神羅
駅前にある赤いポストの前で、熾輝はバッグから手紙を取り出した。
手紙は海外へ送る為なのか、その距離に適した切手が数枚張り付けてある。
封筒には西洋映画でよく用いられる封蝋印が押されているが、何か特殊な魔力を感じるのは気のせいではない。
「はぁ、―――」
手紙を送るだけなのに、熾輝にしては珍しく躊躇している。
深い溜息を吐いたのち覚悟して…というよりは、諦めを多分に含んでポストに投函した。
心の中で何かを必死に祈っている様は、傍から見たら何かの懸賞に応募している風にも見えるが、熾輝にそういった趣味はない。
ただ、結果を先に述べてしまうと熾輝の祈りは届かなかったとだけ言っておこう。
「――誰にお手紙?」
と、ポストから離れようとしていた熾輝は、後ろから掛けられた声に振り向いた。
「おはよう燕、…ちょっと親戚にね」
「おはよう熾輝くん、早いね」
送り先には割と興味が無かったのか、燕は親戚への手紙とだけ聞くと、それ以上突っ込んでくる事はしなかった。
そして「早いね」とは、本日、熾輝と燕は2人で出掛けるために駅前で待ち合わせをしていたための挨拶だった。
「付き合ってもらうのに遅れる訳にはいかないからね」
「いいの、いいの、私も今日は暇だったからね」
そう、今日は熾輝達の学校で出された冬休みの宿題、科学博覧会のレポートを作るために2人で出掛けるというイベント当日なのだ。
ただ、前回熾輝が遥斗に相談したとおり、午前中は携帯電話の購入、午後から博覧会へ向かうという予定になっている。
ちなみに燕にとって2人で出掛けるというイベント自体、デートに等しい行為であり、熾輝もその事に気が付いている。……というより、周りから助言を受けていた。
だからこそ、熾輝は事前に購入する予定の携帯電話の機種やサービスプラン、昼食のお店の候補等々、多岐に渡りリサーチを行っていた。……というのも、刹那や双刃から男のエスコートが下手すぎると相手をガッカリさせると、しつこく言われたからだ。
先の戦い、燕なしでは乗り越える事は出来なかった。
そして、自分を好いてくれている彼女をガッカリなんてさせたくないと、熾輝の燕に対する態度が今までと比べ大きく変化してきていた。
「それじゃあ、行こうか」
「うん!」
嬉しそうに返事をした燕は、熾輝の横にピッタリとついて歩き始めた―――
◇ ◇ ◇
「――おまたせ、待たせて悪かったね」
「ううん、全然待ってないよ」
携帯ショップのラウンジで席に座っていた燕に熾輝が声を掛ける。
しかし、目的の携帯電話の購入手続きが全て終了した彼の手に件の物はない。
実は、携帯電話を購入するに当たり、未成年に対して保護者のサインが必要になってくる。
その事を事前に調べていた熾輝は、電話機本体を燕と一緒に選び、あとは必要書類を家に持ち帰るだけ。
葵にサインを貰った後は、郵送で書類を送り、後日、電話機を受け取るだけなのだ。
「でも残念、休み中、熾輝くんと連絡出来ないなんて」
「…新学期からは僕も携帯デビューだから、色々教えてくれると嬉しいな」
「うん!ラ○ンとかツ○ッターとかね、色々あって面白いよ!」
答えに困る事を言われたが、当たり障りのない言葉を選んで誤魔化す事に成功する。…が、燕が発した単語のどれ1つとして理解出来なかった熾輝は、とりあえず微笑み返して誤魔化した。
「思いのほか時間が余ったね、…昼食前に少しお店を見て回ろうか?」
事前の準備のおかげで予定していたよりも時間に余裕が出来たため、燕にウィンドショッピングを提案した。
「うん!熾輝くんは何処か見たいお店とかあるの?」
「燕の好きな所でいいよ」
「じゃあ、アクセサリーとか見て回りたいな」
「いいよ、確かアクセサリーショップは2階だったね。…行こうか」
「うん!」
そう言って、2人はショッピングモール内を歩き始めた。
◇ ◇ ◇
『――エラーコード:0000…』
「あれ?まただ――」
コンピューターの電子画面に表示されるコードを見て、技術者が頭を悩ませている。
「どうした?」
「あ、部長…世界樹からまた変なエラーが検出されまして、どうしたものかと」
「どんなエラーだ?」
「これです」
と言って、電子画面をのぞき込む男。しかし…
