熾輝vs朱里
殺気をぶつけ合った2人は、同時に動いた。
一方は魔力を発現させての魔術による遠距離攻撃。
一方はオーラを纏っての近接攻撃。
当然、お互いの戦術が正反対であれば、魔術を扱う朱里は熾輝を近づけまいとし、熾輝は朱里に近づこうと動く。
この戦闘において、熾輝は朱里との間合いを潰さなければならず、その間、遠距離攻撃を避け続けなければならない。
飛来する魔弾は、流石天才を事象するだけあって、咲耶が放つ物と比べても弾速・弾数が桁違いだ。
しかし、それでも目で追えない訳ではない。
見える弾など、熾輝にとって脅威なり得ないのだ。
慣性を付けたステップで朱里を翻弄し、その距離を着実に潰す。
「やるわね。でも、これならどう!」
突如、熾輝を基点にして、半径10メートルの地面から魔力で形勢された支柱が幾つも飛び出して来た。
単純に見れば、捕まえきれない熾輝に対し、範囲攻撃を仕掛けたと視えなくもない。
しかし、それにしては、支柱の出現速度が明らかにダメージを与えられるとは、思えなかったのは、気のせいではない。
支柱の出現と平行して行われる魔弾による連射攻撃。だが、先ほどまでと違うのは、熾輝を囲む支柱に阻まれて、回避行動が取りずらくなっていることだ。
回避しようにも、まるで密林の如く建ち並ぶ支柱に動きを阻害されて、テンポが遅れる。加えて…
ボンッ!
と支柱の1つが炸裂して、風圧が熾輝を襲う。
「支柱の中に引火性のガスを発生させ、魔弾で着火する仕組みか…」
支柱をよく見れば、中は空洞になっており、魔術を起動させた際に取り込んだ砂埃が内部の気流で舞っていた。
「ご名答!早くそこから出ないと、爆死するわよ!」
朱里は、砲門を増やすようにして、自身の周りに魔法式を複数展開させると、熾輝をハチの巣にする勢いで、一斉射撃を仕掛けた。
「それは、どうだろう…」
言って、熾輝は支柱の陰に身を潜め、魔弾をやり過ごそうとする。
「馬鹿ね!さっきの爆発を見ていなかったの?」
熾輝が身を隠した支柱内部には、今も引火性のガスが充満している。
当然、魔弾が支柱に当たれば、爆発が巻き起こり、熾輝を吹き飛ばす……ハズだった。
「なッ、爆発しない――!?」
支柱に弾かれた魔弾を目にして、驚愕と共に信じられないと言った表情が朱里から浮かぶ。
「複数展開が雑だな。魔力に均一性も無ければ、強度もバラバラ……」
呆れを含んだ溜息が漏れる。
「広域展開に馬鹿みたいに魔力を注ぐからこうなる」
言って、コンコンと叩いた支柱には、魔弾を撃たれたにも関わらず、傷一つ付いていない。
そして、隣にあった支柱に裏拳を放つと、支柱がボロボロと砕け散った。
「なるほど。結界魔術を利用して、爆弾モドキを作ったのか」
術式を見て、ポツリと呟く。
事実、出現した支柱の術式は、結界に用いられるものだった。
おそらく、本来は、1つ1つの規模は、人が入れる位には大きく、外敵から身を守る障壁の役割を担うための術式。にも関わらず、朱里はそれを引火性ガスを閉じ込めるための容器として利用した。
「こんな回りくどいやり方をするのは、攻撃魔術に余程自身が無いと言う事か――?」
「……さぁね」
ギクリと言っているかのように、朱里の顔が僅かに引き攣る。
『わかりやすい…』と心の中で吐き捨てると、再び動き出す。
「だったら、魔弾の威力を高めればいいだけでしょう!」
「無駄だ…」
朱里から放たれる魔弾が、射線上で弾け飛んだ!
