声が聞こえたから…
時間は遡り、熾輝たちが朱里を精神世界から救い出したあとの話になる。
悪魔召喚の贄として自身の命を糧にしていた朱里は、体力の消耗羽があまりにも激しく、危険な状態だった。
そこで、秘術【以心伝心】により咲耶・熾輝・可憐・燕の生命力のパスを通し、朱里の命を繋ぎとめるという咲耶でなければ行使できない裏技を駆使する事にした。
結果、朱里は死ぬ一歩手前で踏みとどまり、駆け付けた葵の手によって事なきを得る事となったのだ。
そして、場所は死闘を繰り広げた学校から葵の勤める病院へと移る。
朱里は、命を取り留めはしたものの、悪魔召喚によって大きな犠牲を払ってしまった。
単に生命力を一時的に失っただけならまだ良かったのだが、一番問題なのは魂を代償にした事であり、確実に寿命を縮めてしまっている。
その他にも呪いを全身に浴びてしまい、それを除去する措置を葵が全力で行っている最中だ。
よって、今は子供たち(紫苑を除く)が別室で待機となっているのだが…
「――以上がケリスという悪魔から聞き出した情報だ」
熾輝は咲耶に憑りついていた悪魔から聞いた情報を報告していた。
朱里の復讐心を煽り、強行的にさせていたこと。
朱里の才能を利用し、何か良からぬことを画策していたこと。
「何となく状況は理解しました。ですが…」
話を聞いていた可憐は納得いかない点があった。そもそも朱里の様な子供を組織が欲する理由…そして、朱里が必要なら何故、命の危険がある悪魔を彼女に召喚させたのかだ。
「何を疑問に思っているのかは理解できる。まず、組織が欲する朱里の力てのは、おそらく天才的なまでの魔法式解析能力だろう」
「解析ですか?」
「あぁ、戦ってみて判ったけど、朱里は結界師と呼ばれる魔術師で、術式の構築や解析のエキスパートだ。その能力を利用すれば、暗号化された術式の解析や封印術なんかの解除が容易になる。そして何故危険を承知で悪魔を召喚させたかについてだけど…」
熾輝は僅かに躊躇いながらも言葉を続ける。
「組織は朱里の意思を殺して、結界師としての才能だけを求めた」
「…あの、それはいったいどういう事ですか?」
「そうだよ。それだと朱里ちゃん本来の才能は生かせないんじゃない?」
熾輝の説明に対し、咲耶や燕も理解が追いつかないのか、揃って疑問符が浮かぶ
「人格を殺しても朱里本来の力を引き出すような能力は幾らでも存在する。…つまり、機械の様な操り人形にしようとしたって事だろうね」
「そんなッ!酷すぎます!」
「そうだよ!たとえ復讐しようとしていたとしても、そんなふうに利用するなんて!」
「許せない!」
口々に憤りを言う彼女たちに対し、熾輝は微苦笑しながら、「君たちも朱里の被害者だよね?」と心の中でつぶやく。
「でもいったい、何処の誰がそんな事を?」
「それは、…その道のプロから聞いた方が話が早いかもね」
「「「え――?」」」
言って、熾輝は待機室の扉を開けた。
「ッ――!?」
「キャロルさん…でしたよね?どうぞ入って下さい」
外で聞き耳を立てる様にしていたのは、可憐のマネージャー兼ボディーガードのキャロルマルティーヌだった。
不意に空いた扉にビクンッとするも、それは一瞬のこと…諦めたかのように肩を竦め、落ち着き払った様子で促されるままに入室した。
「さっそくですけど、貴女の事は調べさせてもらいました。フランス聖教聖騎士部隊所属のキャロルマルティーヌさん」
「ッ!?…どこでその情報を?」
自分の存在を年端もいかぬ子供に見抜かれた事にキャロルは驚いた。しかし、瞬時にあらゆる可能性を思案する。
考えられるのは、佐良志奈円空からの情報…羅漢からの情報…おそらくは、このどちらかだと睨んでいたのだが…
「インターネットでサクッと」
「そんな個人情報が簡単に手に入る訳が無いでしょう!?」
熾輝は、無表情を浮かべならが平気で嘘を吐いた。
ただ、全部が嘘ではない。ケリスとの戦闘の最中、彼の式神であるミネルヴァは燕と可憐の無事を知らせてくれた。
その際、可憐を守るために戦ったキャロルの戦闘の一部始終をミネルヴァによって監視されていたいたのだ。
そこからは、電脳世界の支配者とも呼ぶべき彼女の本領発揮だ。
キャロルのありとあらゆる経歴を事細かに洗い出すことによって特定に至った。
「覚えておいた方が良いですよ。ネットワークに繋がった瞬間、秘密は一切なくなる」
「カフッ――!?」
何そのカッコイイ台詞!今度私も使ってみたい!という気持ちを抑えつつ、「な、なるほど」と表情をつくろって答えるキャロルさん。
「キャロルさん…やはり只者では無かったのですね」
「隠していて申し訳ありません」
「いえ、キャロルさんは、しっかりとお仕事をなされているんですもの。私がトヤカク言う事は何もありません。ただ…」
可憐は聞くべきが聞かざるべきかを迷っていた。キャロルがフランス聖教の人間である事を聞かされ、自分が使徒である事も知っているのか。
冷静に考えれば、使徒である自分の元へ都合よく教会の人間がいること自体がおかしい。であるならば、既に使徒としての自分の存在を知られていると考える方が合理的である。
以前、この力の事について、可憐は熾輝と遥斗が苦言を呈していた事を思い出す。…『その能力は誰にも覚られてはいけない』『国家の使徒保有数=軍事力と言われている』『知られれば必ず厄介ごとの渦中に巻き込まれる』『これまでの生活は送れなくなる』etc…
