第二六話
他の場所で交戦中だった師匠たちも事態の終息を迎えており、それぞれが熾輝の元へと移動していたころ、熾輝と葵が瀕死の岩鬼を前にしていた。
「先生、この人をどうしますか?」
「・・・・」
それは、一瞬のためらいだった。
先程まで戦闘をしていた相手は、既に人を辞めてしまい妖怪になった者。
人に災いを成す妖怪は、滅するのが魔術や能力の世界に生きる者の掟。
しかし、葵は聞いてしまった。
目の前の妖怪が血の涙を流しながら、おそらくは神災で亡くした両親に助けを求める悲痛な少女の声を。
だからこそ葵は、あの戦闘の最中、動揺をしてしまった。
かつて、自分の兄と同じ境遇に陥り、心に折り合いをつけてきた事柄が再び蒸し返される。
だが、あの時とは状況が違うし、葵もかつての疎だったあの頃とは違うはずなのだ。
「人に害をなす妖怪は滅します。」
「でも、この人は人間なんじゃ、」
「・・元人間です、それに例え相手が人間だったとしても、自我も無く、人を殺める者を放置する事はできません。」
葵とて、本心では助けたいと思ってはいるのだが、医者を生業ににしているからこそ、目の前の者がもう戻ることが出来ないのだと分かってしまう。
そして、熾輝の師であるからこそ、しっかりと教えなければならない。
「熾輝君、良く覚えておいて、私たち魔術師や能力者というのは、世間では秘匿されている存在なの、それ故にそういった異能を使う者達は己を厳しく律し、決してその力を悪用してはならないの、だからその力を悪用しようとする者や人間を殺めようとする者を同じ力を持つ者が止めなければなりません。たとえ相手の命を奪う事となろうとも・・・」
葵はそこまで言い終えると、岩鬼の傍まで近づき、魔力を集中させたる。
先程と同じ光景を熾輝は、ただ見ている事しか出来なかった。
神狩の攻撃によって身体を貫かれた岩鬼は、弱弱しくあるが、妖怪の生命力によって、未だに意識をはっきり保っており、その攻撃性も健在である。ただ、身体が動かす事だけができなかった。
術式の構築が終わり、再び魔法式に光が灯る。
光量が次第に増していくに連れて、逆に葵の表情が段々と曇っていく。
「・・ごめんね、妖怪になった人間を元に戻す術は、現代の魔術をもってしても不可能なの。このまま彼方を放置すれば、いずれ人間を襲ってしまうわ。・・・そうなってしまう前に私が彼方を殺します。」
魔術師として能力者としての教示
それを示さなければならない。
だが彼女は、今まで妖怪や人間をその教示に則って殺した事がない。
それもその筈、何故なら彼女は医者だからだ。
命を救ったことはあれど、自ら進んで命を奪うという行いをしたことがなかった。
魔術師として、ただその教示だけは、彼女も理解している。
理解しているが、心が納得していないだけなのだ。
だからこそ、葵は次第に震えだす。
「(覚悟を決めなさい。私はこの子の先生なんだから!)」
魔法式に循環する魔力が臨界を迎え、いつでも術式を発動する準備が整い、葵は震える手を必死に抑え込み、思いっきり目を瞑り、魔術を発動させる。
・・・だが魔術は、発動する一瞬手前で制止された。
彼女が知っている男の手によって。
「・・・・せいじゅうろう?」
男は、震える女の手を優しく包み込み、岩鬼へ向けていた位置からゆっくり降ろさせた。
「お前が、そんな事をする必要は無い。」
清十郎は、葵に背中を向けて岩鬼へ向けて歩き出す。
腰に帯刀した刀の柄に手を掛けて。
「(あぁ、まただ。また私は何も出来ない。またこの人に背負わせてしまう。)」
――――――――
葵の兄が清十郎の手によって殺された日の事、彼女が見た物は紛れもない事実であり、そこに改ざんの余地などは無い。
そう、清十郎が兄を殺したのは事実である。
だが、それが必ずしも真実とは、限らないのだ。