「ッ、出したわね、拳銃!」
熾輝の手に握られていたシルバーからゆらりと白煙が上がっている。
朱里は、連続で魔弾を打つが、その尽くが銃弾によって弾かれる。
魔弾と言っても、銃器並みの弾速が出る訳ではない。精々が時速150kmが良いところ。
しかも、弾の大きさも野球ボールとそう変わらない。
これならば、術式で先読みの出来る熾輝にとって、撃ち落とすのは容易い。
「朱里以上の敵を、今までに腐るほど相手してきたんだ。諦めて降参しろ。そうすれば命だけは―――」
「バッカじゃないの!」
最後通告として、投降を呼びかける熾輝ではあったが、それを朱里は拒絶する。
「この戦いは、どちらかが死ぬまで終わらないのよ!私がママの仇を討って、アンタは死ぬの!」
「……そうか」
熾輝の最後の温情は、無駄だった。…いや、そもそも朱里が受け入れるとは思っていなかったのか、熾輝に戸惑いはない。
「だったら、キミが死ね。咲耶やみんなを巻き込んだ事を後悔させてやる」
「それは、こっちの台詞よ!」
朱里から新たな魔法式が構築されると、彼女を守る様に円形の障壁が発生した。
つづいて、もう1つ…今度は熾輝と朱里を閉じ込めるドームの様な障壁が展開された。
「それで閉じ込めたつもりか?」
ドーム状の結界内に閉じ込められた熾輝ではあったが、もとより逃げるつもりなど毛頭ない。
今はただ、朱里を殺す事だけを考えるのみ。
結界の維持に意識を回している隙に、朱里へと近づきつつ、シルバーの照準を合わせると、躊躇なく引き金を弾いた。が…
バシンッ!――と、弾かれる。
「………」
「無駄、無駄!アンタが銃を使う事は判っていたわ!だから、銃にも耐えられる結界を張ったんだから―――」
バシンッ!――と、朱里の声を遮るようにして撃たれた弾丸は、再び弾かれる。
バシンッ!――バシンッ!――バシンッ!
銃弾に込めるオーラの量を増やして放つも、その全てが尽く障壁に弾かれる。
――やっかいだな。
魔術師との戦闘において、敵に障壁が張られてしまうということは、圧倒的不利であるといえる。
遥斗との戦闘においても、熾輝は最後まで障壁を壊す事が敵わず、最終的に波動の力で打ち破った。
だから、魔術師対能力者の戦いにおいて、能力者が勝つには、障壁を壊しえる攻撃力を持つことが必須条件になるのだ。
「フッ、…勝負あったわね!アンタの力じゃあ私の障壁を破れない!でも、私は攻撃を打ち放題!」
勝機を見た朱里は、ホッと息を吐き、形勢逆転を告げる。
「一方的に蹂躙して、アンタを苦しめて殺してやる―――」
コツンッ―――と、軽い音が鳴り響いた事により、朱里の言葉が止まる。
障壁に何かが当たった。…そう認識して障壁を見るも、傷一つ付いていなかった。
「なんだ?」と、足元に転がる物体に視線を向けて、思わず息が詰まった瞬間………
ドカ―――ンッ!!!
凄まじい音と共に、爆炎が巻き起こった。
その熱量は、摂氏1500度に届くと言われる地獄の科学兵器。
その名はナパーム弾――。
「ッ、なんてヤツなの!こんな物まで使うなんて!」
粘度の高いゼリー状の液体が飛び散り、それが燃え続けている。
朱里が張っていた結界にも粘液が張り付き、そこから炎が燃え上がっている。
しかし、咄嗟に結界を強化させた事が功を奏したため、彼女が張っていた結界には傷一つとして付いていない。
流石の朱里も銃弾を弾き返す事は出来ても、爆弾から身を守れるのかどうかが自信がなかったため、全力で結界を張った。つまり―――
「つまり、今が朱里の全力による結界。それを破れれば、俺の勝ちだ――」
「ッ――!!?」
爆炎に身を隠し、技発動までの時間を稼いでいた熾輝は、既に間合いに入っていた。
腰高に構えられた拳には、全身のオーラが一箇所に集中している。
言うまでも無いが、一点集中した攻撃力は、爆発的に跳ね上がる。
しかし、これでは、今までと変わらない。
遥斗との戦闘を経て、魔法力の強い相手が張る結界を破る事が出来なければ、勝負にならないと悟った熾輝が、佐良志奈円空の元で編み出した新たなる必殺技。
拳に集中させたオーラが収束を開始していく…
エネルギーの密度が凝縮され、高まる…
そして放たれる技の名は…
「結界破りの封殺拳―――ッ!!!」
「なッ―――!!?」
朱里の手持ちの中でも最硬度を誇る結界が、たやすく破壊され、2人の距離が完全に潰れた。
