第一六七話 互いの背中
「GRYYYYYYYYYYYA―――」
解き放たれた魔人の奇声が空間を揺らし、音声に乗せた殺気によって肌がピリピリとする。
その声を聴いただけで人は動きを止めてしまう。まるで遺伝子レベルでそうなる事が決定しているかのような不快な音声だ。しかし…
「不快な声だな、…黙れッ」
「―――ッ!!!?」
一瞬にして構築した魔法式が魔人から声を奪う魔術として効力を発揮する。
声を失った魔人は状況が呑み込めていないのか、自身の口を手で触り何度も声を出そうと試みている。
「いままで散々、僕を利用してくれた恨み、ここで晴らさせてもらうよ?…覚悟しろ」
魔人に憑りつかれていた恨みを吐きながら、次なる魔法式の構築に移る遥斗を熾輝は視界の隅に治め行動に移った。
「燕ッ!作戦どおりに頼む!」
「はい!」
「剛鬼は細川さんを!刹那は結城さんの護りを!」
「「了解!」」
それぞれが事前に打ち合わせていた行動を取る。
燕から神気が放たれる。しかし、それは魔人を狙った一点集中の攻撃ではなく、学校の敷地を覆う程の大規模な結界型だ。
燕の力によって学校全体が神社同様、神聖なる領域へと化す。
「―――ッ!!?」
その変化に気が付いた魔人の動きが僅かに鈍る。神域の効果によって魔人の力が徐々に削り取られ、動きは楔を打ち込まれたかのように鈍くなっている。
先のように直接神気を流し込むやり方ならば、一気に力を削ぎ落し魔人の力も奪えるだろうが如何せん相手はレベル4の魔人だ。そんな化け物相手に何度も同じ攻撃は通用しない。
ならば効果は低くとも、確実に魔人の力を削ぐ方法に切り替えたのだ。加えて燕の護りには耐久力に優れた剛鬼が務めている。戦う熾輝達を突破しても彼の守りがある限り燕に攻撃が届くことは、いくらレベル4の魔人と言えど至難の技だ。
「一気に行くぞ!」
「―――ッ!!!」
「破邪剣聖!」
神域による弱体化に気を取られている魔人の懐に潜り込んだ熾輝がミストルテインに破邪の波動を纏わせると一気振り切った。
「―――ッ!?」
邪悪なる存在に対して絶対的な浄化能力がある攻撃……のハズが魔人に対し、一切の効果を見せない。胴体を斬り裂くつもりで放った斬撃が意味を成さないのだ。
予想外の自体に距離を取ろうとした熾輝、それを追撃する魔人の横っ面で魔法式が起動、小規模な爆発が起きる。
「させないぞ!」
「もう一撃!」
遥斗によって追撃を塞がれた魔人。爆発の衝撃によってバランスを崩した魔人へ再び熾輝が攻撃を加えようとミストルテインを切り返した熾輝、しかし攻撃に入る熾輝へ向けて怯むことなく魔人の腕が向けられる。
「させん!」
そこへ鈍く光る一刃が魔人の腕を食い止める。
熾輝の援護に回っていた双刃が愛刀紅桜で魔人の一撃を止めたのだ。
その隙を見逃さず、熾輝の剣戟が魔人の腕を切り飛ばす。
「ッ――――!!!」
「やった!」
魔人へ大ダメージを与えたことから、燕は思わず歓喜の声を漏らす。
「上ッ!」
しかし喜びも束の間、遥斗の声に反応するように全力で熾輝と双刃が魔人から距離を取り、2人が元居た場所に黒い物体が地面へ何本も突き刺さった。それはまるで針、…切り飛ばされた腕が形状を変えて熾輝と双刃を攻撃したのだ。
無力化したと思っていた腕から放たれる予想外の攻撃に一瞬攻撃の手を止める熾輝へと標的を変えた魔人が切断された傷口を向けた。
瞬間、傷口から放たれる黒い力の塊が熾輝を襲う。
「させぬっ!」
素早く体勢を立て直した双刃が割って入り、魔人の砲撃を切り裂く。
真っ二つに分かれた弾は双刃の頬を掠めると遥後方に着弾し、轟音を撒き散らして爆発した。
「っ、ぬかった」
魔人による砲撃を退けた双刃であったが突如、膝をガックシと折った。
「双刃!」
見れば魔人の砲撃が掠めた個所が黒く染まり、徐々に広がっている。
熾輝はこの症状に見覚えがある。穢れ…瘴気など負のエネルギーに触れたときに身体を蝕む症状だ。
通常、穢れはオーラによって防ぐ事が可能であり、浄化する事も出来る。しかし、魔人の有する瘴気は例外と言えるようだ。
