仮説
目覚めたタイミングと時計のアラームが鳴ったタイミングは、おそらく同時だった。
「……また、同じ朝だ」
日付を確認した訳ではない。しかし、咲耶には確信があった。
自分が着ているパジャマ、部屋に置いてある小物の位置、カーテンから差し込む日差し…あらゆる情報が同じ朝であると訴えかける。
ベッドから身を起こし、ドアの方へと視線を向ける。すると…
「咲耶ぁ起きてるぅ……なんだ、ちゃんと起きてるじゃん」
いつもと同じ…正確に言うと数時間前の朝と同じ光景を咲耶は目の当たりにしていた。
「おはよう」
「うん、おはよう。朝ごはんが出来てるから早く行こう」
前は、泣いていた自分を見て心配そうな表情を浮かべていたアリアだったが、今回は違う。
なにせ咲耶は、泣いていないのだ。心配する要素が無いのだから当たり前だ。
しかし、表情に出ていなくても、ほの暗い闇の様な不安が咲耶を包み込む。
「ねぇ、アリア」
「なぁに?」
「今日って、なんの日だっけ?」
確信はあった。しかし、聞かずにはいられない。
もしも、今日が同じ日であれば、アリアはきっとこう答えるだろう。
「まだ寝ぼけているの?今日は、みんなと彗星を見るって約束しているじゃない」
確信が事実として突き付けられた途端、目の前がクラッと霞んだ気がした。
もはや、気のせいでは済ます事ができない。これは、異常な事態だ。
前回は、記憶に靄がかかり、思い出す事が難しかった。
しかし、今回は違う。靄の掛かり方に多少の違いはあるが、殆どの事を思い出す事が出来るのだ。
「顔でも洗って目を覚ましてきなさい。その間に朝ごはん用意しちゃうから」
「う、うん」
言って、アリアは部屋を出て行ってしまった。
「私だけが覚えているの――?」
アリアの反応を見る限り、おそらくこの現象に気が付いている…あるいはこの不思議な体験をしているのは自分だけだ。
なら、次に咲耶が取る行動は、決まっている――。
◇ ◇ ◇
「――同じ1日を繰り返してる?」
「うん」
朝食の準備をしていたアリアに打ち明けた。
「まだ、寝ぼけているの?」
だがやはり、本気と受け取ってもらえない様だ。
当然と言えば当然、そんな荒唐無稽な話を誰が本気だと思うだろう。
しかし、それは咲耶だってバカではない。そうなるであろう事は、おり込み済みなのだ。
「寝ぼけてないよ。見てて…」
言って、咲耶はテレビの電源を入れた。
ニュースの内容は、既に1回…正確に言うと2回も観ているので、頭に入っている。だからこんな事だって出来る――
『「本日、午後8時から深夜にかけて、数世紀周期で訪れる巨大彗星が地球に近づきます。この彗星はアトラス彗星と呼ばれ、専門家が割り出した計算によると、今夜、日本の関東周辺が最も良く見えるとのこと。一時は彗星の進路が地球に衝突するのではというデマ情報が流されましたが、アメリカ航空宇宙局の公式発表では、衝突の可能性はゼロに等しいとのです。」次のニュースです―――』
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「え―――?」
たっぷりと間を開けて、ようやく絞り出した「え?」には、おそらく色々な意味が含まれていた。
キョトンとするアリアは、何を思ったかブルーレイデッキに近づき、触りはじめると…
「録画じゃないよ」
「うん……そうみたい」
そして、新聞のテレビ欄を確認して…
「再放送でもないよ」
「最新ニュースね」
咲耶の手品染みた行動の種を解き明かそうと、考え付く可能性を確認するも全て否定される。
「まだ、信じられない?」
「う、う~ん……」
アリアは眉間にシワを寄せ、難しそうな顔を浮かべる。
彼女も咲耶がこんな意味のない嘘をつくとは思っていない。
心の中では信じてあげたい気持ちだってもちろんある……あるにはあるが、どうにも煮え切らない。
「えっと、他には何か無いの?」
今回のこの現象を解決するためには、自分1人ではどうにもできない。
であるならば、周りの人の協力が必要不可欠であり、咲耶が陥っている状況を信じてもらう必要がある。
故に咲耶は、紙とペンを取り出し、何かを書き始めた―――
◇ ◇ ◇
午前10時、約束どおりにやってきた熾輝・燕・朱里を迎え入れた咲耶は、部屋へと通し、さっそく勉強会を始めた。
「――ちゃんと出来てる」
お約束通りの言葉が朱里から漏れる。
「ここって、応用に気付かなきゃ解けないのに……予習でもしたの?」
「頭が冴えてたのかな?」
「…そういう時もあるか」
