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鍛鉄の英雄  作者: 紅井竜人(旧:小学3年生の僕)
這い寄る過去編
201/295

心の天秤

街を横切る様に走る高速道路、インターの出入口からそれ程離れていない場所に今は使われなくなった流通団地がある。


数年前に新しく流通の要となる団地を作る計画があり、今現在、運送業関係の車は新流通団地を使っている。


旧流通団地は現在、解体の途中であり、所々に掘削機やショベルカーなどの工事車両が置かれている。建物によっては、半壊途中の物も多く見受けられた。

そのため、広大な敷地の周りを大きく囲んだ柵には、「入るな危険」と書かれたプレートが張られてる。


地元民もここには近づかない。高く設置された策を越えることも出来なければ、しっかりと施錠された扉を無理に入る事は出来ないのはもちもんのこと、旧団地の付近には民家も無ければ人が集まる様な施設がない。ただただ広大な空き地があるだけだ。


そんな場所には誰も近づかないだろう。もしも近づくものが居るとすれば、なにかやましい事をする者かあるいは…


「……錠が壊されている」


門の前に現れた熾輝は、普段なら施錠されているハズのそれを見て呟く。

おそらく専用の工具か何かで破壊したのか、市販されていない頑丈な造りの南京錠のアーチ部分が両サイドから挟まれる様に切られている。


しかも、門を入った先から真新しわだちが幾つもある。おそらく咲耶を拉致した連中が乗った車の後だろう。見た目からして1台や2台ではきかない。もっと多くの車両が中に入って行ったのだと見分する。


小雨が降る空を眺め、地面が緩くなり、車のタイヤ痕を見れた事に対して、幸運と呼んでいいものかと考える。

なにせ、これで朱里だけの犯行でないことが判ったのだ。


轍に沿って歩き始め、やがて1つの倉庫に辿り着いた。

そのまま馬鹿正直に真正面から入る事はせず、他の侵入口を探そうとも思ったが、2階部分から僅かな光が見え、それが双眼鏡による反射と気が付くのに時間は必要なかった。

既に敵は、熾輝を捕捉している…ならば奇襲は無意味と悟って正面の入口へと向かう。


諦めた様に溜息を吐き、しかし戦う意思そのままに、熾輝はジャケットの内側に装着したホルスターから愛銃のシルバーを取り出し、正面出入口に設置された鉄製の大きな両開き扉に背中を預け、顔だけで中を覗き込むと…


「入って来い!コソコソとしても無駄だ!」

「………」


やはり、と思いつつ、中の気配を確認した熾輝は、咲耶の気配を探る。……しかし、今居る工場には居なかった。範囲を広げてみれば、2つ隣に位置する建物内に朱里と咲耶が並んでいる事を感じ取ると同時、生命に異常が無い事を確認する。


ホッと息をつき、熾輝は姿を晒し、工場内へと足を踏み入れた。

途端、背後のドアが音を立てて閉まる。御丁寧に、あの重そうな鉄扉をサイドから2人の男が閉めたのだ。


別に逃げたりしないのだから、そのままにしていてくれてもいいのにと思いつつ、視線は前に居るリーダー格らしき男へと向けている。


「久しぶりだな。八神熾輝…いや、悪魔の子ディアボロス

「………」


男の言葉から、どうやら遭った事があるらしい……が、熾輝にあっては、全くもって心当たりがない。

訝し気な視線を向ける熾輝を他所に、影に潜んでいた者達も次々に現れる。その様子に視線を彷徨わせるも…やはり見知った者は、一人もいない。


「そうか、覚えていないか。…あの時、お前を殺すため、我々は、わざわざ山奥まで出向いたと言うのに」


その言葉で思い至った。

約2年前、自分を殺すために暁の夜明けの構成員となり、そこで魔術を習得し、復讐に来た連中だと。しかし…


「脱獄したのか――?」


そう、彼等は先日、魔能拘置所から逃走した脱獄囚たち。…しかし、その事実は公にはされておらず、熾輝が知らない情報だ。

僅かな驚きを含んだ表情を見て、男はニイィっと顔を歪める。


「どうやら神様は、俺達を見ていたらしい。お前を殺したい。復讐をしたい。野放しにはしない!…その願いを叶えるために協力してくれたんだ」

「…ずいぶんと気前のいい神様がいたもんだ」


冷めたような、…それこそ何の感情も籠っていない声色で返す。


「ふんっ、強がりを言っても無駄だ。この人数を相手にお前が勝てる可能性なんて無いのだからな」


どうやら、熾輝が強がりを言ったと勘違いしたらしい男は、手を大きく広げて周りにいる連中をアピールする。

ざっと30人の男たち…その全ての者から魔力が発現する。


数年前に暁の夜明けによって魔術師としての力を与えられた彼等は、2年前の熾輝をして苦戦を強いられた。

が、それは昔の話だ…今の熾輝相手にちょっとやそっと魔術をかじった程度で負ける要素は見当たらない。しかし、それよりも熾輝は疑問に思う事があった。


「戦うのか――?」

「…どういう意味だ――?」


言われて男は熾輝を睨み付けた。まるでお前達じゃあ自分に勝てないと言われていると思ったが故に。

しかし、当の熾輝はそういった意味で問うたのではない。


「人質を取ったから、てっきり無抵抗の僕を襲ってくるのかとばかり思っていた」

「………ッ」


ギリリと奥歯から音が聞こえた気がした。

それは、周りも同様で、何かとてつもない怒りを孕んだ視線が一気に殺到する感覚…


「我々の復讐をそんな低俗な物と思うな!いいか、我々は貴様の様に邪悪ではない!これは正義の復讐だ!正々堂々真正面からお前をくだし、怨嗟の果てに生まれて来た事を後悔して死ね!」


呆気に取られ、開いた口が塞がらない。


コイツは、何を言っている――?