「何処にエラーが出ているんだ?」
「え?いや、ここに……ってあれ?」
男が指さした場所に先ほどまで表示されていたエラーは消えていた。
代わりに正常な画面が表示されている。
「昼飯あとで眠っていたんじゃないだろうな?」
「そ、そんな事は―――」
念のため、各プログラムに異常が無いかと目を通すも、何の異常も発見されない。
「まったく、しっかりしてくれよ」
そう言って立ち去る男に「すみませんでした」と頭を下げる。
「本当に見た気がしたんだけどなぁ」
そう言って頭をポリポリと掻いたあと、自分に割り当てられた作業分担をこなしていく。
核技術者は、最終点検において異常なしと報告を上司にする。
だが、このとき発現したエラー表示が彼の見間違いで無い事は、この後すぐに判ることになる。
◇ ◇ ◇
ショッピングモール内を一通り見て回った二人は、昼食をとるために飲食店へとやってきていた。
「えへへぇ――」
燕は席に座ってから時折りニヨニヨと笑っている。
その理由は、彼女が持っている髪留めにあった。
先ほど、アクセサリーショップを見に行ったとき、彼女が気に入った髪留めを発見した際、熾輝が今日のお礼と言って、プレゼントをしたのだ。
彼女は、さっそく手にしていた髪留めを頭に付けてみる。
「どうかな?」
「うん、可愛いよ」
「似合っている」ではなく「可愛い」と熾輝は言った。
いつもであれば、前者を選ぶハズの熾輝だが、今日に限って、熾輝はジェントルマンに成り切ると決めていた。
普段の熾輝を知る燕も、まさか可愛いと言ってもらえるとは思ってみなかったのか、自分で聞いたにも関わらず、顔を真っ赤に染めている。
「そ、そうかな?」
「とっても」
微笑みを交えて答える熾輝に燕は更に顔を紅潮させる。
ちなみに、これは無理をして言っている訳ではない。
最近になって気が付いたことなんだが、熾輝は燕や可憐、咲耶といった同年代の女子と居ても、心が疲れる事はない。
どちらかと言うと安らぎを感じている程だ。
そして、彼女たちは素直に可愛いと思う。……今まで、小動物やモフモフした物に可愛いと思う感情はあっても、人間に対しては、湧いてこなかった熾輝にとって大きな変化と言える。
ただ、このまま彼女を褒め続けた場合、頭を沸騰させて倒れかねないので、適度に話題を変えながら、注文した食事が来るまで、会話を楽しんだ。
「「――ごちそうさまでした。」」
お互いに食べ終わった後、まだ少し時間に余裕があったため、自然と雑談が始まった。
「しんら――?」
とここで、聞きなれないワードに燕が疑問符を浮かべる。
その様子をみて、熾輝は僅かに逡巡して口を開く。
「そう、…大昔、神様に集められた8人の総称、神様の【神】に網羅の【羅】とかいて神羅だ」
「その神羅がいったいどうしたの?」
この一言で、熾輝は彼女が何も知らされていない事を悟った。
もしかしたら、とぼけているとも思ったが、自分を…八神を前にそんな事をする意味はないので、おそらく真白様達からは何も説明されていないのだろうと思った。
そこにどんな意図があるのかは判らない。しかし、何かしらの意味があって隠しているのであれば、熾輝から説明しても良いものかと悩んだ末、単なる雑談として話を進める事を決めた。
「実は、この前たまたま面白い文献を見つけてね。燕が使っていた【降臨術】っていうのは、大昔に神羅の1人が使っていた能力なんだ」
「へぇ……もしかして、わざわざ調べてくれたの?」
本当は、以前から知っていた知識であったが、「まぁね」と相槌を打って肯定する。
「まぁ、神様を降ろす程の術にどんなリスクがあるか判らないからね」
「わたしのために?心配して?」
「う、うん」
肯定を示した熾輝に対し、思わず感涙する燕…実際に涙を流している訳ではないが、それ程に嬉しいという事だ。
「僕が調べた限りじゃあ、能力のリスクについては判らなかった。その辺りは真白様に直接聞きたかったけど、…何か言っていたかな?」
「ううん、神社の巫女が代々受け継ぐ力だってこと以外は……あっ、でもね、今まで何度も練習したりしてきたけど、身体に変化はなかったよ」
「そっか、……」