ここも変わらない内容の会話が繰り広げられ、傍では熾輝が燕に天体崇拝について講習をしている。
そして、前回同様に熾輝の語りに被せる様にしてみると、これまた前回と変わらずに驚いた表情を浮かべる熾輝と朱里の姿があった。
「――つまり、冴えている今がチャンスよ!詰め込めるだけ詰め込んでやるのよ!大丈夫、勉強のし過ぎで頭がちょっとアレになっても、絶対に受からせるから!」
変なスイッチが入った朱里は、黒縁の伊達眼鏡をスチャっと掛けると、分厚い本をドンッ!と机の上に置いたタイミングとアリアが部屋に入って来たのは、ほぼ同時だった―――。
◇ ◇ ◇
「「「同じ1日を繰り返している?」」あ、ハモった」
先ほどの自分と同じ事を言っている3人に、アリアは微妙な表情を浮かべながら頷いた。
ちなみに「ハモった」と言ったのは燕ちゃんである。
「私も最初は、何の冗談かと思ったけど、コレみてよ」
言ってアリアが手渡したのは、先ほど咲耶が書いていたメモだ。
そこには、熾輝達が家に来てからの会話の内容や勉強範囲などが事細かに書かれていた。
「………」
「………」
「………」
「どう思う?」
正直、アリアはまだ手品の可能性を捨てきれていない。
なにせ、勉強会をしている最中、彼女は外から部屋の様子を窺っていた訳で、部屋に入ってから……もっと言えば家に来る前から4人が連絡を取り合い結託していれば、トリックは成立する。
「正夢――?」
「にしては、内容が詳細すぎる」
「じゃあ、未来視の魔術――?」
「否定は出来ないけど、あの魔術は大きな出来事に対しては高い的中率を誇るけど、小さな出来事は不確定要素が多すぎて殆ど当たらないに等しい」
「メンタリスト的な――?」
「論外だ」
考えうる可能性を1つ1つ取り上げては、理論的に考察していく。
しかし、行きつく答えは、トリックが無いというもの。
故に咲耶の身に起きている出来事は、真実であるという結論に行きつく訳なのだが、やはり現実味が無さすぎて、その答えにすら疑いが付き纏う。
「咲耶、確認するけど、嘘や冗談でもなくて、本当に1日を繰り返しているの?」
「う、うん。私もどうしてこんな事になっているのか判らなくて……ハハ、どうしよう」
困っている、困り果てている。しかし、今は不安を表に出して心配してもらう時ではない。だから、無理にでも笑おうとした。だが、彼女から不安の色がありありと伝わってくる
そんな咲耶を見て熾輝は1度、目を逸らすように瞼を閉じる。
机に肘を乗せて手を重ねると考え込むようにして額を手の甲にくっつけた。
そして一拍、考えたのちの熾輝はゆっくりと目を開けて咲耶をみた。
「信じるよ」
その言葉を聞けた瞬間、絶対的な安心感が咲耶の弱った心を包み込んだ。
◇ ◇ ◇
熾輝は調査をするべく早速行動を起こした。とは言っても、どっかへ行ったりするではなく所持していた携帯端末を取り出してアプリケーションを起動させたのだ。
『お呼びでしょうかマスター』
電子的な女性の音声がスピーカーを通して聞こえ、ディスプレイ上にはゴスロリチックで可愛らしい何かのアニメキャラを模した女の子が映し出された。
彼女、ミネルヴァは熾輝の式神として使役されているが、彼の他に燕の携帯端末にも彼女を呼び出すアプリケーションがインストールされている。
ちなみにミネルヴァの存在は熾輝と燕だけが知るところであり、他の者は今まで知らされていなかった。
故にミネルヴァのアニメっぽい姿を見た彼女たちからの冷たい視線が熾輝の精神をガリガリと削る音が聞こえようともひたすらに耐え忍ぶしかなかった。
「ミネルヴァ、1日を繰り返す現象についての情報が欲しい」
『同様の現象が起きたと言う記録が世界中にあります。中には同じ1日を何度も繰り返し、その日の出来事を全て的中させている記録もあることから信憑性が高いと推察されています。そして信憑性の高い記録の共通点として、彗星が地球に接近する日やうるう年の日に起きたと言う記録が多く散見されています』
熾輝が示した検索ワードからミネルヴァはネットワークを駆使して情報を的確にサーチし、最も信憑性が高く有益なものを伝えてくれる。
「何故、彗星の日やうるう年の日に集中している?」
『一説によると、うるう年は太陽暦における時間のズレを正常に戻す日とされ、現在・過去・未来が最も曖昧になり、その結果、時空に何らかの歪みが生じると考えられています。また、太陽暦は星を読むことで時間の概念を生み出しているため、惑星間を通過する彗星が星々の公転などに何らかの影響を与え、時空に歪みを与えていると考えられています』
