奉納祭
作者ですら忘れていた…第四一話の伏線をここで回収します。
夢を視た――
『日本には、侍が居るんでしょう?』
ベッドで横になりながら、男の子はキラキラとした瞳を向けて、そんな事を言ってくる。
しかし、今の時代に侍は居ない事を教えてやると、ガッカリと肩を落していた。
聞けば、男の子は、身体が弱く、元気になったら、何か武術を習いたいらしい。
だから、本やテレビで見た武術をいつかやってみたくて、色々調べている内に侍みたいに剣を学んでみたくなったらしい。
『――じゃあ、元気になったら、キミが剣を教えてよ』
その時は、何の考えなしに「いいよ」と答えた
しかし、その約束が果たされる事は、永遠になかった―――
パチリと目を覚ました熾輝は、夢の中で視た過去の出来事を思い出したかのように、クローゼットに閉まっていたスーツケースから1つのストラップを手に取った。
「…劉邦に言ったら、怒られるだろうな」
あの日、中国を離れる際に劉邦から渡された物…
それは、あのときの男の子が作ってくれた人形型のストラップ
今では、形見として熾輝の手元にあるのだが、今の今まで忘れていたのだから、自分はとても酷い奴だな、と自嘲気味に笑った。
「熾輝ィー、今日は奉納祭でしょう。急いでご飯食べないと間に合わないわよー」
リビングから紫苑の声が聞こえてくる。
熾輝は、友の形見を見つめると、それを竹刀袋に取り付けた。
はた目から見たら少し不細工な人形だが、なんとなく、熾輝は気に入った。
「せめて見せてあげないとね」
剣を教えるという約束は、果たす事は出来なかったが、天国にいる友に自分が剣を振るう姿を見てもらいたいと思う。
「早くしなさーい」
「…今行きます」
そういって、部屋を出た熾輝は、リビングで食事を始めた。
今日は、熾輝の教え子たちが神社の神様に武術を奉納する祭り当日…ちなみに、この祭りには熾輝も参加する事から紫苑も応援に行くと、昨日言われたのだが、出場者である熾輝よりも彼女の方が何やら張り切っているように見えて仕方がない。
◇ ◇ ◇
「――お兄ちゃん、これは、どうやって付けるんだっけ?」
「はいはい」
「お兄ちゃん、これは…」
「こうやって、こう――」
会場の片隅、選手たちが試合前の練習をするなか、熾輝は小春の世話を焼いていた。
彼女が道場に通い始めて1週間、基本的な事は教えたが、やはり初心者…防具の付け方や手ぬぐいの巻き方など、誰かに手伝ってもらわなければ、付けることが出来ない。
「これでよし」
「わあ、ありがとう」
防具を付け終わり、不備が無いかを点検、…問題の無い事を確認すると竹刀を渡す。
「今日は、試合というよりお祭りだから、怪我にだけは注意するんだよ?」
「うん、わたし頑張る」
張り切る小春をみて、頑張られて怪我でもされないか、一抹の不安が過り、熾輝は微苦笑する。
「もうすぐで試合も始まるけど…小春ちゃんは2試合目だね」
「はい!」
熾輝は、道場の生徒が出る順番を確認しながら小春に告げると、元気の良い返事が返ってきたときだった…
「小春、何やってるんだよ、早くしないと練習時間が無くなるぞ!」
「あ、ヒロくん…待っててくれたの?」
「べ、別に、たまたまあぶれてただけだよ」
動揺しながら答えるヒロに小春は、近づいていくとクルリと振り向いて…
「お兄ちゃん、行ってきます」
――と、ブンブン手を振った。
「うん、狭いから周りとぶつからないようにね」
「はーい」
楽しそうに練習へ向かう小春を見送った熾輝は、自分も準備を進めるかと思ったとき、ヒロが見ている事に気が付いた。…が、直ぐにプイッと視線を切られ、そのまま練習生たちの中に紛れていった。
―(…睨まれてた?)