あの日、葵から電話を受けた清十郎は、とある街を仲間と共に包囲陣を狭めながらある堕ち人を負っていた。
【堕ち人】とは、人間の位を捨て新しい何か(人間以外)に生まれ変わった物を指す言葉であり、業界の人間がこの堕ち人を追う場合、ターゲットが人間を殺しているという事が殆どである。
そして、今まさに清十郎が追っている堕ち人とは、葵の兄その人だった。
「くそっ、こうなる前にどうして気付けなかった!?」
「ご自身を責めても仕方ないでしょう、清十郎様は、最善を尽くしたのですから。」
清十郎の傍らで声を掛けたのは、彼と同じ一族の男性で、幼少期から彼の付き人をやっている男だ。
「和也・・・例え最善を尽くしても結果が伴わなければ、何の意味も無い。」
吐き捨てるように言い放つ清十郎は、下を向き、悔やむその心を必死に整理しようとしていた。
「どうしてだ・・どうしてもっと早くに気が付けなかった。」
「申し訳ありません。葵殿の兄上が魔術に手を出しているという情報は、早くから掴んでいたのですが、魔術の師であった男は、家柄的にも問題は無く、協会側も正当な魔術師として登録していたため、まさか、あの様な研究に手を出しているとは思いませんでした。」
「違う、別にお前を責めている訳じゃないんだ。あの男の資料は俺も目を通していたし、何の問題も無いと軽視していた俺自身が許せないんだ!」
「清十郎さましかし、『ピリリリリリリ♪ピリリリリリ♪』」
和也の言葉を遮るようにして携帯電話の着信音が鳴り響く
「もしもし・・・・・・・・・わかりました。」
携帯電話を切った和也は、清十郎に向き直り通話相手からの伝言を伝える。
「ターゲットを所定の位置に誘い込みました。」
「・・・分かった。」
未だにうな垂れたままの清十郎は、返事だけをして、目的の場所まで歩き出す。
これから彼が行うのは、彼が心を許している相手の家族を殺す事。
その事に、苦悩しながら彼は付き人と歩き始めた。
「・・・・葵、すまない。」
―――――――――――――――――
清十郎が目的地に到着した時、既に現場では動きがあり、ターゲットと接触した術者が数名、重傷を負って撤退を開始していた。
「急いで医療班を呼べ!」
「結界を強めるんだ、決して街中に出してはならん!」
現場は、騒然としており、ビルの中からは体中を切り刻まれた術者が何人も運び出されていた。
「清十郎様、これは」
「ちっ、馬鹿共が先走りやがったな。行くぞ、和也」
「はい!」
「おい、君たち待ちなさい。」
現場の状況を一見して把握した清十郎達がビルに近づこうとした所で、一人の男性に声を掛けられる。
「君たちも討伐に駆り出されたのか?」
清十郎と和也を見た男は、一瞬迷惑そうな顔をした。
それもその筈、周りに居る大人たちから見れば、まだ高校生の清十郎達を子供と思うのも無理は無い事である。
だが、彼らの世界には例え見た目が子供でも大人以上の実力を持った者達などざらにいる。
その事を知っている男は、清十郎達に対する態度を一瞬にして改め、所属を問いただす。
「・・・五月女家から派遣された五月女清十郎だ。」
「同じく五月女家に仕える倉科和也です。」
「五月女!?・・・これは、失礼しました。五月女の直系の方が来てくれているとは知らず、無礼な態度をお許し下さい。」
男は、五月女という家の名を聞いた途端態度を改め、恭しく接し始めた。
「そんな事より、現場はどうなっていますか?」
清十郎に代わって男から状況を聞いたのは和也であった。
「はい、ターゲットは、やはり堕ち人で間違いありません。しかもこの堕ち人は、妖怪化を果たしており、内包する妖気もレベル3にまで達しています。」
「レベル3ですって!?」
男が言ったレベルとは、彼らの業界で定められた妖怪等の強さを示す数値であり、レベルは1から7まで存在する。
