ヴェスパニア騒乱編~その①~ここが食い倒れの街!
「証をここに――」
毅然とした音声が、静かな神殿に響いた。
その場に集まった人々の目が、ステージのように高い場所にいる少女に向けられる。
惚れ惚れするような立ち姿を見せるその少女は、一目で上等と判るドレスを普段着のように着こなしている。浮ついた様子は皆無で、静謐と厳粛が服を着ているかのよう。
目が眩むほどに輝くブロンドの髪。そして、見たものを虜にする紫色の瞳は、地上に存在するどんな宝石よりも美しい。
対して、彼女が握る杖は、質素で何の飾り気もなく、まるで色が抜ちたかのようにくすんでいて、とても頼りなくみえる。
しかし、少女は、まるで最後の命綱のように力強く握っている。これを離してしまえば命が無いと思っているのだろうか…
そんな少女の心境は、腹の中を針で刺されたかのような気持ち。それをグッと堪え、表情に出さないようにすることに必死だった。
己が手に握られている杖を握り直し、お願い――と、まるで縋るような想いで杖に囁く。
掲げられた杖に意識を集中し、その時を待つ。資格あるものであれば起こり得ない現象を起こせるハズ。しかし……
「……それまで」
先程までの毅然とした音声が嘘のように、疲れ果てたかのような声が神殿内に響く。
すると、落胆と失望の声が人々の口から垂れ流された。
少女は、その光景に目もくれず、聞こえない振りをし、踵を返して、足早にその場を去って行った。
――また、ダメだった。
まるで、同じ事を何度も試しているかのような口ぶり。
その手に握る白亜の杖を睨み付け、どうして――と、悲しそうな声を漏らした。
◇ ◇ ◇
世界魔闘競技大会から3ヶ月後。
あちこちからソースとマヨネーズを焼いた香りが漂い鼻孔をくすぐる。それだけで腹の虫がお祭り騒ぎになり、追い打ちをかけるようにジュージューと焼く音に口の中が大洪水になる。
「ここが食い倒れの街…大阪」
目に映る物すべてが新鮮…というより派手である。
テレビの中だけの話だろうと思っていた虎柄やヒョウ柄の服を普段着として着こなすオバちゃん。
スポーティーな服を着た男が万歳する、某お菓子会社の看板etc…
「キョロキョロするんじゃないよ」
「あ、はい!」
怒られてしまったと、反省した熾輝は、昇雲の後に続いて歩く。
「アタシは仕事で来ているけど、関係ないアンタは、ホテルに荷物を置いたら観光してくるといいさね」
「お手伝いし――」
「百年早い!」
お手伝いしますと、言い終えるよりも前に、昇雲の怒った声に止められた。
反省したばかりだと言うのに、即行で叱られた熾輝は、シュンっと肩を落とす。
「大人の仕事に子供が口出しするもんじゃないよ」
「ごめんなさい…」
「別に怒っちゃいないよ。折角こんな遠い所まで来たんだ。アタシに付き合ってホテルで缶詰なんて、あんまりじゃないか。日頃頑張っているご褒美に楽しんでくると良い」
そう言って、昇雲は手荷物から財布を取り出して…
「お小遣いだ。これで好きな物を買いな」
ズシリッ!とはち切れんばかりにパンパンになった財布ごと渡してきた。
「…多すぎません?」
「このあいだ、アンタには稼がせてもらったからねぇ」
「え――?」
3カ月前、熾輝が参加していた世界魔闘競技大会、本来は賭け事を良しとしないのは、暗黙の了解のハズだったこの大会で、当時アメリカチームのマネージャーが持ちかけた事により、今回だけVIP達の間で賭博が行われていた。
その際、昇雲は万馬券を当てたくらいの儲けを手に入れていた。
「ゴホンッ!ゴホンッ!…いや、なに、大会のときに諸外国の重鎮達の解放に一役かったろう?その報酬だと思えば良いさね」
流石に弟子を賭け事の対象にしたと言うのは、師としては口が裂けても言えなかったらしく、咳払いをして誤魔化した。
「そう言うことなら、貰っても……良いんですか?」
「アタシが良いって言ってるんだ。それに、一度出した物を引っ込めることが出来るかってんだ」
これは、絶対に退いてはくれ無さそうだと悟った熾輝は、昇雲からのお小遣いを有難く受け取ることにした。
そして、ホテルに荷物を置いた熾輝は、昇雲と別行動となり、大阪の街に繰り出した。
付箋が大量に張られたガイドブックを片手に、熾輝が最初に訪れた場所は…
『中華料理店…って、なんでやねん!』
携帯端末から式神であるミネルヴァがツッコミを入れる。
「無理に関西弁口調にしなくても良いと思うけど?」
『いやいやマスター。わざわざ大阪まで来て、なんで中華です?』
もっと他にあるでしょう!と、食べる事が出来ないミネルヴァからのツッコミに熾輝は、淡白に応える。
『あとで双刃さんや羅漢さんからどうだったって聞かれて、餃子美味しかった、とでも答えた日には、絶対に【え~~】ってなりますよ?』
