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鍛鉄の英雄  作者: 紅井竜人(旧:小学3年生の僕)
這い寄る過去編
182/295

始まりを告げる事件

煌坂紫苑は、熾輝の従姉いとこに当たる。


彼の母親、八神恵那えなの妹、五十嵐恵流えるの実子だ。


紫苑の姓が五十嵐でないのには理由がある。

彼女の母親である恵流は、恵那同様に駆け落ちをした身であり、五十嵐とは縁を切っているためだ。


恵流の相手方、つまりは旦那となった男性は、裏社会とは縁も所縁ゆかりもない一般人で、宝石商を営んでいる。


五十嵐の直系は、熾輝の母親恵那と紫苑の母親恵流の2人だけだったため、本家では跡目が居ない事が今でも大きな問題となっているらしい。


熾輝と紫苑が出会ったのは、今から約4年前に遡る。

当時は、熾輝も人間界に帰還して、5人の師匠たちと共に修行をしていた。

そのときに、風の噂で熾輝の生還を知った紫苑は、単身で円空の根城である迷わせの森に乗り込み、見事、熾輝を見つけ出した。


当時、彼女の年齢は10歳であり、迷わせの森を踏破した事から並の実力者では無い事が判る。


初めて紫苑と逢ったとき、彼女は泣いて熾輝を抱きしめた。

しかし、当時の熾輝は、記憶を失っていたため、彼女に対し、「誰だ?」と言う疑問しか浮かんでこなかった。

加えて、感情の喪失という疾患のせいで、泣きわめく紫苑に対し、かなり淡白な態度を取った事は、今でも覚えている。


熾輝が記憶を失う前、紫苑は彼を弟の様に可愛がっていたと清十郎や葵から聞かされたが、記憶の無い彼には実感が湧いてこなかった。


彼女はその後、半年ほど一緒に生活をし、5人の師匠達から様々なノウハウを学習すると山を降りていった。


因みに、熾輝が普段使っている愛銃シルバーや付加の魔弾タグだけに留まらず、様々な魔道具を開発し、与えたのは彼女なのだ。


五十嵐の本領は、魔道具の開発…勘当された身とはいえ、紫苑はその血統を色濃く引き継いでいる。


今では、若干13歳にして、様々な魔道具の開発を成功させており、結晶の魔術師という二つ名は、裏社会にも広く伝わっている。


「――本当に久しぶりね、紫苑さん」

「はい、あれから連絡も出来ずに申し訳ありません」


部屋に通された紫苑は、テーブル席に腰かけて葵と話をしている。


その間の熾輝はといえば、キッチンで双刃と共にお茶菓子の準備を整えている。


ただ、件の熾輝の表情が、どうにも固い事が気がかりだったのか、双刃はそっと声を掛ける。


「熾輝さま、あの少女はいったい誰ですか?」

「…双刃は知らないの?母さんの妹、恵流さんの娘で、紫苑さんだよ」


母親である恵那の式神だった双刃が知らないとは、妙な話だ。と思いながら、熾輝は紫苑の素性を明かした。


「なんとっ!?恵流さまの実子!?…あの方が紫苑さま」

「逢ったこと無かったんだ?」

「はい…話には聞いていましたが、生憎と面識は御座いませんでした」


双刃から話を聞いたところ、熾輝が幼少の頃は、常に彼女が傍に居たらしいのだが、双刃が任務で家を空けているときに恵流が紫苑を連れて遊びに来ていたらしい。


単なる擦れ違い…とは思えないが、双刃曰く、自身を見ると実家を思い出してしまうから、敢えて恵那が遠ざけていたのかもしれないとの事だ。


「まぁ、それも仕方が無い事です。私は、代々の五十嵐家当主に仕えて来た身ですから」

「…母さんのこと、怒ってる?」

「いえ、もしも恵那さまが言わなければ、私から席を外すと言っていたと思います」


仲間外れにした事を怒るかと思えば、双刃は、恵那と同じ事を考えたと即答した。


母親や叔母、そして五十嵐という一族の事について、あまり深入りするべきではないと、思っていた熾輝は、「そっか」と一言だけ応えると、それ以上は何も口にしなかった。



「――どうぞ」

「あら、ありがとう熾輝」

「…いえ」


話に花が咲いている葵と紫苑の前にお茶とお菓子を配った熾輝は、そのまま葵の隣に座ろうとしたところ……


「なにやってるの?コッチに座りなさいよ」

「え――?」

「久しぶりに逢った弟の顔をお姉ちゃんに見せてよ」


顔を良く見るのなら正面に座った方が良いのでは?とは言わなかった。熾輝も紫苑がそう言う意味で言った訳では無い事は、察していたからだ。


なにより、口答えしようものなら、どうなるか判ったものではない。…と言うのは、経験則から知っている。


だから、何も言わずに紫苑の隣に腰を下ろした。


「大きくなったわね、今は5年生だっけ?」

「はい、今年で6年生になります――」

「なによ、他人行儀すぎない?昔は、お姉ちゃんって言って、ずっと後を追いかけて来たのに」


隣に来た熾輝に話しかける紫苑は、嬉しそうに話しかける。が、言葉が固い事が気に入らないのか、言葉を崩すように申し向ける。


「いや、だけど紫苑さん――」

「お姉ちゃん」

「でも――」

「お・ね・え・ちゃ・ん」

「…………紫苑姉さん」


熾輝の性格上、お姉ちゃんという単語は、どうしても言い出せない。ならば、苦肉の策として、姉さんと呼ぶ事にした。


実は、このやり取りは、今回だけではない。

以前、紫苑と出会った頃にもあった事だ。その時は、半年の時間を掛けて紫苑姉さんと呼ばせる事に成功していたのだが、数年間も会っていなかった事もあり、姉という単語を口に出すには抵抗があった。


