それぞれの覚悟
ダイヤモンドのような結界が校庭に出現し、次いで、空から響き渡る声に誘われて視線を向けた先には…
「みんな…」
天使の翼を背に生やした可憐、神力によって空中を浮遊する燕、そして魔力で編んだ翼を羽ばたかせた咲耶の姿だった。
舞い降りた3人は、結界内に閉じ込められた朱里の変わり果てた姿を目の当たりにして、一様に驚いた表情を浮かべている。
それも仕方のないこと。なにせ彼女の黒く艶やかだった髪から色が抜け落ち、肌に生気を感じられない。まるで小さな年寄りだ。
「朱里ちゃん…なの――?」
咲耶の口から思わず声が漏れた。
本当なら言ってやりたい事が山ほどあったハズだ。
しかし、このような彼女の姿を見せつけられて、罵れるほど咲耶は、強くはない。
「あぁ、朱里だよ。…悪魔に魂を売り渡した成れの果てだ」
ありのままを口にする熾輝に対し、駆け付けた少女たちから悲痛な表情が浮かぶ。
「そんな、助ける事は出来ないんですか?」
「……助ける?誰を?」
「え――?」
可憐の問に、冷え切った音声で応える熾輝。
それを聞いた可憐から間の抜けた声が漏れた。
「助け、ないのですか?」
「………」
再度、可憐から同じ質問をされた。しかし、熾輝は応えず、代わりに沈黙を返した。
「熾輝くん、どうしてですか?どうして朱里ちゃんを助けようとしないのですか――?」
「友達を、…咲耶をあんな目に遭わせたヤツを助けてやる義理は、俺には無い」
今も熾輝の中には、炎が燃え滾り、朱里に対する感情は、怒りしかなかった。
「そんな――」
「そんなこと言わないで助けてあげようよ!」
可憐の言葉を遮り、代わりに咲耶が言った。
その事に、熾輝は驚きを覚える。何故、被害者であるハズの彼女の口から、助けようなんて言葉が出るのか、耳を疑った。
「熾輝くん、…朱里ちゃんの事が許せないの――?」
「あぁ。許せない」
「それは、私も一緒だよ」
「………」
咲耶の言葉を聞いて、熾輝は判らなくなった。
憎いハズの咲耶が何故、朱里を助けようとするのか……その矛盾が熾輝には理解出来なかった。
「朱里ちゃんのせいで、悪魔に憑りつかれた。…人質にされて、熾輝くんに人を……人をッ」
人を殺させてしまった。…そう言いたかったのだろうが、その言葉が、どうしても彼女の口から出せなかった。
「いい、言わなくていい」
苦しそうに言葉を紡ごうとする咲耶の肩に手を乗せて、口を閉じさせようとする。熾輝は、これ以上苦しむ咲耶を見ていられなかった。
しかし、それでも咲耶は、首をフルフルと振り、一生懸命に言葉を続けようとする。
「――私、熾輝くんを傷つけた。…お腹、刺しちゃった」
「アレは、悪魔の仕業だ。咲耶のせいじゃない」
「それでも、私が悪魔に負けたからだよ」
今も鮮明に思い出す。…いや、熾輝を刺した感覚が手に残って消えない。
乗っ取られていたとはいえ、ケリスを通して、見た物は咲耶へとダイレクトに届いていたし、身体が記憶として覚えているのだ。
その事を悔いている咲耶は、唇を噛みしめて、小刻みに震えている。
「…咲耶、今回の事に関して言えば、キミは被害者であって、加害者になり得ない。むしろ、巻き込んだ俺に責任がある。だから、俺の自業自得だ」
あくまでも咲耶に非が無い事を強調するように、言葉を選びながら話す。
「でも――」
「だから、この件は、俺が片を付ける」
「え――?」
これ以上の問答は、不要だと言わんばかりに、熾輝は話を打ち切ろうとする。
そして、シルバーの弾倉を取り外し、最後の切札である付加の魔弾が装填されている事を確認した。
先ほどは、思いがけない事でトドメを刺せなかったが、今は心も落ち着き、指先も問題なく動く。だから、次に撃ち込む弾がハズレる事はない。
「まって!私は、…私は、もうこれ以上、熾輝くんに人を傷つけて欲しくないの!」
「………」
