ヴェスパニア騒乱編~その⓺~お姫様のペットは昔から肉食獣と決まっている!
その後、…つまりは、昇雲が自由な殺し屋を降した後の話を掻い摘んで話そう。
遅れて到着した対策課が自由な殺し屋を拘束後、直ちに連行。
そして、ソフィーは、昇雲引率のもと、迎えに来たボディーガード達と共にホテルへと返って行った――。
「――痛てて、もう少し優しくやってよ」
「も、申し訳ありません。しかし…」
そして現在、死闘のあった現場に置いてけぼりを喰らった熾輝がホテルの一室に戻ってきた時には既に夜になっており、双刃からの治療を受けている。
「あの殺し屋を相手に、よくこの程度の怪我で済んだものです」
「俺もビックリだ。骨の1本や2本、覚悟していたんだけどね」
そう語る熾輝の全身は痣だらけで、傍から見たら十分酷い怪我の内に入る。
しかし、熾輝にとっては、この程度の怪我など日常茶飯事。
「ソフィ…お姫さまは?」
熾輝は共に大阪の街を観光した少女の事を尋ねた。
「予定通り、パーティーに参加されております」
「そっか…」
元々、昇雲が大阪に来た理由は、ヴェスパニア公国からの強い要望により、姫の身辺警護を依頼されたからだ。
3ヶ月ほど前、ヴェスパニア公国の王と妃が殺害され、国内の情勢が悪化。
友好国である日本との繋がりを堅実なものとし、ヴェスパニア公国民の不安を少しでも取り除こうと、今回の催しが開催された。
「難しい政治の話は、よく判らないけど、多分、必要な事なんだろうね」
「熾輝さま――?」
治療を終えて、上着を羽織った熾輝は、頭では理解しているのだろうが、しかし、どこか気に喰わなさそうな表情を浮かべていた。
「彼女がソフィア姫殿下と知っていて、行動を共にしていたのか?」
「まさか、知っていたら師範に連絡していたよ。ソフィーと出会ったのは、本当に偶然……ソフィアって?」
「彼女の名だ」
「ソフィア・ヴェスパニア、それが姫殿下の名前なのです」
「…ソフィーっていうのは、偽名…いや、愛称だったのか」
偽名と疑った気持ちを振り払うも、本当の名を語ってくれなかった事に少なからずショックを受けた。
そして、今日一日、共に過ごしておいて、熾輝は彼女の事を何も知らなかったと痛感した。
「熾輝さま、申し訳ありませんが、我々はこれから警護に戻らなければなりません」
式神として優秀な双刃と羅漢は、昇雲のサポート役として、今回の仕事に同行している。
それ故、パーティーをいつまでも抜け出してはいられないのだ。
「うん、2人は仕事に戻って。心配して来てくれてありがとう」
部屋を後にした2人を見送ったあと、熾輝は携帯端末を取り出し、もう1人の式神を呼び出した。
「ミネルヴァ、教えて欲しい事がある――」
1人残された熾輝は、ディスプレイに次々と映し出されていく情報に目を通していく――。
――ヴェスパニア公国は、98年前に建国された。
赤道近くにあり、国土の半分がジャングルなどの自然に覆われ、国民の生活圏は3割程度と、かなり狭い。
約一世紀の歴史の中で、彼らが生活を豊かにするために資源を求め木々を必要以上に伐採したことは、ただの一度もない。
それは何故か…彼らヴェスパニア人の殆どが自然崇拝者であるからだ。
故に環境に対する法律は厳格化されており、正当な理由なく自然を破壊した者には、厳罰が課せられる。
これほどまでに彼らが自然に対して崇拝的なのは、理由がある。それはヴェスパニアが建国された理由にも繋がる。
元々、ヴェスパニアは自然しかない、ただ広大なだけの島だった。
名をヴェスパニア島…島民の生活水準は、それほど高くはなく、その日の食事と僅かな娯楽だけで、生きていく事が出来た。
また、港や空港などは当然ない上に、他国とは距離が離れすぎていたため、海外の者が島に近づく事は滅多に無かったし、近づきたがる物好きもいなかった。
しかし、今から100年前に戦争…もとい、侵略戦争が勃発した。
ヴェスパニア島の豊富な資源に目を付けた国々が覇権を求めて押し寄せたのだ。
彼らには侵略に対抗できるだけの力も無ければ、数も足りない。
島のあらゆる場所で、略奪行為が繰り返され、ある者は殺され、ある者は奴隷となった。
自由も誇りも尊厳も、人としての何もかもを奪われそうになったとき、彼らは祈った。
古の昔から彼らが信仰する自然に……そして、その化身である一柱が祈りに応えた。
