ヴェスパニア騒乱編~その⑤~一流は英語にするとスペシャリスト?
――アン、ドゥー、トロワ、アン、ドゥー、トロワ…
その動きはまるで、バレエを踊るダンサー。
手傷を負わされているハズの自由な殺し屋の動きは、本当に怪我をしているのか疑わしくなるほどに、キレがある。
――幻幽拳!疾風怒濤!
撹乱、機動力、手数で攻める熾輝に対し、自由な殺し屋は、一撃決殺を放ってくる。
「ファアアアァッ!!」
「ッ――!!?」
ギリギリで回避したつもりでも、軌道を変えて追尾するその蹴りは、確実に熾輝を殺しに来る。
「なんてヤツだいキミって奴は!ボクの本気の蹴りを喰らって、生きているなんて、本当に人間かい!」
「鍛え方が違うんだよ!!」
交錯する2人の達人。だがしかし、優勢は自由な殺し屋に傾いてしまう。
熾輝が放つ技の尽くが躱され、代りに重い蹴りが幾度もぶち当てられる。その度に体中に痣が刻まれていく。
「まるで鋼鉄のサンドバックを蹴っている気分だよ!」
「師が良いんでね!防御力と耐久力だけは、自信があるんだ!」
強がりを言っても、この状態がいつまでも続く訳ではない。
ダメージを蓄積したぶんだけ、熾輝の動きが次第に鈍っていくのは必定。
――クソッ、間に合うか!!?
何かの機を狙っていた熾輝。しかし、それよりも早く自由な殺し屋が動いた。
「くははは!!覚悟しな!今度の蹴りは、いくらキミでも防げやしないぜ!!」
身に纏う山吹色のオーラが自由な殺し屋の右足に集中していく。
「避けてもいいが、その時は、後ろのプリンセスの首が吹き飛ぶ!まぁ、避けなくても、諸共に吹き飛ぶけどね!」
明らかな必殺の構え――。
迎え撃つ唯一の選択を一瞬で決断する――。
――獅子奮迅ッ!游雲驚竜ッ!
ステータス全開放による迎撃。護りに徹すれば、確実に崩される。ならば…
「攻撃は最大の防御ッ!」
「その意気や良し!」
ギラギラと光る眼光が自由な殺し屋の顔を不気味に彩る。
お互いに必殺の型を放つ隙を窺うのかと思いきや、気にせず間合いを詰めてくる自由な殺し屋。
一瞬でも惑わされれば、瞬きの間に殺されていたであろう。
――素晴らしい胆力!だからこそ――
「殺し甲斐があるというもの――!」
自由な殺し屋が熾輝の必殺の間合いに入った瞬間、二人の空間を一条の流星が駆け抜けた。
「速い!しかし、遅い!」
今の熾輝が到達できる最高速度は、あの五月女凌駕がモーションサイトを使用してようやく躱す事が出来る程のスピード。それを自由な殺し屋は、初見で完全に見切ったのだ。
「そんなテレフォンパンチ、目を瞑っていても当たらないねええぇ!」
勝ちを確信した自由な殺し屋は、事実、眼を瞑り、必殺の型を放つ。
――蹴り貫く・大弩砲あははんッ――!?
必殺を詠っていた彼の語尾が砕けた。心の中で詠っていたのに砕けた。何故って――?