あのとき、自分のせいで熾輝を人殺しにしてしまった。
だからこそ、もうこれ以上、熾輝に人を殺してほしくない。それが咲耶の願いだった。しかし…
「俺のためっていうなら、間違ってる」
「え……?」
予想もしていなかった答えに、咲耶は固まったまま動けなくなった。
「俺を殺しに来たヤツをわざわざ見逃す事は出来ない。だから、殺すときは殺す。それが例え誰であろうと…」
熾輝の決意は揺るがない。その覚悟を体現しているかのように、言葉に重みを感じた。
――たとえ、それで彼女たちから嫌われる様な事になろうとも、災いの眼は確実に、今ここで摘み取る。
シルバーを握る熾輝の手に力がこもる。
そして、ゆっくりと朱里の眉間に照準を合わせようとした熾輝の身体を咲耶が後ろから抱き着いて、静止した。
「…さく―――」
「お願い、そんな悲しい事を言わないで」
追い縋る咲耶の声が震えていた。
「熾輝くんは、これから先も、ずっとそうやって生きていくつもりなの?」
「………」
「敵だからと割り切って、…そんな事でしか、誰かを判断できないの?」
咲耶の言っている事は、正直、甘いと思った。そして、つい先ほどの自分を見ている様で、怒りが込み上げる。
もしも、この甘さを早々に捨てていたならば、彼女をあんな目に遭わせる事も無かっただろうと。
だから、甘さを捨てて、相手を殺す覚悟を決めた。なのに…
「熾輝くんがどんな思いで、朱里ちゃんと戦っているのか。それを簡単に判るなんて私には言えない。だけど、そんな生き方をしていたら、いつか本当に大切なものを失っちゃうんだよ」
例えなんと言われようと、嫌われようとも揺らぐわけにはいかない。
この手で朱里を殺し、災厄の芽を摘む。
その堅牢だった覚悟が、頑なだった心が、咲耶の言葉で、ボロボロと崩れ始める。
――駄目だ。これ以上、耳を貸しちゃあ駄目だ。じゃなきゃ、また同じことを繰り返してしまう
覚悟を宿した熾輝の眼の色が揺らぎ、次第に失う事への恐怖が色濃くなっていく。
だからこそ、無理やりにでも咲耶を振り払おうと力を込めようとした矢先、頬を駆け抜ける衝撃……。
パアアァアアンッ!と乾いた音に、その場の誰もが呆気に取られていた。
「つばめ――?」
キョトンとした表情を浮かべ、目の前の少女を見る。
「目ぇ覚めた?」
一瞬、何を言われているのか理解出来なかった。
思考は正常に働いているし、今の状況だって誰よりも理解出来ているつもりだ。
なのに叩かれた。思いっきり不意打ちのビンタだ。…正直かなり痛かった。
「お、俺は寝ぼけてなんか――」
「うそ」
反論する熾輝の唇に、そっと人差し指を置いた燕がそれを否定する。
その行為に心臓の鼓動がドキッと高鳴る。
状況的にドキドキしている場合ではないのだが、致し方ないと言える。
だがやはり、ここで立ち止まっていては、いつまで経っても状況は解決しない。
だから、燕の手を退けようとした。しかし…
「ねぇ、熾輝くん。熾輝くんは、何で朱里ちゃんを殺そうとするの?」
「それはッ――」
それは、皆の為だと喉元まで出かかって、それを呑み込んだ。
もしも、それを口にしてしまえば彼女たちに重荷を背負わせる事になる。
「…それは、俺の命を狙ったから。見過ごせば、また命を狙われる。そうなる前にここで終わらせる」
「ウソだね」
間髪入れずに熾輝の言葉を否定して、あろうことか嘘を見破った燕に対し、驚きを覚えたが、努めて表情には出さないようにした。
「熾輝くんの性格から考えて、本当に見過ごせなかったなら、こうなる前に手を打つハズだもん」
「それは…」
「そうしなかったのは、きっと朱里ちゃんと友達になりたいと思ったから」
「………」
まるで心を見透かしているかのように、熾輝が考えていた事を言い当てていく。
「それでもって、熾輝くんが朱里ちゃんを殺そうとしているのは、私たちのため」