結界を破壊され、朱里を守る壁は、何処にもない。
慌てて距離を取ろうとした朱里だったが、それよりも速く、熾輝の拳が彼女を捉え、腹部に激痛が走った。
「ぅッ―――!!?」
かつて経験した事のない痛みに、苦悶の表情を浮かべた朱里の顔に間髪入れず、拳が打ち込まれる。
「ア゛ア゛ッ――!!」
痛みに悶え苦しみながら地面を転がる。
胃からせり上がる嘔吐感、頬を殴られた衝撃。
それら全てが彼女にとって未経験の痛みとなって、苦痛を強いる。
それも当然のこと、彼女は魔術師であって、武術家ではないのだ。
今まで、殴り合うような喧嘩だってした事のない朱里が、その痛みに抗う術を持つはずもなく、ただひたすらに痛みに耐える事しかできない。
「――立てよ朱里。咲耶が味わった痛みは、そんなもんじゃあないぞ」
深く静かな怒り。…それでいて、非情な程に冷たい声…
「ナ゛ニが、ザグやの痛みよ!アンタが殺したんでしょう!」
「そう仕向けたのは、お前だろう」
朱里は知らない…熾輝が咲耶から引き剥がしたケリスを滅殺して、ここまで来たことを――
彼女は、ケリスを倒すには、咲耶もろとも殺さなければ熾輝が生き残る道は無いのだた思っていたからだ。
ただ、その誤認を正してやれるほど、今の熾輝は優しくはなかった。
だから、咲耶が無事でいる事は、敢えて言わないし、もしも、言ったら裏で手を引いている者が、また彼女を狙う可能性を危惧していた。
「笑わせないで!結局、アンタは自分可愛さに咲耶を殺した!この偽善者がッ――!!?」
地べたに這いつくばりながら毒を吐く朱里の腹部に足が突き刺さる。
「オエエェエッ」という耳障りの悪い声と共に、彼女の口から胃の内容物が外へ吐き散らかされた。
「ゴチャゴチャうるせえんだよ。母親の復讐?知った事か。お前は、踏み越えちゃあならない一線を踏み越えた外道だろうが」
「私が、…外道ですって――?」
「そうだろう?俺が神災を引き起こしたヤツの子供で、共犯者だったとしたら、お前も同等の外道だ」
「ッ、違う!私はママの仇を討つためにッ――!!?」
倒れ伏しながらも叫ぶ朱里の顔面横で、地面が爆ぜた。
そこには、拳が打ち込まれ、地面が抉られた様に陥没している。
まるで聞く耳持たないと言いたげに、彼女の言葉を掻き消すように…
「それと咲耶に何の関係がある?」
「あ、あの子は、アンタを大切に思っていた!それだけで十分過ぎる程の罪よ!それに、アンタにとっても咲耶は、大切な人!なら人質としても価値がある!それだけで、私の復讐の道具としての価値があった!復讐と引き換えなら安い命よ!懺悔なら後でいくらでもしてやるわ!」
朱里の頭の中は、もはや復讐の事しか考えられていない。
そこに人としての当たり前の道徳的観念など微塵も無い。
だから、自身が外道に落ちた事すら気が付いていなかった。
「かち…?………安い…だと――?」
クラリと目眩を起こした様な錯覚に襲われた。
彼女が吐き捨てた言葉は、どれもこれも、熾輝には理解できない……というよりも、呆れを感じる程に下らなかった。
だからなのか、「はッ」と乾いた笑いが込み上げ、続けて引き攣ったような笑いが口から漏れだす。
流石に、その光景には、朱里も恐怖を感じたのか、背筋にゾワソワと悪寒が走り、次の瞬間には、胸倉を掴まれ、怒りに歪んだ熾輝の顔が眼前に近づけられていた。
「ふざけるなッ!咲耶は、お前なんかが利用して良いような人じゃあないんだ!ただ純粋に魔術が好きで、誰かを幸せにするために魔術を学んできた!それをお前は踏みにじった!お前の命であがなったって、全っ然足りないんだよ!」
そこにどれ程の想いが込められていたのか、今の熾輝は、咲耶を傷つけられた事に対する怒りで、今にも朱里を八つ裂きにしてやりたいという衝動に駆られていた。
「ならッ、死んでやるわよ!ただし、アンタも一緒よッ―――!」
「ッ――!?」
「術式解放―――!!」
言って、2人を包み込むように正方形の結界が形成された。
あらかじめ、地中に埋め込んでいたであろう魔導具…おそらくは術式を封じ込めていた魔石が解除呪文によって起動したのだろう。
御丁寧に彼女の真下…元々、コレを狙っていたのかと思えるくらい、ベストな位置だ。
「一緒に醜く死にましょう、熾輝……」
結界内の分子エネルギーが異常な活動を開始し、血液が沸騰するかと思うくらいの熱を帯び始める。
――(これは、…|誘電加熱ッ――!)