「いやいや、それは幾らなんでも言い過ぎさね?」
自由な殺し屋の必殺の型が決まるよりも早く、熾輝の必殺の型が発動するよりも、尚速く、その人物の一撃が、彼の顔面を捉え、吹き飛ばしたからだ。
「師範!」
「待たせたね、後はアタシに任せな」
熾輝とソフィーを守る様に立ち塞がったその人こそ、心源流27代目昇雲である――。
◇ ◇ ◇
時間は少し遡る。
「――追えそうかい?」
昇雲は、手に持っていたハンカチを熾輝の式神である双刃に手渡し、質問をした。
「…問題ありません」
彼女の数多ある能力の一つ、【猟犬の追跡術】を発動させ、追跡が可能であることを昇雲に告げる。
「しかし昇雲さま、姫君の所持品を勝手に拝借するのは如何なものかと」
「手癖が悪いってかい?」
「熾輝さまの師であることをご自覚して下さい。弟子である熾輝さまが真似でもしたら、恵那さまに顔向け出来ません」
「文句だったら、白影にでも言うんだね。こうした仕込みは、既にあの爺さんが熾輝に施しているよ」
ヴェスパニア公国の姫であるソフィーの痕跡を辿り、大阪の街を歩く昇雲達は、今この場にいない熾輝の事で討論を繰り広げていた。
「火急の事態だ。この際、細かい事を言うべきではない」
「羅漢、お前がそれを言うのか!大体、ボディーガードに一言断りを入れれば済む話ではないか!」
「それが出来ない状況であるが故の我々3人だけの追跡なのだ」
「…どういうことだ?」
双刃は『はて?』と羅漢の言葉に疑問符を浮かべ、隣を歩く昇雲に視線を向けた。すると、ヤレヤレと浅いため息をこぼした昇雲は、今回の騒動について、説明を始める。
「今回、姫の脱走は、明らかに不自然さね。魔術を使って身を隠し、監視の眼を逃れるにしても、一国の姫のボディーガードの眼を易々と掻い潜る…んなわけがあるかい?」
「…つまり、内部に裏切り者がいると?」
「十中八九そうだろうね」
「何と言う事か!使えるべき主を裏切るなど、許される事ではない!」
「まぁ、あの国の情勢を考えると、有り得ない事でもないから、別に驚きゃあしないけどね」
身内の裏切りを聞かされ、感情を荒ぶらせる双刃に対し、昇雲の反応はかなりドライだ。
「そして羅漢!先程からお主は、何をしている!歩きスマホはマナー違反だから止めろ!」
追跡を行いながら討論する片手間で、羅漢は所持していた携帯端末を先程から操作しており、それを見ていた双刃が注意をする。
ちなみに、双刃も携帯端末を熾輝から貸しされているが、いかんせん使いこなせていないので、目の前で使いこなしている羅漢が気に入らなかったりする。
「ドニーからの情報を受信した」
ドニーとは、フランス聖教の聖騎士見習いであり、一時期、日本支部のエクソシスト部隊に配属されていたが、今は乃木坂可憐の監視の任に付いている。
「あの男は暇なのか?ちゃんと任務をだな――」
「先日、フランスの殺し屋、ジャン・ジャック・クリストフ、通称【自由な殺し屋】が日本に入国したとの情報だ」
「ほう、あの殺し屋が日本に」
「ご存じなので?」
「あぁ、最近勢いのある若手の殺し屋だ。確か蹴り技主体のサバットというフランス格闘技の達人だと聞いたね」
若手とは言ったが、自由な殺し屋の実年齢は30歳だ。
「そんな情報より、今は姫君の捜索をだな――」
「なお、自由な殺し屋は、ヴェスパニア公国の姫君の殺しを請け負ったと――」
「それを早く言えええぇッ!!」
ボディーガードの監視から外れ、孤立無縁である姫君は、殺し屋にとって、今が最も狙いやすい状況であるのは、言うまでもない。
「こりゃあ、急がないとだね」
「急ぎ、姫の確保を――」
――ヤッホー!電子の世界からミネルヴァちゃん降臨!
緊迫するムードをぶち壊し、第三の式神であるミネルヴァがハッチャケて登場した。
ちなみに、このミネルヴァは、ランダムで性格が変わる。真面目な時もあれば、今の様にお道化てみせたりもするので、始末が悪い。
「貴様ァ!この緊急時に何用だ!」
『あ~、双刃姉さまヒッドーイ!折角マスターからの緊急SOSを届けに来たのに~』
「なに!?」
ミネルヴァちゃん激怒プンプン丸だぞ~と、ディスプレイの画面上であざとく怒った振りをして見せる。
「何事さね?」
『実は~、マスターのところにぃ―――』
ミネルヴァからの報せを聞き、3人の足は熾輝がいる場所へと向けられた。
◇ ◇ ◇
そして現在、ミネルヴァを通じて昇雲たちを呼び寄せた熾輝は、戦いの最中、3人が到着した事を知り、3人が自由な殺し屋を捕獲するための手はずが整う準備を待っていた。
そして、交錯しようとした熾輝と自由な殺し屋の間に割って入って来たのが昇雲だった。
昇雲は、背にした熾輝とソフィーを一瞥し、その無事を確認すると…
「――熾輝、よく持ちこたえたね」
「はい!それであの師範、双刃と羅漢は?」
「あの2人は連携して公園を包囲しているさね」
「2人だけ?」
昇雲の言葉に「?」が浮かんだ。
昇雲が負けるなんて、思っていないが、それでも勝負を捨てた自由な殺し屋が万が一にも逃走する恐れがある。
そうなった場合、羅漢と双刃の2人では逃げられる危険性を危惧していた。
「対策課も直ぐに到着する。そうなれば包囲網は完成する。アンタはその嬢ちゃんを絶対に護りな」
「…はい」
おそらく、熾輝には思いもよらぬ、のっぴきならない事態が発生しているのであろうと思い至り、それ以上の思考は止めにした。
――あはははは!と、笑い声を上げながら手も使わずにブワッと、仰向けの状態から、まるで糸で吊るされているのか疑いたくなるような動きで起き上がった自由な殺し屋。
「いやああぁ、まさかの不意打は見事だったよ!でもボクには全ッ然きいていないよ!」
鼻血をダラダラと垂らしながら、強がってみせる自由な殺し屋の視線は、既に熾輝から昇雲へと向けられていた。
「婆さん、中々の使い手の様だが、運が悪かったね!ボクの仕事の邪魔をしたからには、子供だろうと老人だろうと容赦はしないよ!」
「それはこっちの台詞さね」
「んん?なんのことだい?」
自由な殺し屋には思い当たることが無いのか、「?」が浮かび上がる。
「おんどりゃあぁッ、よくもアタシの可愛い弟子を痛ぶってくれたねぇッ、久しぶりにドタマに来たよッ!!」
「ッ――!!!?」
まるで閻魔大王の如き形相は、まさに怒髪天!