「…まぁ、いいでしょう。それより熾輝、頼まれていた魔道具、持って来たわよ」


そう言って、部屋の片隅に置いていたスーツケースを指さした。


「熾輝くん、紫苑さんに手紙を出していたんだってね。わざわざ持って来てくれたのよ」

「あ、ありがとうございます」


以前、熾輝がポストに投函した手紙は、イギリスに居る紫苑に宛てたもので、てっきり郵送で送られてくるものだと思っていた。


しかし、彼女はわざわざ自分の足で熾輝の元までやって来たのだ。

内心、送ってくれれば良かったのにと思ったのは、ココだけの話…


「今、送ればよかったのにって思ったでしょ?」


どうやら、考え事は読まれていた様だ。


「い、いえ、…ただ、外国から来るのは大変だっただろうなと思っただけで――」

「あのねぇ、言っておくけど私、これでもプロの技師として活動しているの。作って送って、ハイお終いって訳には、いかないのよ?おわかり?」


魔道具は、意外と繊細な造りの物が多い。

配送途中に傷でも付き様ものなら、上手く起動しないどころか、下手をすれば誤作動で大惨事が起きる事だってある代物だ。


しかも、名の知れた製作者の物なら盗もうとする輩は、吐いて捨てるほどいる。

それが悪用された日には、場合によっては製作者にも重い罰が課せられる。

それ程に魔道具の扱いと言うのは厳重を期すべき代物なのだ。


「それにねぇ、アンタの注文は、表には出していない代物だから、私自らが届ける以外に方法が無いのよ。そこんとこ、判ってる?」


ヤレヤレと溜息を吐きながら更に続く。


「協会に届く荷物って、検閲があるから、手紙の中身も確認されるし、教授から質問されたときの私の苦労を判ってる?」


一応、熾輝とてそう言った事情を判っていたからこそ、手紙の内容は、あらかじめ決められた暗号を用いて書き記しておいた。


「まぁまぁ、それくらいにして、…ところで紫苑さんは、いつまで日本に居られるの?」


縮こまって話を聞いていた熾輝を見かねて、助け舟を出すように葵が話を振る。


実のところ、熾輝は紫苑という従姉に苦手意識を持っている。

性格が嫌だとかという理由では、決してないのだが、従姉なのに姉弟きょうだいという立場を築こうとするし、師匠たちとは、また違った威圧を感じている。


それが世間で言うところの、姉弟という絶対的な上下関係と熾輝が気付く日が来るのかは、不明である。


「一応、教会には3ヶ月で届け出を出しているけど、延長も考えています」

「その間の滞在は何処に?」

「近くのホテルを取ろうと思っています」

「あら、それはダメよ。貴女みたいな女の子が一人で暮らすなんて…よかったら、滞在中は、ウチに泊まって」


葵の提案に「なぬっ!?」と心の中で驚く熾輝、しかし、決して顔に出さずポーカーフェイスを貫く。


「いいんですか?」

「もちろん!ねぇ、熾輝くん」

「はい。今夜は、再会を祝して僕が食事を作ります」

「パーティー用に食材は奮発して良いからね♪」


本音では長期間、義理姉を語る紫苑と寝食を共にするのは、精神的に辛いところではあるが、わざわざイギリスくんだりから来てくれた人を無下にする訳にはいかない。


しかも、自分のために来てくれたとなれば尚更だ。


だからこそ、苦手意識はあれど出来る限り、紫苑をもてなすための努力は惜しまない。


「良かった、実はそう言ってくれるのを待ってました」

「まぁ、ふふふ」

「ははは」


全ては紫苑の計算どおり、そう悟った熾輝は、何か嫌な予感がしてならなかった。


「あ、そうそう熾輝、魔道具の代金なんだけど、どうせ払えないでしょうから、課題レポートの作成と古文書の解読で手を打ってあげるわ」

「……はい」


タダで魔道具の都合を付けてもらえるとは、思っていなかったが、今後しばらく、熾輝は課せられた紫苑からの宿題に大いに手間を取られる事となる。


なにはともあれ、紫苑をもてなすため、今夜のホームパーティーに出す料理の品を考えて始めたとき、熾輝の携帯電話が着信を告げるメロディーを奏でた。


画面には、アリアと表示されており、熾輝は珍しいなと思いながら電話口に出た。


「もしもし、―――」

『大変大変!テレビ!テレビ見て!』


開口一番、熾輝の声を遮ったアリアの声は、かなり慌てていた。


「テレビ?チャンネルは?」

『付ければ判る!』

「――?――」


要件も言わないまま、焦るアリアの声に従って、熾輝はリモコンを手に取りテレビの電源を入れた―――


『――臨時ニュースをお伝えします。本日、銃を持った数人の犯人グループが銀行に立て籠りました――』


全てのチャンネルは、どれも強盗事件を報じており、現場の状況が映し出されている。


「なぁに?今時強盗なんて、流行らないでしょう」


傍らで特番を見ていた紫苑の発言に不謹慎と思いつつも、「確かに」と熾輝も思っていた。

こんなに大々的に目立った強盗が成功した事例は、今の日本警察が取り逃がすハズもない。


時間は掛かるが、警察が犯人グループを制圧するだろうと、思った熾輝は、「おや?」と疑問符を浮かべ、嫌な予感が頭を過った。


「アリア、…咲耶達が社会科見学に行っているのって、何処だっけ?」


本日、咲耶・可憐・燕・朱里は、街の子供会に参加しており、熾輝が聞いた話では、何処かに社会科見学へ行くと言うところまで……もしかしたら、何処に行くかは言っていたかもしれないが、頭を駆け巡る嫌な考えが思考の邪魔をする。