電子レンジ化した朱里の結界…それは、自爆とも呼べる決死の攻撃だった―――。
◇ ◇ ◇
暗いまどろみの中、咲耶は光りに向かって一生懸命に手を伸ばしていた。
――はやくっ!はやく起きなきゃ!
遠くに感じる光へ向かい、叫びながら、必至に身体を前へと進めようとしている。
しかし、ドロドロとした粘液のような物が体に纏わり付き、彼女を光の元へ行かせようとはしてくれない。
――このままじゃ、熾輝くんがッ
彼を思い浮かべる度に、あの時の情景が甦る。
――もうっ、誰も傷付けて欲しくないのにッ!
ケリスの支配に抗い、意識を保っていたころ、咲耶は見せつけられた。
遠見の魔術によって映し出されていたそれは、熾輝が敵の首を切り落とした瞬間…つまりは、人を殺した瞬間だ。
――私のっ、私のせいで、熾輝くんは…
自身が人質にさえならなければ、彼が人を殺す必要もなかった。
自身がケリスの支配に負けていなければ、彼を傷つける事はなかった。
後悔と自責の念が、まるで具現化したかのように、粘液の量が増し、水底へと引きずり込まれそうになる。
必至に抗い、もがけばもがく程に、身体が沈み、光から遠ざかっていく。
――だれかッ…お願い、誰か助けてッ……
どれだけ必死に足掻こうと、咲耶の想いを裏切るかのように光は遠ざかり、粘液が彼女を呑み込んでいく。
――大切な…私の、…大好きな人なの………誰か……シ、キ…くん………
抵抗虚しく、遂に気力も体力も尽きた咲耶の身体が暗い粘液の海に呑み込まれた。かに思えた…
『諦めちゃダメだよ!』
「………え?」
その声に誘われ、精魂尽きたと思われた咲耶の意識が反応を見せた。
『熾輝くんを止められるのは、アナタだけなのよ!』
「誰、なの――?」
この声を聴くのは、初めてでは、ない気がした。
前にも一度だけ、この少女の声を聴いた気がする。…しかし、記憶に靄が掛かったかのように、思い出す事ができない。
『お願い。もう一度だけ頑張って!』
「だけど、もう力が出ないの……」
お願いされるまでもなく、彼女は頑張った。
それこそ、精魂果てる程に必死だった。
『まだ、アナタには、力が残っているハズでしょう?』
「そんな――」
『いいえ。あるわ』
「そんな力は残っていない」と言おうとした咲耶だったが、それよりも先に声の主が言葉を紡いだ。
『ここでは、その力を感じ取れていないだけ。思い出して、彼から教わった、その術を』
「彼……熾輝くん――?」
『思い描いて、ローリーさんからアリアさんへ…。そしてアリアさんからアナタへ受け継がれたモノを』
「……魔導書」
『そうだよ。その魔導書は、彼の手によって生まれ変わった。…アナタの願いを叶えるために』
「……不朽の願いッ!」
導かれるように、咲耶は、自身の力を思い出した途端、内に眠っていた膨大な魔力が放出され、彼女に纏わり付いていた粘液を吹き飛ばした。
それと同時、突如として発生した紅蓮の炎が粘液の海を燃やし、咲耶への侵攻を妨害する。
辺り一面が火の海と化していたが、不思議と熱くない。
それどころか、この紅蓮に燃え上がる炎を見て、彼女が大好きな少年と重なった。
『私……に、出来…るのは、ここま……で。…あとは……あな…たた、ち、に……まかせる…………――――』
「まって!アナタは、いったい誰なの!どうして、私を助けてくれるの!」
『――――――――。』
咲耶は、叫んで問いただすも、既に声の主の存在を感じ取る事は、できなくなっていた。
「………ありがとう」
もう居ない相手に、咲耶は感謝を口にする。
そして、一拍
放出させていた魔力の出力を更に上げて、天に見える光に手をかざすと
