魔闘競技大会~その⑥~挑戦状
咲耶の槌雲がクリスに直撃した瞬間、誰もが彼女の勝利を確信した。ただ一人を除いて…
「妙だな、気配が消えた」
「え?……あッ!」
その違和感に劉邦も気が付いた。
いかにクリスが気絶しているからといって、気配が完全に消えることはない。
意図的に気配を消さない限り、生きているのであれば気配は微弱にでも漏れ出るものだ。
つまり、2つの可能性が考えられる…一つ、クリスが死んだ場合。一つ、意図的に気配を消している。今回の場合は…
「咲耶ちゃん!油断するな――!」
注意を発した直後、砂埃を切り裂いて姿を現したクリスが咲耶を捉えた。そこから続く連打が咲耶を襲う。
「野郎ッ、捕まえたまま逃がさない気だ!」
「不味いぞ!防壁が意味を成していない!」
威吹鬼と誠が焦った声を上げるなか、咲耶がクリーンヒットだけは免れようと展開している防壁。
しかし、クリスの攻撃力が上回り、確実にダメージを積み重ねていく。ギアを上げていくクリスに対し、遂に咲耶の防壁が間に合わなくなった。
「咲耶ちゃん逃げて!」
「棄権しなさい咲耶!」
これ以上の試合続行は彼女の命にかかわる。それは誰が見ても明らかだ。
現に咲耶は膝を付き、意識を保っているのがやっとの状態。故に誰もが勝敗は決したと思った。その時だ、クリスは膝を付いた咲耶に対して執拗に攻撃を加え始めたのだ。
――ッ!?
その残虐非道な振る舞いに観客から罵倒と悲鳴が飛び交う。
そして学園の仲間である燕や朱里、威吹鬼や誠からも制止の声が上がる。
――あ・の・野・郎ーー!
目の前で痛めつけられる咲耶を見せつけられた熾輝は、必死で怒りを自制させているが、堪えるために握られた拳は力を入れ過ぎているために血が滴っている。
だが、クリスの残虐性は留まるところを知らない。
あろうことか無抵抗になった咲耶の腕を折ったのだ。
「イヤーー!」
「誰か止めて!」
「畜生ッ!もう我慢できねぇ!」
非道なクリスの戦いを止めに入ろうと威吹鬼が動いた。
「待て威吹鬼!」
「止めんな剣崎!」
「落ち着け!彼女は大会のルールに守られている!殺されることはない!」
「ざけんな!そんなの関係ねぇ!これ以上、仲間を傷付けられて黙っていられっか!」
「だけど、結界がある限り俺達は近づくことも出来ない!それに、ここで乱入してみろ、有無を言わさずに退場扱いになるぞ!」
必死になって威吹鬼の乱入を止めようとする誠。だが、彼の制止を無下にするかの如く、武舞台ではクリスによる残虐行為がエスカレートしていく。
口を塞がれた咲耶の腹部めがけて放たれる攻撃が棄権の宣言を封じ、代りに悲鳴が会場に伝播する。
「いや、いやだ…お願い、咲耶ちゃんを助けて」
泣き崩れる燕の視線が熾輝の背中へ向けられた。…その時だ、激流の如きオーラが彼等のいた通路に荒れ狂った。
「おい、そこの結界師」
「え?…ッ、なに!?」
その言葉が自分に向けられたものだと気づくのに僅かな時間を要した朱里だったが、ハッとなって返事をした。
「今から結界を破る。破ったそばから修復されれば中に入れない。手を貸――」
「わかった。侵入するための入り口が塞がらない様にすればいいのね」
手を貸せと言い終えるよりも前に、熾輝の意図を理解して言葉を被せた。
あからさまな他人行儀な命令口調は、熾輝との関係性を悟らせないための配慮だ。
そして、お互いの意図を確信した熾輝が無言でうなずくと、通路を満たしていたオーラが拳に集中した。
――結界破りの封殺拳
音を立てて砕け散った結界。
しかし、大穴を空けた傍から修復が始まる。
そこへねじ込むようにして朱里の結界が割り込んだ。
熾輝は結界の内側へと飛び込むとクリスへ向けて…
「やああめええろおおぉ!」
拡声器の音を塗り替える程の音声で叫んだ。
熾輝の怒りの針は、とっくに振り切れており、もはやいつクリスに殴りかかるか判らない。
「それ以上彼女を気づ付けてみろ、お前を絶対に許さない」
熾輝が放った殺気がピリピリとクリスの肌を刺す。そこへ…