その事を思い出し、可憐の顔色がみるみると青くなっていく。
「ご安心くださいお嬢様。私は貴女の敵ではありません」
「キャロルさん…」
「それに以前にも言いましたが、私は命に代えても貴女を守ります」
このときのキャロルの言葉に嘘偽りがない事は、可憐には直ぐに判った。
「はい…信じています。キャロルさんは何度も私を助けてくれましたから」
過去、キャロルは妖怪に襲われた可憐を命懸けで守り、そして今回も悪魔たちから守り抜いてみせた。
本来の彼女の任務は監視であり、護衛ではない。対象に過度に接触するなどあってはならい。ましてや正体を知られるなどもってのほか。
騎士団の規律は厳しく、命令違反には相応のペナルティーが科せられる。にも関わらず彼女は己の任務よりも可憐を優先した。…そういう女性なのだ。
「ありがとうございます。これからも変わらぬ忠義を尽くします」
胸に手を当てて一礼をする彼女の姿は、まさに騎士のそれであった。
ただ、あまりにも世界観が違い過ぎるせいなのか、アリアなんかは『リアル武士道だ!』とからかっていた。せめて騎士道と言ってあげてほしい…。
まぁ、熾輝も彼女の事についてとやかく言うつもりもない様子だ。そもそも、師である佐良志奈円空が現在進行形でキャロルが所属するフランス聖教と絡んでいるのだ。可憐が困るような事になるとは一欠けらも思っていない。
「なら、早速で悪いんですが、キャロルさんが知っている情報を教えて下さい」
「…いいでしょう」
本来であるなら重要な情報を子供に話すべきではないと考えるだろう。御多分に漏れずキャロルもその事に考えを巡らせたが、目の前の子供はただの子供ではない。
先にフランス聖教で起きた事件に際し、世界を救った人物の弟子だ。ある程度の情報を話したところで問題にもならないと判断した。
「今回の事件、裏で糸を引いていたのは、悪魔崇拝組織【邪悪の樹】です。彼等の狙いは日本に拠点を作ること。そして、城ケ崎朱里の類まれなる才能を取り込むことです」
「そこまで判っているという事は、奴らの隠れ家も判明しているんですか?」
「それは……YESです」
「なら――」
「ですが、それを教えても意味が無いかと」
「というと?」
まるで殴り込みを仕掛ける雰囲気を察して予防線を張られたのかと勘ぐった熾輝は、訝し気な視線を向けた。しかし、それは杞憂であった。
「先ほど、仲間から日本の退魔組織【対策課】及び【十傑】達の電撃作戦により、日本に潜伏していた構成員は壊滅状態になったとの情報を得ました」
「日本がフランスの協力を受け入れたんですか?」
これには熾輝も驚きを隠せなかった。それ程にキャロルからもたらされた情報は信じられない事だったのだろう。何しろ神災以降、日本は他国に弱体化を悟られぬように必死に手を回していたのだ。今回の一件で日本の内情を他国に知られてしまった事になる。
「はい。詳細は判りませんが、日本で五本の指に入る何とか流の師範という人物が動いてくれたと聞いています」
「何とか流ね…」
その情報だけで何となく察する事が出来た。おそらく裏で動いていたのは師の1人である心源流27代目昇雲師範であると。
彼女が動いた以上、高度に政治的な問題を自分が心配するなどおこがましいとスッパリ割り切った。
「ですから、既に日本への脅威は去ったと考えて下さい。」
「……そう、ですか」
自身が知らないところで、既に組織は潰されていた。本来ならば喜ばしい事なんだろうが何かが熾輝の中で引っ掛かっていた。そこへ…
「――みんなお待たせ」
「せんせ――」
「「「葵先生!朱里ちゃんは!?」」」
熾輝の声は、彼女ら3人によって掻き消された。
「こらっ、病院では静かに」
「「「ご、ごめんなさい」」」
夜の病院内で思わず大きな声を出した3人を嗜めると、葵は浅く息を吐いてから「しょうがないなぁ」と言ったのち…
「詳しい病状は言えないけど、もう大丈夫よ」
「よ、よかったぁ」
「もぅ、どうなる事かと思ったよぉ」
葵から朱里の状態を聞いた咲耶と燕は安堵の息を漏らした。
「さあ、みんな今日は帰りなさい」
「あ、あの…葵先生」
「可憐ちゃん?…どうしたの?」
朱里の無事を知らせ、子供たちの安心した表情を見た葵が、それぞれに帰宅を促していたとき、可憐がおずおずと手を上げた。
「朱里ちゃんの傍に居ては、ダメでしょうか?」
「………」
「乃木坂さん、そこまで――」
可憐の問に葵は、何と答えるべきか決めかね少しの間、沈黙する。ただ、可憐のお願いを聞いた熾輝は、「そこまでしてやる義理はない」といいかけ、葵の手がそれを制した。
「どうして、付いていてあげたいの?」
「それは…目を覚ましたときに寂しがると思うからで…」
可憐にしては、珍しく歯切れが悪い…というよりも、上手く言語化が出来ていないように感じたのは熾輝の気のせいではない。ただ、可憐は考えをまとめる様に深呼吸をして息を整えると葵から視線を逸らさずに面と向き合った。
「私、…辛い時や苦しい時、いつも咲耶ちゃんが傍に居てくれました。別に頼んだ訳じゃないのに、気が付いたら隣に居て、…それだけで救われたんです」
「可憐ちゃん…」