これが生者であれば抵抗力も違ってくるのだが、存在が霊的知性体である式神にとっては、不倶戴天の弱点になる。
ひとたび体内に侵入を許せばあっという間に心身を蝕む。
「まってて、いま浄化する―――」
「いいえ、熾輝さまは為すべきことを」
穢れを受けた双刃に駆け寄り、治療を施そうとした熾輝を制止した。
「私ならこの程度の穢れ、自身で対処できます。ですので、構わず行って下さい」
「双刃……」
不安な表情をする熾輝の視線に双刃は真剣な眼差しで応える。
決してやせ我慢や心配させまいと無理をしているという訳ではない。
式神として高位の存在である彼女にとっては、自力で対処可能と判断したに過ぎないのだ。
「直ぐに双刃も戦闘に復帰いたします故…」
「……わかった。少しだけ休んでいてくれ」
そう言って、熾輝は魔人へと再び駆け出した。
「わるい、待たせた」
「本当だよ、そろそろキツかったんだ」
負傷した双刃に駆け寄っていたとき、遥斗は1人で魔人を押さえていてくれたのだ。
見れば結界のような囲いが魔人を閉じ込めていた。
しかし、それも限界のようで、内側に居た魔人の攻撃によって結界の至る所に亀裂を生じさせている。
「ここからは正真正銘、僕と遥斗だけで魔人を相手する事になる」
「…いいねぇ、燃える展開じゃあないか」
「燃える?」
「あぁ、キミは違うのかい?」
どうなんだ?と質問された熾輝は僅かに考える。
本来なら戦力を総動員して対処すべき化物相手に、たった2人で挑まなければならない。
普通なら恐怖で逃げ出しているだろう。……しかし、不思議と恐怖はない。化物相手に心がマヒしている訳でもない。
体を駆け巡る血潮が熱を帯び、心をザワつかせる。
「あぁ、そうだな。…燃えてきた!」
「なら、ギアを上げろ!あるんだろう?隠し玉が!」
まるで熾輝が切札を隠しているとでも言っているかのような言いぐさ。
おそらくは遥斗の勘である事は間違いない。しかし、彼は知っている。経験則から知っている。八神熾輝という少年は、幾つもの策を弄し、可能な限りの切札を用意して戦いに挑む事を…
直感よりも確信的で、確信よりも強いもの
「そうだな、…なら見ても驚くなよ!」
「はは、僕を驚かせてくれるのかッ――!?」
やれるものならやってみろと言いかけた遥斗の表情が驚愕に染まった。
熾輝から溢れ出る力、…オーラから魔力へと切り替わる。
「こ、これは、まさかっ!?」
「結界を解け、遥斗!」
熾輝の掛け声にハッとした遥翔が魔人を封じていた結界を解除した。
同時に展開する魔法式…
「這い回れ!五色蛇!」
瞬間、魔法式から放たれた5つの光、それはヘビのような動きをして魔人の身体に纏わり付いた。
「う、そだろ?熾輝くん、君は魔術を使えないハズだ……」
魔力核の欠陥により、魔術を行使できないハズの熾輝が魔術を行使している。
その事実だけで遥斗は開いた口が塞がらずにいた。
熾輝が何かしらの隠し玉を用意していることは、想像していた。だから、ある程度の事には驚かない自信があったのだ。しかし、遥斗の想像を遥に超えて、まさか魔術を使うとは思ってもみなかったため、その表情が驚愕に染まっている。
「遥斗、今はそんな事はどうでもいい!」
「あ、ああ、そうだね」
驚愕に染まっていた遥斗の表情が熾輝の言葉で引き締められる。
しかしながら、説明しなければならない。何故魔術が使えない熾輝が魔術を行使できているかについて、……それは、1つの魔術の恩恵だ。
先刻、熾輝は魔導書を作成するにあたり、以心伝心という名の秘術を咲耶にかけられた。
ダイレクトリンク…それは、互いに繋がりを作る大魔術だ。
砕いて説明するならば、この魔術はお互いの思っている事をただ伝えるだけに非ず。
精神の繫がりは力を伝え、違いの力を共有するに至らしめる。
つまりはこの状況、熾輝が行使している魔術は、彼の力ではなく彼女、……結城咲耶の力だ。
元々熾輝が有している魔力核には、事象を改変するに重要な役割を担う【実行】という機能が欠落している。
であるならば、魔力核自体を咲耶に依存する形に工程を組めばどうなるか……