「手ェかすぜ熾輝」
「後悔させてやる!」
「わたしもヨ。一緒にあのイカレ野郎をぶっ殺すヨ」
「我らの友をよくも!」
劉邦、威吹鬼、ヤン、ワンまでもが結界を越えてきた。
「キシシシ、雑魚どもがワラワラと出てきやがったかッ――!?」
嘲るクリスの手元…正確には今も鷲掴みにしていた咲耶から膨大な魔力が溢れ出るのを感じた矢先。
――簡易術式全開…
辺りを埋め尽くす数の術式。
簡易と言うのは浮く雑な術式を用いない△や☆などのシンボルを用いる魔法陣。
多様性に欠ける一方で魔法力次第で威力が上下する。
咲耶がどんなに痛めつけられても棄権しなかったのは、ずっとこれを狙っていたからだ。
「チッ、悪足掻きを!」
360°、全方位からなる術式に対し、もはや回避は出来ない。
そう判断してなのか、咲耶を手放したクリスは防御の体制に入った。
そして、魔法陣の輝きと共に撃ち出された魔術が残虐非道な対戦相手を呑み込んだ――と、誰もが思ったハズだ。
しかし、実際には咲耶の攻撃はクリスへと届くことは無かった。
「キシシシ、残念だったなァ」
「どうなってやがる!?」
その光景に劉邦は自分の眼を疑った。なにせ今もなお咲耶の攻撃はクリスに向けて継続中。
だがしかし、その攻撃のことごとくが彼に掠り傷1つとして負わせていない。
それどころかクリスを中心とした1メートル範囲に近づけてすらいない。
「…反魔術の能力だ」
「正解だクソガキィ」
能力を見破った熾輝に対しクリスは、ニタリと嫌な笑みを浮かべて応えた。
「俺の能力はA.M.F…つまり反魔術領域、その名のとおり俺の領域内に入った魔術を無効化するってワケだ」
とんだ魔術師殺しの能力である。
彼が言っている事が本当なら魔術師では絶対に彼には勝てない。
魔術特化型である咲耶にとっての天敵。もはや相手が悪かったとしか言いようがない。
「この女がどれ程の術師かは知らねぇが、俺に逆らうとこうなるんだよ!」
無駄と知れても絶えず咲耶の魔術はクリスへと続いていた。しかし、クリスは領域を広げることで術式ごと消し去ったのである。
だが、これで終わりでは無かった。
膝を付き、瀕死の重傷を負ってなお、魔力の放出を止めない咲耶にめがけて凶悪な拳を振り上げたのだ。
「止めろッ――!」
「イヤだね!止めたいなら止めてみろ!」
熾輝たちが場外から武舞台へと駆ける。今の熾輝ならばこの距離を潰すのに5歩で事足りる。しかし、その5歩ですら今この時においてはとてつもなく長く感じられた。
全力で駆け抜ける熾輝は未だ武舞台にも届いてすらいない。対してクリスの拳は既に半分まで振り下ろされている。
もはや間に合わないと誰の目から見ても明らかな状況下、一陣の風が吹き荒れた。
「――少年、全力で戦った相手にこれ以上の辱めを与えるのは武人として恥ずべき行為と知りなさい」
「ア゛――?」
咲耶とクリスの間に割って入って来たのは、銀髪銀眼の麗しい男。
その男はクリスの拳を小指一本で受け止めていた。
そして、なんの冗談か、彼の軌跡には地面が焦げたような跡が残っており、その驚異的な速度は、もはや別次元の存在であることを匂わせている。
「…彼方は」
「久しいな少年よ」
その麗しの男が駆け抜けた余波で熾輝たちは弾かれた様に吹っ飛ばされ、地面に膝を付いていた。
だがそんなことよりも、その男に熾輝は見覚えがあった。
かつてベリアルという悪魔と戦ったフランス聖教最強の聖騎士でありその長であるシルバリオンその人だ。
「挨拶はまたの機会に。今は彼女を…」
「おいおいおい!何様か知らねえが、試合はまだ終わっちゃいねぇぜ!勝手に乱入してきて、勝手に試合を終わらせてるんじゃねぇよ!」
「…クリスと言ったな。彼女を見てみろ」
「ア゛ア゛ア゛ー?」
シルバリオンに言われるがまま全員が咲耶へと視線を向けた。
「コイツ……気絶してやがる」
そこには膝をつけるも、決して倒れず、眼を閉じず、無意識においても魔力を放出し続けている咲耶の姿があった。