正義の復讐――?

咲耶を拉致しておいて、そんな台詞を吐くのか――?

正々堂々を詠うなら、誰かを巻き込まずに直接来いよ――

そもそも、過剰な戦力を用意しておいてよく言う―――


目の前の連中は、自分たちの行いに対し何ら恥じる事もなければ、矛盾や破綻をきたしている事にすら気が付いていない。


壊れている…自分たちの正義や復讐に対して美学があるのかなんて知った事ではない。


だが、その狂った正義感のおかげで活路が見いだせた事は事実だ。

仮に咲耶を盾に取られたならば、ミネルヴァが電脳空間でジャックした無人兵器が突撃、あるいわ狙撃する事になっている。


しかし、今はそんな事を思考しても詮無いことだ。なによりも連中の狂った価値観が自身の感情を嫌に逆撫でしてくるのが判り、それが返って熾輝の思考を冷静という領域から冷徹へと変異させた。


「いいよ、もう判った――」


はらわたが煮えたぎる感覚と頭が凍える程に冷たくなっていく。


「掛かって来いよ。お前達は踏み越えちゃあならない一線を越えた。…その事を教えてやる」


表情から色が抜け落ち、まるで透明になっていくと錯覚する。

代わりに連中の脳裏にぶちまけられる漆黒の感覚。それが恐怖だと認識するには、彼等の憎しみは優しくなかった。もしも、恐怖を感じ取れていたのであれば、熾輝との力量を正確に把握して撤退する余地もあったのだろうが、既に遅すぎた。


人質を盾にしないと言うのであれば、是非もない。


あらかじめ取り出していたシルバーをゆっくりと持ち上げる。

その初動に遅れながら連中が一斉に動いた。


「殺せ!今こそ裁きの時だ!」

「「「「「―――――ッ!!!」」」」」


合図に反応して、声にならない声が響き渡る。

音声を切り裂くように連続して発砲音が炸裂、瞬間、前方から迫る2人の膝を貫き転倒させる。


次いで四方から魔力の揺らぎが起こり、魔術が起動…。

熾輝へ向かって風の刃が襲い掛かる。しかし、それを跳躍して難なく躱す。


真下を通り過ぎた風の刃が直後霧散…どうやら魔力強度はそこまで高くはないらしい。

そもそも、彼等が魔術を習得してからそれ程の月日は流れていない。であるならば、彼等の練度も底が知れるというもの。


先の攻撃からも感じたが、魔法式の構築、魔力の循環、発動に至る全てのプロセスにおいて、遅すぎるのだ。


例え数で圧倒しているとは言え、その程度では、熾輝を仕留めるなんて出来るハズがない。


「――おのれえぇえっ、防御と攻撃の2班に別れろ!」


戦況を瞬時に判断した者が居たらしい。しかし、まともに連携も取れていない連中が迅速に行動に移れるとは思えない。

思えないが、出来る出来ないではなく、そんな余裕を与えるつもりもない。


右手のシルバーを敵に向けて撃つ一方で、腰のバックルからサバイバルナイフを引き抜き左手に逆手で構えると、敵に向けて急襲する。


未だ術式の構築に手間取っている敵の間合いを潰し、勢いそのまま股下を潜る折りに足のけんをナイフで断ち切る。


「――ッ!!」


痛みによる絶叫が響き渡り、敵はそのまま支えを失い地面を舐める様に倒れ込む。

それを気にする素振りも見せず、遠方で攻撃術式を発動しようとする敵に向かって、再びシルバーを撃てば、激痛により集中力を途切れさせ、魔術も霧散する。


基本、魔術発動には相応の集中力が要求される。故に、身体的苦痛を与えてやれば、彼等は魔術を発動させる事は出来ず、ただの怪我人に成り下がる。


それが判っているからこそ、熾輝は致命傷を与えずに敵を無力化しているのだ。


「――俺の後ろに!防御術式を発動したぞ!」


次々に障壁を起動させていく連中の背後に攻撃役の術者が回り込む。

魔術師と言うのは、RPGで言うところの後衛職…それは現実においても言える事だ。

つまり、魔術師が術式を起動するまで、タンク役の前衛が時間を稼ぐ。

彼等のサポートと攻撃に別れる戦術は、理想的なフォーメーションと言える。


言えるのだが…


「ははははッ!これでお前の攻撃は通さない――――ッ!!!?」


パリンッ、とガラスが割れたような音と同時、男は膝から感じる激痛により顔を歪めるも、片方の足で踏ん張り、何とか佇立を維持しようとするも、再度響いた発砲音が聞こえた次の瞬間、片足を打ち抜かれ、そのまま地面に倒れ込む。


