合同訓練
ある日の早朝、人払いが施された公園で3人の少年少女が一緒になって、とある特訓を行っていた。
「――また負けたァ」
集まっていた内の1人、結城咲耶はガックシと肩を落とし……
「まだまだね、もっと術式の展開速度を上げないと、私には勝てないわよ」
勝者の余裕なのか、朱里は誇らしそうにする一方で、咲耶の敗因を助言する。
「むぅ、…朱里ちゃんが早すぎるんだよぉ。なんでそんなにも速く術式を展開できるの?」
「修行あるのみ!」
2人の決定的な違いは、術式の発動速度にある。
今回の修行は、離れた標的に魔術を当てると言う物だ。
これは、熾輝との特訓の際にもやっていた事なのだが、競争相手が居るのと居ないのとでは、モチベーションも変わってくる……という朱里の提案から一緒に特訓をする事になったのだ。
ただ、結果からみても、やはり魔術行使において、朱里に一日の長がある。
連敗続きの咲耶は、若干落ち込みムードだ。
「ねぇ熾輝、次は彼方が相手してよ」
散々打ち負かされた咲耶の集中力も、そろそろ切れかけて来た。そう感じた朱里は、2人の様子を見ていた熾輝に声を掛けた。
「悪いけど、僕はそっち方面は不得手なんだよ。発動スピードには自身はあるけど、標的には届かない」
「なによそれ……特化型なの?」
特化型と言った朱里の言葉に対し、熾輝は悪びれも無く首を縦に振って応える。
「なら仕方ないわね。なら、咲耶になにかアドバイスでもしてあげたら?師匠なんでしょう」
「そうだなぁ、展開速度は朱里が言った様に日々の修行が物を言うし……ちょっと種目を変えてみるのはどう?」
流石に負けが込んでいる咲耶をこのままにしておけば、自身を失いかねない。
そう考えた熾輝は、あえて彼女の得意分野で朱里に挑めないかと提案する。
「私は別に良いけど。何か秘策があるの?」
「そんなのは無いよ。ただ、朱里が負ける顔がみたくなっただけ」
「…言ってくれるじゃない。やっぱり弟子が負けるのは、師匠として悔しい?」
軽い挑発のつもりだったが、案外…というかやはり、乗せられやすい性格をしていると思いつつ、熾輝は「まぁね」と軽く相槌を打つと、肩を落していた咲耶に近づき、耳打ちをする。
その際、オロオロとしながら顔を紅潮させている彼女の様子を朱里は黙って観察していた。
「――どうだろう?」
「う、うん。それなら大丈夫だと思うけど、……勝てそう?」
「あぁ、咲耶ならきっと勝てる」
「ッ――、が、頑張るッ!」
これから行うであろう競技の作戦?を伝えた熾輝は、不安そうにする咲耶へエールを送る。
それに対し、咲耶はやる気を取り戻したかのように声を張って返事をした。と思っていたのは、熾輝だけであって、当の本人は、別な意味でやる気を漲らせていた。
「おまたせ、さっそく始めようか」
「いつでも良いわよ…と言いたいところだけど、今度は何をやるの?」
熾輝は、これから行う競技の説明を2人に行った――
「それじゃあ、準備はいい?」
「いつでもいいよ!」
「…こっちも良いわ」
2人の準備が整っている事を確認した熾輝は、手を上げて始まりの合図を告げる。
「それでは、石像争奪戦……開始ッ――!」
石像争奪戦と銘打った競技…もちろんそんな競技は、世界広しと言えど存在するハズがない。
これは、この日、この場限りの即興競技である。
公園に設置されたドデカイ球状の石像、…これが何の意味で置かれているのかは、誰も知らない。
街の七不思議の1つとして数えられているらしいが、今は割愛するとしよう。
ともかく、件の石像を中心に2人が両極に位置するように立ち、魔術を行使して引っ張り合う……要は綱引きの様な物と考えてくれて構わない。
この競技もやはり、先に魔術を発動した方が有利なように感じるが、そうではない。
これには、tにも及ぶ超重量の石像を動かすための魔法力、そしてそれを維持するだけの魔力量が必要になってくる。
だからこそ……
「こんのぉッ!」
始まりと同時に魔術を発動させた朱里であったが、ズリズリと地面を引きずるようにしか石像は動いてくれず、やっとこさ1メートルを移動させたところだ。
「朱里、力んでも魔術には何の効果も無いよ」
「うっさい!そんな事は、判っているわよ!」
ぐぬぬぬぅ…と呻き声を漏らしながら魔術を行使する朱里に対し、若干冷めた言葉を贈る熾輝は、「そろそろかな?」と咲耶の方を一瞥した瞬間、大分遅れて咲耶の魔術が発動した。
「え?え?ちょっと、なによ――!?」