「………違う」
「なら、何で手を打たなかったの?」
「………」
燕の問に応える事ができない。
結局、熾輝は燕に心の内を言い当てられ、それを論破する言葉を持ち合わせていないのだ。
その事実を崩す事が出来ない限り、彼女は引き下がってくれないだろう。
「熾輝くん、……熾輝くんは本当はどうしたいの?」
「どう――?」
「うん。…朱里ちゃんを殺さなきゃ、また同じことが繰り返される。だから、ここで終わらせる」
そこまで判っていて、自身の覚悟を理解して何故、阻もうとするのか。熾輝にはそれが理解出来なかった。
「そうだ。だから俺は―――」
「でもそれって、無理やり理由を付けて朱里ちゃんを殺すっていう選択肢しか選ぼうとしていない様に聞こえるよ?」
「え――?」
自分が選んだ道――
しかし、それは、朱里を殺すと言う結論を先に付けて、後付けの理由で覚悟をした気になっていた。……それを熾輝は否定できない。そして、燕はそれを見抜いていた。
「じゃあ、質問を変えようか」
「………」
いったい何を言われるのか、燕の考えが読めず、熾輝は身構えた。
「朱里ちゃんを殺したい?それとも殺したくない?」
その質問に思わず息を飲んだ。
殺したいかと問われれば、覚悟を持った以上はYESと答えられるハズ。
しかし、熾輝の覚悟は【殺さなければならない】であって、【殺したい】ではないのだ。
だからこそ、そこに迷いと矛盾が生まれる。
だからこそ、あの時、肝心なところで朱里にトドメを刺せなかった。
「俺は………」
口を開いては閉じて、何かを言おうとするも、言葉が見つからない。
「迷っているなら、熾輝くんに朱里ちゃんを殺す事は出来ない。ううん、殺しちゃダメなんだよ」
「………」
「きっと後悔するし、どうしようもなく苦しくなる」
「だから」と、燕は熾輝の頬を両手で触れると、額をコツンと当てて…
「助けよう。…殺す覚悟じゃなくて、救う覚悟を決めよう」
「救う――?」
「そうだよ。上手く言えないけど、きっとそっちの覚悟の方が簡単で楽ちんに決められて、そんでもって、みんなが笑っていられるハズだから」
その瞬間、熾輝の内で燃え滾っていた憎しみの炎が嘘の様に消え去り、視界が一気に開けた気がした。
「俺は……僕は、……朱里を殺したくない」
「うん」
「咲耶を傷つけられたのに、朱里を助けたい」
「うん。あとで思いっきり文句をいってあげよう」
「朱里のヤツ、僕を悪者みたいに言いやがって」
「うん。それも全部含めて、お説教だね」
熾輝の中で渦巻いていた恨み辛みが内から消えた代わりに、ポロポロと口からこぼれ出てくる。
よほど頭にきていたのであろう。そして…
「…みんな、すまなかった」
絞り出した言葉は、いつもの熾輝の物だった。
そこに、憎しみに捕われていた時の彼はいなくなっていた。
「おかえり…ていうのは変かな?」
「全然変じゃないわよ。熾輝ったら、マジで歯止めが利かなくなっていたもの」
先ほどまで何も言わず、行く末を見守っていたアリアが杖形態を説いて実体化すると、安心したような表情を浮かべて言う。
「ほらッ、ちゃんと返事を返しなさいよ」
「…ただいま」
バンバンと背中を叩きながら要求するアリアに後押しされ、バツが悪そうな表情を浮かべながらも、それでも熾輝はしっかりと返事を返した。
「咲耶、乃木坂さんもゴメン。僕はどうかしていたみたいだ」
「いいえ、いつもの熾輝くんに戻ってくれて良かったです」
「私も…ごめんね。それと、…おかえり」
「うん。…ただいま」
今度の「ただいま」は、先ほどのバツが悪かったものよりも素直に返す事が出来た。
「それで、これからどうするの?」
「そうだよ。何とかして朱里ちゃんを助けなきゃ!」
「何か策はあるのですか?」
策、と問われて、熾輝は難しい表情を浮かべると、首を横に振って応える。