以前から、ヒロに敵意の様な物を向けられていると感じていたが、熾輝にはその原因に心当たりがなく、小首を傾げてしまう。
「――熾輝くん、ちょっといいかな?」
そんな折、自分に近づいてきた燕が年配の男性を引き連れてやって来た。
その男性は、装束を着込み、一目で神社の宮司である事が判る。
「あぁ、良いよ。……こちらの方は?」
「この神社の宮司さんで、熾輝くんに挨拶がしたいんだって」
「僕に――?」
ハテと疑問符を浮かべる。
神社関係者で熾輝の知り合いは、燕くらいのもの…なのに、面識がない神社の宮司から挨拶をされるとは、妙な話である。
しかし、それは後々わかる事であろうと思考して、熾輝は自分から挨拶をする。
「初めまして、八神熾輝と申します。この度の奉納祭、晴天に恵まれた中の開催、誠におめでとうございます。未熟者ですが、誠心誠意、日頃の鍛練の成果を発揮し、神様へと奉納したいと思います」
折り目正しく、頭を下げる熾輝を見て、宮司は驚いた様な表情を浮かべると同時、子供らしからぬ態度に苦笑いを浮かべていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「…それで、あの、何処かでお会いしたことがありましたでしょうか?」
「いいえ、会うのは初めてです。しかし、君が剣道を教えている道場の主から話を聞いてね」
「話、ですか?」
いったいどんな話だろうかと気にかかる。
道場主とは臨時コーチをする前、病院へ挨拶に顔を出した程度である。
その時は、葵が務めている病院ということもあり、彼女も一緒に挨拶をしてくれた。
「ええ、小学生とは思えない程にしっかりした男の子だと、…流石は昇雲師範のお弟子さんだと誉めていたよ」
「…恐れ入ります」
突然、誉められた事にむず痒い気持ちになってしまい、当たり障りのない様に返事を返す。
そして、昇雲の知名度を改めて再確認させられた。
街の小さな大会とはいえ、師の顔に泥を塗る訳にはいかないと心から思う。
「どうだろう、時間が出来たら少しお話をしないかい?ウチの神社の歴史を色々と教えてあげよう」
熾輝としては正直、この神社の歴史について全然興味など無かった。
しかし、何故かここの宮司は、自分を気に入った様で、そんな事を言ってくる。
「…お忙しいのではありませんか?」
「なぁに、祭りが終われば、見知った商店街の連中と騒ぐだけだよ。それに、神社の歴史なんて話しても誰も興味を示してくれないんだ」
何とか断れないものかと思いつつ、淡い希望を込めての言葉だったが、全然ダメだった。
というか、誰も興味が無い話を何故にそんなにも話したがるのだ。と思いつつ、最終的に祭りが終わったあと、宮司の元で話を聞かされる約束をしてしまったのであった。
「し、熾輝くんごめんね。あの宮司さん、話好きで、いつも話を聞いてくれそうな人を見つけると、永遠と話を聞かせようとするの」
「いや、…乗りかかった船だ。最後までやり遂げるよ」
燕も実は嫌な予感はしていたのであろう。
しかし、父の代行として来ている以上は、ここの宮司を無下には出来なかった。
「――まったく、熾輝はハッキリしないわね。嫌な時は嫌と言いなさいよ」
何処で話を聞いていたのか、呆れた様子を表して、紫苑が声を掛けてきた。
「あ、紫苑さん。こんにちは」
「こんにちは、ツバメちゃん、…本当に巫女さんだったんだね」
「何だと思っていたんですか?」
「え?あ~、変な意味じゃないのよ?こんなに可愛い子が巫女属性って、激レアだと思っただけなのよ」
「姉さん、…十分変な意味だと思うよ?」
熾輝は、巫女属性という言葉の意味は解らなかったが、何やら邪な感情が含まれていた事だけは理解した。
