オンリーワン~その①~あの人は、兵庫県で迷子になった
ある寒い冬の日、家を出て最寄りの駅から電車に揺られて東京駅へ…
東京駅から新幹線に乗って約2時間で京都駅に到着。
京都駅から特急電車に揺られて1時間30分。
電車を乗り換えてそこから更に1時間。
家を出てから約4時間ほどで、ようやく目的地…と言いたいところだが、目的地までは今いる最寄駅からバスを利用して更に2時間かかる兵庫県の某集落。
「おい、バスはどうした?」
不機嫌ここに極まれり。
五月女凌駕は、窮屈な電車内から解放され、もうあと少し辛抱するだけで、温かいご飯と布団にありつけると思っていたから、我慢していた。
だが、ここへ来て、彼の我慢は限界を超えた。
「あれ~?おかしいぞ~。バスが1日に1本しか通ってないなぁ」
「……ちなみに聞くが、それはあとどれくらいで来る?」
心して答えよ。
さもなくば、お前を蝋人形にしてやろうかーッ!と、おっしゃる閣下の如き怒り。
「20時間くらいですかね――?」
「帰る」
もはや凌駕にそれ以外の選択肢はなかった。
「まぁまぁ、凌駕様。落ち着いて下さいよ~」
「香奈。今日の俺は頑張ったと思う」
「そうですね。頑張って4時間も電車による移動を我慢していましたね」
内心、『まだ何もしていないじゃん』というツッコミを入れたいところだが、主人の機嫌を損ねない様に、とりあえず凌駕の言葉を肯定する少女の名は倉科香奈。
「そんな俺に、お前はまだ頑張れと言うのか?」
「頑張らなくていいんですよ。だって凌駕様なら余裕じゃないですか。…走って目的地に行くぐらい~」
車で2時間の道のりを少女は走れと言う。
それは、常軌を逸しているのではなかろうか?
「…直線距離で30キロくらいか?」
「はい!それくらい、凌駕様にとって頑張る内に入りませんよね!余裕ですよね!」
いやいやいや、十分に頑張らなきゃいけない距離ですけど?
「やすい挑発だな。そんなものに俺が乗るとでも――」
「え?出来ないんですか?たったの30キロですよ?凌駕様って意外とモヤシなんですね」
プツンッと何かが破裂する幻聴がした。
「いいだろう。その挑発に乗ってやる。その代り、後で置いて行かれたと泣きべそかくんじゃねぇぞ?」
「はいはい。私のナビが無くて道に迷わないのなら――て、本当に置いて行かないで下さいよ!」
ふぅ、やれやれとジェスチャーをしている隙に凌駕は走り出していた。
あっと言う間に彼の姿が豆粒程度にしか見えなくなり、今度は香奈の方が焦る。
置いて行かれる事に焦っているのかって?…いいや違う。彼は、五月女凌駕という男は――。
◇ ◇ ◇
「――ふん、口ほどにもない」
目的地に向かって一直線に走った。
走って走って走り抜いた。
駅から目的地に向かって真っすぐ突き進み、森に入り、山に入りと、気が付けば道なき道を走っていた。
「俺に足の速さで挑むなんて100年早いんだよ」
凌駕の声に反応する者はいない。
何故なら、彼は一人だから…
「しかし、おかしい。もうとっくに30キロは走ったハズなのに、集落なんて無いじゃないか」
顎に手を添えて考え込むその姿を異性が見たら、発狂していたであろう。それほどまでに様になっている。もはや芸能人が裸足で逃げ出すレベルだ。
「これは、もしかすると…」
そこへ来て、ようやく思い至った。
ハッ!と、某名探偵が犯人のトリックを見破ったくらい勢いのある「ハッ!」であった。
「アイツ、俺に嘘の道を教えたな?」
違います。
もはや道すら走っていなかった時点で、嘘の道も糞もないと気が付いて欲しい。