「正直言って、厳しい。状況は最悪だ」
「…やっぱり、そうよね」
絶望的な状況を口にした熾輝に同意を示すアリア
「えっと、アリアの破邪の光でもどうにかならないの?」
「私の力は、邪悪なエネルギー体に対しては、絶対的な力を持っているわ。けどね…」
「けど、悪魔という存在を一括りにはできない」
言い淀むアリアの言葉を引き継いで熾輝が捕捉を加えていく。
「あの、私には良く判らないのですが、悪魔と言うのは幽霊みたいなものとは違うのですか?」
「悪魔にも階級っていう物があって―――」
熾輝の話をまとめると、
〇 下級悪魔…エネルギーで構成された、いわゆる幽霊に近い存在
〇 中級悪魔…下級よりも上位の存在で、肉体を持つ事ができる悪魔と精神体で存在する悪魔の2種類がいる。
〇 上級悪魔…中級よりも上位の存在で、太刀打ちできる人類も限られるくらい強い。
もはや神レベル―――
「――ていう感じで、精神体の悪魔ならアリアの力で一掃できるんだけど、厄介なのは、ここからなんだ」
「厄介…ですか――?」
「うん。そもそも悪魔と名が付いているけど、悪魔の存在全てが邪悪であるとは限らないって事で、上級の悪魔ともなれば、それが尚の事顕著なんだけど……」
「「「???」」」
少女達の頭の上に同時に疑問符が浮かび上がる。
「え~っと、邪悪っていうのは、読んで字の如く、ヨコシマなアク…けど、悪魔と呼称される存在は、人間が勝手に決めたルールに当てハメると悪に該当する魔性の存在…だから悪魔なんだ」
「「「???」」」
「え~~っとぉ……」
専門知識に乏しい3人に対し、なんとか判りやすい説明を模索する熾輝ではあるが、理解出来る様に言語化するにも限界があるようで、眉間にシワを寄せて、かなり苦悩している様子が覗える。と、そのとき…
「ようするに、こっちが悪って思っていても、相手が悪いって思っていないのよ」
「し、紫苑姉さん――?」
頭を抱えて悩んでいた所へ現れた紫苑の顔を見て、熾輝は驚きの表情を浮かべたまま固まった。
遠巻きには、双刃と羅漢の姿もある。
如何に狼狽えていたとはいえ、自身の式神の存在に気が付かないとは、それほどまでに余裕がなかったと言える。
「熾輝、アンタはもうちょっと、感覚で物を言う事を覚えなさい。インスピレーションは大事よ?」
あきれ顔を浮かべながら、さもこの場に居る事が当然の様に振る舞う紫苑は、更に続ける。
「相手は息をするのと一緒で自然に悪い事をする…っていうのは、人間の常識に当てはめただけ。アイツらには善悪が無いから邪な心すらないの。無いものに浄化もへったくれも無いのよ」
紫苑の説明を受けて、3人の疑問符が蹴散らされた。
ただ、彼女の説明は、大分専門的な知識をすっ飛ばしたものであり、尚且つ上級悪魔に限られる。…のだが、折角解消された疑問を蒸し返すような事は、熾輝もしない。というよりも後が怖いので、出来ない。
「それで――?」
「……え?」
「小難しい理屈をコネていた様だけど、結局、どうすれば、あの子を救えるのか、見当は付いたの?」
まるで、今までの経緯を見て来たかのような口ぶり。
だが、彼女は、たった今、この場に到着したのは、間違いない。
にも関わらす、大まかな状況を把握していると言うのは、恐るべきと言う他ない。
ただ、紫苑がどうやって状況を把握していたかについては、置いておくとして、熾輝は応える事が出来なかった。
そんな熾輝の様子を見ていた紫苑は、腰に手を当てて深い溜息を吐いた。
「本当に1つも無いの?」
「…はい」
「本当に本当?」
「……ありません」
「うそね」
「え――?」
しつこいくらいの尋問。しかし、紫苑は、熾輝の答えを否定した。
「1つもない…というのは、絶対に在り得ない。アンタが口にしないって事は、成功率が低いか、リスクがデカいかのどちらかか、あるいは両方ね」