それを咲耶は、嬉恥ずかしそうに聞いている。
「だから今度は、私が朱里ちゃんにとっての救いに……いいえ、そうじゃない。そういう押し付けじゃなくて、上手く言えないけど、私は………朱里ちゃんの友達だから一緒に居たいんです」
きっと、それが可憐の本当の想いなのだろう。
そして、時間は今へと戻っていく―――。
◇ ◇ ◇
目を覚ました朱里の眼に入った最初の人物は、可憐であった。
おそらく看病してくれていたであろう彼女…しかし、その表情は暗く、ジッと朱里の顔をのぞき込んでいた。
「…なによ、言いたい事があるのなら、ハッキリ言いなさいよ」
思わず口から出た一言に自身でもあり得ないと思う。
咲耶を傷つけ、熾輝に返り討ちにあった挙句に助けられる。
なんとも情けないと…
「ざまあみろって思っているんでしょ?結局、アナタの言ったとおりになった。」
以前、可憐から受けた忠告の事を言っている。
『いつか手痛いしっぺ返しを食いますよ』…もはや朱里には何もない。
友を裏切り、あまつさえ犠牲にしようとした。もう、彼女の味方は居ない。
そして自身は悪魔契約によって、高すぎる代償を支払ってしまった。
鏡を見なくても判る。
黒く艶やかだった髪から完全に色が抜け、真っ白な白髪へと変わり果てていた。
そして、その代償は外見だけではなく、彼女の魂にもおよんでいる…
「ほんっとうにバカみたい……バカみたい」
「朱里ちゃん…」
自虐的な言葉を吐く朱里の目から、ポロポロと涙が流れ落ちる。
そんな彼女の手を可憐はそっと包み込む。しかし、可憐から声を掛けるでもなく、敢えて朱里の言葉を待った。
「復讐なんて、なかった……」
ポツリと零れた朱里の言葉は、まるで懺悔のように続いた。
「熾輝は、何にも悪くなかった。ママは、神災で死んでた。…熾輝の親に殺されたんじゃなかったんだ」
あの風景を見たのは、朱里だけではなく、術者である咲耶も一緒だった。
ヒストリーソースが見せる過去の記録から朱里の母親は正体不明の物体に殺された事が判った。
咲耶は、その事実を熾輝を含めた全員に話していたため、可憐はあらかじめその事実が朱里の口から聞かされるであろうことは、予想していた。
「どうしよう私、取り返しのつかない事をしちゃった!」
自身の行いによって、熾輝だけでなく、咲耶をも傷付けた。
そして、これは余談ではあるが、朱里が援助を受けていた組織は、彼女が知らないところで、可憐や燕をも手に掛けようとしていたのだ。
だが、その事実を今は敢えて口にしないのは、朱里の絶望したような表情を見てしまったが故だろう。しかし…
「そうですね。朱里ちゃんは、熾輝くんに逆恨み…いいえ、お門違いの恨みをぶつけ、そして咲耶ちゃんまでも傷付けました。もはや取り返しがつきません」
「ッ―――!」
「熾輝くんと咲耶ちゃん、とても怒っていました。もちろん私や燕ちゃんもです」
傷口に塩を塗り込むかのような口撃によって、朱里の絶望の表情に深みが増す。
まるで、お前を許されないと言われているかの様にすら感じる。
「だから、もうやめませんか?」
「――え?」
「在りもしない復讐に捕われて、誰かを恨んだり。やられたら今度は逆にやり返したり……正直、疲れます」
溜息を吐きながら言った可憐の表情は、心底勘弁してほしいと雄弁に物語っていた。
「で、でもっ!私は許されない事を――」
「そうです。朱里ちゃんは、これからとっても恨まれる事になるんです」
「うっ……」
「でも、だからといって、私たちは朱里ちゃんに酷い事をしません」
「え――?」
今の朱里にとって、可憐の言葉が理解出来なかった。
今まで、復讐心だけを生きる糧としてきた彼女にとって、今度は自身が罰を受ける番なのだと、半ば諦めの様な決心をしていた矢先の在り得ない返答に困惑した。
「熾輝くんは、どうか判りませんが、少なくとも咲耶ちゃんは、朱里ちゃんと会って話したいと言っていました」
「それって、どういう――」
「さぁ、頬っぺたを引っ叩きたいのでは?」
「…い、いいわ。この際、ボコボコにされても仕方がない――」
「冗談です」
「………」
「………」
朱里は覚悟したのにからかわれ、涙目で何かを訴える。
しかし、誤解しないでほしい。可憐も無暗にからかったのではなく、沈んでいく朱里の心を少しでも別の方向へと向かわせようとしていたのだ。
「とにかく、今日はこのままお休みになって下さい。また明日、みんなとお見舞いに来ますので」
「ッ、………」
また明日、…今度は可憐だけではなく、咲耶達とも一緒に来ると言われ、朱里は怖くなった。
いったい、どんな顔をして、どんな言い訳をしたらいいのかが判らなかった。
「大丈夫です。わたしが一緒に居て差し上げます」
「…どうして、そこまでしてくれるの?」
まるで、可憐だけは味方でいてくれると言っているかのように、朱里に寄り添い、優しくしてくれる。
「おせっかいな性分なのです」
「でも、私なんかの味方をしたら、アナタが皆に怒られるんじゃ…」
「わたしの身を案じてくれているのですか?」
「ち、違ッ!私はただ――」
「やっぱり、朱里ちゃんは、やさしいです」
「え――?」
ここに来て、可憐はようやく微笑んだ。
まるで、全てを包み込むかのような、慈愛に満ちている。