「いや、その可能性は考えずらいか…」
香奈に対する信頼が僅かに残っていたからこその考えだが、彼女がこの場に居たら怒り狂っていたであろう。
しかしながら、凌駕は何故この状況に陥ったのか、答えを見いだせないでいた。
だが、答えは簡単。彼は壊滅的な方向音痴だから。
「しょうがない、取り敢えず人が住んでいそうな場所を探すか」
そのまま凌駕は、道なき道をウロウロウロウロ…
段々と辺りが暗くなってきても、構わずウロウロウロウロ…
野生の獣が襲ってきても、蹴散らしてウロウロウロウロ…――。
◇ ◇ ◇
さて、凌駕がウロウロしている内に、何故彼が、兵庫県のこんな山奥までやって来たかについて説明しよう。
『――調査依頼?』
父、五月女勇吾に呼び出された凌駕は、不機嫌そうに答えた。
『うむ、対策課も人手が足りず、十傑に仕事を落してきよった』
『いいのかよ。捜査機関でもない俺たちが刑事の真似事なんてして』
『だからこその調査依頼なのだ』
勇吾の言葉に眉を潜め、「?」を浮かべると…
『なるほどですね。だから捜査ではなく、調査と言ったのですね!』
ピコーンと閃いたように「!」を浮かべた香奈の答えに勇吾は「うむ」と首を縦に振って肯定した。
『言葉遊びかよ』
『違いますよ凌駕様。これが噂に聞く建前社会ってヤツですよ』
そんなこと、ドヤ顔で言われても…的な感じで、凌駕も、そして勇吾も困り顔を浮かべる。
『んんッ!まぁ、解釈のしかたは、それぞれだが、受けてしまったからには、やり通せ』
『勝手に受けておいて良く言う』
咳払いをした勇吾に対し、深いため息を吐いて、資料に目を通し終えた凌駕は、ポイっと隣の香奈へと放り投げる。
『超能力研究機関……って、夏にウチのクラスの子が関わったヤツだ』
『うむ、その後の捜査で事件の主犯格と思われていた男の出身が兵庫のとある集落にある事が判った』
『思われていたってことは、黒幕がいるんですか?』
『ワシは、そう睨んでいる』
『…当主様と対策課の見解は違うって事ですね』
『あぁ、本件の主犯格とされる松井という男は、罪を認めているという事で、対策課もその線で捜査を打ち切る予定だ』
『でも、当主様には、裏があると思う理由があると?』
香奈の質問に対し、勇吾は少々難しい顔を浮かべて、答える。
『理由はない。ワシの勘だ』
『へ――?』
対策課の捜査方針に対し、反対意見を申し立てるくらいなのだから、勇吾には何かしらの理由がある…そう思っていた香奈は、思わず呆けた顔を浮かべてしまった。
『しかし、この勘は、直感よりも確かなものだ』
『い、一応、そう思う何かは、あるんですよね?』
『ある。松井という男の出身集落というのは、先代の五月女が囲っていた能力者の一族だ』
『つまり、過去、五月女の分家筋だった一族…』
『だが、先代のとき、その一族から排出される能力者の力に変異が現れ始めた事を理由に追放処分となっている』
『変異ですか?』
本来、能力自体が珍しい物であり、特殊な物だ。
にも関わらず、勇吾は変異と言う言葉を使用した。
『記録によれば、人の生命力を根こそぎ奪ったり、物を溶かしたりと、そういった物だ。能力的には確かに危険な物だが、それよりも危険だったのが、そういった能力を得た彼等が暴走し始めたということだ―――』
そう語った勇吾の表情は暗かった――。
◇ ◇ ◇
草木を払いのけながら道なき道を進む凌駕は、早朝、父、勇吾からの話しを思い出していた。が、昔話しを聞かされた所で、今の凌駕に感じ入るところなど欠片も無かった。
下らない。そう、一蹴したところで、遂に彼の足は止まった。