ちなみにレベル3は、平均的な力量を持った魔術師が30人掛かりでやっと収仏出来る程の脅威とされ、近年ではレベル5から上には上がったことが無い。
「はい、このまま放置すれば、間もなくレベル4に達してしまいます。そうなる前に対処しなければ街にも被害が出かねません。」
「現在のこちらの戦力は?」
「結界を張っている者が5人と合わせて20人居ましたが、ターゲットの力を見誤った者が先行してしまい、5名が重症を負ってしましました。」
「つまり、私たちを含めても戦闘に参加できるのは12人だけですね。」
レベル3を相手に対処出来る人数の半数以下で対応しなければならない現状を聞いて和也は、一瞬だけ考え、清十郎へと意見を求める。
「清十郎様、結界班の方々には、このまま結界の維持を担当してもらい、万が一に備え私を含めた11人で結界班の護衛と逃走ルートを潰します。」
「11人?(何だ、五月女の直系は戦わずに逃げるのか?俺達に、そのための時間稼ぎをさせる気なのか!?)おいっ、」
和也の提案を聞いた男は、ふざけるなと思い、まだ現場で戦っている部下を捨て駒にする様な作戦を到底受け入れる事が出来ず、相手の家柄など関係無いとばかりに、掴みかかろうとしたが、次の和也の一言で耳を疑った。
「その間、清十郎様はターゲットをどうにかして下さい。」
「なっ!?」
「ああ、任せたぞ。」
「待ってください!何を言っているのか分かっているのですか!?相手は、レベル4にも届きかねない相手ですよ!それを一人で対処など出来るはずが無いでしょう!」
「俺では、無理と?」
「そうですよ、ここは結界の強化に努めて応援部隊の到着を待つべきです。それに相手は、これまでの堕ち人とは異なる特性を有しています。」
「異なる特性ですか?」
男の進言に気になる言葉を聞いた和也は、疑問を投げかける。
「はい、ターゲットは、風を操り、周囲にカマイタチを起こしています。」
「カマイタチですか?だけどそれなら妖怪の特性として納得ができます。」
「それだけならば、そうでしょう。しかし、今までの堕ち人とは違って、この妖怪は、魔術を行使します。」
「は?妖怪が魔術ですか?」
【魔術】それは、人のみが有する力。
それ故に例え人間界で生まれた物であっても、他の生物に魔力は存在せず、人間だけの特別な力。
だが、男の言葉は、それを覆すものだった。
「あり得ないと思うでしょう?しかし、私の部下は実際にターゲットが魔術を行使するところを目撃しています。重症の怪我を負いながらも必死に情報を伝えてくれました。」
見間違いでは?と思っていた和也も、男の部下が命を懸けて伝えた情報に対し、それ以上の異議を述べることは無かった。
「清十郎様、やはり裏で動いているのは」
「ああ、多分そうだろうな。これ以上は、時間が惜しい。」
「分かりました。こちらの事は、私にお任せください。」
「頼むぞ。」
男から大抵の情報を得た清十郎は、ビルへと歩みを進める。
「だから待てと言っている!一人じゃ無理だ!」
「問題ありません。我が主に敗北は在り得ません故。」
「だが、」
尚も食い下がらない男に対し、和也は『それに』と一泊おいて言葉を紡ぐ
「あなた方が居たのでは、返って主の足手まといです。」
その瞬間、和也から放出されたオーラが男を一瞬にして黙らせた。
「(な、なんという威圧感だ、これが噂に聞くオーラというものか。)」
無意識に後ずさる男は、今もなおビルへと進む清十郎を一瞥して、目の前の男に向き直る。
「本当に大丈夫なんだな?」
「ええ、我が主に敗北はありません。・・・・ただ、今回は苦戦を免れないと思いますが。」
ビルへと入っていく清十郎を見送った和也は、男と共に作戦に参加していた戦闘員をかき集めるよう要請し、万が一に備えるべく動き出した。




