我慢の限界
強盗事件が発生して、既に3時間が経過し、外は、もうすぐ日が落ちて暗くなりかけていた。
最初、犯人グループ達は、人質として残した子供たちを2つに分けて、それぞれ固めて座らせていた。
犯人の内、2人がそれぞれ見張り役につき、もう1人が警戒を行っている。
そして、残り2人が支店長を連れて店の金庫へと向かったっきり、戻ってこない。
外には警官隊が待機しているのか、騒々しい気配が伝わってくる。
何度か店の電話が鳴り、その度に犯人の1人が電話口で喋っていた。…どうやら交渉人と話をしていたみたいだが、要求らしい要求もせず、くだらない雑談を躱してただけだった。
『いったい、いつまで私たちを人質にするつもり?』
最初こそ、ただ黙って犯人に従っていた朱里だったが、いい加減、怒りのボルテージが限界値を迎えつつあった。
普通の子供であれば、この状況、恐怖のあまり、膝を抱えて怯える事しか出来ないだろう。
ただ、彼女には力がある。魔術と言う世界の事象を改変しうる力が…。
だからこそ、自分でどうにかしてやると言う気持ちが先走ってしまうのだ。
『いけません、犯人を刺激したら、何をされるか判らないですよ』
『…判っているわ。でも、このままじゃ、この子達が――』
朱里の状況を機微に察した可憐が、彼女が下手な事を起こさない様に制止する。
ただ、朱里は、なにも自分の事しか考えている訳ではなく、一緒に居た小春たち低学年の子供らが泣くことを必死に堪えて震えている状況が、そろそろ限界だと思っていた。
『大丈夫です。必ず助けは来ます…だから皆も信じて頑張りましょう』
『うぅ、可憐お姉ちゃん』
震える子供たちを落ち着かせるために、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせる。
この状況、彼女も恐怖を感じていない訳ではない。
しかし、ここで自分の心が折れてしまえば、子供たちの心が一気に決壊し、犯人たちに何をされるか判ったものではない。
いま、彼女に出来る事は、助けを待ち、子供たちを守る事だけだ―――
◇ ◇ ◇
2つに別けられたグループのもう一つ、咲耶と燕も同様に低学年の子達を安心させようと、必死に宥めている最中だった。
しかし、それも限界に近い。子供たちの1人が我慢できずにポロポロと泣き始めてしまったのだ。
咲耶は、犯人を刺激させないため、声が漏れないように、その子を抱きしめて、頭を撫でる。
『…咲耶ちゃん、もうみんな限界だよぉ。何とかしないと』
『判ってる。でも、それは最後の手段だよ』
何とかしなければならないと思っているのは、朱里だけではなく、咲耶もそして燕も同じだった。
しかし今、動く訳にはいかないのだ。
ただでさえ目撃者が多い、この屋内で魔術を使えば、魔術の隠ぺいが難しくなる。
だが、理由は何もそれだけではない。
咲耶は、自身が無いのだ。もしも自分が魔術を発動させたとして、果たして犯人グループを無力化できるのか。
失敗したら自分だけでなく子供たちまでも危険な目に遭わせてしまう。
そのいった想いが彼女の動きを縛っているのだ。
だが、状況は彼女が思っていたよりも早く、…そして最悪な方に動き始める。
内と外を遮断していた店舗の出入り口、そこに設置されていたシャッターがゆっくりと上がり始めた。
その様子に、皆が視線を向ける。
シャッターは、1メートルほど上がるとそこで停止して、1人の男が腰をかがめながら入って来た。
「アンタが交渉人かい?」
「……はい、眉墨と申します」
店に入って来たのは、どうやら警察が送り込んできた交渉人のようだ。
眉墨と名乗る男は、店に入って、辺りを見渡すと人質になっている子供たちの無事をその眼で確認する。