咲耶の魔術が発動してからは、あっと言う間だった。
朱里が苦労して移動させていた石像が、スッと重力の鎖を振り払うかのように浮かび上がる。
朱里の引力を物ともせず、咲耶に引き寄せられるようにして石像が移動を開始した。そして……
「咲耶の勝利だ」
「やったぁ!」
勝利宣言と共に咲耶は、飛び跳ねて喜びを表す。
そして、朱里は信じられないといった様子で膝を折って、地に手を付けていた。
「い、いったい何が――」
「簡単に言うと馬力が違い過ぎたんだよ」
己の敗因が判らないと言った風の朱里に熾輝が説明を行う。
「馬力ですって――?」
「そう、咲耶は確かに魔術の起動は、速い方じゃあない。けど、彼女の魔法力は、桁が違うんだ」
「そ、そんなのっ……私だって魔法力には、自信があったのに」
熾輝の解答に納得が出来なかったのか、思わず声を張って反論しようとした朱里だったが、結果的に勝負は咲耶の圧勝に終わった。
だからこそ、冷静に…そして客観的に見ても熾輝の答えが正しいと理解する。
だが、朱里も自身が持ちうる魔法力には自身があったが故に、悔しさが表情に滲み出ている。
「魔術の発動スピードに関しては、朱里が上を行き、魔法力では咲耶が上を行っていた。それだけの話さ」
「…何が言いたいの?」
「つまり、お互いに学べる事があったんじゃない?…てこと」
咲耶が今後、課題にしなければいけない事は、魔術の起動スピード。
朱里の課題は、自身より上の魔法力を有した相手と戦うためにどうすればいいのか。
それに気付けるかどうかで、彼女たちの今後の成長が大きく変わってくる。…と、ずいぶん偉そうな事を考えているなと熾輝は思っていたが、これは常日頃から彼が言われている事でもある。
「そうね、…今日はためになった」
「それは、よかった」
先日の話し合いで、熾輝は朱里こそが自身を狙う刺客であると、決定づけていた。
ならば、今回の一件が敵に塩を送る形になっているとは、考えていないのだろうか。
―(本当にためになったわ。…熾輝の実力を知る以上に仲間の力を知ることが出来たもの)
勉強になったと、清々しい表情を浮かべている彼女の心情は、その実、熾輝の情報収集が目的であった。
だからこそ、今日の特訓で得られた物は、彼女にとって大きな物となったであろう。
―(――と、考えているかもしれないなぁ。…でも、僕らの情報を知られるデメリットよりも、刷り込んだメリットの方が上かな)
朱里が知った咲耶の実力は、ただの片鱗に過ぎない。なぜなら彼女には、降魔の杖というパートナーの他にも魔導書という切札が隠されているのだから。
そうした実力の誤認の他にも咲耶を敵に回すには、リスクが大きいと認識させる事もできた。
そういった情報操作によって、周りに危害を及ぼさず、標的のみを狙ってくるように仕向ける。
という狙いもあったのだろうが、熾輝の中での朱里の評価は、そういう外道な事をする人間では無いというものであった。
だからこそ、今回の事は、熾輝にとって、あくまでも保険に過ぎない。
「しかし、悔しいわねぇ。…咲耶、また一緒に特訓しましょう」
「うん!今度は、もっと練習して、もっと早く魔術を使える様になるよ!」
熾輝と朱里の間で、色々な思惑はあったけれど、咲耶にとっては、新しい友人とお互いを高め合う事の出来た、有意義なひと時であった。
そんな咲耶の笑顔を見て、願わくば、彼女がこのまま良き友人として居てくれればと感じる熾輝であった―――。
◇ ◇ ◇
特訓のあと、咲耶にとっては恒例の…朱里にとっては初めての朝食タイムのハズだったのだが、今日は少しばかり風向きが違う。
「本当にいいの?」
「いいの、いいの、いつも熾輝くんにご馳走してもらっているから、たまには私が朝食の準備をしちゃう」
「なら、お言葉に甘えようかな」
いつもなら、特訓のあとは、熾輝が用意した朝食を一緒に食べると言う流れなのだが、どうやら今日に限っては咲耶が調理を担当してくれるらしい。
同居人である葵が居ないのは、いつもの事、…しかし、先日帰国した紫苑は、早朝から何処かへ出かけると言って、今は家に居ない。
「へぇ、咲耶の手料理かぁ、楽しみね」
「うん!楽しみにしててね。こう見えても家の家事は、殆ど私がやっているんだから。料理には、ちょっと自信があるんだ」
そう言ってニコニコする咲耶は、自前のエプロンをバックから出すと手慣れた様子で着始めた。
「食材は自由に使ってくれて構わないから」