「馬鹿なッ―――」


周囲からどよめきが響き渡る。

まるで信じられない物を見ているかのようだ。


「無駄だ。そんな術式とも呼べない代物を起動させた程度で弾丸を防ぐことは出来ない。ましてや、生身の攻撃にすら耐えられない」


呆れを含んだ溜息を吐きながら、周りが混乱している隙に弾倉の交換を行う。


「そんな訳あるか!この術式で弾丸を防いでいたのを俺は見たんだぞ!」

「………どんな奴に学んだかは知らないけど、術式に無駄が多い。無意味な記号が幾つもある。起動出来ているのが不思議なくらいだ」

「何を意味の分からない事をペラペラと――」

「単純な話、弾を防いだヤツの魔法力が高かったから弾丸を防げていただけだろう。…つまり、アンタ等の魔法力は、それほど高くないってことさッ――!」


言って、ナイフを投擲、「グアッ」とうめく声が聞こえ、駆け出しながら銃を連続発砲――。

次々に倒れていく連中を横目に突き刺したナイフを抜きとり、流れる様な動きで接敵すると身体の腱に目がけて振り抜く――――。


戦闘が開始されて10分もせず、熾輝の蹂躙が幕を閉じた。

目の前には、先ほどまで息巻いていた連中の屍……ではなく、足の腱を断ち切られた事によって身動きを封じられた姿だった。


「悪いけど、これ以上アンタ達に構っている余裕はない。先に行かせてもらうよ―――」

「ふ、ふははッ、ははははははは―――!!」


連中に背中を向けて、咲耶の待つ倉庫へ移動を開始しようとした熾輝が歩みを止める。

地面に転がったまま仰向けになり、半狂乱になったかのように笑う男に視線を向ければ、続けて1人、また1人と……気が付けば全員が笑い出すという不気味な状況が出来上がっていた。


「判っていたさ!お前に勝てないであろうことは最初から!」

「………」

「ならば、この命を持って報いるのが我々に出来る弔いというものッ!」


訝しむような視線を向け、負け惜しみ、あるいは本当に壊れたかと思った熾輝は次の瞬間、息を詰まらせる事になった。


何故なら彼等全員の手の中には、注射器が握られ、中には怪しく緑光する薬品が装填されてる。

一目見て理解した。それは魔法薬、それもとびきり質の悪い劇薬で名を【ヒュドラ】…あの銀行強盗事件の折り、犯人が使用した薬物だ。


「括目せよ!これが決死の覚悟というものだ!」

「なッ、やめろ―――」


制止の声も虚しく、彼等は1人の例外も無く、その針を突き刺した。

首筋に当てた注射器からプシューッという気の抜けた音が聞こえた代わりに、緑光する液体が体内へと注入されていくのがわかる。そして………



一拍




至る所でビクンビクンと痙攣を開始させた彼等の肉体が徐々に薄緑へと変色を開始し、やがて変化を終えた。


「クソッ、ふざけるなよ!」


恨み言を吐き捨てるかのように、臨戦態勢を整える熾輝に、先ほどのような余裕は微塵も消え失せていた。


なにせ、目の前に居る敵の誰もかれもが、先ほど負った怪我を薬物の影響で無理やり完治させた上に凶悪なオーラを放出しているのだ。

加えて言うと、意識が飛んだように白目を向き、口からヨダレを垂れ流している。


にも関わらず、彼等の視線が熾輝へと殺到している事から、手当たり次第に仲間同士で潰し合う事は無いだろうと若干の希望を即座に捨てた。


そして、嫌な汗が頬を伝い、滴が落下したと同時…


「「「「「Urrrrrrrrrッ――――!!!!」」」」」


怪物ヒュドラの群れが一斉に襲い掛かたのだ――――。



◇   ◇   ◇


時間は少し遡りり、ここは法隆神社の境内――。


「――ごめんねアリアさん、応援の巫女さんが少し遅れるって連絡が入ったの」

「いいよ、いいよ。どっちにしろ此処が集合場所なんだから、気にしないで」

「うん。ありがとうございます」


昼を過ぎてもアルバイトに時間を拘束されているアリアは、巫女服に身を包み、御守りの陳列を行っている。

どうやら、応援に来るはずの近隣神社の巫女が遅れている様であり、燕はすまなそうにしていた。


「それにしても今回の件、本当に私たちが立ち会っても良いのかなぁ?」

「熾輝くんのこと?」

「うん。…あの子、別に構わないって言っていたけどさ。どういう結果になるのかは、判らないじゃん?」


アリアは難しい表情を浮かべて心配を口にする。

それも仕方がない事だろう。なにせ、神災の真実が明らかになった結果、熾輝の両親が多くの人を犠牲にしたことが判明してしまう。…もちろんそうでは無い可能性も否定できないが、それでもやはり心配な物は心配なのだ。


「でも、熾輝くんは、それを知りたがっているよ」

「……そうね、それは判る。けど、当の熾輝は、私たちに知られるリスクを判っていないと思うわ」

「リスク――?」


アリアは深く頷き返し、陳列する手を止める。


「私たちと今までどおりに出来るかって言うリスクよ」

「………」


アリアの言葉に燕は直ぐに応えることは出来なかった。

もしも、神災の事実が危惧していた最悪のものであるのなら、熾輝を見る自分たちの眼がどのように変わってしまうのか。…それをアリアは恐れているし、また、熾輝にどのような変化があるのかも……