昇雲を纏うオーラが紫紺色の輝きを灯す。
そして、大瀑布の如きプレッシャーを感じ、先程までの飄々とした態度が自由な殺し屋から完全に消え失せた。
「覚悟はいいか?まだなら急ぐといい、アタシの拳骨はトビっきりキツイからね!」
ボキボキと、関節を鳴らしながら怒りを迸らせる昇雲。
「フッ、老いぼれが調子にのるなよ。アンタの目の前にいるのは一流の殺し屋だ。ただ単に年期の入っただけの武術家なんて、世界には腐るほどいるんだ。大人しく隠居でもして道場でも開いていな!」
まるで今までが本気では無かったかのように、自由な殺し屋は、己の制限を外し、身に纏うオーラが勢いを増し、肉体は着ている服の下からでも盛上っていると判る程にパンプアップしていた――
「――熾輝ッ、お婆さんを止めないと!殺されてしまいます!」
2人の様子を見ていたソフィーは、焦った声で訴えかける。
彼女とて裏社会の住人、魔術の心得はあるし、能力者についても理解はしている。
しかし、切った貼ったの世界は、彼女からは縁遠い。それはむしろ彼女を護る者達の世界だ。
故に、ソフィーには2人の実力を計ることが出来ない。
「あの男は、一流の殺し屋なのでしょう!老人相手に手を抜いたりしないのは、わたくしにだって判ります!」
そう、自由な殺し屋は、一流の殺し屋。それは、周知の事実であり、実力は本物だ。
間違っても熾輝が勝てる相手ではないし、ましてや2人の間に割って入るなんて事は出来ないし、出来たとしても、それは自殺を意味している。
「ソフィー、ただの一流じゃあ、師範を倒す事は出来ないよ」
「何を言っているのです!一流にただも何も無いじゃない!ましてや相手は殺し屋よ!裏社会においても忌避されるべき悪なのよ!」
一流を相手に出来るのは一流だけ。
いかに熾輝が昇雲に対し、絶対的な信頼をおいているとしても、勝負に絶対は無い。
そして、仮に昇雲が一流の武術家だとしても、その実力は拮抗するのが必定。
「悪か…」
まるで儚い存在を見るかのような…言い換えれば尊ぶようにその言葉を口にした。
忌避するような言葉をその様に口にする者をソフィーは、今までの人生の中で見たことが無い。
そして、目の前で相対する両者が動いた――。
勝負は一瞬で決まる――。
互いに命を掛けた本気の一撃――。
「師範を前に、悪なんてものは何の意味も持たない」
「え――?」
人間が認識できる速度をぶっちぎりに突破しての攻防は、まさに一瞬!
確殺の連撃は、その尽くが圧倒的力によって撃沈され、押し返される!
ヌアアアアァッ!―――という呻き声を響き渡らせながら、男は歯を食いしばり、尚もギアを上げる。
「だってあの人は―――」
本来、一流の実力者同士の力は拮抗する。
だがしかし、もしも、その拮抗を、いとも容易く打ち破れる者がいたとするならば、その者は…
「超一流なんだ」
その直後、勝負は呆気なく、そして虚しく幕を閉じた。
自由な殺し屋の敗北によって――。