「見事だ……ドクター!!!」
シルバリオンは闘う者として最大級の賛辞を送ると、控えていた医療班が武舞台へと駆け付けて咲耶を横にして状態を確認するとタンカーに乗せた。
「咲耶ちゃん!」
「咲耶しっかりして!」
遅れてやってきた燕と朱里はタンカーに乗せられ運ばれていく咲耶に付き添うようにして武舞台から下りていこうとして…
「おい、その雑魚に伝えとけ。目障りだ。その程度の実力で俺の前に立つんじゃねえってよ!」
「――ッ!!!」
瞬間、必死に堪えていた朱里の理性が頂点を超えた。
その怒りを体現したかの如き魔力が噴き上がり、クリスへ向けて槍の様な結界が放つたれた。
ニヤリとした粘着質の笑みを張り付けたクリスは、A.M.Fを展開させて、術を打ち消そうとした。
しかし、彼の領域へ辿り着くよりも前に、ガキイィンーーという音を立てて朱里の槍状の結界が熾輝によって砕かれた。
「何すんのよ――!?」
「コイツの相手は俺だあッ!!」
邪魔をされて喰ってかかろうとした朱里だったが、熾輝の一喝にビクリと肩を震わせた。
「キシシシ、日本人は弱い者同士で仲が良いなァ」
相も変わらず嘲るクリスに対し、熾輝はキッと睨み付けて殺気を放つと…
「クリス・エヴァンス、お前に決闘を申し込む!」
「「「「「ッ―――!!!?」」」」」
熾輝の言葉にシルバリオンを含めた全員が驚愕した。
「…へぇ、その意味わかってんだろうなァ?」
「当然だ。俺が負ければ俺を好きにしていい」
「いい覚悟じゃねぇか。…で?俺が負ければ?」
「詫びてもらう」
「は?」
熾輝の提案に流石のクリスも目を丸くして驚いている。
何故なら、これでは対価が余りにも釣り合わないからだ。
「ただの言葉だけの謝罪じゃない。土下座をして、彼女の誇りを、彼女の仲間を愚弄したことを詫びろ!そして許しを得るまで詫び続けろ!」
「キシシシ、良いぜ!俺が負けるなんて在り得ねぇけどな!」
誰かが止める暇など与えず、会場に集まった観客の前で明日の二人の試合は決闘へと成り代わってしまったのだった―――。
◇ ◇ ◇
「――いやはや、大変なことになりましたな」
VIP専用の観覧席で一部始終を見ていた勇吾は、難しい顔を浮かべていた。
「決闘についてかい?」
「それも問題ですが大会委員会が直ぐに試合を止めなかったことと、試合中に乱闘騒ぎが起きてしまったこともです」
「あげればキリがないね」
「呑気な事を言わないで下さい。乱入は師範の弟子であるあの子がやらかしているんですよ?」
「それについては何ら恥じるところは無いね。むしろ良くやったと褒めてやりたいよ」
人として正しい事をしたと言う昇雲の意見には勇吾も同意見だが、大会委員会が今回の一件で何らかの処遇を検討するのは目に見えている。
「しかし、大会委員には五十嵐殿がおります。彼女のあの子に対する感情が今一つ理解できかねる」
「相変わらずアンタ達はイガミ合っているのかい?」
「…我々の世代になってからは表立った諍いは、ほとんどなくなりました。十傑会議でも揉めることはありませんが、どうにも反りが合わんのです」
「五十嵐の小娘も筋の通らない事はしないだろうさ。出場停止になったらなったで、その時はその時さね。なる様にしかならないもんさ」
「何とも乾いた…ゴホンッ、達観されておいでだ」
失礼な物言いを寸でのところで飲み込んだ勇吾であったが、昇雲は『アァン?』と睨みを効かせている。
「さて、問題は無いと思うがアタシも様子を見に行くとするかね」
「あの子の所にですか?」
「そっちは心配していない。試合でボロボロにされた娘っ子のところさね」
「しかし、医療班の責任者は東雲殿が務めています。彼女に任せておけば何の問題も無いのでは?」
確かに昇雲はオーラの扱いに関しては日本でも5指に入る実力者。彼女にかかれば回復速度縛上がり必至だ。
「治療に関して言えばアタシは葵の足元にも及ばないよ」
「ではなぜ?」
「…ボロ負けした娘っ子はアタシの知り合いでもあるんだよ!見舞いしちゃあ悪いのかい!」