「今まで通りには、いかないと思う――」

「ツバメ……」


燕の言葉を聞いて、悲しそうな表情を浮かべるアリアであったが……


「私は熾輝くんのことをもっと知りたいし、熾輝くんも私たちに知ってほしいと思っているから、今回の立ち合いを許してくれたんだと思う」

「え――?」

「だから、今まで通りじゃなくて、私はもっと近くに熾輝くんを感じられる……そう思いたい」


知る事で畏れるのではなく、知る事で近くに……そう言った燕の眼には、とても安らかで、清らかで、尊い何かが写り込んでいた様にアリアには思えた。


「ハァ、……敵わないわね」

「えへへ、愛は無敵なんだよ」


目の前の小さな女の子に、何か大切な事を教わってしまったと感じたアリアは、自分の長い人生は何だったの?と年長者としての威厳を試されている気分になった。


「咲耶にも燕くらいの心意気があれば、もっと素直になれると思うのに……」


あッ、と思わず口を滑らせてしまったと、口を押えるアリア…どうやら、咲耶が熾輝を好いている事に気が付いていたらしい。

しかし、それに気付いているのは自分だけだと思い、慌てて訂正しようとして……


「だねぇ。咲耶ちゃん、あれで隠しているつもりらしいけどバレバレなんだよね」

「……燕的には、そこんとこどうなの?」


どうやら燕も気が付いていたという事実を知り、思い切って聞いてみる事にしたアリアは、ある意味で勇者である。

なにせ2人は、恋のライバルだ。子供とはいえ男を巡る女の戦いと言う物は古の昔から凄惨な物になると相場が決まっている。


「ん~、別に良いと思うよ?」


予想していたよりも、ずっと軽い答えにアリアは思わず「おっふ」と妙な息が漏れる。


「そ、それは余裕っていうやつ?」


もしも燕が咲耶をライバルと認めていないというのであれば、それはそれでアリアとしては悲しいような嬉しいような気分になる。

普段から「私の咲耶」を豪語している以上、誰かに取られるのはアリアとしては我慢ならぬこと……かといって、彼女の恋が成就しないとなれば、「ああん?咲耶が可愛くないっていうのか?」と相手の男の家まで乗り込んで暴れてしまう自信がある。


だから、アリアとしては、めちゃくちゃ微妙な心境であり、なんとも言えない状況なのだ。


「あはは、違うよ。私は―――」

『すみませ~ん』

「あ、は~い」


恋について語らう(?)2人だったが、仕事を疎かにしてはいけない。

販売所に訪れた2人の男性客が声を掛けて来たので、燕は、「また後で」と口にすると客の方へトテトテと小走りして行ってしまった。


「…咲耶、恋敵ライバルはラスボス並みよ」


感慨深くなりつつも、なんだかんだで咲耶の恋を応援している自分に対し、何とも言えない心境を感じるアリアであった。……が、アリアの視線が今も参拝客の対応をしている燕の方へ向いた瞬間、驚愕に目が見開かれた。


「ツバメッ―――!!」


アリアの目の前で、2人の参拝客の1人が燕の後ろに回り込んだとき、何かを懐から出した。

それは見間違える事が出来ないほど、凶悪に鈍い光を放つナイフだ。

その凶刃がゆっくりと振り上げられ、ツバメを標的にしている。


アリアは、何が起こっているのか理解出来なかった。出来なかったが、叫び、咄嗟に駆け出していた。しかし、間に合わない…彼女が駆け出すよりも振り上げられたナイフが振り下ろされる方が圧倒的に早いのだ。


当の燕は、「え?」と不思議な物を見るかの様にアリアの方を見ている。

アリアには、時間がゆっくりと進んでいるかのような錯覚に陥り、凶刃が燕に到達するまでの間、「やめろっ、やめろっ」と何度も心の中で叫ぶ。


男達の表情は、不気味に歪み、まるで血に飢えた狂人のそれだった。


そして、振り抜かれたナイフと共に神聖な神社で真っ赤な血しぶきが舞った―――。



◇   ◇   ◇



「――お嬢様、車の準備が出来ました」

「ありがとうございます」


キャロルは、運転手からの報告を無線で受けて、自室で出掛けの準備を整え終わった可憐を玄関先まで誘導していく。


ハウスメイドが可憐の手荷物を持って、恭しく後を追い、先頭を歩くキャロルとサンドイッチする形で屋敷の中を移動…玄関先には2名のボディーガード(女性)が付近を警戒しつつ扉を開ける。


どこぞの要人を警護するシークレットサービス張りの警備体制に可憐は内心で苦笑いを浮かべているが、決して表に出さないのは、流石と言える。


普段ならば、ここまで物々しい警備はされていないのだが、これには理由があった。


「可憐、出掛けるのかい?」


玄関まで辿り着いた可憐に柔らかい声が掛けられた。


「おじい様――」


振り向けば、そこには柔和な表情を浮かべた可憐の祖父、乃木坂一心の姿があった。

彼は大企業、乃木坂グループの会長であり、財界・政界に大きな影響力を及ぼす重要人物。とは言っても、既に一線からは退き、会長職といっても、相談役のような名誉職に近い立ち位置だ。息子夫婦に会社を継がせ、余生を満喫していても良いのだが、事あるごとに色々な人たちから相談を受けたり、時には争いの仲介にと駆り出され、世界を飛び回っており、今はたまの休暇中ということになる。


つまりは、このような重要人物を警護するためにボディーガードが何時にも増して配置されているのだ。


「はい。これから学校の友達の家に行ってきます。帰りは夜になりますが、友達の保護者の方もいるので、心配しないでください。食事もみんなと一緒に食べる約束をしています」


令嬢らしい振る舞いで可憐は淀みなく答える。

これが一般家庭であるならば、「友達と遊びに行ってきま~す」と終わるところだが、帰宅の時間、夜と言う事で大人の眼がちゃんとある事までしっかりと伝える。


「そうかい。お友達の親御さんによろしく伝えてくれるかい?」

「はい。そのように伝えます」


ゆったりとした音声で孫娘に語り掛ける一心に対し、丁寧な言葉で返す可憐…しかし、言葉遣いは固いように見えて、2人の会話には自然な柔らかさと愛情が垣間見える。


きっと、一流の…ともすればロイヤル的な一族と言う物は自然とそのような空気を纏う物なのだろうと、傍らで控えていたキャロルは思うのであった。


「キャロルさん、…」

「は、はいッ――」


突然の呼び掛けに、普段からピンと伸ばしていた背筋が更に力が入る。

まさか、1ボディーガードである自分の名前を呼ばれるとは思いもよらなかったための油断である。


「可憐のことをどうか、宜しくお願いします」

「…お任せください。命に代えましてもお嬢様を御守り致します」


ゆったりと、それでいて信頼を込めた言葉で語る一心にキャロルは一瞬、心を奪われるも、次の瞬間には、キリッとした表情を浮かべ、拳を心臓に添えると恭しく頭を下げた。


英国紳士顔負け(彼女はフランス人)の所作と表情、そしてどこぞの巨人と戦う兵士の如き敬礼を返す彼女は、「決まった!」と心の中で己を自画自賛した。……したのだが、それを見ていた2人がキョトンとした表情を浮かべている。


