ある少女の変化
『明日の大晦日、各国が共同開発したスーパーコンピューター【ユグドラシル】を搭載した完全自立型宇宙艇が新年のカウントダウンと共に発射されます。この計画は20年前から―――』
テレビのニュースキャスターが今年最後の特ダネを読み上げている。そんなニュース情報を意識の隅っこで聞き取りながら、熾輝は手に持った赤い果実に包丁を入れ、丁寧に剥いていく。
「普通さぁ――」
「ん?」
「そういう事って、女の子がしてくれるんじゃあないの?」
お見舞いで持ってきたリンゴを剥く熾輝の姿を見て、遥斗は若干残念そうに溜息を吐いた。
「…淳子さんにお願いしようか?」
「ごめんなさい!それは勘弁して下さい!」
慌てた様子…もはや泣きそうな顔をして全力で頭を下げる遥斗を見て「判ればよろしい」と頷き、切り分けたリンゴを遥斗に差し出した。
「いただきまぁす」
「どうぞ」
爪楊枝が刺さったリンゴをヒョイっと摘まむとシャリシャリ音を立てながら食べ始める遥斗。…そんな彼を見ながら熾輝は口を開く。
「で、今日はどうした?」
「ん?……ゴックン」
口の中のリンゴを呑み込んだ遥斗は、ベッドに腰かけた状態で熾輝に身体を向けた。
実は本日、午前中に健康診断を終えた熾輝は、葵から『遥翔くんが話がしたいって言っていたから、寄ってあげて』と言われたので、彼の病室へと足を運んでいた。
ちなみに、葵からの話がなくても、元々お見舞い用にリンゴを買っていたので遥斗の様子は見に行く予定ではあった。
「あぁ、魔導書の事で言い忘れた事があってね」
「言い忘れたこと?」と声に出さずとも、小首を傾げ頭の上に疑問符を浮かび上がらせる。
「元々の君の目的、…秘術【ヒストリーソース】に関する情報だよ」
その言葉に熾輝の表情が引き締まり、僅かに目が細められた。
実は、一連の事件のあと、熾輝は咲耶の許可を得て新魔導書【不朽の願い】を読み解いた。
読み解いたと言っても、エバーグリーンの内容の殆どは、ローリーの書のパワーアップ版、しかも作成者は熾輝本人なのだから、読み解くと言うのは語弊がある。
しかし、魔導書の中で唯一、ヒストリーソースだけは、そのままの状態でエバーグリーンに治められている。
「僕も聞きたかった。…あの不完全な魔法式は何なんだ?」
不完全、…そう熾輝は言った。なぜ熾輝がヒストリーソースだけを現状のままにしていたのかと言うと、熾輝の知識を総動員しても、件の魔術を理解する事が出来なかったからだ。
しかし、過去一度だけ、ヒストリーソースが使われた事がある。
「遥斗、…林間学校の最中、僕はあの魔術に掛かっている。つまり、お前はあの術式の起動条件を知っているって事だろ?」
経歴閲覧の効果は、対象の過去を知る魔術…熾輝が魔術に掛かった時、自身の過去を咲耶たちに見られている。
だが、それも断片的な物で、記憶を失う前の出来事についてまでは、知ることが出来なかった。
「アレはね、星の配列が重要な鍵になる魔術なんだよ」
「………星占術か」
「ご名答」
遥斗からのヒントで応えに辿り着いた熾輝に対し、わざとらしく拍手を送る。
「もしも、君が記憶を無くす前の記憶…それを知りたいのであれば半年後、5月13日が星の配列が最も適した状態になるよ」
「その日って……」
聞かされた日にちを聞いて、熾輝の目元が僅かに細くなる。
「そう、奇しくも神災が起きた日、…6年を経てその周期が巡ってきた。この時を逃せば更に6年後になる」
「なるほど、まぁ半年も時間があるんだ、気長に待つよ」
自身の知られざる記憶にようやく一区切りを付けることができる。…その事に感慨深くなると思いきや、熾輝の中にはこれといって感じる物は湧いてこなかった。
「…そっか、まぁ熾輝くんらしいね」
「一応は覚悟してこの街に来た身としては、今更あわててもしょうがない」
熾輝の答えに一応の納得を示した遥斗は、「それともう一つ」と付け加えて、ベッドわきに備え付けられていた棚の引き出しから、ある物を取り出した。
「これを乃木坂さんに渡してほしい」
「ロザリオ――?」
それは、随分と年期が入ったロザリオだった。
このロザリオには、熾輝も見覚えがある。
