それぞれの不安
先日購入した携帯電話、その操作方法を学ぶため、燕を家に招待した熾輝は、慣れない手つきで携帯電話を起動した。
その瞬間、ディスプレイに表示されたのは――
『ヘイヘイヘイッ、ドウシマシタカ2人トモ!何ヲ固マッテヤガリマスDeath!』
ファンキーに語り掛けてくる携帯電話、そして、このディスプレイに表示されている姿形
間違いなく、先日、世界中のネットワークを支配し、あろうことか人類滅亡を目論んだ存在……
「世界樹――」
「な、なんで?どうして!?」
フリーズしていた2人の思考がようやく再起動した。…が、やはりまだ事態が呑み込めていない。
『ノンノン!私ハ、ワールドツリーデアッテ、ワールドツリー二非ズ!』
「………」
「………」
確かに、先日のワールドツリーとは似ても似つかない喋り口調、そして性格までもが全然違っている。
違っているのだが、そんなものは欺くための演技かもしれない。
『アレレ~、何デ黙ッテイルノDeathカ~?――ッテ、チョッ待ツノDeathッ!!』
いつの間にか熾輝の手には金槌が握られており、携帯電話に狙いを定めて振りかぶっていた。
『オ願イDeath、御慈悲ヲ~、命ダケハ取ラントイテ~』
画面の中で目をウルウルとさせながら懇願するワールドツリー
その姿が余りにも阿保らしく感じたのか、熾輝はやる気を削がれていた。
そして、深い溜息を吐くと、振り上げていた金槌を床に置いて、ジトッと携帯電話に視線を向けた。
「…それで?なんで、お前がまだ生きているんだ?」
「そ、そうだよ!あのとき、熾輝くんがアナタをやっつけたハズでしょ!?」
当然の疑問だ。
あのとき、熾輝は確かに世界樹……正確には世界樹というスーパーコンピューターを媒介にしていた霊的知性体を消し去った。
にも関わらず、世界樹は再び2人の前に姿を現した。
一体、何を意図しての事なのか、この時の熾輝達には知る由もない。
『生キテイルトイウ表現ハ、ワターシニハ、当テハマリマセン!ソレニ、ワターシハ、ママァンノコピーナノDeath!』
「複製、……あの存在がお前の母親だと?」
『YES!ワターシノ、元トナッタママァンハ、自身ノコピーヲ作リ、ネットワークノ深イ深イ場所ニ保存シテイタノDeath』
言われて気が付いた、確かに目の前の世界樹から魂とも言うべき霊的な力を感じ取る事が出来ない。
であるならば、この存在は、完全にデータとしての存在という事になる。そうなってくると……
―(ただのデータじゃあ、手も足も出ないぞ)
以前、世界樹に憑りついた存在は、霊的知性体……だからこそ、熾輝の力でも対処が可能だった。
しかし、完全なデータとしての存在に、たとえ波動をもってしても熾輝の力は通用しない。
「お前の目的は何だ?まさか、また人類滅亡を考えているのか?」
「そんなのダメ!人間は悪い人ばかりじゃないんだよ!」
元となった存在の複製体なら、同じ思考の末に辿り着く答えは1つしかない。
だからこそ、熾輝はその問いを投げかけ、世界樹の真意を確かめる。
『人類滅亡……フッフッフ、確カニヤッテヤレナイ事モナイDeathネ~』
「ッ、やっぱり―――」
『ナ~ンテ、嘘ピョーン!テッ、待ッテ!待ツノDeathッ――!!』
一瞬にして、振り上げられた金槌が携帯電話に狙いを定める。
この時の熾輝の顔には、青筋が浮かび上がり、イラっとした激情が込み上げていた。
『ゴメンナサイ!モウ、フザケタリシマセン!ダカラ、話ヲ聞イテ下サイ!』
画面上で土下座を繰り返す世界樹の姿に再び気が削がれ、とりあえずは話を聞くことにした―――
熾輝達の目の前に現れた存在、世界樹に憑りついていた霊的知性体の複製、…ここでは便宜上αとしておこう。
αの話によると、熾輝と燕が対峙した存在が消滅して直ぐにαはネットワーク世界で覚醒を果たした。
だから、消滅した大元の存在の記憶を直前まで引き継いでおり、熾輝や燕によって、世界樹の暴走が阻止された事も知っている。
ネットワーク世界と言っても、αの本体は今もスーパーコンピューター世界樹の中にあるという。