「別に中華を食べに来た訳じゃないよ」
『中華料理店で中華を食べないなんて、…冷やかしです?』
違う違う――と、微苦笑しながら熾輝は店内へと入って行った――。
◇ ◇ ◇
――アナタにもきっと、いつか判る日が来るわ
目を瞑れば、今も聞こえてくる母の声。
優しくて、パワフルで、それでいてちょっとだけ、おっちょこちょいだった母。
父を含め、周りの人達は、いつも母に振り回されていた。
だけど、だれも嫌な顔を見せないのは、母を信頼し、尽くしたいと心の底から思っていたから……
だけど、守る事が出来なかった、守ってくれなかった。父と母が最も信頼し、忠誠を誓ってくれた、あの人たち……
―――それが許せなかったから私は………
「――ま、姫様!聞いているのですか姫様!」
「……聞いています」
いつの間にか考えに耽っていた自分を呼ぶのは、老齢の男性。
「まったく、修練中に寝ないで下さい」
「寝ていた訳では、ありません」
「では、何だと言うのですか?」
「…少し、考え事をしていたのです」
「それは身が入っていない証拠です!」
「でも、爺や、わたくしは――」
「宜しいですか姫様!」
聞く耳持たずとは、まさにこの事だと、辟易した様に彼女はため息を漏らす。
「代々、ヴェスパニアを統べる王!つまりは、姫様のご先祖様は、あの肥沃な大地とそこに住まう民を守護してきたのです!」
「また、そのはなしですか――?」
「良いから聞きなさい!」
「………」
「他国からは、歴史が浅い国だと侮られてはいますが、ヴェスパニアの資源は類を見ない程に豊富!その資源を狙う国々の圧力に屈せず、そして、民を守って来れたのも、ひとえにご先祖様の功績なのです!」
熱く語ってくれるのは、いいが、自身が高齢だという事を忘れないで欲しいと思いつつ、右から左に話を聞き流す。
「確かに他国にくらべ、力が無いのも事実。我が国は幾度も政治的な苦汁を舐めた事もありました。正直、人の力だけでは、限界もあった。しかーーしッ、今日までヴェスパニア公国を守る事が出来たのは、ご先祖様と大地の精霊王様の加護があったからと言えるでしょう!」
「……わかっています。だから歴代の王は、この杖を継承してきたのですから」
耳タコの話で、先程まで聞き流してはいたのだが、彼女にも思うところがあったのか、渋々と会話にもどる。
「わかっているのなら宜しい!」
「でも爺や……わたくしには、この杖の声が聞こえないの」
いったい、自分の何がいけないのか、何が足りないのか。いくら努力しても、杖は応えてくれず、認めてくれない。
まるで、お前は王には相応しくないと言われているとさえ感じていた。
「それは勿論、努力あるのみです!」
「………」
「日本のことわざには、『一に努力、ニに努力、三も努力で四にも努力、五にも努力』というものがあって、とにかく努力をしなさいと言いまして、何が言いたいのかというと、姫様には努力が足りていないのですよ」
ブチンッ――と、何かが切れる音と共に室内に轟く怒鳴り声。
「爺やのバカーーーーッ!もう、知りません!」
「ひ、姫様!!?」
部屋を飛び出してきた彼女に驚いた顔をするボディーガードたちは、慌てて周りを固めて警護に当たる。
「姫様、どちらへ――」
「ついてこないで下さい!」
身辺警護をするこの男性は、爽やかな笑顔を崩さず、言葉を続ける。
「そう言う訳にはいきません。それは、アナタがよくご存じでしょう?」
「…お花を摘みに行くのです!」
「………畏まりました」
本来ならば、自室の物を使用させるべきところ、ボディーガード達を振り切らん勢いで一般客も使用するトイレへと入って行ってしまった。
この後、中々外に出てこない彼女を心配して、侍女に中を調べさせたところ、もぬけの殻となっていた事で、ホテル内は一時騒然となった――。
「ふんっ、いい気味です!」
ホテルを出て、人込みに紛れた彼女の姿は、先程までのお姫様らしさなど、微塵も無い格好だ。
長い髪を束ねた、いわゆるシニヨンヘアの上からキャップ帽を被り、目立つブロンドを覆い隠す。そして、どこぞのスポーツ店で買ってきたのか、長袖ジャージ、短パンとスポーツシューズは、色もメーカーも全てがバラバラ。
だがしかし、彼女が着ると、違和感がないどころか、似合っているという言葉がパッと出てくる。
「ふむ…流石わたくしです」
ショーウィンドウに映り込んだ自分の姿を見て、自画自賛するのは、彼女が自分の容姿に自信がある証拠だ。
「さて、せっかく大阪に来たのですから、思う存分食べ歩くとしますか」
どうやら、ボディーガード達を巻いた真の目的…それは、大阪観光だった。
美味しいお店を事前にリサーチしていたのか、彼女が手にしているガイドブックには、大量の付箋が…デジャビュ?