物理的な距離に干渉されない魔術工程は、熾輝の魔力と咲耶の魔力核によって事象改変を可能にする。
故に熾輝は自身の魔力と咲耶の魔力核をとおして魔術を行使しているのだ。
「いいか!魔人の弱点を探るぞ!」
「弱点……なるほど、そのための五行属性による攻撃か」
熾輝が放った攻撃から何をしなければならないのかを察した遥翔は、自身もまた魔法式の展開を始めた。
そして、次々に放たれる魔術が魔人へと襲い掛かる。
「木、火、土、金、水は、…ダメか」
「雷、氷、風、光、闇…どれも違う」
属性による攻撃で魔人の弱点を探る。
高次元体である魔人は、肉体をもたない思念体、つまりは現世に顕現するにあたり、何らかの属性の力によって仮初の肉体を獲得しているのだ。
であるならば、相反する力によって、その力を大きく削ぎ落す、または消滅させることも可能という事だ。しかし…
「熾輝くん、アイツ全然効いていないみたいだ。もしかして、僕たちの知り得ない属性の力で顕現しているんじゃあ……」
「ッ……」
魔人は、世界の理の外に居る存在……であるならば、遥斗の推論にも頷ける。
だがしかし、単に属性といってもその数は幅広い。
今まで熾輝達が打ち込んだ物は元素と呼ばれる代表的な一部分に過ぎず、そこから更に派生する属性が幾つも存在するのだ。
「…なるほど、確かに絞り込むのは難しい」
「ならどうする?このまま続けていても、こっちが先に力尽きてしまうよ」
魔力だって無限に湧いてくる物ではない。魔人相手に効き目の薄い攻撃を何発撃ち込んだところで焼石に水だ。
その事は、熾輝にも十分に判っている。
熾輝は、僅かに考察したのちに答えを導き出す。
「細かく属性を割り出す事が出来ないなら、もっと広範囲且つ、強力な魔術を行使する方が手っ取り早い」
「というと?」
「陰と陽、この二つから魔人の弱点を見つけ出す」
「……なるほど、そっちの方が簡単だ……と言いたいところだけど、そこまで大きく分けて更に強力な魔術となると、連発は出来ないよ?」
「連発する必要なんてない。最後は彼女が決めてくれる」
そう言った熾輝と視線を交わした遥斗は、フッと口元を緩めると得心がいった表情を覗かせた。
「オーケー判った。ただ陰陽道の術式は手順が面倒だ。弱点を探るための魔術を放つにもそれなりの時間が掛かる」
「わかっている。だから、ここからは役割分担だ。奴の気を引きながら、僕は陰、遥斗は陽の術式を構築するんだ」
「簡単に言ってくれるけど、魔人相手だと至難の技だ。だけど…」
「「僕たちなら出来る!」」
熾輝と遥斗の声が重なり合った瞬間、それぞれが術式の構築に移った。それと同時、2人の少年は駆け出した。
二人から浴びせられ続けた魔術の弾幕が収まり、体勢を立て直し始めていた魔人は、自身へと迫る2つの影を捉える。
それぞれが何か大規模な術式を構築しつつ、それとは別の術式を空間の各所に設置している。
それをただ見ている程、魔人も優しくはない。
「――――ッ!!!」
遥斗によって声を封じられていようと、雄叫びを上げながら迎撃に意識を集中させる。
2人が別々に距離をとる戦法に切り替えて魔力弾を放つ。…ならばと、魔人は1人ずつ倒していくしかない。
戦いの先を取る事によって、敵の選択肢を絞り込む。
そして、魔人が最初に狙ったのは木刀を握る少年、…熾輝の方だ。
恐るべき速度で迫る魔人を視界に捉え、魔法式を構築する。
発動させるのは、魔人の行く手を阻むための障壁、常人の魔術師ならば簡単に打ち破られるであろう障壁……だが、行使している力の源は大魔導士の魔法強度すら凌駕する少女、結城咲耶の力だ。
いかに魔人と言えど、簡単に破る事は出来ない。
「ッ――!!!?」
予想どおり、魔人はいきなり現れた障壁に体当たりする形となり、自らにダメージを負っている。
平面状に展開させた障壁に進行を阻まれた魔人をみて、熾輝は片手をかざし、握り込むようにして順番に指を折りたたんでいく。
すると、それに反応するように障壁の形状が魔人を包むように変化していく。
―(このまま動きを封じるッ―――!?)