「いえいえ滅相もない!」
いつもは冷静な昇雲が照れ隠しに声を張り上げているのを見て、意外な一面を見たと驚く勇吾であったが、これ以上つっこむのは藪蛇だと思い口を噤んだ。
そして、そそくさと部屋を後にした昇雲を見送った勇吾は、一波乱あったものの、現在も進行していく試合へと視線を向けた。そんな彼に近づいて来る気配が一つ…
「お隣よろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ…」
突然の声掛け…とは言っても、目の前の男が先程から勇吾と昇雲をしきりに気にしていた事は判っていた。
――ワシの方だったか…
自身と昇雲のどちらかに用があるのだろうとは思っていたが、勇吾は目の前の男とは面識がない。
仕立ての良い黒いスーツに新調されたての黒い革靴、腕には高級そうな時計。男を着飾るすべてが一級品だと一目で判る。
「ところで…」
「これは失礼しました。私はアメリカチームのマネージャーをやっておりますジョージ・ローレスと言います。どうかジョニーと気軽に呼んでください」
ニコニコと喋るジョニーという男。しかし勇吾には、その笑みがどうにも軽薄そうにしか見えなかった。
「それで、ジョニーさんはワシに何の御用でしょうか?」
「大したことではないのですが、日本でも屈指の一族、あの五月女家のご子息とウチのエースが1回戦で当たると言う事で、ご挨拶にと思いまして」
「それは御丁寧に――」
「いえいえ、ご子息の大会連覇記録を止めてしまうのは忍びないですが、ウチのエースと当たったのは運がありませんでしたね」
「はて……?」
あからさまな挑発行為に勇吾の眉間にシワが寄る。
目の前の無礼者を前に怒鳴り散らさなかったのは年の功なのか、それとも乾いてなのか、どちらにしろ昇雲の事をどうこう言えたものではないと思わず口元が緩む。
「大した自信ですな。うちの凌駕が負けると?」
「断言しましょう。我がアメリカチームのエース、ダニエル・ラルーソーには勝てないでしょう。なんなら賭けでもしますか?」
――あぁ、そういう…
ジョニーという男の自信がどこから来るのかは判らないが、つまりこの男は自分のチームの子供たちをダシにして賭け事に興じようとしているのだ。
海外ではどうかは知らないが、この大会は日本では神聖な儀式。そして子供たちを賭けの対象にしようなどとは、勇吾にとって気分の良い物ではない。しかし…
「なるほど、そこまで言われて黙っていたら我が国の沽券にかかわる。受けて立ちましょう」
あっさり話に乗ってきた勇吾に対してジョニーは、肩透かしを喰らいつつも、内心ではほくそ笑んでいた。
「ちなみに掛け金ですが――」
「こんなにワクワクするのは久しぶりです。ケチ臭い事は言いっこ無しですよ?」
「そ、そうですねぇ…」
――なんだこのジジイ、煽るまでもなく乗り気じゃないか…と、
話しがトントン拍子に進むことに調子を良くしていたジョニー。
「一千万単位でいきますか?」
「い、一千ッ――!?」
「いやはや、失礼しました。自分でケチ臭い事は無しだと言っておきながら、少なすぎましたな。…では億単位でいかがでしょう?」
「お、億ッ……いいですね、それぐらいじゃなきゃ盛り上がらない」
提示された額に生唾を呑み込むジョニーは、全身から汗が噴き出るのを感じた。しかし、これは彼にとって願ってもない申し出。断るなんていう愚は侵さない。逆にそこまで勝ちを確信しているとも言える。
「それでは早速、我が愚息にも発破をかけてきますね」
「はは、激励も程々にしてくださいね」
もちろん…と言って、勇吾はその場を後にした。
残されたジョニーはソファーに深く腰を掛けて溜息を吐く。
「くく、日本人は金払いが良くて助かる。もうろくジジイの悔しがるさまを眺めるのも気分がいいしな」
葉巻を取り出して火をつけた男は、これから手に入るであろう多額の金の使い道を考えながら悦に浸っていた――。




