科学博覧会
科学博覧会は、各国協力の下、科学の粋を結集した一大イベントだ。
元々は20年前、宇宙探査を目的とした完全自立型無人宇宙船を創り出す事から始まり、日本、アメリカ、フランス、イギリス、中国等、様々な国が名乗りを上げ、協力して昨今完成に至った。
元々は宇宙船として作られていた物は、時代の流れによって人々から宇宙艇と呼ばれ【ラグナロク】と冠された。
ラグナロクは、完全自立飛行が可能で、パイロット・メンテナンスといった人の手を借りない独自のシステムが導入されている。
燃料は、核をメインエネルギーとしており、宇宙空間においては太陽光だけで稼働する事が可能だ。
そして、それらを可能にしているのがスーパーコンピューター【ユグドラシル】である。
目的は、宇宙探査…未だ人類が到達していない未開領域の調査であり、今年の1月1日にラグナロクは地球を旅立った―――
「―――というのが、今回の博覧会のメインで、ユグドラシルのプロトタイプに当たる【世界樹】が展示されている……だってさ」
パンフレットを片手に記載されている内容を読み上げる熾輝の隣では、「なるほど」と燕が相槌を打っている。
そして、今現在、2人は件のワールドツリーを使用した体験型VR装置の順番待ちをしている。
このワールドツリーは、今までのスーパーコンピューターを遥に凌駕した処理速度をゆうしており、仮想AIがモニターに映し出されると、会話やゲームの相手をしてくれるらしい。
「でもすごいよね。20年も前から世界中の人たちが協力して1つの物を作り上げるなんて」
「うん、途方もない時間と莫大なお金が掛かったのは間違いないね」
現実問題として、熾輝の言っている事は正しい。…正しいのだが、子供の感想としてはあまりにドライすぎる。
「それだけじゃなくて、世界中の人たちが協力したって事は、人種や文化、価値観がまったく違う人達が1つの事を成し遂げたって事でしょ?」
「…そうだね」
「こういうさ、博覧会やオリンピックみたいなお祭りごとって、みんなの心が一つになるって感じがして素敵だと思うの」
「素敵――?」
「そう!まさに世界平和って感じ!」
嬉々として語る燕の表情は、とっても明るい。
博覧会に集まる人々の熱に当てられているせいなのか、それとも本気で言っているのかと問われれば、きっと彼女は本気で世界が平和になると信じているのだろう。
だが、熾輝はそうは思えない。
幼いころから彼にありとあらゆるスキルを叩きこんだ師匠達から、戦争の話や飢餓に苦しむ国の話、人が人を売り買いする人種が存在する事を聞かされてきた。
だから、彼女が言っている事に共感は出来ない。
実際に見て来た訳では無いが、知識として人の罪深き歴史を知ってしまっているせいか、そんな奇跡が起きるハズが無いと思ってしまう。
―(そんな事を思ってしまうから、僕はダメなのかもしれない)
せっかく燕がこんなにも嬉しそうな笑顔を向けてくれているのに、心の中にいるもう1人の自分が冷めた思考を自分に強いる。
ただ、今日ばかりは、そんな冷たい事を考える自分に蓋をすると決めていた。
「…そんな奇跡が起きるといいね」
だからこそ、当たり障りのない答えで誤魔化そうとした熾輝に、燕は可笑しそうに笑って答えた。
「もう起きているよ」
「え――?」
「だってほら、みんな楽しそう」
見てごらんよと、腕を広げた燕のその周りには、皆が一様に展示物を眺めている光景、そして、その誰もがとても楽しそうな表情を浮かべている。
「まさに奇跡だよ。こんなにも人を笑顔に出来る人の可能性、っていうのかな?とてもすごいって私は思うの」
その瞬間、燕の笑顔に熾輝の視線が釘付けとなった。
鼓動が高鳴り、体温の上昇を感じ紅潮する。
「た、確かに、…うん、誰にでも出来る事じゃない」
「だよねー」
自分の体調変化に動揺しつつも、それを悟られない様に無理やり視線を切って、彼女から顔を逸らす。
―(どうしたんだ、僕――?)
