第十六話
夜中、月明かりだけが真っ暗な森を照らしている。
川のせせらぎ、虫の無く声、野生の動物たちは、夜行性以外が眠りについている。
密林と言っていい森の中に一箇所だけ、切り開かれた様な場所に二人の人物が経っていた。
「明後日が、約束の期日だけど、本当にいいのかい?」
声の主は、一見して20代半ば、そして、その容姿は、人の物とは思えないほどの美貌。
長い髪が、風に靡き月明かりに反射した銀髪は、とても美しく、思わず見とれてしまう程である。
しかし、男の飄々(ひょう)とした態度が一々癇にさわるのか、目の前の男は、コメカミに青筋を立てている。
「いいも何も、取引を無かったことには、してくれないだろうに。」
不機嫌に、答える男に対し、目の前の男は、飄々とした態度を崩さない。
「僕も周りの連中を納得させるには、材料が欲しかったからね。あの契約は、仕方が無かったんだよ。」
やれやれ、と首を横に振りながら男は答える。
「だが、約束は、半分しか果たされていない。1つは、熾輝を助けに行くのに結界を通すこと、もう1つは、救出後に帰ってくるために結界を通す・・だろ?」
清十郎は、指を二本立てて、目の前の男に問いただす。
「その通りだ。まぁ、君がそういうだろうと思って、ちゃんと許可は取ってきているよ。だから、契約内容も半分にする。」
指を一本立てた手を自分の顔の前まで持っていき、ウィンクをする男は、間違いなくナルシストなのだが、そういった無駄の多い動作に、一々突っ込みを入れることはしないが、正直清十郎は、張り倒してやりたい気分だった。
「・・・まぁいい、それで?例の契約の半分と言うとどの程度を指すんだ?」
「そうだねぇ、本来なら抹殺までが任務だったんだけど、半分となると、探索までかな?」
抹殺という物騒な単語が出てきているが、前もって依頼内容を聞かされていた清十郎に取って、今更驚くような事では無かった。
「探索ねぇ・・・」
「不満かい?」
「正直なところ、探索任務なら俺じゃなくても、適任者がいたんじゃないのか?」
清十郎の疑問も尤もである。
彼の能力は、戦闘時こそ大きく発揮される物であり、探索等の任務には、全く適していないのである。
「当然の意見だが、この任務をこなすにあたって、探索能力に秀でた使い手だけだと、直ぐに死んでしまう。だからこそ、君のような実力者が必要なんだよ。」
ただ探索するだけで、死ぬという男の台詞は、異常なものだと感じるだろうが、同時に任務の難易度が桁外れに高い事を示していた。
「まぁいい、だが俺が気になるのは、本当にそんなモノが存在するのかどうかだ。」
清十郎は、疑いの目で男を睨みつける。
「間違いなくソレは存在している。」
「根拠は?」
「何世紀も昔、この世界に出現したソレを封印したのは、天界と人間界と魔界のそれぞれの3人の戦士達で、当時の天界の戦士と言うのは、僕の母親なのさ。」
「生き証人ってわけか。」
「天上人である僕たちに、生きているって表現も変だけどね。」
話の腰を折られて、苛立つ男を前に、決して自分の我を崩さない
「だけど、当時も封印が精一杯だった。封印した直後、ソレの仲間が一緒に時空間に逃げ込み、それ以来行方知れず・・・万が一封印が解除でもされれば、再び世界に厄災が起きる。」
珍しく真面目な話をする男を初めて見たと清十郎は、事の重さを実感している。
「そして、天界、下界、魔界に封印されたソレは、無い。・・・時空間の穴の追跡を行ったが、どの異世界に逃げ込んだかまでは、判明せず、現在に至る。」
「・・・手がかりは無いのか?」
「無い。だけど、探し出す方法や時空間を移動する手立ては、実は、以前から出来ていたんだけど、探索に向かった先で、消息不明になる者が後を絶たなくてね。」
「それで、白刃の矢が俺に向けられたって訳か?」
「そうだよ。君ならば実力的に問題も無いし、例えソレが相手でも倒してしまうと、僕は信じている。」
珍しく、誉める男に、何か裏が有るのではと、ついつい疑いの眼差しを向けてしまう清十郎だったが、男の真直ぐな眼差しに、つい目を逸らせてしまった。
「ふふ、こうして君と話が出来るのもあと一回になると思うと、寂しくなるね?」
「気持ち悪いことを言うな。」
「おやおや、君って男は、何時もつれないね。」
「当たり前だ!それに、あと一回じゃないだろ?」
清十郎が逸らしていた目を再び向けなおす。