障壁によって魔人を拘束しようとした矢先、思わず目を疑った。
何故ならば、行く手を阻んでいたハズの障壁から魔人がスルリ透過したのだ。
「…どういう理屈だよ」
いったい、どの様にして魔人が障壁を透過したのか、…そのタネは一見しただけの熾輝にも皆目見当が付かなかったが、今は考察している暇などはない。
なぜなら、障壁から逃れた魔人が一直線に迫ってきているのだから。
―(障壁を透過してしまうなら、魔術防壁は意味を成さない。…ならッ!)
熾輝は構築中の魔法式を一旦止め、放出している力をオーラに切り替えた。
手にあるミストルテインにオーラを巡らせ、接近する魔人を迎え撃つ。
「熾輝くん!無茶するな!魔人相手に打ち合うのは危険だ!」
少し離れた場所から魔術の準備を整えている遥斗が熾輝へと注意を促す。
しかし、熾輝は既に魔人の間合いに入ってしまっている。
一閃、二閃、…魔人との攻防を繰り広げる熾輝に余裕はなく、防ぐのに手いっぱいとなっている。
魔人のスピードを考えれば、いまから退くことは不可能だ。であるならば、つばぜりあう熾輝の援護を行うべきなのだろうが……
「~ッダメだ、これじゃあ熾輝くんに当たる」
展開させていた魔法攻撃を放とうにも近距離で戦う2人に対し撃ち込めば、熾輝に直撃する恐れがある。
どうするべきかと考える遥斗を他所に状況が再び動いた。
「ッ――!!?」
強襲する魔人の腕を受けていたミストルテインの刀身が爆ぜる様にして砕け散ったのだ。
「しまったッ」と思わず息を飲む熾輝へ向けて魔人の攻撃が放たれた。
「させるか!」
瞬間、熾輝の足元に展開された魔法式が起動した。
魔術の発動と同時、熾輝は上空へと打ち上げられた。
―(直接攻撃は、被弾する恐れがある。…なら別の手段で援護する!)
上空へ打ち上げられた熾輝は、突然の事でバランスを崩しており、まともに姿勢制御が出来ていない。その状況が魔人にとって最大のチャンスと映ったのか大きく口を広げ、エネルギーを蓄え始めた。
「魔弾!?」
地上から照準を向ける魔人を視界に治めた熾輝だったが、今は身動きが取れない。ミストルテインの修復も間に合わなければ、波動による抵抗も今は出来ない。
熾輝が波動を扱う上で、相手の魔力を解析すると言う条件が必要になってくる。
散々喰らい続け、尚且つ長時間戦い続けた遥斗ならいざ知らず、人外の…それも魔人などという埒外の存在が有する魔力の解析など、今の熾輝に即興で出来るハズがない。
完全に絶体絶命のピンチだと思ったそのとき……
「熾輝くん!」
叫ぶ遥斗と視線が交差した。
彼が展開する魔法式の隙間から全てを察したかのように、熾輝は頷き、意思の疎通が完了した。
そして、落下を開始した熾輝へ向けて放たれる魔人の咆哮が回避不可能な距離へと到達した瞬間…
「エクスチェンジ!」
「ッ―――!!!?」
熾輝と魔人の位置が入れ替わり、激しい爆発音が空間を震わせた。
「熾輝くん!」
「わかってる!」
自身の攻撃によってダメージを受ける形になった魔人、しかし、その力は未だ健在だ。
ならば続く2撃3撃と叩き込み、確実にダメージを与えなければ直ぐに再生によって回復してしまう。
「ミストルテイン!」
真白様から授かりし御神剣の名を叫ぶと、それに呼応するかのように先程魔人に砕かれたミストルテインの破片が形状を変化させた。
形状はダガー、強度は熾輝のオーラで既にコーティング済みだ。
「やれッ!」
「遠隔操作!ホーミングダガー!」