その名は【大地の精霊王】、大地の怒りに触れた侵略者たちは、彼の王が降らせた星によって一掃されたのだった――
――お伽話にしか聞こえないな。
ディスプレイに映し出された情報に目を通していた熾輝は、まるで空想上の作り話を読み聞かせられている気分になっていた。
他に目ぼしい情報は無いかと、指でスクロールを繰り返すが、【国王女王殺害】【ヴェスパニア公国の環境破壊問題】【相次ぐ液状化】【王位は小娘に】【クーデター間近】等々、イヤなニュースばかりが目につく。
「こんな環境でソフィーは…」
あの気高く心優しい少女は、いったいどんな想いでいるのだろう。
自分と同じ13歳のただの子供が、両親を失い、国の重責を一人で背負っている。
震える声で自分を守ろうとしてくれた彼女の事を考えるだけで、胸が締め付けられる。
「守らなきゃ…」
あのとき、友達だと口にした想いに嘘偽りはない。
きっと彼女は偽善だと言って、何もかも…自分の事すら信じてくれないのだろう。
それでも熾輝は、いてもたってもいられなかった。
時刻は、ちょうどパーティーが終わった頃合い。神妙な表情を浮かべて熾輝が向かった先は―――。
◇ ◇ ◇
パーティーは何の問題も無く終わり、その後の会談も恙なく進み、自室に戻った彼女、ソフィア・ヴェスパニアは、寝巻に着替えると、そのままベッドに倒れ込むように身体を預けた。
「最悪…」
漏らしたその言葉は、別に会談の結果に対してではない。
友好関係にある日本との貿易などは、今まで通り行われることとなり、今のヴェスパニアの情勢を考えると、むしろ最高の結果に終わったと言える。
ただ、昼間の一件以来、彼女の心は、まったく休まっていなかった。
「姫様、何か召しあがったらいかがですか?」
「………」
「パーティーでは、何も口にしていなかったでしょう?」
そうやって声を掛けたのは、彼女が幼い時から侍女として傍にいるエマである。
エマは、ソフィアよりも5つ歳が離れており、今年18歳になったばかりの女性で、温厚そうな表情からは包容力が滲み出ている。
「要りません。食欲がないので、このまま休みます」
「ですが――」
「お願い、一人にして下さい」
「姫様…」
今回、日本にやってきている者の中で、ソフィアとの付き合いが一番長いのエマだ。
普段は姉と妹の様に接する2人なのだが、この時ばかりは、…姫としての立場でいるソフィアに対して、いち従者として接する他はない。
「わかりました。アスラン、姫様を頼みましたよ?」
そう言って、エマが視線を向けた先には、『グルル――』と、喉を鳴らす大型の獣…正確に言うとライオンがいた。
おそらくはソフィアのペットであろうライオンは、ベッドで横になっている彼女の傍に近づくと、懐にしまい込むように、それはまるで自分の子供を護る母親の様に座り込んだ。
「それでは…と、そう言えば姫様、わたくしが用意した洋服は、どうでしたか?」
「…動きやすかったけど、足の露出が多すぎです」
どうやら、ソフィアがホテルを抜け出す手引きをしたのは、他でもない従者であるエマだったらしい。
何だかんだと受け答えはしてくれている事から、そこまで心配しなくても大丈夫だろうと感じ取ったエマは、クスリと微笑んで、部屋を後にしたのだった――。
しかし翌日、エマが感じ取っていた安心は、まったくの勘違いであったと痛感させられた。
「――姫様、ここを開けて下さい!」
部屋の前で大きな声を出すボディーガード、そして、その中にはエマの姿もあった。
時間は昼過ぎだと言うのに、彼らは今朝からこうしてソフィアの部屋の前で声をかけ続けている。
「いい加減ワガママが過ぎますゾ!今夜にも日本を経つというのに、もっと姫としての自覚を持って下さいませ!」
「大臣、そのような言い方は――」
「黙りなさい!そもそも、お前達が姫様を甘やかすから、この様な事になっているのである!」
大臣と言われた老齢の男性は、ソフィア姫の教育係として付き従っており、彼女からは爺やと呼ばれている。
「もう我慢の限界じゃ!姫様!勝手に入らせていただく!」
「あッ、待って下さい――」
ホテルマンから借りていた部屋のマスターキーを取り出し、鍵を開けた大臣が一歩中へ入った途端…
アギャーーッ!!―――と、叫び声を上げて部屋から逃げ出してきた。
「アッ、アスラン!貴様、邪魔立てするか!」
アスランと呼ばれた一匹のライオンは、タテガミをボワッと逆立て、グルルルゥと、威嚇を始めた。