「………」
「沈黙はYESって事ね」
まるで心の内を見抜いているかの如く、紫苑は熾輝の思考を読む。
そして、その様子に話を聞いていた咲耶達も驚きの表情を浮かべると同時に、何故、熾輝が頑なに作戦案を出さないのかが気になっていた。…のだが、その答えは直ぐにもたらされた。
「何をためらっているの!目の前で女の子が死にそうなのよ!」
熾輝の胸倉を掴み、額同士がぶつかる。
「アンタは、さっき、あの子を助けるって決めたんじゃあないの!」
「…決めた…けど、確実に助けられるか判らないんです!」
「だから、やらずに諦めるの?」
「それだけじゃない!アプローチを掛ける方も無事でいられない可能性の方が高いんです!だから、より可能性の高い方法を考えているんだ!」
「…それで?その可能性の高い方法ってのは見つかったの?」
紫苑の質問に、熾輝は首を横に振って応える。
いくら考えても思い浮かばないのだ。
どんな方法もリスクが伴う。
そのリスクと言うものが自分だけに及ぶのなら、まだいい。
しかし、実行するにしても、此処に居る彼女たちの力が絶対に必要不可欠になる。
つまり、熾輝は彼女たちに危害が及ぶことを恐れているのだ。
その恐れが、判断を鈍らせ、実行に移せなくさせていた。
そんな熾輝の怯えたような表情を見ていた紫苑は、掴んでいた胸倉を突き放すようにして手放した。
そして、長い髪の毛を掻き揚げ、片方の手を腰に当て、左足を少し前に出した紫苑…まるでモデルのポージングの様だ。
「だったら、アンタが守りなさい」
「え――?」
「アンタが大切に思っているなら、全力で守れって言ってるの!」
「でも――」
「漢だろ!言い訳ばっかり考えていないで、ちったあ彼女たちの事を信じてやれよ!」
言われて、振り向いた。
そこには、何か、覚悟を秘めた少女達の表情が並んでいる。
「………本当に成功するか判らないんだ」
「それでも、私は朱里ちゃんを助けたいです。…このまま何もしない何ていう選択肢、私には、ありません!」
「……みんなを危険に合わせるかもしれない」
「例えそうでも、私たちが熾輝くんを守るよ。…だから熾輝くんも私たちを守って」
「…一か八かなんだ。判っているの?」
「ゼロじゃない。可能性があるなら、私たちは、ここで戦わなきゃ」
それぞれの覚悟を聞かされた。
「熾輝、アンタはどうなの?」
「僕は……」
深く、深く考えた末に、熾輝もまた、覚悟を決めた。
「上等だ。やってやる!」
ギラギラとしたその眼を挑戦的で好戦的と見て取った。しかし紫苑は満足そうな笑みを浮かべると
「よく吠えた!」
愚弟の覚悟を褒めたのだった―――。
◇ ◇ ◇
世界が満たされていく…
それは怒り…それは痛み…それは苦しみ…
世界から失われていく…
それは喜び…それは愛しみ…それは希望…
絶望が支配する……ここは、まるで地獄だ…
怒りの炎に身を焦がし、全身が焼けただれて痛い。息が出来ない苦しみが永遠に続く。苦痛だけがやたらと鮮明だ。
永遠の絶望、永遠の苦しみ、永遠の地獄…
この苦痛はいつまで続くのか…
―(たすけて…)
悪魔にこの身を捧げた者が、おこがましい。
―(くるしいよ…)
罰を受けなければならない。それだけの事を彼女は、したのだから。
―(こわいよ…)
孤独に苛まれようとも、全身を…魂を侵されようとも、罪は消えない。
―(だれか…)
もしも、彼女…城ケ崎朱里が許されるのだとしたら、救えるのだとしたら
それはきっと、……
『――、―――、―――』
歌声が聞こえた。
絶叫木霊するこの世界においては、異質で奇怪――
しかし、失われゆく喜びと愛しみ、そして希望を呼び覚ます復活の歌声――
その歌声に朱里の意識が引っ張られた、そのとき…
『魂の牢獄――!!』
牢獄とは名ばかり、その魔術は内と外から霊体を守る魔術。
―(なに?)