ミネルヴァがサーチした情報は熾輝ですら聞くのが初めてで、通常のネットで検索しても出てこない内容の物ばかりだ。しかし、どの情報も考察の域を出ない。
「ミネルヴァ、繰り返される1日から抜け出す方法についての情報を教えてくれ」
『………データなし。いずれの情報も繰り返し現象について立証するに足る証拠が不足しているため、個人の作り話として処理されています』
先ほどまで淀みなく喋っていたミネルヴァがフリーズを起こしたかのように固まり、一拍置いて絶望的な情報を伝えてきた。
「そんなッ――」
過去、自分と同じ目に遭っている人がいるのに、それを解決させる手段が無いと聞かされた咲耶は途方に暮れてしまう。
そして熾輝は、眉間にシワを寄せると顎に手を添えて、いつもの様に思考の海へと潜り始める。
「でも、同じ経験をした人が世界中に居るのなら、その人たちはどうやって1日から抜け出したの?」
その質問をしたのはアリアだった。世界中に同様の記録があるのであれば、経験者たちは何らかの方法で繰り返しから抜け出したと考えたのだろう。
しかし、その質問内容を耳にして思考の海に潜っていた熾輝は思わずハッとした。
「まてッ、ミネ――」
『信憑性の高い情報の経験者たちは、その日を境に絶命しています』
「「「え――?」」」
待ったを掛ける前に結果を開示したミネルヴァに対し、内心で「余計なことを」と毒づいた。
ミネルヴァの回答は最悪の可能性の1つとして熾輝も考えていた。故に止めに入ろうとしていたのに…。
すぐさま咲耶の方へと視線を向けてみれば、血の気が引いた様な青白い顔を覗かせていた。
「ミネルヴァもういい」
言って、熾輝はアプリケーションを修了させるという工程をすっ飛ばし、端末の電源を強制的に落とした。
ただ、これは熾輝の八つ当たりであることは彼自身理解している。
ミネルヴァは聞かれた質問にただ答えただけなのだ。
「死ななきゃ、終わらないの…」
力なく声に出した彼女からは、再び絶望の色が渦巻き始める。
「死なせない。死なせてたまるか」
「そうだよ!絶対大丈夫だよ!」
「天才の私がなんとかするわ!大船に乗った気でいなさい!」
「私が付いている!何があってお咲耶を守るわ!」
皆が口々に励ましの声を掛ける。
この場に居る誰もかれもが昨夜のことを本気で心配し、何とかしようとしてくれている。
そんな彼らからの励ましが絶望の淵に立たされていた咲耶を諦めてはいけないという考えへと引き戻した―――。
◇ ◇ ◇
あれから熾輝達は手を尽くした。
まずは同じ1日を繰り返す現象をココからはループと呼称する。
ループの理論的な考えについて、遥斗の協力を要請、そして再びミネルヴァを呼び戻しての再検討が行われた。
しかし、どれも机上の空論で終わってしまう。
結局のところ、ループを経験していない彼らでは、打てる手もなければ、それを食い止める事もできないまま、彼らは1度、約束どおり可憐の自宅へと集合したのだ。
「そんな大変なことが起きていたなんて」
ふさぎ込む咲耶の肩に可憐がそっと手を置いた。
「これもやはり、魔術が関係しているのでしょうか?」
「それが最も可能性が高いんだけど…」
可憐の問に遥斗が言いよどむ。
「そうなった場合、誰がこの魔術を起動させたのか。術式は、目的はなんなのか」
「それに、時間を巻き戻すなんて術式があったとして、術者の時間も巻き戻る訳だから、繰り返す前の記憶は引き継げないわ」
「何で咲耶だけが記憶を引き継いでいるのか…判らない事だらけ。まるで世界の法則…神秘学の領域だ」
魔術に精通した3人が知恵を絞ってもまるで見当も付かない、それが今の現状だ。
「ねぇ、このままだと、またリセットされちゃうんじゃない?」
「「「………」」」
燕の言葉に皆が押し黙る。
「やはり、情報が不足しているのがいけないのでしょうか?」
「それもあるわ。せめて原因になるような情報がほしいところだけど…」
言って、朱里は咲耶へと視線を向けた。
「えっと、原因…かどうかは判らないけど、時間が戻るとき、彗星が見えた気がするの」
「彗星?肉眼でかい?」
「う、うん」
咲耶の言葉に遥斗は小首を傾げた。
なぜなら彗星の天体観測といっても、実際に彗星が肉眼で見える訳ではない。
彼らが観測しようとしているのは、彗星の周りを飛んでいる隕石が大気圏に入るときに生じる摩擦現象…ようは流星群だ。