なぜなら、彼の前に絶壁の崖が立ち塞がったからだ。
「さて、どうしたものか」
ひたすらに進んできた凌駕ではあったが、この暗いなか、絶壁の崖を登るほど、無謀では…
「取り敢えず、登るか」
やべぇヤツであった。
もしも、家の者がいれば、全力で止めたであろう。しかし今、彼のブレーキである香奈はいない。
『誰かいるの?』
「あ――?」
そんな折、暗闇の中、目を凝らさなければ、見落としていたであろう絶壁の崖の中…正確には崖の横穴から女性の声が聞こえてきた。
訝しく思いつつも、声のする穴へと足を向ける。
洞窟…と言うには、自然に出来た感じがしない。どちらかと言うと人工的な造りだ。
大きさも直系で1メートル位の幅で、身を縮めてようやく入れる。
「中は意外と広いんだな」
洞窟の内部はドーム状になっており、薄暗い。ロウソクが空間の隅にポツンと1つだけ。空間の半径は3メートル程で、ドームの半分を木製の檻が仕切っている。
まるで牢屋だなと、見たまんまの感想を浮かべていた凌駕に先ほどの声の主が呼びかける。
『誰?文さん?それとも文太さん?』
「…違う、凌駕さんだ」
『へぁ――?』
自分が予想していた人物でなくとも、知り合いの誰かだろうと思っていた女性は、まったく知らない声と名前を聞いて、素っ頓狂な声を上げた。
「え?え?本当にだれ?」
あわあわと慌てた様子。凌駕と彼女の位置からだとお互いの顔も確認できないのは、この狭い洞窟に1つしかないロウソクの灯りが心許ないからだろう。
凌駕は、洞窟の隅に置いてあったロウソクを手に持つと、檻の前まで移動した。
「あっ、すっごいイケメン」
「よく言われる」
手元の明かりを向けた先、そこに居たのは髪の長いスラっとした女性。
「おまけに、すっごい自信家」
「事実だから仕方がない」
凌駕は、他愛ない会話を交わしながら視線を泳がせる。
檻の中に要るのは、目の前の女性が1人。6畳ほどの檻の中にはベッドとトイレ、シャワー、タンスとテレビ…妙に生活感がある使用となっている。
「ちょっとぉ、女の子の部屋をジロジロ見るのは感心しないよ?」
「部屋?」
牢屋の間違いだろとツッコミを入れたいところだ。しかし、牢屋に監禁されているにしては、精神の安定感が抜群だなと、くだらない思考が過る。
「お前は…」
「ん――?」
「引き籠りなのか?」
「なんでやねん」
ツッコミも抜群。ボケてから突っ込むまで、1秒も掛からなかった事に凌駕は、目を剥いて感心する。
「牢屋の中にいる美少女を見たら、普通は監禁されていると思うでしょう。しかも、何で驚いた顔をしたの?自分の予想が外れた事に驚いたの?それとも私のツッコミに驚いたの?」
「おいおい、まさか俺の心の中を覗いたのか?」
自身の思考を読まれた事に『まさかコイツ、テレパシー系の能力者か?』と素で警戒を強める。
「顔に書いてあるから」
「俺は、そんな具体的な表情はしていない」
「いやいや、意外と判りやすいよ?」
基本、凌駕の表情は不機嫌か普通かの2パターンしかない。その表情を読み解くだけでも、一族の中でも近しい者にしか出来ないとまで言われている。
さらに、そこから彼の感情を汲み取るとなると、出来るのは側近の香奈くらいなものだ。
それを出会って2・3言葉を交わしただけの彼女が可能にするとは…この場に香奈がいたら間違いなく『お、恐ろしい子!』と某ガラス〇仮面と化していたであろう。
「それで?お前、名前は?本当に監禁されているのか?いったい誰に?」
「ワオッ、いきなり会話を打ち切って、話を変えて来たよこの人」