「お黙り、弟が姉に逆らうなんて、100年早いわよ」
「ぬぐっ、――」
姉というステータスを盾に反抗を封じにかかる。
熾輝も何故か姉というワードの前にぐうの音も出なくなっているのは、紫苑が持つ傍若無人に呑まれているせいでもある。
「そんな事より、熾輝の試合はいつよ?葵さんからカメラ預かって来たんだから、しっかり録画して見せてあげないと」
「…まだまだ先ですよ。高学年は、午後からです」
「え~、何よそれ。朝から来る意味なかったじゃない。なんでもっと早く言わないのよぉ」
「姉さんが祭りなら出店で買い食いがしたいって言って、聞く耳持ってくれなかったんじゃないか」
紫苑は、久しぶりの日本に舞い上がり、祭りと聞いて、昨晩は速攻で就寝してしまった。
いつもなら深夜まで夜更かしをして、一番遅くに起きる生活スタイル…にも関わらず、今日に限っては、早起きをして熾輝を急かしていた。
「もう、…仕方ないわ。適当にぶらぶらして、昼食時になったら戻ってくるから、熾輝は生徒さんたちの応援をしっかりやりなさい」
「それは、もちろんだけど…姉さん、買い食いし過ぎてお昼が食べられないなんて事がない様にしてよ?」
「アンタは、私のお母さんか!?」
こういう時の紫苑の性格を知り尽くしているかの如く、熾輝が注意をするが気にした様子も無く、屋台が立ち並ぶ通りへと姿を消していった……
「――まったく、大丈夫かなぁ」
「珍しいね、熾輝くんが、あんな風に喋るのって」
紫苑が立ち去ったあと、溜息を吐いて心配をする熾輝を視て、燕が率直な感想を口にする。
「あんな風に?」
「うん、…なんか遠慮が無いと言うか、感情的と言うか…本当の姉弟みたいだった」
燕からは、どう見えてのかは知らないが、熾輝としては、そんな風には思えなかった。
正直「いやいや、遠慮しまくってるよ?あとが怖いもん」と言いたかった。
「姉弟かぁ、…でも、紫苑さんが視ているのは、昔の――」
「昔の、記憶が無くなる前の自分」と言いかけて、辞めた。
言ってしまえば、紫苑が守ろうとしてる大切な何かを壊してしまうと思ったから。
「そんな事より、燕も今日は巫女の仕事を頑張ってね」
「うん、…あッ、さっき連絡が来て、可憐ちゃん達が見に来るって言っていたよ」
「わざわざ?」
「うん、わざわざ」
折角の春休みなのに、みんな暇なのか?という考えが過ったが…
「私たちの応援をしに来てくれるって」
どうやら、そんな考えは彼女たちに対して失礼だったらしい。
熾輝は、心の中で「ごめんなさい」と反省をして、道着の襟元を正す。
「なら、頑張らなくちゃね」
「うん!頑張ろう!」
ひょんな事から受けてしまった道場の臨時コーチであったが、こういったところで、友達の優しさに気が付く熾輝であった。
◇ ◇ ◇
祭り午前の部、生徒たちの頑張りは、凄かった。
今回、道場の生徒で2年生と3年生が優勝をした。
元々、実力者が多い道場だったので、順当な結果と言えるだろう。
1年生も頑張りを見せたが、惜しくも優勝には手が届かなかった。
熾輝が臨時コーチとして受け持っていたのは、1、2、3年生の子供たちだけ。
4年生から上の子達は、練習時間が異なるため、顔を合わせた事がなかったが、それでも普段から道場に通い、練習しているだけあって、中々の腕前だ。
優勝こそ逃したが、2位と3位という高成績を収めた。
残るは、午後から始まる5年生6年生の部…臨時コーチを頼まれただけの熾輝にとって、正直、出場する必要は無かったのだが、低学年たちに教えている手前、出ないという選択肢はなかった。
ちなみに、1週間前に入門をした小春とヒロはといえば、…まぁ、当然と言えば当然になってしまうが初戦敗退であった。