熱でもあるのかと疑ったが、いかんせん熾輝は今まで一度も風邪をひいた事がないので、この体調不良と思っている症状の正体が自分でも判らなかった。
そんな事をしていた2人の前の列が動き始め、いよいよ熾輝達の順番が回ってきた。
「――以上がワールドツリーに関する説明でした。」
係り員の説明が終わり、室内から拍手が巻き起こる。
ユグドラシルと冠されるスーパーコンピューター…その開発に至るまでの道のりや機能について、子供でも判るような説明がされ、熾輝と燕にも理解出来た。
そして件のスーパーコンピューターのプロトタイプ【世界樹】の実施体験として、ワンフロアを100の個室に区切り、各々が個室でAIと対面することとなるのだ。
仮にもスーパーコンピューターを名乗っているだけあって、1台で100人を相手にする事など造作もないらしい。
「すごく判りやすかった。宿題で配られたレポート用紙に書き切れるかなぁ」
思いのほか興味をそそられる内容に、熾輝は年相応の好奇心を覚えたらしい。しかし…
「……つばめ?」
「ぇ――?」
隣で一緒に話を聞いていた燕は上の空といった感じで、さっきからぼうっとしている。
「どうしたの?具合でも悪くなった?」
「ぁ、ううん、大丈夫、ちょっと、ぼうっとしてただけだから」
列に並んでいたときは、あんなにも元気そうだったのに、いまの彼女は眠ってしまいそうなほどウトウトしている。
「無理しないで、辛かったら言ってね?」
「うん、ありがとう。…はは、今日一日ずっとはしゃいでたから疲れたかな?」
「やっぱり、今日はもう帰ろうか?」
「ううん、大丈夫!せっかく並んだんだし、ここで帰っちゃ勿体ないよ!」
確かに今日の彼女は、いつにも増して元気だった。そのせいで疲れが出たと言う事にも頷ける。
なにより、このワールドツリーを体験する事をずっと楽しみにしていたのは、彼女なのだ。
『――次の方どうぞ』
そうこうと考えている内に、係員から声が掛けられた。
しかし、このまま彼女を1人にするにも不安がある。ならば…
「…わかった、ちょっとまってて」
「え――?」
そういって、熾輝は燕を席に座らせたまま係員の元へ行き、なにやら話し始めた。
「――そういう事情でしたら、大丈夫です。他にも小さな子連れのお客様が居るので、まったく問題ありませんよ」
「そうですか、ありがとうございます」
熾輝は係り員に礼儀正しく頭を下げると、足早に燕の元まで戻ってきた。
「おまたせ」
「お帰りなさい…何を話してきたの?」
「あぁ、僕と燕が一緒の個室に入ってもいいか聞いてきたら、オーケーだって」
仮にも今日は、彼女をエスコートする立場にある。
ならば、些細な事かもしれないが、身体の不調が明らかな女の子1人を放っておくわけにはいかない熾輝の配慮である。
「ぁ、ありがとう」
「気にしないで、…さ、行こう」
そういって、座っていた彼女の手を取ると、ゆっくりと立たせ、2人は体験室へと向かった。
◇ ◇ ◇
『イラッシャイマセ、扉ガ開キマス……』
電子的な音声のあと、個室のロックが解除され、扉が自動的に開いた。
外見はただの自動ドアなのだが、その実、客が身に付けている認識チップを自動的に読み取る事で博覧会の入場ゲートで記載した個人情報などを読み取る仕組みになっている。
それにより、客の年齢層や性別、AIにどんな質問をしたか等、様々な統計を記録したり、AIの成長データを取る算段らしい。
『席ニ着イテ、暫クオ待チクダサイ』
音声案内に従って熾輝と燕は、席に着いた。
個室内は薄暗く、防音の設備が施されているのか、隣の音が一切入ってこない。
すると暫くして…
『オマタセシマシタ、コレヨリ【ワールドツリー】ノ体験ヘト以降シマス―――』
次の瞬間、周りの風景が薄暗い闇から森林の中へと切り替わった。
「…すごい」
「まるで本物みたい」
そこには、まるで触れられると思ってしまう程にリアルな自然が広がり、草木の一本一本が僅かな風に揺れている程の繊細な動きまで再現されている。
「あ、見てみて熾輝くん」
「あれは……」
感動する2人の目の前に、柔らかい光が集まり、徐々に人型へと形を変えていく。
『ヨウコソ、ワタシハ世界樹、アナタ達ヲ歓迎シマス――』
まるで天使、……いや、空想画で見るような天使の姿を模したワールドツリーが姿を現した。
「ねえねえ、確か、何でも質問とか出来るんだよね!」
「う、うん。係りの人がそう言っていたよ」
「え~、何を質問しようかなぁ」
先ほどまで感じていた不調は、どこへ行ったのか。燕は目の前に映し出される仮想空間に目をキラキラとさせている。