「覚えていますか?銀行強盗に襲われたとき、皆を助けようとしてくれたこと」
「でも、結局最後は熾輝が…」
「それでも、一番最初に立ち上がってくれたのは朱里ちゃんでした」
あのとき、朱里は復讐者と言う立場を捨ててでもみんなを助けようと思った。
結果的に、窮地に追い込まれはした。
しかし、あの時の彼女の勇気と正義に嘘偽りはなかった。
「そんな朱里ちゃんだから、私はもっと知りたいのです」
かつて、けんか別れをしてしまったあの日
奉納祭以降、消息を絶った朱里の事を思い浮かべ、自身の考えを押し付けてしまった事を悔やみ続けて来た可憐だからこそ、辿り着いた答え…
「もっと一緒にいて、もっとたくさんの朱里ちゃんを知って、私の事も…私たちの事も知ってほしい」
あの時の可憐は、朱里を理解しようとしていなかった。
友を狙う刺客かもという想いから、一線をひいてしまっていた。
だが、今は違う。
朱里を知り、朱里に寄り添う事で、彼女の事を知ろうとしている。
故に彼女は…
「朱里ちゃん、私とお友達になって下さい」
微笑み、差し出された手が朱里へと伸びる。
しかし、朱里はその手を素直に取る事ができない。
今までして来たことを考えれば、躊躇して当然だ。
掌を返した様に態度を変えるなんて、簡単にできるハズがない。
だがしかし、これが彼女にとっての交差路だ。
差し出された手を取り、やり直すのか…あるいは、その手を握らず、これからずっと孤独と罪に苛まれて生きるのか
本来なら、一人で罪を背負って生きていかなければ…と考えていた。
可憐の手を取る事によって、きっと彼女にも迷惑がかかる。
なら、いっそのこと……
そう考えていた朱里たちの前に邪悪な気配があらわれた。
「そいつぁ、調子が良すぎるんじゃあないか?」
「なんですか貴方たちはッ、きゃッ――!」
「乃木坂さんッ――!?」
「おっと、動くなよっと」
暗がりの病室へいつの間にか侵入した2つの影は、それぞれが室内に居た2人の背後へ回り込むと、後ろから羽交い絞めにする。
「お嬢ちゃん、俺等の仲間を誘惑するのは、やめてくれねぇかな」
「そうそう、コイツはもう悪魔崇拝組織の人間なんだ」
全身を黒装束に包んだ男2人に雰囲気から一般人では無い事は、可憐にも直ぐに判った。
「あ、彼方たちが朱里ちゃんを騙した人達…邪悪の樹ですね」
「クリフォト!?」
「へぇ、よく知っているな」
「熾輝くんが言っていました。彼方たちが手引きして朱里ちゃんに悪魔を渡したり、復讐心を煽ったんだって」
可憐の口から聞かされる情報に朱里は驚きを隠せなかった。
なにせ、自分を支援してくれていた組織が悪魔崇拝組織だったなんて事は初耳であり、同じ復讐を志す者達だと聞かされていたのだ。
「まるで俺達が悪者みたいに言っているけど、悪魔と契約したのは、そこに居るガキで、お前達を傷つけたのも、それを実行したのもコイツ自身だ」
「そうそう、俺達が手を貸さなくても、コイツはいずれやっていたよ」
「よくもヌケヌケと!貴方たちが近づきさえしなければ、朱里ちゃんは―――」
「うぜえッ!」
反論する可憐を煩わしく思った男は、羽交い絞めにした体勢から足をすくって床に押し付けた。
受け身も取れないまま、転倒した衝撃に可憐の口から「うっ」と声が漏れる。
「やめて!やめなさい!」
目の前で襲われる可憐を助けるため、魔力を発現させようとする朱里だったが…
「カハッ――!!?」
脇腹に重たい一撃が打ち込まれ、肺の中の酸素が一気に外へ出る。
「おいおい、やめてくれよ。俺達仲間だろう?」
「ぅぅぅ、…」
「魔術なんか撃たれたら、俺達が死んじまう」
「だ、誰が…アンタ、達の仲間ですって?」
激痛に顔を歪ませ、息も絶え絶えになりつつも、朱里は男を「キッ!」と睨み付ける。
「…どうやら教育が必要みたいだな」
男は、羽交い絞めから朱里の前へと回り込むと、そのまま馬乗りになって服に手を掛けた。
次の瞬間、「ビリィッ!」と布の破ける音と共に、胸元がはだけた。
「え――?」
何をされているのか理解が追いつかなかったが、それも一瞬のこと
露わになった胸元を見下ろしていた男の顔がニタリと歪むと背筋がゾッと凍り付いた。
「ッ―――――」
「おっと、騒がれると面倒なんだよ」
大声で叫び出そうとした朱里の口元を男の手が塞ぐ。
「おい、あんまり時間をかけるなよ?」
「わかってるって♪入間さんの所へ連れて行く前に教育しとかなきゃだろ?」
戒めるでもなく、連れの男も同調するようにニタニタと下卑た表情を浮かべている。
「やめなさい!卑怯者!」
「そうさ♪俺たちゃ悪魔に身も心も売ったんだもん」
「除け者にされて寂しいのなら、俺の相手をしてくれよ」
まともじゃない…床に押し付けられたままの可憐に男のイヤらしい手が伸びる。
「ダメ!やめて!」
「はっはあぁあ!大丈夫、仲間はずれにはしないよ~」
「お願い!言う事を聞くから!彼女に酷い事をしないで!」
塞がれていた口をどうにか外し、朱里は必死に懇願する。
「人聞きが悪いなぁ」
「そうそう、酷い事なんてしないよ」
「「気持ちぃことをするんだからぁ―――」」
「やめッ―――!!」
「やめてくれ」と叫び出そうとした朱里の口を再び男の手が塞ぐ。
―(どうして!なんでよ!可憐はなにも悪い事をしていないでしょ!悪いのは全部私なのに!)