「店長の姿が無いようですが?」
「いまは、ちょっと外している。心配すんな、傷一つ付けちゃあいねぇよ」
犯人の言葉に「そうですか」と一言だけいって、それ以上、執拗に追及したりはしなかった。
あまりしつこくしても犯人を怒らせるだけと、交渉人は心得ているのだ。
ただ、その目で店長の無事を確認するまでは、真に受けたりしない。
「さっそくですが、そちらの要求を窺いましょう」
「そうだなぁ、まずは報道陣をなんとかしな。見世物じゃあねぇんだよ。それに、どこの番組も俺達を悪者扱いだ。癪に障るぜ」
「判りました。直ぐに手配しましょう」
人質をとって立て籠もっておいて、お前達はれっきとした悪だろうと、その場の誰もが言いたかった。
しかし、男は悪びれもせず、そんな言葉を吐いたのだ。
「他には――?」
「おっと、まずは報道陣を何とかするのが先だ。10分でやりな」
「…判りました」
犯人の要求を聞こうとした交渉人に、犯人は店に備え付けてあった電話の受話器を差し出す。
受け取った眉墨は、外に待機していた警官隊に犯人の要求を伝えると、そこで一旦受話器を置いた。
「報道各社に連絡を入れます。もうじき上が対処しますので、お待ちください」
「それは、上々だ。うまく出来たら人質の5人を解放してやるよ」
「ありがとうございます」
交渉人が要求する前に犯人からの思わぬ申し出に、小さくホッとする。
しかし、人質になっている子供たちは全部で10人、…店の中で5人づつ、2グループに分けられて座らされている。
例え5人解放出来たところで、まだ5人…子供たちと店長の全員を無事に解放させるまでが彼の仕事なのだ。
不安そうに彼の顔を見ている子供たちのためにもミスは許されない。
「――へぇ、流石日本の警察は優秀だなぁ」
店舗に備え付けられていたテレビのチャンネルを回していく犯人は、どの番組でも現場の状況を映していない事を確認していた。
犯人の要求通り、現場の状況を映している映像は無くなり、事実、警察によって、現場付近に滞留していた報道関係者たちは、解散させられていた。
しかし、テレビのニュースでは、強盗事件についての話が続いている。
「……なぁ、アンタ、俺の言った事が判らなかったのか?」
「え――?」
テレビを見ていた犯人は、突如、怒り狂ったように交渉人の額に拳銃を突きつけた。
「俺はな!報道陣を何とかしろ!悪者扱いは癪に障るっつったんだよ!」
「ま、まて!何を!」
凄い剣幕で迫る犯人の迫力に押されて、眉墨は後退る。
しかし、彼は犯人が何故怒っているのか、理解出来ていない。
「判らねぇか!?テレビの中じゃあ、未だに俺達の悪口ばっか言ってやがる!全然ッ、俺の要求がとおってねぇじゃあねえか!!」
言ったとおり、テレビのキャスター達は、犯人グループに対して怒りの言葉を次々と吐き散らし、放送している。
「そっちが約束を守る気が無いのなら!コッチだって、約束は守らねえッ!ガキを5人殺してやる!」
怒り狂った男が銃口を子供たちがいる方へ向けて、引き金に力を込めた。
その様子に、子供たちは「キャー」と叫び声を上げ、泣き始める。
「まッ待ってくれ!子供たちに手を出すな――」
「あぁ、いいよ」
パンッ、と乾いた音が連続で2回、店の中で反響した。
「ぇ――?」
焼けるような痛みを感じると同時、頭の血がストンと落ちていく…
しかしが急にボヤケ、眉墨は足から力が抜けていくのが判った。
「ぁッ、……ぐぅッ――」
「ぎゃはははは!うっそ、嘘嘘!そう簡単に人質を殺す訳ねぇっての!」
床に倒れ込んだ眉墨の顔をのぞき込むようにして、犯人は嫌な笑みを浮かべながら続ける。
「おいおい、遊び過ぎだろう」