複数のダガーが魔法式によって一斉にその切っ先を魔人へと向けた。
そして撃ちだされる高速の刃が不規則に魔人へと殺到する。
「熾輝くんと遥斗くんが一緒に…」
目の前で起きている光景が未だに信じられないのか、燕は必死に戦う2人の姿を目に焼き付けるように見入っていた。
先ほどまで敵同士だった者が今では、協力して戦っている。
互いに背中を預けて…そこにどれ程の葛藤があったのか、命を奪い合っていた者に命を預ける。
それは、困難を極めたハズだ。
だけど今、二人は戦っている。魔人という脅威を前に背中を預けて。だから彼女は……
「頑張れ、二人とも…」
小さなエールを2人の少年に送った。
爆煙から姿を現した魔人は、接近するダガーに気が付き回避行動へと移る。
―(明らかに動きが鈍くなっている)
今に至り、燕の神力による結界の効果がジワジワと効き始めている。が…
「くっ、速すぎる」
依然、熾輝達との実力差が大き過ぎる。いかに才能に恵まれている遥斗でも、魔人の動きを追いきることが出来ず、なんとか振り切られない様に追跡するのがやっとだ。故に放った攻撃も当てる事ができない。
これでは、彼が担当している陽の魔術も完成したところで当てる事は難しい。
「飛ばせ、遥斗!」
「…ッ!そうか!」
熾輝の合図に反応して、瞬時に魔法式を展開、起動させる。
その間、魔人は追跡してくるダガーを回避し続けている。だが、攻撃のパターンが読めて来たのか、回避運動に無駄がなくなりつつある。
そして、一切の無駄な動きがない程に紙一重でダガーを避けるに至った。
未だ魔人の表情は、熾輝達には理解出来ないが、まるで余裕を感じさせる動作で顔をクイッと動かし、そのギリギリをダガーが通過した。……その刹那
「油断したな」
「ッ!?」
躱したハズのダガーが熾輝と入れ替わった。
代わりに地面に突き刺さるダガーが遥斗の傍らにある。
死角からの完全な奇襲、熾輝は既に攻撃態勢に入っている。……にも関わらず、魔人の反応スピードは流石レベル4といったところか、熾輝の攻撃速度を上回る速度で腕を振るった。
メキッ!
と砕ける音が乾いた夜空に木霊すると同時、魔人は驚いた様な反応を見せた。
「こっちだ」
完全に捉えたと思った魔人の攻撃は、その実、熾輝ではなくミストルテインの形状を変化させたダガーに当たっていた。
熾輝は、魔人の死角に入り攻撃態勢を取っていたとき、フェイントとして既にもう一つのダガーと自身の相対位置を入れ替えるため、エクスチェンジを起動させていた。
しかし、エクスチェンジを起動するためにオーラから魔力へ切り替えており、流石の熾輝もこの一瞬で再びオーラを放出するほどの技量を有していない。……であるならば、必然的に用いられる技は決まってくる。
「魔術闘技ッ!」
「ッ――!?」
極小の魔法式が連続で起動する。
速度、硬化、力のおよそ斬撃を放つために必要な3つの要素
特別な力は一切含まれていないが、弱体化している魔人にとっては大ダメージ必死だ。
打ち下ろされるミストルテイン一撃が魔人を捉え、地上へと落下させていく。そして…
「ッ―――!!!?」
体勢を立て直すよりも早く、そして劇的なまでに視界が切り替わったと認識するよりも先に訪れる衝撃
一瞬、何が起こったのか理解する事が出来ずにいた魔人に、その答えはもたらされた。
「ようこそ、僕の宿敵――」
気が付けば地面に倒れていた魔人を見下ろすように空閑遥斗が立っていた。