男の拘束を振りほどこうとしても、子供と大人では力に差があり過ぎて、どうすることも出来ない。
―(このッ―――!!!?)
「おっと、だから魔術は使わせないっての!」
馬乗りになっている男へ向かって魔術を放とうとした途端、鳩尾を殴られ、魔法式を強制的に解除させられた。
激痛に襲われ、魔法式を構築する集中力が確保できない。
それどころか、口を塞がれた上に鳩尾を殴られ、呼吸もままならない。
―(やめて!やめてよ!お願い…誰か…私は、どうなってもいいから――)
痛めつけられ、辱められた朱里の心は、いとも簡単にポッキリと折れてしまった。
とめどなく涙が溢れ、抵抗する気力も残っていない。
「お?ようやく大人しくなったか」
もはや、この境遇を受け入れるしか彼女に残された道はない。
故に、抵抗する一切の力を身体から取り去った。
拘束していた男も朱里が諦めたと判断して、塞いでいた手をどける。すると……
「…ねがい…します」
「あん?」
「お願いします。何でも言う事を聞きます。だから、…友達だけは傷つけないで下さい」
涙を流し、震える声で、「どうか、どうか…」お願いしますと、なんども懇願する。
それが朱里の最後の願い。そして、可憐への答えだった。
可憐が助かる為なら、なんでもする。自分なんかはどうなってもいい。
「嫌だね」
しかし、男は嘲笑うかのように朱里の願いを踏みにじる。
「そもそも悪魔を信奉している俺達にお願い事?バカじゃねぇ?」
「まったくだ。祈りなら居るか居ないのかも判らん神様とやらにしたらいい」
「俺達はヤりたいことをヤって、ヤりたいようにヤる。それが邪悪の樹だ」
彼等の根っこは悪魔崇拝、その実態は他者を犠牲に自身を満たすこと。
悪魔と言う人外の存在と契約を交わし、常人を遥に超えた力を手に入れ、欲求を満たす。
組織の理念は、【邪悪ここに極まれり】であって、崇高な目的など微塵も無い。
ただただ欲求を満たすためだけに彼等は存在する。
故に、今の彼等の欲求は、無抵抗な少女たちから絶望を引き出し、貞操を奪うこと…
「ヒヒッ、もしもまだ良心の欠片が残っているってなら完璧に打ち砕いてやるよ…お前の目の前でな!」
「やめて!お願い!お願いします!」
―(神さま!どうして私ばかりこんな目に!ううん、ちがう!全部私のせいだ!だから私はどうなってもいいの!どうか、乃木坂さんだけは助けて!)