『ここよ!この銀行に行ってるの!』


慌てるアリアの声を聴いて、熾輝の思考を完全に凍らせる。

その間も、テレビは強盗事件の様子を報じ続ける――


『――なお、本日、社会科見学に訪れていた小学生グループが人質として建物内に残されています―――』



◇   ◇   ◇



城ケ崎朱里が転校して、1ヶ月が経過している。

しかし、朱里はこの一月の間、熾輝に対し攻撃的な一面を覗かせてすらいない。

その理由は……


『色仕掛け――?』

『そう、通称ハニートラップ』


朱里の書類上の姉妹であり、年長者の真理子は艶のある声色でそう語り掛ける。


『標的の情報が殆どない状態で、闘うのは危険よ。しっかりとした情報収集が必要不可欠』

『…言いたい事は判るけど、それが何でハニートラップなの?』

『相手は、男なんでしょ?なら、自分を惚れさせて油断を誘うの。惚れさせるまでの間は、徹底した情報収集ができる』

『なるほど、…無駄のないプランね』


フムフムと相槌を打ちつつ、朱里は手に持ったメモ帳に書き記していく。

何故、朱里がこのような知恵を借りているのかといえば、単純な話、圧倒的な経験不足によるものだ。


『でも、学校で得られる情報なんて限られているわよ。闘い方や能力まで分かるとは思えない』

『なら、他の弱点を探るの。そうね、…例えば気を許している子がいるなら、その情報は相手の弱みになり得るわ』

『人質を取れってこと?』


真理子のプランに抵抗があるのか、朱里は眉を潜めて難色をしめす。


『そんな必要は無いわ。単に人質を取ったという嘘の情報だけでも相手は疑心暗鬼に陥るし、その隙に乗じる事だって出来る』


要は、いかにして相手の隙を誘い、目的を遂げるか。

真理子は、その辺の戦略を心ているし、こういった駆け引きを理解しているかしていないかによって戦況は大きく変わる事を経験上、熟知している。


『そっか、…で、肝心のハニートラップって、どうやるの?』

『ふふふ、そ・れ・は・ね♡』


その後も、真理子の授業は続き、性に関する知識を叩きこまれるだけで朱里は幾度となく鼻から出血を繰り返したのだった―――



そして、時間は現在に戻る。


「それでね、お兄ちゃん、ビリだったところから1位になったの」

「へぇ、そんな事があったんだ」


朱里は今、街の子供会に参加している。

先日、咲耶・可憐・燕がその会に所属している事を知り、彼女も入会する事にしたのだ。


大人同伴ではあるが、基本、子供たちの自主性を育むために高学年が低学年の面倒をみる形となっており、朱里は1年生の春野小春の面倒をみている。


「あとね、お兄ちゃん、ニンジャみたいに壁を登るんだよ!」

「壁を登るの?」

「うん!」


一瞬、何かの魔術、あるいは能力によるものかという思考が過る。


―(どうにも要領を得ないわね。…まぁ、一年生じゃあこんなものか)