「そうだよ、あと少しくらい我慢しろよ」
その様子を見ていた他の2人がクスクスと笑いながら話しかける。
「いいじゃねぇか!流石に暇すぎたんだから、ちょっとは強盗らしい事をしてみたいじゃんかよぉ!」
「な、にを――」
「悪いなオッサン、俺等は別に交渉する気なんて最初から無かったんだわ」
「いったい、何の目的があって、こんな事を…」
「俺らの目的?……そうだなぁ、冥土の土産に教えてやるよ」
撃たれた箇所から流れ出る血の量が尋常ではない。
おそらく、このまま放っておけば、出血多量によって彼の命は尽きてしまうだろう。
しかし犯人は、苦しみもがく彼の頭部に銃口を向けてる。
「ちょっとした遊びだよ――」
「嘘だッ、…こんな、大それた事、……そんな出来心感覚、で、…出来るハズがないッ」
弱弱しい声音にも関わらず、男の強い意志が犯人の声を遮った。
そして、薄れゆく意識の中、掠れた声で犯人の言葉を否定する。
「刑事の勘ってヤツか……バカには出来ないねぇ。しかし、…まったく、アンタ等は、いっつも俺の邪魔をしてくれる。ハイジャックの時も――」
「おいッ!迂闊に情報をもらすな!盗聴器でも持っていたら身元がバレるぞ!」
危うく情報を漏らしそうになった男の声を制して、男が遠くから声を上げる。
「…まぁいいや、アンタは、ここでゲームオーバーだ」
眉墨に向けられた銃口、…犯人はゆっくりと引き金を絞り始めた。
「――ったい、―――」
「ん?なんか言った?」
もはや意識があるのかも怪しい状況で、眉墨は声を上げる。
それは、彼の信念、心の声とも言える刑事の魂の叫び。
「絶対、―――人質を救い出す――お前達は、俺の仲間が必ず捕まえる―――逃げ切れると思うな――ょ」
定まらぬ視点が、ほんの一瞬、犯人と視線を合わせた。そこにある眼光には「お前達を捕まえる」という強い意思が込められていた。
しかし、それを最後に彼は、ほの暗い闇の中へと意識を沈めていった。
「あっそ、じゃあね――」
眉墨の誇りをあざ笑うかのように、男はあっさりと…簡単に引き金を引いた。
絶対に外す事のない距離からの発砲、…狙いは地べたに横たわる男の頭部……
耳をつんざくような発砲音が再び店内に響き渡り、1人の刑事の命を奪った。……かに思われた―――
「あん――?」
しかし、銃弾は光の壁に阻まれるかの如く、空中で停止し、やがて重力に従い地面に落ちた。
「……おいおい、こりゃあ、まさかッ――」
犯人たちは、ゾクリと背筋を撫でる感覚に襲われる。
まるで、銃口を突き付けられた時の様に、命の危険を感じる…そんな感覚だ。
すぐさま、危機を察知して後ろを振り向き、銃口を向ける。そこに居たのは……
「絶対に許さない―――」
余りの怒りに、その少女の髪は、まるで猫の様に逆立っている。
しかし、子猫の様な可愛さとは縁遠い、…まるで百獣の王を思わせる、猛獣が姿を現した。
「アンタたち!一人残らず私が相手になるわ!」
魔術世界の麒麟児、城ケ崎朱里の魔力が今、解放される―――
◇ ◇ ◇
「――朱里のやつ、やっぱり短気を起こしたか」
熾輝は、事件現場から少し離れた雑居ビルの屋上から店内の気配を窺い、溜息を吐いていた。
時間は少し巻き戻り、アリアから連絡を受けた熾輝は、葵、紫苑と共に事件現場へと向かい、今現在は現場の様子を見守っている状況が続いている。
「でも、早くしないと咲耶達に危害が及ぶかも」
現場近くで合流したアリアは、不安そうに声を漏らす。
「判ってる。でも焦って突っ込んでも状況が良くなるわけじゃあない」
「そうかもだけど…あの朱里って子が魔術師だった事には驚いたけど、何とかできるほど強いの?」
店内から漏れ出る魔力をアリアも感じ取っていた。