どこまでも朱里を絶望へと突き落とそうとする男達、そして、そんな奴等を止める事すら出来ないと、己の無力に打ちのめされる。しかし…
「ちがう…私がやらなきゃダメなんだ…」
「んなッ!?テメェ!まだヤろうってのか!」
朱里は、再び魔力を練り、高め、魔法式を構築しだした。
「同じ事を何度も……コイツッ――!!?」
魔法式を組み上げていく最中、男は朱里に目掛けて拳を振り下ろした。
しかし、1発や2発で、今の朱里は止まらない。
何度も、何度も、何度も、…殴り続けられても、朱里の魔力が鈍る事はなかった。
男の暴力が朱里を襲うなか、「やめて!朱里ちゃんが死んじゃう」という可憐の悲鳴が室内に響くも、男は止まらない。
「クッソ!自分だけは関係ないなんて思うなよ?お前は、もう悪魔と契約を交わしたんだ!俺達と同類なんだ!」
「判って…る。私は、アンタたちと一緒の外道だって……」
「なら諦めちまえ!堕ちた奴は何処までもクソなんだよ!」
魔術師としてなら、彼等と朱里とでは実力に雲泥の差がある。
故に、朱里が魔術を放とうものなら一撃で片が付いてしまうだろう。
だからこそ、男達は何としても朱里の魔術発動を阻止しようとしているのだが…
「そうよ。…だからこそ、クソ以下の私を救おうとした人だけは、巻き込む訳にはいかないの!!」
暴力に晒された朱里の身体は、痣だらけになり、整っていた顔立ちが嘘の様に腫れ上がっていた。
しかし、彼女は完成させた。どんな理不尽にさらされようとも、可憐だけは助けると言う意思のもと。
その魔術こそ、彼女の真骨頂――
「なッ――!!?」
「これは、……クソッ、脅かしやがって!」
発動した魔術は、可憐を男から守る様に隔たりとなっていた。
それは、まるで不可侵の領域を思わせる陣…結界魔術だ。
「アンタ達に彼女はやらせない!」
「いきがってんじゃねぇクソガキ!」
「ッ――!」
「やめて!もうやめて!」
可憐の危機が去ったからといって、朱里が未だに無防備である事に変わりない。
故に男は、抵抗を示した朱里を殴りつける。
その光景を目の当たりにして、可憐は泣いて叫ぶ事しか出来ない。
しかし、殴られている当の本人はというと、「ざまぁ!」と言いたげに口元を歪め笑みを浮かべている。
「チッ、…しゃあねぇ。ちょいと計画が狂ったが、術を解かせるぞ」
「なっ――!?」
彼等は、腐っても悪魔崇拝組織の一員、…腐っているからこそなのだろうが、その辺は置いておく。
とにかく、男の1人が手の甲に刻んでいた刻印に魔力を通す。すると、暗闇が出現し、そこから何かを呼び出た。
「Aryyyッ――!」
「悪魔ッ!!?」
ちょうど朱里や可憐と同じくらいの背丈の悪魔が出現した。
「コイツは下級の悪魔だが、怒らせると恐ぇぞ?」
「そうそう、なんせこんな形をしているが、人間の大人以上の力がある」
「そんでもって、コイツの能力は、精神操作」
「ッ――!?」
精神操作と聞かされて、朱里の脳裏に嫌な記憶がよみがえる。
悪魔の能力は、どれも強力であり、しかも今は抗う術をもっていない。
「さぁ、ガキの頭を弄くってやんな!」
「は、離せ!やめろ!」
「ぎゃははは!やめる訳無いだろう!」
「お前が術を解いたあと、目の前でこのガキを可愛がってやるよ!」
男達の下卑た笑いが響き渡る。
―(どうして!どうしてここまでするの!ねぇ神様!乃木坂さんは関係ないでしょ!私が守ろうとするのも気に入らないの?もう、…もうイヤだ……助けて…)
折れた心、しかし一度は息を吹き返し可憐を助けた。だが、運命というものは、理不尽に朱里を絶望へと叩き落しにかかる。
そして、完全に打ち砕かれた心の中で、最後に見たのは、一人の少年の顔だった。
「たす、けて、…たすけて…彼女を助けてよ!熾輝ィーーーッ!!!」
「ぎゃははは!マジでウケる!命を狙っていたヤツに頼るとか、マジでありえねぇ!」
「安心しろよ、お友達と一緒にお前も可愛がってやるからさ!」
どこまでも邪悪な男達、…しかし、コイツ等が言っている事も、自身が恥知らずでみっともなく、調子が良い事を吐いているのも間違いではない。
だが、可憐は知っている。
朱里が打ちのめされ、叩きのめされて、たとえ恨みを抱えていようと、必ず助けに来てくれる少年の存在を……
「――させるかよ」
ピンチに駆けつけたヒーローの腕が悪魔を掴み取った―――。
◇ ◇ ◇
可憐以外、病院からの帰宅を言い渡され、各々が帰宅した。
ちなみに、キャロルは可憐の両親への報告と着替えを取りに一度、屋敷に戻った。
そして現在、熾輝は葵と共に帰宅し、少しの話し合いの後、装備一式を引っ張り出して、なにやら身に付け始めていた。
「――素直じゃないんだから」
「…念の為です」
「そう言うところが素直じゃないの」
「………」
傍らで完全武装を済ませた熾輝を葵が微苦笑しながら眺める。
「あのまま可憐ちゃんと一緒に病院に泊っても良かったのよ?」
「それじゃあ、咲耶や燕が家に帰れないじゃないですか」
「みんな一緒でも良かったのに…」
「親御さんが心配します。それに、朱里に対してそこまでする義理は、僕たちにありません」
「その割には、心配で見に行くんでしょ?」
どうやら熾輝が一度帰宅したのは万が一に備え、装備を整えるためだったらしい。
ただ、素直になれず、こうして葵にからかわれているという状況になっている。