―(代々受け継がれてきたか……やっぱり、神羅の能力はギフトなのか)
燕からもたらされた情報から熾輝の中の仮説が確信へと変わりつつあった。
能力は、個人の才能…それが代々受け継がれてきたという事は、熾輝が有する【波動】と同様、ギフトによる継承という事になる。
そして、元来の能力者の血統という線は薄いと言える。
「ところでさ」
「ん?」
「神羅は8人居たって言っていたけど、どんな人たちだったの?」
どんなと問われてまず頭に浮かんだのが8人の呼称…つまりは姓だ。
「神羅というだけあって、8人には神と名のつく姓があって、それぞれ岩神、海神、火神、宝神、武神、黒神、明神、そして八神だ」
「みょうじん……やがみ?」
燕は読み上げられた姓に何か心当たりがあるような顔を浮かべる。
「みょうじんって、遥翔君が言っていた気がする。それに、やがみって……熾輝くんも八神だよね?」
ちょっとしたヒントのつもりで、神羅の姓を明かしたつもりだったが、そこから確信を突いてきた事に熾輝は、心の中で感嘆する。
「そうだね、でも僕の苗字って割と多いし、たまたまかも知れない」
「そうなの?」
「もしかしたらと思った事はあるけどね。でも神羅の…特に八神に関する情報は、殆ど残されていないんだ。だからどんな能力を有していただとか、どんな言い伝えがあるのかは、全然わからない。僕自身、それっぽい特別な能力がある訳ではないからね」
熾輝は、会話の中に真実とほんの少しの嘘を織り交ぜた。
実は、熾輝自身は半信半疑であるが、彼の師…昇雲からお前は神羅の一角だと言われた事がある。
ただ、これは言われただけで、その程度の会話で終わっている。
なぜなら、実際に神羅である八神についての情報とは、熾輝が言ったとおり、既に失伝しており、彼の両親がどんな経緯で神羅となり、また父母のどちらに八神としての能力があったのか、…そしてどんな能力だったのかも昇雲には判らない。
もしかしたら、その能力は熾輝に受け継がれることなく、あの日…神災で失われた可能性すらあるのだ。
「そして、前の戦いで遥斗が口にしていたのが、神羅の1人、【降臨術】の使い手が明神だ」
「みょうじん……」
自身の能力、そして、知られざる歴史を伝え聞いた燕は、なんとも言えない思いを感じていた。
それは、神様をその身に宿す規格外の力に対する不安と、自分には凄い力があるのだと言う期待…それと同時に何故その力が神社の巫女に代々受け継がれてきたのかという疑問が渾然としていた。
熾輝は、降臨術という力を燕がどんな思いで手に入れたかは知らない。
ただ、彼女の表情を見て、護りたいという想いが込み上げてきた。
しかし、その気持ちをどうやって伝えたらいいのか判らず、上手く口を開く事ができない。
「今は、……」
「――?」
「今は、その能力については、誰にも言わない方がいい」
どうして?とは言わず、燕は黙って熾輝の言葉に耳を傾ける。
「燕の力を知って利用しようとする奴が現れないとも限らない。とにかく、今は力をなるべく使わない様にして、真白様とも良く相談する様にしよう」
「う、うん……」
自分を狙う者が現れるかもしれない。その一言に燕の表情が一気に硬くなる。
熾輝は心の中で「しまったッ」と呟いていた。なにも燕を恐がらせるつもりなんて無かったのに、結果として彼女に要らぬ不安を与えてしまった自分の失言を悔いる。
「……大丈夫、僕が付いているから」
「え――?」
なんとか燕を元気づけようとして捻り出した言葉に反応して彼女は顔を上げた。
「頼りないかもしれないけど、今よりもっと強くなって燕を守れるようになるよ」
その一言だけで、燕はの中で先ほどの不安が嘘の様に吹き飛んだ。
「うん!うん!わたし、熾輝くんを信じてる!」
表情にこそ出ていないが、嬉しそうに笑う燕の表情を目の当たりにして、今度は熾輝の鼓動が僅かに早くなる。
「そ、そろそろ時間だ。もう行こう」
「あ、まってー」
それが照れ隠しだという事に気が付いているのかは、定かではないが、熾輝は席を立ち、テーブルに置かれていた伝票を持ってレジカウンターへ向かった。
そして、早々に2人分の会計を済ませると足早にレストランを後にするのであった。