元々、試合の経験を経て、同学年たちの強さを知ってもらおうという狙いもあったので、熾輝としては、2人が出場する事に意味があったとおもっている。
「それにしても、ヒロくんは頑張っていたよね」
「そうそう、あと一本で勝てたのに惜しかったよ」
「生意気だけど、やるわよね」
熾輝と燕は、昼前に合流した咲耶、アリア、可憐、朱里とお弁当を摘まみながら話をしている。
その話の内容は、ヒロの事だ。
彼は、道場に通い始めて1週間という短い練習だったにも関わらず、相手から1本をとり、時間一杯まで粘るほど善戦していた。
初心者らしい動きではあったが、果敢に攻める様は、何か鬼気迫るものを感じさせられた。
「小春ちゃんもよく頑張っていましたね」
「本当よね、負けはしたけど、一生懸命さが伝わって来て、見ていて気持ちが良かったわ」
ちなみに、アリアの事について、朱里には近所の気の良いお姉さんという事で説明をしている。
先日の事情説明のとき、杖の状態でいてもらったが、朱里が魔力感知については、感覚が鋭くないと判ったうえ、アリアには魔力を消してもらっている。
皆が口々に試合の感想を述べる中、熾輝は携帯電話に目を落とし、ポチポチとメールを打っていた。
「ちょっと、食事中に行儀が悪いわよ?」
「うん、ごめん。ちょっと知り合いが一緒に来ていたんだけど、戻って来なくて」
お昼には戻ると言っていた紫苑が一向に戻ってこない事を心配して、連絡を取ろうと携帯電話を操作していたのだが、その様子を朱里が注意した。
「迷子とか――?」
「いや、違うと思うけど……あっ、」
メールを送信して、直ぐに返信がきた。
その内容は、『食べ過ぎた!お昼は要らない!』というものであった。
予想的中、「やっぱりな」と苦笑いを浮かべ、一言『了解』とメールをしたためると、バックの中に携帯端末をしまった。
「大丈夫だったの?」
心配そうに聞いてくる朱里に熾輝は意外感を覚えながら、あくまで知り合いと…紫苑の名を伏せて報告をする。
「あぁ、屋台で食べ過ぎて、お昼は要らないって。…たぶん何処かで休んでると思うよ」
報告を受けて「そう、無事が判ってよかったわね」と言った朱里は、持ってきたお弁当に箸を伸ばす。
彼女が転校してきてから、今まで観察し続けていた熾輝は、その変化に、なんとも不思議な物を感じていた。
当初の彼女は、取り繕っては居たけれど、心の奥底に負の感情を覗かせていた。
しかし、ここ最近の彼女からは、そういった物をあまり感じない……というよりも、他の友達のように喜怒哀楽が入り混じった感情しか見えなくなっていた。
熾輝は、人の感情を色で見分ける…しかし、それは明確な物ではなく、ザックリとした物で、参考程度にしか活用できない。
だから、相手が何を考えているのかを知る事は出来ないし、明らかな害意を向けられさえしなければ、これといって有利な力とも言えないのだ。
「――さて、そろそろ準備しなくっちゃ」
「あれま、もうそんな時間?」
時計を確認したアリアだったが、まだ時間には十分に余裕があった。
「みんなは、ゆっくりしていてよ。身体を馴らしてくるだけだから」
臨時コーチとして生徒たちに格好悪い姿は見せられないというプレッシャーを密かに感じていた。
慣れた手つきで防具を着けた熾輝は、未だ食事をしていた彼女たちに挨拶をすると、練習場へと向かっていった。
◇ ◇ ◇
一方、そのころの紫苑と言えば…
「――おじさん、リンゴ飴2つちょうだい」
「はいよ!」
祭りの出店を堪能していた。
先ほど、食べ過ぎたため熾輝の元へは合流出来ないと言っていた割には、相も変わらず食べ続けていた。
その矛盾する行動には、理由がある…
「はい、香奈ちゃん」
「わーい、ありがとうございます」