『え?え?もしかしてコミュ症?』みたいな可哀想な人を見る時の目を向けられる凌駕。
「コミュ症じゃねぇ。張っ倒すぞ」
そして、今度は凌駕が彼女の表情から心の中を読み解いた。
「やん。こんな美少女を押し倒すだなんて、いけないんだぁ」
「………イラッ!」
生産性のない会話に苛立ちを覚えた凌駕の額に青筋が浮かぶ。敢えて言うが、決して彼は、『イラッ』と口に出した訳ではない。これは彼女の幻聴だ。
しかし、凌駕の怒りは直に感じたらしく、『うそうそッ、ごめんなさい』と慌てて頭を下げた。
「私は、アイコ。【小泉愛子】って言うの。ちなみにピチピチの13歳です!趣味は、読書と映画鑑賞で、彼氏募集中です。付き合って下さい!」
「同い年か。…なんでこんな所にいる?」
シュピッと右手を差し出した愛子を彼にスルー。
行き場を失った手は、そのままワキワキと空を掴む。
「…それは、…話しても理解されないかも」
「言うだけならタダ。聞くだけもタダ。つべこべ言わずに言ってみろ」
凌駕は、愛子の態度から、彼女が此処から逃げ出したいだとか、誰かに無理やり監禁されたという可能性は低いと感じていた。
しかしながら、それは単に凌駕の印象であって、何者かにそうせざるを得ない状況に陥らされているだけかもしれない。
だが、次に彼女が発した言葉は、そのどちらでもなく……
「私に近づくと不幸になるからだよ」
そう言った愛子は穏やかに笑っていた。
その表情から読み取れるのは、ある種の境地。
何をどう足掻いたところで、運命は変えられないと、己の運命すら呪う事を辞めた人間の諦めの境地だ――。
◇ ◇ ◇
日が沈みきった午後8時ころ、凌駕はようやく目的の集落に辿り着いた。
「いやぁ、お客さん。よくこんな暗い中を歩いて来ましたね。地元の者でも日が沈むと判れば絶対にあんな山道は歩きませんよ」
驚いた様子で語るのは、集落に唯一存在するの民宿の女将…とは言っても、若くはない。顔中に深いシワが刻まれ、活舌からするにおそらく入歯だろう。
彼女は凌駕の手荷物を受け取ると受付カウンターへと案内を始める。
「お連れさんは、夕刻前には到着されて、既にお風呂を終えています」
どうやら香奈は、迷わずに到着していたらしい。…しかも大分前にだ。
「お客さんも先にお風呂に入りますか?」
「はい、そうします」
「では、お風呂がお済になりましたら、お連れ様の分と一緒に食事を運びますね」
そう言った女将に凌駕は、軽く頷いて応えると、予約していた部屋へと向かおうとして、呼び止められた。
「お客さん、すみませんが、こちらにサインを」
手渡されたのは、チェックインの用紙。
凌駕は、それを受け取ると、サラサラと淀みない動きでサインをする。
「え~っと、鈴木凌さん…でいいかしら?」
「はい。あっていますよ」
平然と偽名を語る凌駕。
ちなみに鈴木凌というのは、彼が何かしらの任務で本名を隠すときに用いる名前だ。
もちろん、存在しない人物であるが、戸籍はしっかり存在している。
五月女家は、そこら辺の偽装工作にぬかりはない。
もっと言えば、香奈にも鈴木香という偽名と戸籍が用意されており、設定上、2人は兄妹という事になっている。
「歳は13?お若いけど、親御さんは?後から来るの?」
「いえ、妹と俺の2人で旅行しています。遠出がしたいなら自分たちの力だけでしろと言うのが親の方針でして。家出と疑われたときは、父が一筆書いた手紙を見せろと言われています。必要があれば、…コレが父の連絡先です。電話しますか?」
あらかじめ決められた文句をスラスラと語る。