朱里が面倒をみている小春は、熾輝との面識があり、ある程度の情報を得られるかと思い、色々と話をしてはみたものの、イマイチ理解が出来ない事ばかりを喋る。


「チロルが居なくなったとき、直ぐに見つけてくれたの」

「……へぇ、どうやって?」


しかし、朱里にとっては、ようやく役に立ちそうな情報が出てきた。

チロルというのが何かは理解出来ないが、それを直ぐに見つけ出したというワードに、熾輝が何らかの方法を用いたのだと予想したのだ。


「えっと、ねぇフワフワのワンちゃん――」

「あらあら、小春ちゃんは、朱里ちゃんと仲良しになったのですね」


ようやく重要な情報が引き出せると思った矢先、間に割り込んできた声に遮られ、朱里は

心の中で小さく舌打ちをした。


「あ、可憐お姉ちゃん!うん、朱里お姉ちゃんと仲良しになったの」

「まぁ、それは良かったですね。ところで、何の話をしていたのですか?」

「えっとね、お兄ちゃんがチロルを探してくれた時に連れて来たワンちゃんのおはなし!」

「…わんちゃん?」


「おや?」っと朱里の頭から疑問符が浮かんだ。

てっきり、熾輝の能力が関係すると思いきや、当てが外れたといったところだろう。


「あぁ、あのときの…そうですね、ワンちゃんが臭いを辿ってチロルちゃんを探してくれたんですよね」

「ねぇー」


実際は、犬に化けた双刃が、その能力をもって小春の愛犬チロルを探し出したのだ。

しかし、小春がそのような事を知る由もなく、単に鼻の効く犬が大活躍したという話にまとまった。


しかし、朱里は納得がいっていない様子。…自身の復讐相手である八神熾輝が善人のような事をしている。それがどうしても理解が出来ないのだ。


何故なら、八神熾輝の両親は自分の母親だけでなく、街1つを…そこに住む100万の命を殺した大罪人、その子供が善人であっては堪らない。


なのに、熾輝の話を集めれば集めるほど、悪い話の1つとして出てこない。


「熾輝って、…どんなヤツ?」


今まで、学校内で八神熾輝の情報を集めるために行動をして来た朱里だったが、その情報は全て関節的なもので、誰かが話題に出した時に耳を傾けていた程度だった。


そうでもしなければ、怪しまれる。…そう考えて来たからこそ、今まで直接的に聞くことはしなかったのだ。


しかし、そういった情報収集にも限界を感じ、思い切って直球を投げる事にした。

だが、彼女は質問を投げる相手を間違えた。

仮にも目の前の少女は、日本一の子役、…演じる事において彼女に敵う子供がいるハズがないし、それを見破るのは大人でも難しい。


「そうですねぇ、…温かいヒト、でしょうか…」

「温かい?」


可憐の印象と朱里が感じていた八神熾輝にズレが生じる。


「熾輝くん、普段は淡白な印象を受けますが、実は色々と気を配ってくれたりするんですよ?」

「……よく判らないわ」


朱里は、熾輝を復讐相手としてしか見ていない。

彼女が今まで行ってきた情報収集というのは、あくまで熾輝の弱点を探るためのもの。


だから、熾輝の悪いところをどうしても見つけようとしてしまう。


そんな彼女が熾輝の内面や良さを理解するのには、かなりの抵抗がある。


そして、可憐もまた、朱里の瞳の奥に潜む、何か危なげな影を視た気がしてならなかった。


「あっ、お姉ちゃんたち、着いたよ!」


朱里と可憐、お互いに思い思いの気持ちを胸に潜めた者同士のやり取りは、小春の一言で、一時中断される事となる。


「ちょっと、走ると危ないわよ。ちゃんと手を繋ぎなさい」

「はーい」


小走りを始めた小春を注意し、朱里はその手を取って、高学年として、その役目を果たす。


「私は、朱里ちゃんも優しいと思いますよ」


先を歩く朱里の背中を見て、可憐は小さくつぶやく。…しかし、その声が朱里に届くことは無かった。



◇   ◇   ◇