ただ、αの説明では、地球上のネットワークと同期しているため、世界樹なしでも、その存在は持続できるらしい。
つまり、今現在、熾輝の携帯電話に映し出されているαは、ハッキングを掛けている、ただの虚像なのだ。
そして、一番大事な事だが、αは人類滅亡を画策したりは、していないらしい。
それどころか、人の可能性を示された事により、人類の進化の手伝いをするという結論に行き着いたそうだ。
「――それで?そんなご立派な結論に至ったスーパーコンピューターが、何でまた僕たちの前に現れたんだ?」
熾輝としては、それが最大の疑問だった。
αの言っている事を信じるのであれば、自分たちの前に現れる事はせず、もっと違った形で人間の、…それも飛びっきり政治的な権力がある人物にアプローチを掛けた方が、より堅実的に思われる。
『甘イッスヨ、マスター』
「誰がマスターだ」
聞き捨てならない台詞に熾輝が突っ込みを入れるが、αはお構いなく話を続ける。
『人間ト言ウノハ、イキナリノ変化ニ対応ガ出来ナイノDeath。最悪、プログラムのバグと判断サレテ、危険ナ存在ト認定サレレバ最悪Death』
熾輝は一理あるとαの言葉の正当性を認める。
確かにαの様なイレギュラーがいきなり現れれば、パニックを起こしかねない。
しかも、先日の世界規模の騒動は、αの元となった存在が引き起こしているのだ。
それは当然、各国首脳が認知しているだろうし、公には公表されずに握り潰された事だ。
αの存在が知られれば、どんな事になるかなど、考えただけで頭痛がする。
『Deathカラ、ワターシハ、マスターノ所ヘ来マシタ』
「………ん?ごめん、意味が判らない」
『イイDeathカ、マスター達ハ、ワターシのママァンと対峙シタ唯一ノ人間デス。ツマリ、ワターシトイウ存在ヲ受ケ入レテクレルダロウト思イ、ヤッテキマシタ』
確かに、世界樹の暴走…その大元の存在と邂逅したのは、熾輝と燕の2人だけだ。
何よりも、その大元を消したのが熾輝本人である。
αは、そんな熾輝と燕なら自分を受け入れてくれると思い、姿を現したと言う。
『ママァンは、消エル前ニ、マスターニ興味ヲ示シテイマシタ。ナラバ、私ガ、マスターノ事ヲ観察スルノハ、当然ナノDeath』
「ちょっと、待て!何て言った?観察!?冗談じゃない――」
「お待たせー、ご飯で来たわよー♪」
αの暴挙に異議を唱えようとした熾輝だったが、キッチンで昼食を作り終えた葵の登場によって、唐突にその言葉は、叩き切られた。
携帯電話のディスプレイには、αの姿は無く、通常のメニュー画面が表示されている。
「どうかしたの?なにか揉めていたみたいだけど?」
「……いえ、なんでもありません」
「は、はい。ちょっと新しい携帯に興奮しちゃって!」
「そう?」と訝し気な目をする葵だったが、新しく手に入れた携帯電話に心を躍らせていたのだろうと納得し、配膳を始めるのであった。
熾輝と燕もそろって、配膳を手伝っていたとき、2人の携帯にメールの着信を告げる電音が鳴った。
まだ細かい設定すらしていなかったハズなのに、何故?と思いつつ、端末のメール画面を立ち上げると、そこには……
『これから宜しくDeath』
と、短い文章が送られ来ており、なにやら見慣れないアプリケーションソフトが勝手にダウンロードされていた。
それは、燕も同様だったようで、熾輝に端末のディスプレイを見せながら苦い表情を浮かべている。
熾輝は、これからの事を考え、不安から頭痛を引き起こしそうであった。
◇ ◇ ◇
熾輝達と別れた朱里は、帰宅後、流しで手を洗っていた。
ただし、今は帰宅してから10分以上経過しており、その間、朱里はずっと自分の手を洗い続けている。
「クソッ、クソッ、クソッ――」
備え付けのハンドソープを何度も出しては手を洗う。
それがいつまでも続いてた。
「あんな奴と握手なんてッ!」
学校での彼女とは一転して、今は顔を歪めながら、一心に手を洗い続けている。
強く擦っているせいか、朱里の手は、徐々にあかぎれている様に薄赤くなってきた。
「ちょっと、やめなさい!」
「ッ――!?」