熾輝は、今まで朱里の正体を可憐以外に口外をしていなかったため、アリアはこの時初めて彼女が魔術師である事に気が付いたのだ。
「強いよ。並の魔術師じゃあ相手にならない程に」
「じゃ、じゃあ――」
「でも、それだけだ。実力があっても、戦いとなれば話は別だ」
朱里の強さを認める一方で、彼女の弱さを知っているかのような口ぶりで語る。
だが、それも仕方がない。なぜなら熾輝は以前、ハイジャック犯と戦う朱里を目撃している。
真正面からの正々堂々の勝負であれば、彼女が負ける事は考えずらい。
しかし、直情的で考えなしの行動が治っていなければ、敗北もありえると熾輝は考えていた。
「それは、仕方がないわよ。あの子、たぶん実践経験は皆無だから」
熾輝とアリアの話に割り込むように屋上へやって来た紫苑が声を上げる。
「紫苑姉さん…朱里を知っているの?」
「まぁね、…あの子の留学先が私の所属している協会だったから」
思わぬ人からの情報に熾輝の眉が僅かに動く。
「直接の面識は無いけど、あの子が留学してきたとき、天才児が来たって、ちょっとした話題になったのよ」
「なるほどね…」
朱里の経歴について、彼女が魔術教会の総本山に留学をしていた事の裏がとれた事に納得する一方で、ならば何故、彼女が一般の学校へ転校してきたのかと言う考えが過る。
「そんな事より、今はどうするかが先でしょ!」
熾輝と紫苑の話を遮り、アリアは今の現状についての話を進めたいようだ。
彼女には、自分たちで何とかしなければと思っており、通常どおり警察に頼ると言う選択肢はない。
ただ、それは熾輝としても同意見のようだ……
「そうだね、いざとなれば突入も考えないと」
「あら、意外ね。普通に考えれば、警察の仕事だけど、…よっぽど、中の子達が大事なんだぁ?」
久々に会った熾輝の変わり様に驚きを感じつつも、どこか含みのあるような言い方で茶化しにかかる。
確かに、紫苑が言ったとおり、彼女たちは熾輝の掛け替えのない存在だ。
だから自分の手で助け出したいという気持ちも分からなくもない。
ただ、今回はそれ以外に理由があった。
「それもあるけど、多分、警察の通常装備じゃあ対処は難しいと思うんだ」
「……ひょっとして、こっち側の人間が居るの?」
紫苑の質問に、熾輝は首を縦に振って肯定を示す。
その答えに紫苑は、意外感を覚えつつ、僅かに考え込んだあと、持って来ていたスーツケースを熾輝に差し出した。
「オーケー、判ったわ。…熾輝、念のためコレに着替えていきなさい」
ガチャリと、ケースに施されていたセーフティーが開錠され、中からは、紫苑が開発したと思われる装備一式が現れた。
「連中、銃火器を持っているのなら防弾の装備が必要でしょう?」
紫苑が持ってきたスーツケースの中には、フルフェイスのヘルメットと一見してライダースーツが収まっていた。
「こんな事もあろうかと思って、防弾スーツと防弾ヘルメットを作っておいたのよ。一応、認識阻害の術式や変声用の術式やら諸々と組み込んでおいたわ…あと、短い時間ならボタン1つで術式が勝手に発動するから」
「勝手にって…それって凄い事ですよね?」
魔術と言うのは、術者の魔術核を介して発動する。
しかし、今の紫苑の言い方だとそれを必要としないと取れる。
「これ以上は、企業秘密よ。それよりも急ぎなさい。友達が危ないんでしょう?」
「…はい」
これ以上は聞いてくれるなと言う予防線を張られ、熾輝は余計な詮索をすることを辞めた。
「アリア、現状は先生の手を借りる事が出来ない。僕たちだけでやるよ」
この場に居ない葵からの助力が得られない現状で、熾輝は紫苑から贈られた装備を装着しながらアリアに問いかける。