社会科見学のために訪れた銀行には、子供会の児童の他にも当然、客がいる。


だから、引率の大人と高学年の者達は、ほかの客に迷惑を卦かけないよう、しっかりと手を繋ぎ、静かにしている。


銀行の店長は、こう言った行事に慣れているのか、丁寧且つ、和かい声で仕事の説明をしている。


「ありゃ何ですか?」


と、窓口で対応を受けていた男が女性行員に尋ねる。

色の濃いサングラスとニット帽をかぶり、ギラギラとしたネックレスを付けており、明らかに柄が悪い。


「あぁ、子供たちが社会科見学に来ているんですよ。ご迷惑を掛けないようにしますので、ご容赦下さい」


女性行員も、こういった行事には慣れているのか、丁寧な言葉遣いで男性客の対応をする。


「いやいや、俺達・・は、全然気にしませんよ。しかし、銀行さんも大変でしょう」

「いえ、そんな事は――」

「だって、そうでしょう。クソガキどものせいで、本来の業務が滞る訳なんだし」

「は、はぁ」


自分が対応した男の柄が悪い事は理解していたが、まさか、そのような事を言うとは思ってもみなかったため、流石に慣れていた彼女も言葉に困ってしまう。


「いやね、俺も子供は好きなんですよ。特に大人を馬鹿にしている生意気なクソガキをボコボコにしてビィビィ泣かせると気持ち良いとは思いませんか?」

「あの、…お客様――?」


女性行員は、男のサングラス越しから伝わる狂気じみた気配を感じ取り、危険だと悟った。


男に気取られないように、机下にある非常通報装置の発報ボタンに手を伸ばそうとする……


「それに何より、子供って言うのは実に便利だ。人質にするとロクに抵抗も出来ないし、運びやすいし、刑事デカも手が出しずらくなる」

「言っている意味が判りかねます――」


彼女の失敗は、この時点で発報ボタンを押さなかった事だ。

仮に男が頭のイカれた客だったとしても、異常な言動で即通報しても良かった。


しかし、彼女は迷った。…彼女等、銀行員にとって非常通報装置を使用するという事は、銀行強盗への対策と訓練でそう、刷り込まれていたのだ。だから……


「つまりね、アンタが下手な事をしなければ、ガキどもは無事にお家へ帰れるって言ってるんだ」

「ッ――!!?」


隠し持っていた拳銃を人目に触れないように女性行員に突き付ける。

彼女は、ビクリッと身を僅かに震わせると、男の言っている事を理解したかのようにゆっくりと頷き、非常通報装置から指を離した。


僅かな体の動きで、彼女が通報装置を押さないと理解した男は、満足そうに笑う。


「オーケー、賢くて助かるぜ」

「…本日は、どの様なご用件でしょうか?」


決して周りに悟られてはいけない。でなければ、男がもつ凶器が子供たちに向けられてしまう。


だからこそ、彼女は一般客の対応をする振りを続けたのだ。


「このリストにある物を持ってこい」


そういうと、男は懐にあったメモ紙を突き出した。

そこには、銀行の貸金庫に預けられている貴金属類が記されており、御丁寧に何処の金庫に何が入っているかまで、細かく書かれていた。


「…畏まりました。しかし、私の権限では、金庫の物は持ち出せません。店長か副店長でないと――」

「オッケーオッケー、そのどちらかを連れてこい。だけど、もしも途中、通報でもしようものなら……」


そう言った男の視線が何も知らない子供たちに向けられた。


「わ、わかりました。今すぐ対応させていただきます!」


そう言うと、彼女は一直線に子供たちを対応している店長の元まで掛けていった。



◇   ◇   ◇



銀行の支店長が街の子供たちに説明をしていたとき、強盗に命じられて女性行員がやってきた。


「店長すみません」

「どうかしましたか?」

「はい、実は……大口の引き出しを望むお客様が来店しています」

「ッ!!?……判りました。君は子供たちの傍にいて下さい」