朦朧とする意識では、状況が呑み込めない。そして、次なる術が行使された…
『履歴閲覧――!!』
地獄の風景の消失…一撃で地獄を消し飛ばした魔術によって、世界が切り替わる。そこは…
『――シューちゃん、…私の可愛いい朱ちゃん。おいで…』
―(ま、ま――?)
『おいで、良い子ね――』
―(まま、…ママ…ママああぁああッ――!!)
彼女の目の前には、あの日、二度と会えなくなった母親の姿があった―――。
◇ ◇ ◇
『――本当に、これでよかったのかい?』
電話口から気遣う様な声音が聞こえてくる。
しかし熾輝に気にした様子はなく、ただ短く「あぁ」と答えるだけだ。
『次の周期は、7年後だ。それまで、キミは……』
「しつこしぞ遥斗…」
そこまで言いかけて、言葉を切られる。
そして、諦めたかのような溜息が電話口から聞こえてくる。
『キミがそれでいいなら、これ以上は、何も言わないよ』
「すまない…」
『いいさ、みんなが無事に帰ってきてくれれば』
「あぁ、また後で」
「うん。…あとで――」
やり取りを終えて通話が切断される。
目の前には、依然として体内に悪魔を宿した朱里の姿…
しかし、状況は一転している。
先ほどまで顕現していたハズの悪魔の権能が鳴りを潜め、今はピクリとも動かない。
空を見上げれば、星の瞬きが不自然に湾曲し、朱里めがけて降り注いでいる。
「星の記憶…」
ポツリとつぶやくと、溜息を一つ吐いて前を向いた熾輝の表情に迷いはなかった―――。
◇ ◇ ◇
少女は歌う――。
友のために歌い続ける――。
―(朱里ちゃん……このままお別れなんて許しません!)