隣にいた女の子、倉科香奈に先程注文したリンゴ飴を手渡す。
「それにしても、アイツも来れば良かったのに」
「ん~、なんか本家から急な呼び出しがあったらしいよ」
モグモグとリンゴ飴を食べ歩きながら2人は、この場に来ていない五月女凌駕について話をする。
「何かあったの?」
「詳しくは、教えて貰えなかったけど、魔能拘置施設で何かあったみたい」
「……へぇ」
魔能拘置施設とは、魔術師及び能力者専用拘置所の事であり、そこで何かあったと聞かされて、紫苑の脳裏に真っ先に過ったのは、脱獄という単語であった。
しかし、件の拘置所の警備は、厳重なもので、易々と脱獄など出来ないハズである――と、思考したが、今ここで考えても詮無い事と切り捨てる。
「ところで、香奈ちゃんは熾輝に逢わなくてもいいの?」
「うん、なんか女の子に囲まれていたから遠慮しておく」
紫苑と合流する前、遠目ではあるが熾輝の様子を見て来た事をサラリと…そしてさり気なく告げた。
「そもそも、パパに逢うなって言われているし、逢っても熾輝くんを困らせちゃうよ」
「……なんか、ごめんね」
幼少のころから熾輝を知っているのは、紫苑だけではなく、香奈も同様なのだ。
しかも、香奈は同年代ということもあり、ちょくちょく熾輝とは一緒に遊んでいた仲だで、幼馴染といっても良いくらいには付き合いがあった。
ただ、そのことは、今となっては香奈だけが覚えていることであり、熾輝からしたら魔界から戻って来たときに、五月女の本家で、ほんの少しだけ顔を合わせたと言う記憶しかない。
紫苑は、自分だけが熾輝の傍に居る事に対し、僅かながらの罪悪感に似た感情を覚えていた。
「いいの、いいの。正直、パパの言い付けなんて、破ろうとすれば、いつでも破れるし。ぶっちゃけ、このあと接触してみようかなぁって…」
「―?―」
香奈は、ムフフフと、何か意味ありげな笑いを浮かべる。
「それに、いざという時は、凌駕さまが守ってくれるから」
「アイツが?」
香奈の言葉に紫苑は違和感を覚えた。
紫苑が知っている五月女凌駕という男は、周りを寄せ付けない…というよりは、近寄るなオーラ全開で、孤高を気取った常に不機嫌そうな面をしている奴というイメージだ。
「うん。凌駕さま、不器用だけど本当は優しいよ?」
「……あぁ、ゴメン。正直、優しいアイツを想像できないわ」
「あはは、紫苑さんは、ズバズバ物を言うタイプだから、凌駕さまの良いところは判りにくいよね」
「ちょっとぉ、それじゃあ私が鈍いみたいじゃない」
「え、……違うの?」
香奈の紫苑に対するイメージと言うものを面と向かって言われた事に、目元がピクリと脈打った。…が、正直、腹は立たなかった。
「まぁ、熾輝くんに近づかなかった理由は、もう一つあるの」
「なぁに――?」
「えっとね、前に学校で凄い子が居るって言ったの覚えてる?」
「………あぁ、術式になまりがあるとか無いとか言ってた子?」
「そうそう、その子がね、居たの」
「え――?」
思わぬ香奈の報告に、紫苑は何か因果な予感を覚えた。
◇ ◇ ◇
試合前の練習時間が終了し、試合を間近に控えた熾輝は、一旦、荷物置き場へと戻ってきた。
軽くタオルで汗をぬぐい、水分を補給する。
そして、練習中に竹刀にササクレが出来てしまった事から予備の竹刀に取り換えようとしたときだった――
―(…ない)
竹刀袋の先端、
先ほどまで確かにあったソレが無くなっている事に気が付いた。
友達からの贈り物、不格好ではあるが、一生懸命に作ってくれたマスコットのストラップ…
念のため手荷物に紛れていないかと探してはみたものの、やはり見つからない。
「…困ったな」
「どうしたの?」
独り言のように呟いただけだったが、ちょうど戻ってきた少女が問いかけてた。