「戻ってきたら、天上の酒を飲ませろ。」
「ああ、とっておきを嫌って程飲ませてあげるよ。」
月明かりが照らす中、二人は、笑みを浮かべ合っていた。
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日が落ち始め、もうすぐ夜を迎えようとしていたころ、ある一団が森を囲むようにして待機をしていた。
「真部様、準備が整いました。」
部下の報告を受けた男は、頷くと、暫く森を見渡したまま動こうとしない。
「どうかされましたか?」
何の反応も見せないまま動かない上司に違和感を覚えたのか、男の部下は、質問を投げかける。
「お前は、この森に張られた結界をどう思う?」
「結界ですか?」
やはり、気が付いていなかったかと男はガッカリとした溜息をついた。
「規模こそ大きいが、余りにも脆弱な結界が、森全体を覆っている。」
言われて初めて気が付いたのか、部下は、「あっ」と小さな声を上げる。
「確かに結界が張られています。しかし、気が付かないくらい弱い結界では、大した効力も無いのでは?」
特に気にした様子の無い部下に咎めるような視線を向けて、真部は語り始める。
「確かに、効果こそ脆弱ではあるが、気が付かせないという事が問題なのだ。」
「それは、どういう・・。」
「この結界、おそらく侵入者を惑わすための物だ。そう言った類の結界は、相手に気が付かせること無く足止め、若しくは遭難させることにより、目的地への侵入を防ぐ。」
「?」
ここまで言って理解できていない様子の部下に対し、「人選を誤ったか。」と、今更ながら心の中で嘆いた男は、更に説明を続ける。
「つまりは、この結界の存在に気が付かなければ、我々は全員が、気が付かない内に遭難させられていたということだ。例え脆弱な効果しか発揮していない結界でも、気が付かない内に確実に影響を受けることとなる。」
「っ!?」
やっと、理解したかと少々落胆の色を隠せないながらも、部下の本領は、戦闘の中でこそ真価を発揮するものだと男も理解しているからこそ、それ以上何も言う事はしなかった。
「では、急ぎ結界の解除を行った方が宜しいのでは?」
「いや、効果事態は脆弱な物だ。一度気が付いてしまえば、問題無い。各班にも結界の事を通達すると共に、森に侵入後、十分方位などを気を付けるように徹底させろ。」
「分かりました。」と言って、男の元を離れた部下を見送り、再び森に視線を戻す。
「美しい・・・」
森を見ながら漏らした声は、称賛の言葉だった。
しかし、彼が本当に見ていたのは、森では無く、森を覆う結界の方である。
「芸術的という形容詞は、まさにこの術式のためにあると思わされてしまうな。」
一通り鑑賞を終えて、満足したのか、男は踵を返し、作戦決行のため、部下たちの元へ向かった。
そして、彼等【暁の夜明けが】ついに動き出したのだ。
―――――――――――――――――
熾輝の修行は、今日も休まず行われている。
しかし、本日の修行に師匠は誰一人として付いておらず、実質、一人で修行を行っているのだ。
修行の内容は、【探索】である。
熾輝は、円空から仙術を学んでおり、その修行の一つが、遠くにあるオーラや魔力を探知し、見つけ出すというもである。
現在熾輝は、円空によって隠された、オーラを纏わせた石、魔力を纏わせた石の探索を行っている。
隠された範囲は、森全体であり、本日は、朝から森の中を駆け回っているのだ。
隠された石の数は、円空にしか分からず、一個でも見落として帰った場合、見つかるまで家には入れて貰えない。
仙術の修行を開始して、4年が経過するが、今現在、彼が意識的に発動できるようになったのは、この探知能力だけであるが、まだまだ未完成な状態なのだ。
師である円空は、何処に誰が居て、どんな状態であるか、まで分かってしまい、数千キロ先であろうと探知出来るらしい。
しかし、熾輝の場合は、まだ何となく、そこに居るという漠然とした感覚しか無いため、目的の石の近くまで来ても、それが隠されていたら、見つけ出すために、かなりの時間を費やしてしまうし、探知範囲も半径100メートルが限界なのだ。
だから、朝から広い森の中を動き回って、探索を行っているのだ。
しかもこの修行のエゲツナイところは、オーラを纏わせた石を探すところにある。
通常、全ての生物にはオーラがあり、それは、森に住む動物に限らず、植物までもがその例外では無いため、オーラの探知を行った際、回りのオーラに惑わされること無く目的の石を見つけ出さなければならないのだ。