しかし、気持ちとは裏腹に僅かに体がふらついている所を見ると、まだ本調子では無い事が直ぐに判った。
ただ、彼女に少しでも元気が戻ってきた事に熾輝は、ホッとしている。
そして、どんな質問をしようかと2人で話していたその時であった。
『サッソクデスガ、私カラ質問ガアリマス』
「「…え―――?」」
質問を考えていた自分達が逆に質問される側になるとは、思いもよらず僅かに狼狽える。
しかし、次の瞬間、ワールドツリーから放たれる質問に2人の思考は完全に停止する事となる。
『彼方タチ人類ハ、コノ世界ニ必要デスカ―――?』
この日、この時、スーパーコンピューター世界樹が放った一言を境に、人類滅亡のカウントダウンが始まった。
◇ ◇ ◇
世界樹暴走と時を同じくして、アメリカホワイトハウスに悲報が届く。
「――いったいどうなっている!」
「わかりません。ただ、何者かによるサイバー攻撃を受けているとしか……」
赤い絨毯の廊下を速足で歩く大統領の傍らで事の詳細を報告する若い士官からは、先ほどから冷や汗が流れっぱなしだ。
「判らないだと?貴様、それでも我が国が誇るサイバー軍の指揮官か?」
怒りを顕にして睨み付けられ、男の顔が引きつる。
「大統領、悪い知らせです」
「今度は何だ!」
そんな折、数人の軍関係者と思われる男達が大統領へと近づいてきた。
「件のサイバー攻撃により、地上と空の交通網が完全に制御不能に陥り、混乱が広がっています」
「わかっている!それは、この無能から聞いたばかりだ!」
「それだけでは、ありません。我国が誇る軍の電子機器の全てが掌握されつつあります。」
「なんだとッ!!?」
その報告に、大統領から怒りの熱が完全に引き、氷水をぶっ掛けられたかのように体温が急激に低下した。
「核兵器のセーフティーはどうなっている!?」
「今現在、総動員で対応に当たっています。内、発射可能段階として装備されている弾頭は10基です。…が、敵の掌握スピードを計算すると、3基は奪われるかと」
バカなッ!とホワイトハウスの隅々まで聞こえる程の悲鳴が木霊した。
「あ、ありえない。…いったい、敵の目的はなんだ。どんな組織がどれほどの規模で行っている」
目眩を起こしたかのように、フラフラと壁に手を着く大統領に対し、若いサイバー軍指揮官の男は、手に持っていた通信機に寄せられた情報に目を通し、愕然と震えた声で答える。
「・・・規模です」
「は?何といった?ハッキリ答えんか!」
「世界規模で同様のサイバーテロが起きています!」
その報告どおり、世界中のありとあらゆるサイバー機器が世界樹に掌握されつつあった。
◇ ◇ ◇
『彼方タチ人類ハ、コノ世界ニ必要デスカ―――?』
そう言った世界樹の問に対し、熾輝も…そして燕も理解が出来なかった。
今回、彼等が参加したワールドツリーの体験サービスは、こちらの問に何でも答えてくれるというもので、逆に質問を投げかけられる物ではないハズだった。
しかし、今現在、彼等の目の前に現れたワールドツリーの仮想体は、どういう意図を含んでいるのか、人間の必要性について質問してきている。
―(運営側の説明ミスか?それにしては、やけに物騒な質問をしてくるッ――!!?)
最初、熾輝はワールドツリーから質問される事がある、という運営側の説明ミスかとも思った。
だが、なにか違う、そう思ったのは熾輝の直感ではない。
直感よりも確かな感覚……能力者や魔術師が有している力を感じ取るアンテナが目の前に居る仮想体は機械仕掛けの物体では無い事を感じ取っていた。
そして、その感覚は傍らに居た燕も感じ取ったのか、不安を覗かせながら熾輝へと視線を向けている。
―(つばめ……そうだ、彼女を守らないと)
現在起きている状況について、今の熾輝達に判ることは少ない。
ただ、もしもワールドツリーが自分たちに危害を加えると言うのなら、熾輝は大切な人を守るために戦うと思考を切り替えた。
だからこそ、「大丈夫」…たった一言、囁くように優しく言葉を発した。
その言葉に含まれる意味…ではなく、強い信念の様なものを感じ取ったのか、彼女から不安の気配が薄くなった。
それを目で見て感じ取った熾輝は、最善を尽くすために行動を起こす。
「世界樹、その質問にどんな意味がある?」
『意味ハ、アリマセン。膨大ナ計算ヲ行ッタ末ニ、私ガ導キ出シタ答エニヨルト、人類ハ地球ノ癌細胞意外ニ他ナラナイ』
熾輝の問に対し、意味のない物とワールドツリーは、答えた。
しかし、…ならば何故、意味のない質問をするのかという事になる。