「あ、あれ――?」


すべった?と不安そうな表情を浮かべ、可憐を見れば…


「ふっ、ふふふ、キャロルさん。笑わせないで下さい」

「え、可笑しかったですか?」

「はっはっは、キミはとてもユーモアがある女性なんだね」

「あ、え……ありがとうございます」


割と本気で自分の熱意を伝えたつもりだったのだが、どうやら2人にとっては、何かの冗談と受け取られたようだ。


「気持ちは嬉しいですけど、命までは掛けないでください」

「い、いえ!そういう訳には……」


命懸け…キャロルにとっては本気も本気、マジなのだ。

なにせ、ボディーガード兼マネージャーとは、あくまでも世を忍ぶための仮の職業であり、彼女の真の顔は、フランス聖教聖騎士である!……ではあるが、そこに見習いが付く。


将来性や人間性を女教皇プリエステスと聖騎士長に認められ、仲間と共に使徒である可憐を影ながら見守る極秘任務に就いているのだ。


故に、彼女の命懸けと言う言葉は、言葉以上の重みがある。


「まぁまぁ、そう気張らずに。孫娘を想ってくれる気持ちはありがたく受け取らせてもらいますよ」

「は、はい…」


何やら諭される様な生暖かい眼差しを向けられたキャロルは、ただただ頷くしかなかった。


「それでは、おじい様、行って参ります」

「あぁ、気を付けるんだよ」


ペコリと優雅に挨拶をした可憐は、キャロルに連れられて黒塗りの車に乗車した時だ。…不意にキャロルのプライベート携帯に着信が入った。


「すみません、失礼します」と、断りを入れて携帯に視線を向けた彼女の表情が僅かに強張る。


周りから見れば、何時もと変わらないポーカーフェイスにしか映らなかっただろうそれは、可憐には、何かがあったと察するに十分な表情だった。


「……お待たせしました。では出発しましょう」

「よろしくお願いします」


僅かな沈黙の後、キャロルは何事も無かったように車に乗り込み、運転手に出発を促す。


この時の可憐もプライベートに踏み込むのはよろしくないと、電話内容を聞いたりはしなかった。


しかし、この数分後、彼女らが乗った車が何者かに襲われる事態が発生するのであった―――。



◇   ◇   ◇



場所は、再び旧流通団地へと戻る。

ここでは現在進行形で、1人の少年が30人もの異常者との闘いが繰り広げられていた…


「「「「「Urrrrrrrrッ―――!!」」」」」


襲い掛かる怪物ヒュドラの群れが、まるで津波の様に押し寄せてくる。


熾輝は、間合いを潰されまいとバックステップを踏み、近くの廃材を踏み、壁を蹴り、ありとあらゆる物を足場に変えて距離を取る。


それに対し、魔法薬をキめて意識を飛ばした連中の動きは、単純そのもの。ただ一直線に得物へ向かって突っ込んでくる。


これが1対1サシの勝負であれば、手玉に取りやすいことこの上ないのだが、敵は30人…しかも魔法薬によって強化された人間である。


以前、同様の魔法薬ヒュドラによって強化された者を相手取った事があるが、対象の能力の上がり幅が尋常でなかったと記憶している。


このヒュドラという薬物の特徴として、苦痛が快楽へと変わり、その上、身体強化は勿論のこと、反射速度、オーラの出力、回復速度…と、とにかく人間の限界を遥に超えた力を引き出す。


代償として、一度使用すれば死ぬまで戦う狂戦士バーサーカーとなり果てる。だから、使用者は投薬後、10分も待たずに等しく死に至る。


ならば、死線デッドラインを待ち、自爆を誘うのも手ではあるのだが……


―(――ッ、捌くのは無理があるだろう!)


物量戦…などという戦術的な組み立てなど入り込む隙間などない。これはただ単に数の暴力だ。


熾輝の動きに対し、それぞれがそれぞれの野性の感でのみ追撃を仕掛けて来る。

意識が飛んでいるのだから、思考能力が介在する余地はない。


気が付けば、四方八方デタラメから迫り、野性の獣の様な群れの統制が取れていない出鱈目なタイミングで、出鱈目な攻撃を仕掛けてくる。


「チッ――!!」


遂に逃げ場を無くし、取り囲まれる。

見渡す限りの敵、敵、敵…怪物ヒュドラと化した者達が一斉に襲い掛かった。


退路を失い、覚悟を決めて迎え撃つ熾輝に対し、全方位からの突撃…


「心源流逆空大旋風ぎゃっくうだいせんぷうッ――」


カポエイラの蹴り技の如く、逆立ちからの旋風脚!