魔力に関しては、人間だけが持つ特有のエネルギーであるため、見つけ出すのに苦労はあっても、そこまでの困難は無い。
そのため、相当神経を研ぎ澄まさなければ、オーラの石を見つけ出す事は出来ないのだ。
ちなみに熾輝が現在まともに使えるのは、探知能力だけではあるが、その他にも条件さえ整えば発動する能力もある。
その一つが、【他心通】である。
簡単に言うと、他人の心(記憶)を知る力であるが、熾輝がこれを発動するための条件は、気絶若しくは、睡眠中のランダム的発動なのだ。
しかも、術者が知りたい情報のみを読み取るのでは無く、過去の記憶やどうでもいいゴミ情報を勝手(ランダム的)に拾い上げるので、正直使い物にならない。
そして極め付けは、制御を出来ていないため、他人と他人の心を繋いでしまう事も多々あり、
他人の記憶をお互いに覗き見させてしまうという何とも悪質な暴走をしてしまうのだ。
だが、この暴走は、相手が寝ている間で無いと、心が繋がるという事は無く、大抵の場合、変な夢を見たで済まされている。
余談ではあるが、熾輝が能力発動時、その心(記憶)を読み取ったことを覚えていることは、殆ど無い。
例えるなら、夢を見たことは思い出せるが、どんな内容だったかまでは覚えていない状態と同じなのだ。
「これで、5つ目っと。」
小さな石ころを拾い上げ、手持ちの袋の中にほおり投げる。
「魔力の石が4つに、オーラの石が1つか。」
やはり、オーラの石を見つけるのは難しいと、顔を曇らせながらも、目を閉じて、瞑想を開始する。
近くに探知できる石が無いと確認し、次のポイントまでの移動を開始した。
熾輝が、正確に探知できる範囲は、半径100メートルまでが限界のため、200メートルごとに移動し、探知を行っている。
しかし、移動を開始した直後、熾輝の探知圏外から複数の気配を感じ取った。
「何だろう、複数の人の気配がする。」
己が正確に探知できるのは、100メートルではあるが、正確さを欠いた圏外でもハッキリとわかる複数の人の気配。
「人数は・・・5人くらいかな?」
熾輝の経験上、この訓練を行っていた時、何度か森に迷い込んできた遭難者を見つけたことがあった。そして、その都度、街道まで誘導していたため、今回も遭難者かと思い、不用意にも複数の気配がする方へ近づいて行ってしまったのだ。
しかし、距離が近づくにつれ、ある違和感に気が付き、足を止めた。
「・・・魔力を感じる。」
探知圏内に入ったところで、ようやく気が付いた。
通常、人間には魔力が備わっている。
しかし、魔力は目覚めさせなければ、身体からは放出されず、普通の人間からはオーラしか出ていない事になる。
つまり、森に入ってきた者達は、魔術師という事なのだ。
「早く戻って、師匠達に知らせないと」
熾輝は常日頃、師匠達から万が一、森に魔術師や能力者が侵入したら、戦わずに逃げろと言われているため、それを実行に移す。
木々が生い茂るこの森では、100メートルも離れていれば視界に入ることは、まずあり得ない。
ゆっくりと後ずさり、元来た道を戻ろうとした直後、不意に後ろから声が掛けられた。
『(見つけた。)』
「っ!?」
見つかったと思い、後ろを振り向き、構えを取った。
しかし、誰も居ない。
魔力反応も先程の位置から大して動いていない。
『(怖がらなくてもいいのに。)』
(誰も居ない、だけど声だけが聞こえる。これは・・・)
「風魔法・・・いや、風術か。」
【風術】とは、大気中に存在する風の精霊を術者の支配下に置いて、操る魔術の一つ。
『(へぇ、良く分かったな。)』
(姿が見えない。なら、術者は遠くから声だけを飛ばしているのか。ならっ)
カラクリを看破した熾輝は、全力で駈け出した。
『(あっ、おい!)』
(後ろの連中の移動速度が上がった。だけど、遅い。森の中の移動なら僕の方が上か。)
『(無視すんな!大人しく捕まらないと、痛い目に合うぞ!)』
(これなら、あいつ等を置き去りにして師匠達と合流できる。それにしても・・・)
やかましい。先ほどから声を送り続けている術者は、一体何なんだと、考えながら全速力で、移動を行っている。
視界の先に川辺を捉え、森から勢いを付けて飛び出した。
瞬間、熾輝の右から来た突風により、身体が大きくへ吹き飛ばされた。