「咲耶、…いや、物を落しちゃったみたいで」
「え、お財布とか?」
落とし物と聞いて、貴重品を連想したのだろうが、そういった金目の物は、あらかじめ神社側へ預けている。
だから、財産的な価値は皆無だ。
「ストラップだよ」
「あぁ、竹刀を入れていた袋に着いてたやつ?」
「……うん、よく判ったね」
これといって目立った特徴がある訳でもないにも関わらず、熾輝が持って来ていたストラップに気が付いてたことに感心する。
「え?いや、えっとね、熾輝くんが、ああいうの持っているのが珍しいなぁって、……たまたま!そう、たまたま目に入っていたの!」
「そ、そうなんだ」
慌てた様に言いつくろう咲耶に違和感を覚えたが、彼女の言葉をそのまま鵜呑みにする。
「大事な物なの?」
「いや、価値は無いんだけど―――」
問われて、熾輝は無くなったストラップの経緯を掻い摘んで説明した。
「大事な物だよ!はやく探さないと!」
「いや、でも―」
試合時間も差し迫りつつあるこの状況で、小さな落とし物を見つけ出すのは難しい。
と、半ば諦めかけていたときだった…
「離せよ!何なんだよ!」
「いいから来なさい!」
「アリア――?」
何やら騒がしい声に振り向けば、アリアがヒロの首根っこを掴んで戻ってきた。
「どうしたの?」
「あ、咲耶聞いてよ。この子が熾輝の荷物をあさってたのよ」
「え――?」
ヒロを連行してきたアリアの傍らには、可憐と朱里が一緒にいて、2人とも困ったような顔を浮かべていた。
「ヒロくん、本当なの?」
「はぁ?別に漁ってなんかいないし。自分の荷物と間違えただけだし」
咲耶の問に対し、ヒロは悪びれる様子もなく答える。
「さっきからこの調子なの。…熾輝、何か無くなった物はない?」
「え~っと……」
無くなった物はある。
それは、熾輝が友人から貰った形見のストラップだ。
だが、人の多い…ましてや神社の祭事で事を大きくするのは、あまりよろしくないのでは?という考えが過り、僅かに良い淀んでしまった。
しかし、そうした迷いを持った熾輝の代わりに、咲耶が声をあげる。
「あのね、熾輝くんの大切なストラップが見つからないの。…もしも知っているなら教えて欲しいな」
「何それ?俺が盗んだって言いたいの?証拠も無いのに犯人扱いするわけ?」
言葉を柔らかくし、お願いする形でヒロに水を向けてみるも、相も変わらずああ言えばこう言うスタンスを崩さない。……が、ヒロは先程から右手を握ったまま開かない。
おそらくは、その手の中にストラップがあるのだろうと熾輝は思いつつも、こういった状況でヒロを責め立てるのは、気が引けていた。
出来る事なら、後でそっと返しておいて欲しいと思っていた矢先だ…
「じゃあ、その手の中身を見せなさい」
「………」
聞いていてイライラと怒りのボルテージを上げていた朱里が核心をついた。
朱里の一言で、先ほどまでペラペラと滑らかに動いていたヒロの舌が止まった。が、それも僅かな間だけ…
「あ~、はいはい。持ってますよ。俺が持っていますが、なにか?」
「ッ、何かって、…人の物を取ったら泥棒よ?」
「泥棒?勘違いしないでよ、ちょっと借りていただけじゃん。何を大袈裟に言ってるの?」
「アンタッ…いい加減にしないと怒るよ」
ヒロの態度にアリアと朱里のボルテージは、上がる一方…
一方の熾輝はと言えば、若干面倒臭いと思いつつ、どうやって事を収めれば良いのかと思い悩んでいた。そんな時…
「ヒロちゃん――」
「ッ、……小春」
ヒロの幼馴染である小春がやってきた。
その隣には、ヤレヤレといった顔を浮かべた燕が傍らにいる。
状況からみて、彼女が小春を連れて来たのであろう。
「ヒロちゃん、どうして?お兄ちゃんの物とったりしたの?」
「………」