このとき、魔人は察した。先ほどまで落下する自信が何故、地面に身体を預けているのか…その答えは、エクスチェンジによる相対位置の変更だ。
つまり、遥斗の足元にあったダガーと落下する魔人の位置が入れ替えられていたという事だ。そして……
「この一瞬をまっていた――」
動きの止まった魔人…そこへ遥斗の魔術が満を持して起動した。
「効果のほどは判らない。…だけど威力は保障するよ」
魔人の弱点さぐる選択肢の1つ、陽の大魔法が火を噴いた。
「五光刃ッ!!」
展開された魔法陣から5つの光刃が煌めき、魔人の身体を焼き、燃やし、八つ裂きに切り裂いていく。
魔法陣の中は、縦横無尽に瞬く光に溢れ、熾輝達の視界を僅かに眩ませた。
「……やったか?」
「判らない、魔人の気配は感じられないけど…」
魔人が五光刃の光に包まれており、未だ効果のほどを確かめるには至っていない。
光が徐々に消失していくなか、熾輝と遥斗は細心の注意を払い、魔人の気配を探る。…そのとき、
「GRYUUッ――!」
「「なッ!?」」
五光刃の効果が終わる前、光の中から黒い腕が伸びて来た。
その腕は、2人の反応速度を軽く凌駕して、遥斗の胴を掴み取ったのだ。
「遥ッ――!」
助けに入ろうとした熾輝の視界が一転、気が付けば夜空へと切り替わっていた。
―(殴られ、…た?)
と認識した後にやってくる意識の歪み、…一気に視界がブラックアウトする。
「熾輝く、ガッああぁああ!!」
吹き飛ばされた熾輝の名を叫ぶ事も許されず、魔人の腕が遥斗の胴体に食い込む。
まるで、ゆっくりと内臓を潰される感覚に死を意識した。
「ああああああぁあああおあああッ―――!」
夜空に暗雲が立ちこみ、少年の叫びが乾いた空間に響き渡る―――
◇ ◇ ◇
『――――いやだよ、もう、僕は…』
暗闇に木霊する、少年の声に熾輝の意識は持って行かれる…
『誰も傷付けたくない』
その少年は、泣いていた。
膝を抱え、何かに怯えるように…
『泣くな遥斗、俺達が付いている』
『そうよ、今は耐えるのよ。そうすればいつかここから出られるわ』
独りぼっちだった少年をなだめるように、年の離れた男女が傍に寄り添う。
―(これは記憶……遥斗の……)
ボンヤリとする意識の中、熾輝は空閑遥斗の記憶を垣間見る。
偶然ではあるが、魔人によって意識を絶たれた事により仙術の一つ、他心通が発動したのだ。
『殺し合え――やらなければ全員殺す』
遥斗たちの管理者らしき人物が残酷な命令を告げる。
その空間には、遥斗と同い年くらいの少年少女が所狭しと入れられていた。
死の恐怖から次々と殺し合いを始める子供たち。
皆が自身を守るため、狂ったように叫び声を上げて殺し合う。
『見事だ。――|あの(””)|御方(””)も喜ばれる』
そう言った男の背後、影が揺らめき不気味に笑っている気がした。
同じような事が何度も繰り返された。
何度も、何度も、何度も、何度も……その度に少年の心は痛めつけられ、いつしか涙も枯れ果てていた。
『お前は選ばれた』
その言葉の意味は理解出来なかった。
しかし、その答えは直ぐにもたらされる事となった。
『今日よりお前が|あの(””)|御方(””)の憑代として生きるのだ』
差し出されたのは1つの宝石、まるでこの世の呪いを顕現させたかのような…見ているだけで呪われたと錯覚する程に凝縮された何かが内包した黒い石……
『さぁ、アカシックレコードをその身に宿せ』
近づけられた石から黒い物体が伸びて来た。
―(あれは、…魔人!?)