葵は事件現場へ到着して早々、犯人が撃った凶弾によって負傷した怪我人の手当てに行っている。
「判ってる。必ず咲耶達を助け出すわよ!」
アリアは、当然だと言わんばかりに声を張って応える。
「私も何か手伝おうか?」
「姉さんは……手を出さない方がいいかな」
やる気に満ち溢れる2人の様子を見て触発されたのか、紫苑が助力を申し出るも熾輝は、やんわりと断りを入れる。
その様子に、アリアは不思議に思うも…
「そうね、私が手を出したら地形が変わっちゃうし」
「はい。後々の情報操作が面倒になるのは、対策課もごめん被りたいでしょうし」
2人のやり取りだけで、アリアは口を挟もうとは、思わなかった。
『――熾輝さま』
と、ここで現場の様子を見に行かせていた双刃から念話がとどく……
『少々、差し迫った状況になりました。突入するなら急いだほうが宜しいかと――』
彼女からの報告を受け、熾輝の表情が引き締まる。
既に新装備の装着を終えていた熾輝は、突入の準備に入った。
◇ ◇ ◇
捜査官の眼前で止まった弾丸が重力に従って地面に落下する。
その様子に強盗犯は、ハッとして後ろを振り向いた。
そこには荒ぶる魔力を放出させた魔術師の姿――
見た目こそただの子供、しかし、犯人の男は、それが油断ならない物だと理解していた――
「喰らいなさい!」
「チッ、お前等、散れ!」
男が発する声よりも先に少女の眼前に展開された光の陣から小さな光弾が弾かれた様に発射された。
「グッ――」
「やっべ――」
朱里の脇に居た男が呻き声をあげて地面に倒れ込む。
距離を開けて待機していた男2人は、咄嗟に物陰に隠れて、攻撃をやり過ごした。
「逃がさないわよ!」
物陰に隠れた犯人に向けて魔力弾を当てるのは難しいと判断した朱里は、自分から移動をして、目視で犯人が見える位置へ動き始めた。
「まって、城ケ崎さん!」
そこへ可憐が制止の声を掛ける。
朱里は、一瞬だけ立ち止まると…
「大丈夫、私が守るから」
たった一言、振り返らずに応えると、その場を駆け出した。
今、彼女の心の中では、様々な葛藤が渦を巻いている。
自分の復讐相手である熾輝に近づいたのに、わざわざ魔術師だという事を自分から晒すような真似をしてしまった事――
魔術など知らない一般人の前で、憚りもせずに魔術を行使してしまった事――
そのような大それた事をしでかした以上は、もうこの街には居られなくなるであろう事――
しかし、彼女は……
「そんな事は、関係ないッ――!」
それら全ての思いを一蹴して、目の前で理不尽に人の命を奪おうとする悪人を叩きのめすと心に決めた。
ここで何もしないで見捨てたのなら、彼女は自分自身を許せなくなると確信していたからだ。
「逃がさないわよ!」
物陰に隠れていた犯人に臆さず、回り込むと自身の周りに展開させていた魔力弾の狙いを定める。
しかし、犯人も朱里が近づいてくる事が見えていたため、タイミングを合わせて手に持った銃口を素早く向けた。しかし…
「無駄よッ――!」
「げげッ――!」
魔力弾が撃ちだされるよりも早く、引き金を引いて発砲させた犯人だったが、朱里の前に展開された障壁によって、銃弾は弾かれてしまった。
「喰らいなさい!」
「ぐわっちッ―――くそッ――!」
自身が持つ装備では、彼女の障壁を打ち破る事が出来ないと判断するや否や、素早く転がり、魔力弾を回避する。
しかし、撃ちだされた朱里の攻撃が犯人の持つ拳銃を弾き飛ばした。
「逃がさないわよッ――!!?」
転がって距離を取った犯人が、またも物陰へ隠れたため、追撃をしようとした朱里に向かって、複数の弾丸が襲い掛かった。
「オラアアァアアッ――!」
「無駄よッ――チィッ!!」