「お願い来て!」
以前、熾輝が言っていた。
魔導書は、概念が本の形を成した物だと…。
それは、宝具と呼ばれ、所有者と深い繋がりを得ていれば、遠く離れた場所からでも呼び出す事が可能なのだと。
その事実に一片の疑いも持たずに、彼女は叫んだ。すると…
「エバーグリーーンッ!!」
光りの更に先…予想するまでもなく、現実世界から彼女の内へと入って来た魔導書を掴み取ると、愛おしそうに抱きしめる。
「ありがとう来てくれて!…お願い、ここから出たいの。力を貸して!」
意思を持たないハズの魔導書が、まるで彼女の願いに応えるかのようにパラパラと自動的にページを捲り、1つの術式を導き出した。
「夢の時間は、もうおしまい。目覚める時間だよ。……覚醒――。」
遥遠くに見えていたハズの光が、大きくなり、辺りを照らすと、咲耶を現実世界へと引き戻していった―――。
◇ ◇ ◇
城ケ崎朱里は、代々、結界魔術を得意とする名門の出である。
当然、父と母も魔術師として優秀だった。
その中でも母は、飛びぬけて優秀であり、若くして十二神将にも抜擢されていた。
そして、その実力は世界最強の一角と称される五柱、東雲葵にも匹敵すると言わしめる程であった…。
しかし、最強と呼ばれる母は死んだ――。
神災が全てを呑み込み、全てを奪ったのだ。
それは母の未来だけではなく、彼女の未来すらも奪った―――。
父は母の死を受け入れられずに何処かへ蒸発してしまい、残された朱里は、遠縁の親戚に預けられるも、そこでの生活に馴染む事が出来なかった。
朱里を引き取った親族も、彼女を政略結婚の道具としてしか見ておらず、そこに愛は無く、幼い彼女にとって、生きる希望すら見いだせないでいた。
朱里は思った…。何故自分がこんな目に遭わなければならないのか。何故母は死に、父は自分を捨てたのか。
いったい誰が悪いのか……
もはや誰かのせいにしなければ、彼女の心は壊れるしかなかったのだ―――。
◇ ◇ ◇
「死ねえええぇええッ!熾輝イイイィイイイッ!!!」
電子レンジと化した結界内でマイクロ派の周波数が一気に限界点へと昇る、その瞬間…
「無駄だ―――」
ヒュンッ―――と空を切り裂く一刃の木刀が結界を切り裂いた。
「は…?」
一瞬にして魔術が無効化された。
突き付けられた現実に朱里の思考が停止し、間の抜けた声が漏れる。
その元凶を辿れば、自身を見下ろしながら冷たい視線を送っている少年の手には、先ほどまで持っていなかった木刀が握られていた。
一見して、ただの木刀のハズ…。
なのに、不思議と朱里には、熾輝が握る木刀に底知れぬ力を感じていた。
その直感は、おそらく間違ってはいない。
彼女の魔術を打ち消したのは、熾輝の【波動】という能力によるものだが、能力発動に際し、ミストルテインに力を宿している以上、第三者からは、ミストルテインの能力と認識せざるを得ないのだ。
「最後の切札も使い切ったな」
「………」
熾輝の問い掛けに朱里は応える事が出来ない。
ミストルテインの切先を喉元に突き付けられ、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべながらも、彼女は精一杯の抵抗を示そうと、熾輝を睨み付けた。
ただ、朱里自身、今の一撃で、自分諸共熾輝を道連れにして死のうと考えていたのだ。
故に、彼女の持ちうる力はここで打ち止め……。
そう、……彼女の持ちうる力……つまりは、彼女の奥の手は、別にある。
「ここまで、計算通りだと逆に怖いわね」
「………」
この朱里の一言に違和感を覚えた。
聞き方によっては、ただの負け惜しみ。