石の中に内包されていたのは、熾輝達が戦っている魔人だった。
『さぁ、これより始まるのは我等の時代―――ッ!!!?』
何の前触れもなく倒れる男、…その後ろに忍び寄っていた男女が遥斗の手を付かんだ。
『行くぞ、遥斗』
『しっかりして、ここから逃げるのよ!』
混乱する遥斗の手を引く男女、…剛鬼と刹那が遥斗を連れて施設から脱走を図った。
途中、幾人もの追跡者を葬り、外界への境界が目前に迫ったところで、彼等の前に先程倒した男が立ちはだかった。
驚愕する2人に向かって、黒い腕が伸びる。……そして、貫かれた。
一瞬だった、一瞬で魔人は刹那と剛鬼の命を奪ったのだ。
その光景を前に、泣き崩れる遥斗…完全に心を折られた彼の耳に悪魔の囁きが聞こえてくる。
『二人を助けたいか?…助けたければ、我を受け入れよ…』
熾輝が知っている魔人の奇声ではなく、明らかに意思をもった念が直接頭の中に響いてくる。
『拒めば、新たなる実験体を憑代にするだけだ』
施設には、遥斗よりも小さな子供がまだまだ沢山いる。
自分はこれまで地獄を味わってきた。
そんな思いを彼等に味あわせたくないと心の中で思い続けて来た遥斗の想いを魔人は利用した。
遥斗に選択肢は、なかった。
『良い心掛けだ。……これから貴様は、我が復活するまでの苗床として生きるのだ―――』
―(これが、遥斗の人生だっていうのか?こんな、こんなものが……)
燃え滾る憤怒の炎が湧き上がる。
同時に、熾輝の中にいる正体不明の何かによって変質させられた右眼が脈動する。
◇ ◇ ◇
「あああぁあああ―――ッ!!!」
叫びが学校中に響き渡る。
「やめて!もうやめてよ!」
その光景を目の当たりにしていた燕の声も、遥斗の叫びに掻き消される。
「遥斗!」
「もう我慢できない!」
燕たちの護りを任されていた刹那と剛鬼たちだったが…
「くるなああああぁっ!」
「「っ!!?」」
遥斗の静止の声に動きを止めた。
死鬼神である彼等は、遥斗との主従契約によって動きに制限を掛けられている。
だから『来るな』と、なんの魔力も込められていない言葉にも強制的に従わされてしまうのだ。
「ふざけるな!俺達は、お前を守るために居るんだぞ!」
「お願い!私たちを呼んでよ!」
遥斗へ近づくことの出来ない彼等であったが、その命令だけは聞き入れる訳にはいかないと、彼等を縛る軛を無理やりに引きちぎろうとする。……しかし、彼等を彼等たらしめる力がそれを許さない。
「うおおおおぉおおっ!」
「遥斗!遥斗おぉおお!」
どんなに叫ぼうとも彼等の想いが届くハズもなく、遂に遥斗の胴体が握りつぶされようとしていた。
「―――その意気や良し!」
「ッ――!!?」
あとほんの僅か、魔人が力を込めれば握りつぶされていたであろう遥斗の胴体から、その腕が引き剥がされた。……正確には魔人の腕が切り落とされた事によって遥斗から引き剥がされたのだ。
そして、絶体絶命の遥斗を助けたのは……
「貴様らは、散々熾輝さま達を苦しめた敵、……しかし、主を想う気持ちは本物のようだな」
救出した遥翔を小脇に抱え、愛刀紅桜の切先を魔人へと突き付けながら双刃が感嘆の意を唱える。
「あ、あんたッ!あぶな―――!」
遥斗を助け出してくれた双刃に対し、驚きを覚えるのも束の間、腕を切り落とされた魔人が2人に目がけて襲い掛かった。……だが、その事に気が付いていない双刃ではない。紅桜を逆手に持ち替えると突き出された魔人の腕を一瞬で八つ裂きにしてみせた。
しかし、魔人の攻撃はこれで終わりではない。先に切り落とされていた腕が不自然な動きを見せる。
「ふん、知恵を付けよったか。だが――!」
形状を変えた腕が槍の様に双刃へと突き立てられる。だが、その攻撃は双刃と遥斗へ到達する前に青い炎に阻まれて消滅した。
「やはり、陰遁系の術が弱点……熾輝さま、忌まわしき魔人を成敗して下さい」
そう言って、双刃は僅かに頭を垂れる。その行動に遥斗は一瞬目を疑った。…しかし、魔人の後ろ、遥斗からは死角になってその姿は窺えない。