先ほど、逃げた男が持っていた単発式の拳銃とは異なり、マシンガンタイプの銃を所持していた仲間が朱里めがけて乱射を開始した。
しかし、彼等の所持する装備で彼女の障壁を打ち破る事は当然不可能だ。
だが、朱里は舌打ちをして、動きを止めた。
見れば犯人が乱射させた銃弾が障壁に当たると、それが跳弾して、あちこちへと跳んでいく。
まずいッと頭に過った瞬間、すぐさま魔法式を展開し、新たに3つの魔法式を展開させた。
「うっはっは!そうだよな!お友達を守らなきゃな!」
連続的に撃ちだされるマシンガンの弾丸を防ぐと、それが跳弾して周りに当たりかねない。
そのため、朱里は子供たちと今も倒れたままの捜査官を守るために障壁を張らざるを得なくなったのだ。
「おっとっと?急に動きを止めたな?…さては、集中力を維持するのはコレが限界なのかな?」
「…なんですって?」
図星を刺されるも、表情に出さない様に務める朱里、…しかし、犯人の言葉から何か違和感を覚えた。
「そっか、そっか、……複数展開が出来る魔術師だから、結構ヤバいって思ったけど、弱点み~っけ!」
「ッ――あんた、まさかッ!!?」
「あぁ、お前の考えている事は、たぶん当たってる。……俺達もソッチ側の人間だよ」
男の言葉に目を見開いて驚きを覚える朱里だったが、今の今まで、彼等がそれらしい力を使っていないのは、何故かと疑問が浮かぶ。
曲がりなりにも魔術や能力者が要る裏の世界に身を置くものならば、銃火器を使わずとも力を振りかざせるのに何故だと…
しかし、朱里の考えを蹴散らすように、男は次の行動に移る。
男は、もう1人に弾幕を張り続ける様に命じると遮蔽物に身を隠しながら移動を開始した。
一瞬、何をする気かと思うも、その答えは直ぐにもたらされた…
「さて、こうやって人質を取られたらどうする――?」
「しまッ――!!」
男は、朱里が展開した障壁を回り込む様に進むと、先ほどまで彼女が集められていた子供たちの場所まで辿り着く。
そして子供の1人…朱里が面倒を見ていた少女、春野小春の腕を強引に引っ張って立ち上がらせると、腰に忍ばせていたナイフを喉元に当てがった。
「ヒッ―――」
「ッ、やめなさい!卑怯者ッ――!!」
身体を強張らせ震える小春を人質にとった犯人は、嫌な笑みを浮かべる。
「さぁ、大人しく魔術を解除しなぁ」
「このッ――」
「おっと、下手な真似をしたら、このガキの喉元を切り裂くぜ?」
怒りが込み上げ、今すぐに目の前の犯人をどうにかしてやりたいと言う想いが込み上げる。
しかし、犯人が持つナイフの先端がチクリと小春の首筋に触れた瞬間、赤い血が滴になって浮かび上がった。
途端、朱里の頭に上った血の気が一気に引き、一転して恐怖が込み上げる。
「やめてッ!判ったから!言うこと聞くから、その子を傷つけないで!」
目の前で、自分が守ろうとしていた人たちが殺されるかもしれないという恐怖、…それだけで、朱里は動けなくなった。
助けると大見えを切ったにも関わらず、この体たらく。
自分の目的もかなぐり捨てて、決意したのに―――
しかし、今は犯人の言う事を聞く以外に、小春を助ける事が出来ないのなら…
「……はい、良く出来ました」
「っ、――!」
朱里が展開していた障壁が霧散したのを確認すると同時、男はパチパチと手を叩きながらニヤ付いている。
「いや~、久しぶりの再会だったけど…変わらないね、お前ぇ」
「何を――?」
圧倒的不利な状況に陥った朱里に対し、男は彼女に再会の言葉を贈る。
まるで、面識があるかのような口ぶりに彼女は、訳が判らないといった表情を浮かべた。
「あれ?この顔を忘れた?ほら、オレオレ!」
「……ッ!!?」
そういって、サングラスを外した男の顔を見た瞬間、朱里の目が見開かれた。