「心配なのは乃木坂さんであって、朱里ではありません」
「助けたのに?」
「あれは紫苑姉さんに唆されて……って、肝心の姉さんはどこ行ったんですか?」
「さぁ、紫苑ちゃんは何時も突然いなくなったり出てきたりだから」
熾輝は「確かに…」と納得する。
せっかく日本に帰国しているというのに、いつも何処かへふらふら~っと居なくなってしまうのだ。
だから、落ち着いて一緒に居るという事がない。
「それでも、熾輝くんは本当に後悔が無いの?」
何の…とは聞くまでも無く、熾輝の過去を知る術であった経歴閲覧を朱里を救うために使った事についてだ。
「…無いといえば嘘になります」
本当は、自分の過去と決着を付けたかった。
理由も知らないまま理不尽に恨まれ、今回の様に刺客に襲われるなんて事がなくなれば良いと思った。
それに、自分だけならまだいい・・・しかし、大切な人たちが傷付けられるのは我慢ならなかった。
だから、熾輝の吐露を葵は真剣に聞いている。
「だけど僕は、朱里を殺したくは無かったんです」
一度は殺すと心に決めて刃を振るった。
しかしそれは、ある少女によって簡単に覆された。
その少女は教えてくれた。無理やり後付けしたような覚悟を決めるより、救おうとする覚悟の方が皆が笑っていられると……
「だから過去を知る事が出来なかった事に後悔はあっても、救うと決めた事に後悔はありません」
きっと、朱里を見捨てていれば、熾輝の過去が明らかになっていたであろう。
結果の如何によっては、両親の無実が明らかになっていたかもしれない。…ただ、その逆もまた然りだ。
いずれにせよ、熾輝が求めていた答えは、得る事が出来なかった。
最高か最悪…そのどちらも得られはしなかった……ただ、最良ではあったと、葵は感じていた。
「だから、僕は行きます。…救うと吠えてしまった以上、もう少し、漢を徹してきます」
「……そっか」
「はい」
顔を合わせた師弟の表情は、同じように微苦笑していた。
2人の胸の内は、おそらく似たような事を思っているのだろうが、それを口には出さない。
それは、お互いを思い合っているからこそだから。
「それじゃあ、行ってきます」
「うん、気を付けて」
「…はい」
言って、熾輝は部屋を後にした。
そして、閉じられた扉を見つめていた葵の頬を一筋の涙が伝った。
「熾輝くんの決断を先生は誇りに思うわ……」
その涙は何を意味しているのか、……弟子の成長に対してか、今後の彼の人生に対してのものなのか。…それとも、もっと別の何かか……
「でもね、熾輝くん……今回の事は、先生もオツムにきているんだよ?」
そう言った葵先生は、熾輝が出た後、遅れて扉を開け放った。
そして、熾輝が病院へと到着した途端、助けを呼ぶ少女の声が聞こえたのだった―――。
◇ ◇ ◇
「――させるかよ」
「Aryyッ―!?」
不意に届いた声の主は、召喚された悪魔の首根っこを掴んだ。すると、まるで万力の如くギリギリと締め上げる。
「GYGYッ―!」という悪魔の奇声があがると、耳障りだと言わんばかりにしかめるその表情からは、腸が煮えたぎる程の怒りが容易に感じ取れた。
しかし、その怒りの根底は、彼の優しさから来るものだと彼女は知っている。
だからだろう、荒れ狂う彼の怒りを目の当たりにして、可憐は不思議と安心していた。
そして、悪魔の首根っこを締め上げるその手から溢れんばかりの黄金の光が輝くと同時、悪魔が空気に溶けるかのように蒸発した。
「遅くなってすまない」
「熾輝くん…」
泣きはらした可憐の顔を視界に治めると胸のあたりがチクリと痛んだ。
それは、遅れて来た事への罪悪感か、それとも単に泣いている女の子を目の当たりにして心がざわついたのか、今の熾輝には形容しがたい感情だった。
だが間に合った。可憐は男に組み伏せられはしたものの、幸いキズ1つ負っていない。
そして、彼女を守るようにして展開している結界術を見て、再び何とも言えない気持ちが込み上げた。
しかし、今は感傷に浸るよりもやるべきことがある。
「僕が来たからには、もう誰も泣かせない」
「キッ!」と男達を睨み付け、力強く一歩前へ出る。
「おいおい、何だテメェはガハッ――!!?」
「お子ちゃまは、お呼びじゃないんだよグハッ――!!?」
2人が吹き飛ばされたのは、ほとんど同時だった。
凄まじい打撃音が鳴り響き、気が付くと男達は壁に打ち付けられ、ズルズルと白目を向いて床に倒れ込んだ。おそらく気を失う瞬間まで、何が起きたのか認識することすら叶わなかっただろう。
彼等の強さとは、あくまでも使役している悪魔の強さに寄生したもの。…つまり、自身が強いのではなく、悪魔の力を自分の強さと勘違いしている事に他ならない。
故に彼等の身体能力は、一般人と同格であり、熾輝が負ける道理も無く、その実力には大きな開きがあったのだ。
「たす、かった…?」
脅威が去ったことで緊張の糸が解けたのか、可憐を守っていた結界が朱里によって解除された。
「…乃木坂さん、早くここから離れよう」
「え――?」
敢えてだろう。…熾輝は朱里に目もくれず、倒れていた可憐に手を貸して立たせると用件だけを口にした。
「もうじきここは戦場になる。邪悪の樹が攻めてくるんだ」
「なら、朱里ちゃんも一緒に!」
「…おい」
「な、なによ?」