「うん!」
「……やっぱり、何か手伝おうか?」
「大丈夫だよ、熾輝くんと朱里ちゃんは、ゆっくりしていて」
熾輝の申し入れも断り、咲耶は調理を開始する。
これ以上は、邪魔になるだけと思い、朝食の準備を咲耶に任せ、熾輝はキッチンから退散する事にした。
「ねぇ、熾輝の部屋ってどこ?」
キッチンから戻った熾輝は、リビングでキョロキョロと周りを見渡している朱里に声を掛けられた。
どうやら、熾輝の部屋が気になっているご様子だ。
「そこの部屋だけど…って、朱里?」
熾輝が自室を指さした瞬間、さも当然のように部屋へと向かった。
「ここかぁ、…入ってもいい?」
一応、勝手に入ったりするような無作法はしなかったが、既に部屋の前に来ている時点で、入る気が満々な気配が伝わってくる。
「なぁに?えっちな本とかでもあるの?」
「…そんな物は無い」
「え~、今の間は怪しいなぁ」
熾輝は、まだ小学6年生だ、エッチな本など持っているハズがない………まぁ、もっている同級生がいるとは聞いた事が無い訳では無いが、だからと言って、貸して貰ったりなんかもしていない。
「ハァ、……判った。良いよ入っても」
「そう?じゃあ失礼しまーす」
このまま下手に入室を拒めば、あとでどのような話を言いふらされるか判ったものではない。
半強制的ではあるが、ここは素直に部屋を見てもらって納得して貰うべきだろうと、諦めを込めた溜息を吐いて、入室を許可する。
「――へぇ、結構綺麗に片付いているじゃない」
「そりゃあどうも」
「ていうか、物が無さすぎない?」
熾輝の自室には、机とベッド、それに本棚に何やら難しそうな書物が数冊置いてあるだけ。衣類等はクローゼットの中に全て収納されている。…ちなみに、普段熾輝が使用する装備一式は、双刃の能力によって異空間に納められてる。
流石に拳銃やナイフなどを何の施錠設備もない場所に保管する事はしていない。
双刃の能力により、異空間に収納するのなら、第三者が持ち去る危険性は、皆無だ。
「…ゴチャゴチャと物を置くのが嫌いなんだよ」
本当の理由は別にあるのだが、今の熾輝は、この街に根を降ろしても良いかも知れないと思い始めていたりする。
「清潔なのは、女の子に好印象よ」
「そうかい」
悪戯っぽい笑みを浮かべて茶化そうとする朱里に対して、淡白に対応する。
肩透かしを喰らった朱里は、つまんないと言った表情を浮かべながら、本棚に並べられている書物に目を通す。
「………なによコレ、随分と古い魔術本ね」
「年代物といってくれ」
「古本にしか見えないわ」
「一応、言っておくけど、どれも貴重な書物なんだよ?」
本棚に並べられている魔術本は、貴重な品である事は、間違いない。
持って行くところに持って行けば、かなりの値が付く事は間違いないだろう。
ただ、この本の価値を理解できるのは、限られた者に限る…というのが、熾輝に書物を譲ってくれた師の言葉である。
「……ふぅん、確かに興味深い内容ね」
「理解出来るの?」
なんやかんやと言いながら、手にした書物を興味深そうに読み解いていく朱里の姿に、熾輝は、「同志か?」というある種の友情めいた物を感じた。
以前、咲耶がこの本を見たときは、「気持ち悪い、頭が痛くなる」と言われてしまった。
咲耶にとっては、ちんぷんかんぷんでも、朱里は違うようだ。
「まさか、この本を理解しようとするんなら、一週間ぶっ通しで読み込まなきゃならないわ」
「それでも、一週間で足りると言い切るところが凄いけどね」
熾輝も当時は、数ヶ月かけて、やっと理解出来た程の難書だ。
それを一週間と言ってのけた彼女に対し、ちょっとしたライバル心が芽生えつつある。
その他にも、朱里は机の上に置いてあった魔道具(紫苑からのお土産)に興味を持ったりと、わりかし楽しそうに部屋の中を見て回っていた。
「朱里は、こう言った魔道具や書物が好きなの?」
「そうね、結構好きよ」
朱里は手に取っていた魔道具を熾輝に渡す。
熾輝は、手渡された魔道具を机の上、もとあった場所に置いた時だった…
「でもね、私って、こういった貴重な本や魔道具なんかより、それを使う人間の方に興味があるの」
とたんに艶のある…子供ながらに色っぽい声音で語り始めた朱里に違和感を感じた。
「興味……てッ――!?」
一瞬にして熾輝の心臓が跳ね上がった。
何故なら、背中を向けた僅かな隙に朱里は、背後から熾輝の腹周りに手を回し、抱き付いてきたのだから―――。