「アンタ、ハイジャックのときの!」
「そうそう!よく覚えていたな!」
雰囲気こそ大分様変わりをしていたが、この飄々とした男、…ましてや、自身を痛めつけた相手を簡単に忘れられる訳がない。
この男こそ、過去に熾輝と朱里が搭乗した飛行機をハイジャックした犯人の一人だ。
「いやぁ、覚えていたか。あの時のクソガキは、友達じゃあないのか?姿が見えないけど?」
「…アイツは、あのとき偶々乗り合わせただけの他人よ」
「そうなの?てっきり知り合いかと思ったけど……」
「どういう意味?」
「いやさぁ、あのとき、あのクソガキに叩きのめされてよぉ、身体のアチコチ…それこそナニからナニまで使い物にならなくなっちまったんだよ」
犯人の男は、過去の事を思い出しているのか、1人でペラペラと喋りだした。
「けどよぉ、そのおかげで俺は力を手に入れた。あとから知ったんだけど、人間死にそうになって初めて潜在能力が目覚めるらしいじゃん?しかも、どこから俺の事を知ったのか…連中、俺を逃がしてくれて、代替えの内臓とかも用意してくれたのよ」
その言葉から、どうやら男が逮捕された後、能力に目覚めた彼を誰かが脱獄させたという事が窺いしれる。
しかも、連中と行っているからには、何らかの組織との関係性が浮かび上がってくる。
ただ、あくまでも自分勝手に喋り続ける男の言葉だ。どこまで信憑性があるのかなんて、判ったものでは無い。
しかし、男が自分の言葉に酔いしれてくれるのは、朱里にとっては、ありがたい。
何故なら僅かでも隙ができれば、小春を助け出せる可能性が大きくなるのだから……という考えが過った瞬間―――
「――おい、余計な事をベラベラ喋るな」
店の奥に引っ込んでいた仲間の1人が戻ってきてしまった。
「ああ…悪い悪い、ちょっと興奮しちまった」
「たくっ……で?これは、一体どういう状況だ?」
新たに現れた仲間に、男はこれまでの経緯を説明した―――
「――なるほど、まさか魔術師が混じっていたとはな」
どうやら、彼等…犯人グループ全員が裏世界の住人と考えても良いようだ。
男の話を聞いても、まったく驚きもしていない事から、それは明らかだ。
「とりあえず、こっちは準備が出来た。適当に贄を選んだら撤収の準備に入れ」
「おっけー、んじゃあこの子と……この子等でいいか」
男は、人質に取っていた小春と数人の子供たちを選ぶと、その場に立たせた。
「はい、ガキども、殺されたくなかったら、この怖いお兄さんに付いて行きな」
そう言った、男は人質に取っていた小春をもう1人の男に預ける。
もちろん、朱里が下手に手出しをしない様に、常にナイフを突きつけた状態でだ。
「さてと、新しく人質が必要なんだけど……」
小春を手放した事により、新しく手元に置いておく人質を誰にするかと辺りを見回す男……すると――
「わ、わたしが人質になります」
震えた声で、少女は手を上げて立ち上がる。
「あれま、意外だ」
このような状況で自ら人質を名乗り出るなんて、ただの子供に中々出来る事ではない。
しかも、足をガクガクと震わせてたただの少女に……本当は怖いのに必死に耐えている事がまるわかりだ。
男は、じっくりと少女の様子を眺めてから……
「いいよぉ、ならコッチにおいで」
「は、はい」
身体を震わせながら歩み寄る少女を男は、嫌な笑みを浮かべながら迎え入れる。
途中、朱里が女の子を止めようと何かを言いかけるも、声らしい声すら出す事が出来なかった。
不甲斐ない…この時の朱里は、ただ犯人達の言う事を聞く以外に方法が見つけられなかった。
「さて、人質も来てくれたことだし。…ここは任せて先に行け」
「……お前も速く来いよ?」
ドヤ顔で見送る男に溜息を吐きながら、子供たちを連れて行く仲間…