もちろん、手紙は父勇吾が書いており、ダミーである連絡先の電話前には、五月女の者が常に待機しており、いつでも対応可能だ。
「いえいえ、大丈夫です。先ほど妹さんからも同じことを言われて、流石に1人ということで連絡させてもらい、確認しましたので」
「そうでしたか」
前もって香奈が対処していたらしいが、念の為の確認だったのだろう。
完全に信じ込んだと確信した凌駕は、女将の胸元についていた名札を一瞥すると、そのまま部屋へと向かった――。
◇ ◇ ◇
「――あ~、お兄ちゃん、遅~い」
一足先に到着していた香奈は、設定どおりに妹役を演じる。
「よくも置いて行ったな」
凌駕は、自分よりも先に旅館で寛いでいた香奈をジロリと睨む。
「被害妄想だよ。どちらかと言えば、置いて行かれたのは、私の方でしょ?」
確かに駅を出発したとき、凌駕が先に走り始め、後ろから「待って!」と叫ぶ香奈を置いて行った。その事実を突きつける香奈であったが、そんな事は関係ないとばかりに…
「お前が先に到着している事が気に入らないんだ」
「何その理不尽極まりない物言い。道に迷ったお兄ちゃんを探し出して、ここまで連れて来たのは、何処の誰か言ってみてくれない?」
「失礼な。俺は道に迷っていない」
「いやいや、めっちゃ迷っていたよネ?」
頬を膨らます香奈。凌駕が部屋の窓で羽を休めているカラスを一瞥すると、目が合った。心なしか、カラスが『ふぅ、旦那。勘弁してくだせぇ。』と訴えている様に感じた。
実は、森を彷徨っていた凌駕を見つけたのは、香奈が使役しているこのカラスであり、民宿までの道案内をしてくれたのだ。
「はぁ…いいか香」
「なぁに?」
「本来、道に迷うなんていう概念は存在しないんだ」
「……え?どういうこと?」
深いため息を吐いた凌駕は、ヤレヤレと首を振り、前髪を掻き揚げると、説明を続ける。
「ここへ来るまでに幾つもの道が存在する」
「う、うん」
「そして、俺は辿り着いた。……つまりは、そういうことだ」
「…………え?意味が判らないんだけど?」
どうしちゃったの!?おかしくなっちゃった!?と心配する香奈を他所に、凌駕は、しょうがないヤツめと更に話を噛み砕いて説明を始める。
「例えば、お前が駅から此処へくるまでの間に幾つものルートがあったハズだな?」
「そうだね」
「そして、幾つものルートの中の1つを選んだ訳だ」
「うん。普通はそうだよね」
「ルートというのは、最短距離から最長距離…もっと言えば回り道をしようが、一旦家に帰ろうが、様々な方法を考えれば無数に存在し、どのルートで行くかは、俺次第」
「まぁ…うん」
「最終的に俺は辿り着いた。無数にあるルートから1つを選んで」
「………」
「確かにお前のルートの方が早かったのだろう。それは認める。そして俺が選んだルートがお前より遅かった。…ただそれだけの話だ」
「……………あれ?」
頭を捻る香奈の身体が、ぐいぃいいいッと曲がり、脳天が地面すれすれに近づく程に捻転している。
「つ、つまり。お兄ちゃんは、何時間経とうが、何日経とうが、無数にあるルートを選んで、最終的に目的地に着けば、道に迷った事にはならないと!?」
「少し違う。俺の理論を用いれば、道に迷う…その概念こそが覆る」
香奈は愕然とした。
今まで、固定概念に縛られ、あるがままを受け入れていた自分は、何だったのかと!しかし……
「そんな訳あるかああぁああッ!」
言い訳がましい己が主に向かって、吠えずにはいられなかった――。
◇ ◇ ◇
「――まったくッ、まったくもう!この人は!」
プリプリ!激怒ぷんぷん丸!