しかし、勝負の負けを予測し、尚且つ計算通りと勝ち誇った物言いを誰がするだろう。
おそらく、そんなバカげた事は誰も言わない………。
「…何を言って―――ッ!!?」
それは、何の予兆も無く起きた。
突如として朱里の全身に赤黒い文様が浮かび上がり、彼女を基点に魔法陣が出現した。
その術式を見た熾輝は、一瞬で理解した。
それは、決して手を出してはいけない最悪の魔術である事を―――。
「道ずれでも構わない。一緒に死にましょう――」
瞬時に波動を発動させ、術式の破壊を試みはしたが、それが不可能だと悟り、巻き込まれない様、瞬時に後退する。
「朱里、お前は、そこまでして俺を殺したかったのか……」
術式の外へと緊急離脱した熾輝は、魔法陣の中で苦しみ悶えながら絶叫を上げる朱里をただ傍観する事しか出来なかった。
◇ ◇ ◇
悪魔を倒すには、悪魔の力を頼る他ない…
あの時の彼女には、その選択肢しか存在しなかった。
日々の鍛練で戦闘技術を磨き、チマチマとレベルアップを図る。
それは、時間も労力も掛かり過ぎる。なによりも、そんな悠長な事をしていれば、化物揃いの師を得た相手が何処まで強くなるのか判ったものでは無い。
ならば、短時間で、より効果的、しかも常人では手に入れられない力を手っ取り早く得た方が効率的だ。
しかし、その分、リスクも大きい。
だから、それは最後の手段…奥の手として残しておきたかった。
だが、結局は使う羽目になってしまった。
この街で出会った仇の実力は、予想を遥に超えていた。
今のままでは、勝つことは出来ない…。
そう悟ったのは、案外早かった。しかし、奥の手を使うに当たり、彼女の覚悟は中々決まらなかった。
最後に背中を押した男は、彼女に復讐の何たるかを説き、狂気へと誘った。
そして、彼女はスーツケースに封印していたソレを紐解いた。
中には、黒曜石のハメ込まれた小さなオーブ…しかし、そのオーブからは異質な力を感じる。
触れば確実に呪いを受ける曰く付きの代物。
仮にも天才を唄う彼女が、その取扱いを誤るハズはなく、装備しただけで呪われる事は無かった。
だが、力を引き出すには、代償が必要になる。
その代償は―――
―――我らの力が必要か、成らば命を差し出せ。引き換えに望みを叶えてやる。命の数だけ我等は力を増す。
その言葉に嘘はない。
彼等の本質は、悪だが、契約を何よりも順守する事で有名な魔の存在。
そう、その名は―――
◇ ◇ ◇
「――自身を生贄に悪魔召喚を行うつもりか」
朱里の胸元がはだけ、そこから黒いオーブが覗いている。
直視しただけで、吐き気を感じる程の呪いがそこには込められていた。
「1人じゃない。いったい何人の魂をそのオーブに喰わせた…」
朱里一人では、到底まかないきれない程の霊気を感じ取り、一拍考えた熾輝は思い至る。
ここへ辿り着くまでに彼が殺した復讐者達のことを…
「馬鹿野郎っ」
彼等の犠牲を一蹴して吐き捨てる。
およそ30人にも及ぶ復讐者たちの魂、そして朱里が持つオーブを媒介にして行われる悪魔召喚。
それ程の犠牲を払って召喚される悪魔が、ケリスの様な下級悪魔なハズはない。
「…悪いけど、そこまでは、付き合ってやれない」
魔法陣から感じ取れる力の波動から、おそらく上位の悪魔が顕現するであろう事を理解した熾輝は、ゆっくりと後ずさり、その場を立ち去ろうとした。
つまりは、逃亡……では、なく戦略的撤退だ。
なぜ、熾輝が戦闘を避けて、撤退を選択したかについてだが、その理由は単純明快。
熾輝の力では、中級以上の悪魔には勝てないからだ。
伝え聞く悪魔の力は、人間の力を遥に凌駕する。
そして、更にやっかいな点は、悪魔という存在全てが邪悪とは限らないという事だ。
