擦り減っていく心
あれから何度、おなじ1日を繰り返しただろう…5回?10回?それ以上?もはや数える事すら疲れてしまった。しかし、いつだって自分が置かれている状況を伝えれば彼等は親身になって全力を尽くして解決しようとしてくれた。
だが、結果は変わらなかった。どの時間軸でも自分1人だけが同じ時間に捕われて先へ進む事が出来なかった。
「また、同じ朝だ…」
いつもと同じ、目覚まし時計のアラームが今日という終わらない1日の始まりを告げる。あと何回、この朝を繰り返さなければならないのだろう。もしかしたらずっとこのままかもしれない。そう思い始めたら無性に怖くなり涙が出てきた。
「だれか、助けてよぉ…」
咲耶の心は既に限界だった。どんなに友人たちが尽力してくれようともループから抜け出す糸口がまったく掴めない。どんなに「頑張れ」「諦めるな」と言われても終わりが見えないこの状況で、どう頑張れと言うのだろうか?
「咲耶ぁ、起きてる~?…て、まだ寝てるの?」
毎回のように起こしに来たアリアに対し、咲耶は逃げるように布団の中に潜り込む。
「アラームも止めないで、昨日はそんなに夜更かししたっけ?」
部屋に入って来たアリアは、今も鳴りっぱなしの時計のボタンを押してアラームを止めると、布団越しにトントンと咲耶を起こし始める。
「今日は熾輝たちと勉強会なんでしょ?」
「………」
聞こえないふりをして、頑なに布団から出ない抵抗をする。そんな事をしても今の咲耶の状況を知らないアリアにとっては、ただ起きたくないだけの駄々っ子にしか見えない訳で…
「ほら、頑張って起きちゃいなさい」
「ッ――!」
「辛いかもしれないけど頑張れ」
「うるさいッ!」
「え――?」
大声を張り上げた咲耶は、布団を払いのける様にして起き上がった。
「私だって頑張ってる!頑張ってるもん!頑張ってるのに……どうしてそんな事を言うの?」
悲鳴にも似た咲耶の嘆きが部屋中に響き渡る。それを聞いたアリアは、訳も分からず目を剥いて呆気に取られてしまう。
「さ、さくや――?」
「もう…もう、無理だよぉ。これ以上は頑張れないよぉ…」
ぽろぽろと涙を流す咲耶、その姿を見てアリアは妙な既視感を覚えた。かつて、自分がそうであったように先の見えない未来に絶望していた頃の目…自分だけが取り残されていたときに見せていたそれと咲耶が重なって見えてしまった。
「わ、わかった。悪かったわ。だから、一旦落ち着こう?ね?」
慌てて宥めようと近づくアリアに対し、咲耶はイヤイヤと首を振って、壁際へと下がる。まるで悪戯をした子供が大人に叱られているようだ。そのような精神的に不安定な姿を見てアリアもどうしていいのか判らず、狼狽えていると…
「あッ、待ってサクヤ――!」
一瞬の隙を突いて、咲耶は狼狽えているアリアの脇を走り抜けた。呼び止めようとするアリアの静止も聞かず、そのまま外へと飛び出して行ってしまった―――。
◇ ◇ ◇
逃げるように家を飛び出して辿り着いたのは、高層マンションの前だ。
「咲耶?」
肩で息をしながら立ち尽くしていた咲耶は、その声に反応してゆっくりと振り向いた。そこにいたのはジャージ姿の熾輝…おそらく日課のランニングをしていたのだろう。
熾輝は咲耶からいつもの元気がなく、まるで追い詰められ打ち震えている小動物の様な脆弱さを感じた。
「いったい、どう――」
どうしたの?と声を掛けようとして言葉を止めた。何故なら目の前にいる咲耶は、パジャマ姿で、尚且つ、よく見ると靴も履かずに裸足でいたからだ。しかも、足を怪我しているのか、見えない足の裏から血が滲み出ている。
その異常な光景に、ただ事ではないと感じ取った熾輝は、何も言わずに咲耶を抱きかかえると、そのままマンションの自室へと連れ込んだ――。
部屋に入った熾輝は、リビングのソファーに咲耶を座らせると、救急箱を戸棚から取り出した。そして、そのまま怪我を診ようとしたが、女の子の素足を果たして自分が触っても良いものかとふと思い、手を止めた。
意識しだしたら、何だかとてもイケない事をしている様な気持ちになり、手に持った消毒液を空中で右往左往させていると…
「熾輝さま、ここは双刃が…」
「あ、うん。お願いします」
実在から離れていた双刃が虚空から現れ、消毒液を手渡される。主の所作を機微に察しての事なのだろうが、いったい何を感じ取ったのかは知りたくないところだ。
ともあれ、これで咲耶の怪我は双刃に任せる事ができる。あとは未だにパジャマ姿である咲耶の着替えについてだが…流石できる式神である。普段から双刃が着こなしている衣類がちゃっかり用意されていた。
熾輝は俯いたまま黙っている咲耶を心配そうに見てから、その視線を切ると、この場を双刃に任せて自身は一旦引っ込む事にした――。