けれども判る、まるで燃えるような気配が彼の存在を如実に語っている。
紅蓮の炎が夜天を覆い隠していた暗雲を貫くが如く天へと昇り、夜空を覗かせている。
「元からそのつもりだよ」
「助太刀は?」
「必要無い」
その語気は至って冷静……のハズなのに熱波の如き熱量を錯覚させる気当たりをその場にいる全ての者が感じ取っていた。
その熾輝の変化に双刃は感涙寸前なまでに表情を崩しそうになる。なんとか頭を垂れる事によって誤魔化したが、身体が歓喜に震えて小脇に抱えられている遥斗に直に伝わってきていた。
「仕掛けるぞ」
その一言だけを聞いて、双刃はこれから戦場になる場所から消えるように姿を消した。
そして……
「GYRUUUッ――!!?」
今までとは、段違いの速度で魔人に接敵した熾輝は、ミストルテインを一気に振り抜いた。
しかし、魔人に対し破邪の波動は効果がない。それは、先の戦闘で経験済みだ。であるならば、熾輝が放った攻撃はオーラを纏っただけの打撃ということになる。……ハズだった
「GYRUUUッ――!!!」
ミストルテインが振り抜かれた直後、魔人の奇声が上がった。
しかしそれは、熾輝の動きを止めるための物ではなく、苦痛からくる叫び。
見れば、双刃によって隻腕にされていた魔人のもう片方、…右腕が頭上へと斬り飛ばされていた。
「格下だと思って侮ったな?確かにミストルテインは一見、ただの木刀だ。…けどな、良く練ったオーラを込めて刃を形成すれば…」
切り離された魔人の腕に変化が起きる。遠隔操作によって、熾輝を串刺しにするつもりだったが…
「肉を切り裂き、骨を絶つ!」
落下する腕に向かって3閃、刃を得たミストルテインの斬撃が魔人の腕を切り裂いた。
途端、切り離された腕の動きが止まる。
「やっぱりな、お前は見えない魔力の糸を繋げて遠隔操作をしていたんだ」
熾輝は、魔人の遠隔操作の秘密を暴いた。しかし、先ほどまで見えていなかった物が視えるようになった変化に気が付いている者は誰も居ない。
完全に動きを止めた右腕が形を保てずにドロドロと地面に溶け始める。
左腕に続き右腕までも失った魔人から、放たれる殺気の純度が跳ね上がる。
魔人の足元が爆発したと錯覚する程の突進力で熾輝へと襲い掛かる。両腕を失っていても足がある。足を失っても牙がある。
いずれにせよ、今の熾輝にとって認識など出来ようはずがない速度による攻撃。先ほども熾輝は魔人の攻撃に反応する事すら出来ずに瀕死の重傷を負ったのだ。
「不思議だ…お前の動きが止まって視える」
強襲する魔人は、悪寒を感じていた。
本来なら圧倒的な力の前に熾輝を屠る事が出来る存在……にも関わらず、魔人は正体不明のプレッシャーに恐怖していたのだ。
常人にとっては、刹那的な時間の経過の内に熾輝の首を刎ねて、それでお終い。…のハズだった。
だが、魔人は目を疑いながら目を合していた。…完全に自身の動きを捉えている少年と―――
同時に直感した、少年は魔人の全てを見ているのだと……そう確信した直後、視界が2つに割れ、文字通り、魔人の身体が真っ二つになった。
「さくやああああああぁあああッ――!!」
斬り結んだ熾輝が合図を送る。…と同時、巨大な魔法陣が夜天を彩る様に…月に描いている様に美しい光を放つ。
「フルチャージ完了!いくよぉ―――」
今まで一切姿を見せなかった少女が突如として空間に現れる。
そして、彼女が放とうとしている魔法式は、先ほどまで熾輝が構築していた物と同種……正確にいうと、熾輝が作っていた魔法式を咲耶が引き継いでいたので、同じものである。
「ハーミットで存在を隠していたのか!?」
その光景を目にした遥斗は、咲耶がどうやって身を隠していたか理解した。
そして……
「私の…私たちの全力!これで負けてたまるかああぁああ!」
空間に歪みを及ぼす程、超ド級の魔力量を込めた秘術が発動する。
『月詠――――!!!』
瞬間、月の光が魔法陣に吸い寄せられるように、収束する月光が魔人目がけて殺到した。
周囲に一切の破壊を産まないその一撃は、魔人を飲み込むとその身体を一片残らず滅ぼした。