「きっとお兄ちゃん困っているよ?」
「………」
「一緒にあやまるからお兄ちゃんに返そう?」
「………」
小春の言葉に押し黙るヒロ…
おそらく、ヒロにとっての弱点が彼女なのだろう。
周りがいくら言っても聞かない事でも、小春が言う事に対しては、素直になる…その事が判っていて、燕は小春を連れて来たのだ。
「ヒロちゃん、そんな悲しい事したらイヤだよぉ――――」
「うるさいんだよッ!」
小春の言葉に対し、何か我慢ならない事があったのか、ヒロは思わず声を荒げた。
「なんだよ!お兄ちゃん、お兄ちゃんって!どうして、あんなヤツの話ばかりするんだよ!」
「ヒロ、ちゃん――?」
「剣道だって、一緒にやろうって言ったのに、いつもアイツのところへ行って……」
癇癪を起した様に……という訳ではない。
ヒロは感情的にではあるが、ちゃんと自分の気持ちを言っている。
「そりゃあ、俺はガキだし、全然強くないし……あの時だって、小春を守ってやれなかったけど」
あの時、と聞いて熾輝は疑問符を浮かべたが、その答えは燕がくれた。
「あ、そうか。ヒロくんも、あの事件のとき、現場にいたから…」
事件と聞いて思い当たるのは、先日の銀行強盗事件――
しかし、それらに関する記憶は刹那が消してくれているハズ…にも関わらず、ヒロの心に何かのシコリを残している様な言い方だ。
事実、あの事件のあと、小春は外出する頻度が減っていた。
記憶は消してはいたが、それも完璧とはいえない。
よく心の傷と言うのは、そう簡単に治らないと言うが、彼女の場合は、まったくの逆パターン。
如何に記憶を消したとは言え、身体が恐怖を覚えているのだ。
しかも、小春の場合、極限状態の中、犯人にナイフを突きつけられ、爆弾までも取り付けられていた。
そういった記憶を脳が忘れていても身体に染み付いてしまっていた。
それを機微に察したヒロは、何とか小春を外へと連れだせないかと考えた末に出したアイディアが街の道場へと通うというものだった。
「でも、だからって、お兄ちゃんお兄ちゃんて…俺だって小春の力になりたいのに、…俺が小春を守りたいのに…」
ヒロの小春に対する想い…特に大切な人を守りたいと言うその想いだけは、熾輝にも理解できる。
熾輝は、常に自分の大切な人の為に闘ってきたから…だからこそ、ヒロの熾輝に対する態度も頷けるし、だからこそ、その感情をコントロール出来ず、熾輝の物を取ってしまったのだろう。
そして、ヒロの口惜しさ、怒り、悲しみといった渾然とした感情の行方は未だに彼の中で彷徨い、吐き口を見失っていた。
「なんで、…なんで、俺じゃあダメなんだよ!お前なんか、お前なんかキライだ――!」
「待って、ヒロくん――」
自分の中の嫌な感情をぶちまける様に、何かにぶつける様に、ヒロは持っていたストラップを地面に投げつけた。
そうやって、何かに当たらなければ、とてもじゃないが心を保てなかったのだ。
しかし、その行為が自分を追い込む物とは、この時のヒロに想像する事すら出来なかった。
「それは友達の形見って……」
「――ハァ、ハァ、ハァ………え?」
ヒロは、自分の中で渦巻いていた感情を一気に吐き出したせいで息切れを起こしていた。
ただ、…そんな中で、咲耶がうっかり漏らした言葉がヒロの中に不思議と明瞭に入って来た。
「ぁ、…違ッ、俺は、そんな、つもりじゃ――」
自分がしでかしてしまった事の重大さに、今になって気が付いたヒロ、…
しかし、どんなに後悔しようとも、時間を元にもどすことは出来ないし、やってしまった事を無しには出来ない。
場を静寂と言う息の詰まる空気が流れ、ヒロの目に涙が浮かぶ。
流石にこんなとき、どう対応すれば正解なのか、誰にも判らない。