蹴りの結界に入り込んだ侵入者達を等しく吹き飛ばす。


しかし、この技で対応できたのは2次元的な平面から襲い来る敵に対してのみ。

3次元的…つまりは上空から襲い来る物に対しては迎撃しきれない。


「Urrrrrrッ――!」

「ッ――!」


支えの腕を屈伸させ、腕力のみで飛び上がる事で回避。…が、追撃をかけて来た敵への反応が一瞬遅れる。


爆発的に上昇した身体能力によって熾輝との間合いを潰し、拳を振るう。

空中で回避行動が取れず、咄嗟に身を固めて防御するが、敵の拳が防御を抜いて脇腹に衝撃を伝える。「グゥッ」と、息を漏らし熾輝はそのまま殴り飛ばされた。


コンクリートの床を2回バウンドし、瞬時に体勢を立て直した熾輝は、電流に撃たれたような痛みを覚える。

尋常ならざる腕力の一撃は、防御越しにでも衝撃を伝え、肋骨にヒビを入れる程の威力をもっていたのだ。


痛みに顔を歪めた瞬間が隙となり、息つく暇も無く殺到する敵への対処を更に遅らせる。


「「「「「Urrrrrrrッ―――――!!!」」」」」


「しまった」と吐き捨てる暇すら惜しいと言った風に奥歯を噛みしめ、バックステップを踏みつつ、ホルスターから抜いたシルバーをすぐさま発砲…が、まるで痛みを感じていないかの様に敵の追撃が鈍る気配がない。

加えて言うのであれば、被弾箇所からの出血が直ぐに止まり治り始めている。


その異常とも呼べる回復力を目の当たりにし、改めて魔法薬の驚異的な効力に驚きを覚えつつも、銃器による足止めは効果が無いと割り切り、そのままシルバーを手放した。


代わりに腰に納刀させていたナイフを引き抜き、右手は順手、左手は逆手

に構える。


熾輝は敵の能力を分析した結果、銃弾の様に小さな穴を穿つ程度では敵を止める事は出来ず、且つ、自身の技量では、拳や蹴りといった打撃系、絞め技、関節技は大きな隙を作ってしまい、返って危険と判断した。


そのため、先ほどの様な腱を断ち切る戦法に切り替えたのだ。

先刻、刻み付けたアキレス腱などの靭帯の傷は薬物投与前によって回復してはいる。…が、それでも治りは他の傷と比べてもどうやら遅いと判断しての事だ。


構えた傍から、先陣を切って突っ込んできた敵の攻撃を掻い潜り、撫でる様にしてナイフを振り抜く。

ブチンッという嫌な音が響くと同時、すれ違った相手は、そのまま支えを失った様に倒れ込む。


傷の修復は、断ち切った傍から始まっている様だが、明らかに治りが遅いのは、見て取れた。


これならば、対応できると判断し、迫る二の次、三の次と腱を狙って断ち切っていく。


だが、魔法薬ヒュドラの薬効は、凄まじいものがあり、処理したハズの敵の幾人かが回復を終えて、再び戦線に参加し始めている。


いたちごっこと化した戦場において、次第に熾輝の息が上がり始める。

体力的には、十分に余裕はある。…が、熾輝の闘いに武器の方が付いていけなくなっていた。


オーラコーティングを施しているとは言え、相手もオーラを纏っている。もっと言えば、爆発的にオーラを放出している相手の肉を切り裂ているのだ。既にでナイフの刃はボロボロになり、切る事も難しくなっている。


内心で舌打ちをしつつも、迫りくる敵を切りつけたナイフが遂に限界を迎え、筋肉に食い込み、それ以上振り抜けなくなった。


「ッ、―――!」


両手に持っていたナイフを手放し、距離を取ろうとしていた熾輝に迫っていた敵の攻撃を寸での所で躱す。が、攻撃手段を失った熾輝は、猛攻止まない敵の包囲を遂に脱出できなくなってしまったのだ。