どんなに酷い事をされたとしても、救わなければならない――。
それは、偽善でも、ましてや正義感ですらない。
―(ごめんね。…ごめんね朱里ちゃん。…気が付いてあげられなくって)
心配だった――。
朱里の事が――。
―(私は、朱里ちゃんの事を考えてあげられませんでした)
あの日、ただ一方的に彼女を叱責した。
あの時、一方的に熾輝の事を知ってほしいと無理強いをした。
―(本当に寄り添ってあげるべきは、朱里ちゃん。…アナタの方だった――)
可憐は、城ケ崎朱里という少女を理解しようとしていなかった。
それなのに、八神熾輝を理解してもらおうと、自分の考えを押し付けた。
―(朱里ちゃん。…私は彼方と―――)
可憐は歌う――。
この世にきっとあるハズの奇跡に届けと…
自分で考え、自分で決めて、使徒としての能力を行使する――
その想いを歌に乗せて……いつしかその祈りが力となる――。
◇ ◇ ◇
「――燕ちゃんは、すごいね」
「なにが――?」
杖を構え、淀みなく魔力を循環させていた咲耶がポツリと呟く。
「私じゃあ熾輝くんを止める事が出来なかった」
「そうかな…?」
「そうだよ……どんなに頑張っても、私じゃあ縋るだけ…きっと熾輝くんも、ただのワガママにしか思っていなかったハズだよ」
『………』
あの時、熾輝を止めたのは咲耶ではなく、燕の目の覚める様な一撃……から続く言葉だった。
自分と燕は、一緒ではないと、理解せざるおえなかった。
同じ人を好きになっても、その想いは燕に負けていたと認識した。
そんな咲耶と燕のやり取りをアリアは、黙って杖の状態のまま聞いている。
「だから、熾輝くんには燕ちゃんが必要―――ッ」
「それ以上は、口に出しちゃダメだよ」
必要なんだ……そう言いかけた咲耶の言葉を燕は、無理やり遮った。
「一度口にしてしまえば、元に戻らなくなる事だってあるんだよ」
「………」
ジッと咲耶を見る燕の目は、真剣そのものだった。
「咲耶ちゃんも熾輝くんを好きになったんだね」
「…え?えええぇえええッ――!!?」
『ちょッ!?咲耶!魔力のコントロールが乱れているわよ!』
「ご、ごめん!だ、だって!」
突然、自身の想い人を言い当てられた事に驚き、思わず循環させていた魔力の流れを乱しそうになり、アリアが慌ててフォローに入る。
そんな咲耶を見て、「やっぱりね」と燕は声を漏らした。
「私たちは、同じ人を好きになった。でも、その想いに上も下もないんだよ?」
「…でも、実際に熾輝くんを止めたのは燕ちゃんだし――」
「それで、熾輝くんへの気持ちが計れるって、咲耶ちゃんは本気で思っているの?」
「それは……」
それは違う…と、咲耶は即答出来なかった。
なぜなら、先ほどまで、燕に対し、敗北感を抱いていたから…。
つまり、燕の言う通り、どちらが熾輝を止められるかで、想いの強さを計っていたに等しい行為だからだ。
だが、咲耶とて最初からそんな事を思って熾輝を止めようとしていた訳ではない。
結果からして、そういう考えに至ってしまっただけなのだ。
「もしそうなら、咲耶ちゃんは恋敵には成り得ないね!|眼中にない(アウト オブ ガンチュー)だよ!」
「ぅ……」
「勝手に好きになって、勝手に失恋した気になっているだけのモブだね、モ・ブッ!」
「ぅぅ……」
「それこそ、好きだっていう気持ちも、勘違いだったんじゃあないの―――」
「それは、本当だもん!」
言いたい放題の燕、そして言われ放題の咲耶だったが、遂に反旗を翻した。
「私だって熾輝くんの事がすっ!す・す、スス…スキだもん」
『ワオ♪』
勢いよく「事がすっ!」まで言った咲耶であったが、最後の「スキだもん」が偉く小さくなったのは、彼女の性格故だろう。
だがしかし、それでも遂に咲耶の口から好きという言葉が聞けて、何故かアリアのテンションが上がった。
「燕ちゃんは、私がイヤじゃないの――?」
「何で――?」
「…友達が同じ人を好きになったんだよ?それって、裏切りじゃないかな?」
「え?違うでしょ」
即答であった。
今まで、その事だけを気に病み、自身の想いに蓋をして、気付かれない様にと努力してきた自身はなんだったのだと…