魔術師である遥翔が今まで熾輝にも気取られない様にするために身に付けていた宝具だ。
「退魔、偽装、精神防御と物理防御といった力が内包された宝具、効果は保証するよ」
「……いいの?」
宝具の効果を考えたら、値が付けられない程の価値がこのロザリオにはある。
それを遥斗は惜しみなく可憐に譲ると言ってきた。
「彼女の存在が世界に知られれば……言うまでもないよね?」
「………」
遥斗の言葉に熾輝は黙したまま首を縦に振って肯定を示す。
使徒の存在とは、それ程に尊く、そして利用価値が大きい物なのだ。
その存在が公になれば、あらゆる組織、あらゆる国家が彼女を利用しようとするだろう。
過去には、使徒を利用するために人質を取った国家があるくらいだ。
「力に目覚めてしまった以上、隠そうとしてもいずれは、バレる時がくる。…そうなったとき、僕らに力が無ければならない」
「遥斗……」
それは、いつかは可憐の力が公になってしまうと危惧…というより絶対にそうなってしまうという遥斗の確信だった。
それは、熾輝にも理解できる。それが力を持つ者の運命…
だからこそ、時を稼ぐために可憐には今までと変わらずに生活を送ってもらう必要があるのだ。そのためのロザリオ…
彼女を害する者が現れたとき、それを知る自分たちが守るため、それまでに力をつけるため……
熾輝と遥斗はお互いの視線を交わす。…それは言葉を必要としない2人だけの約束――
つい先日まで、殺し合いを繰り広げていた互いが、この様な関係になるとは、当の本人たちも思ってもみなかった事だろう。
しかし、熾輝と遥斗には死線を超えて戦い抜いた者の…それこそ戦士特有の友情めいた何か特別な絆が結ばれていた。
「それじゃあ熾輝くん、頼んだよ」
「あぁ、また来るから、遥斗もリハビリ頑張れよ」
「うん、……良いお年を」
「良いお年を―――」
お互いに別れを告げて、熾輝は病室を後にした―――
◇ ◇ ◇
帰宅した熾輝は、着ていたダウンジャケットをハンガーに通し、クローゼットの中に掛けると、その足で洗面所へと向かった。
身体中から湧き出る汗がベトベトして、不快感が増している。
病院を出た辺りから彼の代謝機能が回復し、今の体調は元に戻っている。
肌に張り付いた衣類を脱ぐと、そのまま洗濯機へと投入、…電源ボタン、スタートボタンを押下して適量の洗剤を入れていく。
風呂場へ足を向ける前に右眼を覆い隠している眼帯を外し、ここで一旦、熾輝の動きが止まる。
鏡に映る自分の顔、…そこには見慣れたハズの自分とは僅かに違う変化があった。
「アレは、一体何だったんだろう――」
ボソリと呟く熾輝は、鏡向こうに映る自身へと問いかける。
そこには、漆黒の両眼をした己自身が同じ動きで同じ問いかけを向けている。
自身の内に宿っていた黒い存在、そしてあの戦いを経て、熾輝の変化は肉体だけに留まらず、今まで患っていたハズの右眼が白濁とした病的な目から正常な黒へと変わっていた。
視力も完全に回復し、本来なら眼帯も必要ない程に……
ならば何故、熾輝は今現在も眼帯を使用しているのかという疑問に対して説明するのであれば、それは【魔眼封じ】のためだ。
熾輝の父親、五月女総司は、古から脈々と受け継がれる魔眼の一族、五月女の直系だ。
五月女の直系は、モーションサイト、グラムサイトと呼ばれる何れか1つの魔眼を有している。
熾輝がその変質に気付いたのは、魔人との闘いの最中、最後の一太刀を浴びせる瞬間、魔人の動きが止まっている程にゆっくりと見えたときと、魔人が腕を遠隔操作していたとき……いずれも常人には認識不可能な見え方をしていた。
その事を葵に相談するも、魔眼は五月女家の中でも稀有な存在で、彼の一族でもその全てを把握しているかは、不明らしい。
「師匠が居れば、何か判ったかもしれないのに……」
今は居ない清十郎…しかし、いくら望んでも彼は此処にはいない。
であるならば、自力で何とかするしかない。
そうやって、自問自答の末に己を納得させる事しか今の熾輝にはできない。
そして、鏡向こうの自分と視線を切り、浴室に入ると汗を洗い流し、冷え切った身体を温める。