一瞬、何かを躊躇した熾輝だったが、今もベッドに身体を預けていた朱里…とはいっても、男に殴られ続けたせいで顔が腫れ上がり、上半身が剥き出しになっている彼女を見て、直ぐに視線を逸らしつつ、低い声で呼びかけた。
それに対し、朱里は緊張したように、声を詰まらせながら応える。
「早く準備しろ」
「え――?」
「奴らの狙いはお前だ。先遣のコイツ等がやられた以上、奴らは総動員で押し寄せてくる――」
細かい説明をハブき、朱里に逃走の準備をする様に促す熾輝だったが、その言葉は不意に打ち切られた。
何故なら、熾輝が有する探知能力におびただしい人の気配が四方から包囲するように病院の敷地へと入り込んだことを察知したからだ。
「…間に合わなかったか」
心の中で「クズども」と吐き捨てつつ、朱里にガウンを羽織らせ、脱出の準備を進めている可憐へと声を掛ける。
「僕が足止めをする。その隙に2人で逃げるんだ」
「ですが、1人で大丈夫なのですか?」
「…1人じゃないよ」
言って、彩られていた世界が砕け散り、視界に映っていた風景がセピア色へと変貌した。
「異相空間?でも誰が…」
自分で言っていて、ハッと気が付いた。
こんな事が出来る人物を彼女は1人しか知らない。
―(来てくれたのですね…)
たとえ、ここには居なくても、可憐には判る。
熾輝の様な探知能力がなくとも、親友の存在をハッキリと感じ取ることが出来た。
「ここには、他の患者もいる…巻き込まないための手段としては最善だな」
病院の外で魔術を発動させた咲耶に称賛を送る。
きっと、面と向かって言われていたら、赤面全開で魔術起動を失敗していたであろうと思うと可憐は、可笑しくなって口元から笑いを漏らした。
「急にどうした?」と、心配そうな視線を向ける熾輝だったが、「何でもないです」と可憐が応える。
しかし、これで被害を心配することなく戦いに専念することが出来る。
咲耶によって展開された魔術は、力を持たない一般人を除く全ての者を異相空間へと閉じ込めるもの…本来であれば、襲撃者のみを閉じ込めたかったところだが、万が一、空間干渉系の力を持つ者が居た場合、直ぐに脱出されてしまう。
なら、襲撃者を異相空間で迎撃した方が合理的だろう。
だがしかし、これで可憐たちを逃がす事が出来なくなったのも事実だ。
故に彼女たちには、敵を殲滅するまでの間、逃げ切るか身を隠しておいてもらう必要がある。
「悪いけど作戦変更だ。安全な場所に隠れていてくれ」
「はい」
本当は、彼女の傍を離れず守っていたいのだが、敵の数が多すぎる。
もしも咲耶が全力全開で魔術を放てば、塵すら残さずに敵を殲滅できるだろうが、それを彼女が出来ない事を熾輝はよく知っている。
だから、決して殺さず敵を無力化しなければならない状況下での防衛線を強いられる形となる。それを覚悟して、熾輝は表情を引き締め、病室を後にしようとした。
「まちなさいよ!」
「………」
病室を後にしようとしていた熾輝を呼び止めて、朱里はその背中を睨み付ける。
対して熾輝は、何も言わずに立ち止まり、首だけを僅かに向けて「用があるなら早く言え」と言葉にせず、冷たい態度で示している。
「なんで助けたの?」
「………」
その問いに熾輝は応える事が出来なかった。
ただ、次に彼女の口から出た言葉に対しては別だった…
「私は咲耶を殺そうとしたのに――」
「あぁ、それだけは絶対に許さない」
底冷えする様な音声には、本気の怒りが込められていて、言葉を遮られた朱里の肩が「ビクッ」と上下し、恐れを抱いた。
だが、ならば何故、熾輝はそんな彼女すら助けたのか。
突き放され、どうやって謝れば良いのか判らず、ただ涙を溢れさせていた朱里の顔を見て、熾輝は深いため息を吐いて一泊…
「理屈なんか判らない…」
「え――?」
「ただ聞こえたんだ…朱里の泣き声も、乃木坂さんを助けて欲しいっていう叫び声も…」
それは、朱里の願い。自分はどうなってもいい。だから可憐だけは助けてくれという本物の気持ち。
たとえ、その祈りが神様に届かなくても熾輝にはちゃんと届いていたのだ。
「気が付いたら助けていた…ただそれだけの事だ」
本当なら言ってやりたい事が沢山あった。怒りのままに罵倒して、心が傷ついていると判っていても、打ちのめす資格が熾輝にはあった。…そのハズなのに、まるで毒気を抜かれたみたいに彼女に対して、怒りよりも慈みしか湧いてこなくなっていた。
「きっと朱里を許す事は出来ない」
「…うん」
判っていた事とはいえ、こうしてハッキリと言葉にされると胸の辺りがどうしようもないくらいに苦しくなる。
「だけど感謝もしている」
「え――?」
聞き間違いかと思った。…許さないと言った熾輝が朱里に感謝をしているとハッキリ言ったのだ。しかし、何故そのような言葉を口にしたのかが彼女には理解する事が出来なかったのだが、その答えは直ぐにやってきた。
「乃木坂さんを守ってくれてありがとう」
不意に覗かせた熾輝の顔は、笑っている様な悲しんでいる様な…そんな表情だった。
ただ、それに対して何かを言って欲しいという訳でもなく、言うだけ言うと熾輝はそのまま病室を後にしてしまった。
「…お礼なんて、言わないでよ」
結局、朱里は謝る機会を逸してしまい、その事を後になって後悔することになってしまった。
しかし、悔やんでいるにしては、彼女の顔は先程までの絶望に染まった物とは違い、まるで憑き物が取れたような表情に変わっていた―――。