少し時間を置いて自室から出てきたら、咲耶の治療は終わっていた。どうやら怪我自体は、大したことは無かった様で、双刃のオーラによって傷は殆ど治っているとのこと。ついでに着替えも済ませており、今は双刃の普段着を着ている。
「…今日の勉強会は、中止にするって2人に伝えておいたよ」
「ぁ……うん…ごめんなさい」
「それと天体観測も」
「…ごめ――」
「謝るのはナシだ」
咲耶の言葉に被せる様にして先を制すると、頭の上に軽く手を乗せた。
「何があった?」
「………」
マンション前で聞こうとしてやめていた言葉を今、ようやく問いかける。しかし俯いたまま答えてくれる気配はない。垂れ下がった髪の隙間から見えた目元には涙が溜まり、痛々しい表情が覗く。
「て、……手を、握って」
今にも泣きそうなくらい弱弱しい声で言った彼女は、膝の上に乗せていた左手を怯えるように横へと移動させた。
「…うん」
ソファーに座る咲耶の隣に腰を掛けると熾輝は出された手をそっと握り、ヒヤリとした感触が伝わってきた。だから彼女の手…心が少しでも温まればと、包み込むように握った―――。
◇ ◇ ◇
外を見れば日が沈みかけ、空が茜色に染まっている。
「咲耶殿は、大丈夫でしょうか?」
問われて熾輝は視線を下の方へと移す。彼の視線の先…正確に言えば膝の上に頭を乗せてスヤスヤと小さな寝息を立てている、いわゆる膝枕をしてもらっている咲耶へと。
「判らない」
「結局、何も言ってはくれなかったですからね」
「こんなにも疲れ切った咲耶を今まで見た事がない」
「確かに…双刃は、昨日とは別人の様な違和感を感じました」
ここ連日、学園入学組である咲耶と燕は、熾輝と朱里を家庭教師に据えて勉強会と魔術や能力の特訓を行っている。
故に、昨日まで元気だった彼女が翌朝に疲弊した状態で現れるとは夢にも思わなかった。
「さっき、視点を変えて視てみんだけど、…グチャグチャだった、擦り切れそうなほどに」
「ッ……一夜でいったいなにが」
「本人は、打ち明けたいとは思っているんだろうけど、それを話せない何かがあるのかも」
「何かとは?」と問われるも当然それは熾輝にも判らない。ただ、自分に逢いに来てくれたという事は、少なくとも頼りにしているという事だろう。
「さっき、アリアと話した。だけど、訳も分からずに怒鳴られて家を飛び出したって…」
「怒鳴った?咲耶殿が…」
伝え聞いた情報は、到底信じられないものだった。咲耶を知る者であるならば、温厚だと評価する者が殆どだ。つまり、それほどまでに心が疲弊し、感情がコントロールできなくなっているという事なのだろう。
「双刃、…僕は、………いや、何でもない」
「熾輝さま…」
「ごめん、もう決めた事だから」
スヤスヤと眠る彼女の頭をそっと撫でる。すると軽く身じろぎをした咲耶を見て、熾輝は曖昧な笑みを浮かべた。その真意は双刃にも判らない。
不意に窓の外を見れば、既に日が暮れ、夜になっていた。時刻はもうすぐ零時になる。
彗星の影響で、流星群が夜空を引き裂く様にして幾つも流れていた。
「いつか、この景色を一緒に見よう」
その言葉が彼女に届いたかどうかは熾輝には判らない。だが、先ほどまでの規則的な寝息が止み、咲耶の頬を一滴の涙が伝っていた―――。
◇ ◇ ◇
朝が来た――。
やはり、変わらない朝だ――。
「………温かい」
手に残る温もりを感じて、咲耶は自分の手を包み込むように抱きしめる。
そうするだけで、擦り切れていた心が和らぐ様な気がした。
「咲耶ぁ、起きてる――」
「おはよう、アリア」
起こしに来たアリアに向けて挨拶をする。
「あ、起きてたか。うん、おはよウッ!」
彼女が返事を返す最中、抱き付いた。
勢いを付けすぎたせいで、おはようの「う」が「ウッ!」となった。
ほとんど体当たりと呼べる抱き着きはアリアの内臓に僅かなダメージを与えたと思われる。
「ウゥウ……ど、どうしたの?」
呻き声をあげて、お腹を抑えながらアリアが問うと…
「ううん、……ごめんね」
咲耶は前回の朝、アリアに八つ当たりをしてしまい、その事を悔いていた。
「うん、ちょっと肝臓が泣いているけど、大丈夫」
しかし、アリアにとっては、前回は無い。故に今回、咲耶が体当たりをかました事を謝っているのだと勘違いしたのは当然のことだ。
「…本当に、ごめんね」
咲耶とアリアの考えが食い違っていることは判っている。それを理解してなお、咲耶のアリアを抱きしめる腕にギュッと力が入る。
「それより、今日も熾輝達が来て勉強会をするんでしょう?」
「うん、そうなんだけど……」
熾輝達がこれから来るであろう事を確認するアリアであったが、なにやら咲耶は、顔を紅潮させてもじもじとしていた―――。