そして、ここからは、最悪の展開…乱打戦に発展してしまった。


迫りくる敵に対し、拳や蹴りと言った打撃で迎え撃つ、撃つ、撃つ―――

しかし、誰一人として戦線を離脱しない。いくら強打を放って敵を吹き飛ばそうとも痛みを感じず、しかも怪我を瞬時に回復させて復帰してくるのだ。


更に状況が悪い事に、取り囲まれて全方位から来る攻撃に対し、その全てを回避、捌く事は不可能であり、撃った分だけ攻撃が返されている。


熾輝の防御を突破し、骨にヒビを入れる程の攻撃を最小限に留めているのは、化勁によるダメージコントロールによる物だろう。


それが出来なければ、数で勝る敵の猛攻に1分と持たず、ミンチにされているところだ。…が、戦況は最悪と言っていい。


徐々に増すダメージが体力を削り、焦りを助長させる。


このままでは、敵がタイムリミットを迎える前にやられてしまう。

そんな熾輝の焦りを本能と言う嗅覚で嗅ぎ取ったのか、真正面にも関わらず、肉薄した敵の剛脚が腹部へと突き刺さる。


「ガハッ―――!!」


肺から一気に空気が吐き出され、瞬間的に視界が霞む。


余程の威力が込められていたのか、襲い掛かっていた敵諸共吹き飛ばして、敵の包囲網から強制的に弾き出された。


ある意味、運が良かったと言わざるを得ないのは、もしも、あのまま包囲網から抜け出せなかったのならば、あと数手で詰んでいたであろうという予感が熾輝にはあった。


しかし、その予感は敗北を意味しており、すなわち咲耶の死に直結していると言うこと…そんな事を予感してしまった熾輝は、許せなかった。


敵に対してではない。なによりも自分自身をだ。


吹き飛ばされ、地面をバウンドし、舐める様に滑走する中、彼は思う―――


巻き込んですまない…怖い思いをさせてすまない…無力ですまない…


まるで許しを請うかのような言葉ばかりが浮かんでくる。


不甲斐ない……大切な人を守れない。いったい、何度同じことを繰り返せば自分は満足するんだ。


大切だと言っておきながら何一つとして守れていない。大切だと言っておきながらいつも自分は遅すぎる。


大切だと言っておきながら、自分は何か・・と計りに掛けている。


「……ごめん、…ごめん咲耶…」


ようやく身体の滑走が止まり、許しを口にしながら、熾輝はまるで土下座をする様な姿勢で身を丸くしながら小さく唱える。


そんな熾輝の心情などお構いなしに敵は殺到する。


「僕は……」


打たれた箇所がズキズキと鈍い痛みを訴えているが、それでも彼は立ち上がる。


その表情に、今までのような焦りや苦悶といった物はなく、あえて言うのであれば、悲しみを越え、大切な何かを捨て去った…諦めの境地による無の表情だ。


「絶対にキミを助ける…」


誓いとも言うべき呪文を唱えたと同時、熾輝は自身の中にあった天秤を自ら破壊した。


「Urrrrrrrッ―――!!!!」


先陣を切ったヒュドラが、そのアギトを大きく開いて熾輝の首筋目掛け襲い掛かった……その矢先―――


「失せろッ」


底冷えする様な音声と動きがほぼ同時だったと錯覚する程、それ程に速かった…と、正常な者が見れば思っただろう。


襲い掛かっていたヒュドラ、その後ろで立ち止まる熾輝の手には、木剣と化したミストルテインが握られ、刀身にはベットリした血糊が付着している。そして…


ゴトリッ


と音を立てて落ちた頭は、口を大きく開けて、まるで絶叫している様な表情を浮かべて絶命していた。


「…間違っていた…甘かった……」


ボソリと呟く熾輝に命を絶った事に対する後悔の念など微塵も無い。


「生かして倒せるなんて、思いあがっていた」


ミストルテインを握り直し、怪物共に向けるその切先に宿っていたのは……


「僕は、……俺は、お前達を殺すッ!!」


本物の殺気だった。


活人という鎖を自ら断ち切り、本当の剣術…殺人剣を振るう事を躊躇する心は、既に熾輝には無くなっていた―――。



◇   ◇   ◇



昔、師から戦うすべを習う前に言われた。


『これから教えるのは剣道ではなく、剣術だ』


何が違うのか、武を学ぶ以前の自分には判らなかった。


『理解しろ。剣術というのは人を殺す技術、すなわち殺人剣だ』


師の言葉の意味は、そのまま額面通りに覚えた。

だから、そのときは素直に『わかりました』と応え、自身は殺人剣を学んでいった…。


別の師には


『魔術は人を簡単に殺せてしまう力。だから魔術師は、己を厳しく律して誰かを傷つける事を固く禁じているの。逆に魔術を悪用して他を害する者がいれば、魔術師わたしたちは、他の尊厳を守るために命を奪う覚悟が求められる』


魔術師の矜持を何度も繰り返し教え込まれた。


『人間、死ぬときは死ぬし、殺すときは殺す。これから教えるのは、自らを滅ぼし、争いを呼ぶたぐいの技術。だから無暗に使ってはならないし、鍛練を怠ってはなりません。大事なのは、自分の為にだけ使うのではなく、他人のために使うという事です』


……昔から言われ続けていた。

だから覚悟は出来ていたし、教えを守ってきた。……そのつもりだった。


頭の中には、知識としてだけ覚えていただけで、覚悟なんて、まして、ちゃんと理解してすらいなかった。


だけど、ようやく理解した。

いまやっと覚悟が決まった――――。




吹き上がる血飛沫が雨の様に降り注ぐ。

後ろでは、頭を無くした身体が膝を着いたまま固まっている。


「―――――ッ!!!!」


耳障りな絶叫が響き、目の前から人ではなくなった怪物が一斉に襲い掛かってきている。


それらを隻眼で見据え、正眼に構えた木刀を真直ぐ振り上げると、間合いに入った直後―――。


ヒュッ、と口から息が漏れ出て、敵とすれ違う。


遅れてゴトリッ、と重たい音が聞こえ、地面を赤く染め上げる。


続く怪物共の猛撃に対し、縦横無尽に駆け抜ける…迫りくる敵から拳が放たれたのならば、腕を切り飛ばし首を刎ねる。蹴りが飛んできたのなら、足を斬り飛ばし首を刎ねる。噛み付いてきたのなら、体を横に捌いてガラ空きの首へと吸い込まれる様にして振り下ろす。


生き物は頭を無くせば死ぬ。故に狙うのは首だ。


どんなに驚異的な回復力をもっていようとも、頭を生やす事など生物には不可能。それこそ化物でもない限りは…


相手を殺す事に対する躊躇を一切合切捨て去った。まさしく本物の殺人剣が何度も振るわれる。


振るわれる度に命の灯を自身が消しているという明確な意思と感覚が伝わってくる。


だが、もう止まる訳にはいかない。

自分が止まれば、彼女が殺されるかもしれない。

何の罪もない誰かが犠牲になるなんて間違っている。と、そこまで考えて…


―(あぁ、彼らも、そうだったのか…)


殺す相手の気持ちが、少し判った様な気がした熾輝は、しかし、その手を一切緩める事はせず、絶叫を上げ、必死の形相を浮かべながら迫りくる最後の怪物を……その手で殺めた―――。