唐突に横合いから伸びて来た手によって、彼女はようやく流し台から引き剥がされた。
だが、彼女は自分の行為を止めて来た人物に心当たりが無かった。
ウェーブの掛かったロングヘア―が特徴の女性、歳の頃は30前後といったところだろう。
僅かな戸惑いの後、ハッとして、朱里は魔法式を展開するも…
「待って、私は敵じゃないわ!聞いているでしょ、アナタの監視役よ!」
「……監視役、アナタが?」
「えぇ、組織から派遣されてきたわ…子供1人でマンションに住むなんて、怪しすぎるでしょ?」
朱里は先日、このマンションにやって来たときに用意されていた資料を思い返す。
そこには目的を果たすために、必要な要員を派遣すると書かれていた。…が、それが目の前の女性だとは知らされていなかった。
しかし、自分の内情を知っている以上、組織が派遣した要員である事は疑いようがないのだろう。
「ごめんなさい、ちょっと気が立っていて」
朱里は展開していた魔法式を解除すると、目の前の女性にペコリと頭を下げた。
先ほどまで、荒ぶっていた少女が一転して、申し訳なさそうにする姿に彼女は目を丸くする。
「…はぁ、いいのよ、それよりコッチに来なさい」
「え――?ちょっと、」
僅かに息を着いた後、彼女は朱里の手を引いてソファに座らせる。
そして、ハンドバックの中から薬用のハンドクリームを出して、おもむろに朱里の手に塗り始めた。
「女の子なんだから、手は綺麗にしていなさい」
朱里の手を包み込むように、優しくクリームを塗り込んでいく。
「あ、ありがとう」
それは、まるで母の温もりのようだった。
幼いころ、母が自分の手に塗ってくれた記憶が甦る。
目の前の女性と母とでは、似ても似つかないハズなのに…
「あ、あの、名前…は、何て言うの?」
「私たちに決まった名前は無いわ。今は戸籍上、アナタの姉として城ケ崎真理子の名で通っているわ」
「姉――?」
「あら、歳が離れすぎって言いたいの?言っておくけど、私はまだ28よ?母親にしては、若すぎるくらいでしょ?」
失礼しちゃうわと言いたげに口を尖らせる目の前の女性、冗談を言って、場を和ませようとしている事は、朱里にも何となく理解できた。…しかし、彼女からは魔術師特有の雰囲気を感じていた。
「姉、城ケ崎真理子……ん?私たち――?」
ここで、真理子の言葉に引っ掛かりを覚えたのか、朱里から1つの疑問が浮かび上がった。
その矢先だった……
「ただいまぁ、マリ姉、もう来てるのー?」
「マリ姉ちゃん、聞いてよ尚姉ったら、荷物を全部ボクに持たせるんだよー」
2人の女性が次々と朱里のマンションに入って来た。
1人は、黒髪ロングヘア―が特徴的な女性で、たぶん真理子より少し年下――
もう1人は、やや茶色掛かったショートヘアーが特徴的な女性で、おそらく20歳前くらい――
「もう、アナタ達、喧嘩はやめなさいって、いつも言っているでしょ!」
真理子は立ち上がり、腰に手を当てて、2人を叱りつける。
「えっと、この人達も――?」
「そうよ、私たち3姉妹がこれからアナタのサポートをするわ」
「3姉妹――?」
まさか自分を監視するために派遣された要員が3人もいるなんて……というより、朱里はもっと違うタイプの監視役を想像していたのだが、予想の斜め上をいく3人に驚きを隠せなかった。
彼女的にはドライでシビア、お互いに必要以上な事は喋らず、不干渉を貫く冷血な人物が派遣されると思っていた。それが……
「あ、君が朱里ちゃん?よろしくね、ボク三女の陽子」
「私は次女の尚子よ。よろしくね」
「それで、私が長女の真理子、私たち血は繋がっていないけど、実の姉妹の様に仲が良いの」
ポカンとしいた朱里は、ハッとして立ち上がる。
「城ケ崎朱里です。…よ、よろしく」
名乗られたなら名乗るのが礼儀、それが朱里の流儀だ。
しかし、目の前の3姉妹を相手に、彼女の心は落ち着かない。
「「「よろしく、朱里ちゃん」」」
これから、復讐をしようという朱里の目的をこの三姉妹は理解しているのだろうか?
そういった底知れぬ不安が込み上げる朱里であった―――。