「なっ!」
バランスを失い、危うく転倒しかけるも、受け身をとって、体制を立て直す。
「おお、今のタイミングで受け身を取ったか。」
今度は、声を飛ばしてのものでは無く、近くから直接話しかけられた。
熾輝が、声の主の方へ、顔を向けると、そこには一人の男が居た。
川辺にある一際大きな岩の上で、腰を下ろして見下ろしているのは、20代位の誠実そうな男性だった。
(回り込まれていた?・・・いや、追跡してくる人数は、変わっていない。)
「何を不思議そうな顔をしているんだ?」
男は、熾輝が探知を使っていたことは知らない。
(最初から、ここに居たのか。・・・後ろの連中に意識が向いていて、気が付かなかった。)
「お兄さんは、誰ですか?」
「人に名前を聞く時は、まず「八神熾輝です。」・・・。」
自分から名乗るのがと言いかけた男の言葉を遮り、名乗りを上げる。
正直、そういう面倒なやり取りは、今この場では必要ないと、熾輝は判断したのだ。
男は、一度咳払いをして、名乗り始めた。
「俺の名前は、【風間 透】、君を保護しに来た。」
「保護?必要ありません。保護者ならちゃんといますから。」
風間の申し立てを完璧に拒否し、間合いを徐々に離していた時、後ろから追いかけてきていた連中が、息を切らせて森の中から姿を現した。
「ハァハァ、風間さん、そいつが例のガキですか!?」
姿を現したのは、5人の男で、全員の手には、サバイバルナイフが握られていた。
「ああ、彼が八神熾輝君で間違いないよ。これから、俺と一緒にホームへ行くところさ。」
(何なんだ、この人達、いきなり現れて、勝手なことを・・・それにナイフまで持っている。)
前方の風間と後方から来た男達に挟み込まれる形となった熾輝は、完全に不利な状況となり、逃げだす機会を伺いながら、両方へ警戒をしていた。そして、いきなり5人の男の一人が突然ナイフを握りしめて駈け出して来た。
「お前が悪魔の子かあああああっ!」
「やめろ!」
風間の制止を聞かず、みるみる内に距離を縮めて突進をしてくる男に対し、熾輝は半身になり、左手を軽く伸ばすと、迫ってきた男のナイフを握る手に自分の手のひらを添えて、思いっきり下へ引くように地面へと押し込んだ。
男は、ナイフを握りこんだ手から地面へ向かって転がると、川辺の岩に頭を強打し、そのまま沈黙してしまった。
「なっ!お前、よくもおおぉ!」
「死んで償え!」
残った男たちは、次々に怒声を張り上げ、持っていたナイフを振り上げた。
しかし、振り上げられたナイフが熾輝に向けられることは、無く、驚くことに自らの腕を切りつけたのだ。
切りつけた腕からは、血が滴り、激痛によって、男たちの顔からは脂汗が噴き出していた。
「思い知れ、我々の怒りを!」
憎しみが篭った呪言を口にし、流れ出る血を伝って、魔力が垂れ流される。
男たちは、明らかに魔術を発動させようとしていた。
しかし、
「遅すぎます。」
熾輝は、一人目を倒した直後から、次の動作に入っていた。
先程の男の手を地面に押し付けた際に、右手で川辺の砂利を握りしめ、オーラを込めていた。
そして、残った男たちが魔術を発動するよりも早く、持っていた砂利を投げつける。
オーラを込めた砂利は、さながら散弾銃のように男たちを襲い、肉にえぐり込んだ。
予想外の痛みに、集中力を失った男たちは、魔力の制御を失い、魔術を不発させてしまう。
その隙に何も持っていなかった熾輝の左手には、ピンポンサイズの玉が握り込まれ、それを地面に叩きつける。
瞬間、耳を突く強烈な破裂音と共に、閃光が辺りを支配した。
「うわっ!」
暴走する男達に気を取られていた風間は、熾輝の行動に気が付くことが出来ず、もろに閃光と音にやられてしまった。
視力が回復した頃には、その場に熾輝の姿は無くなっており、残ったのは、地面に転がった5人の男だけ。
「あ~ぁ、逃げられちゃったよ。」
風を操り、付近の音を拾おうとするが、自身の耳が完全に使い物にならなくなっているせいで、何も聞こえない。
「・・・とりあえず、聴覚が回復するまでは、動けないな。」
そういうと、風間は近くに置いておいたリュックからチョコレートを取り出してモグモグと食べ始めた。
(森に侵入した時点で、もう気づかれているだろうし、こっちに来ないことを祈るしかないなぁ。)
男は、森を眺めながら、今後の対応について思料することで、現状から逃避する事としたのだ。