香奈は、苛立ちを隠そうともせずに怒っている。
「朝からうるさいぞ。生理かぺッ――?」
繊細な乙女の事情を全力でシカトした発言。
いかに主と言えど許されざる行為に香奈は持っていたバッグを投げつけた。
「…痛いぞ」
「黙らっしゃい!今のは完全なセクハラだよ!パパや叔父様が聞いたら怒り狂うよ!?」
「…なんかゴメン」
いつもは能天気な香奈がここまで感情を剥き出しにするのは珍しい。…元はと言えば全て凌駕に原因がある。
ちなみに彼女は、重い日ではない。
「だいたいね!お兄ちゃんは、負けず嫌いとかじゃなくて、単にヘソ曲がりなだけ!道に迷う概念?知らんわ!自分が何処に居るか判っていない時点で迷子!ううん、遭難者だよ!」
「フッ、サバイバル如き、俺がどうにか出来ないとでも?」
「そういう事を言ってるんじゃない!」
あーもう!と若干ヤケクソ気味の香奈ちゃんは、誰かこの人をどうにかして!という気持ちで一杯だ。
「まぁ、待て。とりあえず、その話は置いといて、次は何処を見て回る?」
「……あっち」
無理やりに話を打ち切った凌駕に対し、モヤモヤとする気持ちを我慢して、現在2人は集落を歩き回っている。というのも、凌駕と香奈は当主である勇吾から言い渡された調査の真っ最中だから。
集落の各所を巡り、不審点は無いか。人の様子に違和感が無いかを調べている。…が、今のところ、目立ったことはない。
集落の人々は、普通に生活を送っていて、子供は学校へ。大人は仕事をして。といった具合だ。
「親父の話しだと、元々この集落自体、追放された連中が作った村だって話だが…」
「今のところ怪しい人はおろか、能力者や魔術師といった類の人とは、出会わないね」
「だが、此処の連中はウチが追放した一族の末裔…何かしらの秘密があるハズだ――」
『貴様ら!いい加減にしろ!』
怪しまれない程度に集落を散策する2人の耳に、怒ったような声が聞こえてきた――。
◇ ◇ ◇
集落にたった1つ存在する寺。
小高い丘の上に建てられた寺へは、それなりに数の多い石段を昇る必要がある。
そして、その石段のふもとで、老人と数人の若者たちが揉めている。
「――これ以上、あの坊さんに関わってはならん!」
「村長、勘弁してくれよ。俺達は村の為にやってるんだから」
「だいたい、アンタ達年寄りのせいで、俺達がどれだけ苦労しているか判ってるのか?」
「お前達の憤りは理解している。しかし、だからといって、あの坊主を…隆二を信用してはならん」
凌駕と香奈は木陰に隠れながら事の成り行きを観察している。
どうやら、この村落の長を務める男と若者…見た目から大学生くらいの年齢だろうか。が言い争いをしているのは、この村落についてらしい。
丸一日、村落を歩き回って、なにも手掛かりが得られない現状、村民である彼等の彼等にしか判らない彼等の問題を聞けるのは、願ったりもない。
「村長、隆二さんはアンタの孫だろう。何でそんなに毛嫌いをする」
「お前達は、何も判っていない!アイツは化物だ!恐ろしい化物なんだ!」
「なんだよソレ…村長こそ判ってないよ。隆二さんは、この村の事を誰よりも考えているんだ」
「そうだよ!アンタ達年寄りの不始末のせいで、孫の世代である俺たちまで肩身の狭い思いをしているのを隆二さんは何とかしてくれようと必死なんだ!」
木陰に隠れて聞き耳を立てていた凌駕は、樹木に背中を預けて『フム』と、顎に手を添える。
今のところ、村落で問題が起きている事といえば、村長と若者たちのトラブル。そのトラブルの内容は、今は判らないが、村長の孫で若者たちのリーダー核である【隆二】という男が関係しているらしいということ。