「言っておくが、少しでも遅れれば置いて逝くからな?」
「判ってるよ。こっちも準備を整えたらいくし」
彼等の計画がどういった物なのかは、この場に居る子供たちに知る由もない。
今はただ、無事に解放される事…それだけを考えることしか出来なかった。
◇ ◇ ◇
犯人グループの男が子供たちを連れて行ってから、まだそれ程時間は立っていない。
男は新たに人質に取った少女にナイフを突きつけたまま、朱里によって昏倒させられた男を起こし、なにやら指示を出していた。
「――くっそ、あのガキィ」
「よせよせ、今は時間が惜しい。それよりも早く準備を進めちまおうぜ?」
「……わかったよ」
現在、ロビーに居る犯人は3人、1人は手元に人質を置き、残り2人は固めて集まらせていた子供たちの集団から離れ、何かの作業を始めようとしていた。
「…しかし、お嬢ちゃん、よく人質を名乗り出たね?」
作業を進める仲間を眺めながら、暇つぶしに人質になった少女へ話を振る。
「だって、小さな子たちに、これ以上、怖い思いをさせられないじゃないですか」
「へぇ、偉いんだな、お嬢ちゃん」
少女の言葉に感心……する訳では決してない。
そもそも、この男に他人を思いやる気持ちなど、毛ほども持ち合わせては居ないのだ。
だから、簡単に拳銃の引き金を引くことも出来る。
そして、精一杯の勇気を振り絞った子供を痛めつけて楽しみたいという、歪んだ快楽を持ち合わせているのが、この男だ。
男の頭の中は、どうやって、この少女を痛めつけて泣かせてやろうか…そういった下卑た考えしか浮かんでいない。
「ねぇ、犯人さん」
「ん?なんだ?」
欲求の海に沈み掛けていた男の思考が少女によって浮上させられた。
てっきり、恐怖で何も出来ないだろうと思いつつも、話を振ってくるだけの余裕がある事に驚きを覚えるも、それが逆に男の欲求を刺激させる。
「こんな悪い事をしちゃダメだよ」
「……ははは、何だい嬢ちゃん、俺を説得でもするつもりかい?」
「ううん、そんな事をしても犯人さんは、聞く耳持たないんでしょ?」
少女は覚えている。男が招き入れた交渉人が無残に拳銃で撃ち抜かれた姿を――
自分たちを助けるために現れた勇気ある大人を面白がって、馬鹿にしたこの男を――
「そうだな。だったら何でそんな事を言う?」
「別に、…ただ、私は信じているの。彼方みたいな悪い人をやっつける人が必ずいるって。そして、正義の味方が彼方をやっつける前に、彼方が悪い事をしているって事を自覚してもらいたかったの」
「――?――」
この時の男の考えは、「このガキは何を言っているのだろう、正義の味方?そんな者、本当に信じているのか?」というものだ。
現実逃避する子供の戯言だと、一蹴するのは簡単だったが、男はそこへ来てようやく気が付いた。
先ほどまで、足をガクガクと震わせていた少女から完全に恐怖が消え去っている事を――
「まさか、お前もッ―――!!!」
「熾輝くん!!」
瞬間、少女を中心に衝撃波が放たれた。
犯人の男は、咲耶という爆心地から吹き飛ばされる。
「グハッ――!!」
思いっきり吹き飛ばされた男は、背中から地面に落下した際に肺の中の酸素を一気に吐き出す。
そこから状況を把握するのは、早かった。
手元に居た人質から離された事により、彼等は切札を失った。
ならば、次なる人質を確保しなければと、急いで身を起こした男は、目の前の光景に目を疑った。
「ありゃ何だ――?」
男の視線の先には、空間を切り取ったかのように開いた黒い穴…
そして、バタバタと何かが倒れる音が連続して2つ…
音に誘われるように向けた視線の先、…ライダースーツに身を包んだ少年が居た―――