今ここで、ヒロを叱りつけ、責める事は簡単だろう。…しかし、こんなにも弱り切った子供を寄ってたかって責める事は、誰にもできなかった。そのとき…
「――お兄ちゃん、ごめんなさい」
スッと地面に落ちたストラップを拾い上げ、付いていた砂を丁寧に払った小春は、頭を下げながら、それを熾輝に差し出した。
「大切な物だったのに、本当にごめんなさい」
「小春ちゃん…」
「あのね、ヒロちゃんを怒らないで。ヒロちゃん、本当は凄く優しいの。小春がお外に出るのを怖がっていたのに気が付いてくれて、一緒に居てくれて、道場に誘ってくれて……だから」
小春は、ヒロが怒られない様に必死でヒロの良いところを説明する。
普段は小憎たらしいヒロだが、それは小春が絡んだ時だけと、燕から伝え聞く。
害意が小春へ向かない様に、あえて攻撃的な口調になるのだという。
例え腕力で敵わなくても、それで自分に注意が行くようにと……彼なりの小春の護り方なのだ。
その事を理解した熾輝は、頬をポリポリと掻きながら微苦笑すると…
「大丈夫、怒ったりしないよ」
「お兄ちゃん」
「それに、友達の形見って言うのは嘘だ」
「そうなの?」
「…え、ウソ――?」
思いもよらない熾輝の発言に、それを聞いていた咲耶も思わず聞き返した。
「そうさ、男がこんな可愛いストラップを付けているのは、恥ずかしいだろ?だから、ちょっと嘘を付いちゃったんだ」
「で、でも――」
熾輝がそんな意味のない嘘を言う人ではない事は、咲耶は十分に理解している。
それに、フェルトで作られたストラップを見れば、手作り感が満載(それを作った者が亡くなっているかどうかは不明だが…)である。
聞く者が聞けば、熾輝の発言が一発で嘘だと判る。
だから、咲耶も追及しようとしたが、熾輝はそれを制するように浮かべた微苦笑をみて、それ以上、何も言わなかった。
「…何よもう、人騒がせね。でも、だからと言って人の物を取ったり、投げつけたりしちゃあだめよ?」
「………」
「そうですね。しかし、熾輝くんも、友達の形見なんて嘘を言わずとも良いじゃないですか」
意図を察した朱里と可憐が場の空気を変えるように喋るが、ヒロは俯いたまま何も言わない。
その様子に熾輝も気が付いていたが、敢えて責める事はしない様に「ゴメンゴメン」と苦笑いを浮かべながら、小春から手渡されたストラップをしまい込む。
「あ、そろそろ試合が始まっちゃうよ」
「そうだね。…ヒロくん、もう気にしないでいいからね」
「………」
燕に促され、その場を去ろうとした熾輝は、最後にヒロへ声を掛けるが、やはり何も言葉を返してはくれなかった。
熾輝は微苦笑し、あとは何も言わず、その場を後にした。
そうして、熾輝が居なくなったあとのヒロは……
「アイツ、やっぱりキライいだ」
絞り出すような小さな声、キッと睨むような目つき、……しかし、今までの様な憎いヤツを見る目ではなく、悔しさを滲ませた目を向けていた。
きっと、ヒロも熾輝の嘘には気が付いていたのだろう…
「ごめんね、ヒロちゃん」
「何で小春が謝るのさ。悪いのは全部オレだ」
「ううん。せっかく道場に誘ってくれたのに私……でもね、後でちゃんと、お兄ちゃんに謝ろう?」
「………うん」
やはりというか、ヒロは小春に弱い。
そんな、二人のやり取りを視ていた周りの少女たちは、ホンワリと和んでいた。
「はぁ、…しかし熾輝もモテモテね」
「ふふふ、全くですね」
「さしずめ、熾輝くんはヒロにとって、恋のライバルだね」
「こ、恋のライバル」
それぞれが言いたい放題のなか、咲耶は恋という単語にチクリと胸に違和感を覚えた。
そしてまさか、少女たちが、そんな事を言っているとは、露とも知らない熾輝の試合が間もなく始まるのであった―――。