女性行員の言葉に支店長は、大きく目を見開いた。

ただ、今のやり取りで、店が強盗に襲われていると気が付く者は、まずいないだろう。

なぜなら、彼女が口にしたのは店があらかじめ決めている暗号を用いたからだ。


近年では、タクシー強盗が増加しているため、各タクシー会社でも他の車両にSOSを伝えるために、そういった暗号が用いられている。


今回の場合は、大口の引き出し=強盗を指しているのだ。


女性行員の報告を受け、支店長は彼女が担当していた窓口へ向かおうとした。そのとき……


「キャーー、強盗よッ!」


店舗に居たお客の1人が男が所持していた拳銃に気が付き、叫び声を上げた。

そして、次の瞬間、客の声を聴いた行員が非常通報装置を押下してしまったのだ。


「しまった、なんて事だ!」


最悪の状況に悩む暇もなく、次々と状況が動いていく。

店舗にいた客は、我先に出口へと向かい、人の波で店内は大混乱へと陥る。すると…



パンッ!



乾いた音が響き渡り、一瞬にして店内は静まり返った。


「はいは~い、皆さん静かにして下さい。動こうとしたり、変な真似をしたら撃ち殺しますよ?」


通報されたにも関わらず、男は焦る様子もない。


「とりあえず、出入り口の前に居る連中は、中に入っちゃって下さい」


出入り口付近に滞留する客に銃口を向けた事により、彼等は男の言葉に素直に従う。


「……さてと、じゃあまずは女の客は、一列に並んで店から出て下さい」


男の言葉に女性客たちは、「え?助かるの?」と、一様に不思議そうな顔を浮かべる。


「女が出たら、次は男ね。あ、一応言っておくけど、店長さんと子供達は、ここに残る様に」


男は店内にいた客と行員、その中でも大人だけは、外に出ても良いと言う。

しかし、その申し出を馬鹿正直に聞き入れられる大人がいるだろうか?


「何をバカな!子供たちを残して行くなんて!」

「そうよ!私が子供たちの身代わりになるわ!だから子供たちを開放してあげて!」


正義感よりも大人としての義務感が沸き起こり、その場の大人達は口を揃えて、子供たちを守ろうとする。


しかし、2つ続けて鳴り響く発砲音が彼等の声を掻き消した。

そして、その凶弾があろうことか2人の客に被弾し、一様に血を流して倒れ込む。


その様子に再び現場で叫び声と混乱が巻き起こる。


「うだうだ煩いんだよォ、いいから指示に従え」


もう一発撃つぞという意思を込めて犯人の男は銃口を客たちに向ける。

それ以降、誰も犯人に反抗する者はいなかった―――




店舗内にいた客の殆どが、外に出された事を確認すると、男は店長に指示を出し、窓という窓のシャッターを下ろさせた。


これで、完全に外部から店舗の中を見る事は出来なくなり、駆け付けた警官隊も迂闊には手を出せなくなった。


「よぉし、…おい、お前等、もう出てきていいぞ」


いったい誰に言ったのか、店舗に居るのは支店長と子供たちが数人いるだけで、他の客たちは、既に外に出されている。しかし……


「まったく、感付かれやがって」

「非常ベルが鳴った時は、どうなるかと思ったぜ」

「俺だったら、もっとスマートに出来た」

「お前等、一々うるせえぞ、さっさと仕事に取り掛かれ」


店舗の奥、正しくはトイレの中に隠れていた犯人の仲間たちが4人、いずれも拳銃を所持して出てきた。


「悪いな。これでも途中までうまく行っていたんだが、客に感付かれちまった」

「たくッ、…まぁいい。プランBに変更する。お前等、気合入れろよ」

「「「「了解」」」」


こうなる事を最初から想定していたのか、犯人の男達は、焦る様子もなく、示し合わせた様に行動を始めた。


いずれにしろ、男たちの周到性を匂わせる行動からただの強盗出ない事が伝わってくる。



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