あまつさえ、燕は咲耶の想いには、とっくに気が付いていたと言う始末。
ちなみち、咲耶の気持ちは、燕だけでなく、可憐と燕も気が付いてはいた。
「逆に聞くけど、私が熾輝くんを好きでいて、私の事がイヤだったの?」
「そ、そんな事ないよ!」
「じゃあ、裏切り者だと思った?」
「思ってない!…でも、先に好きなったのは、燕ちゃんだし……」
矛盾した解答をする咲耶を燕は、困った娘を見るように見つめる。
「あのね、私は嬉しい…ていうのは、少し違うかもしれない。けど、私が好きになった人は、皆が好きになる様な素敵な人なんだって思うの」
燕は、今の気持ちを嘘偽りなく語り始める。
「もちろん、私は熾輝くんにとっての1番になりたいと思うし、他の誰かにそれを奪われたくはないよ」
「じゃあ、どうして――」
「でも、それで誰かが熾輝くんを好きになる事が許せなくなる事はない!別の話!いや、別次元の話!」
一見矛盾しているような気がした咲耶であったが、燕にとっては、もはや議論する余地すら無いような事らしい。
「だって、好きになっちゃったんだもん。仕方がないよ」
「そんな、…そんなのでいいの?」
理論的に話すより、元来、燕は力技で押し切るタイプらしい。故に…
「いいんだよ。だって…制御不能だから恋心なんだよ」
その一言だけで、咲耶は救われた気がした。
今まで、自分は酷い裏切りをしているのではないか。
友達が好きな人を好きになる…そんな不義理な事をしてはいけない。
そういった凝り固まった彼女の考えが間違っていたとさえ思わせる。…そんな衝撃を受けた。
「…ありがとう、燕ちゃん」
だから、迷わず進むことが出来る。
自分も彼を好きでいて良いのだと思える様になった。しかし…
「まぁでも、熾輝くんの一番は渡さないからね?」
彼の1番は自分だと、咲耶を恋敵として認めたのか、面と向かって宣戦布告をする燕は、やはりアリアの言っていたとおり、ラスボス並みに強い。
だがしかし、そんな燕に対し、咲耶は…
「いいよ。一番はゆずってあげる」
「え――?」
「そのかわり、熾輝くんの特別は、私のものだからね」
「…言ってくれるじゃん」
バチリッ、と二人の間に火花が散る。
1人の男を巡る女の子同士の熾烈な戦いが繰り広げられている中、それを傍観していたアリアは、杖の状態のまま『ヒュ~♪』と器用に口笛を吹きならしていた。
「――なんの話をしているの?」
「「ッ――!!?」」
そんな彼女らの元へ、遥斗との連絡を終えた熾輝が戻ってきた。
急に現れた熾輝に驚き、2人してビクッとしつつ、「なんでもない」と慌てて苦笑いを浮かべる。
「そう――?」
これからの事について、おそらくは緊張でもしているのであろうと勝手に解釈した熾輝は、それ以上追及することはなかった。
「それじゃあ、2人とも…準備はいい?」
「「うん」」
熾輝の時に2人は、ハモって応えた。
「正直、成功するかは、判らない」
「大丈夫、私たちが付いているよ」
自分が打ち立てた策に対し、未だ自信を持つことが出来ない熾輝だった。
だが、燕はそんな不安を打ち消すように言葉を贈る。
「万が一の場合は、僕が全力で皆を守る」
「なら、私たちが全力で熾輝くんを守るよ」
熾輝だけに責任を負わせない。
熾輝だけを戦わせない。
皆が皆を、皆で皆を守るのだと、…1人で戦っているのではないのだと咲耶が教えてくれた。
「…ありがとう」
「「うん!」」
その想いに応えるかのように、熾輝の瞳に覚悟という炎が灯る。
「行こう燕…朱里を救いに」
「はい!」
熾輝と燕…互いに手を取り合い、決して離さぬように力強く握る。
「いくよ2人とも…」
咲耶から膨大な魔力が放出され、彼女の魔導書【|不朽の願い(エヴァ―グリーン)】が呼応するかのようにバラバラとページが捲られ、1つの魔法式が展開された。
それは、古の大魔導士が未来に託した奇跡の術式…
想いを繋ぎ、心を繋ぎ、絆を繋ぎとめる大魔術。その名は…
「以心伝心ッ―――!!」
友を救うため、今、熾輝と燕の精神が悪魔によって支配された朱里の心へと旅立った―――。




