それは、自分たちに絶対的な信頼を寄せてくれている証であり、彼を教え導く者として応えて来た結果なのだと自信をもって言える。
熾輝が何の迷いもなく自分に打ち明けて来たのも、おそらくは反対されるなんて微塵も想っていない可能性が高い。
常日頃から、「困っている人を助けなさい」「正しく在りなさい」etc…等と綺麗ごとばかりを口にして来たせいなのかもしれない。
だがしかし、今回ばかりは、それが裏目に出たとしか言いようがない。
「…ダメだね、認められない」
「何故ですか師範!」
予想どおり、反対されるなんて思ってもみなかった表情を浮かべる熾輝に対し、昇雲は浅く息を吐いて、言葉を続ける。
「言わなきゃわからないかい?」
「………」
「お前が弱いからだよ」
それは予想していた答えの一つだ。
いくら護りたいと言っても、力が無ければ大切な者を守る事は出来ない。…それは、熾輝の人生で、イヤと言う程に骨身に染みてきたこの世の摂理だ。
「俺は、それ程までに弱いですか?」
絞り出した声。
しかし、そこにはただの悔しさだけでなく、怒りも孕んでいた。
「何を今更。ついさっき、自由な殺し屋如きにやられそうになっていたヤツがどの口で言うんだい?」
「まだ負けていませんでした!例え負けが判っていた勝負だったとしても、師範達が来るまで、死んでもソフィアを護るくらいの事はできたッ――――!!!?」
突然だった――。
頬に強烈な痛みが駆け巡り、気が付けば、熾輝は地べたに尻餅をついていた。
「ふざけるのも大概にしろ!その思い違いを正さない限り、お前は何一つとして護ることなんて出来やしないよ!」
意外、いや衝撃だった。
熾輝は今まで、叱られる事はあっても、こうやって叩かれるようなことは、今まで一度だってなかったのだ。
しかし、一番驚いたのは、叩かれた事に対してではなく、自分を叩いたであろう昇雲の表情が、とても辛そうに見えたことだった。
「いいかい熾輝、護ると言うのは至難の技なんだよ」
そんな昇雲が、まるで子供を諭すかのように、ゆっくりと言葉を続ける。
「どんなに強くなっても、護れないものはあるんだ」
そういった昇雲の表情は、どこか哀しみを感じさせた。
「師範は、師範でも護れないものがあるんですか?」
「あぁ、……あの娘の母親がそうだった」
今は亡きヴェスパニア公国三代目皇女、サクラ・ヴェスパニア――3カ月前、魔闘競技大会において、熾輝も会ったことがある。
大した話をした覚えはない。ソフィアの母親は、パワフルで、気持ちのいい性格をした女性だったと記憶している。
―――そっか、親子だからか…
ソフィアと始めてあったときに感じた既視感は、なるほど、確かに親子だと納得できるものがあった。
「熾輝、あの姫さんを助けたいと思う気持ちは、とても尊いもので、大切にして欲しいと想う。だが、アンタはまだ子供なんだ。出来る事には限界があるし、ここで動かなくても姫さんはお前を攻めはしない。アタシも間違っていないと断言できる。それにね、いくら強くなったとはいえ、上には上がいる。いまのアンタじゃなんの力にもなれない」
事実をありのままに告げられると言うのは、時として、殴られた時よりも痛いのだ。
まるで心が抉られた気分だ。
昇雲が言っている事は正しいが、熾輝には到底受け入れられない事でもあった。
何故なら、それすなわち、ソフィアを見捨てる事に他ならないからだ――
「いやです…」
「なんだって?」
「イヤだと言ったんだ!このわからず屋!」
「熾輝、アンタ――」
「たとえ力が足りずとも、男にはどうしても引けない時があるんだ!」
「…それが今だって言うのかい?」
「そうだ!俺はソフィーの友達だ!誰が何と言おうと、俺は彼女を助けに行く!」
あれ程、師匠達に対して絶対的な信頼を置いていた熾輝が、師を否定し、自分の正しいと思う事を実行に移そうとしている。
師として弟子の成長を喜ばずにはいられない。が、それとこれとは話が別だ。
「…そうかい、それは随分と安い……命を賭けるには、安すぎる!」
「男を賭けるには、十分な理由だ!」
「お黙り!アンタは、そんな余計な事を考えていないで、修行をしていればいいんだよ!」
「余計なことじゃない!俺は泣いている女の子を見捨てろなんて教えは、受けていない!」
「子供の出る幕じゃないって話をしているんだ!アレは一国の姫さね!アンタが行かずとも、護る者は大勢いる!」
まるでホテルのフロア中に響き渡るような口論。
お互いにヒートアップしている事に気が付いていないのか、次第に呼吸が荒くなっていく。
だが、こうやって言い合いばかりをしていては、何も前に進むことは出来ない。それは熾輝も昇雲も判っていること。
故に、熾輝は、今一度冷静になり、昇雲の説得を試みる。
「だったら聞きますけど、師範の見立てでは、今のソフィーの周りに、自由な殺し屋クラスの敵を倒せるものがいると思いますか?」
「………」
その質問に昇雲は応えない。否、その沈黙こそが答えと言える。
「重ねて問います。本当は、師範がソフィーを護りたいんじゃないですか?」
「………」