もしも、悪魔が全て邪悪という存在であったならば、熾輝の波動…正しくは破邪の波動で一掃する事も容易かっただろう。
だが、悪魔という存在は、読んで字の如くの邪悪ではないのだ。
彼等は、あくまでも契約と生贄によって、現世に繋ぎ留められ、召喚者の願いを叶える…それは、善も悪も等しくという意味だ。
故に、ケリスの様な真正の邪悪ならまだしも、これから呼び出される悪魔がどのような存在かを見定めている余裕は熾輝には無いのだ。
「悪く思うなよ。…俺も悪いなんて思わないから」
そう言った熾輝は、もう振り返る事はしない。
悪魔召喚が成ったとして、熾輝が身を隠している間に悪魔を現世に留めておく力が尽きる…つまりは、時間切れを狙うつもりなのだ。
悪魔と言う存在を現世に留めておくには、最初に支払った代償だけでは足りず、そこには、常に力を補填する必要が出てくるのだ。
でなければ、過去に召喚された悪魔が収祓から逃れた場合、現世を多くの悪魔が跋扈している事になる。
――推定しても、10分は持たないな…
魔法陣の向こう…悪魔たちの世界を垣間見ている様な、妙な感覚が熾輝にはあった。
そこから感じ取れる彼等の力の一旦は、恐ろしい程に悍ましく、醜悪なものだ。
ただ、それ程の存在を現世に留めるには、代償の生贄程度では、10分も顕現出来ないと言うのが熾輝の見立てであった。そして、それは同時に朱里の命が尽きる時だ。しかし…
――ニガサナイ
一瞬、頭に直接語り掛けられたかのような錯覚に驚き、目を見開く。
――イッタデショウ…一緒に、シヌノよ…
そして、それは気のせいではないと理解し、振り返った。
そこには、タダれた様な赤黒い魔法陣をバックにして、宙に浮かぶ朱里…しかし、その姿は、徐々に生気を奪われているのか、肌からは潤いが失われ、艶やかだった黒髪からは、色が抜け落ち始めていた。
「ただの悪魔召喚じゃあないのか――?」
その光景に、直ぐ違和感を感じ取った。
本来であれば、代償に応じて、悪魔が召喚されても良いくらいの時間は経過するころ。
しかし、魔法陣から悪魔が出てくるようには見えない。……視えないのだが、何かがおかしい。
「……いる」
たとえ眼には視えずとも、熾輝の感覚が彼等を捉えていた。しかも…
「いったい、どれ程の数の悪魔を呼び出したんだ」
先ほどから、熾輝の中で警報が鳴りっぱなしだ。
なにせ、感じ取れる悪魔の数が1匹や2匹ではきかない。
もはや数十匹…1つ1つの存在は、上級悪魔のそれだ。
霊格からして、それぞれを柱と数えても差し支えない程だ。
――コロス、…ママの、カタキ…
もはや意識を奪われているであろうハズの朱里の口から恨みと怨嗟が木霊する。
「…まずいな」
撤退しようとしていた熾輝の足は、いつの間にか止まり、代わりに朱里の姿に釘付けとなっていた。
見れば、彼女の身体から紫がかった半透明の触手がウネウネと生えていた。
それが、魔力なのかオーラで出来た物なのかが判別できない。
もしかしたら、悪魔の能力なのかもしれない。…しかし、今重要なのは、そこではない。
力を感じ取る能力に関して言えば、一級品ともいえる熾輝の能力感知をもってしても力の正体が知れないという事だ。
つまり、得体の知れない相手をこのまま野放しにして、熾輝が予測した、悪魔の顕現可能時間に狂いが生じるかもしれないという事。そして、最悪の状況を想定した場合、民間人を喰らって、自身を追い続けるかもしれないという事だ。
ならば、こうなってしまった場合、戦うしか方法が無いのだが…
――無理過ぎるだろう
肝心要の熾輝に勝算が見いだせなかった。