浴槽に浸かっていたとき、買い出しから帰宅した双刃から燕から電話があった事を聞き、折り返しの連絡をする様にと言付けを受けた。
「彼女とも話さなきゃなぁ……」
神羅、…そのワードが熾輝の頭の中に浮かび上がる。
一連の事件が収束に向かっているハズなのに、彼の頭の中には、判らない事、知らなかった事、対策を講じる事etc……といった問題が次から次へと湧いて出てくる。
考えるだけで頭を幻痛が襲ってきそうな事柄に熾輝は目元を揉み解し、今は浴槽の中で疲れを癒す事に没頭する事にした。
◇ ◇ ◇
早朝、まだ誰も居ない公園、…正確には人払いの結界により誰も近寄らない場所で、咲耶は意識を内に宿る魔力へと向ける。
小規模な魔法式を展開させると、起動した術式から空気を圧縮した球体、…俗にいう魔力弾が形成された。
「咲耶、こっちはいつでもいいよ」
「……お願い!」
咲耶の合図と同時、アリアが起動した魔法式から連続して赤青黄の3色の魔力弾が飛び出した。
「シュット――!」
発射の詠唱を唱えると同時、不規則に動く3色の標的に向かって咲耶の魔力弾が撃ち出された。
最初に狙うは赤い標的、上へ上へと真直ぐに昇る標的に対し加速していく魔力弾があっという間に追いつき、衝突する。
「次ッ――!」
次に狙うは青い標的、地面スレスレを走るそれに狙いを定め、落下の勢いを殺さずに苦もなく撃ち落とす。
「おおぉ、…次でラストだよ!」
「うんッ――!」
最後の黄色い標的は、公園内を縦横無尽に飛び回り、正直狙いを付けるのは、かなり難しい……案の定、狙いを付けても出鱈目に動き回る標的に対し、咲耶の魔力弾は翻弄され、当てる事が出来ないでいる。
―(正確に撃ち落とす事が出来ない……なら!)
咲耶は、逃げ回る標的の後ろを取り魔力弾を追従させる。そして魔弾の術式を新たに組み換え発動のタイミングを計り始めた。
「………今ッ!」
標的の軌道が変わる間際、魔力弾に組み込まれた術式が発動した。
その瞬間、魔力弾内に圧縮された空気が膨張し、爆発を起こした。
ボンッという音と共に衝撃に巻き込まれた標的は狙い通り粉々に砕け散り、霧散する。
「で、できた……」
「凄いわよ咲耶!」
標的3つを全て撃ち落とす事に成功した咲耶は、自分でも信じられないのか、未だに実感が湧いてこない。
そんな咲耶の心情を他所にアリアは「凄い凄い!」と拍手をしている。
「一体全体どうしちゃったの!?すごい上達じゃない!」
「え?…そ、そうかな?」
「そうだよ!今のにしたって、魔力コントロールだけじゃなくて術式の組み換えなんていう高等技術、いつのまに習得したの?」
「え~っと………」
『―――咲耶、始めるよ』……そういった少年の顔がゆっくりと近づいてくる情景が頭を過る。
コツンッ―――オデコとオデコを突き合わせ、少年と一緒に発動させた秘術【以心伝心】
それによって次々に流れ込んでくる魔に関する知識、彼が見ている世界――――
「――ヤ、――サクヤ、―――ねぇ、咲耶聞いてるの?」
「ふぇ!!?」
「どうしちゃったのよぉ、顔を真っ赤にしちゃって」
「ななななんでもないよ!!」
一瞬、現実から離れ、あの時の事を思い出していた咲耶はアリアによって引き戻される。
「…そう?寒いからね、風邪ひかない内に早く帰りましょ」
「そ、そうだね!」
早朝とはいえ、いつまでも公共の場を独り占めする訳にもいかず、公園内に張っていた人払いの結界を慌てて解く。
―(……わたし、どうしちゃったんだろう?)
あの戦い以降、咲耶の中に小さな変化が訪れていた。
その事を考えるだけで鼓動が早くなり、モヤモヤとした感情が湧き上がる。
「わたし、このあと神社に行くけど、咲耶はどうするの?」
「あっ、そっか、アリアは神社のバイトだもんね」
「うん、今日は大晦日だから人手が足りないみたい。熾輝も手伝いに行くみたいだけど」
「熾輝くんも………」
少年の名を聞いた瞬間、再び鼓動が早くなる。
「わ、私もお手伝い、行こうかな?」
「うん!行こう行こう!その方がきっと楽しいよ!」
俯きながら顔を僅かに紅潮させて応える咲耶、…その様子に気付かずにアリアは、少女の手を取って帰路につく。