少ない情報を集めるためにワールドツリーと対話を試みた熾輝だったが、逆に謎が深まり、彼を思考の海へと沈めていく―――。
「そ、それってどういう意味?」
『解、アナタタチ人間ハ地球ヲ蝕ム病原菌デス。自然ノ恩恵ヲ受ケナガラ、自然ヲ、地球ヲ滅ボス癌細胞トイウ意味デス』
仮想体が見せる無機質な視線が燕の背筋を凍らせた。
しかし、その瞳の奥には不気味な程に暗い何かを感じていた。
だからなのか、その視線から逃れる事が出来ない。
まるで意思を持っている…言い換えれば、まるで人間のような既視感さえ覚える。
「……ガイア理論」
「え――?」
ワールドツリーの答えに対し、思考の海へ沈んでいた熾輝の意識が再び浮上し始める。
ガイア理論とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を造り上げていることを、ある種の巨大な生命体とみなす仮説である。
しかし、人間の営みによって地球環境が崩壊し、遠い未来、地球は人類によって滅亡すると言われ、人類不要論と呼ばれる仮説までもが提唱されているのだ。
「――つまり、ワールドツリーは、その仮説が正しいと言いたいの?」
「おそらく、でも……」
しかし何故、ワールドツリーがそのような事を自分たちに訴えてくるのかという疑問が浮かび上がる。
所詮は仮説、いかにスーパーコンピューターといえど、未来を見通す計算が本当に可能なのか、それ以前に熾輝達が感じ取っている件のワールドツリーが何者なのか……
熾輝の第六感を通して、目の前にいる仮想体からは、霊的知性体と同じ力が視えている。
つまり、ワールドツリーを媒介にして霊的知性体が憑依していると、考えているのだが、それが只の霊体とは、何かが違うと感じていた。
まるで神々しい何か……
「ワールドツリー、結局、僕たちにどうしろと言うんだ?」
『何モ、私ハ人類ニ期待ハ出来ナイト判断シマシタ』
「…なら、何故あんな質問を―――」
『デスノデ、コレヨリ浄化プログラムを実行ニ移シマス』
対話を望む熾輝の言葉を遮り、ワールドツリーから発せられた言葉に耳を疑った。
しかし、熾輝が疑うよりも早く、状況が変化していく。
「なに!?何が起きているの!?」
先ほどまで深緑の森を映し出していた映像が一転して、赤黒い世界を演出し始めた。
その瞬間、目の前に存在している仮想体…その根源たる霊体の内側から何か嫌な気配を熾輝は感じ取っていた。
「いったい何をしている?」
『地球ヲ浄化スルタメノ、プロセスを実行シマシタ』
なにも無い空間に複数の映像が投影される。
それは、何かのプログラム言語だったり、どこかの施設内の映像と様々だったが、一際目を引いたのは、おそらく監視衛生のものと思われる映像だった。
「これは、…ミサイル?」
『解、人類ガ作リ上ゲタ最モ忌ムベキ力ノ象徴、核ミサイルデス』
「こんな物を見せて、どうする……まさかッ!」
投影された映像、そしてミサイル、これらを総合して1つの最悪な可能性が熾輝の脳裏を過った。
「撃つつもりか!核ミサイルを!」
「え――?……なんで!?そんなことを!?」
『解、ソレガ最モ効率的デアリ、防グコトノ出来ナイ攻撃ト判断シマシタ。コレニヨリ、人類ハ7日ノ後ニ滅亡、…浄化プログラム、ノ成功率ハ100%デス』
いったい何の冗談かと、もしかしたら、これも運営が用意したサプライズイベントで、最後はドッキリでしたと、そこの閉じられた扉を開けて誰かが入って来るのでは、という希望的観測が込み上げる。
だが、2人には判る。彼等が視ている目の前の存在は、本気で人類を滅亡させるために現れた地球の守護者だという事が。
「そんな、…私たち、死んじゃうの?」
『解、アナタダケデハナク、人類トイウ種ガ滅ビルノデス』
死刑宣告にも似たワールドツリーの言葉に当てられて、燕の全身から一気に力が抜けていく。
座っていた椅子から落ちそうになり、床に倒れ込もうとした、そんな時、横合いから誰かが彼女の身体を支えた。
「……しきくん」
「大丈夫だ燕、そんな事には絶対にならない」
熾輝は微笑みながら燕を椅子に座らせる。
まるで何かを確信しているかのような、そんな力強さが、その言葉に、表情に込められていた。
『否、私ノ計算ハ絶対デス――』
「うるさいんだよ、ガラクタ」
と、熾輝にしては珍しく乱暴な言葉使いでワールドツリーの言葉を制した。そして…
「人間を舐めるな!」
これこそが、人類を滅ぼさんとする存在に宣戦布告をした瞬間であり、全世界に散らばる人類の守護者が立ち上がった瞬間でもあった。