辺り一面が血の海と化した戦場後に熾輝は、ただ一人、佇んでいた。


俯いたまま覗く隻眼からは、色が抜け落ちたかのように生気が感じられない。

代わりに白かった眼帯が返り血で赤く染め上げられ、身体の至る所に血糊がベッタリと付いて、どこか不気味な雰囲気を出していた。


「行かなきゃ……」


死屍累々から視線を外し、目的地を目指す。


身体中に鈍い痛みを感じるが、いずれも打身の域を出ない。

強いて言うのなら右脇腹…肋骨にヒビが入っているのが一番の重症箇所と言えるだろう。

しかし、その程度の怪我では戦闘に差しさわりは無い。


気配を探り、咲耶と標的の位置に変化が無い事を確認すると、迷いのない足取りで進む。


工場跡を1つ挟んだその場所への出入口は、複数存在していたが、判りやすいように開け放たれている鉄の扉が1つ。


中の様子を確認することなく、熾輝は中へ入ると…


「待ってたわよ」


熾輝の良く知る人物、…城ケ崎朱里が居た。


古びたパイプ椅子に腰かけた朱里は、足を組んだまま、口角を僅かに吊り上げて熾輝を見つめる。


熾輝と朱里、お互いの丁度中間に位置する場所には、うつ伏せになって倒れた状態の咲耶が視界に飛び込んできて、思わず駆け出したい衝動を堪え、今回の騒動を引き起こした張本人を睨み付ける。


「約束通り来てやったんだ。咲耶を返せ」

「好きにしたら?アンタを誘い出すために利用しただけだから、もう用済みよ」


拉致監禁までしておいて、咲耶を攫った理由が、そんな下らない事だったのか等、本当は怒りのままに言ってやりたい事は山ほどある。

しかし、今は咲耶を無事に救出する事が熾輝にとっての最優先事項だ。


余計なお喋りは必要ないと割り切る様に、無言で咲耶へと近づいていく。


一応、攻撃や罠の可能性を考え、それらの気配に気を配りながら慎重に進んではみたものの、妨害の予兆が全くないことに肩透かしを食らった気分になる。あったらあったで、それは困るのだが、どうやら朱里が言った様に、自身を誘い出すための囮役として咲耶を攫ったと言うのは本当だったようだ。


「咲耶…」

「――ぅ、」


呼びかけに対し、小さな呻き声が聞こえた。身体に外傷も無く、服の乱れも小さい事に安堵の息が僅かに漏れる。


「なぁに?乱暴されたと思った?」


朱里の言葉にハラワタが煮えくり返りそうになるのをギリギリのところで堪える。

むしろ、堪える事に精一杯で、今の熾輝がどんな表情を浮かべているかなんて、自身でも判っていない。


とにかく、朱里の言葉に耳を貸さず、速いところ咲耶をここから脱出させたい。その事だけが頭の中を支配していた。


この先のプランとしては、咲耶を起こし、そのまま彼女だけを外へと逃がすのがベスト。それが出来ないのであれば、庇いながら朱里と戦う事になる。…が、そうなったところで、熾輝には奥の手である能力、【波動】がある。


この能力を使用する以上、魔術師相手に敗北をする事はないという絶対の自信がある。


先のヒュドラを使用した能力者相手では、波動を使う事が出来なかったのは、単純な話、熾輝の技量が及んでいなかっただけのこと。


さて、とどうするかを思案する熾輝の前で、倒れていた咲耶が身じろぎを始め、そして…


「…し、き…くん――?」

「良かった。気が付いたか」


ホッと、息をつく熾輝の目の前で咲耶が身を起こそうとする。

だが、動きがおぼつかない。よく見れば、額に玉のような汗が浮かび上がっており、首筋から胸元に掛けて汗がツー、と流れ落ちている。


意識を奪うために何かされたのか?と考えを巡らせたが、とにかく今は、起き上がろうとする咲耶の身体を支えようと、身を寄せ、肩に腕を回す。


「ぅ、…ここ、は――?」

「無理に喋らなくていい。…ここは、旧物流倉庫だ」

「なんで、そんな、ところに――?」

「……ごめん。朱里は刺客だった。完全に巻き込んだ」


たどたどしく喋る咲耶の質問に、僅かに息を詰まらせ、言いずらそうに事情を話す。


「朱里ちゃんが――?」

「あぁ、何処まで覚えている――?」

「たしか、朱里ちゃんが家に来て、……そっか、あのとき」


気絶前の記憶を辿るように喋る咲耶から、熾輝は、だいたいの状況を理解した。


「熾輝くん、血が――」


返り血を浴びて、身体の至る所が赤く染め上げられている事に驚いた表情をした咲耶の声が僅かに震える。


「大丈夫、僕のじゃない。……それよりも、速くここから出るんだ」


ここへ辿り着くまでの経緯を敢えて話さず、熾輝は急くように咲耶の非難を促すが……


「待って、熾輝くん。お願いがあるの…」

「何だい――?」

「熾輝くん、…あのね……」


言いずらそうに、それでいて俯きながら声を震わせている咲耶を見て、もしかしたら「朱里と戦わないで」と言われるのではないかと内心で気構えた。彼女の性格を考えれば容易に想像がつく。


だが、次の瞬間、そんな予想と反し、咲耶は抱き着くようにして、熾輝の胸の中に顔をスッポリと埋めると…


「死んでくれる――?」

「……え?」


聞き間違いかと思った。

そして、何かがおかしい。何か嫌な予感がする。背中を伝う嫌な気配…これは、なんだ?と、ガラにも無く混乱していた次の瞬間…


「うッ―――!!?」


鋭い何かが腹の中に入って来た感覚に次いで、焼けるような痛みが襲う。

視線を下に落とせば、そこには、黒い柄のような物が腹から生えていた。…正確には刃物が腹に突き刺さっていたのだ。


「さく、や――?」


足元から力が抜け、自分の意思とは関係なく、膝が落ちる。

刃物が刺さった腹部を押さえながら視線を上げると、…そこには微笑みを浮かべ、自分を見下ろす咲耶の姿があった―――。



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