「しかし、困ったことがあります…」
いったい誰に話しかけているのか、お姫様は人差し指を顎に添えて、悩ましい表情を浮かべている。
「わたくしは、いったい何処にいるのでしょう?」
「え――?」
目の前を歩く男の子の肩を『ぐわっし!』と、物凄い勢いで捕まえたお姫様。
「坊や、ココはどこですか?」
「姉ちゃん迷子なん?」
「違います。自分の現在地が判らないだけです」
「それを迷子いうんよ?」
突然、見知らぬ女性に突飛な事を聞かれたにもかかわらず、応えてくれた男の子のなんと素晴らしいことか。
お姫様は、『これが本場のツッコミ!』と、まるで男の子が漫才の英才教育を受けているのではないかと、ものすごい勘違いをしている。
「わたくし、美味しい物が食べたいのです。調べてみたところ、道頓堀という場所に美味しいお店が沢山あると分析しました」
「分析て大袈裟やな、いまどきググれば普通にわかるやろう?」
「ぐぐ――?」
「まぁええ。これから婆ちゃんを難波駅に迎えに行くんや。ついでに姉ちゃんも道頓堀に連れてってやるわ」
「それは、助かります。お礼にハグをしてあげましょう」
「ハグってなんや?って、ななな何するんじゃ!」
まだハグの意味も解らない男の子は、年上のお姉さんに抱き着かれ、顔を赤くしている。
外国流の感謝の印というものは、生粋のジャパンボーイにとっては刺激が強すぎるのだった―――。
◇ ◇ ◇
『――マスター、マスター、はやく大阪巡りにレッツゴーです』
件の中華料理店から出た熾輝は、携帯端末から話しかけてくるミネルヴァの言葉どおり、道頓堀へと足を向けた。
「お好み焼き、たこ焼き、串カツにイカ焼き……2人も連れて来てあげたかったなぁ」
観光誌に目を通しながら、ここにはいない式神である双刃と羅漢の事を言う。
『しょうがないのです。2人は、昇雲師範と一緒に仕事をしなければならないのです』
実は、双刃と羅漢の2人は、今回の昇雲の仕事の手伝いに駆り出されている。
「木戸さん…対策課からの正式依頼だから断ることが出来なかったけど、俺も師範の手伝いがしたかったよ」
『マスターも、お強くなりました。が、師範からは最後まで許可を頂けませんでしたね』
「まだまだって事なのかなぁ」
熾輝は、先ほど昇雲に手伝いを申し入れ、即行で断られた時の事を思い出し、思わずシュンっと、気を落す。
『双刃さんは、マスターと一緒にいたがっていました。ですが、仕事の手伝いに関して反対したことが意外でした』
「双刃は過保護だからね。俺が危ない事をするのには、昔から反対なんだよ」
『そうなのですか?』
「うん、魔導書の回収を言い渡された時も、猛反対していて、説得するのに大変だった」
魔導書回収任務を行っていたときの事を思い出し、思わず苦笑いを浮かべた熾輝は、心の中で、連鎖的に少女たちの姿を思い浮かべ、再び微苦笑した。
「ともあれ、折角の師範からの厚意だ。今日は食べて食べて食べまくる」
『了解です。ナビゲートは、お任せください』
「よろしく頼―――」
「無礼者ッ!!!」
これからという時、熾輝がミネルヴァに『よろしく頼むよ』と言おうとした途端、その言葉は、大声によって掻き消された。