先も述べたとおり、朱里から感じとれる悪魔の気配は、全てが上級に位置するものばかり。
戦ったとしても、1秒もたずしてミンチにされる。
「……まったく、なんてヤツだよ」
一瞬、朱里の言葉が甦る。
『……一緒に死ぬの』
宣言通り、朱里は、熾輝と心中を図っていたらしい。
もしも、この場で自分が死ねば悪魔たちは、契約を果たし、現世から消え失せるだろう。
そうなれば、民間人に被害を及ぼすこともなくなる。
「ここまでが、お前の読み通りだったのか?」
こんな、事がお前の成したかった復讐なのかと、既に意識を手放している朱里に向けて熾輝は問いかける。…だがやはり、答えが返ってくる事はなく、代わりに不気味に蠢く触手が熾輝に襲い掛かった。
奥歯をギリリと噛み鳴らし、シルバーを構える。
装填されている銃弾は、付加の魔弾…攻撃力において、熾輝の切札と呼べる最後の手段だ。
――残弾は2発
その2発の魔弾で勝利をもぎ取らなければならない。
でなければ朱里が宣言した通りに、自分は死んでしまう。
眼を見開き、迫る触手を視力と感覚で捉えて発砲……
着弾したと同時、凄まじい熱量が炸裂し、触手の1本を肉塊に変えた事により、朱里までの射線が開ける。
その瞬間を見逃すことなく引き金を弾こうとした熾輝の横合いから衝撃が走った。
「なッ――!?」
衝撃の直前、熾輝の目に映ったのは、先ほど吹き飛ばした触手の破片が、まるで自律する弾丸のように飛んできたのだ。
――なめるな!
バランスを崩されて尚、標的を見失わず、銃の照準は確実に朱里の眉間を捉えていた。
あとは、ほんの少し、力を込めるだけで朱里を殺せる。ハズだった……
『……ママ……ママ……逢いたいよぉ』
「ッ―――!!?」
引き金に添えた指が嘘の様に動かない。
頭ではこの瞬間を逃せば、勝機を失うと判っていた…にも関わらず、身体が動いてくれない。
そして、その戸惑いは、熾輝の動きを鈍らせ、大きな隙を与えた。
バランスを崩したまま転倒した熾輝を肉の弾丸が襲い掛かる。
この瞬間、勝負は決した。
あのとき、なぜ意識を失っていた朱里の想いが聞こえて来たのか。…それは、熾輝が無意識に発動させた他心通によるもの。
普段の熾輝であれば、誤作動にも似た力の暴発なんて起こさなかっただろう。
しかし、それは起きてしまった。何故なら、熾輝がいつも身に付けている眼帯が外れてしまっていたからだ。
あの眼帯には、制御できない魔眼封じの他に、神通力に対する力の抑制効果も施されていた。
だが、ケリスとの戦闘の際に眼帯が壊れ、今は自力でコントロールしている状態だったのだ。
――ッ!
迫る肉弾を前に、「くそッ」と心の中で吐き捨てた熾輝は、己の未熟…いや、心の弱さを悔いた。
相手を殺すと心に決めてなお、結局はそれを実行できなかった。
その結果、自身の命を刈り取られる事になったのだ。
しかし、ここまでかと諦めかけたその時だった―――
「――天岩戸ッ!!」
透き通る声が天から響き渡ったと同時、大規模な魔法陣が一瞬にして朱里と触手を包み込んだ。
それは、封印術と呼ばれる魔術。
結界内の時間を1000倍に引き延ばす事によって、事実上、敵の動きを完全に封じ込める大魔術。
その結界は、まるでダイヤモンドをカットしたかのような多面性と美しい輝きを秘めていた。
「これは――」
言いかけて、言葉を飲む。なぜなら、この魔術には心当たりがあったからだ。
この【天岩戸】は熾輝のオリジナル術式であり、現在は、とある少女の為に作った魔導書に記されている。つまりは……
「「「熾輝くんッ――!」」」
翼を羽ばたかせ、少女たちが天から舞い降りた―――。