「アスランお願い、私たちを中に入れて!」
「グルルゥ――」
「姫様、昨日から何も食べていませんよね?食べなきゃ身体を壊してしまいます」
籠城を続ける彼女のためにと、ホテルに食事を用意してもらったエマは、それを部屋の中へと持って行こうとして…
「GAOOOッ――!!!」
「きゃっ――!!」
威嚇どころではない。アスランはエマが押していた配膳カートに飛掛ると、そのまま食事と彼女ごと押し倒したのだ。
「アスラン、何をッ――」
流石にボディーガード達の間に緊張が走った。
なにせ、普段は大人しいハズのアスランが牙を剥き、エマに襲い掛かったのだから。
王族のペットとして飼われていたアスランは、完璧な調教を施され、ソフィアやエマには忠実だった。
にもかかわらず、今はエマを喰い殺さん勢い、やはり獰猛な肉食獣を人が飼いならすなんて、土台無理な話だったのだと、拳銃を構えたボディーガードが引き金を絞ろうとしたその時…
「賢いな、お前は。主人を守ろうとしたんだね。」
拳銃の射線を塞ぐように現れたのは、熾輝だった。なぜか右手にコンビニで勝ったと思われる買い物袋を持って――
「おいッ、そこをどくんだ―――」
「待て」
「隊長、しかしッ――」
部下の拳銃を降ろさせたのは、ボディーガードチームのリーダーであるキースだった。
キースは昨日、昇雲の弟子がソフィアを護ったと言う報告を聞かされていた。
故に、もしかしたら、目の前の少年が彼女を何とかしてくれるのではないかと期待したのだ。
「食べ物に毒が入っているかもしれないと、警戒したんだな」
「グルルゥ――」
「大丈夫、キミの主人を傷付けたりはしないよ」
「グルゥ――」
アスランの眼を見て、まるで彼の気持ちを理解したかのように語り掛ける。
荒ぶったタテガミにそっと手を近づけて、ブラッシングをするように緊張を解いていくと、熾輝の気持ちが伝わったのか、威嚇のために牙を剥いた表情から力が抜け、アスラン本来の温厚な表情が顔を出す。
「さぁ、彼女からどいてあげて」
「クゥゥン」
まるで猛獣使いの技である。
大型肉食獣の怒りを沈め、挙句、懐かれている。
アスランは、冷静さを取り戻すと、押し倒したエマに顔を擦り付けて、謝罪の意を示している。
そんな2人の横を「ごめんよ」と、通り過ぎ、部屋の奥にいるソフィアの元へと歩いていく。
「酷い顔だなソフィー」
熾輝の目の前に居るのは、本当に昨日会った彼女なのかと疑いたくなる程に酷い顔をしていた。
何かに怯え、ロクに眠ることも食事をする事もできず、心をすり減らした…そんな疲弊具合がありありと見てとれた。
「……何しに来たのですか」
「君の事が心配でね。少し話をしようか」
「心配される筋合いなんてありません」
明らかなる拒絶。
言葉を交わそうにも、彼女にその気が無いのであれば、どうしようもない。
しかし、熾輝は彼女の言葉を聞いて…
「そりゃそうだ。そもそも心配というのは、勝手にしたり、押し売りしたりするものなんだから、そこに筋合いが無くてもいいんだよ」
と、ソフィーの拒絶をまるで柳の如く受け流す。
「ッ、屁理屈を言わないで!だいたいアナタにわたくしの何がわかるのですか!」
声を荒げる彼女の言葉を、今度は受け流さずに、まっすぐ受け止める。
「判らない」
「ならッ――」
なら放っておいて!と、言おうとして、その音声は「でも」という言葉に掻き消された。
「でも、ソフィーが苦しんでいる事は判る。悲しくて、辛くて、怖くて、泣き出したくて、きっと堪らなくなっているんだって」
「それが判っているのなら、わたくしの事なんて放って――」
「放っておけない!」
「なんでよ……」
ほんの少しでも、熾輝の気持ちが伝わったのか、それとも彼女の心が限界だったのかは判らない。
しかし、彼女の声音は、何かに耐えるように、震えるようにして絞り出された。
友達だからだよ――――
ほんの一時、彼女と共に居たのは、それっぽっちだ。
なのに、熾輝は真直ぐな瞳で彼女を友だと言った。
その気持ちに嘘偽りはなく、熾輝はソフィーを友達だと想ってくれている。
願わくば、彼女もそうありたいと望んだ。だから…
「あなたは、本物の偽善者なのね」
言葉の中身は、酷い事を言っている自覚はあった。
しかし、不思議と彼女の言葉からは悪意は感じられない。
先程までの疲れ切った表情の隙間から僅かに差し込んだ晴れ間。それを熾輝は決して曇らせないと誓いをたてた――。