「やっぱり、時空に歪みが生じているのか…?」
「可能性としては、それが一番たかいね」
「だとしても時間が巻き戻る説明としては弱いわ」
完全に袋小路である。
推論が進むにつれ、新たな問題が次々に湧いて出てくる。
これでは、ループから抜け出すなど不可能だ。
「はいはーい、質問!」
「何だい?」
3人が頭を抱えて悩んでいた傍で燕が手を上げ、遥斗が応える。
「前に熾輝くんとの勉強会で習った事なんだけど、【事象干渉力】だっけ?もしも今回の現象が魔術だとして、魔術師が時間を巻き戻すなんて言う事象改変が可能なの?」
「理論上は不可能だ」
「ぇ――?」
燕の問に対して、熾輝は即否定した。
その解答を聞いていた咲耶は、不安そうな声を漏らした。
時間は常に進み続けるもの。
例えるなら川の流れの様な物であり、その流れに逆らう事はできない。
ましてや世界規模の超魔術なんて、それこそ奇跡をもってしても出来る事ではない。
熾輝は完結に事実を口にする。
「で、でも実際に咲耶ちゃんは――」
「そう、1日を繰り返している。なら時間が巻き戻るという現象とは別の仮説が出てくる」
「別の仮説?」
咲耶と燕、可憐とアリアは熾輝の言葉を聞いて「?」が浮かんだ。
「この現象は咲耶だけを過去に飛ばしている」
「「「……え?」」」
やはり「?」が浮かんだ。
こういった反応は、いつもの事なので熾輝もあまり気にしていないが、どうにも話を砕いて説明するのが苦手なので、自称天才にバトンを渡す。
「つまりね、の〇太くんがタイムマシーンで昨日に行っているのと同じよ」
「「「あ、ああ、なるほど」」」
たったそれだけで彼女たちは理解した。…が、逆に熾輝は「の〇太くんって誰?」という疑問符が浮かんだ。
「でも、そうなると昨日の咲耶ちゃんと今日の咲耶ちゃんが存在するんじゃないの?」
「タイムパラドックスってやつだね。だけど、今回の場合は結城さんの肉体が飛んでいるんじゃなくて、記憶とか精神とか物理現象の制限を受けない物が過去へと跳んでいるとしたらどう?」
「未来の記憶が過去の咲耶ちゃんに入っているってこと?」
燕の回答に遥斗は「そのとおり」と首を縦に振った。
「この仮説なら、1日を何度も繰り返していることに説明がつくし、事象改変理論においても可能性を帯びてくる」
熾輝の説明を聞いて、話の上では納得できた。
つまり、咲耶Aが咲耶Bへと記録を送ることで咲耶Bは1周目を経験したと認識し、咲耶Bが咲耶Ⅽへと記憶を送ることで咲耶Ⅽは1週目・2周目を経験したと認識する。つまりは、その繰り返し…
「その仮説どおりだとしたら今の咲耶ちゃんは、ループから既に抜け出しているということですか?」
「仮説どおりなら」
魔術において秀でた3人が出した仮説…しかし、それを聞いても咲耶、可憐、燕はどこか納得がいっていない様子だ。
その違和感に可憐は気が付いていない様子だが、燕と咲耶はそうではない。
「でも、それはおかしいよ」
「え?」
「だって、……」
言って、言いよどむ燕は、咲耶へと視線を向けると、意を決したような表情を浮かべた。
「だって、そうでしょう。今までループ現象を経験した人は、みんな死んじゃっているんだよ!」
「「「ぁ――」」」
「もしも抜け出している人がいるのなら、そんな記録にはならないハズだよ!」
3人は大きな見落としに気付かされた。
確かに仮説どおりなら、抜け出した人物の記録があってもおかしくない。なのに、ミネルヴァの報告には、同様の現象を経験した者は、等しく死んでいた。
「………となると、この仮説も駄目ね」
すぐさま考えを切り替えるかのように朱里は仮説を捨て去った。
だが現状、もっとも可能性が高い仮説であったがために、これをボツにされると行き詰ってしまうのも事実。
そして、皆が頭を抱えていると…
「ねぇ、もうすぐ日付が変わっちゃうけど、咲耶のループって正確には何時ころなの?」
不意に時計を眺めたアリアが質問をしてきた。
「えっと、正確な時間までは判らないかな。前回は記憶に靄がかかっていて、……でも確か熾輝くんと空閑くんが帰った直後に彗星が見えて、気が付いたら朝に戻っていたの」
時計を見れば、あと10分もすれば今日が終わる。
「…リミットだけでもヒントになるかもしれない」
「僕もそう思う」
「なら、今から出来る事をするわよ」
仮説を立てる段階で、3人は何となく午前零時でループが起きると確信していた。
故に今できることを未来……正確に言うと過去に繋げるために行動を開始した―――。