思考を巡らせていた凌駕の横で、香奈が『あっ』と声を上げたのと、言い争いをしていた村長が、持っていた杖を振り上げたのは同時だった。
「この馬鹿者どもがーッ!!」
「うわッ!やめろ村長!」
「うるさい!ぐわっ!!?」
若者の1人に向かって振り下ろされた一撃を慌てて躱すと、村長は勢い余って転倒した。
「…お、俺達は何もしていないからな」
「勝手に転んだ村長が悪いんだからな」
確かに彼等に非は無いだろう。
それを見ていた凌駕と香奈にも判る。
勝手にヒートアップして、暴力に訴えた村長が悪い。
「じゃあな。俺達はもう行くぞ」
「もう年なんだから、余り無理をするなよ」
スッ転んだ村長を哀れに思ったのか。若者たちは心配する様な表情を浮かべて寺へと続く石段を登って行った…。
◇ ◇ ◇
「本当にもう文太さんは、昔から血の気が多いんだから!」
「痛って!もうちょい優しくたのむよ文ちゃん」
文太さんと呼ばれたのは、先ほど若者たちに向かって行って転んだ村長のことで、文ちゃんというのは、凌駕達が世話になっている民宿の女将さんだ。
「お客さんにも迷惑をかけて!まったくどうしようもない!」
「…面目ねぇ」
結局あの後、一人で立てなくなった村長を見かねて、凌駕と香奈は、自分たちが泊っている民宿へと連れて行ったのだ。
そして、女将が村長の手当をしているのである。
「お二人ともごめんなさいね。身内がとんだ迷惑を…」
「いえ、大事無くて良かったです」
「そう言ってもらえると助かるわ」
言って、女将は凌駕達に感謝をすると、そのまま村長を町医者の所まで連れて行った。
「…とりあえず、寺を調べますか?」
「そこは、後回しにする」
トラブルの原因は判らず仕舞いだったが、今現在、凌駕達が調べている事件の糸口になりそうな可能性がある。故にトラブルの中心である寺の坊主…正確には村長の息子である【隆二】について探りを入れようとした香奈に待ったを掛けた。
「まずは、回りから固める」
「あの若者達と村長ですか?」
「あぁ、それと女将についてもだ」
「え――?」
凌駕が口にした人物に対する調査に香奈は疑問を覚えた。
なにせ今回の事件を調べるうえで、女将は無関係に思えたからだ―――。
◇ ◇ ◇
夕刻、村落から離れた山の中。絶壁の崖の一部をくり抜いて作られた洞窟で、彼女はくつろいでいた。
ベッドに腰かけて、5年くらい前に流行っていたドラマの再放送を見ている。
洞窟の、しかも牢屋の中にしては随分と快適な暮らしぶりだと思う。
お願いすれば、テレビのケーブルを引いてもらえるし、冷蔵庫だって置いてもらえた。
見たい映画があれば、TURUYAというレンタル店からも借りてきて貰える。
「…そろそろご飯にしよっと」
ドラマも見終えたので、そろそろ食事をとるかと腰を上げ、先ほどあの人が持って来てくれた夕食に手を伸ばす。
丁寧にお盆に配膳された夕食は、どれもこれも質がいい。
しかも栄養バランスだってちゃんと考えられた物になっている。
贅沢を言うのなら、温かい内に食べたいと思う。なにせ、牢屋へ 持って来るまでに時間が掛かり過ぎるため、ご飯が冷めてしまうのだ。
「こんど、電子レンジをお願いしてみようかな?」
湯気の昇るご飯が恋しいなと、思っていた彼女が不意に牢屋の外へ視線を向けたとき、誰かが洞窟に入って来る気配を感じて…
「昨日ぶりだな」
そこに現れたのは、五月女凌駕だった――。