この質問にも応えない。ソフィアは亡くなったサクラ皇女の娘だ。昇雲とサクラ皇女がどの様な関係だったのかについては、熾輝は知らない。
しかし、護ってやりたいと思ったからこそ、昇雲は、普段なら絶対に受けない任務を引き受けたのだ。
「俺のせいですよね?」
「………」
「俺がいるから、師範は自由に動けないんだ」
「熾輝、アンタ――」
「だってそうでしょう!師匠達は何も言わないけど、俺が弱いから、俺を護らなきゃならないから、そばを離れられない!本当はソフィーを護りたいって思っているハズなのに!俺のせいで――」
「お止めッ!!」
自分の存在が足枷になっている。
それは、薄々と感じていたことだった。
魔導書事件の際、師の一人である東雲葵は、魔術医として一線から退き、ただの病院の医師として活動していたのは、熾輝を刺客から守るため。
昇雲を必要とする人達の依頼を断りつづけ、熾輝の傍にいるのは、守るため。
自分は師の自由を奪っている。足枷になっている――と、思うのに時間は掛からなかった。
「熾輝、師が弟子を守るのは当たり前のことなんだ。かつて、アタシ等がそうだったように――」
「でも、それでも俺は、護りたい。敵わないから、弱いから何もしないんじゃ、いったい俺は何のために強くなろうとしたのか判らない。もしも咲耶が燕が可憐が朱里が、俺の大切な人が危険な目にあって、まだ弱いから助けに行けない、何もしない、そんな酷い話はない!」
「………」
昇雲は熾輝の思いをただ黙って受け止める。
「師範、お願いします。行かせて下さい。俺はソフィーを護りたいんです!」
「…………はぁ、その頑固な性格は誰に似たんだか」
浅く息を吐いた昇雲は、『あぁ、アタシ等か』と心の中で呟き、微苦笑した。
「いいだろう、そこまでの覚悟が在るのなら、認めてやるさね」
「しは――」
「ただしッ!条件がある!」
熾輝が『師範!ありがとうございます!』と言おうとして、その言葉は掻き消された。
そして、次の瞬間、昇雲から放出されるオーラが室内を覆い尽くし、同時、息苦しいほどの威圧が放たれた。
「みすみすアンタを死なせる訳にはいかない。生き残るために必要な最低限の力をアタシに示してみな!それが出来なきゃアンタは暫くベッドの上で安静にしていて貰う事になるよ!」
まるで異次元の化物を相手にしているかのような感覚。
だが、熾輝がこれから相手にしなければならないのは、自分の想像を遥かに超えた敵ばかり。
ここで立ち止まるようであるのなら、ただ死にに行く様なもの。故に…
「判りました。その試練、受けて立ちます!」
「よく吠えた!」
昇雲が与える久々の試練―――がしかし、今度の試練は文字通りの命懸け。
なにせ、これを乗り越えられるかどうかで、熾輝の生き死にが決定するからだ。
―――『死ぬ気で頑張って乗り越えられるモノを試練とは言わねぇ。不可能を克服してこそ試練なんだ。』
かつて、昇雲が師から言われた言葉、その意味を今ようやく理解出来たと、不甲斐ない自分に呆れつつ、愛弟子に向かって拳を振るう―――。
「――ド派手にやったな、姉ちゃん」
「…なんだい伊織、盗み見なんて趣味が悪いよ」
時間は戻り、試練を終えた熾輝は現在、ソフィーと一緒にスパゲッティーを食べているころ。そして、彼女を守ると告げているころだろう。
「おいおい、いったい誰が結界を張ってやったと思ってるんだよ。姉ちゃんにあれだけ暴れられたらホテルが倒壊していたぜ?」
「アンタが結界を張るって、判っていてやった事さね」
ヤレヤレと、深いため息を漏らす超自然対策課のトップ。しかし、不意に厳しい顔つきを覗かせ、昇雲にある報告を行う。
「姉ちゃん、自由な殺し屋の事なんだが…」
「まさか殺されたのかい?」
【口封じ】――その単語が昇雲の中に自然と浮かんだ。
「いや、拘束していた留置施設から忽然と姿を消しやがった」
「…逃げられたか」
「あぁ、どうやらイザという時のために部下を配置していたみてぇだ。…姉ちゃん、コイツァもしかするとヤツ等が絡んでいるかもしれねぇぜ?」
「だろうね、ヴェスパニア公国の王と王女を苦もなく殺してみせたんだ。こんな事ができるのは、ヤツ等だけさね」
「そこまで判っていて、あの坊主を行かせるのかい?こういっちゃあ何だが、半殺しにしてでも止めるべきだったんじゃねぇか?」
「かも知れないね。今更になって後悔しているよ」
「じゃあ―――」
「でもね、今回の任務には、必ずあの子の力が必要になる」
「…そりゃ姉ちゃんの勘かい?」
「そうさ」
「なら良いゼ。俺ァ、昔から姉ちゃんの勘にだけは、絶対的な信頼をよせているからよ」
「【だけ】は余計だよ。…まぁ、今回ばかりは危険な橋を渡るのも事実。保険は今のうちにかけておくとするかね」
一晩中、熾輝に付き合っていたせいで疲れが溜まってしまったのか、凝った肩をトントンと叩きながら、出発までの間、昇雲は自室で休むことにした。
「死ぬなよ姉ちゃん」
「誰に言っているんだい」
振り向きもしない昇雲の背中に、伊織は声をかけ、そして返ってきた言葉に『違ぇねぇ』と、うっかりしていた様な声を上げるのだった―――。




